おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

フリーページ

2021.06.07
XML
カテゴリ: 日本100名城
山中城の散策を続け、二ノ丸、本丸へ。

4月24日(土) 11:15
二ノ丸と元西櫓の間の深い堀、富士山が見える


障子堀を整備している、溜池跡がある


富士山がまだどうにか顔を出していた


ズームアップ


二ノ丸は東西に延びる尾根を切って構築された曲輪である。尾根の頂部に当たる正面の土塁か
ら、南北方向に傾斜しており、北側には堀が掘られ、南側は斜面となって箱井戸の谷に続いて
いる。この斜面を削ったり盛土して、山中城最大の曲輪二ノ丸は作られた


二ノ丸から南側は斜面となって箱井戸の谷となっている


二ノ丸に生えるスミレ


この花は?


タンポポもスミレと競演


これから開花のツツジ


本丸堀と櫓台
本丸と二ノ丸(北条丸)との間の本丸西堀は、土橋によって南北に二分されている。北側の堀止め
の斜面にはV字状の薬研堀が掘られ、その南側に箱堀が掘られていた。堀底や堀壁が二段となっ
ていたので、修築が行われ一部薬研堀が残ったようである。なお、箱堀の堀底からは兜の「しこ
ろ」が出土した。
土橋の南側は畝によって八区画に分けられ、途中屈折して箱井戸の堀へ続いている。
堀底から本丸土塁までは9メートルもあり、深く急峻な堀である。堀の二ノ丸側には、幅30~60
センチの犬走りが作られ、土橋もこの犬走りによって分断されていたので、当時は簡単な架橋施
設で通行していたものと思われる。一般的に本丸の虎口(入口)は、このように直線的ではないが
特別な施設は認められなかったので、通行の安全上架橋とした。
説明板左手の、標高583メートルの地に二ノ丸櫓台(東西12メートル、南北10メートル)がありそ
れを復元した。
     平成12年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


二ノ丸櫓台からの本丸北側の空堀


二ノ丸櫓台から二ノ丸


二ノ丸の南にある箱井戸の谷に咲く八重桜


ズームアップ


二ノ丸は南方向に傾斜している


二ノ丸櫓台から本丸西橋を見下ろす。
二ノ丸(右側)から本丸の間の堀に架かる橋で、左側半分は土橋。いざというときは右半分の木橋
を堀に落とし、本丸への侵入を防ぐことができます


本丸西橋を渡り本丸へ入る。
国指定史跡 山中城跡案内図


この後は、本丸 → 北ノ丸へと


本丸から弾薬庫・兵糧庫を見下ろす。左下に「駒形諏訪神社」


本丸跡にもフジ棚


西ノ丸のフジと同じようにこれからの開花


房が延びこれからの開花


西ノ丸と同様に3本のフジ


本丸跡
標高578m、面積1,740㎡、天守櫓と共に山中城の中心となる曲輪である。
周囲は本丸にふさわしい堅固な土塁と深い堀に囲まれ、南は兵糧庫と接している。この曲輪は
盛土によって兵糧庫側から2m前後の段をつくり、二段の平坦面で築かれている。
虎口(入口)は南側にあり、北は天守閣と北の丸へ、西は北条丸に続く。
江戸時代の絵図に描かれた本丸広間は上段の平坦面、北条丸寄りに建てられており、現在の藤
棚の位置である。
     平成9年11月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


スマホの標高は、581m


天守櫓跡からの本丸の西方向
本丸の北側に土塁


本丸北側の土塁と本丸堀


天守櫓跡(てんしゅやぐらあと)
標高586m、天守櫓の名にふさわしく、山中城第一の高地に位置している。
天守は独自の基壇の上に建てられており、この基壇を天守台という。基壇は一辺7.5mのほぼ
方形となり、盛土によって50~70cmの高さに構築され、その四周には、幅の狭い帯曲輪のよ
うな通路が一段低く設けられている。
天守台には、井楼、高櫓が建てられていたものと推定されるが、櫓の柱穴は植樹により攪乱さ
れていたため、発掘調査では確認できなかった。本丸から櫓台への昇降路は基壇より南へ延び
る土塁上に、1m位の幅で作られていたものと推定される。
     平成13年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


本丸の東側に聳える「矢立の杉」


”矢立の杉” の周りには石柱で立入禁止


矢立の杉   (市指定天然記念物)
山中城跡本丸の天主櫓に接して植生しており、樹高31.5m、周囲の樹木より一段と高く山中城
跡のシンボル的存在である。推定樹齢は500年前後といわれ、植生地はスギの生育の適地であ
るため樹勢も良好で、目通り4.37m、枝張りは西側へ15m、北東側へ8mも展開し、各枝の葉
色もよい。「矢立の杉」の呼称の由来については、出陣の際に杉に矢を射立て、勝敗を占った
ためと、『豆州志稿』の中の記述にある。
     平成8年12月   三島市教育委員会


北ノ丸への本丸北橋


架橋(かけはし)
発掘調査の結果、本丸と北ノ丸を結ぶ架橋の存在が明らかになり、その成果を元に日本大学の
故・宮脇泰一教授が復元したのがこの木製の橋である。
山中城の堀には、土橋が多く構築され、現在も残っているが、重要な曲輪には木製の橋も架け
られていた。
木製の橋は土橋と較べて簡単に破壊できるので、戦いの状況によって破壊して、敵兵が堀を渡
れなくすることも可能であり、曲輪の防御には有利である。
     平成13年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


ミツバツツジが咲く


我が家の庭では既に咲き終わっているが


本丸北橋を渡り、北ノ丸


北ノ丸西側の空堀


北ノ丸から西方向への帯曲輪
左側は本丸堀


本丸堀
山中城の堀の特色のひとつに、畝堀があげられる。
この堀の中にわずかに見えるのが畝の頂部である。畝と畝の間隔は一定ではないが、ここでは
西下りの地形にあわせて、畝の上部も階段状に西へ下がっている。城の防備上からは、堀の中
の水が深く、堀も深いのが堀としては最もよいが、高地では普通空堀である。ここの本丸堀は
畝をつくることにより、川水池をも兼ねることができるわけである。
     平成9年11月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


本丸堀の中にはスギの木が整然と林立


11:37
帯曲輪から北ノ丸を振り返る



                                     — 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.06.07 03:00:05
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: