おしゃれ手紙

2024.08.26
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カテゴリ: 父の麦わら帽子

私の住む集落の真ん中あたりに、大きな椋木(むくのき)があった。
少し離れて、榎(えのき)があった。
榎も巨木だった。

その二本の木の下は、小さな広場になっていた。
二本の巨木が影を落として、夏でもそこに行くと涼しかった。
その広場をサントウサマとよんでいた。

エノキの下に、小さな祠(ほこら)が祀られていた。
この祠には、伝説がある。
 昔、昔、戦国時代のこと。
天神山城 ■落城の際、城主宗景の姫が逃げ込んだのが、私の集落のすぐ近くの山だったという。
姫は、川の水を飲みに出て、村人に殺された。
その後、集落には、疫病が流行り、恐れた村人は、姫を手厚く祀ったという。
その後、盆踊りをして、姫を慰めた。
という話が、私の子どもの頃にも、伝えられていた。
 榎は、昔、重宝された。
その成木はたかだかとして枝もよくのび、老樹になると神寂(かみさ)びてみえる。

昔の人は、この木を愛し、橋のたもとや村境にうえた。
また一里塚にもうえて、「印の榎」とした。
「街道をゆく 赤坂散歩」司馬遼太郎。

昔の村人も、姫のことを忘れないようにと「印の榎」を植えたのだろうか。
 8月23日の地蔵盆には、村の婦人会が、サントウサマで、小さな踊りの会を開いた。

♪大坂ご番所でとめられたよ、(アレハヨイヨイヨイ)

♪高い山から谷底見ればよ
瓜やナスビの花盛りよ  (アレハヨイヨイヨイ)

♪踊り踊るなら品(しな)よく踊れよ(アレハヨイヨイヨイ)


マイクも太鼓をたたく人もいない素朴な盆踊りの音頭をとるのは、私の同級生の母親だった。
 3時過ぎくらいからの踊りが終わると、紙に乗せられた、白砂糖が、子供に配られた。
甘いものが手に入りにくい時代、子供の目当ては、この白砂糖だった。
花火
七夕が終わって、翌日の夜は、手火(てび)があって、15~16日は、盆踊り。
永遠に続くと思っていた長い夏休みも「サントウサマの祭」が終われば先が見えてくる。
しかし、学校が始まるのはずっと先。
明日も明後日も遊べるし泳げる・・・。
私の子供の頃、家には、クーラーはおろか扇風機も無かったけれど、夏が大好きだった。
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Last updated  2024.08.26 00:27:06
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