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2010.01.08
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 昭和10年2月、日本文学社から発刊された「俳句選釈」は、

頴原退蔵氏と鈴鹿登氏(野風呂翁の本名)の共著になる書物で、

俳諧の歴史(貞門、檀林、蕉風先駆、蕉風時代)については頴原氏が、

蕪村の句評釈を鈴鹿氏が記述しておられます。その書に拠れば、

連歌の起源を遡ると、日本武尊が甲斐の酒折宮で火燒翁と唱和されたのが当初らしいのですが、

平安時代には一時の余興的な詞遊びとして行われていた模様で、

あの和泉式部が下鴨神社に詣でた際、足を草鞋に摺られ痛かったので紙を巻いていたのを

神主忠頼が

 ちはやぶるかみ(神、紙)をば
           足にまく物か

と囃したてれば、和泉式部がすかさず続け、

 これをぞしものやしろとは言ふ

また頼経・公資の二人のやりとりに

 桃園の桃のはなこそ咲きにけれ

      梅津のうめは散りやしぬらむ

このように滑稽問答に近いものだったようです。

 ところが後鳥羽天皇の頃から漢詩の聯句などの影響で、

2句どまりにせず、数10句に亘って続けるようになり、その後

50、100句という連歌の形になっていったようです。

定家・家隆といった当時の歌壇の名匠たちも好んで連歌を楽しんだようです。

これにいろんな規則、形式を決めた幾分真面目な連歌の時代(莵玖波集)を経て、

山崎宗鑑らの、奔放にして自由闊達な作風が再び勃興、”犬筑波集”となり、

それから更に風雅な味わいを基礎とする蕉風時代へと移り、今ン日の俳句へと繋がるのですが、

最近、個性を尊ぶ余り、主観・感覚に走り過ぎる風潮が流行っているようです。











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Last updated  2010.01.08 09:02:42
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