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2009.02.26
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カテゴリ: 長崎 NAGASAKI

時津港4086

日本二十六聖人上陸の地の碑

 天象15年(1587年)6月、豊臣秀吉は筑前の箱崎で、九州各大名の封域を決めたが、その折に長崎の地がイエズス会に寄進されているのを聞き激怒して、はじめてヤソ教(キリスト教)の布教を禁止した。

 その後、慶長元年(1596年)9月、イスパニヤ船サン=フェリベ号が土佐に漂着し、キリスト教の布教はその地を植民地化する前触れであると伝えた。
 それを聞いた秀吉は、キリシタン禁令をさらに厳しくし、同年11月に京都、大阪にいた宣教師・信者24人を捕らえ、耳をそぎ、大阪、堺の町中を引き回した。

 処刑は長崎で行うことになった。信者が多いとされていたからであろう。
 翌1597年1月9日、堺を出港させ、岡山で行を共にしたいという信者2名が加わった。
 26人の一行は、首、両手をしばられ、山陽道から唐津をへて、2月4日彼杵(そのぎ)に着いた。

 小舟で大村湾を渡り、時津に着いたのは夜中の11時頃であった。雪の夜の寒さ、それに飢え疲れに耐えながら、舟の中で一夜をすごし、翌2月5日(旧暦12月19日で慶長元年は未だ明けていない)早朝長崎に向かい、午後5時刑場の西坂に着き、十字架に架けられた。
 その様子は今、西坂の壁面に刻まれている。

 殉教者の内訳は、フランシスコ会宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信者17人で、1862年聖人の列に加えられた。



時津港4090

時津港の朝






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Last updated  2009.02.26 06:34:52


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