おじん0523のヒロ散歩

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2022.03.15
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神明大神宮から、旧跡懐嶋山の碑(えな塚)に関連する史跡へ向かう。

茅ヶ崎ゆかりの人物相関図
大庭景能(かげよし)  源頼朝の重臣
  相模国で勢力を拡大した鎌倉権五郎景正の子孫。相模国大庭御厨の一画である懐嶋(現在の
  円蔵、浜之郷、矢畑)を本拠地とした。
丹後局(たんごのつぼね)   伝説の女性
  源頼朝の寵愛を受けて、薩摩の島津氏の祖先となる男子を、懐嶋の大庭景能の桜屋敷(西久
  保)で産んだといわれる。丹後局は伝説上の人物とも考えられている。


A:旧跡懐嶋山(かいとうざん)の碑(えな塚)   西久保
    丹後局が鎌倉から逃れて源頼朝の子を出産、子の忠久は島津氏の祖となった伝説も。
   丹後局は頼朝の子を身ごもったことを妻・北条政子に知られてしまいます。身を隠すた
   め、比企能員が丹後局を懐嶋郷の領主・大庭景能に預け、丹後局は桜屋敷に移った後、
   無事男子を出産します。ここに、えな(胎盤)を埋めたことから「えな塚」と呼ばれてい
   ます。三郎と名付けられた子は鶴岡八幡宮社前で頼朝と対面。後に忠久と名乗り、薩摩
   を本拠地とした島津氏の祖となったという伝説があります。


3月6日(日) 13:57
スマホの案内で「懐嶋山 宝生寺」へ進む。


民家の間を進み「北向地蔵」。
所在地:神奈川県茅ヶ崎市西久保573


信仰心の篤い人がおられいつも花を供えている。


14:00
高野山真言宗 懐嶋山宝生寺(かいどうざんほうしょうじ)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市西久保546
山門前で地蔵像が迎えてくれた。


阿弥陀三尊像
   昭和三十四年六月二十七日
       国重要文化財指定  
  銅造阿弥陀如来及両脇侍立像  三躯
    左脇侍   観音菩薩 三二・九センチ
    中 尊  阿弥陀如来 五八・三センチ
    右脇侍   勢至菩薩 三三・八センチ
仏法最初の像と伝える信濃善光寺木尊の模像で、いわゆる善光寺式如来といわれるものである。
鎌倉時代に非常に多くつくられたという。木像も鎌倉時代の作とみられている。
一説にこのあたりを領していた懐島景義(景能)の持仏であったともいわれるが、その来歴につ
いては全く不明である。なお、台座および光背は後世のものである。
                       茅ヶ崎市教育委員会 

瓦葺の本堂


懐嶋山 宝生寺
 御本尊  金剛界 大日如来
 宗 派  高野山真言宗   立教開宗は大同二年(807) 
 総本山  高野山金剛峯寺  和歌山県伊都郡高野町
 宗 祖  弘法大師(空海) 宝亀五年(774)六月十五日 香川県善通寺市で御誕生
               承和二年(835)三月二十一日 高野山奥之院に御入定
御宝号 南無大師遍照金剛
教義と信仰
 宇宙のすべてのものは、大日如来のいのちの顒われであり、このいのちの世界をあらわしてい
 るのが曼荼羅です。
 高野山真言宗の教えは、いのちの平等と尊厳をさとり、大日如来の智慧をこの世に実現するた
 めに、生かせいのちを実践し共存共生の世界をめざすことにあります。
 本宗の御宝号念誦運動は、弘法大師の共利衆生の精神に立って、すべてがいのちを共にしてい
 る社会の福祉をめざす具体的な活動です。
 弘法大師は未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され高野山奥之院に入定留身されてい
 ます。同行二人の信仰のもと大師の御教えをこの世に生かし実現することが、私たちの務めで
 あり喜びです。


本堂の扁額、「宝生寺」


本堂の左側に、「瀧不動尊」。


石碑には、「秋光や 不動明王 〇然〇」 白楊(徳田白楊?)   


ピンクの河津桜に囲まれ。


まだ満開前の桜。


ズームアップ。


瀧不動尊


本堂前左側に建つ、「阿弥陀堂」
御開帳は年に一度、4月29日で閉ざられている。


宝生寺の阿弥陀三尊像
    昭和三十四年六月二十七日 国指定重要文化財  
  銅造阿弥陀如来及両脇侍立像  三躯
    左脇侍   観音菩薩  三二・九センチ
    中 尊   阿弥陀如来 五八・三センチ
    右脇侍   勢至菩薩  三三・八センチ
善光寺(長野市)の本尊を模したといわれる善光寺式の阿弥陀三尊像です。手のかたちや一つの光
背に三尊がはいっているところなどが、一般の阿弥陀三尊像と違います。
善光寺式の阿弥陀三尊は、鎌倉時代から造られており、この像も銘はありませんが鎌倉時代の作
とされています。しかし、来歴については不明です。なお、台座と光背は近世のものです。
                       茅ヶ崎市教育委員会

宝生寺銅造阿弥陀三尊立像
阿弥陀如来を中心に勢至・観音両菩薩を脇侍とする三尊仏は、善光寺式の金銅仏で、鎌倉時代
の作と見られています。ご開帳は4月29日。国指定重要文化財。


境内を振り返る。


14:10
日吉神社
所在地:神奈川県茅ケ崎市西久保466


正面に本堂、左側に神輿殿、右側に西久保自治会館が建つ。


銅板葺きの社殿をズームアップ。


日吉神社の鳥居の右側に道祖神。


新しい座の上に道祖神を移設。
花も供えられていた。右側には浄財用の投入口も。


日吉神社の西側にある「法性山 妙運寺」
所在地:神奈川県茅ヶ崎市西久保1564
日蓮宗の寺院で、本堂の裏手には新湘南バイパスの茅ヶ崎JCTがある。





河津桜の中にはメジロが動き回っていた。


日蓮宗法性山 妙運寺(みょううんじ)


妙運寺本堂


本堂の扁額「法性山 妙運寺」。


本堂前に建つ、日蓮聖人像。


14:18
法性山妙運寺裏手(西側)の新湘南バイパス高架下にある、
旧跡 懐島山(ふところじまやま)
所在地:神奈川県茅ケ崎市西久保附近


旧跡 懐島山の碑
この地一帯は、中世、懐島郷といわれ、懐島氏を称し、源頼朝の家臣であった大庭景能の支配
した所として知られ、鎌倉幕府との関連などが、「吾妻鏡」や「新編相模国風土記稿」の書物
にも記録され、地名や伝承が残っています。
この碑の立つところは俗に「えな塚」といわれ、次のような話が言い伝えられています。
源頼朝の側室、丹後局は源頼朝の子を身ごもりますが、正室の北条政子に知られ、大庭景能の
邸に身を隠しました。やがて、西久保の桜屋敷に移った局は、男の子を生みました。その子は
三郎と名付けられ、三郎の(胎盤)を納めたところがえな塚と言われています。三郎は、成長
した後に島津忠久と名乗り、九州の島津氏の祖となりました。
この碑は近くの宝生寺が所有しており、この西久保地区が辿ってきた歴史を語る重要なものと
なっています。碑の文中にある阿弥陀三尊は国指定重要文化財としてこの宝生寺に安置されて
います。 
         平成二十七年 三月   
             茅 ヶ 崎 市
             茅ヶ崎市教育委員会


石碑には「旧跡 懐嶋山」
新編相模風土記日
  懐嶋山  松四五株立てる小丘也
  赤池川  四方萩園村境を流れる
  宝生寺  懐嶋山と号す本尊大日を歩んす
因ミニ源頼朝ノ妾比企氏丹後局懐妊ヲ政子ノ方ノ知ル処トナルニ及ビ兄能員ニ命ジテ
密カニ当地大庭庄懐島景能ノ邸ニ預ケ次デ桜屋敷ニ移ッテ男子ヲ安産。三郎ト名付ケ
ラレタ。文治元年六月十五日三郎七才ノ折鎌倉八幡宮ニテ頼朝ト親子ノ対面アリ忠久
ト名乗リ島津氏ヲ称シタ。三郎ノえなヲ埋メタ塚上ニ松樹ヲ植エソノ古株ハ今モ地中
ニ存スル。塚ノ東方一帯ヲ小字観音堂ト呼ビ阿弥陀三尊ヲ安置シタ御守堂ガアッタ。
              以上 懐嶋山ノ伝承ヲ記ス


旧跡懐嶋山の碑「えな塚」から西方向を望むが今日は富士山は見えず。
小出川の河津桜並木。


首都圏中央連絡自動車道の高架下に小出川沿いの河津桜が咲く。


高架橋は、首都圏中央連絡自動車道の茅ヶ崎JCT



                                     ー 続く ー






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最終更新日  2022.03.15 03:00:05
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