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続けるということ。そこには成果が必要です。やってもやっても成果が見えない。そんな時続ける事が難しくなります。まず反省のこころが生まれます。「頑張っていないからダメなんだ」「もっと真剣に取り組まなくては」でも成果が見えない。疑いのこころが生まれます。「やっていることは正しいのだろうか」「このまま何の成果もないのでは」でも成果が見えない。正当化のこころが生まれます。「これだけやってるのにおかしい」「プログラムに不備があるのでは」でも成果が見えない。攻撃のこころが生まれます。「あんなのはインチキだよ」「どうせうまく利用してるだけさ」正当化する証拠を集めるためにあら捜しにエネルギーを注ぎます。攻撃することで、できない自分を認めないで済みます。いったい最初の目的はどこへやらたとえ、こんなこころの動きでさえもしっかりと観ていきたいですね。それが実践することですから。
2009.01.25
気づきは行動により理解が深まります。頭と行動のバランスが大切です。どうも頭が前に行き過ぎてバランスを崩している人をよく見かけます。こういう人は結局、自分で妄想を創りだして苦しんでいます。自分で創りだしているのに気づかず周りを責めることばかりを繰り返します。50歩歩いた人には50歩の理解が100歩歩いた人には100歩の理解が1000歩歩いた人には1000歩の理解がそれがあたりまえのことです。50しか歩いてないのに1000歩の理解を得ようとするから950歩を妄想で創りだしてしまいます。とにかく自分を客観的に観る練習です。地道ですがやはりこれがいいです。しっかりと事実を見れようになります。そして迷路に迷い込んだら、いつでも仕切りなおしてください。早い遅いはありません。あせる必要もありません。あなたの気づきはすべてのひとの気づきにつながっています。それは、あなたの担当部分ですから。
2008.09.11
喫茶店の隣の席で若い女性2人がインドの話をしていました。「インドはいいよね~」「インドのこんなところが好き」ところが同じ事をしゃべっているのに伝わり方がなぜか違うんです。聞いているうちにその理由が分かりました1人の女性は実際にインドに行ったことがありもうひとりの女性は、今度、行くらしいのです。同じ言葉をしゃべっていても言葉の重みが違ってくるもんですね。知識としての言葉と体験からの言葉は厚みがやはり違うと思うんです。こころの関係にもよくあることです。こころに関して、あふれるほどの知識を持っている方がおられます。「それはこういうことですね」「それはこれにあてはまりますね」頭の中でこころ理論が整備されていて知識としての理解は見事にできています。しかし、現実はどうかというとあまりうまく行っていない。きっと何かの知識が足りないからだとますます、こころ理論を追い求める。この悪循環を繰り返していきます。こころのテーマに取り組むことは同じぐらい現実での実践も大切です。両者のバランスを取ることが必要です。こころの問題はいくらでも複雑にしていくことができます。それをシンプルにしていくのは、実践であり、体験なのです。
2008.06.22
この日記に書いていることは決して強要していることではありませんので誤解しないでください。あくまでも自分の体験をもとに、こんな生き方もありますよということをお伝えてしているだけですので。今の生き方に満足している人はそれを大切にしてください。こころの練習とは一時的な高揚感だけを追い求めることではありません。明るさを求めれば求めるほど、影も深くなっていくことを知っています。だからこそ、地道にそしてていねいに自分のこころと関わっていきます。いい事ばかりを述べるつもりもありません。時には向き合いたくない自分とも向き合っていく事もあります。これは、ずっと自分をごまかして生きていきたい人にとってはとてもつらい体験になるかも知れません。きれい部分だけではなく、ドロドロした部分も自分の一部だとまずは認めていく。しかし、ほんとうの自分から見ると、すべては自分ではないと気づいていく。ここに大きな生き方の転換点があります。そして、あくまでも依存関係を作ることを目的にはしていません。目指しているのは自立の関係でありその先にある存在とのつながり感です。ここにほんとうの安心感が生まれ、ほんとうの自分の役割に出会っていきます。今、望むことは、こころの奥からの呼びかけをなんとなく感じている方と出会いです。日々多忙の中、欲や思考からでは動きません。今の気づきだからこそ正直に行動しています。
2008.06.17
苦しい、つらい感情から逃れるためにあなたはどのようなことをしますか?無視苦しさ、つらさを無視して明るさ楽しさばかりを求めていく。ごまかし一時的な刺激により、苦しさつらさを感じないようにする。戦い嫌な感情をねじ伏せるために終わりのない戦いを挑んでいく。意味づけ苦しさ、つらさの意味づけをし無理やり納得しようとする。過度なポジティブシンキングやプラス思考により、一時的な高揚感やハイテンションを得て苦しさやつらさがなくなったように感じさせることはできます。しかし、その後に待っているのはゆり戻し。以前よりも深い落ちこみ。こんなはずではなかった。がんばって克服したのになんでまたこんな状態になるの・・・繰り返される悩みの連鎖。あなたがもし感情という立場であったならばどう感じますか。無視されたり邪魔者扱いされたり戦いを挑まれたりそんな接し方をされたならば、ますます反抗するのではないでしょうか。「感情は認められると小さくなっていく」あなたの中に存在している嫌いな感情や思考悪いと思われる感情や思考認めたくない感情や思考それらはすべて、あなたに気づいてもらい認めてもらうことを待っています。しかし、これがなかなか難しいのです。いつも、きれいな部分ばかりを求めて生きてきた人にとっては自分の中のドロドロした部分や醜い部分と向き合うことはとてつもなく高いハードルなのです。ある種の恐怖感がそこには存在します。そのため、様々な言い訳を創り出してはそこから逃げようとします。そして永遠のジレンマをかかえ生きていきます。でも、ここはほんとうの自分を生きるためにどうしても外せない部分なのです。この日記に出会ったということはどちらかの選択を迫られているのかもしれません。ごまかしの自分を生きていくのか。ほんとうの自分を生きていくのか。ご自分の選択です。
2008.06.15
「謎が解けた!」という感覚でしょうか。自分の中の何かがつながりました。とても安定した何かと。7月のセミナーに向けて、内容を少し。感情のしくみについて多くの方が「つらさ」「苦しさ」などの嫌な感情を何とかしたいと悪戦苦闘されているのではないでしょうか。そこでまず、感情のしくみを知ってください。あくまで自分の体験からの言葉ですがとても簡単に伝えます。「感情は否定されると大きくなり認められると小さくなっていく」つまり、押さえつけたり、打ち負かそうしたり無視したりすると、どんどん大きくなっていき存在を認めてあげれば小さくなっていきます。もし、あなたが感情という存在だとすればこの気持ちなんとなく分かりませんか。感情を大きく育て、自分と同一化したときそれはそれは苦しくてたまりません。感情に張り付くという状態ですね。しかし、感情と自分に少しの間を置き、客観的に見れた時、感情は小さくなっていき楽になっていきます。ただこれだけのことです。これは練習をすれば誰にでもできます。少しコツはいりますが、大丈夫です。これを身につけるだけでも、格段に生きやすくなっていくと思います。7月よりクリアリングセミナーがはじまります。シンプルに分かりやすくがテーマです。複雑に絡み合った糸をゆっくりほぐしていきます。自分の中に何かを感じた方は参加してみてください。詳細はこちらをご覧ください
2008.06.09
表現しにくい事だが伝わるだろうか?伝わる人には伝わるだろうし、伝わらない人には伝わらないだろう。たぶん、それでいいのかも知れない。最近、生き方がとてもシンプルになった。気づきをただ行動していくだけの生き方。行動し、ドミノの最初の1コマを倒すと、次々に展開していく偶然の連続、想像以上の現実次はどんな展開が待っているのだろうかワクワクしている自分がいる実践する中、なんとなく感じていることだがどうも、あらかじめ大筋を用意されている本来の人生があるのではないかと思う。大きな人生の流れと言うのか、宿命という表現が適切なのかはわからない。そして、その人生から常に自分に向けて呼びかけ?やヒント?が投げかけられているような気がする。それをキャッチし、目の前のなすべきことをなしていくことがほんとうの自分の人生を生きることにつながるような気がする。そのためには、まずキャッチするために自分の中を整理しておく必要があるのだろう。文字や知識としてではなく、体験により今、実感として感じている感覚が少しうれしい。
2008.06.04
こころの練習では内面ばかりではなく外側へ向けての練習も必要です気づいた事を行動に移していくこと行動し自分の想いを満たしてあげることたとえ小さな想いでも行動し満たしていくこのことが自分に対する信頼を作ります自分への信頼はやがて自分の人生への信頼へとつながっていきますどんな人生がやって来ようともその人生を信頼して生きていく気づいたことをただ行動していくできることをただ淡々とやっていくそこにはきっと頭の中の創造をはるかに超えた思いがけないドラマが待ち受けていることでしょうこころの練習を重ねていくと感情や思考を離して観れるようになります感情や思考は自分ではないという感覚がもてるようになってきますそうなると自分の中に何がわいてこようとも目的本位に動いていくことができます自分の中にわいてきたものにとらわれてなんとかしようと格闘し、疲れ果てて本来の人生を見失ってしまうそんなことをいつまで繰り返すのでしょうかもうそろそろ終わりにしたいですね
2008.05.26
よく聞かれますつらい感情がわくことはないですか悲しい感情がわくことはないですか思考に走ることはないですか不安を感じることはないですか答えは「まだまだ、あります」もし目の前で衝撃的なことが起きたならばたぶん瞬時に感情に張り付きます思考がどんどんわくかも知れませんでも大切なのはその後のことそのまま感情に張り付いて自分で妄想をふくらませどんどん自分を深みに追い込んでいくのか感情や思考に張り付いたことに気づきニュートラルな位置に自分をもどし起きている事実だけをとらえていくのかこころの練習をしている人は後者の対応ができますだから冷静に現実に対処できますそして感情を離すことができるので自分を苦しめる時間も少なくなります自分の中に何が起こってこようともそれをそのまま、ありのまま見つめていくことができます生きやすさの秘訣がここにあります残念ながら学校では教えてもらえませんでした
2008.05.17
なぜ自分はこんなに苦しいのなぜ自分の中の不安は消えないのなぜ自分だけつらい思いをするのいやな感情、不安定な感情をどうにかしようとして内面世界の旅へいろんな本を読んでいろんな話を聞いて納得を求めて、さまよい人にそれで一時的な安心を得るが根本は何も変わらない自分の中を楽しさだけで埋めたい自分の中をよろこびだけで飾りたいそんな願いから、嫌な感情は敵対視苦しさも不安もつらさも楽しさもよろこびも同じ感情という種類の仲間たち自分の中にある何かに反応して感情が起こっているだけ好ましい感情にはヨシヨシとして嫌いな感情にはツンとするそれを決めているのは自分自身まずは感情に張り付いている自分に気づくこと感情を価値判断している自分に気づくことそれには感情を離して観ること感情をただ感情として観ること観るためには同じ位置に居続けること今ここに居続けることただシンプルにこれだけ
2008.05.16
こころが整理整頓されてくると霧が晴れるように今まで見えなかったものが見え出してきます。自分が持っている価値観や概念がどれだけ事実を歪めていたのかを知り愕然とします。そして自分が何者であるのか少しずつ気づいていきます。自分以上でもなく自分以下でもなくそのままの自分を素直に生きていけばそれでいいと気づきます。自分以外の何者かになろうとするから苦しいのです。どんな自分であったとしても、その自分と共に生きていけばいいのです。複雑なことをする必要は一切ありません。できることをしていけばいいのです。自分自身は自分がどこへ行けばいいのかすべてを知っています。そして、いつもヒントを投げかけてくれています。しかし、それを受け取れないのは妄想や思考や欲望や感情で自分の中を散らかしているからです。乱雑な机の上で、重要な書類がなかなか見つけられないように。この日記は体験から感じたことをひとり言として、そのまま書いています。
2008.05.04
最近、若い人たちとよく話をします。その中でよく出てくるキーワード「自分さがし」や「生きづらさ」会社を辞めたり、海外を放浪したり引きこもったりしながら何かを探し求めて行動する人もいます。しかし、ほとんどの人が答えを見い出せないでいる状態。知識、思考、感情、妄想などがごちゃごちゃと渦巻いていて自分でも訳がわからない状態。そんな中で自分を探そうとするからますます自分を混乱させてしまう。そして、あせって自分を追い詰めてしまう。乱雑に散らかった部屋の中ではなかなか探し物は見つかりません。一度、整理整頓をして自分の中を片付ければ探し物も見つかるはず。まずは自分の中の混乱をしっかりと認識することから。自分の中で何が起こっているのかしっかりと確認することから。ここがなければ、いつまでも世間に右往左往しながら、満たされない自分を生きていくことになってしまいます。かつての自分がそうであったように。
2008.05.01
行動について感じるままに気づいたこと、わいてきたことを素直に行動していきます。行動に抵抗する自分が観えてきます。自分を観ながら行動していきます。はずしながらも行動していきます。行動することを続けていくと行動のコツが、つかめてきます。行動するタイミングがわかってきます。行動の選択ができるようになってきます。無駄な行動が少なくなっていきます。ポイントをはずすことが少なくなってきます。さらに行動を続けていくとなにかの大きな流れに触れてきます。逆らえない大きな流れに気づいていきます。この流れを感じながら行動していきます。そこには思わぬ展開がひろがっています。すべての過去に意味づけがなされます。ちっぽけな自分の存在を思い知ります。同時に自分の無限の可能性に気づきます。今、できることをできるところまで。すべて、そこからはじまります。
2007.10.05
最近、人の会話がよく耳に飛び込んでくる。「私、昨日、あまり眠れなかったのよ。」「 寝る前に、ゆっくりお風呂に入るといいよ。」「そうね、ありがとう。試してみる。」会話としては成立している。言葉をそのまま受け止めて、それに対して返答する会話。意味的解釈の会話。この人が本当に伝えたかったことって。ふと思う。 言葉の後ろに隠されている感情。その部分を感じてみる。すると、こんな会話になっていく。「私、昨日、あまり眠れなかったのよ。」「眠れなかったのは、つらかったでしょう。」「何かあったの?」「実はね・・・」言葉の後ろにある感情の部分を見つめて返答する会話。感情的解釈の会話。この人が求めているのはどちらの会話だろうか。
2007.09.06
ある日、詩人になろうと突然思いついた。多くの詩人に会いに行った。会話をして、朗読を聞いて、言葉に悩み、表現に苦しみ・・・でも、めちゃくちゃ楽しい!自分の素直な想いに従って行動する。本当に満たされます。欲には2つあるように思う。「欲望」と「欲求」「欲望」は他から影響されて起きるもの。その動機には比較やら嫉妬が見え隠れ。満たしても、満たしても、もっともっともっと。「欲求」は自分の中からわいてくるもの。自分の深いところからやってくるもの。満たそうと動くだけで、満たされていく。自分にとって「詩人」はまさしく欲求。壁にぶつかることさえ、楽しめる。少しずつ、作品も生まれてきました。自分をどんどん深めていけば、本当の欲求が待っていてくれてます。そして、あなたにきっとこう言うはず。「やっと会えたね。待ちくたびれたよ。」少し気取って、照れくさそうに。
2007.09.02
少し前から気になっている感覚「自分の人生がまるでドラマのような感覚」自分が主人公のドラマが進行していく。そのドラマの中で活動している自分とドラマをじっとながめている自分と2人の自分が存在する。ドラマとは人生体験ゲームある条件設定の中でゲームが展開されていく。そしてドラマはどんどん移り変っていく。成功体験ゲーム失敗体験ゲームいろいろ体験ゲームゲーム中は感情がどんどん揺れていく。でもゲームだから結構楽しめる。こちらの一手に対して、返ってくる現象。「なるほど、そう来るか・・・」「ならばこれで、どうだ!」会心の一手に思わずにんまり、なかなか楽しい。ながめている自分もハラハラドキドキ。思わず声援を送る。「なかなか、いいぞ!」ゲームだからといって、手は抜かない。どんな人生体験ゲームが始まったとしてもゲームだから、動じることもない。その状況の中で、できることをしていく。それがゲームを楽しむコツ。自分でゲームを選択もできるのだがどうも自動選択で始まる場合もあるようだ。昔「人生はゲームだ」と言った人に腹がたって、反論したことがあった。「人生は遊びじゃないんだ」と。でも、今はもっと気楽に生きてもいいと思う。人生は死ぬ時までの通り道。いろんなゲームを楽しめばいいのかも知れない。
2007.08.06
季節が移りゆくことに人は文句を言わない。それが当たり前のことだから。天気が変わることに人は抵抗しない。それが当たり前のことだから。こころはいつも安定していなければ・・いつしか思い込んでしまった「あたりまえ」変化する宇宙のなかに安定しつづけるものはない。こころも「ゆれて」あたりまえ。不安定であることが安定であることを知る。
2007.07.17
「自分と向き合う」簡単そうでなかなか難しいことです。自分の中では巧妙に「ごまかし」や「すり替え」が行われています。自分と向き合いたくないために向き合わない理由を探し出し他人や世間に自分を委ねます。自分の想いよりも他人や世間を優先します。そして他人や世間と同じという一時的な安心を得ようとします。でも、他人や世間が変わるたびに、いつも不安に襲われます。それは自分の人生ではなく、他人や世間の生み出した人生を歩もうとしているから。自分と向き合い、自分を正直に見つめることは自分の人生を歩きだす第一歩です。そこには、揺れることのない安定があります。そして安定からは他人や世間に対する本当の思いやりが生まれます。他人や世間が作り出した成功像もう一度、自分なりに見直してみたいですね。成功者とは自分としっかりと向き合い、自分の人生を生きている人ではないでしょうか。
2007.06.30
きっと誰かが自分を幸せにしてくれる。そう願いながら、この人からあの人へ、それがだめならあちらの人へ幸せにしてくれる誰かを求めてさまよい続ける。自分の責任を転嫁できる誰かを探して・・・そろそろ気づいてあげてもいいのかも知れない。終わることのない依存関係づくりに。たとえどんな人生であったとしてもその人の人生を替わりに生きてあげることはできない。あたり前だが、見えない真実。本当の自分を生きるとは自分の人生に責任をもつこと。どんな状況であろうともどんな人生であろうとも自分の人生だと、しっかりと受け止め生きていく。腹を据えて覚悟を決めて、自分の足で生きていく。少しづつ、ゆっくりでもいい。自立の関係を築くために。
2007.06.13
だまし絵というものがある。たとえば「老婆」と「婦人」のだまし絵。見ようによっては「老婆」に見えたり「婦人」に見えたり。ある人はその絵をみて、絶対に「老婆」の絵だと主張する。ある人はその絵をみて、絶対に「婦人」の絵だと主張する。どちらも正しいし、どちらも間違い。しかし、いったん違う見方で認識できると、どちらにも見ることができる。見ることだけではなく、聞くこと、読むことも同じ。見ているのに見えていない。聞いているのに聞こえていない。読んでいるのに読めていない。思い込み、価値観、概念、習慣が認知を曇らせる。こころはよく自分をだます。それゆえ伝わるということは非常にむずかしい。特に体験を通して実感したものは言葉だけではなかなか伝わりにくい。言葉を知り、頭で創造しただけでは実感に至らない。体験を通して実感を得てはじめて伝えてきた言葉に命が宿る。100の言葉よりも1つの実践。あきらめず、本当の自分が見えるまで。
2007.06.01
それは衝撃的な出来事だった。自分を見つめ続けるなかで、現実世界とこころがからまり、葛藤が起きていた。次の瞬間、こころに張り付いている何かが「ドサッ」と音を立てて崩れ落ちた。なんだろう?恐る恐る見つめてみた。愕然とした・・・そこにはずっと自分を縛ってきたものがあった。それは「負けてはならない自分」だった。「負けられない自分」「失敗の許されない自分」「期待に応えなければならない自分」これを守るためにどんな時も無理を重ねてきた。できる自分でありつづけなければならない。そのために、できる自分をずっと演じ続けてきた。まったく自覚がなかった・・・・まさか自分がこんなものを持っていたとは・・・不思議なもので負けることを受け入れた瞬間次へのエネルギーが自然にわいてきた。自分にとても正直になれた。自分をそのまま表現できるようになった。「自分は自分でいい」そう思えるようになった。本当の自分の人生を、一歩踏み出せた気がする。今、振り返ると、もしあのまま剥がれ落ちることなく自覚のないまま人生を歩んでいたら・・・今は自分の体験を素直に伝えていこうと思う。借りてきた言葉ではなく、きれいな飾る表現でもなく今の自分にできることをそのままに。誰かに響けと願いながら・・・
2007.05.26
いったい、人は変われるのだろうか?この2年間、数多くの人を見てきた。結論・・・「人は変われる。」厳密に言うと「変わる」という言葉は適切ではないのかもしれない。いろんな型に自分を押し込めながら窮屈に表現していたところから自由に素直に自分を表現するところへ。自分の中身は何も変わっていない。ただ表現する部分が違ってきただけ。これを言葉にすると「変わる」になるのだろう。では、どうすれば変われるの?「ダメな自分を変えなきゃ」「がんばって何とかしなきゃ」このような位置からではいつまでたっても変われない。そのままを受け止めていく。ただ自分と素直に向き合っていく。どんな自分でもありのままに見つめていく。好きなところも嫌いなところも目をそらさずにそのままを見つめていく。あきらめずに、ただずっと・・・そしてある時、ふと気がつくだろう。「変わった自分」がそこにいることに。
2007.05.23
現実世界をうまくいかせたい。そう願って願望実現の世界へ。でも、いませんか。現実の変化にこころがついていかない。見た目には次々と願望を実現しているがいつも不安に揺れ、不満がいっぱい。こころが満たされない人がいることを。こころの安定を図りたい。そう願って、こころの探求の世界へ。でも、いませんか。現実逃避をして現実世界はボロボロ状態。こころが満たされているようなフリをしてただ依存と言い訳を繰り返す人がいることを。どちらも否定をしているのではありません。感じてほしいことは現実世界とこころの世界のバランス。ウソ、偽りなく正面から自分と向き合い、自分に正直に人生を生きる勇気。目の前の様々な現実に対して、自己責任を持って、一歩踏み出す勇気。どちらの勇気もバランスよく育てていきたいですね。
2007.05.20
自分との会話のなかでとても好きな魔法の言葉。「今ここから、どうするの?」とても不思議な言葉。この言葉で、瞬時に過去にさようなら今にこんにちはと切り替わる。落書きだらけの混乱したキャンパスを真っ白い新しいキャンパスにしてくれる。前に進むエネルギーがわいてくる。人それぞれ、色んな人生があり取り消したい過去もある。今まで、どんな人生であったとしても今から新たにスタートを切れるんだよ。そう言ってもらっているようでこころ強くなれる。きっと、こころを深く沈めてくれるのでしょう。単なる言葉。でも、貴重なスイッチ。自分だけの魔法の言葉を持ちたいですね。
2006.07.29
成功ということ。地位、名誉、お金・・・世間が決めた成功の形。浅いところに自分を置けば世間の成功に執着し、振り回される。深いところに自分を置けば自分だけの成功の形が見えてくる。成功はひとつじゃない。人の数だけ成功は存在する。
2006.06.26
おいしい物を実際に食べることなくおいしさを味わうことはできない。いくら思考で分析し、想像してもおいしさを味わうことはできない。ただ、食べればいいだけなのに延々と思考遊戯を繰り返す。出口のない迷路をぐるぐると。
2006.06.25
比べるということ。比較の多くは、自分のダメな所と相手の良い所をいつも比べている。これに気づかないかぎり、いつまでも比較ゲームは続いていく。
2006.06.22
シンプルにもっとシンプルに言葉という新鮮素材を生かした新しい表現を探して、試行錯誤の日々。まとまらないながらも、少し形が見えてきたようなので、少しづつ書きはじめていきます。イメージは下記の3点。10秒で読めること。10日間、鮮度の保てること。10人に10の味わいを届けること。まずは、実験にお付き合い下さい。第1回上に上に行こうとして上ばっかりを追いかけるけどどんどん地から足が離れていく。深く深く自分を掘り下げればやがて、そこにたどり着くのにね。
2006.06.21
繰り返し、繰り返し継続すること。それは、上達する秘訣です。繰り返せば繰り返すほど物事は上手になっていきます。ピアノが弾けるようになった。仕事の習熟度があがった。料理がうまくなった。コミュニケーションが上達した。継続することで未熟から習熟へとドンドンよくなっていくというイメージがあります。しかし、継続は良いと思われる方向だけに適用されるものではありません。自分を責める事を継続することもあります。自分を偽る事を継続することもあります。どんどん責め上手になっていきます。どんどん偽り上手になっていきます。繰り返し、継続しているのですから。自分は何を継続していきたいのか。自分は何を継続していきたくないのか。いつも、しっかりと自分の中を見つめ、自覚していたいですね。今、継続していることは何ですか?
2006.06.13
現実をうまく行かせるための大切なキーワードは「少しの勇気と少しのエネルギー」3次元世界をうまく創っていくには想いと言葉と行動の一致が必要ですがどうもチグハグなことが多いこと多いこと。想いでは「仲良くしたい」と思っていても言葉では「なんであなたは・・・」想いでは「どうしてもほしい」と思っていても言葉では「そんなもの、手に入れても・・・」正当化、差し替え、偽り、ごまかしの数々。想いを自分の中で屈折して表現してしまいます。今までと表現を変えるためには照れもあります。恥ずかしさもあります。怖さもあるでしょう。恐れもあるでしょう。プライドも邪魔するでしょう。とてつもなく大きな壁に思えることもあるでしょう。だからこそ「少しの勇気とエネルギー」なんです。多くの邪魔をするものも乗り越えてしまえば「な~んだ」と言うことがほとんどです。素直に表現してみると、おもしろい現象が次々に起こってきますよ。これ、実感。
2006.05.20
同じ話を何度も聞く。同じ本を何度も読む。聞くたびに、読むたびに違った気づきや発見がある。それは、その時の意識の状態で自分の中に入ってくるものが決まるから。うれしい意識の時、うれしい事柄がクローズアップされる。悲しい意識の時、悲しい事柄がクローズアップされる。自分の意識に都合の良い現実を選んで自分に取り入れる。だから、その時の意識の状態により聞こえるものがあったり聞こえないものがあったり見えるものがあったり見えないものがあったりする。だとすれば、現実世界は自分の意識が創り上げていると言える。自分の意識に反応して入ってきた情報がその人にとっての現実世界を創り上げる。だから、少し意識を動かせたならば、現実世界は確実に変わる。あなたの外にあなたを苦しめるものは本当は存在しないのかも知れない。
2006.05.06
1)同じ事柄を見たり、聞いたりしていてもビジネスにできる人、できない人。ポイントは「ビジネス感度」にあり。2)一生懸命、だけどうまくいかない。「お客さんの満足・不満足の正体」とは3)いつまでも、しがみついて離れない時代遅れのビジネス成功理論。「ビジネスにおける鳥かご」について。4)なぜ、あの人だけうまくいくの?なぜ、あの店だけうまくいくの?なぜ、あの会社だけうまくいくの?「見えるノウハウ、見えないノウハウ」
2006.04.27
ビジネスをうまくいかせたい。多くの人が願う気持ちです。「こうすれば成功しますよ。」「私はこれで成功しました。」世間はある意味、成功ブーム。貴重なノウハウは大切です。ただ、忘れてはならないのがその成功法則はその人のものであり、その人だから成功できたということ。誰かの成功体験をただ、表面的にまねをするだけでは一時的には、うまくいっても、長くは続きません。ましてや、こころの満足は・・・そこには自分という存在が抜けています。自分という存在を知り、その存在を生かす成功方法を実践することが自分を満たす成功になるのではないでしょうか。では、その方法は・・・・たぶん、自分自身が知っているはずです。ただ、世間の情報や雑音に惑わされて見えなくなっているだけで。まずは、自分をしっかりと見つめること。そして、こころの声を素直に実践すること。きっと、そこから何かが、動き出します。
2006.04.25
現実をうまくいかせたい。多くの人が願う想い。そのためには行動が必要。行動をすれば現象が生まれる。その現象に反応して内側にさまざまな感情、思考が生まれる。その感情、思考とどういう関係を築いているのか。現実がうまくいっている人でも内側との関係がうまく築けていないために、なかなか満たされない人もいる。内側を無理に押さえ込んだりフタをしたり、無視したり内側との関係をおろそかにする。うまく行かなくなることへの恐れ、不安でいっぱいになることも。現実をうまくいかせたいと願う人は行動していけばいい。ただ自分の内側との関係も大切にしてほしい。現実をうまくいかせたいのはこころを満たしてあげるためなのだから。でもね、内側との関係がうまくいけば外側との関係も自然にうまくいくんだけどなあ。あっ、ひとり言ね。
2006.04.17
楽しくなりたい。優しくなりたい。~になりたい。その前に言葉になっていない隠れた想いがありませんか。(私は楽しくない だから)楽しくなりたい。(私は優しくない だから)優しくなりたい。こころは実感を実現します。「楽しくない」という実感のともなった想いを実現しようとします。だから、いつまでたってもなりたい状態が続いていきます。「ない」状態からではなく「ある」状態からはじめてみませんか。自分にはすべてある。楽しさも、優しさも。ただ自分が育ててないだけ。だから、育てていけばいい、と。楽しさの芽を優しさの芽を想いと言葉と行動を少しずつ一致させていくことで。
2006.04.14
自分の外側との関係。人、物、出来事との関係。自分の内側との関係。感情、思考、気分との関係。どちらも同じパターンで関係を築いているのに気づく。どのパターンが良い悪いではなく大切なのは、常に関係を自覚しているか。外側での現象から生まれてくる内側の動きを自覚しているか。内側から湧き出してきた想いに対する行動を自覚しているか。そしてバランス。外側ばかりに関心が行き内側をおろそかにしていないか。内側ばかりに関心が行き外側をおろそかにしていないか。バランスのとれた関係づくり目指してみたいですね。
2006.04.11
嫌な感情に出会ったときなぜなんだろう。どうしてなんだろう。と原因を追究し始めます。あの時にこうしたから・・・きっと、あれがいけなかった・・この瞬間に思考はフル回転。早く嫌な感情の原因を解明し納得することで楽になりたい。問題→原因追究→発見→納得というパターンに基づいて納得するまでスッキリしません。でも、納得では感情は浄化されません。一時的な安心感は得られるかもしれませんが、何度でも現れます。感情の問題を思考で一生懸命に解決しようとしている訳ですから。感情は離して、ありのままに見ているだけで消えていきます。ただ、それだけです。でも、思考に走る事が悪いと言っているのではありません。思考に走っている自分をも離して見てみる。自覚する。ただ、それだけです。
2006.04.02
イヤな感情がわいてきます。怒りの感情、悲しみの感情つらい感情、嫉妬の感情・・・これらが湧いてくるから自分はまだまだダメなんだ・・・。そう感じていないでしょうか。イヤな感情自体よりも、いつまでも嫌な感情が湧いてくるという事実が自分を苦しめていないでしょうか。私たちは人間である限り、自尊心が存在しています。その自尊心がある限り、現象が自尊心に反応してさまざまな感情が湧いてきます。これは自然なことなんです。だから、大切なことは、湧いてくる感情とのつきあいかた。戦ったり、フタをしたり無理にプラスに転化するのではなく何もせず、ありのままをただ自覚するだけでいいんです。イヤだから何とかしたいという気持ちもわかります。でも、何もせず、ただ見つめるだけ。そんな感情を感じている自分をただ自覚するだけなんです。それだけで驚くほどストレス激減です。偉そうなことを書いてるけどしっかり、はまったところだからこうして書いてるんでしょうね。 だから、ご安心を。
2006.03.31
基本は自分の状態(思考、感情、身体)を自覚し続けること。悲しいならば悲しい自分を自覚するだけ。「悲しいと感じている自分がいるなあ」苦しいならば苦しい自分を自覚するだけ。「苦しいと感じている自分がいるなあ」なぜ悲しいんだろうなぜ苦しいんだろうと原因を探したり、そんな感情を持つ自分を責める必要もない。ましてや、どうにかしようと戦う必要もない。もし詮索したり責めているならば詮索している自分を自覚するだけ。責めている自分を自覚するだけ。戦っている自分を自覚するだけ。ただ、ありのままを自覚するだけ。ただ、そのままを気づき続けるだけ。ただ、それだけ・・・。でもね、せっかくの3次元少し遊んでみたいですよね。
2006.03.17
どんな現象に対しても、素直に、ごまかさず、偽らずそのままで向き合うことが大切です。たとえば、右ひざの痛みをかばって無理しているうちに左ひざが痛み出す。それはやがて腰にいき、足首にいき、どんどん痛みを広げていく。素直に右ひざに対処していればいい事なのに。こころも同じ。何かを正当化しようと無理したりごまかそうとしたり、偽わったり、そうしているうちに本当のこころが見えなくなってしまう。そして、こころのバランスを崩してしまう。無理、偽り、ごまかしの自分は不安定でもろい。だから、いつも安定を得るために繕い、悪戦苦闘を繰り返す。素直でありのままの自分でいる事は、今にいて、とても安定している。どこから何が来ても、揺らぐことなし。ありのままだから。
2006.02.28
最近のあわただしい現象の中で特に感じたこと。自分の中での受取り方の変化。見当違いのことで責められる。以前なら、この人は自分のためを思って言ってくれているんだと理屈では分かっていてもついつい感情的に受け取ってしまう。そして反論、正当化を主張する。でも、今回はとても批判的な言葉をもらっているにも関わらず反論、言い訳を考える事もなくそのまま自然に自分の中へ。そして、その言葉に反応している自分の中にある隠れた部分をしっかりと観ることができた。こんな部分があったんだ。衝撃的!その瞬間、現象はもうどうでもいい。「良くぞ、言ってくれました。」「おかげさまで、こんな自分に出会えました」感謝の気持ちがわいてくる。この感覚、とてもうれしくなった。頭ではなく、実感がともなったことがとてもうれしい。そう、こころから思えたとき、現象はピタリと止まった。
2006.02.23
やす君の中にいるもう一人のやす君彼を「ありのままやす君」と名づけよう。ありのままやす君はやす君が生まれた時から、ずっと一緒にいる。だから、やす君の事は何でも知っている。そして、どう生きればいいのかも知っている。いつも、やす君に話しかけるのだけれどなかなか声が届かない。それは、やす君の中を思考軍団たちが我がもの顔で暴れまわっているから。思考軍団がうるさ過ぎて声が届かない。先日、やっとひとつの声が届いた。それは「右へいくといいよ」という声。でも、やす君は分厚い本を出してきて「左へ行くといい」と書いてあると言って左へ行ってしまった。ある時は「今動く時だ」と伝えたのだが周りの人が「まだ早い」と言っているのでそうする、と動くことをやめてしまった。ありのままやす君はいつもやす君に裏切られ、無視され、疑われそして、思考に邪魔されながらも変わることなく、呼びかけている。そろそろ信じてあげてほしいかけがえのない友人、ありのままやす君の存在を。「自分の中にすべての答えはあるよ」って、いつも言ってくれているから。
2006.02.10
困っている人を見て何とか助けてあげたい。悩んでる人を見て何とか解決してあげたい。怒っている人を見て怒りを沈めてあげたい。「何とかしてあげたい。」世間で言われるやさしさ。でもそれは、表面的な部分だけをとらえたやさしさかも知れない。それぞれの現象は、それぞれの人にとっての貴重な体験。その体験をコントロールしようとしている自分がいる。その人はその人の人生にとって必要な体験をしている。だから、自分にできることは、それぞれの体験を味わえるようにただ寄り添ってあげればいい。今にいて、自分という鏡を磨き相手が鮮明に自分を写しだすお手伝いをしてあげればいい。そして、湧いてきた想いをただ素直に伝えてあげればいい。そこにはコントロールは存在しない。冷たい日記かな? 感じるままにどうぞ。
2006.02.09
こころのパイプをイメージした。パイプの中を思考や感情が流れている。嫉妬さん、悲しみさん、喜びさん・・・どこからか現れては去っていく。ただ、流れるのを見ているだけ。時にはゆっくりゆっくり流れ、なかなか消えていかない感情も。ふと、気になって1つの感情を思わずつかんでしまう。するとその感情は思考を巻き込んでどんどん膨れていってしまう。そしてパイプの一部をふさいでしまう。感情や思考をつかめばつかむほど流れを悪くしていく。やがて、すべてをふさいでしまうことも。血管で言うと動脈硬化自分で言うと自分硬化カチカチに凝り固まって何も流れない。このパイプの中には自分の本性からの大切なメッセージも流れている。バタバタと混雑しているところへメッセージが来ても気づかない。だからパイプはいつも綺麗にしておきたい。大切な自分からのメッセージをいつでも受け止めるために。いつも今にいて、ただ流していくだけ。う~ん、今日の例えは48点かな。
2006.02.06
様々な現象に出会う時、様々な感情が湧いてきます。善いと思われる感情、悪いと思われる感情。自分がどのような感情を選択し、言動をしたかが結果を創り出すだけ。しかし、悪い感情が表れることを極端に毛嫌いする人がいます。恨んだり、憎しんだり、責めたりとこんな感情を自分が持つ事をどうしても許せないのです。だから、こんな感情が湧いてこないようにと悪戦苦闘の連続。でも、3次元で生きている限り、状況によっては悪い感情も湧いてきます。追い越しのできない狭い駅の階段。おばあさんが荷物を持ってあなたの前をゆっくりと登っている。ホームではどうしても乗らなければいけない電車の発射ベルが・・・。そんな時、どんな感情が湧いてくるだろうか。「急いでるのに早く登ってほしいなあ」とおばあさんを責める感情が。こんな感情を持つ自分なんて大嫌い。そうやっていつも自分をたたき続けます。湧いてくる感情は仕方ないこと。素直に認めて、縁(言動)をつけなければいいだけ。善いと思う感情を選択できるのは誰かではなく、自分自身ですから。
2006.02.03
仕事が苦手なA君がいます。以前は、彼がもっと仕事をしてくれたらもっと会社は良くなると思っていました。でも、「今にいて」感じていると彼という一部分だけではなく全体が見えるようになってきました。そう見た時、全体としてバランスが取れていることに気づきました。 彼を見て優越感を得る人。 彼を見て安心感を得る人。彼に仕事を教えようとする人。 彼を見て応援しようとする人。彼の存在が多くの人に影響を及ぼし全体としてはうまくいっているのです。部分的に見れば、好ましくないと思われることでも、全体という視点で見ればバランスがとれているのです。だから、そのままの存在でOKなんです。 自分の中にある少し嫌いな部分その部分だけを見ると、何とかしてなくしてしまいたいと思うでしょう。でも、全体として見ると、案外ありがたい存在なのかも知れません。あなたがいるから、宇宙のバランスが取れているように。
2006.01.24
「何事も完全でなければならない」そういう価値観を持っていると完全でない人に対して嫌な感情が湧き、責めてしまいます。そして、完全でない自分に対しても責めて自己嫌悪になってしまいます。感情は自分の持っている価値観に反応して起こっているもの。では、価値観は自分なんでしょうか。いえ、価値観は自分ではありません。それは自分のまとっている服のようなもの。その服を自分だと思ってしまっているだけ。「何事も完全でなければならない」という服をいつの間にか着てしまっているだけ。服だから、自分に不必要な服や自分を苦しめる服はどんどん脱いでいけばいい。薄着になればなるほど自分に似合いの服がわかってきます。そして、おしゃれをしたいときだけ自分のお気に入りの服を身につければいい。「今にいる」と、どんどん薄着になっていきます。風邪には注意してくださいね。
2006.01.21
今日はもてるコツ。まあ冗談半分で読み流してください。今にいてまるごと感じてあげる。自分の存在をまるごと受け止めてくれる人に出会って心地よくない人はいません。存在を大切にしてくれる人には好意を持ちます。「大好き」と言ってみる。みんな根本には同じものを持ってつながっています。だからこそ、素直に大好きと言ってみます。大好きと言われて悪い気がする人はいないはず。遠慮せず頼みごとをしてみる。負担にならない程度の頼みごとをしてみます。そして必ず感謝を込めて「ありがとう」の言葉を。誰かの役に立ち、感謝されることは自己存在を喜ばせます。「ごめんなさい」と素直に言える。人は与えたものを受け取ります。「このやろ~」には「このやろ~」を。「ごめんなさい」には「こちらこそごめんなさい」を。ありのままの自分を表現する。弱さは弱いままを、強さは強いままをそのままの自分を素直に表現してみる。つくろったり、計算したりはすぐに見破られます。自然体で素直に行動する。想いを素直に行動する人を見ると気持ちよさを感じます。自分を信じて、感情にとらわれず目の前のすべきことをしていきます。えっ、当たり前のことじゃん。そうなんです。特別な秘策や即効薬はありません。当たり前のことを当たり前に実行できるかどうか。「わかる」と「できる」の間には少し距離がありそうですから。
2006.01.19
何か新しいことを始めようとする場合同時に相反する感情が湧いてくる。ひとつは希望、期待、ワクワクといった好ましい感情。もうひとつは不安、恐れ、緊張といった嫌な感情。どちらも自分の感情なのに不安、恐れ、緊張などの嫌な感情を悪者扱いし取り除こうと懸命に試行錯誤を繰り返す。ところが、取り除こうとすればするほどその感情を大きく育ててしまう。「今にいる」ということが出来るようになると感情をそのまま見ることができる。感情はやがて流れていくもの。だから、嫌な感情はそのままに好ましい感情を選択し、それを育てて行動していくだけ。今にいて、そのままで。自分の心地よい選択として。
2006.01.17
「分かる」ということ。知識として理解すること。体感として実感すること。2つの捕らえ方がある。色々と身に着けてきた癖づけ。どうも、知識として理解することに重きを置いてきたようだ。知識として理解する事で満足する。そこで止まってしまう。理解する事は大切なこと。しかし、それは次の実践への前段階としての大切な位置づけ。理解したことで、できた気になる。現実は理解だけでは進まない。理解した事を実際に行動してみて初めて形がつくられる。そこに実感が生まれる。理解と実感。その間には行動がある。実践し実感として自分の中に落とし込むこと。それは地道な実践の積み重ねしかない。あせらず、あきらめず。
2006.01.07
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