おじん0523のヒロ散歩

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2022.01.22
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カテゴリ: 続 日本100名城
九州の旅四日目も陽が沈む。
臼杵公園内には、文学碑・顕彰碑・歌碑・句碑等が多く建っていた。

11月17日(水) 16:59
二の丸居館庭園跡
臼杵護国神社境内は、延宝3年(1675)に城主居館が移された場所です。 
現在、地上遺構は全く見当たりませんが、わずかにその庭園の一部が、残されています。

臼杵護国神社
御祭神は稲葉良通ならびに歴代藩主と國家公共につくした人の神霊をお祀りしています。
明治10年西南の役で戦死した臼杵藩士43名の御霊をお祀りするため、明治11年6月に招魂社が
創建されました。後に事変や戦争で亡くなった御柱が祭神として祀られています。
稲葉神社は稲葉家の祖、稲葉良通公(一鉄)を祭神として明治12年11月に創建された以後、歴代
の15藩主も祀られています。昭和35年4月には、稲葉神社と招魂社を合併して社名を臼杵護国
神社と改称され、御祭神は2000柱になります。
臼杵護国神社は区切りがなくどこまでが境内なのか、よくわからない。
右手前に、海軍中將軍医総監 河村豊州が奉納した砲弾がある。


砲 弾 記 念
               明治二十八年九月十七日
     敬献 海軍中將軍医総監 河村豊州
臼杵藩士として代々医業を業とする。
河村三達(太順)と白須豊子の二男として、嘉永二年(1849)一月二十六日生まる。
荘田氏及び白須両氏更に日田咸宜園等の塾にて漢籍を学ぶ。明治初年藩命により鹿児島にて同藩
の学校に入り洋学を修め次で医学校に移り、英人教師ウィリス氏に就き医学を研究した。
  明治八年    海軍中軍医となる
  明治十年    西南戦役に功あり、海軍大軍医となり勲五等を受く
  明治十五年   朝鮮事変に旗艦「金剛」に乗り同地に派遣さる
  明治二十七年  軍医長として旗艦「松島」に乗り黄海海戦にて名誉の重傷を受く
  明治二十八年  功四級金鵄勲章を賜わり九月十七日招魂社に砲弾と台座を奉納する
             (現在の砲弾は実物大レプリカ)
  明治三十五年  従四位一等に叙せられ、予備役となる
   退役後    貴族院議員 宮内省の要職を断り 北海道開拓に尽力する
  昭和八年(1933) 十一月八日 八十五歳にて永眠  青山墓園に眠る
                             河村 豊 献納  


神楽殿に掲げられていた扁額「稲葉神社」。


左側には、陸軍歩兵中尉 平井富蔵が奉納した模造品の砲弾。


顕彰 砲弾記念碑
     明治二十九年四月
奉納 陸軍歩兵中尉 平井富蔵
    清國威海衛戦利品
    威海衛の要塞砲
    口径 二十三・四糎
    弾の長さ 八十四糎
    黄海海戦       明治二十七年九月十七日
    威海衛占領      明治二十八年二月十二日 
    講和条約(下関条約) 明治二十八年四月
    砲弾は昭和二十年終戦後地下に埋没されたが現在その場所不明
    現砲弾は模造品
                                岡部鉄夫


稲葉神社神楽殿


臼杵市指定有形文化財
    臼杵護国神社神楽殿
 右を臼杵市指定有形文化財に指定する
      平成二十年六月三十日
         臼杵市教育委員会
 明治四十二年十月 稲葉神社神楽殿及び神門を増築する


臼杵護国神社の西方向だが、区切りがなくどこまでが境内なのか?。
奉納された石灯籠が建ち並ぶ。


大東亜戦争全般作戦図


臼杵護国神社には、稲葉氏のほか後に事変や戦争で亡くなった御柱が祭神として祀られている
ので境内には、大東亜戦争関係の戦死者の名前も。
大東亜戦争(第二次世界大戦)  硫黄島の玉砕
  臼杵の人で死亡場所硫黄島と確認された人
昭和二十年三月十七日、栗林中将は大本営に決別電を発した後みずから先頭に立っての攻撃に
あたり、次の訓示を述べた。
「いま日本は戦いに敗れたといえども、日本の国民は諸君の忠君愛国の精神に燃え諸君の霊に
対し涙し黙祷を捧げる日がいつか来るであろう。安じて諸君は国に殉ずべし」
硫黄島にて戦死せられた二万一千の英霊に対し後世の日本人が涙して感謝の誠を捧げることを
固く信じていたのである。
大本営に決別電
  国の為重き勤めを果たし得て矢弾尽き果て散るぞ悲しき
  仇討たで野辺には朽ちじ吾は又七度生まれて矛を執らむぞ
  醜草(しろくさ)の島に蔓るその時の皇国の行く手を一途に思ふ
平成六年二月初めて硫黄島の土を踏んだ天皇はこう詠った
  精魂込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
                  「散るぞ悲しき」梯久美子より


大東亜戦争(第二次世界大戦)
馬締安正命
馬締安正命は、大正十五年一月十九日馬締兵市、チョの三男として臼杵市大字戸室に出生。
市浜尋常小学校臼杵高等小学校を卒えて昭和十七年四月東京陸軍航空学校に入学。引続き熊谷
陸軍飛行学校第十四期少年飛行兵として修学、昭和十九年七月同校卒業。台湾第八飛行師団所
属誠百十四飛行隊特別攻撃隊員として訓練を受く。
昭和二十年四月二日沖縄慶良間列島西側海域において未艦船群に体当り攻撃敢行戦死を遂げる。
同日陸軍少尉に昇進正八位勲六等功四級を賜る。
   遺 書
実父 馬締兵市様
 皇国危難の時新任務が下りました。報国の秋来る嬉しく任務に服す国のため何か惜しからん。
 死して甲斐ある命なりせば家の内ご一同様増産にお励み下さい。
 ご健康をお祈りします。
実兄 馬締中尉殿
 弟も栄ある任務が下りました。報国の秋来る嬉しく任務に服す。兄上弟はお先に失礼いたし
 ます。兄上には初志を貫徹して下さい。初志貫徹せば満足に感じます。先に弟は亡母のとこ
 ろに行きます。
                      臼杵市久保馬締家にある「石碑文」より


武功抜群
木梨鷹一(たかいち)海軍少将の戦死
鷹一は、明治35年3月7日 臼杵町野田753番地で生誕した。大正9年臼杵中学から、当時受験競争
率最高30倍に達したと言われる海軍兵学校に進学(海兵51期生)、大正12年卒業。昭和5年航海
学校航海学生(大尉)となり同6年に卒業後、潜水艦航海長になったが、同12年11月海軍少佐と
なり、同15年3月潜水学校甲種学生を命ぜられた。卒業時には、成績優秀により恩賜の銀時計(各
種学校首席卒業者に天皇が与える銀製の時計)を拝受している。
太平洋戦争勃発するや、潜水艦長として各海洋に進出し転戦偉功を奏す。伊号19潜水艦長として、
昭和17年9月15日ソロモン海峡で敵機動部隊を捕捉し、魚雷6本を発射うち5本命中で敵空母ワス
プを撃沈、戦艦ノースカロライナ、駆逐艦オブライエンを大破させた。
昭和18年11月には、重大な使命を負いドイツへ向かった。インド洋上で補給船から補給を受け、
昭和19年3月11日フランスのロリアンに入港。そこで、新兵器操作技術の習得のほか、ジェット
機の設計図等新世代兵器設計資料を受取った。その時の軍服には、ヒトラーから贈られた二級鉄
十字勲章が輝いていた。87日を経て、7月12日シンガポールに入港。空輸可能な設計資料は、巌
谷技術中佐が取りまとめ空路帰国。7月26日にバシー海峡で米潜水艦と遭遇、鷹一の乗った艦は
魚雷を受けて沈没した。
この旨が上聞に達し、生前の殊勲を嘉せられ二階級特進海軍少将に任ぜられた。行年43歳。
                      「近代臼杵人物辞典」より
木梨鷹一さんは、戦記の中にもよく出てくる、有名な潜水艦長である。


会所櫓跡の石垣


会所櫓跡


会所櫓跡から陽の沈んだ西の山を望む。


海添(かいぞえ)地区


会所櫓跡から東側にある、臼杵護国神社を振り返る。


東の空を見上げると、満月前の月がのぼる。


大門櫓を出て正面に畳櫓


二の丸西側下に、時鐘櫓跡(ときかねやぐらあと)があり、鐘楼が建つ。


時鐘櫓跡
稲葉氏入城後に造られた時報施設です。元禄14年(1701)に時鐘櫓が二王座に移されるまで鐘が
置かれ、臼杵城下に鐘で時を報せていました。
この櫓を造る直前の整地層からは、十字架を刻む軒瓦が出土しています。


この時報櫓の鐘は「原山時鐘(はらやまときかね)」といいます。
鐘に刻まれた銘によると、元禄十三年(1700)に鋳造されたとあります。
その後、寛政二年(1790)に改鋳され、江戸末期までは原山時鐘堂(二王座)で時を告げていたも
のと記録に残っています。
明治六年(1873年頃)の臼杵城廃城後、この「原山時鐘」が臼杵城跡畳櫓横へ移され、その後も
昭和末期まで、鐘の音を聞くことができました。
しかし、いつの頃からか鐘の撞き手がなくなり、「鐘の音」は途絶えたままとなっていました。
平成二十年(2008)臼杵城跡西ノ丸鐙坂の土塀復元に際し、この鐘は畳櫓横から約百四十年ぶり
に、ここ時鐘櫓跡に置かれたが、鐘の音が復活することはありませんでした。
そこで、平成二十二年(2010)六月、臼杵ロータリークラブは、創立五〇周年記念事業として、
鐘の音を復活するため、「時報楼」の整備を行いました。遠い元禄の昔から、うすき市民の思い
出に刻まれつづけた鐘の音を感じていただければ幸いです。


時鐘櫓跡から、南側にある「畳櫓」を望む。


陽が沈み点灯された、臼杵市観光交流プラザを見下ろす。

夕闇生えるピンクの花。


明日の天気もよさそうだ。


鐙坂を下り、壁面には穴跡があり石で塞いでいたが、防空壕跡か?


古橋から内堀、カモの巣箱。


内堀にカモが泳ぎまわる。


うすき市のおすいマンホール蓋
西暦1600年に臼杵湾に漂着したオランダ船リーフデ号と市の木 カボスのデザイン。
下縁右に「うすい3」の文字が入っており、汚水用も含め「1」~「3」の数字や「B」等の
文字が用途を示す文字の後に付加されている。

臼杵城跡の西側にある、大手門公園。


17:16
大手門公園前の交差点から畳櫓、大門櫓を見上げる。


畳櫓、大門櫓をズームアップ。


臼杵市観光協会前の交差点。


吉丸一昌像
大手門公園に立つこの像は、「早春賦」を作詞した吉丸一昌。

畳櫓、大門櫓をバックに
吉丸一昌は明治六年(1873年) 大分県北海部郡海添村(臼杵市海添)の下級士族の家
に生まれた。
小学校尋常科から小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、1889年大分中学
(現大分県立大分上野丘高等学校)に入学、1894年に卒業した。


臼杵学校、大分中学校(上野丘高校)を卒業後、第五高等学校(熊本大学)へ進学。ここで教授夏目
漱石と出会う。その後、東京帝国大学(東京大学)国文科へ進む。修養塾、下谷中等夜学校(東京
都台東区)を開設し、貧しい青少年の生活支援と教育活動を終生行う。卒業後、東京府立第三中
学校(両国高校)の教諭を務め、芥川龍之介を教える。
明治41年東京音楽学校(現京芸大)教授に招かれ、文部省から唱歌の編さん委員に任命される。 
明治45年新作唱歌全10集を発表。この中に吉丸の作詞した「早春賦」(作曲 中田章)「故郷を離
るゝ歌」が収録されている。1916年(大正5年)42歳の若さで他界した。
                      没後100年を記念して 2016年記。
夫人の実家に吉丸一昌記念館があり、当時の遺品や楽譜などゆかりの品々が展示されている。


吉丸一昌先生の生いたち
  出生  明治六年九月十五日 臼杵市海添(現在)
  学業  臼杵尋常高等小学校 ~ 大分中学校 ~ 第五高等学校 ~ 東京帝国大学国文科
                  明治三十四年七月卒業
  職歴  東京府立第三中学校教諭
      東京音楽学校(現東京芸大)教授
      大正五年三月七日逝去(四十二才)
先生は、性質極めて磊落、常に故郷を愛し、苦しい生活の中にも向学の志を抱いた苦学生の為に、
修養塾を作り修学の便を与えられ、又「成功の華は墓前に咲く」を信条とし、日常の訓戒とされ
ていた。文部省唱歌の編集委員でもあったが、自らも編集し、新作唱歌十冊を刊行した。
我が国音楽教育に大いなる貢献をされ、童謡運動の暁鐘を鳴らされた。 
「早春賦」は春を待ちわびる心であり「故郷を離るる歌」と双璧をなす傑作で、広く愛唱されて
いる歌である。
先生が、こよなく故郷を愛されたように、我々もとこしえに先生の功績を称え、郷土の限りない
誇りとして顕彰するものである。
    昭和五十五年四月二十日   臼杵ロータリークラブ。


早春賦     
    吉丸一昌 作詞      中田章 作曲
  春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず
この歌は、倍賞千恵子、由紀さおり姉妹、三輪明宏、芹洋子、さだまさしをはじめ、最近の若手
では三山ひろし等多くの歌手が唄っている。


17:26
畳櫓の上に月が載る。

カメラの設定を変更して撮影。


17:30
臼杵城を後にし、カーナビを今夜の宿泊ホテル「ホテル日航大分オアシスタワー」にセット。


18:11
カーナビはホテルの到着予定は、18:33、残り距離 11kmと。


18:18
道路は退社時間帯で渋滞。


18:44
途中ホテルの到着予定は、18:33 であったが渋滞が激しく遅れる。


19:50
ホテルへ到着後、ホテル紹介の駐車場を探すが一方通行が多く時間を要した。
ホテル日航大分オアシスタワー
所在地:大分県大分市高砂町2丁目48
受付では検温、消毒とコロナ感染対策を徹底していた。大分県と言えば別府だが・・・・・。


部屋はツインルーム


温泉もなく部屋の風呂に入り、宴会も部屋食で。


途中ローソンでつまみを追加で購入、
旧友からいただいた昨夜の残りの鶏をつまみに最後の夜を楽しんだ。


今日は、宮崎から大分まで一般道を走り北上したが走行距離は 216kmであった。
歩行数は延岡城、佐伯城、臼杵城と歩きまわったので 17,000歩。

                                     4日目END
                                   ー 5日目へ続く ー





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最終更新日  2022.01.22 10:04:07
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