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2010.05.27
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カテゴリ: 雑感・雑学
 図書館からこんな面白い題の本を借りてきました。

NHK編「江戸・怪盗伝」。これは「歴史への招待」という番組で採り上げた中の13巻とのこと。

 では早速あの有名な”石川五右衛門”の真偽について話を展開して参りましょう。

五右衛門と言えば”釜煎(イ)り”と来ますが、この釜は直径、深さともに

2尺4寸(凡そ72センチ)だったそうで、6尺2寸の五右衛門には小さいような。

但し、蓋には首や手を出す穴が開けられていたので何とも言えません。

この釜は処刑後伏見城にありましたが、其の後、大和五条の代官所へ運ばれ、

明治半ばには東京市ケ谷の監獄所に移され、また刑務協会の手に渡ったものの、

第二次大戦のどさくさに無くなってしまいました。けれども実物の写真は保存されています。

 では五右衛門は実在の人物かと言えば、徳川幕府が林羅山に命じて豊臣秀吉の伝記を編纂させ、

その中には文久3(1594)年に五右衛門を捕らえ、母親と同類20人を煮殺したという記事が残っています。

しかしこれは処刑から50年も経過後のことですから誰かの日記で確かめないといけません。

山科言経(トキツネ)という公家の日記に<(文禄3年8月)24日丙午天晴 

1.盗人すり10人子1人等釜にて煮らる。同類19人磔に懸ける。三條橋南の川にて成敗なり。貴賎群集也云々>

とありますが、五右衛門の名がありません。スペイン人の貿易商人アビラ・ヒロンの「日本王国記」には

五右衛門一味らしき盗賊に関する一連の文章があって、それに注釈を加えたのが宣教師ペドロ・モレホンで、

<この事件は1594年(文禄3)の夏である。油で煮られたのは他でもないIxicavagoyemonとその家族>とあります。

京の修道院長だったペドロは実際に三条川原まで出向き、処刑現場を見物したのではないでしょうか。

 この項、まだまだ長くなりそうなので、今回はこの辺で一旦ペンを置きます。次回は五右衛門像やガイドも兼ねて書く予定です。






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Last updated  2010.05.27 09:32:09
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