おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

フリーページ

2023.02.18
XML
カテゴリ: 寒川町歴史散策
寒川神社神門の迎春ねぶたが2月23日(木)まで設置とのことで、古いおふだを返しに車で出か
けた。併せて今年は寒川町の寺社史蹟を巡るので、その手始めに寒川神社廻りを散策した。

2月1日(水) 11:40
JR相模線の踏切を渡ると、寒川神社一之鳥居。


一之鳥居横に建つ大きな「寒川神社表参道」の石碑。
寒川神社表参道は一方通行になっている。梅の花が開花していた。


JR相模線の「大門踏切」


寒川神社表参道を進むと、寒川神社二之鳥居。


寒川神社廻りには多くの駐車場があるがどこも「満車」で入庫待ち状態。
個人が運営している有料駐車場は正月は1,000円であったがこの時期は500円と割安に。
県道46号線沿いにある寒川神社第四駐車場は無料でスムーズに入庫できた。


第4駐車場から歩いて南下、寒川神社へ。
前方は、寒川神社第三駐車場 二輪車駐輪場で二輪車のお祓いを行っている。
寒川神社が運営する駐車場は無料でここは神社に近いので混雑していた。


まず古いおふだを返却に「南門」へ。


南門前に建つ狛犬(右側)


狛犬(左側)

南門を入ると社務所前に「おふだ納め所」。


正面には客殿
祈禱受付があり多くの人が訪れていた。


古いおふだを納めた後、寒川神社二之鳥居まで南下。
この鳥居は昭和41年(1966)完成、幅22.3mの鉄筋コンクリート製の神奈川県内最大級である。


寒川神社二之鳥居の北側にある「 目久尻川水管橋 」。


水管橋に付けられていた銘板には、
「横浜市水道局 目久尻川水管橋
   昭和39年1月竣工 三菱日本重工業株式会社 横浜造船所 製作」と。
三菱日本重工業株式会社とは、
戦後、旧三菱重工業の解体により1950年発足した東日本重工業(株)は1952年三菱日本重工業
(株)に社名変更、1964年(昭和39年)3社の合併により再び三菱重工業(株)となった。

水管橋には「限りある水を大切に! 横浜市水道局・横須賀市上下水道局」と。


水管橋下から目久尻川の上流側を望む。


目久尻川に架かる「端午橋(たんごばし)」


端午橋から下流側を望む、左前方には寒川神社二之鳥居、下流にも寒川浄水場からの水管橋。


端午橋の西側からの水管橋。


西側の欄干には「端午橋」。


端午橋の上流側に架かる、目久尻川水管橋。
横須賀水道共同施設「寒川取水事務所」で取り入れた水道原水を「小雀浄水場」へ送る導水管。
導水管は、支間長 38.5m、口径 200cm。橋上から見上げ口径は2メートルもあったか?


橋の東側に4基の新旧石碑群。


一番右の石碑には「◯明橋」と。


左側には「文字道祖神」。平成二年十二月建立の新しい石祠。


左側に寒川神社参集殿があり、右斜め方向に進むと寒川神社。
正面の三角地帯には「石燈籠(八方燈籠)」があり、春先には「八重紅枝垂桜」が咲く。


寒川神社手前にある、高野山真言宗 霊信山西善院。
寒川神社へはもう何度も参拝しているがここにお寺があることをGoogleマップで知る。


高野山真言宗 霊信山西善院 (さいぜんいん)
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山3925
本堂前の境内には二つの常夜燈が建っている。


入り母屋造りの本堂
弘誉法師が寛文11年(1671)に創建、貞誉法印が開山したと伝わる。
当院は寒川神社の供僧として、節分の際に神酒を供え、 1 6 11 月の8日祭、12月の不動仏供
を執行する役目がを担っていた。明治維新後の神仏分離令により当院は寒川神社から独立した。
本尊は阿弥陀如来坐像。


本堂の扁額「西善院」。


左右に木鼻があり、左側の木鼻。


木鼻 (左) をズームアップ。


本堂の正面には見事な彫刻。


本堂前の右側に「握手大師」像。
この握手大師と握手をすれば弘法大師と縁を結ぶとされる。


足もとには「握手をして弘法大師様と縁を結びましょう  南無大師遍照金剛」と。


木造地蔵菩薩及両童子立像
   (附胎内納入地蔵菩薩坐像)
  寒川町指定重要文化財第十三号
  昭和六十一年六月ニ十日指定
この立像は、寒川神社の別当寺であった薬王寺の本尊でした。
中尊は通常の尊容であり、脇侍として掌善、掌悪両童子を伴っています。
地蔵善薩の像容は右手に錫杖、左手に宝珠を持つ一般的な姿です。何度か改修されたようであ
り、中世から近世の作と思われます。
胎内に地蔵菩薩が納人されています。坐像で南北朝時代(1332~1356)の作と考えられます。
また、両童子は明和八年(1771)江戸時代の作です。
  像   高・・・中  尊   八十・五cm
          掌善童子   四十四・七cm
          掌悪童子   四十四・〇cm
          胎内納入像  十一・三cm
  品質・構造・・・地  蔵   寄木造・玉眼・漆箔 (新補)
          胎 内 仏    一木造・彫眼・彩色・金泥・文様入
 平成二十一年三月
                寒川町教育委員会


霊信山 西善院
御本尊  阿弥陀如来
宗 派  高野山真言宗
     立教開宗は大同ニ年(八〇七)
総本山  高野山金剛峯寺
     和歌山県伊那郡高野町
宗 祖  弘法大師 (空海)
     宝亀五年(七七四)六月十五日 香川県善通寺市で御誕生
     承和ニ年(八三五)三月二十一日 高野山奥之院に御入定
御法号  南無大師遍照金剛
教義と信仰
  宇宙のすべてのものは、大日如来のいのちの顕れであり、このいのちの世界をあらわして
  いるのが曼荼羅です。
  高野山真言宗の教えは、いのちの平等と尊厳をさとり、大日如来の智慧をこの世に実現す
  るために、生かせいのちを実践し、共存共生の世界をめざすことにあります。
  本宗の 御宝号念誦運動(ごほうごうねんじゅうんどう)は、弘法大師の共利衆生の精神に立
  って、すべてがいのちを共にしている社会の福祉をめざす具体的な活動です。
  弘法大師は、未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され、高野山奥之院に入定留身 
  されています。
  同行二人の信仰のもと 大師の御教えをこの世に生かし実現することが、私たちの努めで
  あり喜びです。


客殿入口にかわいいミッキーマウスの石像。


こうやくん
平成27年の高野山開創1200年に向け、平成の高野聖として「こうやくん」が誕生した。


本堂前の左横に、修行大師立像。
台座には「南無大師遍照金剛」。大師の姿は墨染の衣を裾短に着て檜笠をかぶりゴザ
を背負う特徴的な姿である。


本堂前から境内を望む。


境内の北側に「西善院大師堂」と六地蔵。


六地蔵


石碑には「西善院本堂・客殿・庫裡建設寄附者芳名」碑。
高額奉納者は、
壱千五百萬圓、壱千萬圓、五百萬圓、四百五拾萬圓、参百萬圓、弐百五拾萬圓は各一名、
弐百萬圓は十三名、・・・・・
低額でも、弐拾五萬圓が一名、弐拾萬圓が一名、壱拾萬圓が七名、参萬圓が一名と会社
  平成元年四月吉日


境内の山門右側に、移設されたのか歴史を感じる古い石仏・墓石が残されていた。


中央に、地蔵菩薩の梵字と立像
「享保十五庚戌年 (1730) 十二月廿日」と刻まれていた。


修行大師後方から山門を見る。


12:10
西善院を後にし寒川神社へ向かう。



                                     ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.03.04 17:23:11
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: