おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

フリーページ

2023.03.27
XML
カテゴリ: 寒川町歴史散策
この日は13時から14時まで愛車のリンちゃんで散策。夜は、野球の新年会が寒川駅前で開催
されるので早めに自宅を出て寒川駅廻りを散策することに。

2月17日(金) 15:35
JR相模線北茅ヶ崎駅を東側より。


中華「のんち」
所在地:神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎844 小川アパート
JR北茅ヶ崎駅東側にある中華料理店で、いつもお客さんが行列をしている人気の店である。


ティクアウトメニュー


居酒屋もある。


JR相模線北茅ヶ崎駅舎。
飲み会は17時半からだが15:40発の橋本行きへ乗車。


15:49
寒川駅へ到着。
乗降客が少ないので自動改札機も2基。


この時間帯は「みどりの窓口」も開いている。


コンコースに「町案内図 寒川町観光協会」
左側:主な社寺・史蹟   既に訪れたところもあるが今回の散策で全てを訪れたい。
右側:主な公共施設


主な社寺・史蹟は、25箇所あるようだ。


寒川駅北口のタクシー乗り場。


寒川駅北口周辺案内図


寒川駅北口周辺案内図の「文化財」は、12箇所。
この案内を元に今後散策したい。


寒川駅の北側は、岡田一、二丁目。


駅前のロータリー沿いにある店だが人が歩いていない。


15:55
寒川駅北口のロータリー
建物は「JAさがみ 寒川支店」だが駅前にしては人通りが少ない。


寒川駅駅舎
駅舎は南北の連絡通路になっている。


こちらはコミュニティバス乗り場。
今夜の飲み会の会場はこの先の「天の魚 2F」。


寒川町観光協会
所在地:神奈川県高座郡寒川町岡田1丁目2-31A
寒川町の寺社史蹟巡りを行っているので、観光ガイドマップ等をいただく。


館内に入り許可を得て撮影。
館内には「大鎧」、「鎌倉本体の武士 梶原景時 ゆかりの地」の看板。
看板には、'22.7.10付の中村獅童のサインがあったがこの日はトークショーの日 
係の方に「昨年、鎌倉殿の13人で梶原景時役を演じた中村獅童のトークショーを申し
込んだが抽選漏れになった」と聞くと「私たちもとれなかった」と。
寒川町民が優先であったのかと・・・。


寒川神社のミニチャー御輿、右には「遠州新居手筒煙火」も飾られていた。


寒川駅北側の踏切。
飲み会まで1時間半あるので寒川駅の南側にある寺社史跡を歩いて巡ることに。
まず最初に「車地蔵」へ。


橋本行きの電車が通過。


車地蔵
所在地:神奈川県高座郡寒川町一之宮2丁目16
スマホの案内で「車地蔵」へトウチャコ。
寒川町一之宮車地蔵 (田端生往寺持) は、木像の地蔵尊を祀ったお堂です。
供車 (ともくるま) 地蔵とも言います。
「車地蔵沿革史」によれば、堂宇の建立は、慶長二年 (1597) 三月十五日、江戸初期に一之宮に
居住していた大森菊地泰次とその家老の秋元金平によると言います。秋元は、人びとの模範と
なるような忠臣でしたが、あいにく嗣子がありませんでした。そのためこのままでは家が衰微
すると察した主君の泰次は自らの長子、菊之丞を養子とし、併せて禄高の一部を分知してその
後継としました。このことで主君に対する金平の忠誠心は益々深まりましたが、泰次もその至
情を承け、安産子育地蔵尊を共に祀ったと言います。明治初年、堂宇の衰微により、本尊は日
向薬師(伊勢原市)へと移管されましたが、明治二十七年 (1894) 火災により焼失したそうで
す。昭和十一年 (1936)、後裔の霊夢を契機に堂宇の再建が企てられ、また本尊も再刻され
今日に至ります。


右側の、朽ち果てた石碑。


この場所に「宝篋印塔」があったようで、現在は田端生往寺へ遷している。
石碑に「金量院殿菩提 (菊地泰次妻)
    宝篋印塔
     コノ地ヨリ田端生往寺ヘ遷ズ
             平成三十年八月」と。


隙間から内陣を覗くが、いつも生花が供えられている。
講中奉納による前立の石の地蔵尊は江戸期のものである。
左:1715年 (正徳5年) 作、右:1665年 (寛文5年) 作。
毎月24日の縁日には、地蔵講中による奉仕が現在も続いていると。


車地蔵堂
この地蔵堂は、小田原城主大森実頼の孫菊地泰次 (田端生往寺開基) が慶長ニ年 (一五九七) 三月
建立し、安産子育地蔵を祀ったと伝えられている。
霊験あらたかな子育地蔵として江戸期には講を組織して参詣する人も多かった。 
                                                   寒川町教育委員会


車地蔵堂の西側から。次に訪ねるのは近くにある「南泉寺」へ。


16:25
真言宗 南泉寺
所在地:神奈川県高座郡寒川町一之宮1丁目23-1


山門前右側に「大師霊跡 南泉寺 
南無阿弥陀佛 」碑。


山門にかけられた「高野山真言宗」。


南泉寺 高野山真言宗 山王山・明王院・南泉寺
天正元年 (一五七三)、僧善清による開山、「村民五右衛門の先祖」による開基 (『新編相模国風
土記稿』、「社寺明細帳」より)。
本尊は不動明王。堂字に薬師堂 (現寒川町薬師会館)、天神社があった。
江戸初期より、十三仏信仰を奉持する檀家寺として、各檀徒の回忌法要を執行して来た。本堂
に十三体の十三仏像を祀置する。
境内には宝永六年 (一七〇九) の六地蔵像、明和五年 (一七六八) の宝篋塔、相模国八三番札所
を示す弘法大師石坐像、三界万霊墳、守護本尊八体仏、徳本行者足跡碑等の他、無宗派合祀供養
塔がある。


山門から本堂を望む。


本 堂


本堂の扁額「南泉寺」。


本堂前の「遍照金剛像」。


本堂前から石畳の境内の先に山門。


境内右手に様々な八体の仏像が名前入りで並ぶ。
右側から、「千手観世音菩薩」 「虚空蔵菩薩」 「文殊菩薩」 「普賢菩薩」 「勢至菩薩」
     「 大日如来」 「不動明王」 「阿弥陀如来」。


紅梅が綺麗に咲いていた。


山門の手前に「不動明王像」。


陽も下がり足長爺さんに。


境内の東側に「聖観世音菩薩」、背の低い「水子地蔵?」が並ぶ。


本堂手前左側には塔、宝篋印塔、六地蔵、大師堂が並ぶ。


聖観音菩薩像


明和五年 (一七六八) の宝篋印塔。


宝永六年 (一七〇九) の六地蔵像。


六地蔵の右側に「大師堂」があり堂内には弘法大師石坐像。
相模国準四国 第八十三番。


境内の南側に古い墓石等が並べられていた。
どれも歴史を感じさせる石塔類が移設されているのであろう。


本堂の裏に廻り「南泉寺歴代住職の墓」へ。


本堂裏の駐車場脇に、南泉寺歴代住職の墓があった。


本堂前に戻り本堂。


新しい六地蔵も。


無縁之霊の廻りには古い石仏が並んでいた。


16:35
南泉寺を後にし、まだ飲み会まで1時間ほどあるので次の場所へ進む。



                                     ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.03.27 03:00:07
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: