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Bさん! キミはAさんのようでないことを、悲しまなくていいんだよ。Bさん、キミはステキだよ。Aさんもステキだけど・・・・・Bさん、キミも世界でたった一人しかいないんだよ。Bさんに似ている人はほかにもいるかも知れないけれど。キミの両親の胎を借りて、神様がキミを作ったんだ。神様がキミをこの世に送ったのは、神様の特別なお考えなんだよ。だから、きっと輝けるんだ。きっと幸せが準備されているんだ。
2004年01月31日
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人生というサイコロの目が、2が出ても3が出ても朗らかに生きられれば、それでよい。
2004年01月30日
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ボクに「ディジェリドゥー」を吹く歓びを教えて下さった友だちが、HPを開きました。これは読ませる予感が・・・・http://plaza.rakuten.co.jp/?user_id=5258986 ディジェリドゥーはオーストラリアの先住民アボリジニの楽器だそうです。遙か、アボリジニを思いながら、悠々と吹くのだ。ボクには、ストレス解消にいいことがわかった。家内が言った、「あなた○○よ」ボクはあわててディジェリドゥーを吹きに行った。
2004年01月29日
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人生はミッションスクールだと思われる。学費は、結構かかる。
2004年01月28日
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国道、右折レーンなし前方赤、対向車停止右からも左からも侵入車なし警察官おらず急いで右折ボクの前に止まっていたダンプです
2004年01月26日
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1友だち(牧師)が楽器を自作している。海岸に流れ着いた木の端くれを磨いて打楽器にする。裏山の竹を伐って「尺八」を作る。細い竹を横につなげて「パンの笛」。タヌキの死骸を見つけてきて、皮を剥いで太鼓を作ったと。オカリナもたくさん作っている。石でもステキな楽器を作るらしい。息子に言わせると、「あの人は何からでも、音を出せる」 2その日も、楽器を、次から次へと出してきて見せてくれたが、最後に、象の鼻のように長い楽器を出してきた。「ディジェリドゥー」という名前だそうです。オーストラリア、アボリジニの民族楽器。もちろん彼が作った。聴くと、地底からわき起こってくるような低音・・・・思わず、感嘆の声を上げた。「もう1本あるよ」と出してきて、「これきみにやるよ」え~~っそんなに大切なものをいただけるの! 3家に持ち帰って、懸命に練習、どうしても音が出ない。しかし次の日、音を出せるようになって、さっそく娘に披露した。「豚がおならをしているような、そんな音じゃなかったよ!」
2004年01月25日
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ボクには「忘れる」というたまものがある。しかし老人病院におられるKさんは、もっと豊かだ。讃美歌をご一緒に歌う。もう一つ歌いましょうか?と聞くと、また同じ歌を選ばれるのだ。
2004年01月24日
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奥様がわが教会にお出でになりたいと言うことで、ご主人が御挨拶に来られました。お話しているうちに、ご主人が昔、神様から与えられた数々の恵みを話し始められた。泉が涌き出すように、話は尽きなかった。ボクはあやうく涙をこぼすところだった。
2004年01月23日
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家中をがたがたさせている音で目覚めこんなひどい季節風は滅多にない。冬将軍は健在だった。犬と外に出る。両側から、軒先のトタンが鳴る、カラカラとモノが転がる音、空はゴーゴーと鳴っている。耳をふさいで走り抜けたい。「父さん、そこに魔王がいるよ」と歌いたい心境だ。ただ薄青色の空は、心安らぐ。
2004年01月22日
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韓国に行った時、ボクたちのお世話をしてくださった、温厚そうな青年がいた。ボクたちはその青年が大好きになった。教会の礼拝に出席。司会者が「とんそんきとはせよ」(ご一緒にお祈りしましょう)と合図。あちこちから熱心な祈りの声が巻き起こった。出席者全員が、思い思いに声を出して祈りはじめた。くだんの穏和な青年の形相は一変し「ちゅよ~~(主よ~)」と叫んでいる。ボクは感動した。そうかぁ、烈しさは、人にではなく、神に向けられるべきものだ。
2004年01月21日
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定年って65歳ですか? って聞いて見た。「いや、もっと下ですよ」と答えて下さった。じゃあ、60歳ですね。「いや、もっと・・・・最近はぁ」えっ、もっと下? ですかっ?じゃ、57くらいですかっ「ええ、だいたい・・・・そのくらい・・・・かなぁ」申し訳なさそうに言ってくださった。ボクなら、もうすぐそこに迫っている。もう、そんな歳になったのか。
2004年01月20日
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これを創った彼は友人たちを集めて歌って聴かせたという。これを歌えるなんて、シューベルトの歌唱力も相当なもんだ。初めて友人に披露する・・・・目に涙を浮かべながら、歌ったに違いない。友人たちは、この歌の暗い雰囲気に圧倒されたという。ショーバーは、「気に入ったのは、菩提樹だけだ」と言ったと伝えられている。当の本人は、この歌曲集が自分の歌の中で「一番好き」と言った。ボクも以前、娘に伴奏させて歌おうとした。第1曲・おやすみ、第5・菩提樹、第11・春の夢、終曲・辻音楽師、などを。この曲をかけながらディスクワークをしていると、心が落ち着く。
2004年01月19日
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キリスト教は「契約の宗教」といわれ、神と人がお互いに契約を交わします。「新約」とは、人間の罪を神の御子イエスに肩代わりさせて、イエスを十字架に釘づけ、イエスを心に受け入れるものに、救いの約束を与えるというものです。自分の子を十字架に釘づけるという、神が取られた方法は、何と烈しいものでしょう。十字架の上から流れるイエスの血は、神の涙に見えます。それは愛の涙です。愛の烈しさは驚くばかりです。神(父)に従うイエスの決意も、その父のように烈しいものではないでしょうか。愛なしに、その行動を理解することはできません。
2004年01月18日
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夜、仕事から上がってきた息子が、隣町に送ってと言う。「父さんの運転、遅いね~」「歳だからぁ、緊急事態にとっさに対応できないからゆっくり走るのよ」「若い頃から、遅かったよ」「そうか、性格だな、何事ものんびり・・・」「きっと、長生きするね、たばこも酒もやらないしね」なぜか、寿命から、「死」の話に発展「だれでも死ぬって考えると、怖いね」「愛してくださる神様の元へ行くんだから、そんなに怖くないと思うよ」「そう考えれば、いいよね」
2004年01月17日
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知人が50歳代の始まりの頃、奥さんが入院なさった。ご主人が、家に帰って、「ただいま」といっても、返事がない、その寂しさは、たとえようもなかった、という。そのあとに彼はこう語ったのです。「聖書の中に『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(ルカ10:27 新共同訳聖書より)とあります。どうして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という言葉が付いているか、わかりました。」
2004年01月16日
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「たくさんの男性を夢中にさせました。自殺させてしまったことさえありました」とその女性は語りました。「でも40歳を過ぎたら、だれにも振り向かれなくなりました」思わずそのかたの顔を見つめてしまいました。
2004年01月15日
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日課の聖書を読み終わって、お祈りをしようと目をつぶる。もっと関わらねばならない人達の顔が、走馬燈のように、瞼の奥の暗闇を駆けめぐる。問題は、それらのお顔が、お祈りを終わってパソコンのスイッチを入れると同時に、いつの間にか、消え去っていること。今日の一日、神様の前で、畏れの心を忘れずに過ごしたい。7:15am
2004年01月13日
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相撲はいいスポーツですね。土俵の中で暴れまくる!土俵を出ては、何をしても空しい。物事にも「土俵」というものがあります。「中庸」ということかな。どんなに良いことも、行き過ぎれば、本質を外れ、「とんでもないこと」になってしまいます。ああっ、土俵にボクの足が・・・・
2004年01月12日
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公明党が政権の座に着いているが、時代の流れを感じる。「時代」とは、「なんでもあり」なのだと。公明党が立党されたのは、ボクがまだ「少年に毛が生えた」頃だった。「公明」というその単刀直入な命名にも驚かされたものだ。公明党というと「中道政治」とよく言われていた。ボクをかわいがってくれた叔母が熱心な創価学会員だったので、「公明党」というと、叔母の顔が出てくる(笑)。草創時の公明党の議員は、判で押したように、みながらがら声だった。そして、まさしく「野党」だった。野党精神の権化だった!
2004年01月09日
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長い間、「自分は長所ばかりの輝いた人間である」という幻想に捕らわれていた気がする。子供の頃から、比較的人にちやほやされて来た。それは「密の味」で、それを味わいたいばかりに「いい子」を演じてきた。「いい子」と「ごく普通の子、あるいは悪い子」の落差が、内側からあふれ出てしまう時、人に指摘されたりして、メッキが否応なく剥がされる時、「鬱」の衣をかぶって逃げる。「短所はだれにでもある」というごく普通のことを、自分には当てはめなかった。「自分には「短所」はあってはならぬ。あっても見られてはならぬ」。自分にそう言い聞かせ続けた過去だったことが、五十の半ばを過ぎようとする昨今、やっと見えてきている。でも、気づきが始まっている。これから、本当の自分になれる気がする。
2004年01月08日
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1月6日は、幼な児イエスさまの所に、当方の博士が訪れた日です(教会の暦「公現日」)。町ではとっくにクリスマスの飾り付けが外され、年も改まり、みんなの心がいよいよクリスマスから遠く離れて行く頃、クリスマスの第2ステージが始まります。クリスマスの主よ、ようこそおいで下さいました。幼な子よ、あなたの優しい笑顔は、今なおボクの心に映っています。ずっと、ずっと、あなたはボクの心の中で輝き続けるでしょう。この次のクリスマスも、もうすぐそこのような気がします。ところで、今日は妻と二人で、クリスマスの飾りを外しました。妻が「さびしいわね」と。そうだ、忘れた振りをして、リースをそっと架けておこうか!1月7日は、ギリシャ正教会がクリスマスを祝う日。ほらこれからクリスマスをお祝いする信者さんたちもいるんだ!
2004年01月07日
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今日も、妻と分担してご老人の信者さんを見舞う。かつて元気いっぱいで教会にお出でになっていたかたたち自分の老いを受け入れていくことは、一大事だろう。若々しく活動していた時代が人生の花で、老いはその実をつけるとか、そう言う表現はふさわしくない。活動の時代にも、老いの時にも、精神の輝きや、停滞は同じようにある。人生という道で、彼らはいつもボクの先を歩いていた。「老い」という人生の到達点でも、彼らはボクたちの目標となって下さる。笑顔もあの時と同じ。
2004年01月06日
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新年初日曜日の礼拝が終わりました。クリスマス第3礼拝として守りました。礼拝が終わってもいつまでも帰らない人たち。礼拝が終わってから来た人もいる。困ったなぁ。だれかが、「老人ホームに○○さんを訪ねよう」と言ったら、「ボクも行く、私も行く」えっ、車2台で行くの? うれしいなぁ。そして喜んで帰ってきた。牧師は役員会を持つ。役員さんたちも、のびのびと自分の意見を言う。牧師が決めた年頭聖句がわかりにくいって!困ったなぁ。
2004年01月04日
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買ったばかりの日記帳何を書こうかな、と思っているうちにたちまち数日がたってしまいます。
2004年01月03日
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変えられないものは、受け入れる勇気を変えられるものは、変える勇気をという意味の言葉をどこかで読んだことがある。12月31日の新聞のコラムに「君子豹変すべし」という言葉を見つけた。ううむ、出典はどこぞ?前後関係まで気になる。変わりたいのは、やまやまなんだが。
2004年01月02日
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