おじん0523のヒロ散歩

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2022.01.18
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カテゴリ: 続 日本100名城
​標高 144mの山城の佐伯城を散策。

11月17日(水) 14:41
西の丸跡(西出丸)、城山(八幡山)の標高は144m。
登城口から急峻なつづら折りを13分で一気に登ったので辛かった。


西の丸跡(西出丸)にはベンチがあり多くの人が散策。
城山(八幡山)144m の表示。


西の丸跡(西出丸)から南東方向の佐伯市街地を見下ろす。
番匠川に架かる新佐伯大橋。手前の川は中江川。


西の丸跡(西出丸)に残る礎石。


西の丸跡の石碑


西の丸からの眺望写真
山並みの名前が書かれていた。


灘山、元越山、色利山
新佐伯大橋、番匠体育館。


佐伯大橋、番匠川


左:新佐伯大橋、右:佐伯大橋


佐伯城跡山頂測量図
西の丸跡(西出丸)の、城山(八幡山)の標高は144m。


西出丸から狭い尾根を北側へ進み二の丸へ。
右側が登城の道からの登り口。


西の丸跡(西出丸)を振り返る。
既に別の方がベンチに座り佐伯市街地を見下ろしていた。


二の丸虎口(渡櫓跡)の礎石。


二の丸虎口(渡櫓跡)の礎石が残る。
虎口とは城郭における出入り口のことで、二の丸では敵の侵入を阻むために通路を屈曲させ、
幅を狭めている。当時は渡櫓と門があり、現在も門の礎石をみることができる。


通路を屈曲させ、幅を狭めている二の丸虎口(渡櫓跡)を振り返る。
礎石の上には歴史を感じさせる木が生い茂る。

二の丸跡の石碑。


二の丸跡から、西方向の番匠川、市街地を見下ろす。


番匠川の上流に、手前から稲垣橋、東九州自動車道、日豊本線が走る。


山々の名前も記載されている。


二の丸跡に「独歩文学碑」。


裏面に、
佐伯 国木田独歩
文豪国木田独歩は、矢野竜渓、徳富蘇峰の推挙で毛利高範旧藩主が創建した鶴谷学館の教師とし
て赴任した。
佐伯在任はわずか1年足らずであったが、彼ほど佐伯の山野を深く愛し、遍く歩き、広く天下に
紹介した作家は他にない。源おぢ、春の鳥、鹿狩、小春、忘れ得ぬ人々、豊後の国佐伯、欺かざ
る記などの名作は湖畔詩人ワーズワースの詩境と佐伯の自然とを結んだからこそ生まれた独歩独
特の文学作品である。傑作春の鳥ゆかりの城山に此の碑を建てて独歩文学発祥の記念とする。
                            佐伯史談会    
                            佐伯独歩会
設計主旨
私にとって、作家独歩は、「自然」への求道者と銘している。
求道の意は、自然への愛着や没入が、自己表現に於て、自然への憎悪や拒否と相克し ― 限り
なく矛盾的自己同一的に昇華した、この作家の生きざまを看る故である。その故に作家独歩のイ
メージが、形態として焦点を結像するのは、楕円 ― 決して一つではなく、二つの点を結んで
軌跡の合理する楕円形である。
私は、その終焉の日まで、■れむことなく続けられたあの相克を ― 独歩の世界の全てを、そ
の軌跡の中に封じこんでいると考える。
                              清田文永
                             基金協力者 安藤 賢 外265名
                            撰文■書   東階狩■熊義
                            刻石      (株)大洋石材 ■川 洋
                     昭和57年8月

二の丸から本丸へ、本丸石垣が残る。
高さ6メートルの石垣である。本丸外曲輪から本丸へ登る大階段は、毛利神社創建後のもので、
両側の曲線を描く石垣もこの時積み直された。絵図によると、本来は隅(すみ)があったと考え
られる。


本丸への入口に廊下橋。
本来、本丸に入るには二の丸を通って廊下橋を渡り、幅の狭い階段を登らなくてはならなかった。
有事の際には廊下橋を落として敵の侵入を防ぐといわれ、堅固で実践的と評される佐伯城を象徴
する施設である。


廊下橋を渡り、幅の狭い階段を登り本丸へ。


本丸廻りの石垣が残る。


二の丸方向を振り返る、下は廊下橋。


天守台の祠と鳥居。毛利神社の社殿跡?
毛利神社の社殿は太平洋戦争中の昭和20年4月26日の空襲で破壊されたとあったが。


こちらの祠は?


北出丸方向、紅葉シーズンにはもっと絶景になるのであろう。


本丸跡の木標
本丸・天守台跡
佐伯城には三重三階で南向きの天守があったと伝わっている。しかし、築城後程なく失われ、再
建されることもなかったため詳細は不明。現在は古文書の中に伝承として記されるのみである。


本丸から本丸外曲輪側(東方向)の紅葉が進む。


本丸外曲輪への階段


紅葉を見上げる。


本丸跡から本丸外曲輪へ下り、佐伯市街を見下ろす。
左側の看板は・・・・・。


映画 釣りバカ日誌19 
    ロケ地 佐伯市   佐伯市 城山
         佐伯市街地と佐伯湾を望むシーン 


以下三枚はネットから。
 「ようこそ! 鈴木建設御一行様」
ロケ地解説
大分空港に到着した鈴木建設御一行様、大分ホーバークラフトに乗って市内へ向かう。
別府地獄巡りを楽しむ社員たちを置いて、酔っぱらったハマちゃんはバスに残る。
そして国立公園高崎山自然動物園でサルたちと戯れる。翌日、ハマちゃんは波子の
故郷佐伯市で釣り三昧。鈴木建設一行は飯田高原長者原でバーベキューを楽しむ。
ラスト、ハマちゃんとスーさんが釣りをするのは、佐伯市公設水産市場前。大分の
名所が全編に渡って登場する。


第21作 2008年10月25日
釣りバカ日誌19 ようこそ! 鈴木建設御一行様


ゲスト出演の、常盤貴子、山本太郎(現・衆議院議員、れいわ新選組代表)


本丸跡の石垣を見上げる。


独歩碑
明治26年(1893年)、鶴谷学館に教師として招かれた国木田独歩は僅か10ヶ月の滞在であったが、
後年、佐伯を舞台とした作品を多く残した。


独歩碑
この独歩碑は、「春の鳥」「源おぢ」の舞台である城山山頂に、佐伯独歩会によって昭和31年に
よって建立された。


本丸石垣の下から北出丸方向への道。


豊後佐伯城址の木標


毛利神社創建時に本丸へ登る階段が改修され大階段に。


本丸外曲輪下から石垣を見上げる。


14:53
佐伯市街地、佐伯湾を望む
クレーンは佐伯重工業㈱ 佐伯造船所。
城山から下ることに、下りは独歩碑の道を下る。


独歩碑の道の紅葉。


登りの「登城の道」より道幅も広く坂も緩やかで歩きやすい。


いつも先行の旅友である。


15:04
独歩碑の道入口へ約10分で下り立つ。


独歩碑の道入口にある「善意の杖」
これは市民の方から善意で寄贈された杖です。
お持ち帰りはくれぐれもご遠慮ください。
石柱に「頂上まで 810メートル」と。



                                      ー 続く ー​





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最終更新日  2022.01.18 03:00:06
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