おじん0523のヒロ散歩

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2020.05.16
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カテゴリ: 東海道53次
今日の歩行数も既に3万歩を越え、今日のゴール手原駅まであと約2キロになる。

3/21(土) 15:55
旧東海道を進むと前方に大きな建物が現れる。
建物の前に石柱『史跡 旧和中散本舗』
所在地:滋賀県栗東市六地蔵402


門の横に『国指定名勝 大角氏庭園』の説明板
書院の南庭(離れ家の西庭)である。正面に芝生張りの大小の築山を配し、背後にツバキ、カエデ、
ヒサカキ、・・・略・・・・・


根本梅木 本家 ぜさい


史跡 旧和中散本舗前で休憩する自転車で訪れた観光客。
旧東海道を振り返る


旧和中散本舗の向かい側にある『大角家薬師堂』


大角家薬師堂に隣接した(西側)、重要文化財『大角家住宅隠居所』
隠居所は、真向かいの本屋が本陣として使用されている間、家族の住居に当てられた建物で、江
戸時代中期に主屋に引き続いて建てられたと考えられる。
その後、所蔵文書より十数回にわたり小修理が行われたことが明らかで、昭和46年には半解体修
理が行われ、玄関屋根や台所部分等が復原整備された。・・・・・・・・・


15:59
栗東八景「積日の海道と城跡」  ~ 新緑の日向山と和中散 ~


16:00
県道116号線との合流点にある信楽焼の大きなタヌキ


横に立っていた人形を持ってきました(笑)


街道を振り返り、左が旧東海道、右側が県道116号線


旧東海道は県道116号線と並行して100メートルほど歩き右方向へ進む


16:04
県道と旧東海道との分岐点に『六地蔵一里塚』


ここまでの今日の歩行数は36,000歩、今日は4万歩を超えるか?


東海道名所図絵「梅の木」
江戸時代の東海道沿線のガイドブックに記載されていた六地蔵村の様子。宿場と宿場の間の休憩所
である立場がおかれ、梅木立場と称された。「ぜさい」を名のる道中薬、腹薬の「和中散」を商う
店があることで、京・大坂・江戸にまで知れ渡っていた


一里塚を振り返る


16:07
旧東海道を進むが陽も下がる
右側には「巡査駐在所跡」「修齊学校跡」の石柱


『脩齋学校跡』『巡査駐在所跡』の石碑。
手原に造られた厚進学校は明治8年だったが、こちら六地蔵地区には明治6年に『修齊学校』
が建てられ、明治24年に簡易梅ノ木小学校となり、明治26年に厚進学校ともう一校の3校が
統合されて現在の「葉山小学校」になった。
巡査駐在所は、明治14年六地蔵分署として設置、昭和35年まで存続した


東海道六地蔵村「染屋孫右衛門」の屋号


旧東海道を進む


街道沿いに「古梅堂」
弥次さんがカメラを向け撮影


ウインドーの中には・・・・・


16:13
街道から左(南側)へ路地を入り『真宗大谷派 香雲内高念寺』
所在地:滋賀県栗東市六地蔵974


本堂と親鸞聖人御像


住職さんから本堂を開けて頂き中へ入るが本堂内の写真は控えた。
真宗の佛壇は金ぴかで立派であった、幅八間?
本堂内で若い住職さんと会話
  ①たわけの語源を聴く・・・・・遺産相続で田畑を分けることから
  ②この辺りのお寺は競って太鼓楼を建立していると
  ③数年前からここの住職になったと

本堂前から山門兼太鼓楼を見下ろす


木が倒れてそのまま成長した、カイヅカイブキ


山門と太鼓楼が一体になっている
このあと住職さんにペットボトルの御茶を1本づつ頂く。
ありがとうございました


太鼓楼の屋根瓦


太鼓楼右側に鐘楼


境内のアセビの花


16:35
右側の民家の屋号は、東海道小野村「五葉の松」


16:35
先程の寺院も真宗大谷派であったがここも『真宗大谷派 小野山高光圓寺』
街道から右側(北方向)へ入る


光圓寺山門
所在地:滋賀県栗東市小野901


鐘楼と本堂


本堂前に住職の家族の車か?


旧東海道を進むが日影が長くなる、右前方に『小野村 肩かえの松』


16:39
先程の光圓寺の西側に『真宗大谷派 石谷山西厳寺』
所在地:滋賀県栗東市小野900
西厳寺は本堂のみが残る、この辺りには真宗大谷派のお寺が続けてあった


西厳寺の前に『東海道 小野村 肩かえの松』
小野村は慶長年間の東海道整備によってこの地に移る。旅人足等がこの松の木の下
で休憩し荷物を担う肩をかえた所である


肩かえの松を振り返る


屋号の「飴屋」


16:43
手原一丁目交差点


16:46
名神高速道路栗東I.Cへの高架、栗東インタは左方向


高架下を潜るとすぐに右側に『行者堂』
所在地:滋賀県栗東市手原1丁目1
行者堂の玄関横には衆議院議員のポスター


文政3年(1820)開基、里内九兵衛が大和国より役行者???
御告により背負って持ち帰り小堂を建てたのが始まり、??????


16:47
旧街道を振り返る、人影が長くなる


屋号の、東海道手原村地黄煎屋「飴藤」


16:48
屋号の、東海道手原村「木屋孫四郎」



                                 水口宿~石部宿-続く





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最終更新日  2020.05.16 12:37:41
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