おじん0523のヒロ散歩

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2023.02.24
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カテゴリ: ヒロ散歩
引き続き、高砂緑地での梅まつりを楽しむ。

2月11日(土) 10:25
松籟庵の敷地内には約50本の梅の木があるが今年は開花が遅いのであろうか。


そんな中、一本の紅梅が場を盛り上げていた。


白梅は固いつぼみ。


開花にはまだ早かったので10日後ぐらいに再度訪れたい。


ポップコーン 1袋 100円で販売していたが割安感で長い列。


和太鼓の演奏会場
演奏は11時からで、その前に神輿甚句をやると。時間があるので高砂緑地内を散策することに。


赤とんぼの石碑と説明板
いつだったか説明板の下段に「石碑の赤とんぼの大きなお目々」を追加設置して、タウンニュ
ースで佐藤市長参加のもと、「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会の贈呈式の記事・写真が
記載されていた。     


上段に、
山田耕筰 作曲 赤とんぼの碑
山田耕筰は、大正15(1926)年に当時の茅ヶ崎町南湖に移り住んだ。昭和2(1927)年
1月29日には、のちに日本の歌百選にも選ばれた童謡「赤とんぼ」を作曲した。
その他にも、ここ茅ヶ崎の地で「この道」「あわて床屋」「砂山」など数々の名曲を
作曲し「童謡百曲集」を刊行した。そのあとがきには、「晴朗な湘南茅ヶ崎の大気」
「松翠香る茅ヶ崎の砂丘」と記している。まさに ”茅ヶ崎の穏やかな自然 砂丘にたわ
むれる愛児らと心ゆくまで過ごした家族愛あふれる豊かな時” が作曲意欲の源となっ
たのである。
明治・大正・昭和にかけて西洋音楽の創始者・開拓者として、日本の音楽文化発展に
絶大な功績を残し「日本音楽の父」と讃えられた。
昭和31(1956)年には、音楽家として初めて文化勲章を受章した。
            「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会 寄贈     
                             茅ヶ崎市
下段に、
「石碑の赤とんぼの大きなお目々」
あなたの好きな歌「日本一」に選ばれている『赤とんぼ』は茅ヶ崎で生まれた名曲です。
平和の世が続くように、石碑の裏水引『赤とんぼのお目々』に『なでると幸せになる』
よいう思いをこめました。
三世代 交流の歌 情緒を豊かにするこの歌にあなたの幸せを願い、あなたの愛に感謝
を込めて童謡「赤とんぼ」を大切にいたします。
   赤とんぼの歌詞
                「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会


石碑には、
『赤とんぼ作曲の街
  晴朗な湘南茅ヶ崎の大氣
        南湖の居にて
            山田耕筰 記』と。


石碑の裏面には、
『山田耕筰は茅ヶ崎に住み、赤とんぼをはじめ数々の名曲を生みました。
       平成28年6月 吉日
         山田耕筰と赤とんぼを愛する会』
   山田耕筰と赤とんぼを愛する会の多くの人の名前が刻まれている。


茅ヶ崎市美術館入口に紅梅が一本咲いていた。


見上げてズームアップ。


更にズームアップ。


美術館への途中に「八木重吉の歌碑」が建っている。


歌碑には、
「蟲(むし)
  蟲が鳴いても
  いま ないておかなければ
  もう駄目だというふうに鳴いてる
  しぜんと
  涙をさそわれる
             八木重吉」


八木重吉   1898年 ~ 1927年
八木重吉は明治31年東京府南多摩郡堺村(現町田市相原町)に生まれ神奈川県師範学校、東京
高等師範学校を卒業後、兵庫県御影師範学校、千葉県東葛飾中学校(現 東葛飾高等学校)で教
師をした。結核を患い茅ヶ崎の南湖院に入院の後、町内の十間坂(現 茅ヶ崎市共恵)で自宅療
養し、昭和2年10月26日、29歳で生涯を閉じた。茅ヶ崎に療養中、次のことばが「ノオト」
に記されていた。
   あの浪の音はいいなあ
       浜へ行きたいなあ
詩人八木重吉はその生涯に三千有余の詩を遺したと言われている。生前刊行した詩集に『秋
の瞳』がある。この記念碑の「蟲」は詩集『貧しき信徒』に収められている。
        2005年10月2日
           八木重吉の記念碑を建てる会


茅ヶ崎市美術館の左側にある、
「松籟荘」の玄関前庭と塀
昭和6年(1931)に建てられた、実業家・原安三郎の別荘である「松籟荘」の玄関前庭と塀。
タイルや敷石、噴水などが、当時の南ヨーロッパ風の近代別荘建築を今に伝えています。
                                 茅ヶ崎市教育委員会


玄関前庭と塀が現存している。


玄関先の噴水


何かの礎石であろうか?


藤沢土木事務所汐見台庁舎のなぎさギャラリーにあった別荘「松籟荘」。
別荘「松籟荘」の特徴的な部分を集め、85%に縮小して復元している。なお、松籟とは、松の
間を吹き抜ける風を意味していると。


白梅が開花し始めていた。


ズームアップ。


おしべが目立つ梅の花。


茅ヶ崎市美術館
所 在 地 :神奈川県茅ケ崎市東海岸北1丁目4-45
開館時間:10時から17時(入館は16時30分まで)
休 館 日 :月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日が休館)
入 館 料 :市内在住65歳以上 200円


茅ヶ崎市美術館


茅ヶ崎市美術館横から松籟荘の玄関先を見下ろす。


松籟荘の玄関先への道。右上には赤レンガの塀跡であろうか。


平塚らいてう記念碑


詩碑には「 元始、女性は太陽であった 真心の人であった
         一九九八年五月二十三日
           平塚らいてうを記念する会
           茅ヶ崎らいてう碑を建てる会

平塚らいてう (1886~1971)
東京に生まれ日本女子大学に学ぶ。1911年の青鞜創刊の辞「元始、女性は太陽であっ
た」は日本女性初の人間宣言として、後世につたわる。大正期に新婦人協会をおこし、
女性に禁じられていた政治への一歩をひらく。
第二次大戦後も女性解放、世界平和の初心を貫く。
生涯の伴侶奥村博史と南湖の地でめぐりあい、茅ヶ崎を「愛のふるさと」と偲んだ 
らいてうを想いこの碑を建立す 
                   一九九八年五月二三日


10:45
和太鼓の演奏開始は11時からでまだ時間があったので、皆さんが美味しそうに食べているとん汁
を食べることに。


とん汁 200円、ポップコーン 1袋100円のテントが並ぶ。
女の子は綿菓子 100円をもち、ポップコーンも購入。


とん汁 200円をオーダー


写真を撮りますと言ったらイースタ映えするようにと増量、色合いをつけるためにネギを追加。
薄味でしたが美味しくいただきました!


ポップコーンが1袋 100円と安価であるため長い列。


焼き鳥 1本 100円、美味しそうな香りが漂っていたが。


開演近くになり法被を着た人が集まっていた。


11:00
和太鼓の前に中海岸神輿保存会の「神輿甚句」のお披露目。
代表者から「今年は浜降祭が開催されるであろう」と。


後ろ姿だがマスクを装着して「神輿甚句」をお披露目していた。


背中には「中海岸神社」と。


神輿甚句に拍子をつけるために「カタカタ」と。


本来は神輿についている金具。


約7分の神輿甚句を終え「神輿甚句に興味のある方は入会して下さい」と。


神輿甚句の後は和太鼓が始まる。


幕越しに紅梅を望む。


和太鼓の後ろには横笛の演奏者。
法被には「中海岸祭囃子」と。


11:20
和太鼓の打ち手は交代で。



                                      ー 続く ー





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最終更新日  2023.02.24 03:00:07
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