おじん0523のヒロ散歩

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2020.04.30
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カテゴリ: 国内旅行
日本武尊を祀る能褒野(のぼの)神社を散策。

3/20(金) 13:53
県道639号線の北方向。
道路脇に案内板の『日本武尊御墓』


この辺りの桜の蕾は硬い


参道入口の石柱は『縣社 能褒野神社』


能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)
御幣川と安楽川の合流点に近接する、標高45m程度の段丘端部に所在する前方後円墳である。
全長90m、後円部径54m、同高9m、前方部幅40m、同高6.5mで、北勢地域最大規模の古墳
である。この古墳から採取されたという鰭付朝顔形円筒埴輪や器材埴輪から4世紀末頃の築造
と考えられる。これらの埴輪は、奈良県北部地域や京都府西南地域との関係がうかがえ、畿内
周辺地域の勢力が、濃尾地方へ伸展するルート上にある地理的条件によってもたされたもので
あると考えられよう。
日本武尊(倭建命)が東征の帰路に伊勢国能褒野(能煩野)で薨じたとの『記紀』記述により、明治
12年(1879)内務省によって「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」に定められ、墳丘の修復に併せ
て、畿内の王陵墓に倣い周庭帯が設けられた。しかしながら、近世においてはこの古墳が日本武
尊の墓という認識はほとんどなかったものと見られる。
周囲に十数基の円墳が所在し「培塚」とされているが、これらは後期古墳と考えられる


参道を登り石鳥居。
能褒野神社の一の鳥居は、JR亀山駅前にあり、二の鳥居は亀山宿の手前にあった


静かな参道を進む、宮内庁管理の敷地


常夜燈が建ち


左側の石柱には「日本武尊御墓参道」


能褒野神社境内入り口


能褒野神社


能褒野神社鳥居と拝殿


めずらしく記帳する弥次さん、私も記帳した


拝殿の扁額「御祭神日本武尊 能褒野神社」


拝殿から参道を振り返る


拝殿、社務所


石柱には「能褒野墓 飛地ほ号 宮内庁」


14:07
駐車場で鳥のさえずりが聞こえてくる


ズームアップすると


14:10
能褒野神社の東側にある


『奈具志理神社跡』の石柱。
所在地:三重県亀山市田村町


水乃神の碑


【倭建命(ヤマトタケルノミコト)之碑】
  倭建命は、今からおよそ1600年前に活躍された人で、当時の天皇(父親)の命令で日本の各地
  へ遠征し、国内の戦乱を平定されたとされる古代の英雄であり、その神話は今でも人々に永く
  伝えられています。東北地方の戦乱を平定された後で、故郷を偲んで和歌を詠まれ、能褒野の
  地でその短い生涯を閉じられました。
  尚、倭建命が東北の地に遠征した時、その地に子孫を残されて、その子孫が何年かの後、天狗
  の姿に身を変えられ亡き父(倭建命)のお墓がある能褒野に辿り着き、その後此の地に住み着か
  れ原家の御先祖様になられたとのことです。
【水乃神の碑】
  此の碑は、倭建命の妻であった弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)をお祀りしています。
  弟橘比売命は夫の倭建命が遠征の時、荒れ狂う海に自ら飛びこまれて、荒海を鎮め夫を助けら
  れたとされる神話が永く伝えられています。この神話が水にまつわるとのことで、水乃神様と
  して倭建命の側にお祀りしました


14:13
奈具志理神社跡を後に、交差点の右側角に石柱があるが


14:20
伊勢国府政庁跡
所在地:三重県鈴鹿市広瀬町


政庁は、中央政府から派遣された国司を中心に、儀式や饗宴などが行われていた国府の中でも最
も格式の高い施設です。伊勢国府の政庁は、正殿・後殿・脇殿・軒廊などからなり、周囲には東西
約80メートル・南北110メートルの築地塀を巡らしています。政庁の建物はすべて瓦葺礎石建物で
その配置や大きさは近江国庁によく似ています。
正殿・後殿・脇殿の基壇は、今も森の中に1メートルほどの高まりとして残っており、全国的にも
貴重な遺構として保存されています


畑の中に林として残っている


廻りは畑


伊勢国府政庁跡を振り返る


14:26
国道1号線へ戻ると、もう何度も見たプロペラ機。
中古建設機械販売店の社長が組立てたと


日本橋から411.8km


機体には日本国。
機体の重量はどのくらいあるのか


14:40
亀山の『樋口本陣跡』を探しに亀山市街地へ
旧東海道(県道565号線)の路肩へ車を止め、前方は江ケ室交番前


旧街道を振り返る、商店街はこの日もシャッター街


亀山のアーケード街にある『樋口本陣跡』


公園には『旧佐川邸跡』の石柱


この木は榎?、木の下に石柱『旧佐川邸跡』


立札に何か書いてあったのか


14:54
前回(1/21)見落とした『浄土宗 終南山光明院 善導寺』
所在地:三重県亀山市西町327
左の石灯籠寄進は『板倉勝澄公』


山門からの本堂
元は亀山城本丸付近にあり、岡本宗憲が築城するにあたって現在地に移転したと伝えられる古刹
です。境内には亀山城本丸から出土した石造物が安置されているほか、墓地内には江戸時代初期
の亀山城主三宅康信室である清光院墓塔や藩校明倫舎学頭の柴田右仲墓(市史跡)があります


15:15
水口宿へ行く途中遅い昼食をとるために関宿へ立ち寄るが、時間が中途半端で「支度中」と。
目的地はここ『山石』であったのだが!
所在地:三重県亀山市関町中町521 百五銀行関支店前
かんばんには「亀山 みそ焼きうどん」、和洋レストラン


上記食堂の軒先には『山石 岩間家』
幕末に建った建築で山石は、明治・大正にかけての料亭であった。また廂の屋根の隅に唐獅子の
置物が取り付けられているのは、厄除けの一種と思われる


江戸後期・明治・大正・昭和のレトロな雰囲気の中でお食事はいかがですか  山石
この看板を見て来たのだが、残念ながら支度中、またいつの日か訪れたい


山石を振り返る。
今日は三連休の初日で観光客も散策していた


関宿の京方面
観光客が散策、弥次さんもレストランを探しに


地蔵院近くへ移動、街道裏に車を止める


15:21
弥次さんが地蔵院横の『会津屋』前で立ち止まり
所在地:三重県亀山市関町新所1771-1


メニュー
おこわが人気の店、今回の道中で数回店先に来たが、時間が遅かったり早かったりで食べれず
ようやく念願叶う


店内に入り「山菜おこわ・そば」1,180円をオーダー


そば・おこわとも美味しかった。
おこわに南天の葉がなんとも風情がある


店内では孫を連れて来店


女の子で10カ月?


15:51
既に、ひな祭りは終わっていたが『会津屋』の札。
『会津屋 森元氏宅』
会津屋は鶴屋、玉屋とともに関宿で有数の大旅籠であった。
明和から天明にかけて会津屋の前身山田屋で育った小万が女の身で亡き父の仇を討った烈女「関の
小万の物語」は有名である



                             最後の弥次喜多移動日-続く





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最終更新日  2020.04.30 11:26:00
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