おじん0523のヒロ散歩

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2022.11.08
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カテゴリ: 沖縄旅行
金武ダムから海岸沿いにある金武火力発電所へ。

9月28日(水) 8:40
沖縄電力株式会社 金武火力発電所(きんかりょくはつでんしょ)
所在地:沖縄県国頭郡金武町金武3333
当発電所は沖縄本島のほぼ中央部に位置する金武町に、具志川火力に続き当社2番目の石炭火力
発電として、平成14年2月に1号機、平成15年5月に2号機が運転開始し、現在まで沖縄本島の電
力の安定供給を支えてきた。
当発電所の貯炭場は、県内で2番目に大きな建築面積の建物である。


中央の蒲鉾形の建物が「貯炭場」。
貯炭場は鉄骨造りで縦 約108m×横 約235m×高さ 約42m×1棟。
その手前に石炭移送用のベルトコンベヤーが多数並ぶ。
この後、正面の火力発電所入口手前の駐車場へ車を止める。


金武火力発電所の発電設備   総出力:44万kW
1号機
  定格出力:22万kW
  使用燃料:石炭
  営業運転開始:2002年(平成14年) 2月
2号機
  定格出力:22万kW
  使用燃料:石炭
  営業運転開始:2003年(平成15年) 5月 
煙突は鉄筋コンクリート製、2筒身集合型で高さ170m。
手前の広いグリーンは「金武火力発電所 スポーツ広場」になっている。 


火力発電所入口前の駐車場


沖縄電力株式会社 金武火力発電所構内。


構内は南国だけにヤシの木が多い。
沖縄県下の発電は、ほとんどを火力発電に頼っている。使用原料も最も多いのが石炭
を使った火力発電で、続いて、LNG(液化天然ガス)、石油が使われていると。


駐車場へ車を止め四阿がある公園へ進み桟橋方向を見る。


遠く平安座島、宮城島が見える。


コバルトブルーの海が広がる。ご婦人が何か拾っていたが。


金武火力発電所を後にし次に「金武観音寺」へ向かうことに。


8:47
金武火力発電所から発電所通りを走り国道329号(金武大通り)へ戻り、金武観音寺へ。
道路脇に大きな案内板、
「 ⇐ 金武観音寺 230m」、その下に「 ⇐ 観音寺のフクギ 230m」。
屋上の「海産物料理 居酒屋 金海」も気になったが!


8:50
金武観音寺の隣にある「 金武節歌碑 」。
所在地:沖縄県国頭郡金武町金武232
石碑には、
「金武節
  くばや金武くばに 竹や安富祖竹 やねや瀬良垣に 張りや恩納   古歌読み人知らず


金武節(ちんぶし)
くばは金武で取り 竹は安富祖で取り 瀬良垣では竹を細く削り 恩納でくは傘を仕上げた

読み人知らずの金武節は、琉球に関する古い文献から推察すると、十八世紀後半より古い時代
に生まれたと考えられる。
金武を出発し安富祖、瀬良垣、恩納までの道程をくば笠作りになぞらえて歌ったものである。
                          二〇○○年建立


チンブシ
クバヤ チン クバニ ダキヤ アフスダキ ヤニヤ シラカチニ ハイヤ ウンナ
沖縄だけに横文字でも記載。


金峯山 観音寺
所在地:沖縄県国頭郡金武町金武222
由緒ある木造の仏教寺院。16世紀に建立、境内には鍾乳洞と古い木がある。


山門の向い側に金峯山 観音寺駐車場がある。


駐車場と道路を挟んだ向かい側に金峯山 観音寺がある。


案内板には「金武観音寺・観音寺のフクギ」「金武鍾乳洞」。


門前に建つ掲示板には金峰山観音寺


山門を入り境内へ。


参道の左手には、彼岸花が咲いていた。


金武町指定文化財 金武観音寺のフクギ(オトキリソウ科)
 一、種 別  記念物
 一、指 定  平成三年十二月二十四日
 一、現在地  金武町字金武二二二番地
説 明
 フクギは推定樹齢約三五〇年、胸高円周ニ・八メートル樹高十ニメートルを有し、沖繩本島
 各地のフクギのなかでも希少な巨木と云われている。常緑の高木で風や潮害に強く、屋敷林
 として昔から沖縄各地で広く利用された樹種である。観音寺のフクギは幾年代の歳月を積み、
 強く根を張りどっしりとそびえ立つその樹影に寺社の長い歴史を見守り寺社の景観を創り、
 町民に愛郷の心を育む先人よりの遺産として親しまれている巨木である。 
注 意
 一、火災に気を付けましょう。
 一、木を傷付けないで下さい。
                          金武町教育委員会


参道の左側に「新沖縄観光名所 金武鍾乳洞大川 1964年1月 琉球新報社」と。


参道の両側にはフクギの巨木が聳え境内を鬱蒼としていた。


袈裟を羽織った「水子地蔵尊」。


宝珠、錫杖を持つ地蔵は?


参道を進むと正面に「金武観音寺の本堂」。
寺社建造物の多くが太平洋戦争で消失した沖縄県下で、戦前の古い建築様式が残る貴重な木造
建造物である。金武に派遣された米軍人が学者で、文化財として保護され奇跡的に難を逃れた。
現在の本堂は昭和11年に再建されたもので、当時をそのままに受け継いでいるもの。
沖縄独特の強い台風の雨風にさらされていたせいか、木造部分の痛みがとても激しいのだと。


屋根は神社と同じく赤瓦の建築様式で寺社に赤瓦は珍しいものであると。
そのためかネットで見ると「神社」と書き込んでいる人も!


当観音寺は、十六世紀に日秀上人によって創建されたが、現存する観音寺は、昭和十七年に
再建されたものであり、建築手法は近世社寺の手法が取り入れられている。 
沖縄県下の社寺建築の多くは今次大戦で焼失したが、幸い当観音寺は戦災を免れて今日に至っ
ており、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築である。
当観音寺は、昭和五十九年六月一日、有形文化財(建築物)に指定された。
                             金武町教育委員会


本堂の内陣
正面中央が聖観音菩薩(御本尊)、向かって左が阿弥陀如来、右が薬師如来。
左側には多くのお供え物が。


本堂前に、
金峯山 観音寺 本堂修繕及び境内地整備事業勘募のお願い
老朽化した本堂、仏像等の修繕を行います。
観音寺興隆のため、皆様のご支援ご協力を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
(事業内容) 本堂、仏像修繕、境内地整備
(勘募期間) 平成二十六年より最大十年間
(勘 募 金)    一口  三千円  (何口でも)
(勘募方法) 観音寺寺務所へご持参いただくか、金融機関へお振込(寺務所にて受付)
ご志納いただきました方には、お名前を記しとどめ、堂内に納めて永く祈念いたします。
                              金峯山観音寺住職
                              観音寺役員一同
                              観音寺修繕委員会


本堂の左側には建設中の寺務所であろうか。


屋根には沖繩特有の赤瓦が。
瓦もセメントで固め台風対策も万全であるようだが。


鬼瓦の如き、屋根を見ると神社?


本堂前には仮設の授与所であろうか。


境内の右側にあったのが「日秀洞」
開門時間 午前7時 ~ 午後4時
日秀洞内には、観音寺鎮守「金武権現(熊野三所権現)」と「水天」がお祀りされております。
日秀洞は観音寺境内地であり、聖地です。神仏を敬い、礼儀を守り拝観ください と。


旅友は既に石段を下っていた。
日秀洞は地下30m、長さ270mと言われており、戦時中は防空壕として使われ、多くの人々が
命を救われたのだと。


薄暗いので足元を注意しながら下り振り返る。


階段を降りると正面に祠。


祠をズームアップ。


当山鎮守  金武権現
高野山で修行を積んだ日秀上人は、熊野から観音様が住むと言われる浄土を目指して小舟に乗り、
金武の富蔵津(現在の福花)に漂着しました。
金武には補陀洛浄土を観じた日秀上人は、この土地にお寺を建て、(観音菩薩、阿弥陀如来、薬
師如来) を彫って奉安しました。
同じ頃、この鍾乳洞内に熊野三所権現を勧請し、金武権現宮を建立しました。
仏教の(観音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来)を本地とした熊野三所権現(事解男尊 伊勢冊尊 速
玉男尊)が合祀されております。

明治時代の神仏分離令発令後も、観音寺と金武権現は一体とみなされ、現在も神仏習合の姿を
残しております。当山鎮守として観音寺を護り、多くの人々の信仰を集めております。
                              金峯山 補陀洛院 観音寺


この鍾乳洞の奥は、以前は観音寺近くの蔵元「金武酒造」の泡盛の保管場所になっていたとの
ことで、泡盛を運ぶレールがあったと。


境内の隅に、金峯山 観音寺供養塔


本堂の右側から。


本堂の裏から本堂を望む。廻りにはフクギが聳える。


木の枝にはおみくじ。


参道を駐車場に向かって進む。


山門の奥に、金武火力発電所の煙突。


金武観音寺の右側にあった「征露(せいろ)記念碑」。
征露とは明治年間、日露戦役(1904年(明治37年)~ 1905年(明治38年))に関わる事。 


石碑には「明治四十三年・・・・・」とあり裏面であろう。


表側に廻るが苔むしていたが「征露記」と辛うじて読めた。


9:07
征露記念碑
最近の報道から、全国各地にある戦没者の墓碑、追悼碑は13回忌など法要に合わせて昭和30年
代に多く建立された。最近は遺族会の高齢化により管理が行き届かなくなっていることが問題
となっている」と。「行政は文化財と考え」その保存を考えるべきだと。
確かにここ沖縄にはいたるところに「玉砕地、自決」 等々の石碑があり、歴史を後世に伝える
ためにこれからどう保存するのか要検討ではなかろうか。



                                    ー 続く ー





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最終更新日  2022.11.08 08:17:19
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