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最近は夜に帰ることは珍しいのだが今日は会議があり、仲間たちとレストランで夕食を取って帰った。神学生の時代から共に過ごした友人だ。意見の違いを戦わすこともあるが、気心を分かり合っている。仲間はいいなぁ~と感じいる。家に帰って、今日は仲間と食事をしてきた、と妻に伝えると、「だれとだれ?」 と聞く。名前を一人ずつ挙げると「よかったね」と妻は心から喜んだ。ボクの仲間は、妻の仲間でもあるのだ。
2014年01月30日
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旧約聖書の「出エジプト記」を読み終わった。荒れ野をさすらうイスラエルが持ち運ぶ幕屋の作り方や、儀式を行うアロンの服装などの細かい規定で、この書は終わっている。「イスラエルの人々は主がモーセに命じられたとおりに、すべての作業を行った。」と、何度も繰り返して書かれている。神様に従う畏れの心で、忠実に作業をしたことが強調されているのだ。言われたとおりに行うこと、振る舞うことはやさしいのだ。しかしボクたちの信仰は、ただ命令を守るだけの信仰ではない。大切なのは「愛」だと思う。言いつけを守ることと、愛することとは違う。雲泥の差がある。神様をも、隣人をも愛することを求めているのがイエス様だ。
2014年01月29日
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今朝は「香をたく祭壇」を読んだ。→出エジプト記30章旧約聖書の中で、神様にささげる「香」をたく祭壇のこと。その作り方、材質などが事細かに規定されている。ボクなら、「ちょうどいいものが見つかった。これを使っちゃおう。」などど、手近な物できっと済ませると思うが旧約聖書(ユダヤ教)の世界では許されないらしい。その理由はボクにもわからないし、想像もつかない。「この掟の箱の上の贖いの座の前でわたしはあなたと会う。」(6節)と書いてある。こんなに周到な準備を経て、神様が人と会ってくださるのか?しかし御子の十字架の死というすさまじい出来事にまさるものはこの世にないだろうと改めて思う。「アロンはその祭壇で香草の香をたく。すなわち、毎朝ともし火を整えるとき、また夕暮れに、ともし火をともすときに、香をたき、代々にわたって主の御前に香りの献げ物を絶やさぬようにする。」7~8節香は灯火とともに毎朝と夕暮にささげるように決められている。ボクたちのスタイルに読み替えると、朝と夜に、神様とお交わりする習慣を身につけよということか?香をたく代わりに、起きたら聖書を開く、寝る前に聖書を開く。または祈ったり、賛美の歌を歌ったりする。そんな習慣が大切ということか。生活のリズムとなるとすばらしい。
2014年01月20日
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「目覚めよと呼ぶ声がします。見張り人が明るい声で呼んでいます。賢いおとめたち、さぁ花婿がやってきます。起きて、支度をして!婚礼のために、支度を!彼を迎えましょう。花婿が来ます。若い鹿のように、丘を飛び越え、あなたたちとの婚礼の宴のため。救い主はいつ来るのですか?私は油を灯して待っています。広間の扉を開けてください。天の宴に入るように。来てください、イエスよ。来なさい、いとしき魂よ。愛する方が天から壮麗にやってきます。恵によって、力強く。真理によって猛々しく。わたしの元に来なさい。選ばれた花嫁よ。私はあなたを、心とこの腕に印章のように刻み、あなたの悲しげな顔を喜ばせよう。私の左手であなたは安らぎ私の右手があなたにキスをするだろう。私の恋人はあなたのもの。私は神のもの。この愛は切り離されることはない。12の真珠で都は飾られ、あなたの都に私たちは集います。御使いたちも共に。どんな目も見たことがなく、どんな耳も聞いたことがありません。このような喜びは。私たちは喜び叫びます。永遠に、甘い喜びの中で。」 (歌詞・大意)---------最後のコラールは「讃美歌」の「再臨」の項に載せられていて有名になっています。中間に、ソプラノとバスが歌い交わすアリアがありますがまるで、モーツアルトの「フィガロの結婚」の、スザンナとフィガロの愛の交唱を連想させるような甘いアリアです。こんな歌が歌われる礼拝はすごいですね~歌詞は旧約聖書の「雅歌」が土台になっています。神と信者との愛の交わりを歌っています。信者はキリストの花嫁であり、花婿であるキリストを迎える喜びを歌っています。
2014年01月14日
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Windows XPWindows VistaWindows 7ノートPCで3種類持っている。どれも中古で安く買ったもの。旧い上に性能が低いからなのだろうけれどWindows XP が一番調子がよい。これは良いOSで、本当はこれで十分なはずだと改めて思う。XPに比べると、Vista は万事ごちゃごちゃしているように思える。余計なお世話機能が満載!そんな機能使わないし、使いたくない!ワープロソフトなら大丈夫だがブラウザやEvernote で日本語変換ができなくなる。スペックが低いPCに無理矢理入れているからだろう?OSもIEもOfficeも一太郎も毎年のように新しくなる。Officeなんて 97で今でも十分だ。本当は旧いままでも十分使えるのだ。というか、何がどう変わったのかわからないくらいだ。ややこしくなったことは、よくわかる。新しいものに合わせないと、仕事がうまく行かないようにできている。お金を使わないといけないのが、世の中の仕組みだ。
2014年01月10日
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ボクは年賀状は書きませんが、寒中見舞いを書きます。年賀状をくださったかたがたに、お返事を寒中見舞いで書きました。宛名を書きながら、いただいた方の年賀状を読み直します。今朝は年賀状を前にして、くださった方々のためにお祈りしました。年賀状は印刷が多いですが、一言添えてくださっている言葉に温かさを感じます。以前は、プリントゴッコで作成したものが多かったですが今年は1枚もありません。手刷りの版画のものが1枚、ステキでした。正月明け、引退した牧師さんの家に遊びに行ったことがあります。牧師さんは、「退職してもみなさんが変わらずに年賀状をくださる。 ありがたいね。」と言っておられました。ボクと妻にくださった賀状を見ながら、若い頃に伺ったその引退牧師の言葉を思い出しました。
2014年01月09日
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こんな本があったら、ほしいな、と思っていた。それがあったのだ。即座に注文した。バッハの教会・世俗カンタータモテット、オラトリオ、受難曲バッハのほとんどの合唱曲が網羅されている。しかも歌詞はわかりやすい口語訳で翻訳されている。「天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」マタイ13:45-46これはボクの高価な真珠だ。ページを繰りながら、バッハのモテットや教会カンタータを一つ一つ聴いていくのだ。
2014年01月07日
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「異邦公現日」クリスマスの第2ステージ。異邦人の学者が星を頼りにキリストを訪ねてくる。その方たちは東方から来て、ユダヤの王の所へ行き場所を尋ねる。王はあわてた。寝耳に水だった。大王ヘロデはユダヤの学者を招集して調べさせた。わかった、どうも「ベツレヘムらしい」「その王様とやらを見つけたら、私に知らせてほしい。私も拝みに行くから」へぇ~嘘だね。本当は殺しに行くんだよ。異邦人の学者は主キリストを探し当て、黄金、乳香、没薬の贈り物を献げた。讃美歌「われらは来たりぬ」では、黄金、乳香、没薬の意味が歌われている。 わが持ちきたれる 貴き黄金を メシアの冠の 飾りとなさん わが持ちきたれる 乳香ささげて いと高き御神 共にたたえん わが持ちきたれる 没薬ささげて 御苦しみの日に 備えまつらん (新聖歌96)良い歌詞だ。今朝は妻と一緒に歌った。今日でクリスマスシーズンがひと区切りとなる。また来年まで。バッハ「クリスマス・オラトリオ」は第6曲が演奏され異邦公現日の記念とする。所で異邦の学者たちは、王に会わずに帰って行った。だまされたと知った王は怒った。自分だってだましたくせに。
2014年01月06日
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新年第1日曜日無事に礼拝をささげた。バッハ当時のルター派教会では「クリスマス・オラトリオ」の第5番が奏される日。第5番は「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」マタイ2章よりと歌われる。せめて説教の聖書箇所を同じにした。午後は妻と散歩町はまだまだ静か
2014年01月05日
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この正月は、部屋の模様替えをしながら過ごした。引っ越してきてまだ3年にならないのだが乱雑になっていた。それが精神の荒廃を示しているとしたら悔い改めねばならない。片付けは悔い改めのしるしと、神様に認めて頂けるかな。こちらに来る以前から据え置いてあった旧い物とついに使えなくなった物とを粗大ゴミ置き場に持って行ったら今日はもう時間外ですと言われ、持って帰ってきた。デスクトップPCは、2台無事に廃棄。
2014年01月04日
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大晦日になってゆっくり片付け始めたから、間に合わず、そのままにして入浴して寝る。年明け~晴れ渡った午前、いつものように妻と散歩に出るつもりでいたらいや初散歩を、内心、張り切っていたら、「一人で行くよ。あなたは片付けの続きやっていて」ボクも犬も残されて、彼女はさっさと散歩に出ていく。ボクはあっけにとられる。それでも午前10時過ぎの家庭礼拝は大丈夫。教団の同労者たちの祈りのリクエストを北から祈り始める。全部お祈りしようかと思ったが、妻の疲れを考え真ん中でやめて、「後はあしたにしようね」東京・神奈川でやめたが、彼女は静岡まで祈りたいという。夕方やっと片付けを一段落。妻が感動の声を上げる。「ずっとこのままならすばらしい」という。ボクはすぐ散らかすから。クリスマス・オラトリオの「新年篇」のレコードをずっとかけていて楽しかった。
2014年01月01日
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