おじん0523のヒロ散歩

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2024.01.28
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カテゴリ: ヒロ散歩
松田町寄地区の ”龍王寺” から次の目的地 ”最明寺史跡公園” へ行くため県道710号線(神縄神山線)
を南下、国道246号の寄(やどりき)入口交差点角にあるセブンーイレブンで昼食を購入。

1月18日(木) 13:35
寄(やどりき)入口交差点から国道246号を西へ向かう。
交差点を渡ると秦野市から松田町に入る。


カーナビによると ”最明寺史跡公園” へのルートは二つあったが、 ”チェックメイト・カントリ
ークラブ” 
経由の道を選ぶ。


頭上の道路標識に 「最明寺史跡公園 → 7km」
信号のないT字路を右折。
入口にゴルフ場 ”チェックメイト・カントリークラブ”  の案内板があったか。


13:40
国道246号から九十九折の山道を登り東の方向が開けたので駐車。
途中ゴルフ帰りの方であろうか数台すれ違ったが道が狭かった。
東方向には ”大山”、”塔ノ沢” が見えていた。手前の山にはゴルフ場が連なる。 


大山から東方向をズームアップ。
手前には秦野市街地が広がる。


新東名高速道路の新秦野料金所から出、国道246号との立体交差をズームアップ。
右側は小田急小田原線が走る。


新東名高速道路の新秦野インタをズームアップ。
ゴルフ場は ”太平洋クラブ 相模コース” 。


サクラ並木の山道を登り ”チェックメイト・カントリークラブ”  入口へ。
ここのゴルフ場ではプレーをした事がないが山の上で眺望がよさそうであった。
目的地は左方向へ進み 「最明寺史跡公園 ← 入口 2km」


チェックメイト・カントリークラブ入口からの山道はフラットになり右側はゴルフ場。
西の方向を見ると頂上部に雲がかかった富士が見えていた。
眼下には酒匂川が流れ山北町が広がる。右側の山の上には電子機器メーカーの”トヤマ”。
富士が見え 「関東の富士見百景」 に指定されてもおかしくないビュースポットであるが。


富士をズームアップ。
右側に ”富士スピードウェイ” が見えていた。


道路脇に松明の台が十台近く並んでいた。
酒匂川の下流側を望む。


酒匂川の西側は南足柄市、足柄上郡の町、下流には小田原市街地。
足柄平野が見下ろせる絶景である。夜景も見事では。


酒匂川に架かる橋をズームアップ。
上流側から新十文字橋、十文字橋、小田急線の橋梁、更に下流に足柄大橋。
”まつだ桜まつり” 時には、新十文字橋の上下流は会場へのシャトルバス発着場になっている。


ゴルフ場沿いの道を振り返る。フェンス内はゴルフ場。


ゴルフ場のフェンス沿いに立って石碑。


松明の由来碑
所在地:神奈川県足柄上郡松田町
松明の由来は、松田城主と家臣が落城のときに農民が道案内に送り火を炊いたとか、害虫を山
頂に誘い五穀豊穣の祈りを捧げた等と伝えられていると。
右側の石碑には「寄附者芳名」が刻まれていた。
金額は金拾万円から。


松明の由来
松田庶子六夜会
石碑には松明の絵が刻まれていた。


石碑には
雲の峯が崩れ、夏も終わりに近づく頃、松田山の頂きに夜空を焦がして108体の松明
が灯される。いつの頃、誰れが、どういう理由で始めたかそれは定かではない。
松田城主と家臣が落城のとき、農民が道案内に送り火を炊いたとか。
害虫を山頂に集め、西郡 (今の足柄平野一帯) 四万石の五穀の豊穣を願う農民の素朴な
祈りが籠められていたとか。度重なる酒匂川の出水による犠牲者慰霊のためとか。
いづれにせよ108という数が仏教の108煩悩に関連し、八月二十六日の晩景に彩りを
添える。「六夜の松明」には、人々の心の奥にものの哀れを訴え茲にはおかないもの
があります。
私達は今日まで長い間に亘り、この美しき伝統を松田の誇りとして、・・・(以降略)


松明の由来碑からゴルフ場に沿って進み、杉林の中を下り最明寺史跡公園へ到着。

14:00
最明寺跡公園 (さいめいじしせきこうえん)?
所在地:神奈川県足柄上郡松田町松田庶子
最明寺史跡公園は人里離れた松田山山頂付近、海抜550mの地に広がる静謐な公園である。
アクセスは、
車で、東名高速道路「大井松田インタ」から約20分。
徒歩で、小田急線「新松田駅」、JR御殿場線「松田駅」より約2時間。


最明寺史跡公園 管理事務所
管理事務所は閉ざされていた。門前には公衆電話が設置されていた。


最明寺史跡公園 花マップ
ネットから引用


管理事務所前に貼られていた写真


クマが目撃されました!
令和3年12月に松田山において、熊の目撃情報が複数、寄せられています。
クマに出会わないために
 ① 廃棄野菜や廃棄果実を野外に放置しないようにしましょう。
 ② クマ除け鈴、ラジオなど音の出るものを携帯しましょう。
クマと遭遇してしまったら・・・
 ① 刺激しないように、慌てないで静かに立ち去りましょう。
 ② クマから目を離さず、ゆっくりと後ずさりしましょう。
 ③ 走って逃げない(クマは逃げるものを追いかける習性があります)。
       松田町役場 観光経済課 ☎ 0465 (83) 1228
この日は平日で人影もなく静寂であったので🐻除け鈴をリュックに付け散策することに。


山の斜面に何か構造物が。


からさわ古窯跡群
古代瓦焼窯跡
これは、今から千二百年位前(奈良時代)の屋根瓦を焼いた松田町庶子にあった、”からさわのの
ぼり窯”です。
昭和四十三年東名高速道路新設工事の際発見されましたが、再び五十七年より、上り三車線の
高速道路拡張工事のため取りこわされることになりました。こののぼり窯は町の指定文化財で
あるので再調査したところ四基発掘されました。神奈川県内でも大変珍しいのぼり窯であり永
く保存したいという願いから道路公団の協力を得て第三号窯を移築したものです。
一番下の所は焚口で燃料を燃やすところです(おそらく松の木が多く使われたと思われます)。
奥の方は階段になっていて、九段あり、そこに瓦を置いて焼いたわけです。中央の天井の部分
は、自然にくずれ落ちたものですが、中が見えるように修復はいたしません。一番上には穴が
あり煙突の役目を果たしたと思われます。全体の長さは約七メートル幅は約二メートルです。
のぼっていく角度は四十五度位あります。窯の規模からして一回に屋根瓦を百五十枚から二百
枚位は焼くことが出来たと思われます。この窯跡から発見された瓦と同じ瓦がここから約八キ
ロメートル離れた小田原市千代の奈良時代に建てられたという廃寺の跡から発見されているの
で、その寺をつくる時の屋根瓦をからさわで焼いたことがわかります。運搬するには舟で酒匂
川を利用したと思われます。   
発掘された遺物は松田町教育委員会に保存されています。
   昭和六十二年八月   松田町教育委員会
              東海自動車道改築
              松田町内遺跡調査会


一番下の焚口


窯の全体の長さは約七メートル、幅は約二メートルで、のぼっていく角度は四十五度位ある。


最明寺史跡公園案内図
■ 最明寺跡
  人里はなれた山中で、密教の奥義を追求した真言宗の名刹として、鎌倉時代の承久三年(西
  暦1221年) 松田郷を治めていた大庭平太景義がこの地に招いた源延という僧侶が、現在地
  に建立したものである(当時は西明寺)。
  その後、文明元年(西暦1469年) となりの大井町金子に移転しており(現最明寺)なぜ移転し
  たかなど謎も多い。
  毎年4月10日には、庶子地区の信徒により「施餓鬼会(せがきえ)」(供養の行事) が盛大に
  行なわれ、極めて仏縁の深い地である。


最明寺史跡公園
この日は誰もいなかったが、春には色とりどりの花が咲き乱れ桃源郷のようであり、池の周り
はサクラの木に囲まれ、水面を草花や樹木が彩る場である。


現在は落葉していたが、毎年4月上旬になると「ソメイヨシノ」や「花桃」などたくさんの春の
花が咲き乱れる、知る人ぞ知る花見の名所であると。


野鳥がさえずる散策路を歩き池をひとめぐりすれば、心が解き放たれるような不思議さを覚え
ます。斜面を上がって行くと富士山や相模湾も見渡せますと。


池の左側の一段高いところに石碑が建っていた。


広場の隅に木柱が立っていた。


池の周りにはいろんなサクラがありまた訪れたい地である。


木柱には「最明寺護摩堂跡」。


四阿の下に石碑。
法要の営まれる4月はサクラが見頃を迎え、毎年4月10日に「最明寺例祭」が行われる。


最 (西) 明寺跡の由来
伊豆山の別当浄蓮上人源延は、夢のお告げを受け、信州善光寺の一光三尊善光寺如来の尊像を
模写して越前の仏師海縄にたのんで金銅の仏像を鋳造して承久三年(1221)松田の郷庶子山に安
置し、寺を西明寺といった。
源延は源頼朝の重臣加藤左衛門尉実長斎といい、出家して、天台の澄憲の門に学び、のちに
伊豆山の別当となって活躍した。第二位覚阿上人円浄の時に最明寺入道北条時頼は、善光寺
如来を深く信仰し、寺領一千五百石を寄進したので、この時寺門は隆盛であったと伝える。
応仁・文明の戦乱のため、最明寺は次第に衰えた。文明年間、鎌倉八正寺宮尊賢親王は、弟子
の賢昌を住持として寺の復興を計ったが、山道険しく、人ともに困難であるため、寺を金子の
郷に移した。
庶子山西明寺の田地は、庶子村の信徒にまもられ、数百年の間、毎年四月十日の 施餓鬼会と
善光寺如来の戸ごとの巡行供養が行われてきた。
その後、松田町庶子戸主会、現在の庶子自治会が継承して昭和の今日に至っている。
    昭和六十三年十月吉日
        松田町教育委員会

一段高いところに石仏が並んでいた。


正面からズームアップ。


池の西側奥には 「鐘楼跡」 があるのだが誰もいないので今回はスルー。


池の周りにはいろんなサクラが植えられており「鬱金 (うこん)」と。


池の西側から管理事務所を望む。


登山道入口に建つ説明板には ”松田町地域水源林整備事業”
神奈川県全体の水源となっている酒匂川水域を保全するため、その上流域に位置する松田町
松田惣領・松田庶子地区及び寄地区の町有林を整備しました。
当町の将来目指す人工林の姿は、神奈川県の進めている「かながわ森林再生50年構想」との
足並みをそろえながら、林道等から近い森林については木材循環を考慮した健全な人工林に、
林道等から遠い森林については、針広混交林へ導いていきます。
また、広葉樹林については、地域特性を活かし、里山の再生をめざした森林の整備を実施して
いきます。


松田町寄自然休養村案内板
松田町ではこの案内板がいたるところで立っている。


ヤマビル注意の看板
ヤマビルには毒はありませんが、血が止まりにくくなることがあります。
塩や虫除けスプレーなどで対策をしましょう。
                         松田町観光経済課


右上に上っていくと先程行った 「田代橋」 へと至る。


池の水は渇水期に。


早咲きのサクラが一部咲いていた。


ズームアップ。


更にズームアップするがサクラの名は。河津桜であろうか。


名札があったが「 ○○桜」


蕾が膨らんでいた。


2月にはいろんな花が咲くのではと思いながら。


14:15
春の花が咲く時期に再度訪れたいものです。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2024.01.28 03:00:08
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