おじん0523のヒロ散歩

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オジン0523

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2022.07.10
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今日は最終日。
名 称:第70回湘南ひらつか七夕まつり
開催日:令和4年7月8日(金)~7月10日(日)

七夕まつりは、中国の牽牛織女の伝説に基づいて始まり、日本へは星まつりとして伝えられまし
た。はじめ宮廷貴族を中心とする都の生活のうちに受け継がれ、書道の上達や恋愛の成就を祈る
風習となりました。江戸幕府はこれを年中行事に取り上げ武家の風習となり、しだいに庶民へも
普及するに至り、各地域によって特色のある七夕まつりとして今日に至りました。
平塚の七夕まつりは、戦後商業振興策として始められたもので、活発な商業力に裏づけられた日
本一といわれる七夕飾りの豪華さに特色があります。中心街には約500本、特にメーン会場であ
る「湘南スターモール」は絢爛豪華な飾りが通りを埋め尽くします。中には、10mを超える大型
飾りもあり、活躍中のスポーツ選手や人気の動物、キャラクターなどの流行り取り入れた飾りも
大きな特徴です。期間中は七夕飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげら
れ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。さらに、セレクションで選ばれた湘南
ひらつか織り姫が七夕まつり期間中、パレードや市中訪問など様々な行事でまつりを一層盛り上
げています。

7月8日(金) 8:30
この日は愛車のリンちゃんで国道1号を走り平塚へ向かうことに。
この日のために前夜にリンちゃんの充電も完了、100%、走行可能距離は 94km。
出発時の西の空は曇り空で、雨具を用意。
JR相模線北茅ヶ崎駅。


イオン茅ケ崎中央店の南側。
アジサイも咲き終わっていた、これからは来年のために剪定作業に。


いつも野球友を迎えに来る路地。
友の話ではこの「止まれ」でいつも取締りをしていると。 確実に停止!。


住宅街を走り千ノ川の富士見橋から下流の鳥井戸橋を望む。
橋の名前が富士見橋だけに天気が良ければ、西の空に富士山が見えるのだが。


旧東海道(国道1号)に架かる鳥井戸橋。
この辺りから見える富士は「左富士」だが雲がたちこめ見えず。


鳥井戸橋交差点に建つ「鶴嶺八幡宮の一の鳥居」
ここまで千ノ川沿いを走り、ここからは旧東海道(国道1号)を走る。


鳥井戸橋交差点に建つ「南湖の左富士之碑」
この交差点から西は自転車専用エリアはなく車道・歩道を注意しながら進むことに。


旧東海道(国道1号)を更に西へ向かい、「旧相模川橋脚」。


現在の相模川はここの西約1キロメートルを流れている。
源頼朝はこの橋のお披露目に出席その帰路に落馬したと。これ以降大名は乗馬せず駕籠に?。


先日も熱海からの帰路に立ち寄った「かつや茅ヶ崎今宿店」。
営業開始は10:30で、時間も早く準備中。


歩道を進むと前方から、太鼓をたたきながらお坊さん?。


更に旧東海道(国道1号)の歩道を走り、産業道路入口交差点。
年配者が手押し車を押しながら車道を、歩道を進まないと危険!。


相模川手前のバス停「新田入口」。
結婚以来昭和50年代はじめまではこの道を自転車で走り平塚にあった会社へ通ったものだ。


バス停の西側から平塚市に。


相模川 馬入橋。⇒英語名「Banyu Bridge」。


馬入橋の下流側を東海道本線が走る。


馬入橋上から丹沢山系を望むが雲の中。
富士山も見えず絶景ではなかった。


橋の中間に、キロポスト「日本橋から62km」。
橋の上に三脚にカメラをセットした人が二人待機していた。


思わずカメラを構える。


平塚駅方向をズームアップ。
現役時代は東京・品川から電車に乗り、暴飲・疲れで熟睡しこの橋の轟音で目を覚ましたものだ。
乗り過ごしの最長記録は国府津駅で2回、他には二宮駅数回、平塚駅は多数と。
その都度、上り電車もなく馬入橋をタクシーで帰ったものだ、今では懐かしい思い出であるが。


通勤電車、貨物列車が橋上に。


撮影中の方に「珍しい列車が?」と聞くと「改造した新しい機関車が先程通過した」と。
鉄撮りの方は仲間等からいろんな情報をつかみ待機して撮影しているのだ。
機関車の中央には「桃太郎」と。


福山通運のコンテナ台車が連結されていた。
ウクライナでは戦車等の武器が輸送されているようだが。


馬入橋の平塚側
この先の馬入交差点を「平塚市街」の旧国道1号(旧東海道)へと進む。


馬入橋の平塚側にある「陸軍架橋記念碑」。


陸軍架橋記念碑。
碑の字は解読できず。


陸軍架橋記念碑
大正十二年(1923)九月一日、関東大震災によって馬入橋が倒壊し、交通が途絶しました。地元
の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日渡舟が運行されましだが、数日後の豪雨で流失し、
しばしば中断してしまいました。
九月十七日、陸軍第十五師団(豊橋)所属工兵大隊と、第十六師団(京都)所属工兵大隊が急きょ派
遣され、架橋工事が開始されました。
橋の全長四五○メートルのうち、馬入側の三○○メートルを第十六師団、茅ヶ崎側を第十五師団
が担当して、同年十月三日に完成しました。この記念碑は馬入側を担当した第十六大隊の事績を
称えたものです。
石碑の碑文(略) 
    平成十八年(2006年)三月
                       平塚市


工兵隊の架橋作業


馬入橋を渡り、工業団地入口交差点。


その工業団地入口交差点に建つ、和菓子屋の「弘栄堂」。
所在地:神奈川県平塚市榎木町9-45
店先に「力餅」の看板、帰宅時に購入しようかと。


国道1号の馬入交差点を左方向の旧東海道(旧国道1号)へと進む。
交差点から直ぐ左側に石碑が建つ。
石碑には「東海道 馬入一里塚跡
         江戸 十五里
         京  百十一里
         大阪 百二十二里」 と刻まれている。


東海道 馬入の一里塚
慶長九年(1604年)、徳川幕府は東海道など五街道を整備し、江戸日本橋からの距離が分かるよ
うに一里塚を整備しました。一里塚は街道に一里(約四キロメートル)ごとに造られ、築造時の
資料によれば、五間(約九メートル)四方の塚でした。塚の上には、目印として主に榎が植えら
れました。旅人にとって一里塚は、旅の進み具合を知らせる目印であるとともに、木陰は休憩
場所にもなりました。
馬入の一里塚は、この付近にありました。江戸日本橋から数えて十五番目の一里塚で、旧東海
道をはさんで南北に一つずつの塚がありました。文化三年(1806年)に出版された「東海道分間
延絵図」には、北側の一里塚の前に井戸が、馬入の渡しに向かう東側に川会所や川高札が描か
れています。
    平成十六年(2004年)三月
                       平塚市


東海道分間延絵図 <部分> (東京国立博物館所蔵)


国道1号の馬入交差点を振り返る。
この交差点で旧東海道(国道1号)と国道1号のバイパスが分離する。


市街地へと進む。


交通規制で車の量も少ない。


右前方に東横インのビル。
この先からは交通規制で車、自転車は進入できない。


旧東海道の平塚駅前交差点に建つ「東横INN湘南平塚駅北口1」
所在地:神奈川県平塚市明石町1-1
平塚にはいろんな企業の工場があり宿泊者も多いようで、道路を挟んだ南側には「平塚駅北口2」
が増床されている。我が茅ヶ崎でも現在増築中だが。


旧東海道の平塚駅前交差点からは進入禁止。
ここから西の「湘南スターモール」がパレードコースになっている。
既に多くの人が訪れていた。


無料駐輪場がある「明石町公園」を目指し明石通りを西方向へ進む。


その途中にあった「大塔稲荷」。
所在地:神奈川県平塚市明石町14-6


間口1間、奥行3間ぐらいの狭い敷地に鎮座している。
右手には「ホルモン・もつ鍋店」が営業。


鳥居を潜り社へ。
詳細は説明板もなく不詳である。


広域避難場所案内板。


明石通りのバス停「明石町四丁目」。
明石町公園の北側にあるバス停。


明石町公園北側入口。
既に交通整理の方が警備していた。


中心会場MAP
この公園はパレードコースの北側に位置している。


明石町公園。


公園の花壇に綺麗に咲いていた。


公園には木が生い茂り爽やかであった。


9:30
この公園に駐輪(無料)し開会式が行われる「紅谷町まちかど広場」へ向かう。
会場への途中にはスナックが立ち並んでいた。夜のネオンも懐かしい。



                                                                  ー 続く ー





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最終更新日  2022.07.10 03:00:08
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