全413件 (413件中 1-50件目)
くまもんの直筆サインです。あんな可愛い手で器用にサインして下さいます。サインをして下さったくまもんです。くまもん可愛い
2012.06.27
阿蘇を散策中みつけたガザニアガザニアは、アフリカンデージー又は勲章菊(クンショウギク)とも呼ばれます。ほんと、何かの勲章のようにもみえます。なんだかとっても元気がでてくるお花です。ガザニアは、大正時代の末に渡来しました。強靭な花です。但し寒さには強くありません。ガザニアの花言葉は、あなたを誇りに思う、身近の愛、潔白、煌びやか、笑顔でこたえるなどです。ガザニアにぴったりの花言葉ですね。日本も皆さんも元気になれますように~
2011.04.28
オオイヌノフグリオオイヌノフグリには、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳などの別名があります。別名の方が断然いいですね。別名の方がしっくりきます。花言葉は、信頼・神聖・清らか・忠実爽やかなコバルトブルーの綺麗な花にぴったり。 昨日亡くなった俳優の田中実さんのご冥福をお祈りします。4/18(月)に、2時間サスペンスの「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿3」に出演されているのをみたばかりでしたので驚きました。湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿3の中で、イケメン運転手・富田林太郎役の葛山信吾さんと大西誠次(県議会議員の大西栄一の弟)役の田中実さんがすごく似ていて、一瞬田中実さんの一人二役かと思って「うん???」って感じだったのですが、後で一人二役ではなく、田中実さんと葛山信吾さんで別々の俳優さんだと知りました。爽やかな好青年だったのに、残念です。安らかにお眠りください。
2011.04.27
なずな 阿蘇にて子供の頃、なずなのことを「リンリン草」と呼んでいました。花の下の方に付いている、小さなハート型のような、三味線のバチの様な形をした果実をちぎれないようにそっと下方向へ剥き、それを耳元で振ると「リンリン」と微かな音がなりました。ナズナ(なずな)は、別名ペンペン草とも呼ぶそうですが、私が子供の頃「ペンペン草」と呼んでいたのは別の草でした。ナズナは、「三味線草(シャミセングサ)」とも呼ばれています。果実が三味線のばちに似ていることからそう呼ばれます。ナズナは春の七草のひとつでもあり、道端や草むら、たんぼや畑などでもよくみかけます。逞しく健気なイメージのナズナですが、ナズナの花言葉は、「すべてを捧げます、すべてをお任せします。」です。何故この花言葉なのでしょうね?
2011.04.26
阿蘇ドライブ中にみかけたつつじつつじが咲き始めましたね。今年は寒い日が続きましたが、ゴールデンウィーク頃には例年通りつつじが満開になりそうです。毎年ゴールデンウィークの頃、ドライブ中に沿道にたくさんのつつじが咲いているのをみるのが楽しみです。後、4日働いたら連休突入です。さぁ~がんばろうっと!
2011.04.25
すみれ・スミレ・菫阿蘇をドライブ中、可憐なスミレの花をみつけました。スミレの名は、下弁の形が、大工が使用する墨壺(すみつぼ)に似ているからつけられたもので、墨入れの略だそうです。スミレの花言葉は、貞節、誠実、小さな愛などです。以前はよくスミレの砂糖漬けを作っていました。スミレの花びらを集めて、きれいに洗って、水気を切り、ブランデーに漬けて、グラニュー糖をまぶし、クッキングペーパーの上で2~3日乾かすとスミレの砂糖漬けができます。紅茶に砂糖代わりに入れたり、クッキーにトッピングしたり、ゼリーに入れたりします。スミレの砂糖漬けも桜の塩漬けも以前はよく作っていたのですが、最近は忙しさにかまけて、作らなくなってしまいました。
2011.04.24
一心行の大桜(いっしんぎょうのおおざくら)一心行の大桜もちょうど花吹雪が舞っている状態でした。なかなか休みの日と満開の日が一致しないのが残念です。またいつか、満開の時の写真を撮ることができたらいいのですが。桜の周りに植えられた菜の花は満開でした。一心行の大桜の幹廻りは、約7.35mもあります。高さは、約14mあり、ほんとうに大きな桜の木に圧倒されます。1580年に植えられたとすると、樹齢は431年になります。祈りと優しさと愛が込められた大きな桜の木。長い年月、どれだけたくさんの人々を癒してくれたことでしょう。一心行の大桜(現地案内板より) この桜は、天正8年(1580年)島津氏との戦いで矢崎城(宇土郡三角町)で戦火に散った峯(中村)伯耆守惟冬(ほうきのかみこれふゆ)の菩提樹とされている。室(妻)と嫡男は少数の家臣と故郷のこの地に戻り、惟冬と一族の御霊を弔うため一心に行をおさめたということで「一心行」の名がついたとされています。 ふるさと熊本の樹木 平成3年登録
2011.04.23
阿蘇にてドライブ中に桜を観ていたら、ちょうど桜吹雪~桜の花びらが風に乗って粉雪のように舞いました。春ですね~桜の花言葉は、優れた美人、純潔、精神美、淡泊、愛国心、教養、永遠の愛、純潔、高尚、美麗などです。
2011.04.22
ドライブ中に虹の様だけど、虹の様に弧を描いていない虹の様なものをみました。水平状の虹の様なものです。これは、環水平アークと呼ばれるものかも?写真がへたくそなので、わかりにくくてごめんなさい。環水平アーク(かんすいへいあーく)とは、大気中の氷粒に、太陽光が屈折し、ほぼ水平な虹が見える光学現象です。虹などと同じ大気光象の一種で、水平弧、水平環とも呼ばれています。日本国内では年に数十回も観測されるそうです。意外とそんなに珍しいものではないのですね。*----------------------------------------------------------------------*参考の為、下記にWikipedia(ウィキペディア)の説明を貼り付けました。 環水平アーク(かんすいへいアーク、circumhorizon arc, circumhorizontal arc)とは、大気中の氷粒に、太陽光が屈折し、ほぼ水平な虹が見える光学現象である。 虹などと同じ大気光象の一種で、水平弧、水平環 とも呼ばれる。日本国内では年に数十回観測される。 上空の氷の結晶の方向がほぼそろったときに、この結晶で屈折した太陽光により見える現象で、一般の虹が太陽とは反対の方向に見えるのに対し、環水平アークは太陽と同じ方向に、ほぼ水平に現れる。ただし、低空に雲があると見えない。 彩雲と間違えられやすい形状の環水平アーク内暈(ないうん:いわゆる太陽に暈(かさ)がかかる現象)に似るが、結晶の中での屈折の仕方により区別される。 プリズムと同じく各色の光はそれぞれ特定の方向に進むため、最小偏角に光が多く進むことにより見られる内暈よりも明瞭に色が分離する。 また、内暈は太陽を中心とする完全な円なのに対し、環水平アークは天頂を中心とする円の太陽に近い側の方位角にしておよそ108°しか見えない。 太陽の下約46°の位置に出現するため、太陽高度がある程度高くないと見えない。そのため、冬の間や緯度の高い地域では見ることができない。 本州太平洋岸で環水平アークが見える期間は、概ね夏至を挟んだ半年の間である。彩雲と呼ばれる場合もあるが、回折により見られるいわゆる彩雲とは別の現象である。(Wikipediaより)
2011.04.20
お食事 大丸 (大丸ドライブイン)熊本県宇城市三角町三角浦瀬戸外1403-14有明海に面していますので、食事をしながら海や普賢岳が見えます。※「三角」と書いて「みすみ」と読みます。お食事 大丸の刺身定食刺身と貝汁は、私にとっては黄金の組み合わせです。刺身も新鮮でおいしかったです。手作りのところてんはちょっと甘めのたれです。
2010.10.19
川尻神宮所在地:熊本県熊本市八幡5-1-50建久8年(1197年)に、河尻神宮河尻三郎源実明が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりだといわれています。厄除・開運の神様と呼ばれています。川尻神宮境内にて十月桜が咲いていました。小さな花弁が愛らしいですね。
2010.10.18
瑞鷹酒蔵資料館瑞鷹酒蔵資料館は、現在都合により不定期開館となっているそうです。 見学希望の方は事前に電話連絡してくださいとのことでした。瑞鷹酒蔵資料館 (現地案内板より) 川尻は昔の緑川に面した細川藩最大の港町として栄え、藩の御用を務める御船手がおかれると共に廻船問屋を始め多くの商家が軒を並べていました。 この建物の煉瓦壁は当時旧加勢川が旧緑川に合流する河口に面して建っていたもので、昔の川尻の繁栄振りを偲ばせるものです。古い河川は昭和のはじめに埋め立てられて現在のようになりました。
2010.10.16
瑞鷹株式会社 川尻本蔵 住所:熊本市川尻四丁目6番67号清酒瑞鷹(ずいよう)は熊本を代表する日本酒のひとつです。瑞鷹酒造の酒林酒林(さかばやし)又は杉玉(すぎだま)と呼ばれるものです。酒林について (現地案内板より) 古くから酒屋のしるしとして杉の葉重ねて軒下につるしていました。これを酒林と呼んでいましたが後に玉の形に設えるようになりました杉玉ともいいます。 古来酒の神様とされれる奈良三輪神社の杉に因むものであると言われています。 昔は晩秋の頃新しい葉と取り換えて新酒(昔の新酒は秋にできていました)が出来たことを知らせたともいいます。弊社(瑞鷹酒造)では現在の新酒の季節である春先に新しくしています。
2010.10.15
SL人吉川尻の町並みを散策中、「ポーッ」と汽笛が聞こえたので、主人とダッシュで鉄橋に行きました。なんとかギリギリセーフでSL人吉の写真を撮ることができました。SLっていいですよね。なんだかドキドキワクワクしました。SLの汽笛って体の中に響くような迫力がある音だけど、すごく懐かしくって夢がある音ですね。加勢川鉄橋を行くSL人吉川尻の町並みを散策しながら、遠目に鉄橋を見て、「ちょうど特急でも通ったらいいのにね~」と話していた矢先にSLの汽笛が聞こえたので、びっくりして鉄橋までダッシュしました。鉄橋にたどり着くのがやっとでしたが、ラッキーでした。 夕べ、人生が変わる1分間の深いイイ話をみていて、自分のお葬式には何の音楽をかけてほしいかな?と考えてみました。私は今のところは「いい日旅立」かな~?
2010.10.12
開懐世利六菓匠の一つ 天明堂のお抹茶セット好きな上生菓子一個とお抹茶のセット私は栗かのこを選びました。栗かのこ上品な白餡をほくほくの甘い栗が囲んでいます。白餡は口の中でほろっととけるような口どけ、上品な甘さでとってもおいしかったです。開懐世利六菓匠(かわせりろっかしょう)とは、熊本県熊本市川尻町で、平成2年に6軒の和菓子店が、新しい銘菓を作ろうと集まったのがはじまりで、和菓子と町おこしを結びつけた活動を行っています。天明堂・菓舗いしはら・立山菓舗菓舗梅園・菓舗かずさや・岩本菓舗の六店舗です。
2010.10.11
宇城市立九州海技学院(旧宇土郡役所)結局応答がなく、中に入ることができなかったので、扉のガラス越しに天井は白い漆喰仕上げで豪華な作りらしいので、是非拝見したかったのですが、非常に残念です旧宇土郡役所の車寄せから門の方をみると宇城市立九州海技学院(旧宇土郡役所)の経緯(宇城市公式ホームページより) 明治35年、宇土郡役所の開設によって三角町は、名実ともに宇土郡の中心として発展しました。洋風建築で、天井は白い漆喰(しっくい)で塗り上げられ、目を見張る豪華なもの。当時は、コの字形の庁舎でしたが、現在、両側は取り壊されて正面だけが残り、当時の面影を忍ばせています。内部の床は板張りになっており、天井の装飾や窓の上下開閉などが洋風らしさを感じさせます。 大正15年、郡制が廃止されると、三角町役場となりました。昭和18年、陸軍の暁舞台の拠点となり、昭和21年には有明中学校となりました。昭和22年、学制改革により中学校が義務教育となったため、わずか1年で閉鎖されました。昭和30年に町村合併し、新生三角町になり現在地に庁舎ができ、昭和32年に三角町立九州海技学院が設立されました。現在は宇城市立九州海技学院となっています。(以上 宇城市公式ホームページより)
2009.12.14
旧宇土郡役所 現在は九州海技学院白い壁、青い窓枠、白いカーテン。窓は上下にスライドするタイプです。
2009.12.14
宇城市立 九州海技学院 (旧宇土郡役所)旧宇土郡役所は、現在は九州海技学院として利用されています。写真に写っている車が1台停まっていたのですが、入口の扉は閉まり、鍵が掛けられていて、「こんにちは。ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?中を拝見したいのですが・・・。」と何度声をかけてもノックしても全く応答がありませんでした。建物の中のどこかから何か物音がしていたのですが、ヘッドホンでもしていらしたのでしょうか?雨の中、せっかく上ってきたのに残念でした旧宇土郡役所のドーマー窓宇城市の説明では、「世界をまたに架ける船舶職員(3~6級海技士)を養成する、全国唯一の自治体経営の海技学院(国土交通省登録機関)です。同時に、船舶免許証などの更新講習機関でもあります。 当学院では、小型船舶免許証の更新講習・失効再交付講習を、毎週火曜日の朝と第2水曜日の夜に行っています。また、大型海技免状の更新講習・失効再交付講習も月1、2回程度、行っています。」とのことでした。旧宇土郡役所のスティックスタイルの車寄の柱白と青がいかにも海に関る建物らしいですね。
2009.12.14
旧宇土郡役所所在地:熊本県宇城市三角町三角浦1193竣工:明治35年構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積260平方メートル 1 棟登録有形文化財(建造物)登録年月日:平成19年5月15日昭和63年3月、三角西港築港100周年記念修復法の館(旧簡易裁判所)の近くの三角西港を見下ろす高台に建っています。寄棟造、桟瓦葺、木造平屋建の洋風庁舎です。モルタル塗外壁に目地を切って石造風に見せかけています。両翼を張り出した形態で、中央にスティックスタイルの車寄を付け、屋根にドーマー窓を載せています。ツタが絡んだ門柱に歴史を感じます。
2009.12.14
子供達の作品コアラやブタさん、お花など上手に作っていますね。これも焼きあがったらどんな風になるのでしょうね。子供さんにとってもいい記念になるでしょうね。ほぼ完成品焼き上がった作品です。こうして焼きあがると、素焼の時とがらりと雰囲気が変わりますね。釉薬の色が其々美しいですね。陶芸教室の講師の先生、お片づけ中の生徒さん、お忙しいところにお邪魔して申し訳ありませんでした。丁寧に説明してくださり、作品なども見せてくださり、とってもいい勉強になりました。ありがとうございました。
2009.12.13
生徒さんの作品かわいい犬やふくろうの置物。伝統工芸館の陶芸教室の生徒さんの作品美しい形の湯呑みが並んでいます。私も今まで何度か湯飲みやお茶碗、ぐい飲み、お猪口、お皿、箸置き、花瓶などを作ったことがあるのですが、特に湯呑みはなかなか難しくて、いざ出来上がって使うと、縁の勾配が悪かったり、縁が厚過ぎたりしてしまって、お茶がすごく飲みづらい妙なお湯飲みになってしまいました
2009.12.13
陶芸教室の生徒さんの作品クリスマスツリーのような作品ですね。これから焼くそうですが、何になるのでしょう?この中にキャンドルや電球を入れて使うのでしょうか?きっと素敵なクリスマスを演出してくれるでしょうね。陶芸教室の生徒さんの作品こちらも焼成前の作品です。コーヒーカップ、ミルクポット、とっくり、おちょこ、小皿、湯のみ、小物入れなど様々な作品がありました。どんな出来上がりになるか楽しみですね。
2009.12.13
粘土をねる機械講師の先生のお話では、現在はインターネットや通信販売で、各地の土を購入することができるので、色々な土の焼き物を焼くことができるそうです。この機械はその土をねる機械だそうです。マイコン焼成窯陶芸の最終工程が焼成です。この焼成窯はマイコン制御付きですから面倒な温度調整が不要で、簡単なキー操作でプロ並みの焼成が出来るそうです。「窯につきっきりにならなくても自動制御で焼き上げてくれるので、楽になったんですよ。」と、講師の先生が教えてくださいました。
2009.12.13
三角伝統工芸館にて熊本県伝統工芸品に指定されている鍛冶の製作工程の紹介や、竹細工、陶芸の作品が展示されています。平成4年に改築された館内では、陶芸教室も開催しております。三角伝統工芸館では、ちょうど午前中の陶芸教室の片付けをされていました。お片づけ中のお忙しい時にも関らず、陶芸教室の説明などを講師の先生が丁寧にしてくださいました。ありがとうございました。電動ろくろこれは陶芸教室で使用している電動ろくろです。ターンテーブルは右回り、左回りのいずれにも回転するそうです。右利きの方も左利きの方も大丈夫ですね。
2009.12.13
伝統工芸館 (旧三角簡易裁判所弁護士等控室)所在地:熊本県宇城市三角町三角浦1031完成:大正9年構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積75平方メートル 1 棟登録有形文化財(建造物)登録年月日:平成19年5月15日本館の北方に東西棟で建ち、庁舎とは渡廊下で結ばれるています。桁行7間半、梁間2間、寄棟造。桟瓦葺の木造平屋建で南面に土庇を差し掛けて渡廊下に連絡しています。外部は押縁下見板張で内部は弁護士控所や出頭人控所などです。区裁判所の構成を知る上で貴重な建物です。 伝統工芸館 裏手から平成4年に熊本県伝統工芸品に指定されている作品を展示する施設として改築されました。現在は陶芸教室も開催しています。
2009.12.13
宇城市国際交流村重要資料展示室(旧三角簡易裁判所記録倉庫)所在地:熊本県宇城市三角町三角浦1031旧三角裁判所と控え室の間にある赤レンガの倉庫です。現在は、宇城市国際交流村の重要資料を保管しています。完成:大正9年構造:煉瓦造2階建、瓦葺、建築面積45平方メートル 1 棟登録有形文化財(建造物)登録年月日:平成19年5月15日当日は生憎の雨。どしゃぶりになってきました
2009.12.13
法の館にて私たちが訪問した時は生憎の雨でした。それでも三角の町、港、天草諸島が見えました。お天気がいい日はさぞかし、いい眺めでしょうね。法の館に咲く花法の館にこんなに可愛い可憐なお花が咲いていました。気持ちが和みますね法の館(旧三角裁判所)にて
2009.12.12
法の館の法廷 傍聴人席からこちらは裁判官も弁護士も検事も被告人も同じ高さのフロアーに机と椅子が並んでいました。この方が威圧感がなくていいですね。法廷こちらの法の館、今こそもっと活用できたらいいのにな~。残念ながら展示資料は少し古いもののようで、もしかしたら私が見落としただけかもしれませんが、裁判員制度についての展示物等はみあたりませんでした。この施設を活用すれば、裁判を人事(ひとごと)と思わずに、もっと身近に感じるきっかけ作りに利用できる気がします。
2009.12.12
法の館 法の歴史展示場法の歴史展示場では、裁判所の種類や裁判所のしくみなどがパネルで解りやすく説明されています。子ども法廷では実際の法廷が再現されていて、子どもたちが裁判を疑似体験できるようになっています。法の館の法廷平成21年5月21日から裁判員制度がスタートしましたので、私たちも裁判についてもっと勉強しなければと思いました。この法の館ももっと有効活用されるように希望します。法の館の法廷裁判官の席が一番上の真ん中。そして廷交、書記官と速記官。さらに検察官と弁護士。そして被告人席、傍聴席などがありました。暇人の私たち夫婦は、サスペンスドラマのワンシーンを演じました。主人が裁判官。私は弁護士と被告人と検察官のひとり三役です。誰もいなかったからよかったけど、知らない人がみたらアホですよね
2009.12.12
法の館 入口法の館内には、法律情報室、検察庁、裁判所などの部屋があります。無料で観覧することができ、パネルなどによって、法律や裁判について学ぶことができます。法の館の照明我が国の司法制度(法の館のパネル参照) 日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日から施行されました。この憲法では、民主主義の大原則である、国権の完全な分立化を行いました。それが三権分立で、立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置された下級裁判所に与えられました。 我国の司法制度は、5種類の裁判所によって組織されています。裁判は三審制で、第一審を簡易、地方、家庭の各裁判所で、第二審を高等裁判所で、第三審(終審)を最高裁判所で行います。(以上現地説明板より)電話室すりガラスに電話室の文字がレトロでいいですね。
2009.12.12
法の館 (旧三角裁判所)所在地:宇城市三角町三角浦1031完成:大正9年構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積288平方メートル 1 棟登録有形文化財(建造物)登録年月日:平成19年5月15日旧三角裁判所は、明治23年に開庁しました。初めは三角西港の中町に設置されていましたが、大正9年に現在地へ新築移転されました。平成6年に「法の館」としてオープンしました。港を一望する高台に位置し、東を正面とし、中央に起り破風の車寄を突き出しています。寄棟造、桟瓦葺の木造平屋建で、東北隅に法廷を配しています。外観は真壁造で、腰縦羽目、上部下見板張、小壁白漆喰塗です。司法省営繕による和風色の強い地方裁判所庁舎建築の好事例となっています。 大正8年に起工され、翌年9年に竣工となり、現在地に新築移転となりました。そして現在まで裁判所、記録倉庫、控え室などが残っていました。平成4年に三角簡易裁判所と三角地区検察庁は、西港から三角東港区の際崎地区に移転しました。法の館 左から旧三角裁判所の管轄区域は宇土郡全部(3町9村)、下益城郡内2村(守富・杉合)、天草郡内5村(登立・上村・中村・維和・湯島)の3町16村でした。(文化遺産オンライン・宇城市HP参照)
2009.12.12
三角西港全体案内図1:旧高田回漕店 2:ムルドルハウス 3:三角築港記念館 4:龍驤館5:浦島屋 6:三角町伝統工芸館7:法の館 8:九州海技学院A:石橋 一之橋 B:石橋 二之橋C:石橋 三之橋 D:石橋 中之橋三角西港から出発する船南国ムードたっぷりのハイビスカス三角西港にはハイビスカスの花がたくさん咲いていました。(撮影したのは10月24日です)
2009.12.12
富岡敬明翁像 富岡敬明県令は、文政5年(1822年)佐賀県の荻藩士、神代次兵衛の次男として生まれ、のちに富岡家の養子となった。明治5年山梨県の権参事となり、徳島県を経て、明治9年11月に、熊本県権令に任せられた。 明治9年10月24日に「神風連の蘭」が起こり、相次ぐ戦乱で熊本は焦土と化した。その復興と難民の救済を課せられた敬明は、一つの方策として港湾を建設することとした。当初は百貫石港を候補地としたが内務省から派遣されたオランダ人、水理工士ローウェン・ホルスト・ムルドルの現地調査、建言により、天然の良港三角に変更、明治17年5月に道路工事(現在の国道57号)及び築港に着手、明治20年8月15日に開港させた。 この三角西港は明示22年には特別輸出港と認定され、熊本県の海の玄関として三角のみならず熊本県の繁栄、発展の礎となった。 ここに、富岡敬明県令の熊本在任中の業績を讃え、その遺徳を後世に伝承するため建立したのがこの像である。平成8年10月吉日(現地説明板より)今も三角西港を見守っているような 富岡敬明翁像
2009.12.12
富岡敬明(とみおかけいめい)富岡敬明(1822年~1909年)は、三角西港の築港に貢献した当時の熊本県権令です。三角西港 国際交流村この塔にムルドルと富岡敬明の紹介文が掲載されていました。以下、現地説明板より富岡 敬明(とみおか けいめい)1822-1909佐賀県出身。佐賀藩権大参事、伊万里県権参事、名東県権令(知事)を経て、1876年(明治9年)熊本県権令となる。着任早々県内巡視を行い、各地の情勢を調査して回った。特に熊本県民の悲願であった築港に力を注ぎ、三角築港期間中、退庁後ほとんど毎日のように工事現場に通い工事を督励したと伝えられている。この功徳を称え、明治27年には県令に縁の深いここ三角港に頌徳碑が建てられた。
2009.12.12
三角西港にて石積の水路のそばにあった木、何の木でしょう?気になる木の実こんな可愛い木の実がいっぱい生っていました。
2009.12.12
中之橋国道57号線と三角西港の中の水路の交差点に架かる石橋です。三角西港には多くの石橋があり、今でも現役です。更にそれらは、全てデザインが違います。一つ一つの橋に特徴があり、各々の趣があります。構造としては、大きな1枚岩を渡して作っています。三之橋三角西港の東排水路出口に架かる石橋です。三之橋は、一枚石の欄干が特徴です。
2009.12.11
三角西港の美しい石積みの水路ムルドルは単に埠頭の計画のみならず、三角という町全体をデザインしました。町に廻らされた石積みの水路がその代表でもあります。町内を貫流する水路と市街地をとりまく環濠は、総延長は1,130mに達します。 ムルドルがこの水路を計画したのは「背後には三角岳が迫っており、そこから流れ出る小川の水を流すため」だそうです。三角岳の麓に沿って排水路を設け、町内を一周させる環濠と同時に、2カ所で直接海に排水するための水路を横断させています。みごとなアーバンデザインですね。
2009.12.11
三角西港 石積水路と石橋三角西港の石積水路は、精密で高度な石積み工法が施されています。正に機能美ですね。熊本県は、熊本城の石垣といい、この西港の石積埠頭、石積水路といい、石工の匠の技が光っていますね。長い歴史を経た今でもどちらも現存されているというのも素晴らしいですね。それにしてもアールの部分の美しさ、溜息がでちゃうほどですね。すごい技術ですね。当たり前だけど、全部石でできているんですね。すごいですね
2009.12.11
三角西港 石積みの水路三角西港は、平成14年(2002年)に国の重要文化財の指定を受けたました。重要文化財に指定されたのは、三角旧港(三角西港)施設、埠頭、 東排水路、西排水路、環濠西端直線排水路、一之橋、二之橋、三之橋、中之橋 です。平成21年(2009年)には、九州・山口の近代化産業遺産群の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載されました。港から山手の方まで、港湾都市の中を石積の水路がど~んと突き抜けている様は、圧巻です。
2009.12.11
三角西港の石積みの水路三角西港の港湾都市計画の工事では、水害から市街地を守る排水施設が重視されました。市街地と山地の間に石積みの環濠が、また市街地全域に側溝がめぐらされました。これらの排水路は、潮の干満を利用して水路内が自然に浄化されるよう、勾配が工夫されました。排水路の底にも石が敷き詰められています。底面の石張りという工法だそうです。
2009.12.11
そういえば、いつのまにか、ブログタイトルの前に、楽天のマーク、「赤丸に白抜きのRの字」が付いていました。あれ??いつ付いたのかな?もしかしてずっと前から?私が今まで気がつかなかったのかな?
2009.12.11
三角西港の石積埠頭三角西港の石積みの埠頭壁は高さ6.3m、延長は730m石材は対岸の大矢野島飛岳付近から切り出され、0.45m角、長さ0.61~1.82mの切石を1:2の勾配をもって16段の高さまで積み重ねられています。その内6段以下は常に海面に没するようにされています。また、埠頭壁の最上面には長さ1.82m、幅0.91m、厚さ0.45mの巨石が並べられ、隅角部は曲線形状となっています。(熊本県宇城市教育委員会説明文より)
2009.12.11
三角西港石積埠頭平成13年11月に、三角西港は「土木学会選奨近代土木遺産」に認定され、平成14年12月には、同港の石積み埠頭、排水路3箇所および4基の道路橋が、国の重要文化財に指定されました。三角西港の歴史的価値としては、オランダの築港技術が導入されていることや背後を含めた都市づくりが一体的に整備され、今日においても石積埠頭、水路、橋等がほぼ原形のまま残されていて、今尚利用もされていること。また、各種建築物を含めて、その文化的遺産は高く評価され、その保存的価値が再認識されています。ずっと残して欲しい景色ですね。
2009.12.11
三角西港の石積埠頭石積の埠頭は、一世紀を経た現在も、その当時の美しさを残しています。730mにもおよぶ石積み埠頭は、精密で高度な石積み工法が施されています。今尚、築港当時の厳然たる佇まいを見ることができます。
2009.12.11
浦島屋の喫茶室浦島屋の1階はケーキやコーヒー、ジュースなどが楽しめる喫茶コーナーのほか、三角西港築港当時の資料や写真が展示されていました。2階には、築港当時の写真や資料などと小泉八雲に関する資料が展示されていました。季節により、様々なイベントの開催にも使われているそうです。メロンソーダと窓三角西港をぐるぐる、うろうろ歩き回ったので、喉が渇いていたから、メロンソーダを飲みました。しばし、窓からの景色を楽しみ、一休みしました。
2009.12.10
浦島屋にてまさに大きなのっぽの古時計でした。しかし、掛けている場所が残念。非常ベルの隣というのがなんだかつまんない。「SEIKOSHA」と文字盤にあるので、これも本当に古い時計をどこぞから持ってきたのでしょうね。そういう説明が書いていると嬉しいのですが、謎のままです。1階の丸テーブルと窓
2009.12.10
浦島屋 2階の窓から小泉八雲は、日本のお伽話の中で「浦島太郎」が一番好きだったそうです。ただ浦島という言葉を聞いただけでも、「ああ浦島」と言って喜んでいたそうです。2階の窓から浦島太郎、なんだか釈然としない御伽噺です。私にとっては、子供の頃からあまり好きな話ではありませんでした。亀を助けた御礼に竜宮城へ連れて行かれて、すごい接待を受けたまではいいのですが、何故、玉手箱をあけたらあっというまにおじいさんなのでしょう?竜宮城での7日間が普段の生活の100年って??ちょっと残酷な気がします。乙姫様も最初に7日間はすごい接待をしますが、それは100年に値しますが、それでもよろしいですか?というような説明責任があったのでは??な~んて思います。御伽噺や童話には残酷なものが結構ありますよね。
2009.12.10
浦島屋 2階のテラス2階のテラスの丸テーブルもペパーミントグリーンでした。2階からは三角港や天草諸島、天草1号橋などがみえて、とってもいい眺めです。朝焼けや夕焼けなどは最高でしょうね。なぜかドアノブや取っ手が気になります。緑青が発生していますね。やはりこれは、どこかから古いものをもってきたようですね。
2009.12.10
浦島屋の金の取っ手金のドアノブですね。これはけっこう古いもののようですが、どこから持ってきたのでしょうね?高いまど、それに併せた長いカーテン、豪華ですね。
2009.12.10
浦島屋の中央階段スカーレット・オハラでも降りてきそうな階段ですね。浦島屋の内部には、三角港の古い写真や歴史についての展示物がありましたが、全体的にがら~んとした感じで、ちょっともったいないな~と思いました。浦島屋を利用して、プチウエディングとかしたらよさそうですね。オペラやクラッシックのミニコンサートもよさそうですね。
2009.12.10
全413件 (413件中 1-50件目)