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芥川龍之介の「奉教人の死」最後にどんてん返しがある。眠るように死んだ奉教人(教徒)の胸がはだけた時周囲は驚きの声を挙げた。芥川はこの短編を通して、今で言う「性同一性障害」を扱ったと思う。体と心の性が違うという信じがたい生き辛さを抱えてもボクは信じる、神がそれをゆるされた限り。託されたものがあること。そこにも命の力と、よろこびがあふれるものがきっとある。体の性を心の性に合わせるとしてもそのままを生きるとしてもがんばれるんだよ。----------- 「わたしは心に苦痛を抱きながら すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。 主が近くにいてくだされば、 人々は生き続けます。 わたしの霊も絶えず生かしてください。 わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。」 イザヤ書38章16ー17
2005年10月31日
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今日は宣教師の卵である夫婦が、礼拝を訪問してくださいました。教団の仲間です。ご主人はナイジェリア人、少年のように人なつこい。2度目なのですが、この度は「一粒種」の坊やを連れています。坊やをだっこした2人が仲良く講壇に立って。20分差し上げましたら、きちんと時間を守ってくださり、ボクがメッセージする時間も残っていました(微笑)ここの教会は、リラックス出来るそうです。礼拝の後も、楽しいお茶会でした。お別れは、つらいモノ。
2005年10月30日
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昨日は「異邦人」で有名な久米小百合さんのコンサートを行いました。デビュー名は久保田早紀さん。彼女はもう「異邦人」を歌いたくないのです。でも皆さんはそれを期待して来られます。今回もこの曲がぜひ歌われるように、交渉したと言うことです。彼女はゴスペル歌手となりました。讃美歌、聖歌、自作、他作のゴスペルの弾き語りで進み、時には会場の皆さんと一緒に歌い、アンコールで「異邦人」が1番だけ披露されると、会場の雰囲気が一変します。三島市民文化会館小ホールは、350席が満席となりました。「異邦人」を目当てにして来られた皆さんが、それぞれの教会で、キリスト様に結ばれますように!
2005年10月29日
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今週は北伊豆から、富士山に向かって走りました。目的地はお山の遙か彼方、埼玉県秩父市です。奥秩父主稜の背骨を雁坂トンネルで抜けますこの夏、念願かなって初めて峠越えをした時には、難路走行を覚悟したのですが整備が行き届いた道路に感動しました。奥秩父の深い谷と森林美を見ながらの道行き。埼玉県側に抜けると、荒川源流の幽谷、道も急となります。この上には雁坂嶺、破風山、甲武信岳と辿る主稜縦走路があるのです。若い頃、山靴を履いてこのあたりをさすらいました。大滝村は荒川源流の最奥の部落やがて道は秩父市にまもなく至ります。秩父はなだらかな山に囲まれた美しい町町の灯も穏やかな町
2005年10月28日
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牧師たちの集まりに行きました。2泊3日です。「終わりの集い」で、病気のために教会を引退した牧師さんが、お話をしました。下記のようなお話が印象に残りました。「ボクたちは弱い羊でいいのです。いつかは狼のように強くなるぞ、なんて思わないで下さい。キリスト様がいつも一緒にいて下さることを、一番の喜びとしましょう。それなら病気にふせっていても喜べるようになります。」お話が終わってから、「皆さんは、これからそれぞれの任地に帰ります。働きのこと、その結果のことを神様にお任せ出来ますか?その決意が出来た人は、前に進み出て、お祈りをして下さい。」その牧師さんが、柔和なお顔で優しく皆さんを招くと、そこにいた全員が前に出てしまい、席の方は空になってしまいました。 ボクも前に出ましたが、「写真係」をしていたことを思い出し、後ろに回ってその様子を撮りました。
2005年10月27日
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「瀧廉太郎全曲集」というCDを手に入れた。「春のうららの隅田川」と始まる「花」「荒城の月」「箱根八里」などが有名。しかしこれだけではない。2枚組を聞き通して、他にもある歌曲のみずみずしい抒情に心打たれた。彼は明治12年生まれ。ドイツ留学、ライプツイヒ音楽大学に入学するも、すぐに風邪をこじらせ(結核)帰国、そのまま故郷で24歳の誕生日を待たずして夭折。故郷・大分市に彼の像が建ち、「人生は短し、芸術は長し」と刻まれているという。現存する作品はCD2枚に納まってしまうほど少ない。2枚のCDに、ピアノ曲がそれぞれ1曲ずつ入っている。2枚目には「憾(うらみ)」という題を持つ、ごく短い曲が。ショパンの「バルカローレ」のような感じ。ショパンのそれよりも単純で澄みきって美しい。
2005年10月25日
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昨日、教会にギデオンマンが来られました。ホテルや学校に聖書を無料配布している団体です。近所の教会から見えた顔見知りの二人。礼拝の後、一人がギデオン協会沼津支部の働きの紹介、献金のお願い、そして会員の募集もう一人が、信仰の体験談をなさいました。糖尿病を悪化させ、3日間、死の淵をさまよった生きて目覚め、自分の不養生を反省、神様に感謝し、リハビリ代わりに力仕事に励んでいる・・・・ボクよりちょっと年上かと思われるギデオンマンの証詞にみなさん目頭を熱くし、聞いておられました。
2005年10月24日
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「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」ヨハネの手紙三------------------長老ヨハネの、弟子ガイオへの言葉今日はこの聖書の箇所をメッセージした。どんなに心をこめて語っても語り足りない特愛の聖句だもの
2005年10月23日
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ああまだ8時か・・・・床に着けるのは何時になるだろうやるべき事を早くやってしまわねばとつぶやきながら、ブログをやめない恋しいなぁ寝床
2005年10月22日
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「私にも思想信教の自由が、憲法で保証されているはずだ」テレビで小泉首相の国会答弁を見ていて、思わずうなってしまった。これが小泉首相だぁ、と。ポケットから、お金(?)を無造作に出して、賽銭箱に投げ入れる、それをテレビが映し出す。こんなことまで、写されなければならないのか!
2005年10月22日
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この町の教会婦人たちが集まり、超教派の実行委員会を作りホテルやイベント会場で「レディースアワー」を開催してきました。今年は19回(19年目)を迎え、当地の文化会館で来週の金曜に行います。ゲストは「異邦人」を歌ってヒットした久米小百合(久保田早紀)さん355席のチケットを完売したとの知らせ。すごいぞ!婦人たちのパワーを讃えます。
2005年10月21日
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きのうは「離婚」というドラマを見た。ボクが笑えないところで妻はくすくす笑うドラマの途中、妻は何かを口に出した正確な言葉を捉えられなかったのは不意な言葉に、ちょっと気が動転したのだろう「愛されていることを感じていれば 私ならどんなことでも耐えられる」こんな意味の言葉だったような気がする
2005年10月21日
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教団事務所に行き、学生たちや同労者たちと一日過ごしました。牧師の卵たちと過ごすのは、楽しい。彼らの純真さ、素直さに感動し、ボクも若返ります。牧師仲間と過ごすのも楽しい。自分が学生の頃、教わった先生、一緒に寮生活をした仲間。最後まで残った友と事務所を後にし、秋葉原駅でさよならしました。
2005年10月20日
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正直に言って下さる人あなたは「確かさ」を身につけています。結局それが一番なのですね。こちらは、正直になれない自分。ついお上手が口から出てしまう。やさしさ、ですって?いえ、悪者になりたくないと言うこと。そんな付き合いでは、お互い成長しないね。
2005年10月19日
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皆さんとの昼食の時、側にいたかたに「ボクのブログ読んでくれていますか」と尋ねた。「読んでいません。閑がないし、 面と向かってお話ししているから」
2005年10月18日
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今日は月曜日でしたが、小さな結婚式を行いました。今日のために、何度かの準備会をしました。キリスト教式の結婚式とは何か、聖書的な夫婦像は。きれいごとの儀式に終わらせないために。新婦は幼い頃からの、日曜学校の生徒でした。やさしい旦那様を捕まえてきたようです。式中、短いメッセージを語るのですが、結婚式のメッセージは超・苦手です。自分のことを棚に上げなければ、語れませんので。
2005年10月17日
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早めの夕食は、解凍したカレーを頂きました。それから、夜の礼拝までの空き時間に、録画しておいた「魔笛」を見ました。いつもはCDカセットで聴きます。(寝ながら)映像と一緒に聴くと、「なぁんだ、こんな場面だったのか」イメージがずいぶん違います。モーツアルト特有の美しいメロディーの連続、今日は、妻も付き合ってくれたので、格別楽しい。妻はあれこれ筋を聞いてきますが、ボクにもよくわからない「夜の女王」っていい人のようだが、悪い人のようでもある。タミーノが笛を吹く、コノ場面が待ち遠しいんだ。パパゲーノが、ちゃんちゃんと鈴を鳴らす、チャーミングこの上もない。第1幕が無事終わったので、「今日はここまで」「なぁに、まだ半分だったの?」 (今日はソネット調に14行で書きました)
2005年10月16日
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今日は曇り空から始まったいつものように起きた妻とお祈りをして妻は犬の散歩に行きボクは目玉焼きを作り食パンをトースターにかけるここまではいつもと同じここからも、いつものように同じ日が繰り返されるかも知れない非日常的な出来事があるいは待っているかも知れないすべては神の みゆるしによるそれを思えばただ静かに歩みたいと願う
2005年10月15日
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人には精一杯生きたようには見えなくてもボクなりに考えながら、一日を生きました今日という日よキミをなつかしむキミは消えていくんだねどうもありがとねそしてボクのような者にも明日はきっと訪れようとしている神の恵みによってもう一度もう一度目覚めと共に新しく生き直す機会が与えられる感謝だ
2005年10月14日
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邦訳聖書で4頁弱。ごく短い書でありながら、物語として筋が通された印象的な「ヨナ書」歴史的に定まった解釈はあるのだが、それにしてもしっくりこない部分がある。今朝ヨナ書を読んでいて、ヨナは「多重人格者」だったのかも知れないと、ふと考えた。ヨナの霊性の深さは、心にとどまる。さすがに預言者といえる。2:7 「わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。 しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。 2:8 息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。 わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。 (ヨナの祈りから)しかしどうにも制御不可能なほど怒りっぽい。 「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 4:9「怒りのあまり死にたいくらいです。」心に傷を持った人をも、御用のために召し出して下さると考えたい。聖書の時代でなくて現代にも、精神的な病を抱えながらも、神様のご用に邁進している牧者、伝道者がおられる。ボクも確かにその中の一人だ。
2005年10月14日
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この陽気にまた半袖に着替えてしまったボクは半袖が好き半袖で過ごせる季節が好ききのうは半袖に着替えて熱海まで電車で往復した半袖の人は10人に一人もいなかった伊豆山方面にバスで登った山の夕方は、さすがに涼しかった
2005年10月13日
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弟に伝道をしたいので一緒に行って欲しいと頼まれ伊豆・韮山の旧家に出かけました。座敷に座ってお話に耳を傾けていました。家のかたが、真っ白なおにぎりをお皿に盛って、歓迎してくださいました。するとハエが飛んできました。1匹、また1匹ボクは手でハエを払っていました。ハエはお構いなく飛んできて、おにぎりの上に止まります。それを見ていた家のかたが「町の人は、ハエがたかったものは 食べられませんでしょ?」ボクがハエを追うのを止めるととうとう、真っ白なおにぎりが、ハエで真っ黒になりました。ボクは心でお祈りしました。「神様、どうぞお腹が痛くなりませんように」若い頃の思い出です。
2005年10月12日
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先日の上京の折、用事を終えた空き時間に、友人の家を訪ねました。高校時代の、1級上の文芸部の先輩です。心に刻まれている住所を目当てに、昔たどった道を、思い出しながら歩きました。若き日、勉強を教わりに、また詩や小説の話を交わしに、たまには宗教のお話、2人で、もそもそやっていると、お母様がお食事を出して下さるのです。彼は大学の哲学科を出、仏教思想を学んだようでした。いつまでも慈愛に満ちた兄のような心の援助者でいてくれました。たしかこの交差点だった。ここを左折して、2番目の路地を曲がるんだった。あとは、1軒1軒ていねいに表札を見ながら行くと見つかりました。呼び鈴を押します。無事に会えて、30分ぐらいお話しできました。こうして言葉を交わせば、何もかも昔のまま時の流れなんて、何ほどのものでもありません。
2005年10月11日
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洗礼を受けた出身教会を「母教会」と言います。昨日は母教会のお招きを受けました。こんな者をお招き下さるやさしさを感じながら教会が新しくなって2度目の訪問です。家がひしめき並ぶ下町の、狭い敷地に、よく考えられて設計されているなと改めて、感じました。コンパクトながら、美しい教会です。感謝の心を込めてお話しさせて頂きました。現牧師は、ボクを育ててくださった牧師先生の息子さんです。若い頃は、一緒に青年会活動をしていました。2人とも、一人前になったな。え~と、ボクの場合は、妻と2人で一人前でした。まてよ、彼もきっとそうかな?
2005年10月10日
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ボクもネット生活が結構長いので色々なところで、バトルに出合っている概して言葉尻の「揚げ足取り」の応酬になっていることが多い最初はバカにしたような態度で始まった応酬が見守っていると、お互いの知識の深さに気づいて謙虚さが滲んでくるようになっているそんなバトルに出合って、脱帽した経験が一度だけあった
2005年10月08日
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詩を書いていた時のように書き直す癖があります。日記を書いてアップロードした直後にもう書き直しが始まります。大概は、余分なことを書きすぎていることに気づきます。
2005年10月07日
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「キミはおめでたい人間だねぇ」こう言われてきたのです。「過ちを指摘されて、にやにやしてるのは、どうしてだ?」こうも言われました。ふっと気づいたら、誉められている自分を想像していました。自分の顔が上気しているのがわかります。
2005年10月06日
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旧約聖書の中のこの短い書のことは、きっと以前の日記にも、一度ならず書いたことがあるような気がします。でももう忘れています。神様のイスラエルへの愛が激しく切々と語られています。ハイネのように(主よ、こんな書き方をおゆるし下さい)愛するからこそ、お前たちをさばく。裁きの烈しさ、愛の強さが相まっている、この書の烈しさに、読む人は衝撃を受けるでしょう。クリスチャンたちは、もちろん、自分たちをイスラエルになぞらえて読ませていただきます。罪を離れて、神に帰る大切を学びます。所で、神様の御愛とは直接関係がないのですが、今朝、この書を通読していて、下のような聖句にぶつかりました。「死よ、お前の呪いはどこにあるのか。 陰府よ、お前の滅びはどこにあるのか。」13:14これは、使徒パウロがコリント人への手紙一の中に引用している有名な言葉です。使徒もホセア書を精読していることがわかり感動しました。
2005年10月05日
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昨晩床に入って、病院のチャプレン(病院付牧師)をしていた友人のことを考えていた。すると自分が近所の大きな病院のチャプレンになった夢を見た。病院には、自分の名札が貼ってあった部屋があった。しかし1日も出勤していない。名前だけを貼って欲しいと思う、ボクらしい夢だった。
2005年10月04日
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おかしいよ~NHK朝の連ドラ「ファイト」が大好きだった馬と少女の物語優ちゃん、清楚で輝いていたあらすじも、過剰を押さえ、自然に流れていたと思うもう優ちゃんとは会えないのかな!
2005年10月03日
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「わが子よ、私はもはやこの世の何ものにも、喜びを感じなくなりました。(中略)私はこの世では何も望んでいないからです。ただ一つのことのため、この世のなおしばらく長らえたいと願っていましたのは、死ぬ前に、真正のキリスト者としてのお前を見ることでした。」モニカ・56歳/アウグスチヌス・33歳 (アウグスチヌス「母モニカ」新教出版社より)
2005年10月03日
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「長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。」To the dear Lady and to her children (TEV) ヨハネの手紙二 1節----------------「婦人」の原語はギリシャ語で「キュリア」「婦人」とか「主婦」と翻訳している。翻訳によっては、「キュリア」をそのまま固有名詞とするものもある。代々の教会は、この「婦人」は「教会」を指すと解釈して来た。教会が「婦人」なのは、「父である神」に対して「母なる教会」という意味を込めているのではないだろうか。教会は母の懐のように、やさしく、慰めに満ち愛に満ちているところであるべきだ。また来るべきキリストの再臨の時には教会は「キリストの花嫁」とされるから女性形になっていると言えよう。
2005年10月02日
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「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」ローマ人への手紙13章12ー14節(口語訳聖書)-----------------------アウグスチヌスが教会に帰ることを決心した言葉だと言われている。彼は、母モニカの願いに反して、教会から離れ、放蕩の生活をした。17歳で同棲していた女性との間に子をもうけている。当時の新興宗教や、哲学に凝ってみたが、真の安らぎには至らなかった。そして、聖書を取り、上の言葉に出会った。彼は自分の生活を回想した書物の始めに書いている。「あなたは私たちをあなたの方に向けてお造りになりました。そして私たちの心は、あなたの内に憩いを見いだす日まで、不安なのです。」
2005年10月01日
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