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「真の平和の根本原理」日付:一九九四年三月二十七日場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル行事:第二回「世界平和会議」 敬愛するゴルバチョフ元ソ連大統領、著名な議長団および元・現職国家元首の皆様、そして尊敬する紳士淑女の皆様。このたび、第二回「世界平和会議」にこのように御参加くださり、深く感謝申し上げます。 世界的難題の解決点 今、私たちは、二十一世紀、国際化と世界化の時代を迎え、世界平和を遮る数多くの難題を解決しなければならない時点に立っています。きょう私は、このような世界的難題の根本に対する根源的解決方案が何であるかについて、生涯をかけて天意に従って努力してきた所信の一端を簡単に披瀝させていただこうと思います。 世界は争いと混乱と憎悪に満ちた罪悪世界になっています。国家も、社会も、家庭も、個人もそうです。どうして世界がこのように悪くなったのかと言えば、人間個々人において、歴史を通じて心と体が闘ってきたからです。この闘いは歴史と共に始まり、現在まで継承されてきているのです。 闘う個人から始まり、自然に闘う家庭、闘う国家、闘う世界となり、神様の最も嫌う悪なる地獄世界を形成しました。闘う世界の始発点は、個々人である男性と女性の二人の問題です。ですから、世界中の複雑多端な問題も、闘っている心身と男女、この二つの問題さえ解くことができれば、解決するでしょう。 心身はなぜ分裂したのでしょうか。男性と女性はなぜ和動、統一ができなかったのでしょうか。誤ったからです。人間は堕落によって心身が分裂し、男女の紛争が起こり、神様を失ってしまいました。サタンを中心とした悪の世界になってしまったのです。 したがって、問題の解決点は、第一に、神様を探し出すことであり、第二に、悪なるサタンを追放することであり、第三に、心身が統一された男性と女性を探し出すことです。神様は、エデンの園からアダムとエバを追い出しました。堕落したアダムとエバは、サタンを中心として結婚し、子女を生みました。そうして人類始祖は、サタンの血統を相続するようになったのです。血統が汚されてしまったというのです。 サタンとなった天使長は、神様の姦夫の立場に立つようになりました。愛の関係を結べば所有権が決定されるのが天理原則なので、人間の先祖はサタンの所有になってしまったのです。本来、神様の真の愛を中心として心と体が一つになるはずでしたが、心に神様の真の愛が完成する前に、サタン側の偽りの愛が結ばれ、サタンが体に根を下ろしたのです。ですから、本来、心がプラスの立場にあるべきなのですが、体がもう一つのプラス的立場に立ち、強く反発することによって、心の世界を引っ張り回すのです。 それで神様は、宗教を通じて真の愛の力を心に与え、偽りの愛で一つになった体を絶対に屈服させようとされるのです。心身が真の愛によって統一されてこそ、神様がいらっしゃるところに帰っていくのです。 良心の命令に絶対服従 堕落した先祖は、偽りの先祖となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の偽りの個人、家庭、社会、国家、世界の地獄を築くようになったので、これを打破し、神様を中心とした真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を復帰して、本然の世界へと回復するのが、宗教の道であり、救世主メシヤが来られる目的なのです。 神様もお一人では寂しいのです。神様も相対理想を中心として天地創造をされました。なぜならば、真の愛を得るためです。被造世界を見ると、ペア・システムになっています。鉱物世界も、植物世界も、動物世界も、人間世界も、すべて主体と対象の関係になっているのは、人間の真の愛の理想のモデルを立てようとするところにあります。 真の愛ゆえに、女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれました。世界の問題の解決は、真の愛を中心として、心と体、男性と女性が一つになるために存在するところでのみ完成することができます。真の愛は、相対のために存在するところでのみ得られるのです。サタンの愛は自己中心的な愛であり、神様の愛は利他的な愛です。正反対です。今や無形の神様は私たちの真の愛の理想の主体であり、私たちはその絶対的対象の立場にいるので、第二の神様の立場にいることを確信し、無形の神様と真の愛によって心身一体を完成し、自分の心に、神様のように絶対に侍るところでのみ、堕落した体からサタン世界を追放できるのです。 そして、良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自我」を取り戻すことができます。神様は、私たちの父母の中の父母であり、師の中の師であり、主人の中の主人なのです。これが、天地を中心とした三大主体思想です。私たちの良心のみが、主体思想を達成する対象の立場で絶対一体にならなければならないので、良心の位置は、私たちを生んでくれた父母より、師より、いかなる国の王よりも優る立場に立たなければ、神様の愛の対象の立場に立てないのです。良心は教育が必要ありません。神様の代わりに絶対に仕えなければならないのです。 良心は、自分のすることで知らないことがありません。すべて知っています。良心は、体が悪いことをしようとするとき、いつも反対しますが、体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が、堕落するときの良心の力よりも強いからです。しかし、人間が良心を中心として完成圏に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。 エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされた真の愛の家庭でした。見えない無形の存在全体を現すための創造だったのです。神様と人間は、真の愛を中心とした主体と対象の関係でした。神様の心の中にある無形の子女、兄弟、夫婦、父母として、真の愛の実体完成を願い、アダムとエバの二人を創造したのです。神様は、子女の真の愛の完成を願い、実体の家庭の兄弟として、実体の夫婦として、実体の父母として、真の愛の対象を創造されました。 家庭は四大心情圏を体恤する基盤 親子関係の真の愛は縦的であり、夫婦関係の真の愛は横的であり、兄弟関係の真の愛は前後の立場で、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦には上弦と下弦、横には左弦と右弦、前後には前弦と後弦の全体を連結した一つの中心点で統一されるのです。その点が球形体の中心点になります。 いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのでしょうか。神様を中心として人間が結婚し、初愛を結ぶ場がすべての完成の結実点であり、中心となるのです。ですから結婚とは、天地人の合徳(和合)であり、縦横、左右、前後の全体を完成するものです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。 ですから、アダムとエバの夫婦は、神様が最も愛する実体対象である第二先祖であり、第二創造主の立場に立つので、神様が第一創造主として感じるものをすべて相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場で、神様の代わりに喜びを感じるのです。第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。 ここで神様は第一創造主であり、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダムとエバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。 このようにアダムとエバを中心として見るとき、上下(父子関係)が連結されれば、左右(夫婦)、前後(兄弟)が連結され、家庭が完成するのです。この場が、神様を求めて個々人の心身が統一され、男性と女性が統一され、神様を中心として安着できる神様と子女であるアダムとエバが統一された基盤となることによって、平和と自由と幸福と希望が結集される基地になります。アダムとエバをして、有形実体の第二創造主の立場で実体的第三の創造主を刺激的に体恤させたのが、アダムとエバの子女繁殖なのです。 こうして代々、子女、兄弟、夫婦、父母の四大心情圏を体恤させる基盤が家庭です。家庭はすべての真の愛を完成させる基地です。そうして、家庭において神人愛一体を完成し、天地を所有できるようになるのです。すなわち理想的子女、兄弟、夫婦、父母が出発する源泉地となるのです。 ここにおいてのみ、心身統一の男性と女性が現れることができるのであり、また理想的な男女一体を完成した夫婦を見ることができ、理想的な父母が出発できます。また、真の家庭を中心として子女、兄弟、夫婦、父母が完成するモデルが創造されるのです。 このような理想型を、国家と世界を越えて天宙まで拡張、展開するのが、神様の創造理想です。したがって、国家は家庭よりも大きな家庭型であり、世界は国家よりも大きな家庭型であり、天宙も世界よりも大きな家庭型になるというのです。 天宙は四大心情圏を完成した家庭から出発 ですから、家庭、国家、世界、天宙にも、四大心情圏に代わる子女、兄弟、夫婦、父母の型をもつことができるので、家庭より大きな国家には数多くの家庭が入るようになり、家庭は国家のために存在し、世界は数多くの国家が入っているので、国家も世界のために存在し、世界はもっと大きな天宙のために存在し、天宙はもっと大きな中心者である神様のために存在しなければなりません。 ですから、家庭において四大心情圏を完成した基準がより大きく統一されれば、一体理想が実現し、その土台の上に平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって、心身統一と、男女を中心とした家庭統一が重要なのです。神様も成長してこられたというのです。無形の心の中にあった子女、兄弟、夫婦、父母を、実体のアダムとエバとして創造し、子女、兄弟、夫婦、父母となり、第二の自己として体恤されることによって、真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。 私たち人間も、神様のような喜びを感じるために存在しているので、誰もが、ある人の子女、兄弟、夫婦、父母の立場にいるのです。人間は誰でも四大心情圏を中心として家庭を形成するので、家庭は理想的な心情圏を体恤するための基地なのです。 私たちも、神様のように実体の四大心情圏を体恤する人のみが、地上天国と天上天国のどこでも一つになることができます。そのような理想的な人間になるために、家庭を願うようになるのです。このように、人間は心身統一と夫婦統一を絶対に要望します。個人の心身統一ができなければ、すべての面で不合格者になります。そのようになれば、自然と家庭統一はできず、家庭で脱落、国家で脱落、世界と天宙と神様から脱落するので、神様を中心として必死に努力してこそ、心身統一と家庭統一が可能なのです。 皆様御自身は、神様の代身者、第二の神様の立場にいることを知らなければなりません。そうして人間は、誰もが同じように本然の家庭を求め、愛の巣を復帰しなければなりません。 真の愛で一つになった夫婦は地上・天上天国の出発地 夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。 ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。 このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちの育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に真の愛を体恤することによって、喜びを感じるようになります。神様の愛は絶対的なので、夫婦は分けられないのが天理原則です。このような原則を失ってしまった堕落した人間世界を復帰して、本郷に帰らなければなりません。そのようにすることによって、「世界平和連合」がその目的を達成できるのです。こうして、家庭天国は国家天国へ、国家天国は世界天国へ、さらに天上天国へと完全解放し、平和の世界へと展開されるのです。 結婚して、夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭になって、平和と理想の出発基地となるのであり、片側である男性と女性は一体となり、神様の相対として、神様の理想愛を完成させるようになります。すなわち、真の愛を中心として、神様は人間を無世に価値ある存在として完成させるので、神様も真の愛を完成させ、神様の創造理想である永遠の理想の愛が宿る理想家庭を立て、理想世界を完成しようとするのです。神様とアダムの家庭を中心として見れば、神様は第一代の先祖、アダムは第二代の先祖、アダムの子女は第三代の先祖の立場です。神様は祖父の立場であり、アダムは父母の立場であり、アダムの子女は息子、娘の立場です。 三代が一つの家庭に定着するので、祖父は天上天国の神様の代身であり、地上世界と天上世界にいる王と女王の立場であり、父母は現在の地上天国を代表した家庭の中心である王と女王の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子と王女の立場です。このようにアダム一族は、神様を中心とした王族になって暮らしたのち、天上天国である永遠の世界に移って暮らすようになっていたのですが、これが人間の成就すべき目的なのです。 また、家庭を中心として見るとき、祖父母は過去を代表した天の国の王と女王の立場にあるので、神様のように侍り、父母は現在の全世界の家庭を代表した王と女王のように侍り、子女は未来の王子、王女のように愛して暮らしたのち、永遠の天国に入るのです。そこにおいてのみ、永遠の人間の欲望と自由、希望、平和、幸福が完成するようになるのです。 世界平和を成就する道 尊敬する各国の代表の皆様。皆様は、生涯の重要な時期を、皆様の国家の発展と世界平和のために渾身の力を尽くして努力された方々です。皆様のそのような献身的な苦労によって、今日人類は過去よりもはるかに進歩した環境と条件で暮らせるようになりましたが、いまだに私たち人類すべてが待ち望む自由と平和の理想世界は実現しておらず、今、この時間にも民族、人種、宗教間の葛藤と対立によって、世界の至る所で多くの人々が飢え、苦痛を受けて死を迎えているのです。 私は、宗教指導者として早くから神様の召命を受け、人類を戦争と罪悪から救い、平和世界を定着させなければならないという一念で生涯を生きてきました。きょう私が皆様に先ほどお話ししたことは、このような私の召命から出てきた、平和に対する平素の所信と哲学である「頭翼思想」の一端です。世界平和は、権力指向の政治的イデオロギーやその他の物理的力の論理では、決して実現できないというのが「神主義」と「頭翼思想」の観点です。 平和は、神様の真の愛と真理を、個人から始まって家庭、家庭から社会、国家、世界におけるすべての人類が共有し、共に実践することによって、人類は兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を形成するときにこそ実現できることを、はっきりと悟らなければなりません。 このような観点から、「世界平和連合」の創設目的は、神様を中心とした個人の心身統一と夫婦を中心とした家庭から本当の平和の教育と実践が行われることによって、社会と国家、世界の平和を具現しようというところにあります。私たち全員が家庭天国を完成し、ひいては世界平和の主役になることを願う次第です。神様の祝福が皆様と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2022.05.31
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記念式典 - ユン・ヨンホ本部長20220530天福宮教会にて映像(言語:韓国語)は管理者によって削除されています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 福
2022.05.30
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「女の道」一九九四年一月二十一日 済洲研修院 (日本の女性に日本語で語られたもの) 為に生きる道 女性の道には、娘としての道、姉妹としての道、妻としての道、そして母としての道があります。それでは、これらの四つの立場において、立派になろうとすればどのようにしたらよいのでしょうか。それは簡単です。「為に生きる」ことです。 立派な娘とは、父母の為に生きる娘のことであり、立派な姉妹、妻とは、姉妹の為、夫の為に生きる人をいいます。また立派な母とは、子供の為に生きる母のことを意味するのです。それ以外の道はありません。女性の一生は、このような四つの観点を通過して終わるのです。それは地上でも霊界でも同じです。 女性は娘となり、姉妹、妻、母となります。これは公式的に、永遠に変わりません。この四つのカテゴリーをいかに通過するかが問題です。 姉妹のいない女性は寂しいものです。また夫のいない女性は未完成であり、子供のいない女性も未完成です。立派な女性になる為には、この四つの立場を立派に備えなければなりません。 学歴、経済、知識などの外的なものは、努力すれば誰でも得ることができます。しかし内的なものである家族は、自分が願うようになるとは限りません。父母の願う娘になろうとしても、幸福な姉妹になろうとしてもなかなかなれません。さらに立派な妻、母になろうとしてもそれは、なかなか難しいのです。 生涯、女性として、完全で立派な女性になる為には、「為に生きる」道以外にありません。為に生きれば、最初は孤独です。それは自分が他の為に投入すればマイナスになるからです。しかし自分がマイナスになったとしても、全体がプラスになれば、プラスになった全体が自分を包容するのです。 結局、為に生きる者は最初は寂しく孤独であっても、継続して為に生きれば、全体が包容してくれるようになります。ですから為に生きる者は、中心者になるのです。一般的にはこのように思う人はいません。特に青少年は、「自分が犠牲になり、他の為に生きてどうなるのか」というでしょう。自分が中心にならなければマイナスになると思っています。しかし家族がみな、為に生きるという考えを持ったとすればどうなるでしょうか。それは立派な家庭、すなわち模範的、中心的な家庭となります。 これは個人や家庭に限ったことではありません。団体であっても、同じことがいえます。誰かが為に生きることによって、そのグループの中心になります。国家や世界においても同じです。最高に上がれば上がるほど、為に生きたものが最高になります。ですから、女性の道は四つありますが、立派な女性になるためには、為に生きる道しか方法はありません。 老人や壮年、また青年や少年から子供に至るまで、人々から愛される道は、たった一つしかありません。それは、全体の為に考え、全体の為に生きようとすることです。 万民の為、世界の為に生きる 全体の為に投入すればするほど、投入した者が主人になるのです。これは絶対的な真理です。一〇人、一〇〇人、一〇〇〇人、万人から愛される自分になるためには、万民の為、世界の為に生きなければなりません。 ところで、本当に全体の為に生きているのか、自分の為に生きているのか、それは自分がよく知っています。良心に尋ねれば分かります。人間は誰でも、マイナスになりたいと思う者はいません。本能的に自分を保護しようとします。それ自体は悪いことではありません。しかし、その本能的な保護力というものが保護しようとするのは、自分一人を保護するのであり、全体を保護しようとするのではありません。それでは、自分を保護した後にどうしなければならないのかというと、それは次に、全体を保護してあげなければならないのです。 保護するほうは、犠牲になります。すなわち、マイナスになるのです。ですから、人間は保護されることを好みますが、保護することは好まないのです。ところが、保護された場合は保護してあげなければなりません。 宇宙全体からみた場合、私という存在は宇宙から保護されています。人間が成長するために、食物や衣類、また住む環境にしても、すべてが保護されているのです。ですから保護された環境を無視してはいけません。 無視しない立場に立つためには、返さなければなりません。返す時、プラスして返してこそ、全体の為に生きることになるのです。為に生きなければ、自分の立つ所がだんだん狭くなってきます。小さくなり孤独になっていくのです。 今日、世界は自分のことばかり考えるようになってしまいました。そして、すべて自分を中心として終結しようとするのです。ここに息子と娘がいるとします。父母の前でこの二人を比較対照した場合、自分のことばかり考えているほうが悪いということになります。ですから父母に信頼される者とは、全体の為に生きる者をいうのです。もし四人の兄弟がいるとすれば、その中で一番為に生きる精神を持っている者が、父母の希望の中心になっていくのです。 皆さんの三〇年、四〇年の生涯を総合してみた時、人に迷惑をかけてきたほうが多い場合は、いい女性とはいえません。そのような女性は、環境から責められるようになります。ですから、統一教会の「為に生きる」という表題は偉大なものです。 ところで「きょうは運がよかった」とか、「今年は運がいい」といいますが、それは神を中心としたものではなく、自分を中心とした言葉です。運がよいとしても自分ばかり運がよくていいのでしょうか。 公的な運があるとすれば、その運はどこを訪ねていくのでしょうか。平等でなく、平均的でない所には訪ねていきません。天運は公的な所を訪ねていくのです。ですから運がよかった場合には、その人は運が悪い人を保護してあげなければなりません。そして受けた場合は、与えなければなりません。自分が運がよいとすれば、それはどこか欠けた所を補うためなのです。 自分一人が幸福だという場合には、全体の為に補給してあげなければならないのです。もしそうしなければ公平を保とうとする運命にやられてしまいます。 全世界からみれば、日本は経済的に裕富になってきました。しかし天の運勢という観点からみた場合には、自分の国のことばかり考えていては衰退するようになります。ですから、世界の為に何かをしなければなりません。裕福になった分、皆に分け与えなければならないのです。 日本が永遠に豊かであればいいと思っても、そうはいきません。高くなった所は低くなっていき、低くなった所が高くなっていくのです。それは波と同じです。また、南が暑ければ北は寒くなり、北が暑ければ南は寒くなります。さらに、気温も上がれば、いずれは下がっていかなければなりません。 このように、存在するものは、平均をとって平等になろうとします。天の運勢は平等圏をつくろうとするのです。それに逆らった場合は、天の運勢にやられてしまいます。天の運勢は何百年、何千年のペースで平均をとっていくのです。 「自分は不幸な娘として生まれた」ということはできません。自分の何代か前の先祖は、その反対の立場にあったことを知らなければなりません。世の中は平均をとりながら変わっていきます。ですから、いくら貧しくても、為に生きなければなりません。自分を中心として環境を利用しようとすれば、天の運勢と関係のない立場に立ってしまいます。公的な基準に歩調を合わせていけば、自動的に天国に入ることができるのです。それに違反する者は地獄に行くのです。 ですから、生涯において不運の環境から逃れる道は、為に生きる以外にはありません。いくら自分が不幸でも、より不幸な者を助けようとする者は、絶対に滅びないのです。必ず上がっていきます。ところが、自分が不幸な場合、より不幸な者の為に何かをしようと考えなければ、後孫はさらに小さくなり、平均をとろうとする世界において除外され、消えていってしまいます。それは恐ろしいことです。不幸な立場の者が為に生きようとすれば、すぐに幸福につながっていくのです。 為に生きる者は保護される このように考えた時、日本にいて日本ばかりを考えていた者が、アジアを越えて黒人の世界に行って、アジアの為に尽くした、それ以上に生きたとすればどうなるでしょうか。行ったり来たりすれば、天運の最高の立場に立つ道につながれるのです。 ところで、たくさんのものを持とうすれば、多くの苦労をしなければなりません。投入するものに比例して、自分と関係する因縁圏が結ばれるのです。投入しなければ、自分と関連する因縁の世界が、だんだんなくなってしまいます。自分のことばかり考えていると、狭くなってくるのです。自分の環境を超えて、すべてを投入していくところには、自分が立つ基盤はなくなりません。拡大されるのです。ですから、歴史を通してみても、天の運勢からみても、為に生きる者は保護されるのです。 牢屋の中では、誰も全体の為に掃除などしたがりません。しかし、全体の為にきれいにしようとして、三日間、一週間掃除をし続けた場合には、必ず自分がしようとする者が現れてくるのです。それが一人、二人と増えることによって、革命が起こるのです。 何の報酬もなく、何も認められないような環境においても為に生き続けていった場合、良心のある者が相対する立場に立ちます。「自分にやらせてください」と近寄ってくるのです。自分一人を中心として、何人、何百人、何千人という人を為に生きる人間につくり上げることは、生涯において価値あることです。 伝道する際にも、伝道したくてたまり切れない心情でするのと、「伝道しなさい」といわれてするのとでは、天地の差があります。立派な人生路程の基準になるこの道に、天国の国民の一人として、何とか案内したい。このように思って、子供を生む時に苦労する以上に苦労し、関心を持ち、祈祷しながら歩めば、必ず伝道することができます。春になれば花が咲くように、人の為に生きた場合には自分が引っ張らなくても、天運が援助することによって導くことができるのです。 真なる主体が生じれば、周辺の相対的存在は引き付けられるようになっています。それと同じように、人を救いたいという、親の心情以上の心情を持ち続ければ、必ず伝道することができます。「来るな」といっても近づいてくるのです。 ですから、すべての為に準備する者は生き残ります。しかし、自分の為に準備する者は、全体が歓迎しないので、全体が逃げていきます。そうなれば、自分の心は寂しくなり、孤独になるのです。そして存在できなくなってしまいます。 宇宙自体も保護する力を持っています。人間生活も同じです。為に生きる者はいつも守られ、そうでない立場は一方的、一時的で守られません。為に生きる者は、四方八方と共に永遠に守られるのです。皆さんは、生涯どのような生活をするのですか? (為に生きます)。神様はそのようなおかたです。 人間は親が亡くなれば、自分の為に生きていった親のことを思い出し、涙を流します。また夫に対しても、妻がその相対的な立場に立つことができず決別した場合は、一生涯その女性は、その夫に対して済まない心情を持ちます。一生涯為に生きなければ、夫婦関係を持つことはできません。為に生きた者は慕われ、近くなります。このように、夫婦が為に生きれば別れることはできません。いくら別れようとしても一つになるのです。 では、なぜこのように為に生きる生活が必要なのでしょうか。それは、霊界がそのような世界だからです。また、なぜ霊界のような膨大な世界が必要なのでしょうか。一日で体験できるような生活圏であれば、一回行けばそれで終わってしまいます。霊界では無限に発展する道があるのです。霊界は三段階になっていますが、下から高い霊界に向けて、為に生きながら発展していくのです。全体の為に生きることによって、だんだん上がっていくのです。 世界の為に働けば自動的に発展 統一教会が、今まで以上に、飛躍的に発展しない理由はどこにあるのでしょうか。全体のことを考えず、みな、自分に固執しているからです。ところで、神様は今でも全世界の為に生きておられます。ですから、神様の子女として、全世界の為に働くようになった場合は、自動的に発展するのです。ある部落が、統一教会を中心とした部落になったとします。しかし、統一教会がその部落を利用しようとすれば発展しません。 私たちは、何の為に統一教会に入ってきたのでしょうか。多くの人は、入教して、祝福を受けることが最高の目的であると考えます。しかし、そうであればそれ以上は発展しません。祝福を受けてから何をすべきなのでしょうか。祝福を受けたのは全体の為です。模範的な家庭を築き、自分の家庭を、破壊された家庭を接ぎ木することのできる家庭にするためです。 夫婦が、互いに世界の為に生きるという思想を持ち、「あなたは私をおいて、世界の為に行ってください」と語り、互いに励まし合うような祝福家庭にならなければなりません。自分のことばかり考えていた場合は、自動的に反発されるようになります。ですから、天地どこにでも通ずる標準は、為に生きる道以外にはないのです。 手は何の為にあるのでしょうか。全体の為にあるのです。目も鼻も口もすべて、全体の為に働いています。五官はこのように為にあるのに、自分は自分の為に存在しているといえば五官は反発します。女性は男性の為に、男性は女性の為に存在しているのに、自分の為だといえば、目や耳は泣いてデモをするでしょう。ですから、為に生きるという観念を徹底して持つことにより、すべての勝利圏を受け継ぐことができるようになるということを、はっきりと知らなければなりません。 皆さんが、学生時代に友達の為に生きたとすれば、たとえ卒業してからも友達は、皆さんを訪ねてきます。大学を卒業した後に、生命を懸けて訪ねてきてくれる友達が何人いますか。あの女性はかわいい顔をしていたが、個性が強くて個人主義的であった。もう一人の女性は美人ではなかったが、全体の為に生きたので周囲に及ぼす影響は大きなものがあった。そうなれば、自分の立派な兄さんを紹介したい、となるのです。 為に生きる女性を妻に迎えれば、その家庭は幸福であり繁栄します。ですから、為に生きる婿や嫁を迎えたいのです。このことは否定することができません。 ところで、「為に生きていますか」といえば、「為に生きたいのですが、肉身がいうことをきかないのです」というのです。良心的な人と肉身的な人では、どちらが善なる人でしょうか。良心は、為に生きても、さらに為に生きるよう無限に命令するのです。それに反して肉身は、為に生きることに無限に反対するのです。このように自分の中に、地獄と天国を抱えているのです。ですから天国を残して、地獄を処理してしまわなければならないのです。そのためには、奉仕、犠牲、為に生きる道以外はありません。 生涯を自己の為より、全体の為に生きたとすれば、自動的によい世界に行くようになります。気球において、空気よりも軽い水素を入れた場合、より高い世界に上がるのと同じです。 きょうの話の題目は何ですか? (「女の道」です)。娘として、天宙的に為に生きたいという標題を持っていますか? (はい)。本当ですか? 子供は父母の世話になってきました。しかし、父母が年を取れば、親子の関係が逆になるのです。父母が子供になり、子供が父母の立場に立つのです。父母を子供のように世話したい娘は何人くらいいますか? 統一教会の原理が分かれば、そうならざるを得ないのです。 世界の為に成せば、いかに反対されても天運が擁護してくれます。さらに反対されれば、かえって逆に上がっていくのです。光は暗い所であればあるほど、光の効果を表します。反対されることは、反対されないことよりもよいのです。ダイヤモンドを光らせるためには、磨かなければなりません。統一教会の人たちは、ダイヤモンドと同じように、昼夜磨かれることにより、幸福な価値が生まれてくるのです。 神様に近づく道は全体を大切にする道 ところで、自分の故郷で有名人になりたいですか、それとも無名な人になりたいですか? (有名人になりたいです)。故郷に何かをプラスしてあげることができるように、たくさんのものを蓄えておかなければなりません。それは、為に生きる道以外に絶対にできません。 故郷には、笑っている人ばかり住んでいません。泣いている人も住んでいます。また死のうとする人も住んでいます。自分が笑う時に、泣いている人がいることを忘れて笑う人は、消えていくのです。笑う時でも、泣いている人を自分と同じようにしてあげようという思いを抱いて、笑う人にならなければなりません。 皆さんは、故郷の地に行って、神様の代わりにその部落に対して、涙を流しながら叫び続けたことが何回ありますか。故郷のおじいさんやおばあさんは、間違いなく地獄に行くのです。 部落を再創造しなければなりません。ノアの箱舟と同じように、船に乗らなければ救われない、このように本当に思ったとすれば大変なことです。部落で、毎日挨拶するような環境にいて、無関心に過ごした者が霊界に行った場合どうなるでしょうか。 「あなたは、統一教会がこんなに立派だということを知っていたのに、なぜ黙っていたのか!」「口を開いて話しかけてくれれば、自分もこのような立派な所に来ることができたのに!」となるのです。統一教会は自分のものではなく、世界万民の為にあるのです。 自分にとっては自分の家庭が大切ですが、神様にとっては世界が大切なのです。神様に近づく道は、自分を大切にする道ではなく、全体を大切にする道です。神様の相対圏に立とうとすれば、家庭を超え、部落を超えて、世界の為に生きるようにならなければなりません。 このようにして、実績を積んで国に帰った場合は、国自体もその道に連結されるのです。ですから、先生は包囲作戦をしてきたのです。世界を救済すれば、国が救われます。韓国は、四八年間先生に反対してきました。しかし今日、世界が歓迎しているのに、自分たちが反対していることが分かるようになってきたのです。それで「文先生お願いします」といって頭を下げているのです。また、アメリカの有名な牧師が先生に会いにきました。そして、「自分たちは分からなかったのです」というのです。このようなことが今、起きているのです。 皆さんは、人を心から愛したことがありますか。自分を愛する以上に父母を愛してきましたか。お父さんやお母さんの為に、一週間断食することができますか。弟や兄を心から愛したことがありますか。愛してこなかった場合は、今からでも愛していかなければなりません。 自分のことを妹として恥ずかしい妹だと思ったことはありますか。姉ならば、母親の代わりの立場でありながら、弟に対して無関心であったことを済まないと思ったことはありますか。妻ならば夫に対しても、夫が夢の中でさえ、妻に感謝せざるを得ないような妻になっていますか。 自分の夫より美男子な人がいた場合、あの男性と一緒になりたいと思う人がいるでしょう。統一教会に入って、祝福を受けてまでも嘆いている人がいます。そして、文先生が悪い、統一教会が悪いからと責任を転嫁するのです。自分のことばかりを考え、主体の立場に立たせるようなことは正しいでしょうか。祝福はそのように易しいものではありません。 イエス様も二〇〇〇年間、祝福を受けることができなかったのです。祝福の一日を迎えるために、ローマをはじめ、世界のあらゆる地において、血を流してきた殉教の歴史があるのです。 先生は、今日の世界で立派になることを願いません。後世を考えるのです。ですから、堕落の種を変えなければなりません。それは一代では変えられません。三代以上続けなければ、変えることができないのです。祝福を受けて不平をいった人は手を挙げてみなさい。祝福を受けて不満を抱いた人もいますが、祝福を受けなければもっと悪くなるのです。蕩減の道がいかに厳しい道であっても、この道以外にはないということが分かった場合には、行かなければなりません。 夫婦においては、子供を二人ぐらい生めば、顔は関係なくなります。顔がきれいな女性は心が浅いのです。みんな平等になっています。顔が蛙のような顔をしている女性は、心が広く深いのです。美人の心は浅いので、一週間ですべてが分かってしまいます。醜女の妻のほうが心が深いのです。 顔を見て愛する者は、冷めていきます。心を見て愛する者は、熱くなるのです。自分の顔について心配する必要はありません。心の世界を開拓していけばよいのです。美人を探し回った三〇代、四〇代の美男子は、美人の顔は嫌がるのです。美人の心は浅く、変わりやすいからです。 お母様が先生の基盤を相続 それでは、お母様はどうですか? (美人です)。先生の話では、美人の心は皿のように浅く、変わりやすいといいましたね。ですから、お母様は先生によって訓練を受けたのです。先生の影響を受けているのです。女性は、先生が美人のお母様と結婚したので幸福だと思うでしょう。そうではありません。まずもって、先生とお母様の年齢が二三歳違うのです。そのような相対を迎えた先生はかわいそうなのです。統一教会の教祖の妻になることを考えてみれば、先生は喜んだと思いますか。寂しく思ったと思いますか。皆さんは何も知りません。 男性が女性を消化させ、女性が男性を消化させることは、簡単なことではありません。消化させる最短距離は、「為に生きる」ことです。夫は妻の為に、妻は夫の為に生まれてきたのです。 お母様は天宙復帰について何も知りません。零点に対して百点のように尊敬することは、簡単なことではありません。このたび、お母様は一年半で、先生が一生懸けてつくった基盤を相続しました。先生はお母様に、韓国でも全土を巡回するように、とは言わなかったのです。大きな都市だけを趣味的にやってみなさい、と言ったのです。そして一〇か所終えたならば、もう一〇か所やりなさいと言ったのです。 公演をしてみると、自信がつき、大衆の歓声を聞くと神秘的な思いがするのです。そして、「救ってください。お願いします」と聞こえてくるのです。ですから本気で祈り、自分の語っていることが、このように影響があることを知り、口を閉じていることが罪であるように思えるのです。そこまで通過しなければならないのです。 アメリカでもお母様に、私が一二回講演するのでついてきなさいといって、その後、お母様に任せたのです。お母様の講演も、どこへ行っても盛況です。それは気持ちが悪くありません。ある所では、賞杯を三七個ももらったのです。市長たちが、レバレンド・ムーンの夫人が来られるということは、今後二度とあるかどうか分からないということで、三七の賞杯が集まったのです。しかし、それを受け取ることができません。一つ受け取るのに一分かかるとすれば、三七分もかかるからです。ですから、祝福家庭の子供たちが、その賞杯を受け取ったのです。そのように歓迎されたのです。 先生はお母様に、アメリカの講演の後は、日本、韓国を巡回講演しなければならない、とは言いませんでした。最初からこのプログラムを言えば、中間で倒れてしまいます。ですから、作戦が必要なのです。戦略戦術があるように、計画を立てて、疲れないようにコントロールしなければなりません。 お母様は世界を巡回して戻ってきて、「お父様が、ご苦労されたことがはっきりと分かりました。今まで準備が成されていなかったとすれば、このようなことはできませんでした」と感謝しているのです。 ですから、何をするにしても、自分がやらなければならない、と決心するようになりました。先生が地上にいなくても、お母様だけいれば、統一教会はそのまま存続していきます。お母様は、たくさんの国を通過して、たくさんの食口たちに話しかけてみて、指導者とはこんなに難しいものか、ということが分かるようになったのです。そのような基台のうえに「真の父母と成約時代」を発表すれば、成約時代は神様と共に生きるという話です。分かりましたか? (はい)。 先生は、お母様に対してよいことをしたのでしょうか、悪いことをしたのでしょうか? (よいことです)。悪いこともたくさんしました。ずいぶん涙も流したのです。原理を説明する道を行った場合、それに対して責任を持って正してやらなければなりません。先生がいない世界を考えてみれば、教訓の中心になるのです。歴史を相続することは、たやすいことではありません。統一教会の指導者になることは、簡単ではないのです。難しいことです。 理想的な女性を迎える道 今、「女の道」という、先生の話を聞いてみて、皆さんは神様の娘になりたいと思いますか? (はい)。神様の家庭の兄弟になりたいのです。神様がとどまるような夫婦になりたいのです。神様の後孫を残すような父母になりたいのです。 そのようにみた場合には、一つの家庭において、父母や兄弟を中心とした因縁があります。しかし、世界や神様を中心とした娘、兄弟、その全体を代表する夫婦がいて、神様の代わりに、自分の後孫を神様の子女として養育していく父母になることは、簡単ではありません。これらは、すべてを消化し、乗り越えたあとにできるものです。 皆さんは、日本の環境を乗り越えていますか? (乗り越えています)。本当ですか? (はい)。ですから先生は逆のことを考えました。蕩減復帰は逆を行く道です。 先生は、美人のお母様(妻)を願ったでしょうか。その反対の女性を願ったでしょうか。普通の男性は、自分よりももっと立派な女性を願います。しかし、そのような女性はいません。そうであればどうしますか。そのような女性を満たすためには、これを引っ繰り返し、一番底にいる女性を自分の方に引きつけるようなことをしなければ、復帰はできません。 理想相対は、自分とピッタリ合うものではありません。一八〇度違うものが、一体となることが理想です。このように考えるのです。立派なお母様がいるとも思いません。女性であればいいのです。その女性も、一番大きい女性、黒人で馬のような女性を、自分は最も愛する相対(妻)として愛することができるかという訓練です。真の父になるためには、自分の相対(妻)に対して、「いや」という言葉を残すことはできないのです。 ところで、鉱物も植物もすべて、愛を中心として相対を求めています。神の愛を代表した再臨主が来られたとすれば、それは愛のプラス世界の王様です。その王様の相対になる人はいません。 復帰は一番下からですから、八〇歳以上の人が先生に、「あなた様」と歓迎しなければなりません。お母様が先生の相対の立場に立ちましたが、すべての女性からみた場合には、韓鶴子女史は幸福だと思うのです。 しかし幸福ではありません。すべての女性がみな讒訴するのです。自分の代わりに「再臨主を取ってしまった女性だ」ということになります。全女性の主体である、たった一人の男性として来られるのがメシヤです。女性たちは、候補者として、志願する特権があるのです。ですから、総動員して募ってくるのです。 韓国においては、八〇歳のおばあさんが先生に対して、「私の夫ですから、いつでもいらしてください」というのです。それらをすべてなだめて上がっていって解放します。そのようにして、お母様の年齢の一〇代までいかないと、八〇代から一〇代までの女性が、お母様を中心として先祖のようにずーっと並んで讒訴するのです。孫のような者が、自分の席を取ってしまったと、讒訴するのです。それを消化しなければいけません。そのために三年から、三年半以上かかったのです。 皆さんも祝福を受けて三年、三年半以上聖別生活します。ですから、お母様もお父様の所に来られないのです。行ったり来たりしたら問題になるのです。 蕩減復帰は、先祖が子供になるのです。お父さんが子供になるのです。アダムとイエス様をみた場合、イエス様はアダムの後孫です。しかし、その子供がお父さんの所に上がるのです。そうでしょう? その娘がおばあさんの立場に立つのです。一番最高のおばあさんです。それが「転換復帰」です。 そのように考えてみた場合、先生が真のお母様を迎えるためには、醜女を相対として考えるような思いを持たなければ、相対者をもらうことはできません。自分のおばあさんや、お母さんより以上に考えなければ、理想的な妻を得る道はありません。 真のお父様になるおかたは、はじめから美人の女性を考える男性ではない、ということを原理的観点からも考えなければなりません。一番悲惨な女性を相対に持つということを考えずして、理想的な女性を迎えることはできません。 そのようなことを考えれば、皆さんは幸福です。夫を迎えるにしても、妻を迎えるにしても、先生が中間に入り、何の蕩減もなく、先生がつくった軌道に乗って運転だけすればいいのです。 祝福家庭の中で、不満を持っている家庭があるようですが、祝福家庭は不満を持てるのでしょうか。不満を持ったとすれば、それを清算するには、悔い改めなければなりません! 女性が男性を無視することはエデンの園での過ちの反復 真のお父様は、女性の世界におけるすべての悪いこと、よいことの十字架を背負って、それを解放するための仕事をしてきたのです。その仕事をされてきたかたが、真のお父様であるというのです。ですから先生は、女性の心情をよく知っています。 聖進様のお母さんによって、さまざまな迫害を受けてきました。それは言葉で表現することができません。生涯を懸けて女性の解放圏を成して、真のお母様を迎えるようになったという歴史があるのです。ですから、厳格な歴史の背後に、絡み合う蕩減の道があったということを忘れてはなりません。 女性が男性を無視することは、エデンの園での過ちを反復することになります。ですから、そのようなことは許されません。エデンの園で、アダムを無視して堕落したその復帰路程に立って、皆さんは夫を再び否定するような立場に立てるのでしょうか。 背後の歴史の通念に対して、面子が立たないことをしているのです。それは恥ずかしいことです。終わりの世界において、一八〇度違う態度を執らないと世を清める道はありません。勝手な女性は、この世の中を滅ぼすのです。 自分の生涯において、先祖のエバの失敗を蕩減復帰する道は、反対の道を絶対順応していく道であることを知らなければなりません。自分一人を解放するために、先祖はもちろん、神様は歴史を通して何千、何万年苦労され、また先生も生涯懸けて苦労してきたのです。 夫に対して反対するようなことがあってはなりません。祝福家庭で問題を起こすのは、女性が多いのですか、男性が多いのですか? (女性です)。男性は、一度決めた場合は、それに順応する性格を持っています。 女性はそうではありません。東西南北、冬が嫌いで春ばかりを願うのです。女性は脱線しやすい気質が強いのです。ですから、女性たちは自分に警告しなければなりません。分かりましたか? (はい)。夫を無視した女性はたくさんいました。真の女性の歴史において、そのようなことはあってはならないのです。先生が女性を復帰するために、どのようなことをしてきたのでしょうか。 為に生きることを通しての世界平和 けさは「女の道」を説く時間です。女性は、地獄を天国に生み変えなければなりません。ですから、世界的な宗教歴史で、先生のように全世界の女性を苦労させた教祖はいません。死ぬような境地、息が切れるような立場においても、神様とお父様に感謝していかなければならない女性の道が残っていることを忘れてはいけません。かわいそうな女性です。先生は同情します。しかし、皆さんは知らないので真剣ではないのです。 お母様の代わりに海外に行くことは祝福の道である、と考えなければいけません。ですから、お母様の分身として行かなければなりません。 女性はどこに行っても、為に生きなければなりません。男性も同じです。それ以外に世界平和は永遠に来ないのです。今、みんな個人主義になってしまいました。ですから、社会も国家も必要ではなくなっているのです。また、男性も女性を必要としないのです。 家庭を持つことが重荷になります。家庭がなければ、電話で一年間のフリーセックスのプログラムを組むのです。このようなことをしているのです。そうなれば、夫も妻も必要なくなり、情欲はどこでも満たされるのです。子供も必要でなくなるのです。そうなれば終わりです。子供が必要でないとすれば、人類は滅亡します。そのような時代を迎えようとしているのに対して、統一教会は、生めよ、ふえよというのです。 二〇〇〇年になれば、アメリカも大変です。大学なども三分の一に減ってしまうことでしょう。ですから、統一教会はアメリカの大学を占領してしまうのです。 天使長は、子供も必要としません。男性と女性も必要としないのです。必要とするのは堕落行為ばかりで、異性は堕落行為の延長のために必要とするのであって、それ以外の何ものでもありません。そのような者は、地上から消えていくのです。 フリーセックス、ホモセクシャル、レスビアンなどをする者は、消えていきます。一代で終わりです。統一教会は、これらの行為を許しません。たくさん子供を生みなさい! お母様のように、たくさん子供を生むのです。 もし、お母様が一三名の子供を生まなかったなら、大変なことです。ヤコブのように四人の女性を中心として子供が生まれたとすれば、大変なことになります。統一教会はどうなりますか。愛の戦争が起きてしまいます。 それで神様は、二〇年間、地上にそのようなことがないように総動員したのです。そのことに感謝しなければなりません。お母様は帝王切開を何回しましたか? (四回です)。一〇人、一二人以上子供がいなければ大変です。そう考えれば、お母様に感謝しなければなりません。どんな苦労の道でも、十字架に生命を懸けるような基準の道でも、行かざるを得ません。先生の道は、そのような計画に沿って、生涯を犠牲にしてきたのです。 そういうことを考えれば、皆さんが日本を救い、世界を救う過程において、同じような公式として、自分なりの位置に比例する蕩減の道があることを忘れてはなりません。父母様と平行の位置に立たないとぶつかり、霊界に行った時に引っ掛かってしまいます。小さいけれども、平行の位置に立つのです。 中心は一番大きいのですが、円周へ行くにつれてだんだん小さくなります。(黒板の図を指して)ここはゼロになります。鉱物世界の相対、植物世界の相対、動物世界のオス・メス、人間世界の男女関係、みな、平行になっています。 平行になっているから、ぶつからないのです。平行にならないと中心にぶつかるので、天運が離れてしまうことになります。皆さんは先生の家庭生活を標準として、それに平行の位置を自分なりの基準において保っていかなければなりません。平行にいかずにぶつかってしまえば、必ず父母様から離れるようになります。それ以降の道は、蕩減が永遠に残るのです。 子供を生んだことのある人は、手を挙げてください。三分の一ぐらいですね。その子供は神様の子供だと思いますか、それとも自分の子供だと思いますか。(神様の子供です)。本当ですか。神様の代わりにその子供を養育しているということを、実感しないといけません。天の王子様を養育するような、天と同じ気持ちです。皆さんのだんなさんは王様であり、自分は女王様です。 そういう立場にいるのに、夫に対して「ああ、あんな男は死んでしまえばいいのに」と思ったら、大変なことです。自分の立つべき所が崩れて、永遠の洞穴に落ち込んでしまいます。女性は男性の為に生まれました。一から百までそう思うのなら、どこにでも通じます。男性も同じです。 ですから、夫婦生活も女性は男性の為に、男性は女性の為に出発するのです。だんなさんが出かけて行って再び会う時には、為に生きる愛を成すために会うのです。自分の愛ではありません。後孫に残し得る、世界に残し得る愛を存続させるために、夫婦が共に愛し合うのです。世界的拡大のために会うのです。 子供を一人きりではなく、たくさん生むために夫婦関係を持つのです。それが人間の特徴です。無限の天国を充実させるためには、たくさんの子供が必要なのです。人間の特徴、特権がそこにあります。地球を超えて愛することができるのです。 春夏秋冬、人間はいつでも子供を生むことができます。動物の繁殖期は春であって、いつでもというわけではありません。ただし、うさぎなどはそうではありません。うさぎは動物の獲物になるので、たくさん繁殖します。 為に生きる者が中心者となる では、そろそろ結論を出しましょう。女性の道は貴い道です。女性の道があれば男性の道もあります。同じことです。立派な男性になることは、そう簡単ではありません。女性も立派な女性になるのは簡単ではないのです。それは、生まれる動機が為に生まれることにあるからです。行く道は、永遠に神様のそばにどんどん近づく道です。神様から出発して、神様に帰るのです。 故郷で生まれた男性も女性も、故郷の父母と同じように一家を率いる立場に立って、故郷に帰るのです。そうすることによって、すべての先祖と対面するのです。最高の先祖は神様であり、神様の願いにかなうような一族となるのです。そのように、為に生きる以外に生きる道はありません。 為に生きるようになれば間違いなく、中心者になります。青年たちにはまだ分からないでしょうが、これは歴史を超えた永遠の真理です。歴史は、この真理を超えることはできません。 ですから、神様はご存じなのです。いかに悪魔が扇動し、破壊工作をしたとしても、為に生きる者に完全に制覇されてしまうのです。それは、はっきりしていることなので、心配することはありません。ゆえに、神様は決定的な勝利者になるのです。分かりましたか。 先生のように七五歳(数え年)になると、もうすぐ八〇歳代に入ります。ですから、今は出発するような思いになります。最後に決着をつけて、霊界に行くのです。決心をしたら、それをつなげないといけないのです。つないで、大きくならないといけません。 つないで大きくなるということは、大変なことです。一点から出発して、つなげて大きくなる。いくら大きくなってもいいのです。無限に大きくなるのです。自分という者は、このように、為に生きることによって大きくなることができるのであって、為に生きない者は小さくなるのです。間違いなくそうなります。 日本は、先生にとって怨讐でした。しかし、終戦以来ずーっと先生は、日本人に対する怨讐の心を超越して、日本人のために生命を懸けてきたので、日本の若者は先生のために生命を懸けるようになったのです。 それは、天宙を治める公式です。アメリカがいくら反対しても、反対する者のために成した場合には、そのアメリカがひざまずくようになるのです。ゴルバチョフ旧ソ連大統領も、金日成主席もそうでした。あらゆる宗教も、先生の前にそうならざるを得ません。先生が自分の宗教を超えて、自分の民族を超えてやってきた道は、天運が行く道ですから、天運に逆らって立つ者は、地上から消えてなくなるようになっているのです。 したがって、統一教会はいくら反対されても大きくなってきたのです。歴史の中に生きている人々はその原則を知らないので、なぜそうなったのか説明できないのですが、統一教会員はその原則が分かっているのです。為に生きれば生きるほど、回れば回るほど大きくなるのであって、小さくはなりません。 今は女性が先頭に立つ時 今、先生は日本を生かすために、先頭に立ってやっています。もし日本が悪くなれば、それは先生の責任です。み旨の道を考えるのではなく、自分のことばかり考えている日本であれば、日本には希望がありません。 そのために、もう一度日本の女性五万人を教育しなければなりません。今、ソウルに五〇〇〇人を収容できる修練所を準備しています。ここ(済州島)では一万七〇〇〇名の女性指導者に対して二週間の修練会を続けながら、ソウルでは五万人の三泊四日の修練会をしようとしています。 五万名を連れてくるのは日本のエバ国家の使命であり、彼女らを訓練するのはアダムの使命なのです。それは先生以外にはできません。アダムの特権です。エデンの園で誤ったことが分かれば、それが当然と思えるようになるのです。この世の中で、乱れきった女性たちを立たせることができるのは、先生以外にはいません。 今は女性が男性の前に立つ時です。昔は男性が先に立って、女性が引っ張られたのですが、今は女性が男性を引っ張って行く時です。それが蕩減復帰なのです。エデンの園において、エバが天使長に引っ張られた蕩減なのです。日本において、女性たちは男性たちの前に立っていますか、後ろに立っていますか。(前に立っています)。先頭に立っています。完成したアダムに付いて、先頭に立っています。 それは、国家も何もありません。国家という観念があった場合には、堕落の因縁を残しているということです。日本民族という観念があった場合には、堕落した民族性が残っているのです。真の愛を求める者には、民族という観念はありません。真の愛を中心として因縁を結んだ後に、家族と民族、そして国家が生まれるのです。 それを得ない以上は、まだ女性として立つ所はありません。先生を通じて第二のエバの立場に立つことによって、祝福されるのです。第二のアダムをつくるために、皆さんは第二のお母さんの立場に立っています。先生を慕うのは、お母様と心情が同じだからです。 三段階の祝福 教会の祝福の次には、国家を得れば国家の祝福があり、世界を得れば世界の祝福があるのです。先生がお母様を迎えた時は、三代目でした。家庭的祝福の失敗、国家的祝福の失敗のためです。三回目に成功しました。皆さんも、世界を超えての祝福を父母様と同じような立場で、家庭的祝福、国家的祝福、世界的祝福を得なければなりません。三段階が残っています。 だんなさんが誤って家庭的祝福に失敗した場合、国家的基準においていくらでも祝福してあげます。神様もそうです。アダムの家庭、イエス様の家庭、先生の家庭で、三回目です。ですから、皆さんが家庭を持った時に、その家庭は国家を救わなければなりません。家庭を犠牲にして国家を救わなければ、統一教会の真理の行くべき道がありません。それは本心の主流の道です。 世界を救おうとすれば、世界に出かけて行かなければなりません。日本の女性たちだけではありません。韓国からも伝道師が出かけて行きます。一〇人は、東西南北を意味します。イエス様の一二弟子と同じ立場ですから、一二人でもいいのです。天的エバを連れていって、祝福してあげるのです。家庭基準と国家基準とにおいて祝福してあげます。 一二人の六倍は、七二人です。イエス様の一二弟子、七二門徒、一二〇門徒は、家庭を持っていませんでした。それを蕩減復帰しなければならないのです。一六〇人を祝福することによって、世界一六〇か国の基準を蕩減復帰しなければなりません。 同じ結晶体にならなければならないのです。結晶を溶かした場合には、みな同じ溶液になります。それを冷やして結晶に戻すと、同じ結晶になります。それと同じで、そうしないと一つにはなりません。相対的に立つ立場がないので、世界的な基準においては、家庭完成圏を天から移すことができないのです。 ですから、サタンが一番困るのは、氏族メシヤの制度が生まれたことです。氏族メシヤを中心として全部収拾するようになっているからです。氏族メシヤがいなければ、再び生まれる道につなげないのです。絶対的、世界的な真理として公認せざるを得ない時が来れば、氏族は一体にならざるを得ないようになっているのです。 今は知らないので、「自分は何も関係ない」と思っているかもしれません。しかし、知った者が氏族メシヤの権限を知らない者の世界にまで適用させておけば、知らない者にとっても条件になるということです。 どんな苦労があっても氏族メシヤをしなければなりません。それまで、統一教会を信じて天上の栄光の立場にいたとしても、下っていかなければなりません。信じない者と同じようにです。それは大変なことであり、恐ろしいことです。どんなことがあっても、氏族メシヤは宿命的使命なのです。宿命というものは逃れる道がありません。皆さんをメシヤの使命で守ってきたのですから、再臨の時に完成するまで待たざるを得ません。再び来て、それを成し得て合わせていかなければ天国に入る道はありません。 二万の氏族メシヤ教会 皆さんを二万人まで教育して、二万の氏族教会をつくります。これは三年前にすでに神山(名誉会長)と話し合ったことです。日本において、なぜ二万なのでしょうか、三×七=二一、二一数です。縦的二一数を横的二一数に合わせなければなりません。ですから、エバ国家として二万教会を早くつくらなければならないのです。 二万教会に一〇〇名ずつ集えば、何人になりますか。二〇〇万人はすぐ必要です。二〇〇万の一〇倍は二〇〇〇万人。二〇〇〇万人あれば日本は完全に消化できます。二〇〇万人でも日本は消化できるのです。 一教会が一〇〇人を集めて、二〇〇万にします。一〇〇人は問題ありません。日本はそれが可能な時期に入っています。今年よりも、来年はもっと容易になります。今、五万人を伝道できれば、一年以内には一〇〇万人を超えるのです。 女性が二〇万人になれば、男性は間違いなく二〇万人になります。蕩減復帰の原則によって、何としてでも男性を連れてこなければなりません。堕落は、天使長がエバを反対の道に引っ張って行ったのですから、原理的に女性は天使長を連れてこなければならないのです。 女性二〇万を勝利した場合には、男性二〇万は自動的に生まれてきます。皆さんは、奥さんとしてだんなさんがいるでしょう。女性解放時代になったのですから、女性を駆り出すようになっているのです。「あなた、行きましょう!」と言えば、反対することはできないのです。二週間修練した場合には、みな完全にこちらに回ってしまいます。 女性が二〇万人になれば、二〇〇万人は問題ありません。女性が五万になれば一〇万になります。祝福家庭もたくさんいるし、そうなれば自動的に二〇万になります。二〇万になれば一〇倍の二〇〇万は問題ありません。二〇〇万になれば二〇〇〇万は問題ありません。二〇〇〇万もいれば、日本はきれいに統一された社会になるのです。先生がそう願っているのに、皆さんはどうですか。(願います)。いかなる苦労をしようとも、やり抜きますか。(やり抜きます!)。そうしなければ日本はどんどん難しくなり、世界は救われません。 来年は一九九五年です。一九九二年から三年目です。一九五二年から一九九二年までが四〇年で、一九九五年までは四三年間です。これは、エジプト苦役の四三数と同じです。この三年間で世界をまとめていくのです。今年は「真の父母と成約時代安着」を発表したのですから、安着時代に入るのです。 統一教会に反対する者はみな、霊界に連れていくのです。不思議です。韓国においても卓明煥氏が死にました。政界において、先生の指示を無視して政党をつくろうとした者も、同じ日に死にました。恐ろしいことです。 皆さんは、霊界から呼ばれても行かない自信がありますか。いずれはみな、霊界に行くのですから、準備しなければなりません。皆さんの中で、祝福家庭でありながら故郷に帰らず、氏族メシヤ活動をしていない者がたくさんいるでしょう。いけないことです。 これからの趣味産業 日本から釣りに行く場合、韓国の済州島が一番近いのです。たくさんの種類の魚がいます。火山脈があるので、プランクトンが豊富で、たくさんの小魚が集まるのです。そこへ小魚をえさとする大きな魚がやってきます。えさが多いので、一年中たくさんの種類の魚がいるのです。 それで、このような二週間の修練生のために、今二〇〇隻の船を造らせています。皆さんがその船に乗りたいならば、運転を習わなければなりません。白い手袋をはめて、さっそうと運転するのです。日本でも知られている地帰島は有名な所で、先生は二〇数年も前に買っておきました。地帰島、地球に帰っていくという象徴的な名前の島です。 この島を買う時は、韓国のお金で何百万ウォンだったのですが、今では何億ウォン出しても買えない所です。船に乗って釣りをしてみると、みな、またそこへ戻っていきたくなります。「年に一回は来なければならない」、そういう思いになるのです。 この中で、アラスカのコディアックに行った者、手を挙げてみてください。また行きたい者、手を挙げてください。(行った者全員手を挙げる)今から、先生によって趣味産業が始まります。日本の趣味産業はパチンコです。男も女も子供も、みなパチンコ玉のかごを抱えてやっています。文化的生活だけでは息が詰まってしまうので、人間には趣味が必要なのです。 西洋にはカジノがあります。日本ではパチンコ。誰もが入れるようにして、組織的、団体的にやれば賭博にはなりません。どこどこの団体は何月何日に行く、というようにして、回数を年に三回ぐらいに決めればよいのです。そして、赤字にならないようにしてあげるのです。失ったお金の半分以上は、宝くじの券を分けてあげるのです。そうすれば、その人は絶対に破滅状態にはなりません。 ところが、ラスベガスなどでは、すべてが奪われてしまうのです。父母からもらったお金や、ダイヤモンドなどの宝石類を、全部売ってしまうはめになるのです。元金を取り戻そうという思いは、復帰観念に通じます。失ったものを取り返そうとして、最後には一ドルまでも欲しくなります。一ドルを賭けて二ドルを取り戻そうとし、二ドルで四ドルを、四ドルで一〇ドルを……というようにしていけば、一ドルが何万ドルにもなるのです。 ですから、賭博というものは発展するようになっているのです。したがって、一人でやって破滅しないように、団体でやる世界的なクラブの組合をつくって、一年に何回と決めて、それ以上はさせないようにします。 このように、人間の性格には賭博性があります。掛け合いの思いは、賭博性に通じるのです。それは、最高の神様を占領しようという基準からそういう現象が分立されて、賭博性が現れてくるのです。 次に、スポーツです。素質のある者は、「やるな」と言ってもやるようになっています。きのうよりもきょう、きょうよりもあす、誰にも負けたくありません。夜帰ってきて、寝ないで準備をするのです。趣味というものは、無限に発展する要素を持っているのです。世界から戦争がなくなれば、スポーツの世界において競争になります。 それから、ハンティングと釣り。釣りは幼子から老人までやれます。しかし、ハンティングはそうはいきません。お年寄りには難しいのです。ハンティングは、逃げる鳥や獣を追いかけていって撃つわけですが、それは本当に刺激的であって、釣りのように魚の方から掛かってくるのを待っているのではありません。ハンティングは、自分の堕落性がいっぺんに取れてしまいます。無邪気になって、本来の自分に返るからです。 天宙主義 済州島では、アメリカの海軍、空軍両方の基地をつくることも不可能ではありません。そうなった場合でも、アメリカには侵略的な精神はありません。キリスト教精神があるからです。 しかし、日本はそうではありません。すぐに侵略を考えます。日清、日露戦争は日本が始めました。大東亜戦争も日本からです。韓国を侵略しようという動機で日清、日露戦争を始めました。大東亜戦争の動機も、韓半島が中心にあったのです。 今、その蕩減復帰をしているのです。日帝時代には日本は他の国の人々に東方遥拝(天皇崇拝)をさせました。アジアの国々は皆そうさせられたのです。今、皆さんは反対方向を向いています。西方遥拝をするようになりました。韓国におられる真の父母様は日本から見て西方ですから、西方遥拝をしています。当時の日本は韓国に対して東方遥拝を強制しましたが、先生は強制はしません。皆さんが自発的にしているのです。統一教会の教えは、それぞれが自発的に一体となる所です。 このような思想のもとに、交差結婚をするのです。この中で、韓国人と結婚した者、手を挙げてみてください。ここには一人しかいませんが、将来、交差結婚は有名になります。韓国人と交差結婚することを、日本では何と言いますか。(韓日祝福と言います)。日本人同士の結婚は何と言いますか。(日日祝福です)。世界的に結婚したら、何ですか。(国際祝福です)。それでは、日本という名前がなくなってしまうではありませんか。世日祝福ではないですか。面白い言葉が生まれてきますね。 結局、世の中は先生の言うとおりの方向に行きます。「世界を一つにするには文先生のしている国際結婚が一番理想的です」と、世界の歴史学者が言うようになりました。「いやぁ、文先生は偉大なことを発見し、実行、成功させている。だから、その思想は素晴らしいに違いない」と言っているのです。 次は、宗教圏を中心に、儒教、仏教、イスラム教、キリスト教を超えて祝福しようとしています。「それを文先生が願われるなら、やりましょう」と、歩調を合わせて、その方向にまとめようとしています。彼らは、「統一教会のメンバーと結婚するのはいいのですが、他の宗教団体の者とは願いません」と言うので、「では、統一教会のメンバーとの間で祝福しましょう」ということになったのです。 一三の宗派がそれぞれ一〇〇人ずついるとすれば、その一三〇〇人に対して立派な統一教会の相対者を組んであげるのです。宗教圏内で合同結婚をするようになれば、みな統一されていくのです。間違いありません。 他の宗教圏には理論がないのです。出発が漠然としていて、家庭観がはっきりとしていないので、終結点もはっきりしないのです。ところが、統一教会ははっきりしています。為に生きる思想は、現実の社会に通じるのです。ですから、将来はみな、統一教会の原理の道をたよらざるを得ません。 そういうことを皆さんは感じていますか。(はい)。五万人の女性はどうですか。五万人の女性は、先生の教えたとおりの方向にみな、向いています。家庭建設、国家建設についても、統一教会の思想は天宙主義であって、世界主義を超越しています。今までの世界主義というのは、現実を破壊してしまって、破壊した中から世界主義を唱えてきましたが、統一教会はそうではありません。統一教会の国際主義は、そのまま天宙主義に通じるのです。 日本人が統一されやすいのは、天皇を中心として一つになっているからです。その天皇中心の観念も、宇宙の中心が神様である、ということが分かった場合には、天皇も神様の子供であることが分かるようになるのです。ですから、天皇に侍った同じ心で神様に侍れば、すぐつながります。したがって、世界の先頭に立つように、天皇を中心に内的因縁が準備されていたのです。 統一教会の女性を、神風特攻隊以上の神側の特攻隊につくり変えようとしているのです。第二次大戦で、日本がサタンの立場で、天に反対した特攻隊の、蕩減の道をたどらねばなりません。そのためには、男性ではなく女性が、神様のためにそうしなければならないのです。それが、今先生がなそうとしていることであり、日本の六〇〇〇万の女性をみな、神風として、神様を中心として、悪魔を吹き飛ばすために用いようとしているわけです。 その精神が一致するのです。愛を中心として、方向が反対になったのと同じように、行動も同じ行動でもって、これまでは反対の方向に行くように、サタンは利用してきました。八紘一宇の精神は、天宙統一の精神と同じなのです。大東亜共栄圏というのも、神様の栄光の世界と同じです。 日本を中心として、東洋ばかりを対象にしたので、その内容は違うのですが、従順という統一教会の伝統精神をもともとよく訓練された日本人は、回れ右をすれば、すぐ先頭に立つことができるのです。内容が通じるのです。 乃木大将の奥さんに見るように、日本の女性は夫を支え、たとえ死の道であっても、夫の行く道を共に行く伝統的精神を持っています。一身を犠牲にして、栄光の道に消えていく精神です。これは天に通じる精神です。 ゆえに、日本はアジアの一角に勝利圏を成し得て、アジアに影響を及ぼすようになりました。それは、一面では神様の側で成すべき内容を備えていたからです。したがって、愛を中心にそのような権限を授けざるを得なかったのです。 四大心情圏の完成 きょうの題目である「女の道」というものがどういう道か、分かりましたね。(はい)。しかし、まだ立派な神の娘にはなっていません。それを悔い改めながら、立派な神の娘になるようにしなければなりません。それは、女性として最も頼もしい道です。そうしてこそ、妹や弟を神様の娘、息子として愛せる立派な姉になれるし、立派な兄弟姉妹を持つようになります。 神様を中心として、永遠不変なる理想、すなわち一組の男女を中心として成し得る道を行くことができるようになれば、女性として正しい道を行くことになるのです。そうした三つ(娘、姉妹、妻)の過程を通過して子供を持つようになれば、その子供は昔、自分たちが育ててきたのと同じ伝統を歴史に残すことができるようになります。そうすることによって、立派な父母の使命を果たすことができるのです。 神様を中心として成すべきことは、四大心情圏の完成です。それが最も立派な女性の道なのです。四大心情圏は、結婚して愛の因縁を結ぶことによって成されます。愛はそれほど偉大なのです。結婚というものは偉大なものなのです。 結婚は半分のものを完成させます。結婚は、そこから男女を完成させ、人間ばかりでなく、神様をも完成させるのです。そして女性は、男性の世界を占領することによって、神様の世界を占領するために、神様の世界の中核になっている愛を占領するために結婚するのです。また、地上天国と天上天国を支配する中心は愛なので、地上天国、天上天国をつないで、愛の主体なる神様を占領するために結婚するのです。 愛は、個人の愛を出発点として家庭愛、天宙愛を備えて、神様までも占領し得るのです。愛の道は為に生き、生命を投入して忘れていくように、それ以上でなければ、神様の愛の理想郷を自分の中に確立することはできません。自分の為に生きるという思いでいれば、みな失ってしまいます。はっきりしているのです。 ですから、女性として世界のために出て行く。それが開拓伝道の道です。伝道師になりたい者、手を挙げてください。(全員手を挙げる)なりたければ、なれるようにしてください。立派な伝道師になれるかどうかは、先生が認定します。落第生がたくさん生まれてくることでしょう。三年後には、半分帰ってくるかもしれません。 先の者が後になり、後の者が先になる現象が起きるのです。将来は、さきがけて伝道師をどれくらいたくさん輩出したかということが、その国を評価する基準になります。 韓国から伝道師が行くのですが、なぜ日本の伝道師も行くのでしょうか。エバ国家であるからしかたがありません。蕩減復帰の原則があるから、しかたがないのです。 いくら立派な女性であっても、男性がいなければ大変です。蕩減復帰の原則によって、将来は、四か国の人々が、コンドミニアムで生活するのです。そうすることによって、自分たちの子供を自分たちの子供としてではなく、世界の子供として、親が違っても四大国の親として、共同し合って育てるのです。そうしなければ、世界は一つになりません。自分の子供のように、責任を持って育てる心情を養わないと、世界は統一できません。自分の子供と隣の子供とに差をつけるようなことをしたら、一つの家庭で生活するようになると問題が起きるのです。 先生には八人の兄弟姉妹がいました。立派な兄弟姉妹です。しかし、兄にも姉や妹にも、原理のことを一言も語っていません。父母に対しても、一言も語っていません。それで、私がどういう使命を持っているかを誰も知りませんでした。 ただ、兄だけは知っていました。兄は霊界に通じていましたから、日本がいつ戦争に負けるかも、ちゃんと知っていたのです。啓示で教えられていました。ですから、兄は私が弟の立場でありながら、世界にまたとない弟である、ということだけは知っていたのです。世界にたった一人しかいない弟は、歴史を代表している、ということを知っていたのです。それは、再臨主である、ということと同じ意味です。 日本の行くべき道 しかし、蕩減復帰の道において、兄弟に先に教えるわけにはいきません。サタン世界のカインを、みな復帰してからでないとできないのです。カインが復帰されて、アベルを愛するようにならなければ、父母につなぐ道がありません。ですから、復帰は難しいのです。 そのような観点から見た場合に、日本はこれまで反対の道を歩んできました。任命されて、「自分がアベルだから絶対服従せよ!」という命令をしてきました。それは原理から見ればまるっきり反対です。カインに、いかにして天国に至る道へ行けるのかを教えてあげなければなりません。親の立場に立って兄さん姉さんたちにすべてを教えてあげて、完全に相続させた後に、初めてアベルの立場に立つことができるのです。アベルは、カインが復帰される途上において、初めてアベルという位置が決定するのです。 日本の統一教会は、それが分かりませんでした。アベルとして任命されたのに、何もしていません。信仰的、霊的世界において復帰した主体的内容を持たずして、完成した立場のアベル圏の権限を振るうということは、大変な問題なのです。 ですから、それが問題となって、カイン圏が引っかかっているのです。必ず自分自身を否定する世界を通過しなければなりません。男性は、自分を否定しなければ責任を果たせません。女性も責任を果たせません。 このような現状のもとで、自分が死ぬことをいやがって、自分はさておいて「君たちがやれ!」と言っているのです。今の状況はそのような状況です。それは間違いです。先生から見れば、全世界のカイン圏が自分は何もしないで「服従せよ!」と言っているような状態です。それでは服従するはずがありません。服従してもらえるような基盤をつくってあげないといけないのです。 先生は、生涯を懸けて先頭を切ってやっているのに、日本は反対のことをしてしまいました。日本は、日本ばかりを中心として、エバ国家を中心として天宙を復帰しようというのですか。そのようなことはあってはいけません。祝福家庭はみな、自分の家庭を中心にして権限を振るったのですが、そうはいきません。 先生の言うことを聞かなければ、日本は大変なことになります。日本列島は海に沈んでしまうかもしれません。絶壁の上に立っているような日本です。海溝で一番深い所は一万二〇〇〇メートルありますから、日本は、一万二〇〇〇メートルの断崖の上に立っていることになります。 みな、きれいになくなってしまいます。ソドムやゴモラと同じです。神様が日本から離れるようになれば、家庭が崩壊し始め、大変なことになります。統一教会が日本の地になくなってしまったら、何の希望もありません。四〇年間築いてきた世界的基地を、その地に残す何の理由もないのです。将来、そうなるのはそう遠くありません。先生がエバ国家として任命したので、神の摂理によって祝福され、今まではそうなってきたのです。 エバが、神のものをすべてサタンのものにしてしまったのですから、エバを中心として、全世界の万物を神のもとに復帰しなければなりません。そういう時代が来たにもかかわらず、日本人はそのようなことを知りませんから、今、経済力がどんどん下がっているのです。自分自体が打たれていることを知らないで、真っ正面から統一教会を打っているので、ますます大変なことになります。 為替レートが一ドル一一〇円から六〇円になったら、日本は大変なことになります。日本経済は動かなくなってしまいます。天運が離れたら、そうなります。アメリカも大変だし、日本もドイツも大変です。統一教会を迫害するようになれば、自分が反対にやられてしまうのです。 日本の子供が乱れてきます。ポルノに走って、子供から打たれてきます。学校にも行かなくなります。西洋人は、行ったり来たりして、帰ってくることもできるのですが、東洋人は行ってしまったら帰ってくることができません。もっと悲惨になるのです。 日本は、性教育の問題が大変でしょう。子供に性交の絵を見せて、「性的体験はいいことです。二一世紀はセックスの時代になります」と、サタンは宣伝するのです。今までとは逆に、アジアにおいて教育界が問題になっているのです。そういう本は追放しなければなりません。天運が去れば、そうした現象が起きるようになります。 そういうことを考えれば、統一教会の祝福家庭はずっと幸福ですね。祝福を受けた家庭として、幸福に思う者、手を挙げてみてください。(全員、手を挙げる)みな、そう思いますか。先生が国際結婚とか、変わったことをすれば、その女性は親からしかられて大変ですね。そういう伝統がつくられました。国際結婚などできないと思っていたでしょう。 国際結婚によって民族の怨讐を超える 先生から見れば、日本と韓国は、古代から同じ民族です。東洋の統一は誰がなしますか。家庭を誰が連結しますか。国家が連結されるのではありません。根底から家庭が一つになる基盤をつくらなければ、東洋は一つになれません。 そのためには、結婚が問題になります。韓国人同士、日本人同士、中国人同士が結婚しても、東洋は一つになりません。それぞれの民族のままです。日本民族はアジア民族から恐れられています。日本に政治的に支配されていたし、アジアの女性は日本の男に蹂躙されていたので、日本民族と結婚したいとは思わないのです。 先生が、日本人との国際結婚を勧めようとすると、以前でしたら、韓国人は一番いやがりました。しかし、それ以上のものはないので、先生を信頼して頼んでくるようになったのです。「すべてをお任せしますので、よろしくお願いいたします」というように。ここまで来るには大変でした。 そうしなければ、世界を一つにして救う道がありません。結婚すれば、半分ずつ人種が変わっていきます。日本人、韓国人の怨讐観念がなくなっていきます。二代続けばみなきれいになくなってしまいます。そのためには、四〇年かかるのです。三代目になると、六〇年かかります。 このように反対されてきた国際結婚は、今や世界的に公認されるようになりました。アメリカ人は、国際結婚を悪く思いません。日本人もそうでしょう。昨年、日本国中は大騒ぎで、統一教会はペチャンコになると思われたのに、ペチャンコになるどころか、逆に上がっていくのです。皆さんもそうです。 先生に指導されてペチャンコになると思ったら、大間違いです。反対になっていきます。先生の言うとおりにすれば成せる、ということが分かってきたでしょう。「成せば成る、成さねばならぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」という有名な言葉があるではありませんか。それは、人を中心として唱えているのですが、神様を中心として成さなければなりません。先生はこれまで一人ぼっちでした。友達もいません。相談する者もいません。 しかし、皆さんには相談する人がいます。指導してもらえる主体がいます。お父様が皆さんを指導しています。先生は主体もなく一人ぼっちでしたが、問題の多い世界を収拾してここまで来ました。客体である者が、主体である先生を疑って、絶対的相対基準に立てなくてふらふらするのですから、主体圏が立たずに、皆ペチャンコになってしまうのです。 皆さんは、何が心配なのですか。先生に比べれば、何も心配いりません。心配すること自体がおかしいのです。こんなに詳細にまとめて教えてあげているのですから。原理的思想体系から、家庭にまで一致する内容が解明されているし、そのような立場に自分を立てていれば、天下の中心になるのは間違いないというのに、何が心配なのですか。 お金がなくて心配ですか。お金は、神様がいくらでもつくることができますし、必要以上につくってくださいます。公的なお金を絶対に必要とするような、価値ある体験をしなかったので、できないだけなのです。 統一教会に反対する者は罰せられる 先生が言うように三年前からしていたら、統一教会はすでに世界的になっていたはずです。先生一人で頑張ってここまで来ました。日本が先生の背後を援助したからではありません。今は、世界を統一するところまで来ているのです。 今後の新規五万人の教育はどうなりますか。それは、日本のためにするのです。先生が誰よりも日本を保護しています。日本を救うためにするのです。 ですから、日本人が覚醒されてきました。この気運を絶対に消してはいけません。皆さんは、長子権復帰を強く要求されているのです。本当に神様の立場から訴えるなら、相乗の相対圏が生まれてきます。無関心、無関係の立場で考えるから、それが成せないのであって、本当に神様の代わりに立ってなすのならば、皆さんの主張することはみな、聞き入れられるようになります。お金が必要ならば、お金が生まれてきます。人が必要であれば、本当に、失った子供や夫を涙ながらに求める心情があるならば、その相対圏が、どこでも得られるようになっているのです。先生はそういう生涯を送ってきたのです。 国家が、先生に依頼せざるを得ないような時代が来ます。アジアの周辺の列強国家間を結びつけることは、韓国政府にできなくても、先生にはできるのです。皆さんはそれを知りません。近いうちに分かるようになります。 日本が反対すれば、どこまでも日本が蕩減復帰しなければなりません。先生は日本民族に蕩減させたくないので、それを統一教会が蕩減するのです。世界的な運勢が、どんどん世界に広がっていきます。ですから日本は、世界に拡大していかなければなりません。そのために、女性が世界に出て行くのです。 今の現状以上の基台が確立されれば、日本は栄えます。先生が、日本に関心を持たなければ、日本は衰えてしまうのです。先生の言うとおりになるかどうか見ていてみなさい。先生は恐ろしい人間です。 海外に行こうとする人々のいる、第一回目の修練会ですから、多くの心情を込めなければならないことを知っています。先生は負債を負いたくはありません。先生の生涯において、いくら難しいことをやっても、統一教会のメンバーの世話にはなりません。 今、霊界では、先生に働かないで休むように命令しています。しかし、休まないでもっと働けば、より蕩減の価値が立体的なものとなります。皆さんの大半は、祝福家庭ですね。(はい)。祝福家庭が苦労して責任を持てば、祝福されていない者が苦労するより、蕩減の量が大きくなります。 先生は自分の欲望のためではなく、全人類の解放のために歩んでいます。ですから、サタンも讒訴することができません。サタンは、人類壊滅のためにやってきましたが、真の父母は、神様の解放のために働いてきたのですから、反対することができないのです。 今まで神様のほうは、条件的蕩減をしてこられました。一〇〇〇ドルのものを一〇〇ドルや一〇ドルで、犠牲の血を流し、涙を流す条件でもってカバーしてきたのです。しかし、今からはサタン世界はそうはいきません。サタン世界は条件的ではありません。一対一より以上に蕩減していくのです。これからの時代に、統一教会に反対する者はよくありません。統一教会に反対する者は神様に罰せられるというのです。その時期を先生は、延長してあげているのです。 お母様は、皆さんが行く道を世界的に準備するために、四〇か国を巡回しているのです。これから皆さんが世界に行っても、あまり苦労しません。その国にも基盤をつくっているのです。こうすることによって、日本が受けるべき神の裁きを、世界的に平面にして減少させるのが目的です。皆さんが苦労することによって、たくさんの人が救われます。日本がやらなければ、日本がやられるのです。 霊界が援助する公式 時間が長くなりました。朝食の時間になってきたので、眠そうな人がたくさん見えてきました。(笑い)イスラエルのゲッセマネの地で、イエス様は弟子たちに、眠らずに起きて祈りなさいと言われましたが、みな眠ってしまいました。 イエス様を守るべき、最後の峠を越えることができずに眠った者は、すべてイエス様を裏切るようになってしまいました。先生は、その時のイエス様と同じような気持ちがします。 何も知らない者は、このように眠気がするのです。真剣でないからです。先生が長く地上にいるのがいいのですか、早く霊界に行くのがいいのですか?(長く地上にいるのがいいです)。先生は、もう地上に長くいなくてもいいのですが、こうして地上にいるのです。それは、お母様と子供のためです。 これ以上地上に長くいても、先生自身に対しては、何も助けになることはありません。それで今、霊界に行く準備をしているのです。 ですから、米国や日本においても悪なるものを整理しているのです。そのようにして、お母様を訓練し終わり、先生の子供たちにもみな、訓練しているのです。 この世の人たちの関心は、文先生が亡くなれば、誰が教祖になるのかと思うのです。今、お母様と子供たちの歩みを見ると、その心配がなくなりました。お母様が教祖のように堂々と行っています。世界のどこを巡回しても、先生と変わらない思いを持つようになっています。子供たちも同じです。 そのようになった場合、統一教会は、先生がいなくても問題はありません。『ワシントン・タイムズ』とか『ワールド・アンド・アイ』、『インサイト』、テレビ会社を中心として、すべて関係を持つようになったので、これ以上の基盤はありません。今まで、科学者世界には、言論界に通じる道がなかったのですが、先生によって皆つながり、堂々たる基盤になってきたのです。晩秋になり収穫を終え、穀物の種をまとめて倉庫に入れる時期を、先生はよく知っているのです。 全体のために活動しないで、自分を中心として考えれば、霊界は援助しません。滅んでしまいます。霊界が援助するためには、公式があります。霊界は、自分を中心として考えるところには、同調しません。神の公式にかなうような相対圏に対しては援助しますが、それ以外のところには援助しません。だから恐ろしいのです。 今まで、皆さんは命を懸けて、親戚や兄弟を伝道しませんでした。カインはアベルを殺し、強制的に地獄に連れていったのです。今はその反対の時代です。サタンがやった七〇倍までやっても罪にはなりません。 ですから氏族的メシヤは、その氏族を総動員して、自分がメシヤとして立ちました、という大会をするのです。その大会をすると同時に、二世はすべてつながらなければならないのです。氏族的メシヤの内容は知っていますね。(はい)。 ですから、日本に帰ればすぐに、家で原理の本を読んで説明するのです。自分の家から女性がお嫁に行ったとすれば、それらの親戚をみんな、何かの記念の日を中心として集めるのです。そして、立派な愛国運動をしましょう、というのです。 このようにして、親戚や兄弟圏を救ってあげなければなりません。分かりましたか?(はい)。涙を流し、徹夜祈祷や断食を重ねれば重ねるほど、それは立派な勝利の方法になるのです。いかに立派な訓練を受け、涙をどれほど流しましたか。 また県や郡に対して、どれほど責任を持ち、考えたでしょうか。そして、どれほど憂える思いで真剣になって、国を愛したことがあるでしょうか。それは将来、越えなければならない峠なのです。霊界に行っても、それを成さなければ、その峠を再び越えていかなければならないのです。女性の道は、そのように貴い道であり、皆さんは、最後に世界万民を、自分が抱えて生まなければならない、エバ国家の使命を持った国民なのです。 自分の一身すべてを犠牲にし、また、自分の本家はもちろん、三代の先祖たちのすべてをその国に持っていき、その国が自分の国よりも栄えるように祈って、帰っていかなければならないのが、海外に行く人の行くべき道なのです。 祭物は所有観念を超越していくのです。所有観念を持った場合には、祭物になれません。自分の国が犠牲になっても、自分が行くその国が、栄えるように祈って帰ってこなければなりません。 先生も米国に行って、二一年間そのようにしました。自分の一族や韓国を犠牲にして、投入するのです。世界を代表したアメリカを救うためには、一国を犠牲にしても、やむを得ないのです。ですから、先生は韓国を犠牲にして、米国に行ったのです。しかし、そのようにしたからといって、韓国は犠牲になりません。 カインを完成させた場合には、カイン圏のすべてがアベルのものになります。二つの国が自分のものになるというのです。世界の中心の米国と、自分の国(アベル国家)が一つになれば、二つの国は自分の国になります。分かりましたか?(はい)。米国での使命を果たさないで、自分の国のことばかり考えていた場合には、二つとも失ってしまいます。先生は、韓国を犠牲にしながら今日まできました。ですから、神様は韓国を守ってくれるのです。 一番難しい時は、必ず韓国へ行くのです。韓国に行って、たくさんの問題を解決したのです。ですから、政府はみんなそのことを知っています。「文先生は不思議な人です。国が一番困っている時に来られて、それを解決しては帰っていかれる」というのです。神様がそのようにしてくれるのです。ですから、韓国は滅びません。みな滅ぶと思ったのですが、そのような渦中で発展してきたのです。 韓国人と日本人の国民性の違い 韓国は、日本に負けません。日本が開発したものが市場に出てきた場合には、三週間以内に、それらすべてのものをつくることができます。そういう才能を持っているのです。梨泰院(イーテウォン)という所を知っていますか。世界のもので、ないものがないのです。世界のもので、一番立派なものと称えられるものは、すべて梨泰院にあるのです。それは偽物なのですが、本物とそっくりのものです。しかし、値段は五分の一にもなりません。米国の有名人も梨泰院に来てみて、「いやー、こういう所があった」といって、たくさん買っていきます。(笑い) また、韓国人は、就職した一日目から専門的な仕事をすることができます。仕事が異なれば、一週間とか二、三週間かけなければできない、というのが常識です。しかし、韓国人は数日で覚えてしまいます。それで、米国では問題になっているのです。韓国人が、米国にどんどん行った場合には、米国人がみな職を失ってしまいます。韓国人にやらせるほうが早いのです。 韓国は、歴史的に見ても弱小国家でしたから、一〇〇パーセントのものを必要としません。絶えず周辺国家に侵略されていたので、いつも移動しなければならなかったのです。完全なものをつくって住もう、という者はいないのです。どうせ移動すると思うからです。七〇、八〇パーセントで十分であると思うのです。そのような国にされてしまったのです。ですから、七〇、八〇パーセントになっていれば、一〇〇パーセントのものとだいたい同じなのです。それで、韓国人はすることが早いのです。その中で一番代表的な男性が先生です。(笑い)先生が一番早いのです。 先生は、八〇パーセントのものはつくりません。完全なものをつくります。ですから、文先生が手を出すと、韓国も恐れるのです。日本も先生を恐れているのです。文先生を恐れているということを知っていますか。皆さんは先生を恐れないのですか?(笑い)統一教会のメンバーは、文先生を恐れながらも近づこうとするのです。恐れたら、遠くならなければならないのですが、近づいてくるのです。 今から一〇年後には、韓国人が米国の政財界に進出していくだろうと、最高クラスの人々が考えているのです。韓国人が行っていない所はありません。韓国人は、狭い国に行って住みたいとは、絶対に思いません。そのような男らしい気持ちを持っているのです。日本人と全く違うのです。韓国の女性も全く違うのです。日本の女性は、一つのことしか考えません。しかし韓国の女性は、それ以上のことを考えるのです。そのように考えるのですから、中心者になるのです。韓国人と日本人は、国民性が違います。 韓国人は外国に行って、自分が飢え死にするようなことがあっても、韓国大使館に行かないのです。大使館を訪問するのであれば、自分が反対に、助けてあげるような立場でなければならない、と考えるのです。そのような伝統を持っているので、五〇〇〇年間、国を守ってくることができたのです。 チンギスカンは、韓国において負けたのです。チンギスカンは、歴史の中で負けたことがないと言っていますが、そうではありません。韓国に完全に負けたのです。江華島に行けば、そのような歴史的な事実が残っています。韓国人が結束すれば、恐ろしいのです。しかし、今まで、韓国人を結束させた人はいません。それは、先生によって結束することができます。一つになった場合は恐ろしいのです。 皆さんに、僑胞を伝道するように言いました。一番伝道しやすいのは、韓国人です。これからは、日本人はもちろんですが、韓国人をどんどん投入します。日本の副教区長は韓国人でしたね。日韓祝福、交差結婚した家庭は、将来、みな中心の家庭、教区長になるのです。そうならざるを得ないのです。 韓国の副教区長は、説教などもしてきました。教会の指導方法からすべて訓練されています。ですから、することすべてが経験の上でするのです。今、経験の少ない人はどうにもなりません。説教をするにしても、自分が直接なした経験において語るので、日本語で語るようになれば、その影響力が強いのです。 また、韓国人は日本語を学ぶのが速いのです。日本人が韓国にいて三年、四年たっても、韓国人が日本にいて、日本語を習う一年の重みに負けるのです。南米においても、日本人たちが五年間いても、説教はできませんが、韓国人は一年半でも十分説教ができるのです。ですから、日本人は、韓国の伝道師と比べると負けてしまいます。今から負けないように決心してください。(はい)。 縦的霊界の援助体制を固める 海外に行く皆さんは、周辺から注目されます。日本の女性と分かれば、男性たちはみんな近づいてきます。そのような複雑な環境の中で、いかにして自分の体を守っていくかが大切です。 女性は、自分の保身のための秘訣や内容を持たなければなりません。そして一瞬にして、それを使えるようにしなければなりません。日本と違うのです。そのようなことは、考えもしないでしょう。このように、いろいろ難しい問題があるのです。 そのようなことに対応していくには、神様の援助が必要です。神様が守ってくれます。ですから、祈祷して、啓示で次の日に何が起こるかを知らなければ、生き残ることはできません。 開拓伝道をする場合には、みんな教えてくれます。詳細に教えてくれるのです。ですから、「神様はいない」と否定することはできません。皆さんは、何も見ることができないのです。ですから、祈祷しなければなりません。縦的な霊界の援助体制を固めなければいけないのです。ですから真剣な話です。断食して、夜通し祈祷しながら、その世界を開発していくことによって、自分の使命を果たさなければなりません。それでイエス様も昼夜、祈祷したのです。山に行って夜通し祈祷したのです。 国を救うための摂理を始めた以上は、敗北者になってはいけません。勝利しなければなりません。先生は公式をみんな知っているので、神様に祈る必要はありません。計画的なプログラムを組んで、それを成すための時間が欲しいので、祈る必要はありません。 ですから、先生の御言を中心として果たしていけば、神様は間違いなく援助してくれます。先生と一体にならなければ、援助を受けることはできません。神様が援助できなければ、成功することはできません。先生がここまで成功するようになったのは、「為に生きる」原理を知っていたからです。 牢屋に行くような場合でも、神様に依頼するような思いは持ちません。神様をいかに慰めるか、という孝行息子の思いが、神様の心を独占するので、神様が逆に守ってくれるのです。それは不思議なことです。 先生が黙っていた場合、周辺の者たちが、みな啓示を受けて先生に報告するのです。興南の獄中でも、一八人の弟子がいたのです。みんな霊界がつなげてくれるのです。そこには兵舎が三つあり、先生は一番前の第一舎に収監されていました。朝、働きに行く時、弟子たちが第二、第三兵舎から這うような足どりで、先生の所に来て挨拶して帰っていくのです。ですから、神様が共におられれば寂しいことはありません。 獄中では、食べ物が問題です。ですから、食べ物といえば、生命懸けです。そのような環境で、同じ監房の人が親族と面会して、はったい粉を持ってきます。そのはったい粉をもらった場合は、一さじずつみんなに分けてやるのです。そのように分けてもらったものは食べないで、それを餅のようにしてから水に入れて、翌日先生と共に食べようとするのです。はったい粉を食べないで、監舎に持ってくるのです。そのようなことは、今でも忘れられません。 一粒のご飯が落ちても、拾って食べるような状況です。そして、囚人たちは食べながら死んでいくのです。その死人の口の中に残っているご飯を取り出して食べるような境地で、自分の生命より以上に貴いものを、先生と共に食べようとするのです。 ところで、はったい粉を隠す所がありません。それは男性の三角地帯の後ろに隠すのです。それで一里(約四〇〇メートル)はあるところを、歩いて行ったり来たりするのです。そのようなものを分け合って食べた因縁というものは、忘れることができません。そのようなところまで神様が守ってくださった、ということを考えてみた場合には、神様に背くことも、回り道するという思いも、夢にだに抱くことはできません。 いっぺんに跳躍する道 自分の生命をささげ、一滴の血でも神様の栄光のために流す、という一念以外にありません。一片丹心の思いを持つことによって、神様のみ旨は復興していくのです。そのような経験が必要です。ですから、苦労が悪いのではありません。神様の前において誓ったその一念の心が、永遠に自分の死闘の、その力になっていくというのです。それはありがたいことです。 ですから、心配することはないというのです。そのような体験が必要です。開拓しながら、迫害を受ける環境でなければそのような体験はできません。伝道によってそれは体験できるのです。分かりましたか。(はい)。そのような体験をした者たちにしか分かりません。そのような体験をつなぐ所が霊界です。ですから、霊界をつなげることによって、皆さんには何段階もいっぺんに跳躍する道が待っているのです。それをいかに把握するかということが、伝道師としての目的なのです。それは、お金で買うこともできないし、自分の努力でもって霊界につなぐ道もありません。 孤独な立場に立ち、責められながらも、そのようにして完成されていくとともに、神様との深い内的因縁の交流がなされるのだということは、普通の人には考えもつかないことです。しかし、開拓伝道を生涯懸けてやってきた者たちには、それは理解できる話なのです。どう思いますか? 思いもよらないことが、自分の目の前に展開していくのです。 今日、「真の父母と成約時代安着」ということを宣布した、この成約圏においては、そうならざるを得ません。それは、どんどん先生の前にも現れてくるのです。大変なこと、世界的なことが起こってくるのです。皆さんもいつかは分かることでしょう。「ああ、こういうことだったのか」と。今の統一教会の、このような状況で終わるのではありません。分かりましたか。(はい)。いつ天下が引っ繰り返るか分かりません。そのような基盤も、既に外的につくってあるのです。 大勢の大統領や王様たちが、先生を慕っているのです。そういう人たちに天的な命令を下した場合、一日でその国が回るような環境は、いくらでもつくってあるのです。分かりましたか。(はい)。そのように因縁を既に結んである所に、皆さんが行って伝道をすることにより、その国の復帰が二倍も早くなったとするならば、皆さんにとっていかに栄光あることでしょうか。その感激はいかばかりでしょうか。 何もない、つまらない一人の女性として伝道に行き、その地で万民をつなげて、目標を達成して、花火を打ち上げてその伝道を終えることができるならば、それ以上の栄光はありません。そのような大きな希望を持ってください。分かりましたか。(はい)。自分の精誠を尽くして、真の愛によって天下は溶けていく、というような思いで一〇年、二〇年でも続けるという決意が必要です。 死してこの地に自分の骨肉を埋めるために、何の憂いもなく、喜びながら、地上に神様を歓迎することのできる基盤をなして死ぬことが、天の娘として果たすべき生涯の使命なのです。そのような思いを持たなくてはいけません。分かりましたか。(はい)。「女の道」を全員に拡大します。そのような希望を持って、一生懸命にやってください。もう一度お願いします。分かりましたか。(はい)。 きょうでグッド・バイしましょうか。それともあすの朝グッド・バイしましょうか。(あすの朝に)。きょう、先生は病院に入院する予定になっているのです。先生はもう七四歳になったのです。今日までとても無理してきたのです。しかし、これからもずーっと頑張らなければなりません。そのためには、体全体をチェックしないといけないのです。そういう時になってきたのです。 どのくらい休めばよいのかということを、自分なりに数理的に計算して決めないといけないのです。ですからチェックするのです。二二日の土曜日に入って、二四日以降に退院します。三日間ぐらい、全身について診断してみます。それは必要なことなのです。ですから、この次に来る人たちにはもう、先生は会えないのです。 ああ、いい雪ですね。(と言われて、窓の外の降りしきる雪をごらんになる)健康に気をつけて、一生懸命闘って、勝利の旗をその国に立てて帰ってくることができるように願っています。その勝利の旗を持って帰ってきてはいけません。(笑い)(先生も笑われる)日本の兵隊が勝利して、その勝利の旗を持ってこようとしてもそうはいきません。天国の国民、将兵、精兵たる者は、勝利の旗をその国に残してくるのです。ですから、滅びないし、後が切れないというのです。分かりましたか。(はい)。 先生も、アメリカにたくさんの実績を残したのですが、みんな残してきたのです。先生がその気であったら、それらを全部売って、そのお金でも持って来れたのですが、そうはいかないのです。精誠を尽くして、涙ながらに伝えたものは、その国民の精神の伝統として、その地に植えていくのです。それは、いつか必ず花が咲くのです。それは、普通の人間とは違うところなのです。 皆さん、日本の女性が、先生に協力したからといって、それで先生が幸福になるとか、祝福されると考えても、それは違います。先生が祝福されることは、既にみんな知っていることです。みんなそう思っているのです。 為に生きることによってすべてが完成 その最高の祝福を皆さんに伝授してあげるために、死なないで勝利する道を準備してあげたのです。立派な子供を立派に教育しなければ、国を治めることができない、ということと同じです。ですから、先生は皆さんを立派に教育しなければなりません。それで、先生は、先生の生涯で初めて、先生の持っている秘密の内容、その真理を日本の女性にすべて打ち明けたのです。分かりましたか。韓国の教区長たちも、会長も知りません。 今回、この日本の女性たちに、すべて詳細に教えました。そういうことを知りませんでしたか。小山田もずいぶん勉強になりましたね。(はい)。みな、教えてあげました。天的な秘密です。みな、教えてあげたのです。真剣に教えてあげました。教えられた者たちは、真剣な態度でそれを決意しなければなりません。それが教えられた者たちの使命です。 伝道師として出発しても、先生のように、自分の一番貴いものを、その国とその国の人々の中に発見して、その国を後にする時には、その発見した貴いものに、自分の出した実績をさらにプラスさせて祝福して、その国の万民と共にそれを残すようにしてあげれば、その国は決して滅びません。どんな時にも、そのことを先生が忘れない以上は滅びません。先生が残した実績が生きている以上は、革命を起こしても、それはその国に残るようになっているのです。分かりましたか。 日本の女性によってそのことを成すために、お母様にすら話さなかったことを、一番貴い子供である日本の女性たちに、精誠を尽くしてみな教えたのです。分かりましたか。(はい)。ですから、立派な奥さんになって、立派な子供たちを教育し、立派な世界の人々を指導するように、立派に教育してあげるのだ、ということを忘れてはいけません。 堕落した人間の世界を復帰し、本然の世界を探し求めてくるためにこのような道を開拓し、先頭に立ってきた先生の苦痛が、いかばかりのものであったか、その苦痛を知らなければなりません。それは誰も知りません。その先生の心境を教えてあげたいのですが、自分たちで体恤しなければなりません。そのように体恤しなければならないのが、エバ国家の使命なのです。本当に立派なエバ国家になるでしょうか。皆さんは、どう思いますか。 皆さんの両親は、皆さんのことを誰よりもよく知っています。その自分の両親が、皆さんの決意、状況を見た場合、それをどう見ると思いますか、と先生は聞いているのです。日本はどんな立派なエバになれるのか、というのです。(なります)。そのためには、四大心情圏を完成しなければなりません。それは通り過ぎる話ではないのです。完成しなければなりません。 先生が「真の父母と成約時代」を宣布する時に、先生自身の家庭とお母様を中心として、すべて比較対照して検討してみた場合に、恥ずかしくないような立場に立たなければなりません。そのような内容をもって、夫婦愛を地上で完成したのは、先生とお母様を中心として成されたのが初めてである、と考えるのです。それは真剣な話です。 「女の道」が分かりましたか。(はい)。それは、娘と、妹と、奥さんと、母という、エバの行くべき道です。それは環境的には、個人的、家庭的な愛の往復になるのです。このように為に生き、拡大することにより大きくなるのです。しかし、自分を中心としたならば、引っ込んでしまうのです。なくなってしまうのです。それは間違いのない真理です。先生が生涯において成し得た、実証し得た経験の上で語る言葉です。「為に生きる」ことによってすべてが完了するのです。分かりましたか。(はい)。それを大きな声で言ってみてください。(為に生きることによってすべてが完了する!)。それが「女の道」なのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.30
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先日案内しました「【LIVE案内・日本語】天の父母様聖会 第60回真の万物の日及び世界平和統一家庭連合創立68周年記念式 | 」ですが、現地の都合によりLIVE配信されないこととなりました。PeacelinkTVホームページ私も休みを取って臨んだのですが、残念です。後日のその報告を待ちましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.30
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第1回活動紹介「ミライオーが行く!YSP南愛知!」(8) MIRAIOH TV - YouTube2022/05/25 皆さん!こんにちは!今日はミライメーカープロジェクトの活動紹介第1回目ということで、「YSP南愛知」の活動をミライオーくんがお届けします!YSP中日本では、未来を創るミライメーカー達が、地域を、そして日本を元気にしようと活動を展開しています。各地で活躍するミライメーカー達を、毎月1回紹介していきますので、皆さんのチャンネル登録とグッドボタンをお願いします!6月は「YSP北愛知」の特集になります!お楽しみに!!!TikTok:https://www.tiktok.com/@miraioh_tv?la...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.28
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[22.05.29] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/05/29 09:30に公開予定一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.27
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天の父母様聖会 第60回真の万物の日及び世界平和統一家庭連合創立68周年記念式2022/05/30 に公開予定天一国10年 天暦5月1日(2022.5.30) 午前9時【関連記事】第58回『真の万物の日』(天暦5.1) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)4・「真の万物の日」 1963年7月26日(天暦6月6日)宣布(1963年7月26日に献貢式を挙行、天暦5月1 日を「万物の日」に)真の家庭が確立されることによって、万物が真の主人を取り戻したことを宣布した日です。 神の三大税福のうち、第三祝福の万物主管は、第一祝福、第ニ祝福が完成された基台の上で初めで可能になります。つまり、個性完成した男性と女性が神を中已として結婚し、夫婦が一体と なって家庭を形成し、真の愛を完成してこそ、万物に対する主管性が確立するのです。 しかしアダムとエバの堕落により、万物は本来の愛の主人を失ってしまったので、「今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けでいる」(ローマ8 ・22)といわれるような状態に陥ってしまいました。 文先生御夫妻が「父母の日」と「子女の日」を制定されることによって、アダムとその家庭を中心として、失った万物世界を再び探すことができるようになりました。「万物の日」は、真の父母と真の子女が一体となって万物に対する所有を決定し、これを宣布した日です。 「万物の日」宣布の背景には、「天勝号」進水式(1963年6月26日)があります。この日、文先生は、「きょうこの『天勝号』の進水式を挙げることは、天と地すべての勝利の出発になる」と語られています。また、3 代の意味をもつ36双(61年) ・72双(62年)・124 双(63年7月24日)の祝福式が連続して開催されたことも背景に挙げられます。 そのような基台の上で1963年7月26日(天暦6月6日)、「万物の日」が定められ、本部教会(ソウル)で天の子女の名前で天下万物を挙げて捧げる「献貢式」が挙行されました。ぞの日、文先生は、「事情があって日を延ばしたが、本来は天暦5月1日が『万物の日』である」とされました。(「家庭教会手帳2020」から)文鮮明先生御言選集 19660619 - 「第四回万物の日のみ言葉」 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)文鮮明先生御言選集 19760602 - 「祝賀パーティーにおけるみ言」 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)天一国経典・真の父母経 - 第3篇 - 第3章 - 第1節 協会創立の背景第三章 「世界基督教統一神霊協会」の創立第一節 協会創立の背景 協会創立の摂理的背景 真のお父様は、一九五三年九月十七日に上京されたのち、ソウルを中心とした本格釣な活動を模索されると同時に、大邱と釜山の教会を訪ね、開拓の最前線で苦労する食口たちを指導し、激励された。そして、不振に陥ったキリスト教と国家指導者たちの代わりに多くの精誠を尽くしながら、再出発のための信仰基台を立てられた。自ら、摂理的アベルの使命基準を探して立てられたのである。このような縦的蕩減復帰基台の上に、ソウル、釜山、大邱など、三つの地域の教会基盤を中心として、実体基台復帰のための横的摂理の活路を模索された。そして、一九五四年五月一日、ソウル市城東区(ソンドング)北鶴洞(プカクトン)、現在の中区(チュング)新堂洞(シンダンドン)三九一の六番地にある、いわゆる三つの門の家で「世界基督教統一神霊協会」を創立された。協会の創立は、イスラエル民族とキリスト教、ひいてはイエス様ができなかったことまで蕩減した土台の上に、彼らに代わって真のお父様が一人、立つようになったことを意味する。結局、キリスト教団の不信によって歩むことになった蕩減復帰路程を勝利した基盤の上で、協会が立てられ、真のお父様を中心に新しい神様の主流摂理が始まり、新しい変革が社会と国家、世界全般にわたって現れ始めたのである。北鶴洞(プカクトン)の三つの門の家で協会出発 協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕(かめ)を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.27
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「第十一回愛勝日の御言」1994年1月2日漢南洞公館 一九九四年一月二日、愛勝日の式典後、日本の幹部に日本語で語られた内容です。 「真の父母と成約時代安着」 今年は一九九四年ですね。成約二年です。今から成約二年というように数えていくのです。成約時代と真の父母の宣布というのは、大転換時代、宇宙の転換時代です。新しい成約時代に入るので、成約元年を一九九三年に発表しました。以後統一教会は、成約二年というように、これから成約年号を全世界的に使わないといけません。そうすると、何年もたたないうちに西暦年号が変わってくるでしょう。 今の時は、摂理的観点から見たらどういう時かというと、今日、摂理的に立っているところは、ちょうど一九四五年当時、連合国家が日、独、伊を敗北させて勝利したその時に当たります。キリスト教文化圏である連合国家を中心として世界が一つになったのです。その一つになった目的は、神様の御旨を完成するためでした。人類はそれを知らなかったのですが、神様がきちんと歴史を通して、その目的完成のために準備して勝利圏を立たせたのが、第二次世界大戦後の連合国家の勝利圏だったのです。その統一された全世界の連合国家、代表国家は、エバ国家とアベル国家とカイン国家です。そうなっているのです。 堕落によって、神側とサタン側に分立されてしまいました。それは種を神様のほうとサタンのほうに植えたことと同じです。天の側は良心圏に立ち、サタンの側は肉身圏に立って、それが心身分裂を中心にして世界的に発展していっているのです。一方は宗教的世界、他方は政治的世界としてです。だから、外的に象徴される肉身の基盤をサタンが持つようになりました。そのサタンの基盤というものは、堕落した愛を中心として出発したものです。 創造本然の立場から見た場合に、良心圏の基準は、まだ神様と愛の関係を結んでいないというのです。良心圏はまだ神様と愛の関係を結んでいない立場にあります。だから、堕落する時、長成期完成基準の立場でサタン的愛と一つになった立場は、その時の良心基準より強いというのです。だから、サタンの基台になっている肉身を中心として、サタン的愛の根っこを下ろし、アダムの体、エバの体を中心として、サタン的血統がつながってしまいました。 今まで神様を中心として、良心圏を中心として世界的キリスト教文化圏が発展し、いろいろな宗教圏が発展してきましたが、それは、神様の愛と因縁を持つことができなかったのです。だから、神様は地上のすべての人類、歴史を直接主管することができませんでした。もしもこれを主管することができるというのであれば、アダム・エバが堕落する時に神様は主管されたはずです。しかし、完成圏に到達できない期間内で堕落するアダムに神様は干渉できませんでした。完成圏が生まれるまで、神様は直接地上に手を伸ばして主管することができないのです。 だから神様は、その反対の方向を取る蕩減の道、復帰の道をたどってこざるを得ません。そうすると、神様の戦略戦術というものは、打たれて、弁償させて勝利してくるのです。サタンは打って滅んでいきます。誰が先に打つかというと、悪が先に打ってくるというのです。神様の摂理の基準を正していくと、いつでもサタンのほうはこれを攻略してきました。攻めてくるその基準は一対一ではありません。中心的なアベルというものは、世界を代表するアベルなのです。だから、全世界の環境にあるサタンは、力を集中してそのアベルをたたくのです。 アベル圏が立つとしても、それが完成圏の上に立っていない以上は、サタンは自由自在に殺すことができます。殺されるからといって、神様は干渉して保護することはできません。もしも、それを保護することができるのであるならば、神様は堕落させなかったというのです。堕落したということは、干渉することができなかったということです。だから、たくさんのアベル的血を流しながら、殉教の歴史を広げてこざるを得なかったというのが宗教圏の悲惨さです。 それから、個人の蕩減においても、全世界的に個人の復帰、個人アベル復帰圏に向けて世界的に迫害するのです。そうして、アベル圏のたくさんの人が世界的に死ぬことによって、そのことを中心として、個人的蕩減完成がなされるというのです。東西南北を見れば、一人ではないのです。サタン圏が四か国、五か国、あるいはたくさんの国があった場合には、その国において皆判定するのだから、その国の文化的背後関係、地域的習慣とか、皆それを収拾して立ち残るようなアベル圏を収めていくのです。だから、宗教圏にしても平行ではありません。 アベルとしても、蘇生的アベル、長成的アベル、完成的アベル、東、西こういうたくさんのものを中心として、蕩減の道を広げて、それを全体的な個人として立てて、世界的な個人中心圏を求めてくるのです。そのようになっているから、たくさんの宗教圏を順繰り、順繰りしながら、中心圏の主流宗教を中心として、最後には勝利できるようにつないでいくのです。 そういう意味で、宗教が世界的になるように、各地域を越えて世界主流の立場に立つようにさせたいのが神様の願いです。だから、個人のアベル圏を越えた場合には、次は家庭的アベル圏です。宗教圏を見れば、僕の宗教から養子の宗教圏、庶子の宗教圏、実子の宗教圏からなっています。エバを復帰すると、巫女から始まる女の宗教、そのようにして横的につながっています。このように展開しているのです。 歴史が古いからその宗教が先であるということはありません。古ければ古いほど、それは低いというのです。なぜ古いほど高くないかといえば、古ければ古いほど、個人的蕩減の量が大きいからです。どんどん世界的になった場合には、最後になっていくほど蕩減の道は少なくなります。だから、再臨の主は最後に生まれるのです。終末期、それを皆統合した後に、それを相続して、アベルである再臨主が一番末端の席に来られるのです。そうすると、蕩減条件を払わなくてもいいというのです。このように個人から、家庭から、何千年の歴史を通して、神様は主流宗教を中心として歴史をまとめてこられたのです。 宗教の根底、宗教の目的は一体何かといえば、それは真の父母と真の子女を求める道です。それは創造理想そのものです。神様の御旨というのは創造理想完成です。統一教会ははっきりしています。一体神様の御旨とは何か? 創造理想完成。創造理想完成とは一体何か? 四位基台完成。きちんと公式になっています。神様の創造理想の目的がなし得なかったのだから、救援摂理の目的は、再び創造理想を完成すること、四位基台の完成です。 神様を中心とした愛の因縁を中心として、アダムとエバが一つになった場合には、神様の無形実体の形状、性相が、無形実体の愛の主体が有形実体に分立して、それが結婚式を通して一つになることによって、主体である無形実体の形状、性相の相対圏に立つと、これが一つになるのです。だから、横的一体、縦的一体をなすことによって、これが一つとなることによって神人愛一体圏が生まれます。そうして、神様が人間と共に、家庭を中心に安着できるのです。今年の年頭標語も「真の父母と成約時代安着」としました。安着、それは神様が真の父母と共に、愛を中心として、地上に歴史以来初めて着陸するのです。 堕落の絶対的自覚を持たなければならない 堕落したアダムの愛を中心として着陸した基地、サタン的な基地が肉身でした。アダムの良心を中心として見た場合には、相対的立場が肉身だから、愛の関係により結んだ以上、サタン的な愛の基地は、相対的な立場に立っている肉身にならざるを得ないというのです。それを神様は防ぐことはできません。原理に合った立場だから、仕方なしに、肉体をサタンの基地として植え込み、根が下りるようになりました。それからずーっと、アダム・エバを中心として、肉体圏はサタンの血統圏とつながったのです。これが問題です。 神様の血統圏はまだ始まっていないのです。戦って勝つ見込みはありません。長成期完成基準のサタン的愛で結ばれた世界というものは、長成完成基準の堕落当時の良心の基準より強いというのです。これが問題です。愛の因縁で植え込んだその基地は、サタンの愛が強いのです。もしも、サタンの愛が弱かった場合には、復帰はそう問題ではありません。良心はきちんと神様に帰ることを知っています。良心は第二の神様といいましたね。良心には何の教育も必要ありません。そのままにしていれば、サタンがブレーキをかけるものがなかった場合には、自動的に神様のほうにすーと通り過ぎるようになっているのです。だから、強いサタン圏の愛の基台でもって植え付けられた根が、肉体圏に植えられたことが問題なのです。 それを取り除くには再臨の主が必要です。再臨の主とは何か、メシヤとは何かというと真のお父様です。真のお父様というのは、完成されたアダムです。完成されたアダムというのは神様の愛と一体となったアダムのことです。神様の愛と一つになったアダムとなるならば、神性は自動的に一体となるようになっているのです。これをはっきりしないといけません。 神様の愛と関係をもっていないから、今まで神様と一体となることができなかったのですが、神様の愛と一体となったならば、神性は自動的に一体となります。今までの人類の歴史において神性と一体になった者は一人もいません。それは堕落のゆえだというのです。このような原理観で批判することによって、我々ははっきり分かりますが、一般の人はそのような概念さえつかむことができません。堕落以後の人類歴史を通して、神様を中心として見た場合に、心はいつもサタンに引っ張られてしまうのです。だから、良心はいつも苦悶の生涯を、歴史を通して苦悶圏を乗り越えることができませんでした。 神様はよく知っているから、終末期には、サタンの愛の基台であるその根っこが取られてしまうというのです。誰が取るか。サタンは取ることはできません。神様も取ることはできません。神様が取ることができるのであれば、堕落させなかったのです。誰が取るか。それは完成したアダムです。完成したアダムが、真の神様と愛で一体となり、神性一体圏をなし得、それを中心として準備させてやるのです。準備させてやる以外に道はありません。 だから、肉身の因縁でサタン的血統と結びついて、歴史的版図を持ったいかなるものも公認するということは絶対許せません。肉身に下ろしたサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統の因縁圏が延長されて、今まで歴史がたどってきたのだから、その歴史上に残っているいかなる国、いかなる習慣性、いかなる聖人の教えであっても、それはそのまま通じません。みなゼロにしないといけないというのです。 先生は今まで、自分が一番愛する者にも、こういう内容を知らせることができなかったのです。先生がこういう動機で、そのように分割して一方を消滅させるという方法を知らないのです。今まで良心を中心としてしてきたことが正常だと考えます。先祖からずーっと歴史を通してきたのだから正常だと思うのです。しかし、それは正常ではありません。堕落したことが分からないから正常だと思うのですが、これが問題です。正常ではないのに正常であると思うから、サタンは自由に延長ができるのです。 ところが、統一教会が生まれることによって、完全に非正常の状況に落ちているのです。だから、終わりの時には、サタン圏を中心とした伝統的因縁を捨て、最も愛する者、最も貴重に思う者が自分の首を取ってしまうというのです。それが家庭です。自分というものと家庭というものです。 聖書はそういう内容を知っていながら、詳細に説明ができないのです。サタンは基台を持っているのに、イエス様はその基台を持っていません。話だけではなせません。基台をつくって、比較対照してこうではないかと、同じ実体基盤をつくらないと取り返すことはできないのです。神様のほうで基台を持たないと、いくら取り返してもまた盗まれてしまいます。すぐやられてしまいます。だから完成したアダムは、はっきりその内容を知って、きちんと基台をつくり、勝利的な証拠物を出して、「君はだめだから交替しなさい」と言う時、そういうことができるのです。 だから、こういう内容をはっきり知ることによって、自分たる者は、歴史を通して心身分割圏にいるという、堕落の自覚を明確にしなければなりません。それは天宙を転覆するような自覚です。分かりましたか。その自覚のレベルはどの程度かというと、百パーセント天宙です。あなたたちは日本だけを考えています。日本はあてになりません。天宙、霊界ともども、地獄ともども、そういう自覚です。先生の話を聞いて、そういう自覚ができましたか。(「心掛けができました。」)心掛けといっても何もないではないですか。実績がありません。勝利的実体物がなければなりません。悪のものと善のものは、実体でぶつかって勝敗が決まるのです。リング上においてボクシングで決闘するのと同じです。先生が基盤を持っているから、日本でもアメリカでもぶつかれというのです。アメリカも、日本も、全世界がもうのびてしまっています。文先生を一番怖がっているのです。 堕落した自覚性は天宙宣布してあまりある、その自覚が必要です。先生の話の方向から見て、それが絶対必要ですか、必要ではないですか、(「必要です。」)本当ですか。先生は必要だと思いません。(「必要です!」)はっきり分かったので、二度教える必要はないですね。戦いが済んだので、先生が詳細に話してあげるのです。君たちの堕落したその自覚性を、天宙宣布してあまりあるような自覚を持てば、いかなるものが来ても問題になりません。間違いなく自覚を持つようになりましたか。(「なりました。」) 先生はそういう自覚を君たちに譲ってあげたのだから、先生はもう自覚ない者になってしまってもいいですね。(笑い)年寄りのお父さんは霊界に行かないといけないではないですか。今七十五歳です。七十五歳はもう八十代です。今から先生に頼んで、もっと働いてもらいたいと思う者は愚か者です。先生が今まで持ってきた絶対的自覚を、あなたたちに完全に伝授しましょう。今から七年間、先生がやらなくても、あなたたちがやらなければなりません。分かりましたか。あなたたちの時代です。だからはっきり教えてあげなければなりません。 旧約・新約基準完成の四十年 堕落した自覚は個人だけではありません。家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべて、地獄まで転覆するのです。全世界に五十二億いるとしても、男・女は二人と見るのです。個人的完成、家庭的完成、氏族、民族と八段階完成をアダムが失ったのだから、これを同等の立場で、各自が責任を持つことによって、真の父母が八〇パーセント、九〇パーセントなしたけれども、自分たちも結晶体のように、六角の水晶体にならないといけないのです。 先生が迫害を受けながら、百六十か国の宣教基地を造ったとするならば、あなたたちは百六十か国にあたる家庭的基盤、百六十軒の家庭を収拾しなければなりません。そうすることによって同じ結晶体になるのです。結晶体になったその位置を獲得した場合には、一かたまりになった結晶体と同じく皆一つになるのです。これは公式になっています。だから百六十軒には、ヤコブ家庭の十二数、モーセの七十二長老の失敗、イエス様の百二十門徒の失敗が入っているのです。 戦後、キリスト教文化圏を新婦として、連合国家が先生を迎えた場合には、百六十か国を中心として、憲法を作って法律が発布されて、七年以内に、統一の世界、地上天国、天上天国を成し遂げるようになっていました。一九四五年から七年間で、一九五二年までに終えるのが先生の目標だったのです。そういう内容をきちんと構えておりながら、足場がなくて、皆追い出されてしまいました。完全に神様が主管するその基台を、再臨主を中心として一体となって定着すべきその基台を、連合国家が反対することによって、完全にサタンが主管するようになり、先生は神様と共に荒野に追い出されてしまったのです。 再びその基準まで戻すのに、四十年を中心とした蕩減復帰の期間がありました。四千年を四十年で蕩減するのです。何十倍、何百倍以上の犠牲を払ってでも、これをよじ登って復帰しなければ、神様の摂理は永遠に延長されるのです。大変なことです。 復帰摂理から見た場合に、個人的に完成したこともなければ、家庭的にも失敗、氏族的にも失敗、民族的にも失敗、国家的にも失敗、世界的にも失敗してきたのです。完全に世界的基盤において、神様と再臨主が追い出されたのです。四千年の歴史を四百年で蕩減するとすれば、先生は生きることができません。四十年の期間でこれを乗り越えないと、大変なことになるのです。 今日、よくも、よくも一九四五年当時の状況に戻りました。先生がお母様をずーっと育てて、先生の後に来て、お母様を中心として、女性解放とともに、新婦圏の引き継ぎをしてあげるのです。アメリカと国連です。アメリカがアベルで、自由世界はカインです。カイン・アベルが一つにならなかったから、先生が皆基盤をつくってあげて、お母様を中心として、アメリカ国会と国連の総会でこのように一つにさせるのです。一つにさせることによって、エバとカイン・アベルになったのです。お母様でもってそれは勝利したエバ、カイン・アベルになっているのです。しかし、蕩減復帰によって全世界の歴史を通してきた国家基準は持っていません。 連合国家の失敗によって、サタン圏が連合国家を取ったとするならば、本当は神様のほうはしっぽ、下のほうです。しかし、日、独、伊を取った場合には、旧約聖書と新約聖書が飛んでしまいます。摂理期間内で家庭理想、国家理想、世界理想が飛んでしまうのです。仕方なしに、アメリカ、それは第二のイスラエル圏だから、アメリカを再び選定せざるを得ません。ところが、それは神様にはできません。神様が最初に選定して失敗したのだから、再び決めることはできないのです。それができるのであれば、アダム自身を中心とした復帰は可能だったというのです。 子女を中心として、カイン・アベルによる復帰ということはもう言わなくてもできるのです。だから、二番目を通して復帰しなければなりません。だから、先生の権限でアメリカをアベルの立場に立てました。先生が立てたのだから、先生が責任を持たなければならないのです。日、米、独、これはみな怨讐です。韓国人である先生と日本が怨讐、日本とアメリカが怨讐、アメリカとドイツも怨讐、全部怨讐です。このような復帰歴史は歴史にないのです。全部が反対であり、全部が怨讐関係です。 そのようなものを前にして、先生はアメリカに行きました。アメリカを救ってあげなければなりません。アメリカは神様への第一の反逆者として、地獄のどん底に落ちるところでした。それを救ってあげるのですから、元の位置に返していくのです。アメリカが失敗したので、ユダヤ教の旧約聖書の完成を失いました。新約を完成すれば旧約は自動的に完成すべきなのに、アメリカが失敗したので、旧約も失敗、新約と成約も共に失敗です。 旧約時代をいかに復帰するか、それは第一、第二、第三イスラエルを中心として復帰しないといけないのです。皆これは反対しました。ユダヤ教とキリスト教が反対してしまいました。だから、仕方なしに、韓国を中心として第一イスラエル、旧約時代の蕩減をするのです。それが戦後二十年の期間です。イスラエル民族が、イエス様に反対する新約成立時代が来るまでの二十年間です。韓国を中心として旧約聖書の蕩減、それが二十年かかっているのです。 一九六〇年を中心として真の父母を設定することによって、旧約時代国家基準において、イエス様が国家的に勝利した基準を蕩減復帰したのです。それで、あなたたちも七〇何年だったか、国際機動隊をつくって、ヨイド大会とか、そういうことをしながら、イエス様が国家において追われて殺されたその基準を、韓国を中心として蕩減復帰しなければならなかったのです。 ちょうどその時、十二弟子がイエス様に反対したのと同じように、統一教会が迫害されて、もういよいよ崩壊という時、有名な学者たちが、皆背いて逃げていってしまいました。十二人が一つになって、統一教会撲滅運動をしたのです。それはそっくり同じです。その同じ環境において勝利を得なければならないのです。そういう勝利圏、国家基準の旧約聖書完成基盤を持って、それから新約時代アメリカ完成のための二十年間です。 アメリカに行って二十年間、全世界キリスト教を中心として実体的ぶつかり合いをして、結局は、二十年の後にアメリカはもうめちゃくちゃになりました。天下最高の法廷に座った連合国家の中心たるアメリカが、なぜ四十年間に地獄のどん底に転げ落ちるようになったか、それは歴史家も分からないのです。それは先生を迫害したためです。先生はその環境において、アメリカでずーっと闘争しながら、牢屋まで引き込まれながら戦っていきました。 そうしながら、四大国家、韓国と日本とアメリカとドイツ、これら怨讐圏を総まとめにして、滅びていくアメリカを救おうとしてきたのです。ヤコブ的な怨讐圏に立った者が、これを蕩減復帰して、国家基準まで、その国の者が忠誠を尽くす以上の忠誠を尽くして、国を神様のほうに奪い返してこなければならないのです。それが二十年間のアメリカの方策でした。 それで、国連を中心として、お母様がアメリカ国会などで勝利的権限を振るうことによって、アメリカ全体を奪回しているのです。国連を中心として、そこにはドイツも入っています。カイン・アベルです。エバであるお母様、新婦が、新婦基台をなすべきキリスト教文化圏が、新郎を迎えなかったことを蕩減復帰するのです。国連はアメリカ国会、自由世界の国会をつないでカイン・アベルです。これは天使長国家圏です。蕩減的につないで、カイン・アベルが一つになって帰ってくるのです。エバと天使長が一つになってアダムを堕落させました。今度は反対です。天使長とお母様が一つになってアダムを迎えるのです。 何もない裸の神様のために天下を捨てる 日本の国は基盤がありません。蕩減復帰されていないから、サタンがよくも知っています。全面的崩壊、八月末崩壊とサタンはお母様の行く足を切ってしまおうとしましたが、そうはいきません。あなたたちの言うようにしたら、日本はふっ飛んでしまうのです。アメリカに行って最初にやった精神を伝統としてやりなさい。アメリカに行って、あのワシントン大会ができると信じましたか。夢にも思わないことを命令するのだから、それと比べれば日本は何でもありません。あまりにも、基盤が大きくなっています。外的な雰囲気において、先生に巻き込まれるように日本はなっているのです。 お母様の東京ドームの大会も、誰も信じなかったのです。大使や副大統領の妻を連れて行くのに、日本が反対したら大変なのです。嫌だけど、仕方なしにそれをやらざるを得ません。サタンは力に押される場合には屈伏するのです。電気に当たったカエルみたいにのびてしまいます。いくら威張ってみても、先生の作戦に完全にやられてしまうのです。それで、東京ドームにマスコミをどうするかという時、皆入れなさいと言いました。入ってみると、死んだものと思っていたのに生きていた、今ジャンプして天井に上がるようなその勢いに皆目が丸くなったのです。 宗教を知らない者は皆後退します。宗教はそんな生やさしいものではないのです。日本はそうかもしれないけど、先生は質から違い、出発から違うのです。将来もそうです。先生があなたたちの話を参考にすると思うこと自体が間違っています。皆が「文先生は立派な弟子をたくさん持っていいですね」といいますが、それは逆です。あなたたちももうずいぶん先生から習ったでしょう。習いながらその通りやらないから、こんなことになっています。自分の根底には悪辣な日本的考え方があったというのです。だからこうなっています。先生がいなかったら大変です。これを完全に切って治しました。これはイエス様はできません。腐ってしまったものはイエス様にもできません。そのようなところに立つべき者たちが、皆ここに集まった、それが日本の統一教会のメンバーだというのです。一大覚醒をしなければなりません。 聖書は逆説的な論理を言っています。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」そんな話がどこにありますか。自分の通常的な考え方では完全に死んでしまい、完全にやられると思った者がやられないで、自分がやられないという者が完全にやられるというのです。回れ右するのです。そのままその方向に行った場合には、地獄、どん底に落ちるのですが、回れ右するから逆の方に行くのです。逆の方に行かない者は皆転覆します。そういう信念でいっぺんに押し切った場合には、八段階の歴史的峠、垣根をいっぺんに砕いてしまうことになります。 あなたたちが日本一の金持ちだったとしたら、その金持ちの立場を捨てて、北極のある地点に来いと言えば来ますか、来ませんか。(「行きます。」)本当ですか。(笑い)同じように、世界一の経済力を持っている日本が、自分の思う通りにできる基盤になっているのに、それをすべてゼロにして、北極の何もない石の上にぽんと立てる、それが自分の活動舞台だという話です。それをやれる自信のある者、自信を持つ者何名くらいいますか。あなたたち、できますか。話は簡単にできます。誰でもできるというのです。イエス様の前で、ペテロは三回も誓いました。死んでも、死んでもと。(笑い)あなたたちがいくら偉いことを言っても、そういう素質がたっぷりあります。ないという者は嘘です。 先生がここまでくるのに、いかに周辺の誘惑がたくさんあったか考えてみなさい。国は国なりに、だから国の援助は一銭も受けません。自分を中心として、全世界、天宙すべてを今サタンが持っています。サタンの王子として天下を治めているのに、その天下を捨てて、何も持っていない裸になった神様、その一人ぼっちの王様の子供になれるかといった場合、どうします。(「なります。」)何もない、着るものもない、神様も再臨主も何も持っていません。今、文先生の基盤は日本以上です。しかし、何の未練もありません。 死ぬのは私の使命、生かすのは神様の使命 今度女性たちは、先生のいるところに来て非常に祝福されて行きました。お母様は正妻であり、あなたたちは霊的に妾の立場です。復帰は妾を通してなします。だから仕方なしに、先生は本妻を残して、カイン圏の女性たちを中心としてなしているのです。これはアベルの立場に立っている、復帰されたアベルのエバです。二番目です。お母様の分身です。復帰は二人のエバが必要なのです。堕落した立場から復帰したエバと、新しく決めたエバです。これが二人いるのです。こちらが正妻だったら、妾の立場です。 原理からすれば、一人の男が二人の女とつきあうことはできないから、妾の旦那さんを、アダムを、接ぎ木して、ハンダ付けしてつくってあげるのです。先生は完成された旦那さんの立場ですから、弟の立場、第二番目のアダムをつくるのです。あなたたちの旦那さんたち、天使長を連れて来て、昔十六歳の時に堕落した、その堕落前の基準が残っているから、そこに完成されたアダムの勝利の実体を接ぎ木するのです。偽りの実体から生まれたものを皆接ぎ木して、ハンダ付けして、サタンの讒訴圏を逃れるような解放圏に立たせて、真の父母様が、これは自分のものということを認定してあげれば、第二のアダムとして立って、自分の前の奥さんと共に結婚することができるのです。だから、天使長は昔のアダムに、世界に忠誠を尽くすより以上、先生に忠誠を尽くさなければ相対圏を迎えることができません。原理がそうなっています。 そうして女性の相対者解決問題、自分たちの子供の解決問題、舅、姑の解決問題すべてがきれいになるようになっているのです。先生が教えた通りにやれば、そのように皆、収拾ができるのに、それを教えてもらえなかったので、アメリカなどは近親相カン関係で、フリーセックス、愛の問題でめちゃくちゃになって、サタン拡張の地上天国化されてしまっています。おしまいです。 ここに集まった者、先生の話を聞きたいですか、聞きたくないですか。(「聞きたいです。」)自由にしたくないのですか。男として青年時代は一時しかありません。統一教会で、こんな狭い部屋に座って、炭酸ガスを吸って良いことないでしょう。自由に生きていけばいいのに。地獄も天国も死んでみないと分かりませんよ。自由を許可しますから、立って帰りたい者は帰りなさい。帰りたくない?(「はい。」)帰りたい者は帰りなさい。あなたたちの父母が待っているでしょう。正月になったといって、兄弟たちと共にお祝いして、宴会して踊りながら騒ぐでしょう。帰りたい者いないのですか。(「いません。」) イエス様の最後の晩餐で、皆同じことを言いました。絶対に反逆しないといいながら、皆反逆しました。あなたたちはどうですか、そのような後継者になりたいと思いますか、思いませんか。(「思いません。」)その時座っていた者は、誰もそういうことは思わなかったのです。思わなかったのにそのようになりました。人間は別に変わるところがないのです。 こうやると痛くないですか。痛くないと言わなければならないと思っても、痛かったら目が曲がり、鼻が曲がり、口が曲がり、舌が曲がるのです。そうなりたくなくてもならざるを得ません。それを経験しない者が、たやすく思うこと自体が間違っているというのです。先生は真剣です。牢屋でたくさんの拷問に耐えてきた歴史があります。 堕落したことをはっきり自覚覚醒して、天宙にいっぺんに宣布してあまりあるというのです。宣布したらこう上がってしまうのです。のろのろしたらだめです。分かりましたか。(「はい。」)最後決心しましたね。これ以上話す必要はありません。「死なんとする者は生きる」と聖書がはっきり言っています。それが祝福です。間違いありません。先生がそうでした。倒れるまでやる、そういう決意で越えるような立場に立ったら、サタンは譲歩して引き下がらざるを得ない、後退せざるを得ません。聖書の教えがそうです。分かりましたか。(「はい。」) 自分の家庭が怨讐、妻が怨讐、子供が怨讐、母が怨讐です。先生もそうでした。そういう内容をはっきり分かりましたね。では日本に帰るのに死ぬために帰りますか、生きるために帰りますか。死んで生きるためです。死ぬのは私の使命で、生かすのは神様の使命です。死ぬのがイエス様の使命で、復活は神様の使命です。神様が復活させても、サタンには条件がないというのです。サタンがついてくることはできません。日本の統一教会は、四〇パーセント以上越えています。もう少しすればすぐ越えます。先生は霊的にそう思います。恐れることはありません。今はもう峠を越えました。 ヨーロッパ諸国の宣教師たちは、韓国と日本の伝統、日本の活動を習わなければいけません。子供たちはお母さんを中心として模倣して習います。子供を教育する者は、お父さんでもないし、他の人でもありません。お母さんが先生です。八〇パーセント以上模倣して習うのです。全世界の統一教会員は、済州島に来て再教育を受けなければなりません。宣教師は、そういう覚悟を持つように食口たちを訓練しないといけません。今後、イギリスから、アメリカから、太平洋、大西洋を越えて来ることを考えておきなさい。 完成圏の愛の蹂躙は許す道がない 再臨主は愛と生命の種しかありません。国もなければ、何もないのです。それを誰が準備しますか。エバがするのです。連合国家、イギリスを中心として二人の子供、それが再臨主の足場です。 蕩減棒は何ですか。野蛮です。それは腰が問題だからです。打って血がにじむようにでもしないといけないというのです。蕩減棒のことを思うと、恐ろしい復帰の道を思うと堕落できません。そんな行動も思いも持てないようになるというのです。 女性にとって男性の愛の器官は悪いものですか。おばあさんもそのために一生涯戦っています。お母さんも、夫のそれを離した場合、大変なことになるのです。心情の本体がそこです。愛をつなげる橋場がそこなのです。先生は愛の故障を直す専門家です。文先生は別の専門は何もありません。蕩減復帰はそれです。今の世界には、男性の愛の器官が二つあるのです。神様のものとサタンのものです。愛の器官の行く伝統の道は二つではなく一つです。二つの道はありません。二人の女を抱えることはできません。それは宇宙の原則です。だからそうなれば、将来大変です。祝福された家庭はみんなきれいに整理する日が来るのです。 祝福されて、サタン世界と関係を持って、中間に生まれた子供をどうしますか。先生はこのことで非常に頭を痛めています。先生は手をつけません。自分が処罰するのです。道を間違った本人がやるのです。大変なことです。神様は夢にもそのようなことは思いたくありません。蕩減復帰のため、何千年を通してきた神様です。神様は夢にもそんなものを見たくはありません。地上にそんな姿を見たくないのです。 先生も神様も手をつけたくありません。自分の親、自分たちの手で片づけていくのです。処分の方法はその道しかありません。そういう結論にまで先生は達しています。兄弟でやった場合には怨讐として残るので、親として処分するのです。そうでない場合には、その子供と共に島流しにしてしまうのです。そういう時が来るでしょう。何の話か分かりますか。(「はい。」) 地上でそういう世界を収拾できなかったとするならば、霊界で大変なことになります。地獄よりももっと悪いというのです。真の父母の骨肉を侵害した、完成圏の愛を蹂躙した場合、悪魔が悪魔扱いします。分かりましたか。祝福家庭8(「はい。」)でたらめな混血を許してはなりません。警告します。背後まできれいに収拾しなければならない統一教会の使命があります。 フリーセックスで生まれ、親が知らない、親を知らない子供をどうしますか。親がいればそういう処罰もできるものを、親も知らないでそのままで消えていきます。真剣な話です。分かりましたか。祝福された者が再堕落して、その者がどこかへ行って結婚して、子供を生んで再び祝福受ける、そういう原則はありません。先生はそれを許したことはありません。 正当な伝統をつくりあげる苦労 今から全体が一つになって、本当に日本を救わなくてはなりません。日本は雑教文化圏です。南北アメリカは一つの国になっていくのです。ヨーロッパも一つの国になっていくのです。欧州共同体が欧州連合になっていくのです。それは旧教、新教の戦いです。南アメリカはラテン文化圏、北アメリカはアングロサクソン文化圏です。新教、旧教文化圏、旧約聖書、新約聖書を誰が解きますか、それは先生以外に道がありません。 日本には旧約もなければ新約もありません。しかし、女の国だからそれでもいいのです。女の国だから、お嫁に行けば何もなくなってしまいます。大きい旦那さん、アジアという旦那さんの家に入るのです。日本の家ではありません。それは過去の日本の欲望でした。神様の御旨に反対し、アジアの家に入ろうとして追い出されてしまったのです。 今の先生の言うことを聞いて、アジアに入って、地球星の奧まで入るのです。そういう頭、みな持っているでしょう。統一教会はこれが限界で、滑って皆、太平洋に流れ込むと思う者はいないでしょう。人間世界で考えてつくった思想、人間の考えでもってなした宗教団体はみんな実験して失敗しています。統一教会は失敗もしていないし、実験もまだしていないのです。国が統一教会に侍ったところはないのです。国を挙げて、総国家的な立場で、真の父母様を神様の代わりに侍るところはないではないですか。そうなればすぐ世界一になるのです。南北統一、世界統一はすぐなるのです。 統一教会は恐ろしい内容を持っています。人間的組織と霊的組織の二重組織を持っています。こういう組織は天下にありません。先生が地上にいながら、あなたたちをきちんと霊的に教育していくのです。日本の女性も先生から夢の中で、幻の中で、皆教えられます。恐ろしい組織の内容なのです。巨大な団体になり、強大な団体になります。恐ろしい団体です。そういう伝統を今からつくらなければなりません。 あなたたちがそのような基本的伝統を汚さないで、正当な伝統をつくりあげるには苦労が必要です。だから、あなたたちに苦労させるのです。先生自身が安楽な生活をするのではありません。あなたたちより苦労し、食べるのも、住むのも、働くのも、誰にも負けません。そうやってきたので、統一教会は迫害の上に発展してきました。その伝統精神をつないでいけば、いかなる文化世界においても、我々は主流として立つに違いないというのです。主流は深いところを流れるのです。主流になるには、深いところを探していかなければなりません。 この世界は、人間の氏族は川みたいなものです。民族は川みたいなものです。大きな川になるには、たくさんの支流、たくさんの氏族、民族を合併しなければなりません。アメリカや旧ソ連は、たくさんの民族を合併して、大きな一つの流れをなすのに失敗してきました。いくら大きいといっても、その流れは海に入ります。海に入った場合には、雨水が勝ちますか、塩水が勝ちますか。(「塩水です。」)量から見てもそうだし、塩水は重いから下に行くし、雨水は軽いから上に行って雲になるのです。 海に入っても、海にも流れがあります。太平洋を中心として黒潮があって、一周四千五百マイルを回ります。黒潮の主流は深いところを流れるのです。統一教会が、これらの大きな太平洋の黒潮の流れになって、深いところを流れるのです。深いところには汚いものがあります。海の一番汚いものが海の底に集まってきます。川の一番深いところは、川の周辺で一番汚いものが流れ込むのです。それを押しのけて流れをつくることによって主流ができます。それを逃れていこうとするものは主流から離れていくのです。 地獄のどん底を突き抜けて、日本の一番汚いところを掃除するのです。それをなした場合には、天下を治めるようになります。主流をねらっていくのです。日本の新しい主流の伝統をつくるためであって、日本流ではありません。太平洋の主流を深いところにたどって行き、その黒潮を回って、世界の流れをコントロールする、その主流によって全世界を消化していくのです。それは霊界に入るのと、そっくり同じです。霊界は海と同じです。各個人は川の流れと同じです。霊界でも主流的な思想が、このような深いところを訪ねてきた者が、霊界の支配者となるのです。論理的です。それがイスラエル民族でした。だから、神様は、そういう主流圏として、打たれて残る民族を立てるため、四十年間、砂漠の荒野にさらされるような生活環境をつくったのです。 中心なるものは責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は先生です。日本は日本なりに任せておけません。日本に立ち代わって責任を持つのです。アメリカもそうです。誰にも任せられません。中心者は責任を持つのです。中心者は保護しなければなりません。それから中心者は成長させなければなりません。中心者の三大要件です。 いくらあなたたちが苦労しようと、先生は良心に呵責はありません。やって滅びません。この峠を越えたら、十倍以上のことを一年でできるのです。このように陥った生活を先生が解決してあげます。立派に解決してあげる、そういう考えを持っているのです。主流になるよう深いところを求めなさい。この三百名が主流になるとすれば、三百名が一番嫌がるところを一番喜んで責任持っていくとすれば、三年以内にみな解決されます。 アメリカへ行って、先生は三大問題を成し遂げました。キリスト教の問題、共産主義の問題、青少年の問題です。私が責任を持ってやってきました。すべては原則に従って行きます。主流になりたいですか、傍流になりたいですか。傍流になった場合は腐るのです。のろのろ回っていた場合は腐るのです。水は動くことによって、波は立つことによって神聖な波になっていきます。遠洋漁業に行く船は、飲料水をいっぱい積んで行きますが、かまわないでそのまま入れておくと腐ってしまいます。だから動かすのです。風が吹かないと海の水は死んでしまうのです。だから、深いところへ行っても止まっていたらだめなのです。 地獄の底を行くことが天国への近道 人間の一番貴いところはどこですか。(「生殖器です。」)一番汚いところはどこですか。それも生殖器です。小便はどこから出てきますか。同じところではないですか。なぜ笑いますか。なぜ神様はそのように造ったのでしょうか。最高の生殖器は、最悪のところと和動するところにあるのです。 聖人とは、最悪の境地で和動した者たちです。歴史をつくっていくのです。だから聖人たちで、この世の中で貴ばれた者はいません。孔子も犬と呼ばれ、イエス様も撹乱者、反乱者と呼ばれました。文先生は家庭崩壊の魁主という名前をつけられているのです。再臨主は泥棒みたいに来るというのです。堕落した怨讐の立場にみんな包まれているから、本当の主人として来た場合には分からないのです。 男性たちが小便するとき、いつもそれに触るだろう。その時、二つの面があることを忘れてはいけません。一番良いところは一番悪いところにあるのです。最高は最低につながります。それがつながらないと立派な人間にはなりません。立派な人間になった場合には、最低に下がるのです。先生はそういう生活をしてきました。普通の生活では、ネクタイなどしないのです。いくら寒くても肌着を着たことがありません。 お母さんはいつも勉強、勉強、勉強と言うではないですか。一番嫌な話です。一番嫌な話を嫌だと思わないで、死ぬまでそれをやれば、嫌にならないものよりもいいものになるというのです。天下の聖なる道をつくろうとすれば、天下で一番悪いところを避けることはできません。エイズを占領しよう。フリーセックスを占領しよう。純潔運動をやろう。みんな反対になっています。不平を言うなというのです。 聖なる目的地に向かうには、反対の方向に行くのが一番早道であるのです。それは、ここから空間を通して、天上へ上がろうと思わないで、地獄の底を抜いて行くのが、天国が近いというのです。それを皆、神様は死ぬときにきちんと教えています。一番悪い者はそこしか道がないのです。偉くなった場合、偉くない者を共に抱えて寝るようにしなければなりません。共に食べながら、共に住むようにすれば、立派な指導者になるのです。統一教会の理念は最高の理念です。 天下すべて、神様自体の懐の中に入って住みたいのです。そのように生きてみなさい。不平を言う余地がありません。自分の行くべき道が忙しいのです。なすべきことがたくさんあります。西洋人や白人は、黒人のところへ行って、奴隷みたいに働けば、すぐ天上天国、地上天国ができるのです。それは先生の話ではありません。今度日本に帰ったら、上層部で働きたいですか、下層部で働きたいですか。蕩減復帰は反対のところです。分かりましたか。(「はい。」)百八十度まるっきり反対です。 一九九四年、年頭の辞 一九九四年、年頭の辞「真の父母と成約時代安着」。 一、私の個人安着。自分を中心としての安着時代。私の個人安着時代。 真の愛により心身一体時代。真の愛により心身が一つにならなければならない時代になってきました。そういう時代圏を持たないと、個人の安着時代が生まれてきません。神様と生活する時代、真の愛によって心身一体時代。これを生涯つくらなければなりません。一時ではないのです。父母時代、子供の時代、生涯をいうのです。そういう真の愛によって、心身が一体となった時代でなければ個人の安着時代もできません。 真の生命による心身一体時代。生命も真の生命にならなければなりません。今は堕落生命、偽りの生命です。全部観点が違うのです。生命が一つにならなければなりません。肉身の生命、霊人体の生命、精神的生命、肉身的生命。真の生命により心身一つにならなければなりません。真の生命を中心として心身一つとなって、一生涯生きるような基準にならないと、自分の生命圏が安着する道がないのです。 真の血統による心身一体時代。夫婦生活すると共に、生命と、愛と一体とさせて、人類後孫の血統まで、これは三位一体と同じです。これは分けることができません。愛と生命と血統の一つを抜いただけでも、それはみんな破れていくのです。生命がなかった場合には、愛が成り立ちません。血統がなかった場合には一代で終わりです。人類と歴史がつながりません。 これは皆一つの場所、夫婦関係をする場所によってこれがなされるのです。真の愛と真の生命と真の血統というものは、夫婦関係を持つ器官を中心としてつなぐのです。それ以外の道は絶対ありません。生命もなければ血統もなく、何もないのです。愛の根源地帯です。男と女が、凸凹が一つに統一されることによって、そこにおいて愛がつなぐのです。愛はそこ以外にありません。 愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮、天国はそこから、理想はそこから、幸福もそこから、希望もそこから始まります。そういう意味において、私個人の安着時代を形成しなければ、真の父母と成約時代の安着時代はつくられません。この真の父母と成約時代の安着は、自分の個人時代においてなされるのです。愛も心身一体、主体、客体が一つになることによって二重性を持ちます。私個人の安着時代をなさないと、真の父母と成約時代安着時代はなりません。その第一は、真の愛によって心身一体になること、それは、生命が心身一体、霊人体、肉身の生命が一つになること、そういう意味です。真の血統による心身一体、内的、外的心身一体化した血統を夫婦共につながなければなりません。この三つを自分個人に安着させたその基台の上に、真の父母と成約時代の個人的な安着圏が生まれてくるのです。 真の愛を中心にして ①私は、真の愛を中心として神様と真の父母様の真の愛の化身体。 ②私は、真の愛を中心として神様と真の父母様の真の生命の化身体。化身体です。そのように誇りなさいというのです。真の父母と、神様の愛で統一された化身体。愛の化身体。それから生命の化身体、そういう意味です。 ③私は、真の愛を中心として神様と真の父母様の真の血統の化身体。そういう自覚を持ちなさい。そういう主体性を持ちなさい。どこへ行っても、サタン的な反対のものは私の正面に立つことはできません。行けばすべてが、この者の四方八方にきちんと道を開けてあげなければならないのです。主体性を持ちなさいというのです。 二、私の家庭安着時代。 真の愛による夫婦一体時代。夫婦が一体、共に一体。それは一時ではなく、一生涯をそうしないといけません。真の愛による夫婦一体時代圏をつくれば、真の父母と神様の安着時代になります。 真の生命による夫婦一体時代。 真の血統による夫婦一体時代。 真の愛を中心として、 ①我々夫婦は、神様と真の父母様の主体・対象の化身体。 ②我々夫婦は、神様と真の父母様の真の生命の化身体。 ③我々夫婦は、神様と真の父母様の真の血統の化身体。そういう自覚を持って、夫婦共に毎日それを名乗るような思いで、その心境にいかに立つかということです。習慣性でもってその環境をつくって、自信を持つように訓練しないといけません。話だけではありません。 三、地上、天上天国安着時代。 地上、天上天国安着時代。堕落しなかった場合は国家的安着時代と同じです。地上、天上と堕落した世界から、その二つの世界の概念、位置も考えないと、一方的な地上だけでは、縦的な世界が離れていきますから、地上、天上天国安着時代です。 真の愛による神人愛一体化時代。神様と人の愛、神人の愛一体時代。神様と人が愛によって一体になる生涯圏をつくらなければならないということです。これはずっと体恤しながら一体にならなければなりません。 真の生命による神人愛一体化時代。 真の血統による神人愛一体化時代。 真の愛を中心として ①神人愛で地上天国一体時代。神様と人と愛で一つになって、地上天国一体時代。地上生活において一つにならなければなりません。 ②神人生命による地上天国一体時代。 ③神人血統による地上天国一体時代。このように生活しないと、真の父母と神様の安着時代を迎えることができないのです。国まで連結させなければなりません。国をつくったとすれば、それでもう終わりです。個人、家庭、国家の形成は、真の愛による真の神様の真意・御旨による理想一体完成時代、完成世界です。そういう時代になることによって、真の父母と神様は、安着圏が国家のどこでもつながれるというのです。 総論として ①私は、神様と真の父母様の化身体であり、完成対象体である。 ②我々夫婦は、神様と真の父母様の真の愛の化身体であり、理想対象体である。すべての真の愛を中心にして、すべてが理想的な相対者だというのです。無形実体の神様の性相と形状が、真の愛によって一つになって、流れ続けてきた無形実体の内相を実体的に展開して、実体対象の男女として生まれた者が、それが愛によって再び一つになった、それが夫婦です。そうなることによって、無形実体が主体になり、有形実体が相対になって一つになるというのです。理想相対であるというのです。 ③我々家庭(三代)は、神様と真の父母様の生活的化身体であり、地上天国、天上天国の理想的実践対象体である。我々の家庭は三代入るのです。祖父母、父母、自分の三代です。子供まで入るのです。我々の家庭は、神様と真の父母様と同じく生活するのです。生活的化身体です。一つとなり、一体となったその化身体であり、地上天国、天上天国の理想的化身体はもちろん、地上でも、天上でも、天国の理想的実践対象体であるのです。実際の戦いの現場において、それは対象的存在であるというのです。毎日の生活の実践場、会社に行ったら、理想的実践対象体であるのです。神様の代わりに生きる対象体です。そうすることによって、真の父母と神様が、成約時代、共に理想を完成した時代において安着されるのです。 四、四大心情圏と三大王権。 これは祝福家庭として、現実において完成しなければならない重要な項目です。第一は子女、第二は兄弟、神様の家庭の兄弟。第三は夫婦、第四は父母、総完成は結婚で成就します。子女、兄弟、夫婦、父母全体の完成は結婚で成就します。結婚の夫婦関係の基盤において、すべてが完成するというのです。 子供たちを生んだら結婚させることによって、兄弟が大きくなるのも結婚を目標において、夫婦が共に向かうのも結婚の愛を中心として、未来の父母も結婚の愛を中心としてつなぐというのです。夫婦関係の本場をいうのです。夫婦関係によって、子女として完成、兄弟として完成、夫婦として完成、未来の父母として完成するのは、無形実体の神様の中の性相と形状が、愛によって一体となったということと同じだからです。それが実体的に結婚して一体となったということと同じなのです。 無形実体の神様の性相が、愛を中心としてつなぎ、一つになる長い期間を通して人間を創造してきましたから、実体的な夫婦生活をずーっとつなげながら、神様が創造したと同じように、子供の創造がなされるのです。子供の誕生というものは、神様がアダム・エバを造った時の喜びを、実体的な神様としてそれを伝授させ、体恤させるための恩恵なのです。それが子供の誕生の喜びです。神様のすべてが伝授されています。 だから神様も、これと同じように小さい時があり、兄弟みたいに、夫婦みたいになってきたというのです。そういう家庭を通して神様は、無形実体の自分の過去を再び展示して、それを相対的に体恤しようとするのです。人間の子供から、兄弟から、夫婦からこのようにしていくことによって、実体圏でなし得た過去を、実体的に体恤するためです。夫婦ともども自分たちが忘れてしまっていることを、子供を生むことによって思い出します。 お母さんは女の子を見ることによって、皆性格が半分似ているから、「ああ、あんなタイプ、あそこに自分が加わっている」と、双子の感じを抱くのです。男の子を見れば、自分の旦那さんもあのようにして大きくなってきたと、過去より夫婦になるまで成長してきたその過程を、再び相対的に思い起こして刺激を受けるのです。だから、子供を見ることによって、どんどん夫婦が共に一つになっていくのです。 夫婦になって子供を生むのは、神様が夫婦になって、第二の神様をつくるのと同じことです。創造した神様の実体的体恤圏を伝授してあげ、そっくりその喜びを相続させるのが、子供の誕生から、その子供の成長過程なのです。それは創造の全体伝授の内容を繰り返しながら、拡大していくのです。神様自体も、幼児、子供のころから兄弟のころを知りたい、再び見たいというのです。 アダム・エバは、そのように自分の過去を実体的に見ることによって刺激を受けます。自分自体内では刺激を受けないのです。あなたたちに愛があっても愛は分かりません。一つになっているから愛を感じられないのです。それでも相対的にすぐ刺激が受けられます。女性の前に男性が来た場合には、心の底が動き出します。先生は分かりませんが、あなたたちどうですか。相対が生まれた場合、必ずそれが問題になります。それは神自体が、そのように一体になっていると分からないですが、相対的な立場に立つことによって刺激を受けるのです。 あなたたち、胸の鼓動は分からないでしょう。鈍感なものは一年たっても分かりません。聴診器で聞いてみると大変です。相対的にこのようにするとすぐ分かってしまいます。刺激的です。だから、一体になっていた場合には分からないのです。だんだん近くなってきて、一体になった場合、見えません。近くなるほど見えないのです。 女の子などは、毎日一回以上鏡を見ます。当然よく憶えているはずなのに、「自分の顔を描け」と言われても描けないのです。一つになっているからです。寂しい場合には寂しい顔になり、うれしい時にはうれしい顔になります。自分の相対的な顔に見せられるのです。目をパチパチしても分かりません。 良心があるのを見ましたか。良心があるかないか。(「あります。」)見たことありますか。(「ないです。」)触ったことありますか。どうして分かりますか。愛を見ましたか。愛を触ったことがありますか。見たこともなく、触ったこともないものに生命を懸けているというのです。そんなおかしなことはありません。それは一つになっているからです。そうすると、神様はどうでしょう。神様を見たことがありますか。(「ありません。」)触ったことがありますか。(「ありません。」)神様も良心と同じように、自分の一番底にいるから分からないのです。 神様は他のところにいるのではありません。自分の一番元です。根本。根がつながっているのです。一番深いところにいるから、一番真ん中にいるから、分からないのです。感じないのです。もしも神様が見えたり、愛が見えたりしたら大変でしょう。立派な愛を泥棒しようと大変でしょう。神様が見えたりしたら、戦争ばかりが起こります。国もそれを持って行きたいし、個人も家庭も戦争ばかりです。 見えないことが、どんなに幸せであるか分かりません。一番尊いものをどこに隠したいですか。自分の良心の底に隠しているというのです。自分の良心の底から抜き出せば、神様が飛び出すというのです。神様はどこにいますか。(「良心の底です。」)良心の底。近いのです。 祈祷をして、ぼう然と空中を思う必要はありません。自分の良心、神殿を開発して心の畑をどんどん広くしなさい。どんどん広くすると、深いものが上がってくるのです。博愛精神をどんどん広げていけば、良心の底がどんどん上がってきて中心になるのです。平面の中心になれば、すぐ良心の命令を受けるようになります。 だから、あなたたちは大きいことを願うのです。大きいもの、広いもの、そうなることによって、それは高く上がるし、広い世界の中心に神様が立つというのです。神様は誰のものでもなく、自分とつながっているのです。神人一体。心の底。保管するのにそれ以上安全なところはないのです。盗んでいくことはできません。 自分の生命の根と共に、良心の根と共に、愛の根と共に、血統の根と共にくっ付いているのです。あまり近いから感じないのです。だから、神様の宇宙理想とか実体世界を、神様の立場に立ってみるとすべてが通じます。良心の根底は通じるというのです。 四大心情圏は夫婦愛によって連結される 四大心情圏、分かりましたね。第一は子女、第二は兄弟、第三は夫婦、第四は父母、総完成は結婚の愛により成就します。だから夫婦は、子女の完成をなすためです。夫婦というものは兄弟完成をさせてあげるためです。子女と兄弟を完成させた上に、夫婦の完成があるのです。父母の愛は三番目です。 無形実体の神様の性相、形状が愛によって一つになって、長い間待ちながら万物を創造したと同じように、夫婦生活、愛の関係を持ちながら、それは時間を経ながら、その中間において子供を生むというのです。それは無形実体が、愛一体圏で万物創造したのと同じです。夫婦愛の関係を持ちながら子供が生まれるのは、神様が創造したのと同じような実体験の感じを体恤させるためです。そのための相対的基準として伝授したのが子供の誕生です。 だから、夫婦の愛というものは、そればかりではないのです。神様の子女として、兄弟として完成しています。男性と女性は半分半分です。女性は娘の時から、妹の時から、相対の奥さんの時から母のところまで、四段階過程を通過しなければなりません。みんな違うのです。夫婦愛というものは四段階が詰まっています。四大心情圏がその一点でつながっています。 そうすることで、子供の時の理想完成万歳、兄弟の理想完成万歳、夫婦理想万歳、未来の父母の出発万歳。だから、自分の奥さんは、娘から、妹から、奥さんから、母、最後には母を通しておばあさんまでつなぐのです。代表的な女性をもらっているのです。神様の娘です。天宙を創造する万能の王様の娘をいただいたのです。旦那さんはといえば、その万能の王様の息子をいただいたことになります。 女性は神様の二性性相の一性なので、二性性相になるには、男性の性相をもらうべきです。男性は女性の性相を共に抱え合い、愛を中心に結び合うことにより、原因と結果が一つとなることと同じになります。神様に子女の時代があった、神様に兄弟の時代があったというのです。無形の過去、それは見えないけれども、実体的に展示して表示したそのすべてのものが、神様完成とともに人間完成になります。 だから、離婚というのはすべてを破壊するのです。神様の子女完成圏崩壊、神様の家庭による兄弟完成圏崩壊、夫婦心情圏崩壊、父母心情圏崩壊、このような、天下のどこにも歓迎できないような崩壊の王者は地獄へ行くしかありません。離婚というのは誰がつくりましたか。サタンです。サタンが一番喜ぶものです。それは喧嘩から始まりますか、離婚から始まりますか。(「喧嘩です。」)喧嘩の主体はサタンです。喧嘩が始まると、ああサタンが万歳を始めているなと考えればよいのです。女性の口は早い。サタンのラッパが吹き出していると考えよというのです。 女性の口は平和の口、鼻は平和の鼻、目も平和の目、耳も平和の耳です。だから、先生はさまざまな組織に皆、平和という名称をつけているのです。世界平和の目、世界平和の鼻、世界平和の口、世界平和の耳、世界平和の腹、世界平和の頭、そのように考えるのです。 世界平和というものは一人で考えるのではなく、和合して統一した平面上をいうのです。平に和して、それ自体の個性真理体が相対できる、和することを平和というのです。科学というものは自分の本性を変えるものです。この平和は、和して平らになることによって、そのまま個性が生きています。だから、目玉も平和になっているのです。みんな二つになっています。霊人体、肉身も二つ、男女も二つです。その公式圏において主体の立場に立つには、男性一人ではいけないというのです。女性が必要です。 「おんな」というのは名ばかりだという話です。日本では、お茶とか、お菓子とか、お水とか、言います。「おんな」とは名のことをいうのです。(笑い)本当です。女性の胸は自分のものではありません。誰のものですか。(「子供のものです。」)お尻はどうですか。(「子供のものです。」)女性の顔は女性が好みますか、男性が好みますか。男性が好むのです。男性の顔は女性が好みます。嫌でもそうなっているのです。だから、顔は自分のためにあるのではありません。 あなたたちは、毎朝鏡台の前に座って二時間を費やすのです。二時間を伝道に費やしてみなさい。一生の間に何百組も伝道できます。いくら手入れをしても、死ねば悲しいものです。その時間を費やして、たくさんの子供を伝道して、霊界に連れて行った場合、それが霊界における自分の財産になります。位置を決定するのです。 統一教会の親たちは、自分の子供を立派な経済学者、立派な哲学者にしようとしますが、それは愚かなことです。たくさんの人を教えていくような、立派な指導者に育てることが一番素晴らしいことなのです。だから、皆神学校へ行き、皆指導者になって、万民を連れて行くこと以外に価値はありません。外的にいくらたくさんの立派な内容があったとしても、それは霊界では、神様の前に何のおみやげにもならないのです。いかに多くの人の生命を救ってあげたか、それが価値決定の自分の財産になるのです。だから、教会の牧師になりますか、大臣になりますか。(「牧師になります。」)分かりましたね。 それで、総合的に四大心情圏を、我々は標語として唱えるべきです。第一は、我々は絶対夫婦主義者である。そういう自信を持ちなさい。神主義とは何か。絶対夫婦主義です。絶対愛を中心とした絶対夫婦主義です。第二は、我々は絶対家庭主義者である。第三は、我々は絶対天国主義者である。第四は、我々は絶対天王(天の王様)主義者である。神様の国の王様だという、四大心情圏と三大王権は王様主義だというのです。第五は、我々は絶対神主義であり、真の父母主義である。神主義は天上王国の象徴です。総結論です。万世の祝福が共にあらんことを願いつつ、アーメン。(拍手) 一人の男性を中心として四大心情を再建 今から活動しないといけません。何をするかというのです。でたらめなことはしてはいけません。女性たちの使命は母を復帰することです。お母様の分身体を、部落の一番の家庭に根を下ろすことです。男性たちは女性について行きながら一切を援助してあげなさい。女性が完成するまで、天使長は、アダムとエバが祝福完成理想圏を得るように援助しなければなりません。日本の女性は今、世界的なエバです。女性を中心にします。世界の女性はお母様の分身です。天使長である男性は先生の分身ではありません。分身はないのです。真の男性というものは一人しかいません。それがメシヤという、救世主という人です。 あなたたちは先生の話を聞きたいですか、奥さんの話を聞きたいですか。先生の話を聞きたいのですか。それではいけません。あなたたちは天使長です。エバを誘惑したその反対に、エバの話に絶対服従、絶対屈伏しないと復帰の道が生まれてきません。三年間は、男性は女性に絶対服従しなさい。その話、あなたたち聞いていますか、聞いていませんか。(「聞きました。」)先生は間違いなくきちんと言いました。それで、あなたたち男性は先生の話を聞きますか、女性の話を聞きますか。(「女性の話です。」)そうです。間違ったらだめです。嫌でも聞かなければなりません。蕩減復帰です。 だから、女性の時代に至っています。それは七年間です。先生が八十歳になるまで、今年から七年です。今から七年間において、世界を一つにしなければなりません。それはどこを通してですか。お母様と女性を一つにしなければなりません。だから、すべての女性は絶対にお母様の話を聞かなければなりません。 堕落した結果、神様のほうは女性もいなければ、子供も一族もいないのです。女性がいなければ再臨主は生まれません。神様は女性を持っていません。創造理想に一致した女性はいないのです。蕩減復帰の内容でもって、氏族とか国とか世界とか天宙の八段階を残して、蕩減条件の下に生まれるようになっているのです。 先生は女性の大将です。最終的に先生は、徹底して女性を妹として、神様の立派な娘として養育します。主管性転倒、転覆したのだから、立派な神様の娘として、立派な妹として、立派な姉として、立派な母として復帰しなければなりません。先生の話を聞いてその通りにやれば、立派な奥さん、立派な母になるのです。立派な娘になれるような内容を持っているのです。皆そうです。 心情圏復帰をいっぺんになすような、四大心情圏を再び再建させるような一人の男性の基盤がなければ、女性が完全復帰される基盤は永遠にないのです。神様の娘として心情を誘発する力が先生にあって、妹の心情、奥さんの心情、母の心情が先生に向かうことによって皆そうなるのです。先生の妹になりたいなあ、奥さんになりたいなあ、母になりたいなあと皆そう思うのです。堕落により女性は、四大心情をいっぺんに失いましたが、それを一人の男性を中心として、四大心情の再建を完成しなければ、女性の完成圏は永遠に生まれてきません。それは原理原則です。 本心がある以上、絶対的に女性は先生を嫌がることができません。おばあさんも先生が皆好きなのです。お父さんにしたい、兄さんにしたい、それは仕方ありません。堕落した心情を再建し、百八十度転換するためです。だから、女性は先生の命令を絶対に聞かなければなりません。 男性たちは、女性の後について来ないと宮廷に侍ることができません。あなたたちは早く国を治め、世界を統一した後に来ないといけないのです。それが天使長の使命です。それは先生の話ではありません。世界を統一した後に初めて、堕落しなかった基盤の上で、再びハンダ付けして、再び祝福してあげることができます。真の父母とエバと子供が一つになった後に、この道を反対するものが世界にいなくなることによって、初めて天使長に相対圏が授けられるのです。それが原理観です。先生の話ではありません。 アダムが完成したら、天使長が男性であれば、女性をつくって、相対をつくってあげなければいけないではないですか。天下統一された場合には、天使長圏も、そういうような神様の恵みがあります。だから、再び第二のアダムを先生はつくってあげて、奥さんと子供が願うことによって、再び前の奥さんと夫の立場に立たせることができるのです。 そうするには、その期間においては、昔夫婦であった感情を忘れないといけません。自分の子供だという考えがあってはだめです。それは堕落しなかったアダムの奥さんであり、アダムの子供です。そういう立場に立つことによって、再び、何も知らなかった堕落前の十六歳につながるのです。そういう立場に立つことによって、真の父母の勝利圏の体を接ぎ木してあげるのです。 サタン圏において、蘇生、長成、完成の八段階を勝利して、ずーっと回ってきて接ぎ木してあげるのだから、何千年の歴史過程の堕落アダムの体が、蕩減復帰したアダムの体の立場に立つことによって、サタンの侵害を逃れられるのです。そのような勝利的な第二の相続権をもらわなければ、旦那さんとして、第二のアダムとして立つことはできません。これが分からなければ大変なことです。 これが分からなければ、第二のアダムをつくり出す道が分かりません。女性の解決もなく、男性の解決もありません。だから家庭です。家庭で転換するのです。分かりましたか。先生が世界的に勝利して、国家を訪ねて、国家を中心として氏族的メシヤ、それを中心として家庭メシヤ、アダム家庭に帰っていくのです。そこでもって転換しないといけないのです。 お母様の旦那さんは第一のアダム、そうだとすればお母様は第一のエバです。その妹は第二のエバであれば、第一のアダムは第二のアダムをつくってあげればいいというのです。それで兄弟の立場に立って、兄さんに侍ることによって、兄さんの家督を継いで同じく天国に入ることができるのです。そのようにして女性問題が解決し、男性問題が解決します。すーっともうお母様の分身になっているのです。だから、天宙から、世界から国家基準まで、お母様の三大圏を備えているのです。 氏族的メシヤの使命を果たすことによって入籍 国家基準だから百六十国家を中心として、世界的な父母様が王様のような立場で、横的に第一代アダム、第二代イエス様です。横的縦的な六千年の願いは、地上に完成された父母様の接点、安着圏を求めてきているのです。それは地上です。六千年の三代目のアダム完成基盤、いくら六千年だとしても、神様から見た場合には三人の子供です。アダムは第一長男、イエス様は第二次男、完成されたアダムは第三の子供です。 第三アダムが完成したとすれば、完成基盤というのは縦的ではありません。横的です。これが完成したということは、アダム完成、イエス完成、最後の完成です。だから、完成基盤というのは縦的ではないのです。横的基盤です。アダムの氏族を中心として民族、国家と横的拡大です。だからこの三代の子供が、本当は地上において、横的に完成圏をなすべきだったのです。三代になったのは、アダムが失敗したからであって、アダム完成した場合には三代もいりません。一代でよいのです。だから、三代延長したそれはみな横的完成基盤です。 縦的なこのような三人の子供は、横的な兄弟圏に立つのです。横的な兄弟圏というのは一代圏に入るのです。神様を中心として見た場合に、一代圏四十年間に、これをみな整理しないといけません。だから第三アダム完成は、第二イエス様の完成と共に、第一アダム完成です。これは三人の兄弟の立場に立ちます。分かりましたか。兄弟というものは、一代を中心としていうのであって、何千年の何十代ではありません。だから一代圏に立つのです。アダム完成はイエス様完成、三代完成圏を同じくすることができるのです。 この基準は旧約完成、新約完成、成約完成です。地上完成は世界的です。家庭的、民族的ではありません。イエス様を越えて世界的基準だからです。世界すべてが、平面圏に三代のアダム圏とイエス様圏と再臨を並べておいても、これは勝利した立場だから、サタンの侵入する道はありません。真の父母と成約時代というその題目は、サタンとは全然別個の問題だから関係することができません。 サタンは長成完成基準の地上基準であって、それは縦的な立場に立っているのです。横的ではありません。だから天使長、サタンは空間を占領した王様です。空中を占領しているのです。神様は空中と共に平面と縦横すべてのサタンの讒訴圏を完全に凌駕していますから、その和動圏内ではサタンは侵入することができません。 三代の先祖の後孫として五十二億を見た場合に、親類には信仰するものと不信するものと二通りがあるのです。第一アダムの後孫としては、統一教会に反対しています。フリーセックスをしています。後孫として皆悪辣な者を代表した者たちです。堕落したためにそうなっているのです。第一代の先祖の後孫です。第二代目のイエス様の後孫は宗教圏に属するのです。もしもイエス様が祝福され、人類に血統を残した場合には、二千年間に、人類は完全に統一して余りあったのです。死んだイエス様を中心にして、第二次世界大戦後に統一したということを考えてみた場合に、二千年の期間に世界統一は問題ではなかったのです。だから、宗教圏の主人はイエス様です。 この複雑なカイン・アベルが誰によって一つになるか、それが全部誰によって完成されるのかというと、再臨主によって皆、清算することができるのです。これを清算してしまった場合には、第一代圏、第二代圏の人類圏のサタンが復活できないのです。だから自由圏です。 堕落は何かというと、サタンを中心として祝福したことです。それで、一九九三年八月二十五日の三万双の祝福は、原理を一週間だけ聞いて簡単に受けることができました。血統転換を間違いなく信ずるようになった場合には祝福してあげたのです。 水がこのように入ってくるというと、水平に、満水になる時には、もう五分以内で入って流れていくのです。最後は同じになってしまうのです。そのような時代が来るのです。だから一週間以内で、六千、七千年の歴史を蕩減するのです。ここからここまで七千年ですが、満水期にはわずか一週間です。一週間もいらない、数時間になるのです。そういう立場に立っているから、平面的な、神様の平等圏を認めるような時代が来たから、満水圏のこの同じ立場によって切り替える、そういう時代が来たのだから、一九九二年八月二十五日に三万双の結婚をしたのです。 結婚したというのは何かというと、これは第一代、第二代、第三代の勝利を中心として、彼ら自体を氏族的メシヤとして認定してあげたということです。氏族時代です。自分の父母たち、祝福家庭の親は皆アダムの立場です。兄弟から見た場合に、三代が一つになるのだから、父母の立場です。イエス様のお父さんはアダムです。数千年あっても、アダムの血統と一つになるのです。 第一先祖、第二先祖、第三先祖が一つになっているのです。これが一つになっていくとするならば、兄弟のうち長男が一番かわいそうな立場に立ったのだから、二人でもって一体となって、この長男を同じ立場に立たせるとするなら、それを嫌がる父母はいません。喜ぶというのです。親に対して親孝行するより以上に兄弟たちが一つになれば、親はそれを願うというのです。そういう観点から見た場合に、第三の兄弟、第二の兄弟が一つになって、第一のアダムを同じ平等圏に立たせたからといって、神様が反対することはないのです。サタンも讒訴する何もないのです。同じ平等圏にあります。 こう見た場合には、第一代、第二代、第三代が一つになり、五十二億が平面上において皆一つになってしまえば、一週間で祝福するのです。そういう特権が先生にあるのです。真の父母としては、横的にも縦的にもサタンの讒訴圏がない、どこに行ってもサタンの侵入圏がないのです。 完全に蕩減復帰させてあげた場合には、その先祖が祝福されたとするならば、その後孫も同じく祝福できるのです。親の勝利圏は、その後孫が相続できるのが原則だからです。第一代の先祖を中心として、何千代あってもいいのです。平面的に何千代でも祝福してあげることができます。今までの何千年の歴史を、先祖を中心とした時には、何千代が横に並んで、祝福は一週間でいっぺんにしてあげられるというのです。 今からやることは祝福です。原理を理解して、祝福された場合、すぐ神様の国に入るのです。アダム・エバが、真の父母ではなくて、偽りの父母を中心として結婚することによって、地獄が生まれてきました。だから、第一代先祖、第二代先祖、第三代先祖を特権的に祝福したとするならば、その後孫も同じく祝福されます。親の祝福は自動的に子供に相続されるのです。親子関係がずーっと何十代でもつながります。そうすることによって、その何千代の先祖、後孫たちが平等的な立場に立って、同じく祝福を受ける立場に立つことができるというのです。そうなった場合には、国家を中心として入籍時代が来るのです。イエス様を中心として入籍です。 ここに今、三百余名が同じく祝福を受けたとすると、第一代の後孫、第二代の後孫、第三代の後孫、それは問題ないのです。同じく祝福された場合には、どのようにして先祖を決定するのでしょうか。イエス様は国を中心として入籍しようとして失敗しました。それを蕩減復帰しなければなりません。イエス様の時代には百二十軒です。再臨の時代になって百六十軒を祝福すれば、百六十軒の中には、百二十も入るし、モーセ時代の失敗七十長老、ヤコブ家庭の失敗十二、皆入るのです。だから、統一教会十二家庭の蘇生、長成、完成、アダム、ノア、ヤコブの三十六双、それから七十二双、一二四双、国家を代表して四三〇双、それから七七七双と世界に拡大して、一八〇〇双、六〇〇〇双と人類歴史のすべてを蕩減するのです。全部象徴的に組んでいるから、世界どこでも縦横無尽に組み合わせることができるのです。 将来どのようになるかというと、同じく祝福受けたとしても、三百代の差が縦的に生まれてくるのです。誰が先に入籍したかによって、三百代の差異が生まれてきます。氏族的メシヤの使命をなすことによって入籍できます。統一教会の全世界の信者たちが、同じく入籍するのです。入籍した場合には大移動がなされます。神様の国に入籍するのに順番があります。まず最初に真の父母から入るのです。ずーっと順番に入ることによって、主流血統が王家からつながるのです。だから、氏族的メシヤの使命は大変、先祖たちは大変です。数千万代を平面的に飛び越えることができます。 真の父母と重生 家庭から全世界まで先生が勝利したのだから、真の父母と成約時代圏に入った場合には、いくらサタンの血統だったとしても、統一教会に入った場合には同じ価値として見るのです。その者たちが皆、再び真のお父様の血統圏に戻っていくには、女から生まれたのだから、逆に入って行かないといけないのです。家庭メシヤから、氏族メシヤ、国家メシヤ、世界メシヤ、天宙メシヤのお母様に入るので、全世界につなぐために、全世界に真の父母を宣布しなければならないのです。だからお母様は、四十か国を中心として百六十か国をやるようになっています。百六十か国はお母様がしないといけません。四十か国を代表してやるのです。 先生も百二十か国聖地を決めるのに、四十か国を中心としてやったのです。イエス様の蕩減です。そういうことをすることによって、世界百六十か国の門を開くというのです。全世界の女性はお母様の分身です。だから、生まれたその子供は皆入ります。男は天使長だからそのままにしておくのです。 このようにして、全部がお母様のお腹の中に入りました。入ったとしても、これはサタンの讒訴圏を越えてはいますが、その根本は渋柿から出発しているのです。甘柿ではありません。入ったものは、お母様の分身として同じ胎中圏に入るのです。入ってどうなるかというと、お父さんとお母さんの愛の関係によって子供が生まれる愛の現場、その現場に戻っていかなければ、それを備える道はありません。 このようにお母様のお腹に入ったその子供は、すぐ生まれるのではありません。十か月という期間がきちんとあるのです。愛の生活をすることによって、真の父母の子供の種が真っ赤とすれば、お母様のお腹の中に入っている子供の体は、愛の関係でもってピンクにでもしないといけません。そうなると、サタンと永遠に決裂する、サタンは自分の所有であるということができないのです。それは体が違ってくるからです。 このようにして一つになって、一人から入っていった者が、お父様とお母様の愛の関係によって、子供の接ぎ木をして、再びお母様のお腹を通して生まれてくるのです。これは正式に生まれてくるのです。 入るのは蕩減のためです。蕩減されて、再びお母様のお腹を通して、それが天宙的、世界的、国家的、氏族的、家庭的な基準までつながるのです。国家的基準の父母から、氏族的基準のイエス様、家族基準は第一代です。三代の王権を中心にして平面的につなぐ、そういう基盤になっているから、氏族的メシヤがなければ、再び入れ替える道もなければ、一つになって出ていく道もないのです。重生というものは永遠に切られてしまうのです。こんな恐ろしいこととは知らなかったのですか。 統一教会の氏族的メシヤは、田舎に隠れて消えていくのではなく、自分の先祖たちを訪ねていくのです。それを動かなかった場合には、交通事故か急激な事件で死んでしまいます。大変なことになるというのです。先祖の行く道を皆ふさいでしまいます。こういうことをすることによって、先祖たちを七十二代もいっぺんに連結してつないでいくのです。先祖たちは皆、地上再臨が可能になります。分かりましたか。 このような本当のアダムの血統が、地上に生まれたような立場に立つのだから、その血統を中心として先祖たちが、天使長圏で援助するようになるのであって、サタン世界の子女を援助することはできません。善なる女性たち、全面的に女性の背後についていくというのです。だから、もう六千万日本の女性は問題ではありません。何十人、何百人がつながっているのですから、天使長の旦那さんも、女性がきちんと主体性を持ったら恐ろしいというのです。身震いするというのです。どうにもならない、そういう時代になってきました。 お母さんの左の腹から入ってきて、それを皆蕩減して、右のほうから、再びお母さんの腹を通して、それは氏族的メシヤの腹を通して、家族メシヤの腹を通して生まれないと完全蕩減復帰はできません。ここから地上天国になるのです。分かりましたか。そのような条件をなさないと、サタンの全権を無視して、神全権の時代に切り替えることができません。これが真の父母と重生です。だから、真の父母がいなければ絶対、重生する道がありません。 すべての統一教会の女性たちは、お母様の細胞になって、アベルの細胞と一つになり、お母様が悲しくなった場合、自分も悲しいというような体恤した立場に立たないと、こういうことはできないというのです。それは話だけでも、このように難しいものです。これは漠然とした話ではありません。この重生という言葉を使うので、キリスト教は摂理的中心であることは間違いないというのです。こういうことを考えてみた場合に、全能なる神様も、アダム・エバ完成基盤を得なければ、復帰は永遠にできないのです。 真の父母の名前は永遠に一人しかないのです。二人ではありません。過去も、現在も、未来も、永遠に一人しかないのです。仏教も真の父母、儒教も真の父母、回教も真の父母、すべての教祖たちが必要とするその基準です。真の父母によって初めて、こういう重生の基盤を中心として、新しい天国、地上天国、天上天国がそろうのであって、それ以外にはありません。 それがいかに真剣か、あなたたち考えてみなさい。だから、イエス様のところにニコデモという官吏が行って聞いているのです。「イエス様、どうすれば人間が救われますか」と。「再び生まれないと救われない」と答えると、「いかにして大きくなってから、お母さんのお腹に戻っていきますか」と。ユダヤの官吏は重生を知らなかったのです。しかし、イエス様は知っていました。 重生過程を通過しないと、その時代にならないと、世界解放圏の祝福圏が生まれてきません。今は教会で祝福です。南北統一、祝福世界統一圏です。先生の八十代を中心として、モーセがネボ山において、カナンの地を眺めながら入れなかった、それを堂々と境なしに入るような時代になっているのです。日本は大変です。あなたたち一族は、全世界の宣教を援助しなさいというのです。 先生が、十六歳以降のすべての時代のアダムの体、蕩減復帰した体を持っているから、先生を中心として接ぎ木することができるのです。接ぎ木してもらうのだから、十六歳の上に失ったサタンの体ではなくて、先生の体をつけてあげるのだから、ハンダ付けしてあげるのです。接ぎ木してあげるのだから、再び第二のアダムとして立つことができるのです。 お母様の第一のお母さん、奥さんの第二のお母さんと、第一のお父さん、第二のお父さんが相対的にそれぞれ結婚して、第一代を自分の主体として、絶対一体となっていった場合には、真の父母を中心として、あなたたちも祝福された兄弟の立場で天国に入ることができるのです。理論的です。分かりましたか。どうせこの過程は行かなければなりません。話だけではなく、この通り公式になっているのです。このような内容なので、完成したアダムが来ないと、何千年かかっても復帰はできないのです。 完成したアダムはどこにいますか。(「ここにいます。お父様です。」)真の父母の名前で、今まで先生は苦労しています。真の父母の名がなかった場合には、先生はこんなに苦労しません。本当です。皆さんの父母たちは、「父母がいるのになんだ」と言いませんか。文先生という見たこともない者を真の父母というのであれば、そこに座っている実体の父母は偽りの父母ということに自動的になるのだから、「このやろう、なんだ。自分のことをさておいて、どこに真の父母か」と、このように反対するようになっているのです。だから、真の父母という名前は、先生にとって一番いいように見えますが、一番嫌いなのです。あの名前がなかったら、先生は迫害を受けなかったのです。 今でも先生が必要ですか。この原理だけを必要と思って、お母様について行けばいいでしょう。お母様について行っても、真の愛と、真の子供の種はお母様にはないのです。ないから、先生から受け取らなければなりません。だから、それを受けるまでは、お母様は絶対、先生の命令に服従しなければならないのです。分かりましたか。再び生んであげなければなりません。 堕落の一日がこんなに恐ろしい結果になり、何億の人を殉教させて殺したというのです。そういう恐ろしい版図の中から、ようやく解放された者が、再び堕落ということは死んでもできないのです。蕩減復帰は難しいことです。どのくらい難しいですか。あなたたちに先生が話しても、一回で分からないほど難しいのです。きちんと話しても分からないのに、それをやるのにどのくらい難しいか考えてみなさい。話してあげて、それを聞き取るのも難しいのに、それをやるのはどのくらい難しいか考えてみなさい。 全世界の女性がお母様の分身に 全世界の女性がお母様の分身になることが、統一教会よりももっと重要です。これを早くしないといけません。お母様を中心としてカイン・アベルが一つにならないといけないのです。 イスラエル民族が出エジプトの時に、分かりながら通告しなかった場合には、大変なことになるのです。そのことをよく理解して、日本女性六千万人を訪ねて行って教えてあげるのです。五万人いたら、一人が一日十軒訪問すれば一年でできます。 ラッパを吹きなさい。「真の父母と成約時代が来ました。血統転換と心情転換の時です」と、聞かなくてもいいから叫びなさい。街角に皆、広告板を出しなさいというのです。旗を揚げよというのです。今からそれをやるのです。家庭ごとに、女性のいる所に皆訪問しなければなりません。そうしないと、イスラエル民族が出エジプトという時に同じ行動ができません。分かった者がやる、それは同じく責任が追及されるのです。 このことをはっきり教えてあげた以上は、あなたたちの先祖、氏族に対しては、あなたたち自身が責任を持つのです。氏族的メシヤは、メシヤというのは死んでも責任を果たさなければなりません。イエス様もメシヤとして生まれてきたのだから、地上で完成できないと天国に入ることはできません。楽園、待合室にいます。地上で完成しないと入ることができません。氏族的メシヤも同じで、大変なことです。あなたたちの先祖が呪うのです。後孫が呪うのです。周辺の親族たちは、痛哭しながら、涙を流しながら、これを進んで皆聞くようになるのです。 統一教会を白い目で見て反対するような常識外れの男女は、いることができません。そういう旦那さんがいたら、正面から伝道しなさい。「何が悪いのですか。統一教会の文先生は何が悪いですか」と、このように聞いてみなさい。今からは、反対する者を見ながら、知りながら黙っている時代は過ぎ去りました。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰をしなさい。なさなかったら、自分の先祖が大変です。逆にやられる、逆に蕩減されるのです。皆めちゃくちゃになっていきます。見てみなさい。 母復帰です。エバ復帰です。エバが復帰されないと地獄はなくなりません。家庭において、エバはカイン・アベルを抱えて地獄に行ったのだから、その母を復帰して、カイン・アベルを中心として、真の旦那さんと真の神様のほうを中心として行かなければなりません。 統一教会は七年間奉仕するようになっています。七年の奉仕期間において、十二人の弟子と七十二人の弟子、八十四人を立てるのです。七年でするには、一か月に一人伝道しなければならないという公式になっているのです。十二弟子と七十二門徒がいればイエス様は殺されません。それを蕩減復帰しなければならないのです。伝道しなさい。それが自分たちの生きる道です。そうすることによって女性完成した者は、男性や氏族に援助してもらえばいいのです。 母復帰、絶対です。女性がいれば、皆生かして、皆引っ張って教育するようにするのです。そうすれば、男性と子供とお母さんが一つになります。お父さんはおいて行く、後でいいのです。まずもって母の胎で生まれるのです。分かりましたか。 日本の代表の女性たち、全国の代表の女性たち、大砲になりなさい。世界復帰のため、女性たちを皆世界に送ります。国を復帰するのに援助した天使長は、今までいないのです。今まで悪なる反対をしました。国を復帰する、そのような責任を果たす天使長がいたら、これは堕落したアダムより以上です。いろいろ教えたのだから、援助する道が分かりましたね。 あなたたちの奥さんから皆、宣教師として送らないといけません。世界を悪くしたのは天使長の行為です。あなたたちに祝福を与えて、それを先生が破壊すると思いますか。次元の高いところで祝福されるため、高い次元につなげるためであって、あなたたちを滅ぼすためではありません。 済州島に連れて来たのは日本を滅ぼすためですか。その結果どうなりました。それをしなかったら、今ごろはぺちゃんこになって飛んでしまっているのです。世界的に大変なことです。その方策しかないので、そうしているのです。結局、先生の願い通りにしたので、今からは希望があるのです。あなたたちの思い通りにやったらどうなりますか。滅亡します。 神様には、今まで女性がいなかったのです。その神様の苦しさを知ったとするならば、夜を通してでも、女性を引っ張って神様のほうにつなげてあげることが、娘としての使命であるというのです。女性と子供を抱えて神様に帰る、その道をつくるということは、それ以上幸福な道はありません。御飯を食べるより、もっと尊いのです。女性は、六千万の家庭の母を、そのように教えてあげなければなりません。 考えてみなさい。先生は四十年間で四千年の歴史を蕩減したのです。食べることも忘れ、寝ることも忘れたのです。神様は援助しません。天下に一つしかない、秘密の一番尊いものを誰かに授けようとする時、援助した場合には、文先生をなぜ援助しますかというのです。最後までそういう立場に立っていて、文先生以外にいませんとサタンも分かるのです。 一番最高の貴重なものを与えるには、十人の子がいた場合に、十人を競争させなければならないのです。競争すれば失脚する者が出ます。生命を懸ける者と懸けない者がいれば、生命を懸けない者は皆落ちてしまいます。生命を懸けるにも、どんな立場の生命を懸けるか。戦場の銃撃戦のまっただ中に立ち生命を懸けるか。苦しいどころか、即時に死んでしまうような危険なところに生命を懸けるか。最後の一人になった場合は、その一人に全権を神様は授けてくださるのです。誰も文句ないのです。 だから、蕩減復帰路程において、最高に苦労したのが先生です。神様も、もうめちゃくちゃに先生をやっつけました。それを知っているのです。あなたたちは先生の話を聞いて、心が不満を言うかどうかやってみなさい。子供みたいに心が雀躍するのです。そういう世界があるのです。かわいそうな顔をしている娘たちを、まだ使おうとするそのお父さんはいかにかわいそうか。それを先生に待ち望みながら、地上天国完成を願う神様はいかにかわいそうか。それを知らないといけません。 母復帰。あなたたちの兄弟のお母さん、お姉さん、妹です。公式的な行くべき道が残っています。兄弟のために夜を通し、親戚のために断食し、血を流すような苦労を好んでいくような家庭は繁栄するし、そのような氏族は国を治めるようになります。新しく決意ください。 世界のために生きるべき日本 教会集中時代は終わりました。分散時代です。九月一日で、氏族的メシヤを発表してから三年目です。三年間飛ばしてしまいました。その時、はっきり教えました。氏族的メシヤを一人でできなければ三位基台、三位基台でできなければ十二人が一つとなってやるのです。それができない場合には、百二十の氏族的メシヤが連合してやりなさい。そういう連合体をつくってやった場合には、一人も隠れることができません。 外交的手腕を拡大して、摂理の方向にプラスになるように戦略を組まないといけません。それは座っていてできるものではありません。先生は、世界の学者たち、世界の科学者たちを集めるのに四十年間苦労してきました。それをつくらなければ、お母様の世界的な宣布ができません。誰も今まで手をつけられないような基盤を、誰も壊すことができないような基盤を今つくっているのです。 これから日本に帰った場合には、教会は六十人基準に皆動かします。一か所に何千人も集まっていたら、遊ぶ者が出てきます。何百、何千人はだめです。六十人ずつに分けて、百二十人を早くつくりなさい。それで、百二十人以上になった場合には、再び二つに分けて、町村を中心として家庭まで行くのです。家庭まで相対基準をつくらないといけません。こういう恐ろしい原理を持って、百二十人は問題ではありません。それができなかった場合には、毎日伝道です。自分の親戚は連れてきてもいいですが、他の者を伝道してはいけません。分かりましたか。他の者を伝道しないで、自分の親戚を伝道するのです。 今からは、反対する内容を理論的に正していくのです。弁明し、答えて転換していかなければなりません。座ってはく奪されるようなことは許されません。とにかく自分の親が反対するような者は、さっそく国へ帰って対処しなさい。一家が反対をすることになれば大変です。 入籍する場合にどうするのですか。十代、二十代、百代、千代が怒ってしまうのです。その先祖の霊界の恨みがいかにひどいか考えてみなさい。先祖たちを、その地上の国につなぐことができるのです。過去、現在、未来は一つです。地上再臨して、地上定住することができるのです。長子権を復帰したのですから、皆自分より妹、弟です。先生なら、小さな日本列島を寝ないでも回ります。家族全部訪問して、喧嘩好きな旦那さんでも、水をぶっかけ合ってでもよく解決してあげるのです。考えれば伝道の道はいくらでもあります。仕事しながら伝道することもできます。 先生がここまでくるのにやってきたことをあなたたちは知らないのです。統一教会の教祖の立場でやっていないのです。教祖なんか眼中にありません。若い青年時代はいつまでもあるのではないのです。この前、信仰歴が十八年にもなって、伝道を二人しかしていないという人がいました。それは罪です。罰せられなければなりません。そういうようなメンバーを抱える統一教会は罪の団体です。先生はそう思います。 女性たち間違いなくやるのですね。(「はい!」)一九九四年の正月元旦に誓ったことは、天下一品のものになるのです。信じてもいいですか。(「はい!」)決意しないといけません。不可能なことはないのです。先生はいろいろ体験があります。神様は先生を愛していないといって、迫害しながらも、一番困った時には、きちんとみんな準備してくれているのです。 八十のお祖父さんが、こんなに腹を減らしてやっているのに、やりますか、やりませんか。(「やります!」)必ずやるようにしないと、神様の計画がなされないのです。先生は手をつけた以上、きれいにしてしまうのです。中間のままにはしたくありません。先生の目を見てみなさい。小さいのです。神様の知恵が突き抜くのです。先生の鼻を見てみなさい。誰の話も聞かないのです。そういう男性であることを忘れないで、決意した場合には、堂々としないといけません。 先生はあまり能力があってあなたたちが困るのです。困るけれど、獅子の子供は獅子にならなければなりません。獅子の子供は歩き方から、行動からすべて違います。吼える声もみんな違います。出発当時から異なった姿勢を取りなさい。今度帰った場合には、二倍、三倍以上異なった方法をとりなさい。そのままの方法ではできません。二倍以上の結果を出すような別の方法をとった場合には問題ありません。 真の父母と一体化しないと何事もできません。皆が真の父母と一つにならなければなりません。真の父母と一つになることが、日本の責任者と一つになるよりも重大なのです。真の父母と一つになって、日本の責任者と一つになればいいのです。先生は分析会議が大嫌いです。アメリカでも、会議をするなといっています。分析した場合には大変なことになります。行動するのです。真の父母と一体化しないと統一ができないというのです。 日本人は責任者の名目を持った場合には、お願いしますというけれど、人事になった場合にはきれいに他の人になってしまうのです。それではだめです。それは韓国人と違うところです。韓国人は因縁の情を最も貴重とするのです。日本人のそれは国民性からして女性の性格です。それは島国だから仕方ないのです。そうならざるを得ません。これをいかに変えていくか、それは重大な問題です。その問題解決には本格的教育が必要です。国内でできなければ、国外へ出してでもそういう訓練をしないと、大変なことになります。孤立してしまいます。立つ基盤がなくなってしまうのです。 環境に適応しながら生活するということは、利口な生活ぶりです。しかし、環境というものは歴史性があるのです。真の父母と一体化しないといけません。お父様が何を考えているかということを貴重にしないといけません。それを貴重にしながら日本を考えないといけません。お父様は世界を考えているのです。あなたたちが日本を考えていた場合、いつもこれが問題になるのです。なぜお父様と一体化しないといけないか、それはお父様が世界を考えているからです。一体化することによって、日本の統一教会が将来順調に行く道があるのです。日本ばかり考えていた場合は大変なことになります。 それから、重生問題を重要視しないといけません。自分たちが蕩減の道において、重生をなし得て、血統的転換をして、自分たちが新しく構成されていく過程というものは、このような蕩減再復活勝利圏をなしていくのです。それを確定したという自信を持たなければなりません。これは重要な問題です。 一九九四年は、先生がずっと願ってきたすべての時が来ました。今から世界的な展開時代が来ます。それに相応して、日本がエバ国として、歩調を合わせられるようにしなければなりません。日本自体ではできないから、文先生がエバとしての教育をして、全世界へ派遣しようとするのですから、各氏族が宣教資金を援助しなければなりません。 旦那さんと一つになって、氏族圏で援助する方向を考えないといけないのです。氏族圏でできない場合は、旦那さんが二重、三重の努力をして、氏族圏を動かして、それをやらなければなりません。自分の氏族の反対する環境を残して、今から行こうと思う人はだめです。一族みんな収拾しないといけません。では日本の未来の希望が、きょうから花が咲くようにお願いしつつ終わりにしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.26
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天の父母様聖会 第60回真の万物の日及び世界平和統一家庭連合創立68周年記念特別集会(220530)2022/05/30 (天一国10年天暦5月1日)09:00に公開予定 です。言語は韓国語のみ、日本語訳は、現時点での情報はありません。
2022.05.25
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「第二十七回「神の日」記念礼拝」一九九四年一月一日 午前十時~ ソウル・国際研修院 最初の「神の日」宣布 きょうは何の日ですか?(神の日です)。きょうは二七回目の「神の日」です。「神の日」という記念日は、全世界の数多くの国、数多くの宗派の中で、ただ統一教会だけが記念している日です。本来、堕落しなければ、アダムとエバが祝福される日、すなわち聖婚式をするその日が「神の日」であり、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」なのです。これが一日で設定されるべきでしたが、堕落によって逆になりました。 真の父母が現れたのは一九六〇年です。その位置は、長成期完成級でアダムとエバが堕落した位置です。ですから、長成期完成級から完成期完成級までの七年間が残っているのです。したがって真の父母の名はありましたが、それが完成の段階に立っていなかったので、完成段階の基準を超えなければならないのです。それで、一九六〇年に聖婚式を行い、六八年の一月一日に「神の日」を定めました。その背後の複雑な蕩減復帰の路程が、二重、三重にからまっている事実は誰もほとんど分かりません。分からなかったその背後の内容、すなわちサタンと神様だけが知っていた秘密を、先生が初めて整理してまとめたのです。 歴史路程において、蕩減復帰は、クリスチャンたちが信じているように空中でなされるのではありません。私たちの平面的な路程や、人間の歴史路程を通して蕩減するのです。その蕩減路程は、個人的な蕩減から、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の解放まで蕩減していかなければなりません。 アダムとエバの堕落により、神様は恨み多き立場に立たれたのです。本来、神様は思いどおりにこの宇宙を創造され、思いどおりに主管することができるようになっているのです。人間始祖はこの地上で、神様の真の愛を中心として真の父母となり、真なる愛、真なる生命、真なる血統の関係を結ぶことにより初めて、神様が願われた最初の家庭をつくることができたのです。 神様と人間との関係 ここで問題になることがあります。それは人間と神様との関係です。今日、統一教会は堕落した人間社会の中で、復帰摂理の道を歩んでいます。そのすべての結論は、神様と人間の関係になるのです。 神様はいったいどんなおかたで、人間は何者なのか。これを解明しなければなりません。神様が願われる理想世界と、私たち人間の願う理想世界の出発の起点は異なっています。出発が違えば、神様の理想は人間を通して地上に成就することができません。人間の行く道が神様のみ旨や理想と一致しない限り、神様が成そうとしておられるみ旨と一致する道はありません。結局、人間と神様の関係が何をもって定着し、何をもって一つになるかということが重要な問題なのです。 これがはっきり定まらないと、哲学、思想や宗教の出発の確かな起源と、帰結を知ることはできません。歴史路程と神様の摂理とも関係を結ぶことができません。出発が明確で、過程、結果が明確でなければならないということです。私たちが生まれ育ち、結婚して暮らす、この一生の個人歴史は人類歴史全体を象徴した形態なのです。人類歴史をつくるのは、ほかならぬ人間自身です。私たちのような生涯を送る者が連結されて、歴史が形成されるのです。 このようにつづられていく人生の流れは、数千代、数万代を連結して現れてくるので、歴史の発展過程において、自分の生きている時代が、その歴史発展段階のどの位置にあるかによって変わってくるのです。これはすべて神様とサタンが知っていますが、人間だけが知らずにいるのです。 ですから、サタンを取り除くためには、神様とサタンが知っている内容について、人間も同じくらい知らなければなりません。それで、サタンが悪いという事実を、個人的な生活を通して、次には家庭、氏族、民族、国家、世界、と発展していく世界的な全体の歴史を通して証明するのです。そのことによってサタンを神様の前の法廷に引っ張りだして、天宙の大審判主であり、天宙の大いなる主であり、大王である、神様に善悪を決定していただかなければなりません。 悪なる者は悪なる者として、善なる者は善なる者として決定しなければ、地上に永遠なる平和の世界は来ません。サタンが存在し、破壊行動をしている間は闘争の概念を超越できません。したがって闘争が介在する限り、平和の世界と通じることができないのです。 収拾できない世界の現状 私たち人間自体の歴史を世界的に見ると、いまだに戦争の余韻がたくさん残っています。これから民族間の闘争時代は、過去のものになっていきます。一つの民族主義国家時代も同じです。戦争もすべてブロック的な戦争です。第二次大戦を見ても、英・米・仏、日・独・伊、このようなブロック的な国家連合を形成して、世界をどちらが支配するかという、世界争奪戦争をしてきました。そしていまだにこの世界では戦争が続いています。このような観点から見る時、数多くの宗教、民族または人種、文化の背景が違うだけに、それらは融合しにくいということが分かります。 それで、私たち人間一人ひとりが置かれている環境を見ると、アメリカのような国では、世界に散らばっている多くの民族が入ってきているのです。これらの民族を見ると、歴史が違い、文化や宗教的背景が違い、あらゆる習慣が違います。ですからこれらを融合させるのが難しいのです。 ゆえに人間の間でできたすべての不和の起源が、いまだに地上にたくさん残っているのです。ですから、これらをすべて整備することのできる仕事をしなければなりません。それを誰がするのですか。 人間は頭脳をもって、哲学とか宗教のような思想的基盤を中心として人類歴史をリードしてきました。そして、文化圏を中心として四大宗教圏になり、これが大きなブロックになりました。欧米はキリスト教文化圏、中東は回教文化圏、極東は儒、仏、仙の三道を中心とした文化圏にすべて分かれてしまったのです。仏教圏も分かれていかざるをえないのです。これらはみな文化の背景が違います。 また宗教は、その地域的環境に従って、その地域を収拾するための神様の摂理の中で、多様な文化背景を吸収統一します。ですから地域によっていろいろな形で展開されるのです。そして、国もやはりいろいろな長い歴史を通して、戦争から離れられない環境で戦ってきたので、宗教を指導する国があれば、その宗教自体にも戦争的内容が入っているのです。 このような複雑多岐な戦争、そして不和の要因がこの世界にぎっしりと詰まっているのです。主義、思想という観点から見た場合、今まで何主義、何主義といって、それらがすべて世界を理想世界へ導くべきだといってきました。そのような中で民主主義が出てきたのです。民主主義は思想体系ではなく政治体制のことですが、さらに共産主義という思想が出てきて、唯物論を中心として世界を統一すると大騒ぎになったのです。 人間として考えられる最高の頂上まで登り、思想体制をつくって実践しましたが、全部失敗しました。宗教も同じです。宗教の出発は聖人たちが教祖になりました。宗教の主人になったのです。この人たちが精誠を尽くし、悟りを開き、神様の教訓を受ける立場から出発しましたが、さらに高い所に上がることができずだんだん世俗化してしまったのです。 ですから、宗教の本質的で確実な内容をもって、今、世界のあらゆる混乱の渦中にいる人たちを正しい道へと指導することのできる宗教体制はありません。ブロック的体制はありますが、世界的に全体を収拾できる宗教がないのです。宗教も実験済みです。政治も思想も実験済みであり、すべてが限界にきています。進むに進めない限界線にぶつかっているのです。これから世界がどこへ行くかは誰も分かりません。多くの宗教がありますが、世界の終末時代を迎えて、どのように理想世界を建設するのかが分からずにいるのです。 これを見ると、人間がつくった思想や、宗教的背後の因縁をもって関係してきたあらゆる社会、世界において、それを収拾できる宗教や哲学思想がないということです。最後に人間と神様を結びつけるためには、人間の思想を統合しなければなりません。神的思想を統合できる内容が提示されなければ、神様のみ旨をこの地上につなげることも、人間が神様と関係を結ぶこともできないというのです。それは理論的結果です。 神人一体思想と関係世界 このような観点から、統一教会は神人一体理想を掲げていかなければならないという結論に到達しました。神人一体思想は、神様と人間との関係をいかにして結ぶかということです。今の世の中はすべて関係を結んで生きている世界です。関係という哲学的な結びつきで世界は連結されています。父子の関係、夫婦の関係、子女の関係、師弟関係、政治関係、外交関係、事業関係、教育関係等、すべて何らかの関係で結ばれています。 関係という言葉自体を総括的にいえば、主体と対象からつくられるということです。主体と対象という時、縦的な主体か縦的な対象、横的な主体か横的な対象の概念を中心としてつくられる、その結びつきを関係というのです。父子の関係、夫婦の関係、すべての関係は主体と対象の関係です。また、先進国家と発展途上国があります。先進国家が主体であれば、発展途上国は対象です。先進国家、発展途上国はすべて流通関係を結んでいます。 今後の世界ビジョン 現在、ウルグアイラウンドを中心として農産物はすべて流通化時代に入りました。私が問題視し、また提示していることは、物質自由流通時代よりまず人間自由流通時代をつくろうということです。国籍撤廃を私は叫んでいるのです。物質自由流通は、先進国家が弱小国家を搾取するための一つの計略にすぎません。だから、物質交流よりまず人間交流をすべきです。 アフリカ人が先進国家のアメリカへ入っていけばどうなりますか。現在のことだけを考えて農産物を安くするといっています。農産物も勝手に作ってはいけません。農産物も機械農業でなければならないというのです。全部機械を使わなければいけなくなると、公害問題が起こります。これから、人間が何よりも急いで解決しなければならない問題は公害問題です。 ではこの公害問題に誰が責任を持つのでしょうか。誰もいません。ロシアを見なさい。ロシアでは、日本海北部の、ウラジオストク北部地方に大量の原子力廃棄物を捨てています。日本もアメリカも同じようなことをやっています。全世界の海が汚染されているとは考えもしません。一国を中心とした物の見方、一つの国家を標準とする、このような考え方をする世界になると、公的な問題すなわち価値問題、空気問題、水問題が一番重要になるのです。 私たちの命に直結する問題がすべて被害を受けます。世界はいや応なしに、早い時期に世界管理体制を備えていかなければなりません。まず、政治管理体制と経済管理体制です。経済管理体制は世界的にコントロールすべきです。 農業であれば、一年間の農作物を別々の所で作る必要はありません。二〇億の飢えた人たちが食べて生きられるように農作をコントロールし、地域に分配して共同栽培し、平均的に配給しなければなりません。このような地域的管理時代を築いて、あとはどうすべきかといえば、生き残るためには自然へ戻っていかなければなりません。ウルグアイラウンドをそのまま受け入れれば、韓国人は絶対農業ができなくなるというのです。 その次に来るのが何かといえば、自由流通時代なので、アメリカなどに行って農業をしなければなりません。農業をするのですが、それは趣味農業です。それは楽しみとしてやるのです。公害のない物を約二〇〇坪、一〇〇坪でもいいのです。自分で努力して自分の力で一年間食べる物を全部作っておけば、税金も要らない時代が来るのです。 神様が万物を創造され、それが育つのを見て喜ばれたように、私たちも自然の環境の中で動物を育てながら趣味的生活をする時が来ます。それで、都市集中時代は近いうちに分散することになります。分散させる方法はほかにありません。趣味産業を開発しなければなりません。先生が今叫んでいることは趣味産業です。人間は趣味を中心として生きるようになっています。面白くて満足感がなければなりません。 しかし、今は国家的体制に縛られて自由に往来できません。自由流通時代に入ると、国に税金を払わなくてもいい時代が来ます。こうなればいいですね。しかし、戦争が起きればできません。戦争のない世界をつくらなければなりません。戦争のない世界をつくって、税金を払わないようにしなければいけません。戦争のある世界のままで、税金を払わないでいると、今の強大国にすべて奪われてしまいます。ですから、今、国際的管理体制が要求される時なのです。 一か国重点主義時代は終わって、ブロック的国家体制を形成する時代へ入ってきたので、ヨーロッパもECからEU(欧州連合)へと変わっていくのです。ヨーロッパが一つの国になり、南北アメリカも一つの国にならなければなりません。今現在アメリカを中心として、メキシコとカナダが関税撤廃、物質流通時代へと入ってきました。また、ウルグアイを中心として、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルが関税撤廃物質流通時代に入っています。これは避けられないことです。 そして、これからのブロックはヨーロッパ・ブロック、南北アメリカ・ブロック、アジア・ブロック、アフリカ・ブロックの四大ブロックに統合されます。その四大ブロックをどのようにして一つにするのかが問題です。これは人間の力だけではできません。神様の介在が必要です。神様がおられるということを知らなければなりません。 七年間の女性解放特権時代 神様の存在を知らないので、根本に対しても不明確になります。根本が不明確なので、過程も結果もはっきりしなくなります。それで今の世界は混乱の渦中で呻吟しているのです。行く道が分からないのです。世界がどこへ行くべきかを知らないのです。それが分かるのは神様とサタンだけです。そして、来られる再臨主、メシヤ、真の父母以外は誰も知りません。 ですから、サタンが一番憎むものが神様の願われるものであり、神様が一番嫌がられるものがサタンが願うものなのです。このような渦中に立っているのが文総裁です。自己宣伝をするわけではありませんが、このような渦中にいるのでサタンが一番憎むのが文総裁なのです。では、文総裁は神様が一番憎む人ですか、一番好きな人ですか?(好きな人です)。好きか嫌いかどうして分かるのですか。(笑い) サタン世界が四〇年間レバレンド・ムーンに最も悪い名前をつけて、あらゆる迫害をし、滅ぼそうとしたのですが、その反対にだんだん大きくなり、今はレバレンド・ムーンの上に立つ人は誰もいません。お母様以外にはいません。(笑い)女性たちが喜んでいるのを見なさい。おばさんたちが喜んでいますね。 これからの七年間です。二〇〇〇年までの七年間です。分かりましたか。女性解放特権時代は七年間しかありません。女性の堕落から歴史が始まったので、その時再び堕落する可能性が大きいのです。ですから、非常に堅固な組織社会に入れて、身動きもできないようにするかもしれません。 堕落によって被った受難が、神様の前にどれほどの恨みを残したか分かりますか。二度とそのようなことは見たくないというのです。お母様が女性解放を宣布しましたが、それは七年間です。分かりますか。七年間に世界を再び生み直さなければなりません。それで、新しく生み直すための七年間が必要なのです。 堕落により招来された滅亡時代 神様の息子であったアダムが、堕落したアダムとなり、サタンの先祖と関係した男性たちが、この世界を支配したので、サタンの好む世界の終着点をつくってしまいました。男性たちが世の中をめちゃくちゃにしたのです。堕落した天使長のサタンが、エバと一つになって台なしにしたのです。それで、女性は今まで利用されて、愛の問題でたくさんの涙を流してきました。いろんな男性が愛を蹂躙して、東西南北で浮気をしながら女性の心を傷つけ、血を流し、涙を流させ、生命までも奪ったのです。 この恨みを解く代表的男性が文総裁です。分かりますか。ですから女性は文総裁を嫌がらないようになっています。みんなお母様がいなければ、お母様の代わりになりたいという泥棒根性を女性たちは持っています。そうですか。このようなあらゆる複雑多岐な問題があります。世界問題がいくら複雑だとしても、問題の解決は簡単です。 女性と男性によってつくられた歴史的混乱時代なのです。分かりますか。女性と男性、この二人が世界を滅ぼし、戦争を起こしたのです。それは真の男性、真の女性になれなかったからです。神様が主管し、神様と関係を結ぶことのできる女性になれなかったので、このようになったのです。男性も女性も神様の怨讐と関係を結んだので、世の中はすべて滅びざるをえないのです。 今は滅亡時代の壁にぶつかっています。どこに行くべきか道を知りません。それで、今まで男性を信じ、その男性がすべてのことを引っ張ってきたのです。しかし男たちは、みな泥棒です。歴史過程において残された悲惨なあらゆる問題は、男と女のために生じました。八〇パーセント以上がそうです。八〇パーセント以上の男と女の間違いが、世界の混乱をもたらしたという結論です。そして男と女が正常的な立場に立って、神様との関係が正常的になれば、平和の世界へと八〇パーセント近づけるようになるのです。分かりますか、分かりませんか?(分かります)。 男と女の完全統一 統一教会の文総裁は今何を主張し、何をなすべきですか。先生は平和の代表者として来たのです。先生は今朝も話しましたが、「世界平和家庭連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和教授アカデミー」など、全部「世界平和」という言葉が入っています。分かりますか。先生は世界平和の魁首です。魁首という言葉は悪い言葉ですね。(笑い)その代表的魁首が誰かといえば文総裁しかいません。今は世界がそのように認めています。 「世界平和については文総裁のところに行って聞いてみなさい。また絶対的価値問題についても文総裁に聞いてみなさい」というのです。今日まで終末の問題や、平和を主張してきた代表的人物が私です。絶対価値を叫ぶのも私です。数十年間行ってきたICUS(科学の統一に関する国際会議)から何十冊かの本が編纂されて、人々はこれを研究せざるをえなくなります。 統一教会は「統一しよう」と言っています。何を統一しますか。男と女の統一です。男と女が完全に統一できれば、すべてが終わります。完全な家庭に完全な男性と、完全な女性、そして完全な夫婦が現れます。完全な父母が現れて、完全な子女、そして家庭、氏族、民族、国家、世界が自動的に現れてきます。 皆さんは、完全な女性ですか。完全ではありませんか。完全でない女性たちは真の女性ですか、卑しい女性ですか、良い女性ですか。牧師が公の席上で「この卑しい女、悪い女」と言う人は世の中にはほかにいません。しかし、しかたありません。事実がそうですから。 男性たちは、良い男ですか、悪い男ですか?(良い男です)。男たちは何者かといえば、体と心が闘い闘争の歴史をつくってきた、この人類歴史の中に同化された者たちです。体と心が闘うこの闘争を誰が収拾しますか。父も母も収拾できません。教師もできません。誰もできません。その闘いは永遠に続く可能性すら持っています。そのような中で生きてきたのです。これを革命したいという人に会ったことがありません。 文総裁は良い人ですか、悪い人ですか?(良い人です)。サタン世界では文総裁は悪い人です。サタンの根源地を爆破する運動をして、完全になくすというからです。彼らに言わせると、文総裁はムーン・マフィアです。それほど怖いですか。生きたまま人間をのみ込みます。バリバリ。文先生の顔は怖く見えますか。優しく見えますか。おとなしく見えますか。ひどい顔に見えますか。全部当たっています。すべて言っても足りませんね。(笑い) 先生はサタンも取って食べて、神様も取って食べるというのです。神様も取って食べるというのですから、本当に異端ですね?(いいえ)。取って食べると言いますが、ただ食べるというのではありません。愛で取って食べるのです。神様が私にほれたならそうなるのです。そうでしょう? 文総裁がいないと生きられないというようになれば、死ねと言われれば死ぬまねでもやる以外ありません。そうでしょう。たとえ神様でも馬になれと言えば、馬になってくれて、その馬に乗って走ることができます。女性の前に体の大きい男性が「あなたがいなければ死んでしまいます。命令されれば馬にでも、熊にでもなります。何でも食べろと言われれば、何でも食べます。」と言います。この男性は良い男ですか、悪い男ですか。良い女ですか。悪い女ですか?(笑い)私も知りません。 女性の立場 この歴史時代に許されることのできない悪い女性たちです。では男性はどうですか。男性はもっと悪いのです。女性よりももっと悪いのです。女性がもっと悪いですか、どうですか?(男性がもっと悪いです)。(笑われる)原理では男は天使長の後継者です。サタンの後身です。 しかし、女性は違います。サタンに振り回され、拉致されたのが女性だったのです。それで、真なる愛と真なる夫がどこにいるのかと、今まで涙を流しながら探し求めてきたのです。女性はかわいそうです。女性として生まれたことを喜んだ人がいますか。この世の中にはいません。いるとすればそれはうそです。どうせ生まれることなら男性として生まれるべきなのに、どうして女性に生まれたのか。このような恨みをもって生きてきませんでしたか。 女性は、原理をよく分かってみると文総裁の妹の立場です。私の妹といえば、私とその妹が神様の息子、娘として、また神様の双生児として母の双胎から生まれたような、ちょうどそのような立場なのです。神様の息子、娘の中で、文総裁が息子なら自分は娘で、一つの家庭において、神様の家庭において文総裁が兄なら自分は妹で、夫なら自分は妻で、父なら母だということです。アダム、エバにそのような約束ができていたのです。 夫婦になれば、次に父母になります。ですから妻とは妹のことであり、神様の前に同じ父の血肉を受け継いだ兄妹ということになるのです。そして妹の次が妻であり、妻の次は母になるのです。ところで、その妻は四大心情圏を代表した女性の代表です。神様の娘を代表しているのです。そして女性は、家庭においては妹の代表であり、妻と母の代表です。ですから女性を母のように愛さなければならないし、自分の妻や妹のように愛して、神様の娘、神様の王女と共に暮らす王子にならなければなりません。 理想的夫婦と理想的兄弟過程 この四大心情圏を完成した人たちが集まったところが愛の統一家庭です。そして、体と心が堕落しなければ、神様の愛を中心として体と心が完全に一つになれたのですが、サタンの血統を受け継いだのです。 理想的家庭とは男性と女性が完成した家庭です。神様と天地が公認して、万事がすべて通じることのできる関係をもち、歴史を代表した本当の男性、本当の女性が離れようとしても離れられない関係をもつ、そのような夫婦がいるとすれば、その夫婦は理想的夫婦です。そのような理想的夫婦になるためには、理想的兄妹過程を経なければなりません。ですから、理想的夫婦になる前に理想的神の息子、娘にならなければならないのです。そして、大きくなって兄弟にならなければなりません。分かりましたか? 理想的天の家庭において兄妹にならなければなりません。それで、息子、娘が大きくなって兄妹になりますが、学校へ行く前は幼児時代です。分かりますか。兄妹時代は学校へ行く時分かれます。分かれてまた合うのです。こうして、男性は男性の行く道、女性は女性の行く道を学んでいきます。そして、成熟した男性と女性になって、女性には男性が必要で、男性には女性が絶対必要だということが分かるまで教育を受けます。そして準備するのです。 アダムとエバの理想的出会い それで時が来れば、男性と女性がお互いに別れて自分の道を行ったとしても、「あ、これは間違った、大学院も博士も要らない。お嫁に行かなければならない」と言うのです。また男性も博士になって、出世して大統領になったとしてもそれで何をしますか。妻がいなければなりません。それで、このように伸びていくものが全部一か所に集まります。エデンの園のエバという妹は、いつも日当たりのいい所に座って休もうとばかりしています。「自分の兄が働くのは嫌だ」とぶつぶつ言ったり、「自分を一人にしておいて働く」と泣いたりしました。 男性は山で跳ねているウサギを捕まえたり、鹿、狸、狐、鳥などを捕まえて腹を切ったり、いろんな実験をして主人の役を果たさなければなりませんが、女性はそのようなことには関心がないのです。「蛙をどうして捕らえてきたの。蛇はどのようにして捕まえるの。私はそんなもの大嫌い」とばかり言っていた女性が、あとでその男性が必要だということが分かるようになります。それで昔を思い出しながらも、好きではなかったその兄がすてきに見えてくるのです。 「動物世界を見ると、雄と雌があのようにして子を生んで、みんな喜んでいるなあ……」と習うのです。そして、エバも「アダムあなたが必要です」と思い始めます。また、アダムはエバを泣きながら付きまとう甘えん坊だと思っていたのですが、「私もあなたが必要だ」と言って、お互いが会わなければなりません。会う所はどこですか。縦的な中心の所です。東西で分かれた者が「会いましょう」と言って男性と女性の目が合います。目が合ってその次は口が合って、胸が合って、あとはゴールインします。変に思うことはないです。教主はこんな話をしてはいけませんか。みんな愛しながら暮らしています。教主だといってそれをしませんか。みんなしています。変に思わなくていいのです。(笑い)教主だからこそ教えてあげなければなりません。 真の愛を中心とした統一圏 それで先日、私が日本女性五万名を七七日間で教育しました。教育の中で教えてあげるのが何かというと、結婚の芸術化、美術化です。一度話すと、女性たちが「私は夫の前に妻になる資格のない、どうしようもない女です」と言います。自ら結論を出すようになっています。その話を聞いたら大変です。分かりましたか。みんな抜けた者たちが集まっていますね。結婚の芸術化、結婚の美術化をすべて日本の女性に詳しく教えてあげました。韓国女性はまだ知りません。 では、体と心を統一できる秘訣があれば大金を出しても買いますか。買いませんか?(買います)。その秘訣が先生にあります。先生にあるのです。ですから統一することができるのです。統一教会は体と心を統一するのが第一条です。その次は男性と女性を統一するのが第二条、第三条はその夫婦と神様が一つになることです。真の愛を中心として体と心が一つになることが第一統一圏で、第二統一圏は、真の愛を中心として夫婦一体理想を成すことです。第三統一圏は何かというと、人間と神様が離れようとしても離れられないように完全に一つになることです。 男女問題の解決 問題は男性と女性です。男性と女性の問題を解決すれば、天下に平和な世界が来るのです。男性と女性の個人的問題を解決しようとすれば、神様との関係を結んだ男性と女性にならなければなりません。そして、その二人が完全に一体化すれば、永遠に離れることができないのです。 離婚という言葉は、堕落世界のゆえに生まれたものです。離婚は堕落の贈り物です。終わりの日には離婚するようになっています。離婚は神様の理想的家庭を破壊させる一番の原因です。悪魔の謀です。悪魔の膨張主義によって地上地獄が顕現し、終わりの日に現れたのが現在のような離婚なのです。 フリーセックスは神様が一番嫌います。離婚、ホモセクシュアル、レスビアンも同じです。動物世界にはそのような戯れはありません。万物の霊長である人間の価値が、このように堕落したのです。これらは堕落の贈り物です。これを完全に整備しなければならないのが、統一教会の使命であり、文総裁の使命です。統一教会の人たちは、エイズと関係がありますか、ありませんか? (ありません)。これらを全部、清算してしまわなければなりません。それは、統一教会の文総裁でなければできないのです。 堕落しなければ、神様の愛を中心として一体となり、神・人・愛一体の完成圏が、家庭を中心として成就したのです。そうなれば堕落することはなく、人間は神様と共に住むようになったのです。神様は王の中の王です。父親の中の父親であり、父親の中でも父親の王様です。また男性の中でも男性の王様です。息子を持つようになれば、息子の中でも息子の王様です。このように見ると男性の名前を持った者の中で、最高の名前を持たれた方が神様です。その神様とアダムが一つになります。一つになったその人を女性は夫として侍るのです。それは幸福ですか。不幸ですか? (幸福です)。どれほど幸福でしょうか。 体と心の統一 アダムは地上天国の王であり、神様は天上天国の王です。二つの王すなわち、縦的な王と横的な王になっているのです。それゆえにアダムとエバの結婚式は、縦的な神様の結婚式であると同時に、横的な人類の真なる父母の結婚式となるはずでした。 それでは、どうしてそのようになるのでしょうか。愛の主人はアダムとエバではありません。愛を中心として見る時、愛の主人は神様です。 それではアダムとエバは何でしょうか。神様の愛の前における第二の相対者です。神様が第一原因者であれば、人間は結果的存在です。原因と結果が一つにならなければ、神様と人間は一つになれないのです。そのようにしてこそ理想的家庭と理想的環境が展開されるのです。理論に合わなければいけません。すべてのことは原因にふさわしい結論を出して、そこに理想圏が生じ、安心地帯が生じるのです。そして統一圏が生じるというのです。 それゆえに、統一教会という言葉は驚くべき言葉です。どうすれば一つになれるのかということを教えてくれる、という意味だからです。 ところで、その統一に失敗したのが人間でした。歴史始まって以来、体と心の闘いが、休戦条約を結んだという噂を聞いたことがありますか。聞いたことがありませんね。戦争が終わったという話を聞いたことがありましたか。自分の骨肉の中でいま闘っているのに、体と心の闘いが終わったというのであれば、それは嘘です。しかし、統一教会では体と心の統一が可能なのです。 体と心が一つになれば、宙に浮くような気持ちになります。そのようなことを知っていますか。皆さん、聖霊を受けてサタン世界をすべて追放して、体と心を統一することができるということが、どんなことか分かりますか。その喜びは言葉で表現できません。踊りを独りで踊るような境地が生じるのです。 そのような世界は、堕落した人間にはなかなか体験することができませんが、そのような境地があるのです。その境地が真の愛の境地です。真の愛は体と心を統一します。そして、神様を中心とした真の愛と生命が、目に見えない神様の性相と形状として、初めて実体的に現れるのです。神様は心の側に立っており、アダムとエバは体の側であり、同じ個体の性相と形状です。この二つが一つになるのです。愛を中心として、一つにならなければならないのです。それが今まで一つになることができなかったのです。 男性を無視できない女性 今や、我々統一教会の教主の家庭は、お母様が王となり、私が僕となっています。(笑い)ところで、男性と女性のどちらが主体ですか。堕落した世界にあって、神様の真の愛を持ってくることのできる道が、女性にはありません。永遠にないのです。それを知らなければなりません。真の愛を中心とする真の生命の種は、堕落した世界における女性を通しては持ってくる道がないのです。 完成すべき男性であるアダムの完成基準が残されています。完成したアダム以外には、神様の愛と一体となって、神様の中にある子供の種を受け継ぐことができないのです。アダム以外にはいないのです。女性には子供の種がありません。これはいわば空の巣です。いくら女性が素晴らしいといっても、主体性を主張することはできません。 女性は誰のために生まれたのですか。女性の胸は誰のものですか。女性自身のものですか。誰のものですか。胸は誰のためにこのようにふくらんでいるのですか? (子供のためです)。子供のためです。お尻はどうして大きいのですか。誰のためですか? (子供のためです)。女性のためですか、子供のためですか? 子供のためです。女性の聖なるこの体の半分以上は、子供のためにあるということを知らなければなりません。 男性を無視する女性たちは、天上世界に行けば、一番地獄の底に行くのです。たとえ夫が乞食でも、その夫を見て自分の父親を連想し、自分の兄、自分の息子、娘、自分の弟を連想しながら、彼らに対するのと同じように、夫に対さない女性は地獄に行くのです。女性は男性を無視することができないのです。男性は神様の代身なのです。神様の愛をもって神様の生命の種を伝授するために、訪ねてきた人が夫であるということを知らなければなりません。 このことをはっきりと知れば、離婚はありません。百遍、千遍死んでも、離婚することはできません。離婚というのは、根本を切り、芽を切ってしまうことです。女性の顔は、男性のためにあるのですか。女性のためにあるのですか。女性の顔自体は女性のものではありません。 では女性のそれ(生殖器)は男性のものですか、自分のものですか。体の縦的な中心にあるものは男性のものです。横的なものは子供のものです。自分のものはありません。そうでないという女性がいますか。女性は自分のものがなくて寂しく思うかもしれません。文総裁は男性として生まれて、そのように女性を公然と無視するのです。気分が悪いですか。気分が悪くてもいいのです。 文総裁が通過された迫害の道 文牧師は露骨です。率直は正義に通じるのです。女性たちの多くは売女ですか、よい女ですか。自分が売女ならば気分が悪いかもしれません。売女が多いですか。よい女性が多いですか? (売女が多いです)。女性を好むということは、卑しい者に成り下がることです。私は女性が一番嫌いです。私は女性のために悪口をどれほどたくさん言われたことでしょうか。文総裁は家庭を破壊する頭だ、捕らえて殺せというのです。そのような悪口を言わなかったですか。来るなと言っても明け方から勝手に、私の所に来るために、他人の家の塀を乗り越えてきたのです。 夫の迫害で髪は刈られ、裸同然で先生の所に逃げてくるのです。その時、塀を乗り越えようとして滑り落ちたところを村の女性たちが見ていたのです。すると、なぜそのような姿でここにいるのか、となるのです。統一教会の文先生は、浮気をしている、となるのです。それで悪口を言われるようになったのです。そして世界的に私が悪口を言われるようになったのです。米国や日本の女性からもそうされたのです。 私がキスをして、手を握ったといっていますが、お母様は先生を絶対的に信じています。今回五万名の日本女性、美女たちがきゃあきゃあ騒いでいる中で一人立っているのですが、私は何もしません。お母様が四〇か国巡回講演に行きましたが、世の中の女性たちで自分の夫が私のような男性であれば、夜も眠れないのです。胸を痛めて竹串のようになってやせて戻ってきたことでしょう。しかしお母様は私より太って帰ってきたのです。私は竹のようになり、お母様は太ったのです。そういう女性問題で先生は、日本をはじめ全世界に名前が売れているのです。 統一教会は節操を守ること、また男女問題をきちんとすることが徹底しています。ところで、その中で一番悪いのが私だというのです。真の父母は息子・娘が多いのです。それなのに何で妾が多くて、その息子・娘も多いというのですか。そんな息子・娘などは影も形もないのです。 統一の統は統べる「統」 そうであれば、女性を一番好きな男性が誰ですか? 悪魔です! 女性を一番嫌う人は誰ですか? 文総裁です。(笑い)このように、男性と女性が問題です。それで宗教などは、この男女問題をくず扱いしてきたのです。 思想も実験済みであり、政治、外交、学校も実験済みです。みな偽りの先生たちであり、偽りの学生たちです。男性と女性はみな偽り者たちです。この偽り者が多いこの世の中に、本物一人をつくってみようと、神様が私たちのような者を立てたのです。先生の言葉を聞けば、本物の男性と女性になることができると思いますか。思いませんか? (できると思います)。本当ですか? (はい)。 統一という言葉は、一人で用いる言葉ではありません。二人以上が一つになることを指している言葉です。分かりますか。「統」という字は、統べるの「統」であり、支配を受けるのではありません。主体となって統一的な対象をつくることのできる「統」という字です。 南北統一する時は、金日成主席は自分を中心として統一し、自分が主体になるのだといっています。統べる「統」という字ですから、統一であり、統一教会なのです。自分が主体者であるからこそアダムでしょう? そこで主体といった時に主体だけでは和合できません。主体といってもそれはすべて、主体と相対者の間に中間存在が入っていかなければ、プラス、マイナスが和合することができないのです。それが文総裁しかいないということを皆知っているのです。 金日成主席も文総裁に橋渡しを頼まなければ、自由世界につながる道はありません。そして金日成主席は私に、どんな命令でもしてくださいというのです。韓国では目を丸くして、「ああ、文総裁が北韓と近づいた」と言っています。私が金日成主席に主管される男ですか。そのように考える人は、世界に一人もいないのです。朴普煕は私が金日成主席に主管されると思っているかもしれません。(笑い) 今このようにして、真の父母と成約時代を宣布したことは、全権時代に入ったことを意味します。悪魔の世界は、私とは何らの関係もないのです。悪魔の世界はすべて崖から転がり落ちるようになっているのです。見なさい、米国もいま最後です。日本も韓国も同じです。 天下が公認した文総裁 次に誰が大統領になりますか。金日成主席も終わりです。これらの人たちも、世界の四大国家の指導者も、みな今後世界が行くべき道を知らない人たちです。ただ一人行くべき道を知っている人は、文総裁しかいません。ですから、米国も文総裁を必要としているのです。今になって「文総裁、米国からどうか離れないでください。私たちを助けてください」「お望みならば、イースト・ガーデンに守衛として米国の警察を配置いたします」と言ってきています。 私が米国に行くと、CIA副局長が案内してくれました。世の中がそれくらい変わりました。世の中が変わりましたか、文総裁が変わりましたか? (世の中が変わりました)。文総裁は変わりません。ですから、私のことを悪いといっていた者たちや、自分が一番高い位置にいるといっていた者たちがみな落ちてきて、一番悪いといわれていた者が一番上がっていくのです。そして今は私を尊敬するようになったのです。 今は、私のことを愛国者、我々の国の英雄という名称で呼ぶ人がいます。米国の英雄中の英雄はレバレンド・ムーンだというのです。滅びゆく国家を救うことのできるたった一つの希望は、レバレンド・ムーンしかいないといっているのです。そのようなことを知っていますか。米国から見れば、韓国人は田舎者です。それが近ごろは目を覚まして、「文総裁が世界的な人材であることを私たちは知らなかった」と言っています。物事の分からない者は、どうしようもありません。分からない時代に、分かって喜々としている人が称賛される人です。そうではありませんか。天下がみな公認するのです。 世界がみな文総裁、文総裁といっているのに大韓民国の人が、私をつまらない人間として追放することができますか。それは自然にそのようになるのです。山に例えれば、山の中でも一番高い山が、自然にその山脈や山並みの中で中心的な位置を占めるようになります。樹木もそうです。いくら木が多いといっても、その中で一番高い木に鶴や渡り鳥が飛んでくるのです。そしてそこに休み、巣をつくり雛を生むのです。 体と心の統一、夫婦の統一、神様と夫婦の統一 統一、統一といってみなさい。(統一)。体と心の統一。(体と心の統一)。男女の理想的夫婦の統一。(男女の理想的夫婦の統一)。理想的夫婦と神様の統一。(理想的夫婦と神様の統一)。万事OK。(万事OK)。それが神様が願われる一番の喜びの日だというのです。それが神様の日です。(拍手) 先ほど女性の話をしましたが、そのような話を聞いて女性たちは寂しいでしょう。女性は殻しかないというのです。空のかごです。この空のかご、空の桶は、入れるものによって価値が決まるのです。空の殻が悪いと考えるのは、その意味をよく分からないからです。このかごには、神様の息子、娘を一〇人、二〇人も入れることができます。多い人は三六人までも入れることができるそうです。 世界記録だと思うのですが、私たちの知っている中東のある人が三六人の子供を生んだそうです。三六人のうちで、息子半分、娘半分であれば、何双になりますか? (一八双です)。その一八双と父親一人を交換できますか。母親と交換できますか。父親と母親を合わせても交換することができないというのです。ですから女性は、それほど価値のあるかごの値段になるというのです。(笑われる) 女性は神様が一番最後に仕上げとしてつくったのです。神様は一番最後にアダムをつくられましたか、エバをつくられましたか? (エバをつくりました)。エバは神様がすべてを投入して、すべすべにつくり出したのです。それゆえに、ふっくらとしているのが女性の特徴です。肌を触ってみなさい。ふっくらとしていますか? (笑い)男性はゴツゴツしているのです。それが男性の特徴です。美人の女性が結婚する時、新郎が自分よりももっと美しい女性のような男性であれば、その花嫁は気分がよいですか、悪いですか? (悪いです)。どれほど悪いでしょうか。先生がこのように女性たちを憎んだために足でも折れたら「文総裁は、あまりにも女好きなので足が折れた」という噂にでもなりそうです。(笑われる)分かりますか? (はい)。 統一できるかどうか見ていなさい。ここにいる女性たちの中で、私が夫を捨てて出てこいと命令しても、出てこないという女性は手を挙げてみなさい。(笑い)一人もいないではありませんか。(笑い)日本の五万名の女性は、先生の命令に従って、どんなことでもやります。それがどれほど恐ろしいことか分かりません。私がこれを間違えていたとすれば、逃げ出さなければなりません。(笑われる)本当に恐ろしいことです。そして、その人たちの信仰の証を聞くと、韓国は負けたように感じます。日本のメンバーは、日々の生活の報告を受けながら生活しているのです。そのような組織が世界のどこにあるでしょうか。 聖書の奇跡の記事を見ても、それらを行った昔の聖者はみな田舎者です。皆さんと同じです。しかし今、この統一教会でそれ以上の何十倍、何百倍の奇跡が起きているのです。それが信じられますか、信じられませんか。(信じられます)。そこのおばさんたちは、信じるだけでよく分からないのですから、盲信者たちです。 人間をつくり変える統一教会 神様の理想とする世界まで行こうとすれば、数十年稲妻のように飛んでいかなければならないのですが、飛んでいく気運もありません。文総裁がきょうどこで、どんな話をするのか見物しに来たのでしょう。私を見れば、それは醜男です。しかし女性のために、あまりにも多くの苦難を受けてきたので、女性を憎むチャンピオンでもあります。 米国の女性たちのことですが、私が何といいましたか? (売女)。売女という言葉はよい言葉です。なぜなら「お嫁ばいった」というその言葉だからです。(笑い)女性がお嫁に行くこと以上にうれしい福音がどこにありますか。先生が米国に初めて行った時、女性たちは先生にキスをしようとしたのです。ぎゅっと抱き締めてキスをするのですが、脚をこんなふうにしてきたのです。(笑い)気分がどれほど悪かったのかしれません。節義を守った男性がこのようになってはいけないのです。私はそれで女性の一メートル以内に接近しないのです。(笑い)それでお母様が安心するのです。 母親が眠っている隣に来て、私も一緒に寝ましょうといって部屋に入ってくる男性たちがいます。また舅の部屋に嫁が入っていくのです。嫁の部屋に舅が入っていって寝るのです。それでしかたなく息子は出ていくのです。それが人間の姿ですか。犬畜生でもそんなことはしないというのです。 そんな人間とは思えない人たちを人間としてつくり変えようとするので、私が悪口をいわれ、ありとあらゆる仕打ちをされるのです。ですから統一教会はいいところですね? (はい)。歓迎しますか、歓迎しませんか? (歓迎します)。どれくらい歓迎しますか? (大歓迎します)。 体と心の統一基盤 統一基盤の上でのみ、自由が保障されるのです。闘っている体と心が闘争するところに自由がありますか。自由が逃げていくのです。それを知らなければなりません。今日、若い者たちがそれを知らないでいるのです。体と心が闘うその基盤の上に自由がありますか。共産主義はそういうところをよく分からなかったのです。ですから私の手の中に共産主義が溶けていくのです。 体と心が一つになった基盤の上に自由が定着するのです。幸福も闘う場所にはありません。不幸だけです。そこには理想もありません。破壊だけで、建設がないのです。たとえ建設されても壊れて、不合格になるのです。今日、若者たちはすべて、理想を探しています。しかし理想的男性がどこにいますか。体と心の闘いをやめようとすれば、自分自身が闘わない平準的な位置にあって、完全に主体なら主体になるとか、対象なら対象になるとか、完全になることのできるそのような自分を探していって、そこに理想的な自由か何かを探さなければならないのです。その基盤がなくなってしまい、全部みな無駄骨、空っぽです。理想的自由がなっても、自分とは関係ないのです。 さあ、統一の道へ行こう! 言ってみなさい。(統一の道へ行こう)。どうやって? 自由を探して? 自由をどのようにして探すのですか。体と心が一つにならなければならないのです。そうしてこそ、その自由は永遠に定着するのだということを知らなければなりません。そうでなければ幸福がありません。 主体の最高の理想は対象に無限の価値を探すこと 夫婦同士が喧嘩して戦っているのに、その日会社に行って幸福ですか。一日中ストレスを感じます。夫も帰ってくる時、口をへの字に曲げて帰ってくるのです。また、夫が国を守るために兵隊として家を留守にしている間に、留守を守る妻がそれを快く思わないとしたら、それが幸福ですか。二人が一つにならなければなりません。 一つになる秘訣は、簡単です。自分を中心とした人生ではいけません。相手のために生涯を送るのです。皆さんは、自分の相対者が自分より立派であることを願うでしょう? (はい)。例えば理想相対になろうとすれば、夫にとっては息子、娘がその理想相対です。夫は縦的基準です。息子娘は横的な基準です。 父母は自分の息子娘が立派になることを願います。自分の持っているものが百である時に、その持てる百よりも立派なものを対象に投入して、また投入すれば、百以上に育つのであり、千だけのものの存在を願うならば、自分の持てる百だけのものを十回投入してもそれを忘れれば、千以上に育つことができるのです。最高の理想とは対象が何千万倍、何億倍にもなることを願うものなのです。ですから何千万倍投入しても忘れる、その立場から、最高の無限なる価値を持った相対を探すことができるというのです。 神様も創造主として、百の創造の能力の中で百しか投入しなければ、百だけの価値的存在しか探すことができません。ところが最高の理想とは、一億倍、何億倍にもなろうとするのですから、自分の持つ力の何億倍、投入しては忘れ、忘れてはまた投入するところに、徐々に対象的価値が高くなるのは理論的なことなのです。 女性は、自分のために生まれたのではありません。女性は夫のために生まれたのであり、息子娘のために生まれたのです。夫も同じです。肩が広いのはなぜですか。男性は女性を食べさせなければなりません。女性はお尻が大きいのに対し、男性はお尻が小さいので、三時間も座っていれば、出っ張った骨が痛くなります。女性は三〇時間座ってもクッションがよくて、びくともしません。そのように相対的になっているのです。 女性の体を見ても、自分のためにあるというものは一つもありません。その女性が美人でも、自分のために存在しているのではありません。男性も同じです。自分は自分自身のものではありません。男性は女性のために、女性は男性のためにあります。この愛には特性があるのです。愛は男性と女性が一つになるところにその特性が発揮されます。愛の特性は女性と男性を一つにさせることです。でこぼこが一つになるのです。何を中心として一つになるかといえば、真の愛を中心として一つにならなければなりません。 堕落した愛を中心として一つになったために、世を滅ぼす群れになったのです。一番卑しいものになったというのです。 生殖器は愛と生命と血統の本宮地 神様が一番精誠を尽くして、つくった所が生殖器です。生殖器は、生命の根源であり、理想的、感情的なものすべてが集まった所です。ですから、愛の本宮なのです。神様の愛の出発が、そこから生じたのでした。 男性と女性が堕落したために、生殖器が最も悪い場所となってしまったのです。堕落しなければ、生殖器は生命の起源地であり、真の愛の本宮、真の生命の本宮、真の血統の本宮地であるというのです。 子宮という言葉があるではありませんか。どこを通って子宮に子供が宿るのですか。男性の生命と女性の生命が、愛を通して一つになるのです。このようにして、一つになったその場所において男性の血統と女性の血統が合わさり、その中に二つの血統が混ざり合って渦を巻く、その中に生まれたのが息子娘です。息子娘は母親と父親の愛に同参することができる資格者です。父親の生命と母親の生命の二つの生命が交差することにより、息子は二つの性品を持つために、父親よりも素晴らしいのです。それゆえに、父母は子女のために犠牲にならなければならないという論理が成立するのです。 それでは愛が先ですか、生命が先ですか? (愛が先です)。神様は全知全能であり、生命の根源です。神様において生命と愛のどちらがより根源ですか。神様も愛ゆえに生まれたのです。愛ゆえに存在しているのです。神様ご自身が被造世界を創造したのですが、神様が愛であるため、神様は被造世界のためにおられるのです。主体は対象のためにあります。絶対的な主体という存在は絶対的な対象のためにあるというのが、その要件であることを知らなければなりません。 絶対的な主体は、絶対的な対象のために絶対的に存在する時、その対象から主体に認定されるのです。絶対的な対象の価値と対等な価値が主体に付与されるのです。男性の完成は女性によってなされるのであり、女性の完成も男性によってなされるのです。完成させることのでるその位置が結婚だというのです。それでも離婚することができますか。浮気することができますか。男性と女性の完成の鍵は、ひとえに男性と女性にゆだねられており、その鍵は一つしかありません。二つではありません。統一教会は、あくまでも理論的な基準の前に、神様の創造理想を中心として一体化できるように、明確に公式化されているのです。それに違反するものは、良心が苦痛を受けるのです。 結婚は神様と人間の理想の出発地 きょうは「神の日」です。すべての根源は「神の日」から始まるのです。その「神の日」に何をするのですか。堕落世界では「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」と分かれていますが、本来は「神の日」一つでよいのです。その「神の日」とは、神様が結婚する日です。誰と結婚するのですか。神様の愛の相対が誰かといえば、それはアダムとエバです。 神様の結婚式とは、神様がアダムとエバと一つになることを意味します。神様の中の無形の男性と女性が分立され、実体として男性と女性に現れ、これが大きく成長して、一つになることができる位置です。このようになれば、神様の主体として、マイナスだろうが、一つになるようになっているのです。縦的に一つ(パンと手をたたかれる)横的に一つですから、アダムとエバの結婚の日には、縦、横が一つになって天の愛と、地の愛、そしてすべて人間関係、および神人関係が愛を中心として一体化されるのです。それが神様の理想的出発地であると同時に、我々人間始祖の出発地です。このように、アダムとエバの結婚式という一点からすべてが出発するのです。 それゆえに、一点で出発したので、永遠に分かれても、一つの終着点で終わるのです。それゆえに、私は理論的な根源をどこで探すのかということを一番悩んだのです。神様は愛の主人ですから、人間も愛を探していくのですが、その愛がどこで結合するのか、結合点、終着点がどこであるかが一番問題なのです。 人類の始まりが根源となって一つの点から出発したのですが、それがその過程で定着し、終着されたとするなら、理論的に合っていません。根源になることができないのです。 根源と終着点が一致するようにならなければなりません。そうすれば、その過程は自動的にすべて原因と結果が合うようになっているのです。結果的にすべて合い、結果的なものは原因的なものに合わせて帰っていくのです。原因に帰っていくので、反対にしても合い、まっすぐにしても合うようになっているのです。逆さにして、男性と女性を交換した場合でも、男性が主体になったといくら言っても帰っていくのです。男性が主体になり、時には女性が主体になったりしながら一つになっていくのです。 一つの不変の主体はセンターです。軸は不変です。その軸の位置で、神様に侍って永遠に回転して生きようというのです。それが宇宙と神様の秘密です。サタンがこれにすべて秘密のふろしきをかぶせて隠し、人間をだましてきたのです。 それで、これが分かったがゆえに、これを理論的に知ったがゆえに、理論的に可能なものは何でもつくり出すことができるのです。なくてもつくり出すことができるのです。人間は理論的に理解してきたために、人間には既にみなそのようにすることのできる素質があります。皆さん、世界で一番最高の存在になりたいでしょう。皆さんの顔だちは決して良いとはいえませんが、欲心は地面の厚さよりももっと厚いのです。世界で一番の美人よりももっと美しい者になりたいという心をみんな持っています。持っていますか、持っていませんか? (持っています)。 良心は第二の神様 神様の愛を占領する全権を所有したので、神様ご自身が私のものなのです。神様の所有権が私のものになっているのです。人間は本来、神様が創造された時には、主人になることができるようになっていたのです。この主人になる権限を失ってしまったがゆえに、「このっ! 寝てばかりいないで私の本郷の道を探しにいけ」と良心が催促しているのです。催促されても行くことができず、この地上で活動することができないので、良心は苦痛を感じるのです。堕落ゆえにそのようになったのです。 体と心が一つになることができる位置を見つけたという時、どれほど幸福か分かりますか。天下を獲得しても替えることのできない喜びを感じるのです。「ああ! こんな世界があったのか!」。文総裁はそのようなことを知っているので、世界の監獄に行ってもビクともしません。天下に悪口を言われて行き来しても、恥ずかしいことはありません。地が私の友であり、流れゆく波、風が私の友です。飛んでいく鳥までも私の友になってくれるのです。滅びゆくこのサタン世界で、地獄に行く群れの前で歓迎を受けても何の役にも立たないのです。分かりますか?(はい)。 良心というものは、第二の神様です。自分にとって良心は何ですか? (第二の神様)。良心は第二の神様です。男性と女性を中心として見れば、男性が主体ならば、女性は皆その夫に対して絶対的な第一の神様のように信じなければなりません。 夫は神様の代身です。夫に頼ることによって、その夫は神様の代わりに女性の不足なものを再創造、創造して、補強してあげるのです。打たれて倒れるようなことがあれば、夫が代わりに打たれてくれるのです。無念で恨めしいことを代わりに背負ってくれるのです。そのような存在が夫であり、それが主体であるというのです。主体は相対の前に責任を負うのです。主体は責任を負わなければなりません。 統一教会の主体である中心者は責任を負わなければなりません。中心存在は責任を負わなければならないし、保護し育成してあげなければなりません。そうであってこそ主体なのです。また発展することができるように、プラスになるように育ててあげなければならないのです。利用してむさぼったり、思い煩わせてはなりません。 自分の良心は何ですか? (第二の神様)。第二の神様です! 良心は平面組織です。良心は夫よりも行くべき道をよく知っています。ですから良心よりも先に夫に尋ねる必要がありません。良心は自分が行く道を皆知っているのです。良心が分からないことがどこにありますか。良心に教育が必要ですか? (必要ありません)。教育を受けなくてもすべて知っているのです! 八〇歳になっても、良心に背く時、「ああ、いけない」と、良心は命令するのです。 良心が真の主人であることを忘れてはいけません。良心は神様の代わりに、私にすべて分かるように教えてくださる第二の神様です。そのような私の中心存在を知らなかったのです。ですから、良心に対して神様以上に侍れというのです。宗教の教祖に対する以上に、イエス様に対する以上に良心に侍らなければなりません。 そうしてこそ、イエス様を信じた、それ以上の位置に行くことができるのです。ですから統一教会の文総裁を信じてはいけません。統一教会の文総裁の教えによって良心が神様と完全に一つになったならば、統一教会の文総裁について行かなくても天国に行くことができるのです。しかし教材を買って勉強しなければなりません。分かりますか。教材のお金は出さなければなりません。そうして、天国に入れば、収拾はすべて文総裁がしなければならないのです。そうしてこそ真の父母の血族になるのです。分かりますか? 宗教の目的は良心解放圏の拡大 体と心を一つにするのです。堕落によって、サタンが偽りの生命の種をこの体にまいたのです。ですから、悪魔の愛がまたもう一つのプラスになったために、異質的なプラスと良心のプラスの二つが反発するのです。ですから、一つを除去しなければなりません。これが宗教の歴史です。犠牲になれ、奉仕しろ、苦行をしろというように、皆体を打つのが宗教の主な任務です。このようにして、良心解放圏を拡大させようとするのが、宗教を信じる信仰生活の目的です。それを知らなかったのです。クリスチャンは空中に持ち上げられて、天国に行くのだと思っています。そのような天国は必要ありません。 良心を解放して、解放的な自我を確立させ、統一圏を持つことができない人は天国に行けないのです。天国のどこを探してみても、そのような人はいません。今も修養過程にある牧師や長老や立派な人たちは皆、反対に考えている人たちも多いというのです。文総裁は全部実験済みで、教えているのです。間違いないので、教えているのです。詐欺師ではありません。皆さんの心が知っています。文総裁と一度因縁を結べば、忘れることができません。どこに行っても、思い出されるのです。教えた内容は、どこに行ってもすべて立証されるのです。「後顧の憂いとなる者、行くべき道を行かずにどうするのだ」と忠告するのです。 本来堕落しなかったならば、「神の日」ですべてが終わったのです。しかし、堕落したために「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、そして「神の日」が一番最後の一九六八年一月一日に制定されたのです。どれほど気分が悪かったでしょうか。「神の日」を奉ろうとすれば、完全な男性にならなければなりません。体と心の闘いを終え、女性・男性が完全に理想的夫婦になって、神が訪ねてきて夫は右手に、妻は左手に置いて、「おまえたちがいなければ生きていけない」と言うことのできる、そんな家庭にならなければならないのです。皆さん、そのような家庭になりましたか。男性たちのせいで女性は、苦労と心配が多かったのです。 それで神様と手をたたき合って喜ばなければなりません。私は神様の愛の対象です。私がいなければ神様も完成できないというのです。そのような人間の価値と絶対的な権限が、喪失してしまったことを良心は知っているので悲しむのです。神様から出発したので、神様に帰っていくのです。神様の友達となるのです。父親も一〇〇歳になって、息子娘が八〇歳にでもなれば、「おい、息子よ」と言うではありませんか。分かりますか。友達となるのです。神様から出発したので、神様に帰らなければなりません。 そのようになろうとすれば、すべてが理論的原則に従い、神様の創造の原則にかなった合格証を、この地上で受けなければなりません。万物の霊長にふさわしい人格を完成させなければなりません。そしてすべての被造万物が、人間の愛を中心として創造理想を完成したという公証書を受けなければなりません。それは誰から受け取るのかといえば、悪魔から受け取るのです。 一九九四年の標語が何ですか? 「真の父母と成約時代安着」です。どこに安着するのですか。体と心に安着しなければなりません。また地上に安着しなければなりません。妻と夫が毎日争っていてはだめだというのです。一生の間私たち祝福家庭は、子供に涙を見せてはいけないのです。争っているところを見せてはいけないのです。父母は子供から神様以上に尊敬されることのできる父母にならなければなりません。どこか他の人の所に行って誰かと相談するよりも、父母と共に親しく暮らすことが、幸福であるということを自覚できる環境をつくってあげなければならないのです。 他人の妻になることが易しいことではなく、また他人の夫になることも易しいことではありません。世界人類は、いわば他人の息子です。しかしそれは天地に永遠に残される神様の国の、また人類の息子娘です。他人の息子娘の父母になることが簡単ではありません。神様の息子娘です。神様の代身者たちであるということを知らなければなりません。やたらにたたいたり、好き勝手に足で蹴り、うっぷん晴らしをしていませんか。保護しなければなりません。お互いに保護して、お互いが為に生きなければなりません。 ですから、このようなすべてのみ旨を成すためには、統一教会の「原理」以外にはありません。神様が為に存在されるという、この内容の思想でなければなりません。この自由主義、色濃く染まった悪魔の破綻的膨張主義、地獄のようなありさま。この世界を救済することのできる道は、「原理」以外にないのです。 日本のメンバー。(はい)。先生が語る内容が分かりますか。(はい)。分かる者は手を挙げてみなさい。本当にこんなにたくさんいますか? 通訳はやれますか? (はい)。韓国語を勉強しなければなりません。将来みんな氏族メシヤとして入籍した場合には、韓国語を知らないと父母様の近くに来て住むことができません。遠からずそういう時が来ます。入籍は、超国家的、超民族的にするのです。民族大移動の時が来るので、氏族メシヤの摂理を急がなければなりません。神山、それを知ってるの? (はい)。世の中がどうであろうと、先生の言うとおりになるようになっているのです。 「神の日」を中心として一番神様が願っておられることは、私の体と心の統一の安全圏を成すことです。神様が来られて、永遠に住むことのできる家です。コリント人への第一の手紙三章一六節に「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」とあります。人間は神の宮(聖殿)です。神様の家です。これが安定しなければなりません。 そうしながら、神様は新しいものを願われるのです。古いものを願われません。三回、三日続ければ嫌になるのです。先生の生活哲学は、毎日のように一つプラスさせることです。山に登っても、どこに行っても、他人は皆休んでも、私は登って、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、一〇、一一、一二。一歩でもさらに踏み締めて休みます。それが先生の生活哲学です。ご飯を食べても、他人より一さじ多く食べるというのではありません。少なく食べるのです。分かりますか。眠る時もより多く眠るのではなく、一分でも少なく眠るのです。それでこそ、新しいものになるのです。 新しいものをプラスさせるのです。そのような時だけ、神様も発展していかれるのです。神様も成長するのです。停止は死亡に通じます。統一教会に入教した時、興奮して昼夜の別なく気が狂ったようだったのに、一〇年たてば一〇分の一にみるみる落ちていくのです。統一教会に入ってくる前よりももっと怠惰になり、より安心しているというのです。 クリスチャンたちは、イエス様が雲に乗って再臨するというので、雷が鳴って大騒ぎになっても、飛んで出ていくことができるようになっているのです。ところが統一教会の人たちは雷が鳴っても、「主は既に来られているのに」と言うのです。しかも、その主が自分と関係を持っていると考えている狂った者たちです。知っているにもかかわらず責任を執れないで、何をするというのですか。学校の何学年を卒業してこれだけの知識があるとか、単位を何単位取って、どれだけの知識があるとかいっても、それだけで博士の学位を取ることができますか。知っているのとは関係がありません。パスしなければなりません。同じことなのです。それゆえに停止は死亡に通じるのです。停止は敗北と地獄に通じるというのです。生きているものは成長するようになっているのです。生きたものは繁栄と天国に通じるのです。 それゆえに、統一教会の文先生は八〇歳の人です。今日、私が韓国の年で何歳ですか?(七五歳です)七五歳。それなら八〇歳になりますか、七〇歳になりますか?(七〇歳です)。七一にもなれば八〇に含まれるのです。 八〇歳の老人を好きな男性、女性は手を挙げてみなさい。嘘です。いません。私のような人が一人しかいないので、あなたたちは手を挙げるのです。三〇代の青年と八〇歳になろうとする文先生が、同じ実力で、同じ内容を持っているという時は、八〇歳の先生についていくでしょうか。三〇代の青年についていくでしょうか? (三〇代についていきます)。そのとおりです。それが正直な答えです。率直は正義に通ずるのです。八〇歳の老人が好きな人がどこにいますか。私も嫌いです。それが事実です。しかたなくて良いというのでしょう。 おべっかを言わないでください。嫌々でもしかたなく好きなのです。そのように言いなさい。八〇歳の私が好きですか?(好きです)。教えてあげても間違うのですか? 八〇歳の先生しかいないので好きなのです。こう言わなければならないのです。一度言ってみなさい。(嫌いですが、八〇歳の先生しかいないので好きです)。こうしてこそ、統一教会の文先生が正しい教育をしているというのです。 先生の相対は一つもない 明日、「愛勝日」は先生が話をしなければなりませんか、誰がしなければなりませんか。自分の息子娘が死んだ日を私が代表して話をするのがよいのですか。考えてみなさい! 郭錠煥! 朴普煕! 大人の役割を果たしたいと言ったではありませんか。私の言葉が合っていますか、合っていませんか? 郭錠煥、話してみなさい。(合っています)。合っているならどうしてそのようなことが分からないのですか。私が一度座って、明日からは聞いてみなければなりません。 正月の元日に、私だけをこき使おうとしていますね。夜中から何回もです。今、また会議までしようとすれば、そんな苦痛はありません。いいかげんな者を集めても、それはみんな死んでも私と関係のない者たちです。私の所に来ることはできません。いくら努力しても私の所に来ることができません。私がサインしてあげる前には来ることができないのです。それでも門を開けてあげて、みんなが入ることができるようにしてあげなければなりません。しかたなくそうするのです。 先生の相対は一つもありません。相談する人もいないのです。私が郭錠煥に相談しても、朴普煕に相談してもすべて、今まで私が世話を焼いてきたのであり、手助けにならないことがいくらでもあるのです。他人はみな、文総裁は福があり良い部下を持っていると考えるでしょう。何が良い部下というのでしょうか。私はその人たちの世話になりませんでした。 今もそうです。私一人でも一日中走り回れば、これくらいの人を一年とか何か月以内にみな集めることができます。私が大学街を歩き回りながら講演するようになれば、学者や博士たちが、どれほど多く先生を尊敬することでしょうか。 今度みんな日本に帰っていって、一生懸命口々に先生を称えるのを見れば、「いやあ、恐ろしいことが起こった。大変なことが起こった。革命だ、革命的日本の女たちである」となります。そうなれば世界全体が感化され、きれいに整理されてしまうのです。昔は皆、女性が男性の後ろへ行って男性たちをコントロールして邪魔したのですが、今は前に出て反対に男性たちを引っ張っているのです。 女性が男性のバンドを持って引っ張って走るのです、男性が女性に引きずられていくようになっています。男としてそれを我慢できますか。それはたまりません。逆に女性を引っ張って喜びますか? 嫌がりますか? どっちですか?(嫌がります)。嫌がる! だったら、女性に負けますか、女性に負けたらどうしますか? 今男性は負けています。負けてしまってもいいのですか。 男性が負けたら大変なことです。ここに集まった男性たちは、女性に負けますか勝ちますか? (勝ちます)。 日本から来た女性たちで、男性に負けたくない女性は、手を挙げてみなさい。(はーい)。負けるか、負けないか? (負けません)。負けるようになっています。(笑い)しかし、七年間は負けないと決心を固めなければなりません。先生のあとに続いて言ってみなさい、「七年間は絶対に負けません」。(七年間は絶対負けません)。本当ですか? (はい、笑い)。今から競争です。江利川いますか。今から六か月以降に何をやるつもりですか? (五万名をやります)。それは、新しい者たちですよ。(はい)。親戚を動員しなさい。長子権復帰をするのです! 日本の使命 長子権を復帰したら兄さんの立場になり、姉さんになった場合には弟を引っ張り出して、血を見るような行動をしても弟に原理を聞かせてあげれば、その弟を天国につなぐことができます。そして感謝するようになります。サタンは地獄へ連れていくのに殺しながらやってきました。そして自分の直系一族のカインの立場である婿とか、嫁の親戚も、みんなつなぐのです。そうすれば日本全国をつなぐことができます。分かりましたか? (はい)。一人が一二人を伝道するのは問題ありません。一か月に一人ずつやりなさい。氏族メシヤをやりなさい。やりますか?(やります)。それは死を覚悟すればできないことはありません。 先生を見てみなさい。これからのことを考えると先生はもう大変です。これを完成しなかったならば、日本はペチャンコになります。間違いありません。先生がこのようなことをしなかったなら、皆どうなることでしょうか。日本に何らかの名目が残ると思いますか? そうはいきません。もう流れていってしまいました。今度から一心一体になって、救国基金をやらないといけません。日本を救うために、自分の一族を犠牲にする覚悟を持たなければなりません。今、先生の言うとおりにやりたいと決意する者は、男性も女性も、一緒に両手を挙げて!(はい)。 まさしくそのように約束したとおりにすれば、神様が喜ぶでしょう。自分の一族がみんな自然屈伏して、「かしこまりました」と皆さんは、王様のように侍られるようになるでしょう。そうなれば日本は心配なくなります。分かりましたか? 解放されることを喜び、希望を持って日本に行って行動を開始すべきです。分かりましたか?(はい)。 絶対に韓国に負けてはいけません。韓国(カンコク)は監獄、牢屋のことです。先生も牢屋は嫌いです。カンコクには、「還国」と「韓国」と「監獄」の三つがあります。国に帰る日を「還国の日」と決めました。一番悪いのは牢屋です。 「神の日」に神様が一番願うこと 「神の日」に一番神様が願うことは、真の父母と共に神様が皆さんの家庭に住むことです。神様が夫と妻を両手につかんで一緒に抱き、主体なる神様が相対である夫婦と愛において一体になることが神様の願いなのです。結婚とは、夫と妻を完成させるためのものです。また、夫婦が一つになったその位置において、神様を完成させるのです。 それまでは、神様も愛の相対を見つけることができないのです。それは途方もないことです。それゆえにこの位置に入っていって、一つになることによって神様が私のものであり、神様の所有全体と、被造世界全体が私のものになるのです。それは間違いのない理論です。そのようなことを漠然と考えないで、皆さんの心と共に、その仕事をするように心を呼び起こして目覚めさせてあげ、教えてあげなければなりません。 体は毎日のように反対の方向に引っ張っていくのです。この殻を脱がなければなりません。これが口であり、口は食べることと言葉を話す器官です。自分を高くすれば気分が良いのですが、それでは蕩減復帰とは反対です。そういうものを滅多打ちにしておかなければなりません。 その次には何かといえば、男女関係の情欲が問題です。あなたたちは妻がいても、美人を見れば、その女性と暮らす男性は幸福だなあと考えるでしょう。考えませんか? そういう男性は卑しい男性です。ですからまだ訓練が必要です。それを知らなければいけません。私自身が未完成品であるということを知らなければなりません。先生が一番苦心したのはこのことです。 それゆえに、神様は世の中の女性たちをみんな私に任せようとします。神様の娘として、神様の妹として、妻としての資格者として、母親になることのできる資格者として、私でなければその印を押す人がいません。その印を受けなければ、天国に入っていくことができません。四大心情圏と、三大王権を備えることができなかった人や、天国の王権を奉って、王国においての神人一体理想を中心に、心情的に生きることができなかった人は、天国に入っていくことができないようになっています。 既成教会は、信じることで救われるというのですか。その人たちは、天国について何も知らないのです。ですから今まで、みんな掃き捨ててきたのです。みんな掃き捨てなければいけません。それを私が救ってあげようとするのです。それを見れば、神様の愛が本当にありがたいものであることが分かります。世界の国々もそうであり、キリスト教も今、文総裁のあとにくっつこうとして訪ねてきているのです。分かりますか?(はい)。 「神の日」を一番お祝いすることが何かといえば、家庭的理想基盤を中心として統一天下の主役になることです。そして神様の友となり、神様の愛の主体、すなわち第一の神様の前に、第二の神様の対象的愛の主人になることです。そしてそれが神様が人間を創造された目的であり、人間自体が神様と一つになって統一的主人になることが人間の目的なのです。愛を中心として、一つになろうというのです。神・人・愛一体圏が、結婚の日の初夜に結ばれるのだということを分からなかったのです。 そのような花嫁を持って神・人・愛一体感を感じることができますか。私が聞いているではないですか?(努力します)。(笑われる)それでも郭錠煥は烈男(死を顧みず妻に対して精誠と志操が堅い男性のこと)であるという噂があるそうです。文総裁が烈男であるという話は聞かないのに、郭錠煥は烈男であると言っている人が多いですね。それでいいのです。 真の父母と成約時代安着 「神の日」を祝うのですが、体と心の安全圏を安着させなければなりません。すべて今年の年頭標語と同じです。「真の父母と成約時代安着」です。体と心が一つになって、神様と真の父母が来られて、暮らすことのできる安着地帯になりなさい。まず個人のレベルで、そのような男性、女性になって、そしてそういう男女が一つになって、家庭的な位置が定まり、それが拡大されて地上天国、天上世界の天国になるのです。そして、その天国において我々は、家庭単位で生きるのです。天国での二人の起源地を、我々の家庭から出発させるのだと決意する人たちが神様の息子娘になるのです。 神様が願われる愛の対象として創造された理想的対象存在、結果存在として公認されるのだということを知らなければなりません。そうすれば神様でさえも彼らの所有となり、神様の被造世界も彼らのものとして神様は伝授してあげるというのです。そして、それが神様から人間に与えられた神様の愛の主人公としての欲望であるということを知らなければなりません。(アーメン)。「神の日」にそのような基盤を成すことを一番神様は喜ばれるのです。そして私たちは、そのように「神の日」を記念することのできる主体的存在なのです。(アーメン)。アーメン。(アーメン)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.23
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(4) MIRAIOH TV - YouTube私たちYSP中日本は、ボランティアを通じて家族文化の拡大を目指して、2018年に「ミライメーカープロジェクト」をスタートしました!地域を元気にしたい!その一心で、未来を創るミライメーカー達が活動して、地域の方からもたくさんの応援を頂いたり、今ではミライメーカーも3万人を超えています。そして、そんな地域の活動をもっと多くの方に知ってほしい!ということで、YSP中日本のオリジナルキャラの「ミライオーくん」が、これから毎月、各エリアで行われている様々な活動を紹介していきます!5月は「YSP南愛知」の特集になります!お楽しみに!!! TikTok:https://www.tiktok.com/@miraioh_tv?lang=ja-JPミライオーと「じゃんけん」してみた! 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.21
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「現地の整備」(その2/2)1993年12月21日韓国・済州研修院 繁栄と天国に通じる道 先生は結婚生活の美術化、芸術化のことを言っているのです。「芸術的な結婚生活、美術的な結婚生活をしなさい」と言うのです。女が結婚するのは、愛を受けるためだというのですが、そうではありません。女は、家庭においては、愛の女王様です。この前は、女は空き箱だと言ったね。女は何も持っていないと聞いたでしょう? しかし、この正面のものは誰のものですか? その話もしたでしょう? 顔と、それから女のそのものは誰のものですか? 忘れたのですか? 真剣な話です。これは旦那さんのもの、これは子供のものです。旦那さんと子供のためのものです。自分のためのものは一つもないのです。だから愛の相対者は、自分よりも立派な人を願うのです。それは、神様から来たものです。神様がそうだったのです。自分よりも立派な者になるように、一〇〇パーセントの神様が一〇〇パーセント投入しても、同じものしか生まれてきませんが、何億以上も立派なものを願うのだったら、何億回も忘れて投入しないと、そういう相対は生まれてきません。だから真の愛の道は、投入して忘れるような立場をとらないというと、そういう真の愛は生まれてきません。自分の生命を投入して忘れるところから、真の愛が出発するのです。分かりましたか? (はい)。 真の旦那さんとは、奥さんのために命を捧げて、再び生まれ変わっても奥さんのために生きるという男でなければ、真の男ではありません。真の旦那さんではありません。女も同じことです。父母も、子供に対して自分の命を犠牲にしても、再び 蘇 っても、また子供を愛したいと思うところに、真の愛が出発するのです。これをはっきりとしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 真の愛とは、平常ではないのです。自分の地上の父母より以上でなければなりません。父母として命を犠牲にし、蘇った場合にも、再び命を投入し得るような立場にならないと、真の父母として神様に似た父母の後につくことはできません。分かりますか? (はい)。真の愛という出発点は、そこです。だから聖書は、はっきりと教えているのです。「死なんとする者は生きるのです」。死の峠を越えることによって、真の愛を迎えることができるので生きるというのです。分かりましたか? (はい)。 「死なんとする者は生きる」。生きるということは、真の愛によって生きるようになっているのだから、死を越えないというと真の愛は迎えられないのです。こういうことを原則的に、理論的に、整理しておかなければならないのです。だから末の時代には、後の者が先になり、先の者が後になるのです。それは何かというと、統一教会に、初期に入った者と今入った者とは、心霊基準が違っているということです。 あなたたちも考えてみてください。最初に統一教会に入る時、原理を聞いて「いやー、これだったら自分も天下を統一できる」という自信を持つのです。それがだんだんだんだん消えていって、小さくなってしまうというと、出発より悪くなってしまうのです。いくら感動的な話を聞いても、感動しなくなるのです。いくら自分の昔の基準に帰ろうとしても帰れないのです。それは病人になったのと同じことです。それは死亡と地獄に通じます。しかしそれに比べて後から来た者は、よく興奮するのです。興奮する者は、時が違っているのです。 昔は迫害が多かったのだけれど、今は迫害がないので、後の者が先になりやすい時代になりました。古くなった統一教会のメンバーは覚醒しなければなりません。だから先生がいつも考えることは、きのうよりもきょうと、一歩でも新しいことをプラスさせる発想です。それは成長することです。分かりましたか? (はい)。 きのうやったことよりも、きょうは一つでもいいからプラスさせるのです。そうすれば、少しでも成長したことになるので、繁栄と天国に通じるのです。一歩落ちた場合には、後退と地獄に通じるのです。神様はいつも新しいものを願います。古いものが三日たまった場合には、神様は要らないのです。分かりましたか? (はい)。だから何かしないといけないのです。何か新しいものを開拓していくのです。先生もそういうふうにして、世界的な基盤をつくりました。秘訣はそこにあるのです。 きのうよりもきょう、新しいものに向かって前進するのです。辛く難しいことでも、死亡圏に結ぶことはできないのです。命懸けです。真剣です。未来のために準備するのが、一番の後退しない秘訣です。分かりましたか? (はい)。未来のために準備することです。こういう修練会も、五年前はみんな気違いのように思ったかもしれないのです。しかし、きょう院長さんが言ったように、未来のために準備していたのでできたのです。だから参加した者は、五年、十年先に、自分が発展する条件になるのです。分かりましたか? (はい)。それが生き残る秘訣なのです。 それでアメリカにおいて、先生は十年以上、二十年以上先のことを、みんな準備しているのです。だからお母様は、今まで国を動かしてきた全国家的最高の者たちの歓迎する中で、講演ができたのです。国を超えた全世界の人々のために、四十年前から準備してきたからです。 そのように、一日の中で発展させたプラスの状況を残すことです。そうすることによって、繁栄の基盤をどこまでも残したことになるので、神様も関心を持たざるを得ないのです。理論的なことです。 それで先生は、山に登っても必ず、「一、二、三」以上の数を足踏みしてから座るのです。そういう精神で、新しくプラスさせるのです。寝ることにしてもそうです。勉強をするにしても必ずそうするのです。何事においてもそういう伝統、そういう精神を生涯続けることによって、大きな実績が、普通の人にはできない実績が残るのです。ですから休む暇がないというのです。 この周辺に神様が憂うる人がいた場合には、「誰か教えてください」と祈ると、さーっと教えてくださるのです。そうなれば「伝道するな」と言われても、伝道せざるを得ないのです。ただ生きていて、人生がそれでおしまいではないのです。生まれた価値以上の基準に立てるかどうか、それが自分の生涯を懸けた価値になるのです。その価値が、永遠の神の国を相続する基準になるのです。 ですから、未来に向かってたくさんのことを準備した場合には、神様の思いが何十年も長く続くのです。そのために、自分が保護されるのです。未来を考えず準備しない者は、個人も国も滅んでいきます。流れていきます。先生は、この歴史とともに流れていく現状を考えて、世界を止めて引っ張り出そうとするのです。それは、未来の基準を持っているからです。アメリカもそうです。先生がアメリカの大統領まで指導するようになったので、問題なのです。一人で世界を指導し、国の運命を左右する見本をつくるのは簡単なことではないのです。四十年以上の歴史が必要だったのです。そこには、悲惨なことがたくさんあったのです。そういうことも過ぎ去った場合には、歴史になるのです。分かりますか? (はい)。真剣なのです。 女さんたちも旦那さんを迎えて、十年、二十年が過ぎた場合には、旦那さんに対して二十年間プラスさせながらやってきた自分があるかというのです。もし、なかった場合には、この公式において落第です。どう思いますか? 真の父母と完全に一つとなって良心の本然の基準を回復する もう帰る時間の十二時が一時になりました。現地の整備の話として、旦那さんをどういうふうに処理するのですか? ただ座っていて殴られたり、叱りとばされたりするようになってはなりません。先生は大嫌いです。主張すれば必ず勝つようになるのです。「先生の言うとおりにやれば、大変です。今は週刊誌でやられます。周辺が大変です」と。周辺には何もありません。分からないことを吹っかけてくるのです。証言しなさい。証を立てなさい。裁判所でも、証言がなかった場合には判決が出ないのです。 「君は、何でそんなことをやるのか 一方的に悪いと誰が決めたのか。裁判所でもない」。裁判所には検事がいて、弁護士がいて、互いに弁論し合って、そこで証人と証拠物を比べて判断するのです。新聞の噂は、人間がいくらでもつくることができるのです。野党は与党をいくらでも攻撃することができるのです。サタンは神様のほうをいくらでも犠牲にさせることができるのです。何を言っているのですか 証を立てなさい。分かりましたか? (はい)。それに、今は時が違うのです。向こうは天使長であり、こちらはエバの立場です。今から引っ張り合いになった場合には、価値が逆転するのです。 この前も話したように、神様を信じる女たちを助けるために結婚を自由化したのです。この話は、もう聞いたでしょう。真剣に考えないといけません。それが神様の法則なのです。結婚していても、そんな男は相手にしなくていいのです。先生がもっと立派な旦那さんを紹介してあげます。本当です。霊界には、たくさんの旦那さんが待っています。 それはそうとして、男は天使長です。間違いないのです。だから男たちが今まで世界を支配してきたのです。天使長が支配しているのです。それは失敗者であり、失敗せざるを得ないのです。天使長は、神様の前に復帰されていく世界をめちゃくちゃにしてしまったのです。しかし神様は、めちゃくちゃにされても、その破壊されたものを再建設します。先生がきれいに建設していきます。 君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤して一つにならないというと、四大心情圏につなぐ道がありません。心身を一体にさせなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか? (はい)。 四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしまったし、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子をつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっているのです。分かっているのだから「君、何だ、これは」と、堕落した基準に下がって讒訴することができるのです。 ですから、真の父母と完全に一つになると、良心はもっと神様と一体となるような道が近寄ってくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ないのです。そうして、肉身と一つになることによって四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできないのです。分かりましたか? (はい)。 旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。一方的に反対する父母がいた場合には、談判しなさい。「お父さんお母さん、なぜ統一教会に反対しますか 自分の娘が、自分の息子夫婦が信仰するのに、新聞社の新聞紙より娘をなぜ信じないのですか?」と。「いっぺんも調べないで、こんなむちゃな暴力的なことがありますか? それがお父さんの使命ですか そんなことはできません。さあ、お父さんお母さん行きましょう。その噂が本当だとすれば証明してください。でなければ娘の話を聞いて、修練所で統一教会の原理を聞いてみてください」と。(両親は)娘の話を聞くべきですか、新聞社の話を聞くべきですか? 新聞社が今やっているように、野党は与党をいくらでも攻撃することができます。事件はいくらでもつくることができます。今や、みんな何十回、何百回とお金をやって噂を流して、それで三人以上が証言をすれば、裁判所で勝つというような世界になっているのです。文先生は黙っているのですが、悪い人ではないのです。偉大だからです。偉大だから、黙っているのです。分かりましたか? (はい)。 そういうふうに正していきなさい。「お母様とか、統一教会の話を聞いてみなさい。それも聞かないで何ですか」と。弁護士の話は裁判所でも聞くのです。「娘が弁護士みたいになっているのに、なぜ話を聞かないのですか? 文先生は悪くないと言っていることを聞いてみてください」と、談判するのです。 先生は十二歳の時に、おじいさんから父母まで、みんな教育してきたのです。朝も挨拶に行くのです。ちょっと遅くなったら、「なぜ遅くなったのですか?」「ちょっと用がありました」。「おじいさんは早く来るのがいいですか?」「はい」。そう言って、入っていくのです。 それで、夜十二時過ぎに門を叩いて、「ああ、おじいさん」「何だ?」。「私です」「なぜ来た?」。「入ります」と、門ごしに入るのです。たいがい田舎は門を閉めないのです。入ると、もうびっくりして起きるのです。そこで、先生が「おじいさんとおばあさんは、寝たまま挨拶するのですか?」と言うので、びっくりするのです。そうして「上がりなさい」と言うのです。「何時に来たらいいですか?」「昼の十二時過ぎに来なさい」ということで、とうとう、おじいさんも、先生を迎えるようになりました。 それからお母さんも、みんな十二歳で集めてしまったのです。そういう作戦をしなさい。先生も子供の時に、そういう作戦をしたのです。そのようなたくさんのことがあるのです。先生には謎が多いのです。十五、六歳の時は、みんな家まで引っ越しさせたのです。先生が裁判所へ行きながら、みんな取っていったのです。悪い者は放ってはおかないのです。分かりましたか? (はい)。 今からは、自分が一家を治める整理をしないといけないのです。今からは国を整理しないといけないのです。そういうためにも、こういう運動が必要なのです。誰もできないことを、どんどんやるのです。先生が何回もやってみて言うのだから、信じてやりなさい。分かりましたか? (はい)。 ちゃーんと周辺をまとめて、堂々たる生活をする奥さんになりなさいというのです。そのようになりたいですか? (はい)。なりたいのですか、なりたくないのですか? (なります)。やりなさい。(やります)。はい、ありがとう。(拍手) 立派な旦那さんをつくる道 そうなったら、旦那さんが問題ですね。旦那さんは、簡単です。今まであなたたちは、旦那さんを知らなかったのです。男を知らなかったのです。男を知らないからそうなるのです。女と男は違うのです。まるで正反対なのです。女の 懐 に男を巻き込んでいくようなことを考えてはいけません。男の懐に女がジャンピングして飛び込まないといけないのです。方向が間違ったからそうなるのです。分かりましたか? (はい)。 女は自分の旦那さんを、立派な旦那さんにしなければなりません。立派なお母さんは何も持っていませんが、愛の心でもって立派な子供を養育することができるのです。分かりますか?(はい)。それ以上は必要ありません。愛の心でもって子供を養育していくのです。子供は一〇〇パーセントお母さんを真似るのです。それで夫婦生活も、自分の兄弟と同じにするのです。夫婦生活をする時に、兄弟の中に自分たち夫婦と同じような者がいたら、みんな比べ合うのです。 お母さんは、娘の旦那さんとお父さんと比べてみるのです。娘は自分の旦那さんを兄さんと比べてみるのです。それでお母さんが毎日、何かと言いつけた場合には、娘が自分の兄さんに何かと言いつけるのです。本当です。子供は親を真似るのです。子供は真似して習うのです。誰も横で教育する者がいないのです。お母さんを八〇パーセント習うのです。これは大変なことです。ですから親不孝なお母さんは、不孝者をつくるというのです。 それで、自分の旦那さんに対して、相対的な立場に立ってはだめです。天は高いし、地は低いのです。愛を絞り出すようにしなければなりません。女が高い所に立てば、愛は下に流れるものであって、上に上がるものではありません。女が垂直に立てば、完全に愛のパッケージがそのままになるのです。角度があればあるほど、流れが多くなるのです。だから女は、男のために完全に奉仕しなさいと言うのです。 お母さんが本当に、自分の子供を養育する秘訣は、子供に奉仕することです。そのことによって立派な子供に成長していくのです。奉仕しなければ、めちゃくちゃになるのです。奉仕しかないのです。旦那さんもそうです。 結婚生活は、すべてが初めてです。自分の主張を奥さんと共に分けあったり、自分の主張を譲るような立場になってはいけません。ぶつかる立場なのですから、自分も共に高くなると思うとだめです。誰かが低くならなければなりません。そうなった場合には、殴ろうとしても、低いから殴るのが大変です。殴る時には、こういうふうに殴りたいのです。高いから殴られるのです。下を向いている女を殴る者はいないのです。 君たちはたくさん殴られたでしょう? 殴るのは口数が多いからです。口のためにそうなったのです。だから、口を閉めよと言うのです。だから堕落した女たちは口を恥ずかしがるのです。堕落は口からきたのです。口を慎めと言うのです。それを「ちょっこく」というのです。(直告=事実をありのままに告げるという意味)良心が「ちょっこく」しないというと、寿命を延長させられないのです。一瞬でも延長してもらうことによって、復帰の時間を得ることができるのです。 ですから良心は、自分の知らないうちに悪いことをした場合には、夢の中でも発表します。それを「ちょっこく」というのです。そのように発表するようになっているのです。女は口に注意しなければなりません。聖人とは、口と耳の王様です。人間は口と耳を守れば聖人に近くなるのです。「成長して、正常になるには、口と耳を守れ」と言うのです。王様は、なかなか発表しない人です。みんな聞いて発表した場合には、それが法律の代わりになるからです。一言で、国が行ったり来たりするのです。だから、慎重になるのです。 旦那さんは天です。愛する時には旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係する時には、男は上、女は下です。だから愛を中心としてみれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆するのです。基本的に、男から愛を貰おうとする時、愛は一番下へ流れていくのです。空気と同じです。だから旦那さんも、愛を貰うには奥さんに頭を下げないといけないのです。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死んででも愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目です。夫婦がぶつかって、「あなたみたいな男は駄目だ」とか、「結婚すべきじゃなかった」とか、「運が悪い」などと言うのは、めちゃくちゃにならざるを得ないのです。そういう天下はないのです。分かりましたか? (はい)。 旦那さんは男の子が大きくなったものである 女は愛の空箱だから、いくら愛を貰っても足りないのです。女を満足させる宝物はないのです。それ知っていますか? 小さな一カラットのダイヤモンドを貰った場合には三カラットが欲しくなり、三カラットを貰った場合には五カラットが欲しくなります。限界がないのです。分かりましたか? (はい)。だから、エデンの園で堕落が始まったのです。基準を越えていく行動を取ったので脱線したのです。 女を満足させる宝物はないということが分かりましたか? (はい)。そういうことを考えて行動しないといけないのです。いくらよい物をやっても、さらによい物を持ちたがるのです。いくら愛しても、もっと愛されたいのだから限りがないのです。だから、それをコントロールするには、いつも旦那さんの下にいることを考えれば、それで治まるのです。簡単なことです。 ですから愛する時も、上に上がらないで下に降りるのです。それが原則です。水は凹んだ所で貰うのと同じです。水がいっぱいになったら、コップを越えてしまうのです。それは、天下に合わない行動です。分かりましたか? (はい)。女さんたち、分かりましたか? (はい)。女はコップみたいです。水がいっぱい入ったのに、まだ貰いたいと思うので、最後にはコップが割れてしまうのです。コップを投げ出して割れてしまうのです。本当です。女は器になっているから、貰う立場なのです。ですから、下にいる場合が安全です。これで、離婚したいという女たちも、半分ぐらいは収まるでしょう。(笑い) それから旦那さんを育てて、立派な旦那さんをつくるのは簡単です。あなたたちも男の子を生んで育てていることでしょうが、男の子は腕白ですね。でたらめで、朝きれいな着物を着せたのに、一時間もたたないうちに泥水ですべっているのです。そんなにしていても、「お母さん」と言って走ってきたらどうしますか? け飛ばすのですか。 それを、「この子は大変だったね」と、独り言をいいながら抱擁してやるのです。何も恥ずかしがらずに、お母さんを信頼して、そのように飛び込んで抱かれる姿にみんな感動するのです。そいうふうにして、旦那さんもいろいろと教育していくのです。強制では効かないのです。優しい姿勢でもって、甘い愛の言葉をかけて、子供をなだめることと同じようにするのです。男というのは、別の生き物ではないのです。子供がちょっと大きくなったものです。 そのような男の世界を、君たちは知らないのです。先生が今でも忘れることができないのは、お母さんのことです。幼い時、乳を飲んで、お母さんの胸に抱擁されて愛されたことは、一生涯忘れられないのです。男はそういうような気持ちだから、奥さんに対して、お母さんの代わりになってくれればいいと思っているのです。ですから皆さんが、お母さんの代わりになって、よい奥さんになれるようだったら、それ以上効果的なことはないのです。分かりましたか? (はい)。 酒を飲んできたからといって、「もう酔っぱらってきた この野郎 いつからこんなになったのか」と言うのではなく、めちゃくちゃになって帰ってきた場合にも、自分の旦那さんだと思う心ではなく、お母さんの心で、自分の子供が一家を支えるために悩みながら、いろいろの複雑な外交の舞台において、酒も飲まざるを得ないような思いであることを知って、帰ってきた子供を抱くようにして、ずーっと寝かしてキスをしてあげるのです。お母さんはそうするのです。そっくり、そのようにやりなさいというのです。 そういうことを二回、三回とやってあげると、旦那さんはみんな分かるのです。寝たふりをしながら、「いやー、ありがたい奥さんだ。昔のお母さんよりもいいな」と思うようになれば、もう永遠に別れることができないのです。それが男性の弱点なのです。先生は男性のことをよく知っているのです。旦那さんに妻として対すれば、喧嘩ばかりするのです。旦那さんに対しては、親の心でもって、お母さんの代わりに対した場合には満点なのです。 しかし、お母さんの 懐 はよいのですが、お母さんとは愛の関係ができません。ですから、お母さんみたいな妻と夫婦生活をする以上のものはないのです。男として、それ以上に望むことはないのです。先生もそうです。ずーっと学校に行っていて、帰ってきたのは二十代も過ぎていたのです。それでも、必ずお母さんの横に寝るのです。寝ながら、昔みたいにお母さんの乳房に触るのです。その思い出が非常に幸福なのです。その感動は一生涯、忘れられないのです。 それから、いろいろ自分のために犠牲になったことがたくさんあるのです。そのお母さんに、こんなにも親不孝して、悪い立場に立たせるとは夢にも思いませんでした。分かりますか? それと同じです。お母さんみたいに、立派な母の心情で抱擁してあげて、その基台の上で、奥さんとして夫婦生活をすれば、それ以上の幸福はないのです。だから、夫も子供を持ったお母さんに対して「お母さん」と言うのです。自分が昔呼んだお母さんのことを連想したいのだから、自分でも知らずに「お母さん」と言うのです。分かりましたか? (はい)。 でたらめな男の子を、立派な愛でもって育てるように、お母さんの代わりになって旦那さんを抱擁しつつ、父母の心情で看病しながら大きな子供みたいに、大きな子供の兄さんみたいに、大きな子供の王様みたいに扱いなさい。そうすれば、女として一〇〇点満点以上になります。これを今から実践するのです。練習ではなく実践するのです。 そして旦那さんが帰ってきた場合には、会社から帰ってきた場合には、奥の間にいないで、玄関の近くにいて「あなたさま」と、言ってみなさい。そういう言葉を誰でも三回は聞いてみたいのです。 旦那さんが疲れ切って、しおれきった格好でもって、子供と奥さんに会って何とか慰めてほしいという思いで帰ってきたのに、奥さんが奥の間から「誰ですか」と、旦那さんが苦しいのも知らないで、三回言ってみなさい。今までの感情がみんななくなってしまうのです。だから、そういうことをよく考えて、ちゃーんと時間になった場合には、旦那さんを待ちながら、「あなたさまー」と言った場合には、もうそれ以上にうれしいことはないのです。元気が出るのです。そして、「やっぱり、家は天国の続きだ」と思うのです。 お母さんと妻を合わせたような奥さんになる 日本の女は、きれいに掃除することにおいてチャンピオンです。日本の女は、旦那さんが帰ってきた場合、すぐに「あなた、風呂に入りなさい」と、それは大変です。(笑い)女は一日中、昼寝をしていて、旦那さんが帰ってくると、御飯もつくらないで、「お風呂に入りなさい」と言うのです。 旦那さんがストレスいっぱいで、倒れるような心情も知らないで、そう言うのです。「風呂に入りなさい」と。それは、先生も嫌がることです。ですから、「ああ、風呂は後でもいいです」と言って、疲れている場合には食事のおぜんを準備して「食べてください」、「休んでください」と、自分の膝の上に子供のように寝かせてあげるのです。寝かせてあげて、耳のアカを取ってあげるのです。(笑い) 先生の言うとおりにするのです。その時間が、五時前だったら、夏ならまだ明るいので爪を見て、伸びていたら、きれいに摘んであげるのです。それだけの奉仕をしないと、男から愛を受ける資格がないのです。分かりましたか? (はい)。それを一か月に二回ぐらい必ずやってあげるのです。先生の言うとおりにやりなさい。それから靴下を脱がせてあげるのです。汚い汗のにおいがするからといって、それを投げ捨てるのではなく、ちゃーんと丁寧に横に置いて汗もみんなきれいに拭いてあげるのです。そういうふうにした場合には、旦那さんが「風呂に入ってもいいよ」と言うのです。その順序が逆さまになったら、転覆して駄目になるのです。分かりましたか? (はい)。 お母様は、先生の髪もみんな切ってくれるのです。先生のお母様は、利口な奥さんです。(拍手)なぜかというと、先生は普通の人間ではないのです。先生を狙っている者がたくさんいるのです。だから床屋ほど危ない所はないのです。それで「私がやってあげます」と言って、お母様が先生の髪を切ってくれるのです。そうすると、どういうことが起こるかというと、子供たちが「お母様は、お父様ばっかり髪を切ってあげて」と言って泣くのです。それで、お父様の次に、ちゃーんと待っているのです。待っているのですから、切ってあげざるを得ないのです。それでみんな髪が長くなってくると、「お母様が髪を切ってくれる日は何日か?」と言って、待っているのです。それは、非常に平和な郷です。お母様を中心として、みんな周りの男たちがそうなった場合には、美しい環境です。分かりましたか? (はい)。 そういうような雰囲気を女がつくるのです。男にはそういう暇がないのです。一日中大変です。社会に出れば、上から、下から、横から、みんなが狙っているのです。自分の足元を掘り下げてしまうような、たくさんの謀略を重ねる世界なのです。それは、女の世界では分からないことです。女は、旦那さんだけを収めれば、万事無事通過なのです。男はそうはいきません。会社全体を収めないというと、自分の立つ所がないのです。そのように神経を使っている、旦那さんはかわいそうです。だから、お母さんみたいに、子供を養育するように面倒見てあげるのです。そうすれば、立派な旦那さんになることは間違いありません。分かりましたか? (はい)。 そういうふうにやったにもかかわらず悪くする人には、相手が離婚してくれと言えば、すぐにハンコを押してやるのです。そんな男はいらないのです。 お母さんと妻とを併せたような奥さんになることです。それが理想の旦那さんの願うところです。それが秘密です。それで旦那さんの問題は解決するのです。 それから愛の生活においての芸術化というのは、みんな日記に書いておくのです。「何年何月にはどういうことがあって……」と。みんな昔の思い出を大切にするのです。ですから、できるならば、昔の思い出のコースを繰り返して、印象を回復してやるのです。そういう生活をするのです。それで信頼の度が高まるのです。だから、故郷というものは大切です。故郷の月夜を旦那さんと共に散歩するのです。そして、どこかに座って、二人が会った昔を思い出しながら語り合うのです。そういうようにしながら、奥さんとしては、いかに旦那さんによく見られるか、いかにして尊ばれるようになるかを注意深く考えていくのです。その姿勢を忘れないようにするのです。二人が会った三か月間の生活を基準として、三年間生活すれば問題はないのです。 三年間が問題です。子供を一人、二人と生めば、ちゃーんと定着していくのです。だから、いつも結婚初夜の思い出を旦那さんは思うのです。変わっていくか、もっと高まっていくか、深くなっていくか、年を取れば取るほど、自分を中心としてもっと考えようか、旦那さんを中心としてもっと考えようか、子供を中心としてもっと考えようか、というようになるのです。 そういうことを予備知識として、あらかじめ準備しないといけないのです。だから家に帰るにしても、万年同じ着物ではいけません。女として考えてみなさい。女の持っている財産は、目と鼻と口しかないのです。その顔を一生涯見て、かわいがってくれればいいと思うのですが、君たちは自分の顔を見て、自分の目と鼻と口を見て喜ぶような男がいったい何人ぐらいいると考えますか? すぐに、飽きるのです。本当です。だから顔のスタイルも大切なのです。「今月の私のスタイルは、春のタイプだ」と、いろいろのスタイルが必要です。冬の気持ちの時に、朝、旦那さんが出かけた場合には、春の陽気の色とりどりの香りの花が咲くような姿で部屋を明るくして待つのです。 夫婦生活の芸術化、美術化 また、白いテーブルを黄色にすることもできるのです。いくらでも変えるのです。昼食を一食、二食食べなくても、それは変えることができるのです。それができないという人は、女としての資格がありません。妻になる資格がありません。ですから環境を変えていくことです。万年タンスを死ぬまで置いておくのではなく、一年くらいで色とりどりのタンスに変えて芸術化するのです。また、旦那さんが好きな写真はどういうものか、一緒に店に連れていくのです。壺を売る商店などで、「あなたはどれが好きですか?」と聞けば、すぐに好みが分かるのです。それを買ってきて飾っておくのです。それで、自分の好きなものも買ってきて飾っておいた場合「あー、そうか」と、旦那さんはそれを見て、自分の奥さんの好みを知るのです。 そういうふうに美術化させていくのです。その中で、夫婦が主体となって周囲をハーモナイズさせていく関係をつくっていくのです。ですから、女が色盲だったら大変です。(笑い)。本当です。それで、奥さんは着物なんかを買ってもらうのに、春夏秋冬の四回だけ連れていってもらえば、その時に買ってもらえなくても旦那さんの好みのカラーが分かるのです。「あー、彼は、春はあんなカラー、夏はあんなカラー、秋はあんなカラー、冬はあんなカラーが好きなんだ」と。そうしたら、そのカラーの高くない着物を自分で選んで買って、それを着て現れるのです。そうすると旦那さんが喜ぶのです。 そのように、みんな周辺の芸術品を美術化して、旦那さんの喜びの心情をいかに引き出すかということです。そうなると話も、話題が笑いとなって、旦那さんも喜ぶのです。そして一回、二回とキスし合って、二人の芸術的キスになるのです。それが必要です。万年同じように、木でもって作ったような木石みたいな女では駄目です。だから下着なんかもいつも研究するのです。万年同じ下着には、しらみがついているかもしれないのです。(笑い)本当です。 そういうふうにして、芸術的な環境にするのです、花も色とりどりの花を飾って、旦那さんが好きだったら、その花を八〇パーセント、自分の好きな花を二〇パーセントにすれば、「いやー、こんなにたくさんの花を」と。それで、「奥さんは家庭の女王様だ」と尊敬するようになるのです。夫婦生活の芸術化が何か分かりましたか?(はい)。 そして、内的な夫婦関係の生活においては、女と男は時間が違うのです。男より女が五倍も遅いのです。遅い人は二倍から五倍以上にもなるのです。だから、夫婦関係においても、夫婦関係の味を知らないで一生涯を終えて死んでいく女がいるのです。それは男の罪です。夫婦関係が満足しなかった場合には、一日中、一か月、その余波が続くのです。絶対に女の健康のため、生理的にも絶対に必要なことです。分かりましたか、奥さんたち? (はい)。 それをみんな教育をしないといけないのです。お父さんは自分の息子に、お母さんは自分の娘に教育しないといけないのです。みんな知らないで嫁に行くのだから大変です。分かりますか? それで、みんなを立派に教育するのです。「あなたは、それをどういうふうにするの?」と相談するのです。自分はそういう感じがまだだから、旦那さんに時間を延長してもらいたいとすれば予備運動をたくさんするのです。 この話は堕落以降の環境ではなく、堕落前の世界でのことをいっているのです。分かりましたか? 重大な話です。 フィーリングが最も重要である きのうも話したことですが、稲妻と共に雷が鳴るのは、自然のキスと結婚式だというのです。それと同じことです。そういうふうに一つになる夫婦関係の愛の美しさは、一身の細胞がすべて目覚めて拍子を合わせていくようなものです。みんな、そういうふうになっているのです。五感が一つになるのです。それは尊いものです。もし、それが合わなかった場合には離婚問題とか、一生不満が残るのです。それがぴったり合うようになれば、奥さんと離れることはできません。顔がきれいということは後の問題です。 フィーリングがいいということは、良心を見ることができないように愛も見ることができないのですが、すべてがフィーリングで分かるのです。フィーリングが最も重要です。一〇〇パーセントのフィーリングが爆発して一〇〇〇パーセントになった場合には、女として生まれたことの栄光と価値を抱くようになります。だから、そういうことを体験することによって、男の尊さが分かるのです。反対に、男がそれを体験すると女の尊さが分かるのです。分かりましたか? (はい)。立派な旦那さんをつくり、立派な夫婦になる方法が分かりましたね? 生活を美術化するのです。 旦那さんの靴も、万年一足きりではだめです。芸術化させるということは、白い靴を買ってあげたり、黄色い靴を買ってあげたり、赤い靴を買ってあげたりするのです。それは、いくらもしないことです。君たちは、結婚生活が長くなるほど旦那さんのお小遣いをだんだん減らしていくのですか、増やしていくのですか? (増やしていきます)。本当ですか? 初めて聞く話です。今回のグループはどうにかなっているんじゃないですか? 今までは、みんな「減らしていく」と言うのが続いたのに、「増やしていく」と言うのですか? (笑い)。 それは、減らすようになるのです。子供も大きくなると学費などが嵩んでくるのです。また女というものは、時々映画を見たり、中国料理店などに行ったり、何かを買ってきたりして、旦那さんや子供よりも、自分の小遣いをつくるのです。大半の女がそうです。そうですか、そうではないですか? それはいい女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。 もし係長から部長になった場合には、多くのお金が入るのです。しかし、外交をしないと出世できません。上司や部下を顧みないと出世しないのです。それをしないで、ただ仕事だけをしていたのでは万年係長です。「金を稼ぐように」と、いくらラッパを吹いて太鼓を叩いても、それは通じません。女は、家庭生活がそう豊かでなくても、旦那さんが外交できるような資金を補給してやらなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうすると、旦那さんが「いやー、済州島には二人で行け、その時はいくらでも出していいよ」と言うのです。立派な旦那さんをつくることは、もう問題ありませんね。殴られるようなことは絶対ありませんね。こういうことをやって、殴られた場合には、もうその家にいる必要はありません。風呂敷を包んで先生の所へ来なさい。もっといい旦那さんを紹介してあげます。これで、旦那さんはもう勝利できますね? (はい)。 家庭の伝統を立てる それから、次は子供です。子供を立派に教育することです。それは、八〇パーセントが母親によるのです。分かりますか? だから、お母さんが外へ行って帰ってくると、子供たちがみんな「お母さん」と言って、走って迎えに出るのです。そうした場合、男の子が右、女の子が左で、礼の仕方を教えるのです。「お父さんに礼をしなさい。共にしましょう」と、教えてあげるのです。 「お父様に挨拶しましたか」と言って、もししていなかったならば、共に旦那さんの前に行って、服装を正して、丁寧に教えてあげるのです。そんなことをしたことのある女は手を挙げてみなさい? (「おはようございます」と言います)。「おはよう」と言うのは、隣の組の人に言うことです。「おはようございます」ではないのです。それは、家庭の伝統を正すために、仕方がないことです。家には中心が必要なのです。 もし、山に虎がいなかったら大変です。虎の食事の時間は、一時から三時、真っ暗な夜中です。朝なんかに食べ物を取って食べていた場合には、小さい動物がみんなぺちゃんこになるのです。神様はそのように、系列をちゃーんと安全地帯につくっているのです。だから、虎なんかは一晩中獲物を求めて四十里も走り回らなければならないのです。四十里は大変です。そういう活動をするのだから、昼間は寝るのです。寝るにしても山の高い所に寝るのだから、小さい獣たちは乱暴できません。勝手なことをすることはできないのです。だから注意しながら、静かにしてやっているのです。それと同じように、家庭には虎みたいな男が必要なのです。奥さんが虎みたいに構えて、ポーズをとっても似合わないのです。それは男以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。 家庭の伝統をつくるには、祖先伝来の伝統を中心として、「あなたのお父さんも偉いのだけれど、おじいさんはもっと偉いのです。そのまたおじいさんは、もっともっと偉いのですよ」と教育しながら、新しく家系をつくっていくための伝統的な内容をお母さんがつくってやらなければ、将来、子供の立つ所がないのです。分かりましたか? (はい)。 もし旦那さんが、学力や出身からして、自分より下であっても、家というものは、家系というものは、個人よりも尊いものだから、一家を正していくには、そのようにちゃーんと敬礼をして、旦那さんを中心に虎みたいな主体をつくっておかなければなりません。そんなことを考えたことがありますか? 「あの男は死ねばいい」と思ういろんな女がいるのです。今の世界はそうです。旦那さんが死んでも、「かえって便利だ。お金儲けもしないで、女に頼って」と、めちゃくちゃにあつかう女がたくさんいるのです。そういうことをしては駄目です。(男は)女の主体なのです。分かりましたか? (はい)。 なぜ、男が主体ですか? 女が主体ではないのです。女は空箱です。男は子供の種を持っているのです。その種を空箱に移して育てるのです。だから、男を無視する女は、将来がだんだん狭くなっていくのです。通りすぎる気違いの男に対しても悪いことは言えないのです。尊敬語を使わなくてはいけないのです。その人が将来、どのような後孫を残すか分からないからです。先生も乞食みたいな生活をたくさんしてきた男です。だから、出家した坊さんたちは六か月、乞食の生活をするようになっているのです。 女にとっては、子供の種は天宙よりも尊い神様の代わりなのです。それを無視するという女は、後孫が縮まっていくのです。分かりますか? (はい)。だから、男に対して尊敬する姿勢は、自分が祝福されることです。その籠の中に、いっぱい尊い物を入れるのが女の本性なのだから、そういう女は天運が保護するのです。籠いっぱいに立派な旦那さんを迎えるようにしなければなりません。立派な旦那さんになれば、立派な子供を中心として、その一家を褒めて余るような関係であることが判明するのです。女はそういうような重大な立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。 子供たちには、父母として一生涯、喧嘩する姿を見せてはなりません。子供はそれを見習うからです。何の罪もない愛すべき子供たちなのです。夫婦が喧嘩して、子供たちが横に立って「お母さん、お父さん、やめなさい」「エーン、エーン」。そういう家庭がたくさんあります。それは普通ではありません。破壊的な父母です。そうなった場合には、その子供たちが、それを見習うのです。絶対にそういうことを見せてはなりません。一生涯見せてはいけないのです。子供は父母を慕い、父母のやることを全部相続するのです。分かりましたか? (はい)。 それから、男と女を見れば、涙もろいのは女です。夫婦共々に口喧嘩をすることは、なきにしもあらずですが、もし、そうなっても子供の前では絶対に涙を流したら駄目です。分かりましたか? (はい)。 いつも朝になると子供が挨拶しようとして、走ってきます。トントントンと走って来て「お母さん」と、もう抱かれたくて飛んでくるのです。そこでキスするのです。ですから夫婦喧嘩をした場合、すぐにフィーリングで分かるのです。フィーリングで分からないように、その訓練をしないといけないのです。 夫婦共に約束して、絶対に涙を見せることのないように、常にゼロに帰る訓練をしないといけないのです。涙を流しても、即時に笑えるように、急激な変化に合わせられるような準備をしないといけないのです。子供たちは天才的な分析力を持っているので、すぐに分かるのです。それを分からせないような母の態度が重要です。 それで、ちゃーんとキスをして、旦那さんが横に座っていても、今まで口喧嘩していても気持ちが悪いと思ってはだめです。お母さんとお父さんが笑いながら、キスをするようなポーズを取らないといけません。そして、子供が無事通過していった場合に、もう二人は喧嘩しようとしてもできないのです。それで笑いながら、「やー、立派な子供たちが、先生になりました」と言うのです。そういうことがいくらでもあるというのです。分かりましたか? 涙を見せないように注意しなければなりません。 そうなると、子供たちはどうなるかというと、お母さんとお父さんが一緒にいなければ全部、家庭の雰囲気が合わないと思うのです。二人が共にいる姿を見習うのです。それで、学校から帰ってきて、家にお母さんしかいないと、すぐに「お父さんはどこへ行ったの?」「外で何か仕事しています」と言うと、その子供たちが、「お母さんが一人でいます。お父さん」と呼びに来るのです。そのことは、ありがたいことです。未来の一家は繁栄のうちにあるというのです。夫婦共々に二人でいるのを喜ぶ子供たち、それを正義として考える子供たちは、自分たちも結婚してそういうような夫婦になるのです。分かりましたか? (はい)。 先生の子供たちは、父母に対して十以上のことを考えているのです。お母さんお父さんのキスも、先を競って「自分がやる。自分がやる」と言うのです。そのような姿を見れば、そういう家は素晴らしいのです。今回ニューヨークに行った時、先生とお母様が講演するのがいかに難しいことかを体験するために、子供たちが四十か所くらいみんなで分けてやったのです。きのうでみんな終わりましたが、もう大変な噂です。 アメリカの家庭には、そういう子女はいないのです。一人、二人がやっても、全部が反対するのです。しかし先生の家庭は、すべての子供が、十四歳の子供までもが、一〇〇〇名以上の大衆の前で、先生とお母様の講演をそのまま真似て行うのです。ですから感動するのです。また父母に反対する地では、痛哭しながら訴えるのです。「私の父母は悪い人ではない」と。それで聴衆はみんな感動するのです。そういうような立派な子供たちです。だから、お母様と共に六人の立派な美男子の子供たちがずらりと並んだ場合、いやー、それはもう大変です。お母様もそれを見た場合、「自分が生んだ子供たちとは思えない」と言うほどです。立派で、それ以上の宝はないのです。ですから、女は空箱ではないのです。 それで、女は優秀なのです。みんな優秀なのです。天才的な頭なのです。そのように、お母さんの籠いっぱいに詰めるのです。お母さんの体の九九パーセント以上は、お父さんから分かれてきたのです。それは、第二の尊い存在です。お母さん一人とお父さん一人を代えることはできないのです。それを持ったお母さんは金持ちです。宝物です。籠だけ残してもらっても不幸ではありません。最後の仕上げをよくやって、そこに天下一品の尊いものを入れることによって平等な価値を持つのです。神様に感謝しなければなりません。分かりましたか? (はい)。 それを成せば、立派な父母になります。ここで、どうこう言う必要はありません。先生も、子供には申し訳ないと思うのです。いつも公的な活動をしているので、見守ってあげられない父母なのです。しかし、父母と共に築いてきた心情が子供たちの安息の基台になっているので、父母を愛さざるを得ないのです。たくさんの言葉よりも、心情の基本的な態度が最も貴重だということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 これから帰った場合には、「喧嘩をよくしたお母さんが、済州島で修練を受けて、喧嘩の好きなお母さんではなく、喧嘩の嫌いなお母さんになりました」と言って、旗を揚げて万歳する証の聞けるようなお母さんになってもらいたいのです。約束しますか? (はい)。 実の親子以上に近くなれる 姑 との関係 それから、問題は 姑 さんです。旦那さんの問題、子供の問題は解決したので、後は姑さんの問題です。お嫁に行った場合は、自分の実家のお母さんと同じような考えを持つことです。だから、何か難しいことがあった場合には、直ちに相談することです。 結婚してお嫁に行った場合、若い嫁さんを迎える姑さんは、自分のお母さんと同じです。旦那さんが出かけた後は、お嫁さんは誰にも相談できる人がいないのです。それで何でも聞くのです。姑さんに会って「お母さん」「何ですか?」。最初は、みんな関心もって立派なお嫁さんになるように、姑さんは心から歓迎するのです。ですから優しく言い出した場合は、喜んで「何ですか?」と答えます。そこで、率直に言うのです。「私は結婚して、初めて男性を迎えました。夫婦関係はどういうふうにやればいいのでしょうか? ただ一方的に、やっていいのでしょうか?」と言うと、姑さんは笑うのです。(笑い)「キスもこんなにやったらいいのでしょうか?」と、みんな率直に言うのです。姑さんは笑いながらも、「そうか、こんなにやってみなさい」と言ったら、すぐに、三日以内に実験して必ず報告するのです。「お母さん、ありがとうございます。昨晩、その実験しまして、女としてこれ以上の幸福感を感じたことはありません」。そう言うのです。そうすると、姑さんは何でも教えてくれるのです。自分の知っていることをみんな教えてくれるのです。 そういうようにして、自分の夫婦関係の内容を語り合うのです。それで、みんな学校を出ているので、雑誌なんかをたくさん読んだ場合には、「お母さん、こんなことも、こんなこともあるのですね。お母さんは知っていましたか? こういうことも書いてありましたよ」と、説明してあげるのです。「こうやったら、もう傑作だというようなことが書いてありましたけど、お母さんは、どう思いますか?」。「あー、そうか」と言って、姑さんは、二、三日たった後、自分たちで試してみて、「あなたはいいことを教えてくれたね」と、自分たちの夫婦関係まで話すようになったら、完全に姑問題は万事「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。 そういうふうに語り合い、教育し合い、指導し合うようになった場合には、実の親子以上に近い関係になります。分かりましたか? だから、今から帰った場合には、年を取った女は、そんなことを姑さんに言えなかったのでしょうが、率直に言うのです。「今まで、こうこうやってきたのですが、どうでしょうか?」と、姑さんに言うのです。そのように夫婦生活を共に相談し合えるような関係になれば、立派です。 若い嫁が帰っていった場合には、そういうことで励まし合い、教えてもらえるように、悩みを相談し合った場合には、それ以上の近道はありません。それは友達同士でも話さないことなのです。今まで、自分の夫のことで、子供を奪われた狐みたいに思ったこともあったでしょうが、「そんなことはありません。何でも不便なことがあればいくらでも言ってください。夫と相談してお母さんの満足するように何でもしてあげます」と、一か月に一回ぐらいは食堂に連れて行って中国料理をごちそうしたり、一年に二度くらい着物を買ってあげれば、それですべてが「オーケー」です。 そのようになった場合には、その 姑 さんは部落中を回って、「いやー、うちの嫁さんは変わりました」と、みんな口づてに宣伝するのです。そうなれば、それを聞いたおばあさんたちを連れてきた時、立派に昼食を作ってごちそうするのです。すると、その人たちが、また部落中を回って、宣伝して歩くのです。それがまた話題となって、どんどんどんどん広がって、町中で有名になるのです。そういうふうになったならば、「あの嫁さんの話を聞きたい」ということになり、そこで済州島の修練で習ったことを先生の話としてではなく、自分が生活した内容として紹介するのです。すると、みんなが感動します。 それで、どんどんどんどん日本中、津々浦々、山を越えて、谷を越えて、川を越えて、北海道から鹿児島まで、鹿児島から北海道まで行ったり来たりすれば、みんなが関心を持つのです。そして、そのとおりやってみて、効果が良かったならば、一生涯死ぬまでやってもいいのです。こういうような現地の整備を完成して、統一教会の偉大さを部落ごとに、町ごとに、国中を風靡させるように努力するのが修練を終えて帰った者の任務であり、使命であると思いますが、どうですか? (はい、そうです)。 そのように思う者は手を挙げてください。それを成すと決意しましょう 両手を挙げて立ってください。記念として、忘れないようにみんな先生のするとおりにしてください。(拍手)回って、回って、回って、三回回って、一、二、三、四、五、六、七、八。反対に回って。(拍手)次は、横の人の手を取ってください。 それから、横の人と手を組んでください。手を合わせて、手を挙げて、前の人の肩に手を乗せて、こういうふうに握って、それを離さないで、こういうふうに曲げてください。反対に曲げてください。では「万歳 万歳 万歳」。 きょうの話を忘れないようにしてください。これで、みんなお別れいたしましょう、さようなら。「左様なら」は、左の人のように並んで行きなさいということが「左様なら」です。そういうふうにきれいに並んで日本に帰るのです。涙を流さないで、さようならです。分かりましたか? (はい)。 第二十五回の修練会を終えて、代表者による感謝の祈祷 愛するお父様。きょうは、一九九三年十二月二十二日です。八月よりアラスカのコディアックにおいて始まり、さらに十月六日から済州島において始まりましたこの修練会によって、五万一千八百名の姉妹たちが重生、復活し、真の父母様の限りない愛によって無事に終えることができましたことを感謝申し上げます。 歴史上にかつてなく、また今後もないような、たった一回きりの、たった一人しか宇宙におられない真の父母様を通して得られたこの内容こそ、我々の生涯にとって忘れないばかりか、我が民族にとっても、この人類の歴史上においても、このような修練を受けた例がないことを知るものでございます。 お父様。このようにして、真のお父様と結んだ因縁、双子の子女としての因縁、真の兄と妹としての因縁、真の夫と妻としての因縁、真の父と母としての因縁という、神様が人間を創造するその最初の出発から考えておられた四大心情圏を、このようにして時間を惜しみ、昼夜を分かたず与えてくださったということを我々は生涯忘れないばかりか、子々孫々に至るまで永久にこれを伝えていきたいと思う次第でございます。 二十五回、五万一千八百名にわたる姉妹たちが、このようにして愛を受けまして、きょうは特別に、その最終日に特別の愛と恵みを受けた、この瞬間を心から感謝申し上げます。 そして霊界が真の父母様を通して、このように日本の六千万の女性を代表し、二十五億の女性を代表して、受けた恩であることを知るものでございます。 ですから、これを我々一人にとどめてはならないし、必ず日本の地から世界の果てまで、お母様の分身となっていくことを誓い、真のお父様が神と人類のために流してきた血と汗と涙を、我々はこのような喜びの収穫をもって、あなたの前に栄光として返していきたいと思う次第でございます。 きょう、このように別れて、我々は日本の地に帰っても、世界の果てにまで行くために再び、この地にやってまいりますから、どうぞその間、ご父様のご苦労、そしてお母様のご苦労、子女様たちのご苦労に報いることができるような我々になっていきたいと思いますので、どうぞ我々の今後の行く道を守り導きください。 そして、ご父母様の健康と永遠なる恩恵の上に、あなたの恵みがあらんことを切に切に乞い願いつつ、今までの五万一千八百名の姉妹たちの祈りとともに、感謝とともに、尊き真の父母様の御名によって、御前にお祈り捧げ申し上げます。アーメン。(アーメン)。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.21
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[22.05.22] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ 2022/05/22 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.21
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「現地の整備」(その1/2)1993年12月21日韓国・済州研修院 絶対信念、絶対信仰に立つ きょうで最後ですから、こういうような仕上げをしておかないと霊界も整頓されないのです。地上の事情を整理しなければならないのです。 結論として先生が一言残したいことは、精誠を尽くして、真なるものを植えた場合には、その結果がどうなるかというと、それは間違いなく世界中のどこででも、その収穫が得られるのです。君たちは日本国内で精誠を尽くしてきたのですが、周辺では誰も知らないし、日本の国も知らないし、誰も分かってくれなくても、真なるものを植えた場合には、世界のどこででも収穫されるのです。分かりますか? (はい)。ですから、心配する必要がないというのです。 先生が修練会において、そのような一念で精誠を尽くし、真を尽くした場合には、その収穫は日本の国を越えて収穫されるのです。先生のアメリカでの三十四年間の活動も、すべての精誠を尽くして、真なる実を植えたので、アメリカが歓迎しなかった場合は、必ず他の国々で収穫できるのです。それは南米とか、ソ連とかです。ですから天に向けた自分の忠誠心は、永遠に実るものであるという信念を持たなければなりません。分かりましたか?(はい)。 あすは、ここに二〇〇〇人の済州島の人々が集まるのです。それからあさっては、お母様がこちらに帰ってきます。それで一九九四年の一月一日には、お母様の世界的な講演の成功を祝う祝賀会とともに、五万人修練会成功の大歓迎会を準備しているのです。ですから君たちは、今から何をしましょうか? 一時四十分まで(時間が)あります。(先生が黒板に題目を書かれる)これは何ですか? (現地の整備)。現地の整備です。今、日本に帰れば、すぐにも問題になることがいろいろあるのですね。それは、旦那さんの問題とか、 姑 さんの問題とかです。真剣な目で(皆さんの)周辺では、「ああ、あの奥さんは頭がおかしくなってしまった」とか、行く先々でいろいろな噂をされているのです。町ならば町なりに、部落ならば部落なりに、いろいろな噂をされているのです。五万人が済州島に行って、そこでレバレンド・ムーンに教育されたということが、全国的に知れわたっているのです。政府のほうでも、「みんな修練に行って感化された者たちが、日本の地に帰ってきて、自分の親近の者に涙を流しながら済州島の修練会に参加させる競争をするので、韓国の政府に働きかけて、何とかそれを防ぐ方法として文先生に働きかけて、制御することができないでしょうか?」と言うのです。しかし、政治と宗教は分離しているのです。 ですから、みんなが知っているように、政治の力が宗教に加わったら大変なことになるのです。そういうことはできないことです。そういう検討をして方針を出したので、日本全体が問題になっているのです。分かりましたか? (はい)。このような噂には、絶対に流されてはいけないのです。それは宗教を知らない者たちの考えです。 君たちも体験して知っているように、宗教というものは、一般の団体の結合体とは違うのです。お金を中心として結合した組織とは違うのです。統一教会は、霊的現象を中心としてつながっているのです。人間の力以上の縦的な力でつながっているのですから、人間がいくら切っても切っても、流れる水道の水と同じなのです。パイプを切ってしまったからといって、それで止まるものではないのです。水が下に流れるのと同じように、霊界が強く干渉するのです。それ以上の力でもって援助するのです。ですから、宗教は迫害の時に発展するようになっているのです。それは歴史的なことなのです。宗教は迫害があればあるほど発展するのです。 そのように見た場合、日本の全国的な反対は悪いことではないというのです。本当に信じる者は、本当にかたくななのです。深い根を下ろすためには、いいチャンスなのです。深い根を下ろして、周辺の反対圏をずーっと押しのけて膨張拡大していった場合には、すべてを乗り越える力が、そこから生まれてくるのです。 ですから、宗教の分からない人は、迫害すればそれで終わると思うのですが、そうはいきません。宗教は迫害されることによって、逆に発展していくのです。なぜかというと、サタンが攻撃する以上に霊界が援助するからです。信者たちの信仰が固くなるし、強くなるのです。今まで以上の絶対信念に立つというと、神様が力を尽くして環境を押し出すのです。絶対信仰という、いくら反対されても問題にしないところには、神様が本当に背後から援助して、勝利の道を行くように押し出すのです。そういう信念を持って、今の日本の現状、噂の(悪い)台風が吹き寄せるようなことを、もっと(逆の)台風になるように、全国的にいかに転換するかということです。それは口で言うとともに、文章でもって連結させなければなりません。 全国的な御言のブームを起こす ですから、お母様の演説文を各家庭ごとに分配するのです。また原理(講論)の本を三十冊以上、毎日一冊ずつ貸し出すのです。それに、ビデオテープとか、いろいろなカセットテープなど、材料はいくらでもあるのです。それらを活用して、各自が周辺に配るのです。 五万人がそういう材料を持って十人ずつ伝道すれば、一日に五十万人になるのです。一日に五十万人だったら、五十万人の百倍は何人ですか? 十倍で五百万人、百倍で五千万人です。それが、三年たてば、一億人を超えるのです。そう考えると、簡単なことです。 それで、一人がビデオテープを持って周辺の村々を十軒ずつ巡回しながら、見せていけば感動するのです。ソ連の学生の運動や合同結婚式の映画などを見せた場合には大変です。そういうものを親近関係にずーっと回して、一人が毎日十人ずつ伝道して見せてあげるというと、一年以内に、日本一億二千万人は復帰され、一年三六〇日がたったら、大変なものです。八か月で、みんな終わってしまうのです。ですから、五万人が結束するということは大変なことです。 それで一年間、そういう決心をすれば、できないことは何もないのです。十人ずつ、そうすれば、ある所には何百人、ある所には何千人も集まるのです。ですから、そういう数字を中心として、みんなが感動するような結果をつくっていくということを考えれば、それは問題ないことです。それから、君たちが原理の内容を語る力を持った時には、恐ろしいことです。このような者たちが動き出した場合には、いっぺんで日本は落ち着くのです。分かりましたか?(はい)。 それを、今から男たちまでもがやったと考えてみてください。夫と共にそうやった場合には、自分の親近の家族の中には、父母がいるし、兄弟がいるので、その三人を復帰したと考えてみてください。三人を復帰した場合には、問題は何もありません。三人から援助してもらうとすれば、一〇〇日間に日本全国民はみな、私たちの本や講義など、いろいろなものを見ることができるのです。そうなれば「反対せよ」と言っても反対できないのです。 反対するのは分からないからです。ですから、五万人が結束して、全国的なブームを起こして、北海道から鹿児島まで往来して、上がったり下がったりした場合には、日本はみんなきれいになってしまうというのです。それは難しいことではありません。一人一人が全体を考えれば大変だけれど、分配すれば大変なことではないのです。分かりましたか?(はい)。 何人を感化させることができるか、自分みたいな人を使った場合、もし一〇〇人の友達があるとするならば、一日でいいのです。夫婦共々に決意した場合には、一〇〇人が問題ではないのです。 これを原理から見た場合に、今は長子権が復帰されているのですから、成約時代は絶対的な可能圏の始まりなのです。それで、自分よりも年下の弟や妹を引っ張りだこにして、「何が悪いのか 聞かないで、この者 聞くだけでも聞いて、調べもしないで反対するとは動物よりも悪い」と言うのです。万物の霊長として、人間として、自分の兄さんや姉さんのやっていることを聞いてみないで、調べもしないで反対するとは、そんな常識外れのことはないのです。そんな態度は、この世界では通じません。自分の兄さんや姉さんに対して、誤解してきたことを悔い改めさせなければなりません。「あなたよりも、社会的にも豊かな経験でもって、この道を求めて献身してきたのに、何も知らないで、座っていて何だ」と、談判するのです。分かりましたか? (はい)。 お母さんやお父さんにも談判するのです。旦那さんにも談判するのです。(正しいことを)証明しなければなりません。「誰から聞いたのか?」と、言った者を連れてくるのです。第一人者、第二人者、第三人者まで、どんどんどんどん連れてくるのです。そうなった場合には、二人、三人と詰めていかないうちに「自分が悪い」と言い出すのです。それは、間違いないことです。 これまではずーっと黙っていたのですが、黙っているのは愛でも何でもないのです。自分の威信、兄としての威信を固めて、周辺の妹や弟を愛する時にこそ、その愛が成立するのです。何の威信も権威もないところで、いくらやってもそれは実りません。 サタンもそうです。悪魔というものは力があればいつも攻めてくるのです。それを知った以上、力がついた場合には、もっと攻撃してくるのです。そうすれば、完全にこれはもう弱くなってしまうのです。分かりますか? 戦略を組むのです。五万人の一人一人が、そういう決意をするのです。自分一人で難しい場合には、二人でやるのです。二人でやった場合には、それは二分の一です。四人でやったら四分の一で、十人でやった場合には、それはどんどんどんどん減っていくのです。 これまで語ったように、一人が一〇〇人を集めて、友達や親近者の組織体系をつくって、いろいろな催しをするのです。そのようにして一〇〇人のグループを組んだとすれば、一年で復帰できるのです。そのように分化して、細分化して、責任分担を分けてやれば、全国はそう難しいことではないのです。分かりましたか?(はい)。 成約(時代)の三年以内に、完全に都市のすべての家庭を訪問するのです。全家庭を訪ねると、その中で歓迎するのが何パーセントかすぐに分かるのです。第一回、第二回と、半年ごとに回った場合には、統一教会に対するパーセントもはっきり分析することができるのです。そういう現状と環境を、はっきりと知らなければなりません。 今からは、そういうふうにして、あなたたちの基盤をつくれば何でもできるのです。この済州島もそうなっているのです。県には県の議会があるのです。それは、国会と同じなのです。中央政府の直轄下にあるとしても、県は県なりにすべてを計画してやっていくようになっているのです。ですから、その県の議会に入るのです。「自分はこういうような素晴らしい統一教会である」と言ってです。 統一教会は、素晴らしい武器を持っているのです。原理以上の武器はありません。それで打てば、打たれない者はいないという、強大な力を持っているのです。考えてみなさい。共産党は、共産主義理論を中心として、一九七三年には世界を風靡して、自分の執権下に世界をまとめてきたのですが、そのソビエトも四泊五日の修練会で、共産主義を捨てて神様を信じるようになったのです。(原理は)そういう恐ろしい力を持っているのです。 原理の本をマスターする 君たちは原理の価値を知らないのです。今でも、そのことを先生は言い続けているのです。壇上で原理の内容を講義することを誇ってはなりません。読んであげるのです。それが立派な講義なのです。何の話か分かりますか?(はい)。十人でも五十人でもいいから、部落全体の人々を集めて、堕落論だったら堕落論をずーっと読んであげるのです。 自分が講義できないということを嘆く必要は全くありません。本を読んであげるのです。本を一〇〇〇人に貸し出したとするならば、その一〇〇〇人を集めれば、何でも本でもって教育できるのです。それから、先生の説教集もあるのです。日本も翻訳をしていますか?(はい)。その題目を中心として、「自分は、御言のどこまで読みました」と言うようにするのです。また、そのような題目だけをまとめた本(文鮮明先生御言選集総目録Ⅰ~Ⅲ)もあるのです。その本を見て、適当な題目を選んで読んであげればいいのです。それで全体を解説していくのです。そういうようにして、本でもって教育していくのです。 小学校にも中学校にも教科書があるように、教科書を中心として、それに関係のある参考書を用いてやった場合には、一人でも勉強することができるのです。みんな人でもって教育して、全世界の要員をつくることはできません。共産党は本でもって世界を七十年間もリードしてきたのです。私たちもそれを考えなければなりません。 ですから、高等学校以上を卒業した者は、みな問題ありません。本を読みながら、質問に応じて内容を解説してあげれば、それが立派な講義になるのです。そうなれば、五万人がみな講師なのです。この前、先生がチェックしたところ、日本で二十一修の講義に責任を持てる者は何人かというと、四十七人でした。それは、罪悪です。罪です。そんなことでもって、日本が発展すると思うのですか 原理の本を棚に置いて、ちりに染まるようにしておいて、二十一修の修練を終えたからといっても統一教会の正式の信者ではありません。四十修が終わればおしまいなどと、そんな馬鹿なことはないのです。それは、原理の本を解読し初歩の知識を紹介することなのです。問題は原理の本をマスターしないといけないのです。ですから、みんなが講師にならなければなりません。五万人がそういうようにやらないといけないのです。分かりましたか?(はい)。 最初は読んであげればいいのです。十回、二十回、三十回と読んであげれば、立派な講師になります。そういうふうにして、模範講義をするのです。二十一修の講義も、そのような、原理の本を読んだ実力の上でやった場合には、一、二回でもって、すぐにその内容をキャッチして、堂々と壇上で講義するのも問題ありません。分かりましたか?(はい)。 これから、あなたたちが集まって大衆を指導するようになると、噂になります。「いやー、この本がそんな内容とは知らなかった」と。それを聞いた者がみな感動するようになっているのです。(この)世界にはない言葉なのです。すべてが、神学界にあった内容ではありません。全部が新しいものなのです。図書館にもない内容なのです。分かりましたか?(はい)。 ですから、今からは本を中心としてやらなければなりません。みんな三十冊を持つようになったのですから、三十冊を貸し出した者に、みんな電話して来るようにするのです。三分の一が来たとしても、十二人が集まるのです。そのようにして、一か月間貸し出しても読まない者は、本を回収していくのです。一日に一冊ずつやれば、三十日間で三十冊できるのです。周辺からずーっとやるのです。電話して、その内容や感想を聞きながら、難しいところはさらに読んであげて指導していけば、自動的にだんだんだんだん増えていくのです。分かりましたか?(はい)。 そういうふうにすれば、立って講義するよりも座って読んであげるのがもっと効果的です。共に読みながら勉強するのです。そのようにして、十人、二十人とやった場合には、その中に優秀な大学を卒業した人、あるいは有名な博士がいた場合、すぐに理解する範囲が大きくなるのです。そうなれば、その人を中心として、その人が責任を持つように、解説をするように指名するのです。どこどこを読んで、その内容を話すようにするのです。そのようにすれば、日曜日の礼拝の代わりに、それが説教になるのです。 そのような形式をとって教会体制を早く、全国に二万か所以上準備しなければならないのです。それが先生の計画です。だから、短大以上の卒業者を緊急に、再び八日から教育するようになっているのです。その人を、二万か所の教会の責任者として立てて、先生のいうとおりに講義できる力があった場合には、本を読んであげながら指導するので、各自が本を三十冊買うようになっていくのです。そして、貸した本をみんなが持って集まるようにして、そこで読んであげるのです。そのように読んでもらうことによって、関心を持つようになるのです。そのような人は、絶対に落ちません。 本でもって理解した人は、一人になっても絶対に落ちません。いくら原理を聞いても、本を読まない者はみな忘れてしまうのです。自分が、だんだんだんだん世俗化された環境に入った場合には、昔と同じになってしまうのです。環境を主管して引っ張っていく中心性を持たないので、自動的に周辺に吸い込まれてしまうのです。分かりますか?(はい)。 女性時代の到来 五万人がみ言を中心として、ぶっかけ合う(討議し合う)運動をしないといけません。それとともに、本でもって拡大しなければなりません。話をするだけでは、その人を絶対に信じることができないのです。本でもって統一教会の本質的内容を伝達することによって、その内容に(その人の話が)もっとも近い場合には、「いやー、あの人は正直な人だ。正しい人だ」と、信頼度が深まってくるのです。それがなかったならば信頼されません。分かりましたか?(はい)。 話をするとともに、それを文章でもって勉強させるのです。それは先生や、お母様の演説文などによってです。そこには旧約、新約の聖書がみんな入っているのです。すべての歴史観が入っているのです。今まで誰も知らなかった内容の新しい世界観が入っているのです。そのことは、ちょっと世界を考える者にはすぐに気づくのです。今からは、世界を感じるような観を持たない人は、いくら日本の統一教会に入ったとしても、必要ないのです。我々が必要なのは、世界を指導するようになれる人です。分かりましたか?(はい)。 今からは、みんな四〇〇〇人以上のメンバーが同時に出発するとしても、同じレベルの者が、この内容をいかに活用して、いかに早く周辺に拡大するかということが、社会的にも出世し、成功する基盤になります。現実問題に直結するようになっているのです。このような内容をすべて準備して、周辺を教育した場合には、その村や町を全部カバーするような時が来るのです。それで、今からは女性時代が来るのです。先生がそう考えるから、そうなるのです。そういう戦略を組んでいかなければなりません。分かりましたか?(はい)。 そのように、組織体制をつくっていくのです。ですから、たくさんの催しをしなさい。たくさんの組織体制をつくるのです。世界文学書を読む運動などをしながら、その中で原理を読むのです。それをやらないから伝道ができないのです。いろいろ何でもやってみて、その内容を中心として原理のほうにつなげるのです。何も、問題ありません。分かりましたか?(はい)。 いろいろ自分の特技や技術があったとすれば、それを中心として、いろいろなクラブをつくって、組織化するのです。文学の好きな人々を集めて、文学雑誌を読むクラブもつくるのです。韓国には「契」というものがあるのです。お金を出し合うのです。十人から二十人くらいで、何百万円、何千万円と決めて毎月、払い込みながら、それをいっぺんに一人が持つようにするのです。それから、その次の者が持つようにして、十人から二十人が順番でもって分け合うようにするのです。毎月払った者がそうするのです。みんなが配当を受けるのです。日本でもやっていますか? こちらでは大変です。たくさんのグループがあるのです。 ですから、それを、女たちが中心としてやるのです。アメリカ行きの旅費が必要になるので、二十人、三十人、五十人と募集して集めるのです。そのようにして集めておいた場合には、いっぺんでアメリカにも行けるのです。そういうグループがあった場合には、それを五十人ずつで分けるのです。こういう運動を展開して、旅行に行くにしても一人で行くのではなく、団体で募金をしながら準備していくのです。大変なことです。それを部落全体、町全体に適用させるのです。 私たちには「世界平和女性連合」の組織があるので、これからは引っ張りだこです。各自がみんな世界平和女性連合の会員になるのです。分かりましたか?(はい)。今から強調しなければならないことは、世界平和女性連合です。日本ばかりでなく、この組織は世界に通じるのです。そして大移動するのです。もし、イギリスの世界平和女性連合と日本の世界平和女性連合で、同じクラス、同じレベルの係長だったら係長と、文化部の担当者であれば文化部の担当者と、宣伝部の担当者はやはり宣伝部の担当者と交代することもできます。そういう世界的交流が可能になるのです。なぜかというと、思想的な基調が同じ食口のようになれば可能なのです。 そうすると、「誰々の奥さんはイギリスに何か月行って住んでいた。それからアメリカに行った。ドイツに行った。フランスに行った。四か国を回ってきた」と、有名になるのです。有名人になると、友達を連れてきて、みんなを集めて紹介するのです。「この人は、こういうことをやってきました」と。そして、大会をたくさんやっていくのです。そういうふうにして環境を動かすのです。そういう催しをいかに拡大するかということと、反対する環境をいかにまとめるかということが絶対に必要です。 共産党はデモを行って、自分たちの発展の基盤をつくってきたのですが、統一教会は大会を行うのです。小さなグループの集会をたくさんやるのです。一つの町でも十人ぐらいまとまれば、一〇〇人を集めるのは問題ありません。そして、有名人を呼んできて話をさせるのです。その中に三人くらいメンバーを入れるのです。その話の内容を聞けば、いくら有名人でもメンバーの話の内容に負けるのです。 そういう環境をつくって、宗教界、政治界をまとめるのです。そうすれば国会議員なんかは命を懸けてでもついて来るのです。それを教育してあげながら、自分の基台のほうに発展させるのです。彼らは教育しても、人脈を結ぶことはできないのですが、私たちは素晴らしい教育の思想と内容を持っているので、人脈をつなげていけるのです。ですから国会議員の組織を、私たちのほうに向けさせることは問題ありません。既成基盤をいかに自分の活動基台につなぐことができるか、それを考えなければ世界を救済することはできません。 ですから外交的能力が必要なのです。また、いくら外交的能力があったとしても、説得能力がなければなりません。統一教会の指導者になるには、第一は説得能力です。実力がなければならないということです。それから経済自立能力です。責任者はいつも世話になっていてはだめです。その団体で使うお金の三分の一は、いつでも責任を持つような信念を持たないと、みんなを引っ張っていけないのです。そうすれば、集まった者が十分の一を出す時、三分の一を出す者が経済的な指導者になるのです。 経済的自立能力があり、外交能力があり、説得力があった場合には、その団体は、自分に消化されるなといっても消化されていきます。みんな偉くなりたい、みんな成功したいと思うのだったら、今はそういう徹底した内容を持っているし、その武器を持っているのです。先生が一人で、これだけの世界的な基盤をつくった要因は何かというと、こぶしの力ではないのです。原理の力です。分かりましたか?(はい)。 ですから、まず本を読むのです。何回もすらすらと読めるようになるまで読むのです。それを十回やり、一〇〇回ぐらいやれば、みんな覚えるのです。分かりますか?(はい)。四〇〇〇人以上の者がみんな原理の本でもって伝道するブームを起こすのです。原理の本を中心として全国に連結させれば、ブーム台風になるのです。言葉で起こした台風は消えていくのですが、原理の本で起こした台風は絶対に消えないのです。だんだんだんだんと大きくなるのです。分かりましたか?(はい)。 先生の精神を相続して全体を救済する それで今からは、『原理講論』は講師だけが講義するのではないのです。講義を撤廃させるのです。全世界は本を見て教育し、講義をするのです。そういう命令を出しているのです。ですから、全世界の統一教会のメンバーは、三十冊の原理を、訪問して、毎日一冊ずつ貸し出しするようになっているのです。そうすれば、一年に何冊かというと、三六〇軒で三六〇人が読むようになるのです。その十分の一でも三十六人です。読んで感動した者には、訪問して質問しながら説明してあげるのです。「感動されたところはどこですか?」と聞いて、そこを再び読んであげながら、その内容を説明するのです。 こういうように原理の本を中心として伝道された者は、噂によって決して消えてはいきません。もし、父親が読まなかったならば子供が読みます。自分が読めなかった場合には、親戚の者に「この内容はちょっと何ですか?」と、読んでもらうのです。また旦那さんでも読む時間がないとするならば、自分の弟とか、妹とか親戚の者に読んでもらうのです。そして良かったという場合には、自分が読むようになるのです。決着していく道は素晴らしいのです。分かりましたか?(はい)。 このように見た場合、一人が十人ずつやった場合には、今までの六〇〇〇人の女たちが、みんなやるとすれば六千万人は問題ないのです。一人が十二人ですから、一二〇〇人は、一人十二人ずつで一〇〇回です。本を三冊ずつ持ってやった場合には、一〇〇回ですから三十回です。それは大したことではないのですが、一生懸命にやれば感動するのです。読んで感動した者に、「どこに感動したのですか?」とチェックして、多くの人々を連れてくるようにして、もう一回、集会をしながら、自分が直接関係持って読んでやった場合には、すぐに高まるのです。そういうような関係でもってやれば、一二〇〇人を超えるのは問題ありません。分かりましたか? (はい)。 ですから、遠い所でやる必要はないのです。今から先生の言うことは、教育することにおいても、本部はなく、地方から東京へ何千人を連れてきても、一つの郡からは一人か二人しか来れないのです。郡を中心としてやれば、一〇〇人を集めるのは問題ではありません。地方から移動して本部まで来るのは大変なことです。経費の問題なども大変です。みんなが異郷の地に行くのですから大変です。周辺だったら何でもないことです。部落だったら、町だったら、「どこどこに集まれ」と言えば、食堂であれば、すぐに一〇〇人、二〇〇人は問題ないことです。昼食代も助かるしね。(笑い)。そのようにするのです。話をしたり、証をしたりして、原理の内容を伝え合うのです。 それで、お金が必要になったらファンダレイジングをしなさい。いろいろな方法を研究するのです。当然、人間として経済問題を逃れることはできないのですから、自立体制をつくらないというと、いつどうなるか分からないのです。この複雑な世の中では、自動車事故もたくさんあるのです。だから、女は女なりに十人の子供がいた場合には、十人を(育てる)訓練が必要です。ですからファンダレイジングをするのです。今、アメリカに行っている宣教師もそうです。自給自足なのです。 ですから、ここに来た者たちは、奥さんから子供たちまでみんなファンダレイジングをしなさい。一週間に二回やりなさい。女は、自分の旦那さんが会社に出勤しないと生活できないようではいけません。そういう方策を変えたのが先生です。一週間に二日やれば、もう問題はありません。一週間の他の日々は、公的な伝道活動ができるのです。週に二回やれば、十か月で八十日です。そういう訓練をしないといけないのです。そのように、週に二回、八十日間、公的な時間を天に捧げるのです。 今、韓国の神学生も、学費は自分でつくるのです。夏休みはみんな勤めるのです。働いて自分の学費をつくるのです。ブリッジポート大学も、統一教会のメンバーは自分で学費はつくるようにするのです。国家的なチームをつくって、先生は訓練しようと思っているのです。経済問題を解決し得ないで卒業しても、社会的な寄生虫になるのみです。分かりましたか?(はい)。 これから君たちが日本に帰った時も、先生はそのまま放ってはおきません。このように訓練された者がみんな全国に散らばって、そのようにやるのです。分かりましたね。(はい)。それは、統一教会の特別なやり方です。国を超えて、そういうことを考えています。それでドイツの半分をフランスに、フランスの半分をイタリアに分けて、他の国に本部をつくってやるのです。そうすると両方の言葉を勉強できるのです。活動も同じくするのです。日本と韓国もビザの問題が解決すれば、問題はありません。その時は、韓日交差結婚した者がみんな責任者になるのです。韓国の責任者になるし、日本の責任者になるのです。その準備をするのです。分かりましたか?(はい)。 これからは、十八歳、二十歳以上の者はみんな交差結婚をして、日韓・韓日は一つになって、アダムとエバの一つになって、一つの家庭に住むようにしないといけないのです。そういうふうにすることで、世界が一つになるのです。先生以外に、そういうことをやれる人はいないのです。先生以外に、交差結婚とか、国際結婚を三十六万双もやれる人はいないのです。今や白系ロシアの国が、先生の結婚式に対して相当の関心を持っているのです。この前、大統領が参席して、「自分の国でやるのでしたら、三十六万双は自分の国の青年たちを出します」と言うのです。そうなれば、その国がアダム・エバを超えた価値の国になってしまうのです。そういう時代になりました。 アメリカも、今やそのように動くようになっているのです。先生は来年の正月にある大物に会うようになっているのです。それで世界はびっくりすることでしょう。いつ、どういうことが起こるか分からないのです。アメリカ人も太平洋を越えて、五万人ぐらい移動して教育するとしたらどうですか? それは、問題ありません。韓国はその台風に吹かれてみんな飛んでいってしまうのです。日本もそうです。「あんなことのやれる男は、歴史上に文先生以外にいない」ということは、みんなもう既に分かっているのです。レバレンド・ムーンとミセス・ムーンを知らない者はいないのです。家庭を中心として、いかに周辺を自分のほうに引きつけるかということです。分かりましたか?(はい)。 ですから、自分の家は小さい部屋でもいいのです。そこに人が来た場合、狭い所に缶詰みたいに詰め込んで座って話し合うのがいいのです。鳥の雛もそういう巣の中で育って、だんだん大きくなってきた場合に、巣の中にはとどまらなくなるのです。みんな大きくなって出ていくのです。そういうふうにして発展していくのです。大きな所から小さくなるのではなく、小さな所から大きくなっていくのです。分かりましたか?(はい)。 そういうふうにして、自分なりの決意をして、先生が一人で世界に向かって発展してきたと同じように、皆さんが先生の精神を相続して、自分自身を中心としていかに大きい波動をつくるかということの競争です。自分一人のための真理ではないのです。全体を救済するためのみ言だから、全体に分けてやるのです。分かりましたか?(はい)。 長子権の顕現 ところで、旦那さんの問題のある人は手を挙げてみてください。ちょっとでも(問題のある人は)手を挙げてみてください。霊界が援助するかもしれないのです。ああ、騒がないで、旦那さんの問題のある者は手を挙げてみなさい。相当いますね。かわいそうだね。帰るのが心配だね。心配無用ですか?(はい)。今度帰れば引っ張りだこにされるような態度をとってはなりません。堂々と一対一で弁明しなさい。「聞いてください そんな話が本当だと思いますか、誰がそんな失礼なことを言ったのですか、その友達はどこにいるのですか?」と、三人ぐらい旦那さんの所に連れていって、「何だ 奥さんを人間扱いしてないじゃないか 豚みたいに動物扱いをして何だ 引っ張りだこにして何だ」と。アメリカでは、すぐに告訴されるのです。分かりましたか?(はい)。 そのままであった場合には、先生が放っておきません。今までは、時がそうではなかったのですが、いよいよ長子権復帰です。今までは、ずーっと神様がやられてきたけれど、今からは、そうはいきません。主人として堂々たる権限を持つのです。そういう時代になりました。僕にやられるようなことは、神様は大嫌いです 分かりますか?(はい)。 ですから長子権を中心として、数千万年の歴史を通して、人類創世以来今まで戦ってきたのです。長子権を復帰して勝利した者が、天使長より以上の能力を持たなければならないのです。堕落したアダムではなく、完成したアダムは天使長に命令をするようになっているのです。今までは、それを果たせるような男がいなかったのです。神様の秘密とサタンの秘密を凌駕するような者が生まれなかったのですから、長子権が復帰されなかったのです。いつもやられてきたのですが、今からそうではありません。 先生は一人でもって、全世界の反対の境地を凌駕しているのです。日本もいくら反対してもだめです。このごろでは、もう静まってきているのでしょう。いかなる者を出してきたとしても、みんな過去の新聞に出た者たちであり、みんな分かっているのです。文先生はびくともしません。それは今に始まったことではないのです。みんな新聞に出た輩が集まって、それでもって金でも儲けようという態度でやっているのです。日本の言論界を利用して、金を儲けようと考えているのです。彼らが分からないのではないのです。ちゃーんと韓国の新聞に掲載されているのです。彼らが先生の前に来たら屈伏させてしまうのです。 しかし、先生の名前で神様の前に誓ったことがあるので、彼らを全部救ってやるために黙っているのです。本当は堂々と訪問して処分してしまいたいのです。先生の性格からして、放ってはおかないのです。神様の心情が分かるから、こういうような先生の性格であっても忍耐するのです。み旨を成し遂げるまで忍んでいるのです。先生は何の過ちもない立場ですから、一発でも打たれたら、もう眠れないのです。それは、幼い時から有名なことです。流されていくような男ではありません。徹底してやるのです。「イエス」か「ノー」か、はっきりしているのです。女たちもそのように、ただ殴られて悲惨な影の女になることを願いません。分かりましたか?(はい)。 先生は、無力な男ではありません。今までは放っておいたのですが、今からそうはいきません。日本もそういうことをした場合は、大使館を攻撃するのです。先生には、百数十か国がついているのです。大使も困るようになる力を持っているのです。公言しなさい。分かりましたか?(はい)。宣布しなさい。「何が悪いのですか 何か悪いことしているのを見たことがあるのですか 君たちは何か悪いことをしましたか」と。 男女関係は徹底しているのです。それは世界中が知っていることです。いろんな宗教団体が、悪いことをみんな統一教会にかぶせてやっているだけなのです。 血統転換 血統転換とは、サタンと神様の前で決闘することであり、殺し合いなのです。血統転換は、決闘して探してきたものです。分かりますか? 一九四五年から六〇年までの十四年間、先生は一人でした。一人でいたので、たくさんの女たちがやってきたのです。みんなお母様の候補者としてです。大統領選挙と同じように、みんな候補者なのです。三代が一つになって、おばあさんから孫娘までの三代が一つになって、みんな先生を婿にしようとして秘密に準備するのです。それは霊界が教えてくれるからです。 先生の着物の寸法がいくらいくらだと、みんな霊界が教えてくれるのです。それで準備するのです。国家的最高の準備をするのです。それが一軒だけではないのです。数十軒もあるので、みんな大変です。宇宙のお母様、真の母を自分の家から出そうとするのです。霊界では、全先祖が動員して、みんな教えてくれるのです。大変です。それが十二歳から八十代のおばあさんまでです。八十代のおばあさんが二十代の先生を呼んできて、「自分は十人の子供を生むように万全の準備をしているから、いつでもおいでください」と言うのです。それを考えてみてください。それでも、仕方がないのです。 そうでもしないと、世界中を代表したお母様になれないのです。そのようなおばあさんたちですから大変です。みんな伝道されて集まった者たちではないのです。啓示によってみんな集まってきているのですから、説明の必要がありません。先生の使命が何か教えなくても、ちゃーんと知っているのです。先生がどこかの地方巡回に行くと、ちゃーんと前夜、既に夜通しでそこに行って待っているのです。 そして、「私は、ここに来ました」と。「この者、何で顔を出すのか」と叱り飛ばしても仕方がないのです。「ここに来ざるを得なかったのです。霊界が勧めるのだから仕方がないのです」と言うのです。いやー、大変です。ですから部屋には、鍵を二つかけて寝るのです。本当です。そういうことは誰も知らないのです。それで聖別生活をするのです。お母様を選定していないので、絶対祝福されることはないのですから、みんなが聖別生活です。夫婦関係は絶対に禁止するのです。先生が教えなくても、霊界が教えてくれるのです。「聖別生活をしなさい」と。 それから、旦那さんが二つ頭の蛇に見えるのです。頭が二つ、尾が二つです。旦那さんが会社に行く時、門を開ける前は自分の旦那さんなのですが、門の外に出た場合には二つ頭の蛇が現れるのです。また帰ってきた時も、門の前に蛇が現れるのです。そして門の内に入ると旦那さんになるのですが、寝る時はちゃーんと蛇の格好をしているのです。ですから夫婦関係した場合、間違いなく出血するのです。 そういうことを誰に話せますか? 自分の旦那さんも分からないことなのです。旦那さんが蛇になるのですから、どうしますか? 分かるのは先生しかいないのです。自分の父母も知らないし、自分の旦那さんも知らないのです。だから聖別するなと言われなくても、聖別せざるを得ないのです。なぜかというと、お母様を選抜中なので、夫婦関係すると、そのレースから外れるのです。 真のお母様の選定 そこで、みんなが先生を婿として引き込もうとするのです。先生は、そんな話は聞かないのです。エバがアダムを選択するということになるからです。みんな原理の反対になるので、それを収拾しないといけないのです。先生が、主管性転倒したことをみんな正してやらないといけないのです。だから、そういうことが八十代から七十代に移行するのです。神様の蒔いた恩恵なのです。全世界に、みんなが新婦の結実体になることを願って蒔いたのだから、収穫の時代の主人の立場の人が現れたので、主人の前にそういう態度を取らざるを得ないのです。 それらをみんな収穫する責任を先生が持って、まとめないといけないのです。ティーンエイジャーの十代から三十代へと発展してきたのだから、それを逆に収拾しないといけないのです。八十代のおばあさんを中心としてです。このことは、原理として知っているのですが、決定は先生がすることです。 それで、「こうこう、こういうことだから」と先生に言われて、「分かりました」と手を挙げて誓った後であっても、その次の日には、「先生、そういうふうに決めても、自分にはどうにもなりません」と言ってきて、また元に返ってしまうのです。それを何回も繰り返すのです。何回もなだめて帰すのです。それを追い出してしまったら大変なことになるのです。死んでしまうのです。 「私は、統一教会の文先生のために死んだ」と、噂されると大変なことになるのです。誰にも言うことはできないのです。こんな話のできる者は誰もいないのです。先生以外にはいないのです。だから、それをなだめながら自分の姉さんみたいに、自分のお母さんみたいに慰めながら、なだめていくのです。そういうふうにして、八十代から七十代、七十代から六十代、五十代、四十代と大変です。三十代、四十代の女は、みんなあの当時の印象があるので大変です。 本当に気持ちがよくないのです。女は嫉妬するのです。「女がいい」と言う男は、ちょっと変わっているのです。本当です。みんな命を懸けて、先生を飲み込もうとするのです。それをずーっと四十代、三十代、二十代まで来るのです。ティーンエイジャー前後まで縮小して、まとめないといけないのです。 そういうふうにして、お母様を選抜して、お母様に伝授してあげないといけないのです。しかし、肉的に霊的に伝授された内容は伝わっても実体としては、その女性のために、おばあさんとお母さんと孫娘三代が、みんな乗っ取られてしまったと思うのです。それをなだめるために、三年半はお母様を迎えて一緒に暮らすことをしなかったのです。三年半は、お母様を他の所に置いて、電話で連絡しながらやってきたのです。 ですから、お母様のお母さん(洪順愛大母様)が霊界から詳細に教えられて、先生が何をするかという一日のプログラムを、霊界で見せられるのです。それをお母様に報告するのです。お母さんが教えることは間違いないのです。そういうふうにして、お母様のお母さんが正門で自分の娘に文を手渡したら、みんなおばあさんたちがにらみつけるのです。「うー、悪いおばあさんだ あの女が先生を誘惑して、自分の娘を奥さんにしてしまった」と思うのです。間違いなく、そう信じているのです。そういう環境を三年半通過しながら、それでどういうことが起きるかというと、青少年たちが、中高等学生たちが、そのことが分かると反対するようになるのです。 それは、娘や孫娘のような者たちなのです。周辺の若者たちが、若い女の子たちがみんな励まして、逆のほうに影響を及ぼすのです。「何だ 若いお母様をお迎えしたのに、共にいられないようにしたのは、あなたたちが悪いからだ」と。そういう噂をされて、それをずーっと、孫娘を通じてなだめさせることに三年半かかりました。もし、そういう環境を無視して一緒に暮らしたとすれば、薬を飲ませて殺されてしまうのです。それは気違いみたいなものです。だから女は恐ろしいのです。自分の知らない霊的現象で、先祖がそうするのです。「薬を入れよ」と言えば、薬を入れるのです。それはどれぐらい真剣になるかというと、目玉が一方向しか見えないのです。 それで、いつも先生がどこに行っているかと目を見開いて見ているのです。距離が問題ではないのです。先生が何をしているか、ちゃーんと知っているのです。みんながそうです。だから市内に出かけた場合には、「先生が出かけられた。早く行け」と、みんながいっぺんに、二、三人が集まってくるのです。まるで嘘みたいな話です。聖書でもいろいろ啓示なんか書いてあるけれど、それは何でもないことです。いろいろな奇跡があるのですが、そういうことは、先生は言わないのです。言ったって誰も信じる者はいないのです。これはもう嘘みたいな話なのです。そういうふうにして、もう大変です。 そういう人々の中で、今も一人で結婚しないでいる女性もいるのです。「祝福を受けるように」と言っても、祝福を受けないのです。「自分は先生を慕った者です。誰と結婚するのですか」と言って、大変なことです。もし、先生がキスでも握手でもやってあげたら大変なことです。これはもう間違いなく「関係した」と言う人が出てくるのです。そういう女の乱れ切った環境を泳いで、よくも女に引っかからないでここまで来たものです。 それで、女はどれぐらい真剣になるかというと、食べることも寝ることも忘れるのです。だから他の女とつき合ったとなると大変です。すぐに分かるのです。聖別生活を二十年続けて、祝福されないで亡くなった食口もいるのです。君たちは、このごろでは一週間だけ講義を聞いて、祝福を受けられる恵沢時代が来たのですが、みんな先輩が蕩減し犠牲になった基台の上にあるのです。簡単に、そういうふうになったのではありません。分かりましたか? (はい)。 それで女たちがどうなるかというと、先生を慕う時には、何も考えないのです。何も考えないのです。今から十年前までは、お母様の部屋に来て「この部屋は自分がいるべきであって、あなたがいるべきではない。部屋を出なさい」と、喧嘩みたいに騒ぐ女もいたのです。間違いなく啓示を受けたのに、そうならなかったのだから、考えても考えても不思議なのです。それで、みんな乗っ取ろうとするのです。だから、もし先生がキスでもしてやったら大変です。手で握手でもしてやったら、それを条件としてどんなことでも引っかけてくるのです。 ですからお母さんは、お母様がお母様として立つまでには、相当の心的な苦労があったということを知らなければなりません。みんなそういう女ですから、お母様が死ぬように内緒で考えているのです。それで、「死んだら自分の娘が入る」と言うのです。いろいろと噂をするのです。「先生は結婚を間違った」とか、「今のお母様はお母様ではない」とか、「蘇生、長成、完成で、三人いる」とか、いろいろ噂するその中で、先生を巻き込んでしまおうとするのです。ですから、原理を知らなければ大変なことになるのです。 統一教会という存在もなくなってしまうのです。正しく原理を知っているから、そういうことをコントロールしてきたのであって、たくさんの霊的な競争を通過して勝利基盤に立って、こういう無理のない立場で無事に通行できる基盤をつくったということを、君たちは知らないのです。でなければ、こういう集会などできないのです。そういう女自体が反対するのです。 四大心情圏の蕩減復帰 女は自分が悪くても、「先生が悪い」と言うのです。「いやー、先生が悪い。先生のせいだ」と言うのだから、みんな先生が悪いように思うのです。何か関係があるように言うのです。それを、いちいち弁解する必要はないのです。それで、いろいろな絡み合いの噂が流れて、それに巻き込まれていろいろなことが起こるようになったのです。そういうふうにして、一般の女たちも、先生を慕って教会に行かざるを得なくなったのです。 市場に行こうとして買い物籠を持って出た者が、自分でも知らないうちに教会へ向かって歩いているのです。だから、自分の精神ではないのです。そうなると、先生を見ないと一日中が大変なのです。一日に一回は必ず教会に来て先生に挨拶しないと、御飯も食べられないし、自分が霊的に責められるのです。しかし自分の環境の中で、旦那さんとか子供たちは、それが理解できないのです。 「統一教会に行くな」と言っても行くのだから、いろいろなことが起こるのです。女の髪を刈ってしまって、パンツだけをはかせて柱にロープで縛っておいても、霊界が「こうやれ、こうやれ」と言って、ロープを解いて出てくるのですが、パンツしかはいていないのです。誰かに見つかると大変です。もう「捕まる」と言って、町を走ってくるのです。それは夜だから、(当時の韓国は夜間外出禁止で交通止め)四時ごろの冬の夜の真っ暗い中を一人で走ってくるのです。 そのようにして、先生の所にみんなやって来るのだから問題になるのです。垣根をよじ登って越えてくるのですが、女は尻が重いので、手がすべって落ちた場合には、周りの犬が、「ワン、ワン、ワン」と吠えるのです。それで表に出てみると、裸の女が転がっているのです。それを考えてみなさい。そういう噂が一人だけではないのです。ですから、周辺では「あの文先生によって、みんなが気違いになった」と言って、いろいろな噂がたったのです。 ですから、みんな「文先生が悪い」と言うのです。そういうふうにして、女たちによってたくさん被害を被ったのが、ここに立っている文先生なのです。「この女たち」。アメリカでも女を見たら、そういうふうにするのです。 なぜ、そういうふうになるかというと、それは仕方がないのです。蕩減復帰をしなければならないからです。蕩減復帰です。堕落した時に、エバが四大心情圏を一人の男のために、みんな破ってしまったのです。それを復帰するには、この世の中で、そういう心情圏をいっぺんで体恤できるような男を迎えないと、越える道がないのです。父母として、お母様の立つ道が生まれてきません。ですから、そういう四大心情圏をいっぺんに体恤させるためなのです。分かりますか? (はい)。 ですから、先生を見た場合には、息子の王様であり、それから兄さんの王様、旦那さんの王様なのです。そして、お父さんの王様です。四大心情圏は、子女と兄弟と夫婦と父母です。(先生は)四大心情圏を勝利した結実体の中心なのです。だから女としては、先生が自分の旦那さんそっくりなのです。 自分の心では思わないのですが、抱擁してあげるのです。そういう心情を、子供の心情から、兄弟の心情から、父母の心情から、お母さんの心情を通過した条件を立てさせないと、それが収まらないのです。蕩減復帰ですから仕方がないのです。蕩減復帰というのは、そういう同じ状況をもって、サタンのほうへ越えて地獄へ行ったのだから、同じ立場を越えて転覆するのです。一八〇度違うのです。だから、そういう心情圏に立った女が、それを反対の方向に行くのは大変なことです。それで、たくさんの霊的な女たちが落ちていったのです。「自分は、こういうふうに霊界と直接関係をもって、先生を見つけてきたのに、先生は無慈悲であった」と言ってです。 ある程度までは、霊的にみんなコントロールされていくのです。こういうふうに妹として、それから姉として、相対関係でもって、約婚段階で堕落したのだから、そこまでずーっと霊的に教えてくれるのです。 それで、いろんな所を歩きながら、花の首飾りをかけてやったり、結婚式の準備まで、みんな霊的にコントロールされるのです。だから一〇〇パーセント自分の旦那さんだと思うのです。みんなが、そうなのです。ですから、今までの自分の旦那さんや父母は見たくもなくなるのです。統一教会の原理は、否定することができないのです。堕落したということは、否定することができないのです。 四大心情圏の体恤を通過して反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌ではないのです。みんな先生と双子の兄さんみたいになっているのです。それから自分の旦那さんみたいなのです。だから、お母様は姉さんであり、君たちは妹なのです。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し勝利した代表として立っているのだから、そのお母様の分身にならなければ復帰ができません。 それで「一体になりなさい」と言うのです。そういう内容が背後で絡んでいるということは話さなくても、そういう意味において一つになるのです。だから先生を、そっくりそのように思うのです。女たちは自分の相対として、先生のような男を夫にできればいいと思うのです。だから女たる者は、先生に惹かれない者がいないというのです。本当ですか? 先生が殴っても皆さんは痛くないのですか? これは、牧師が一般の教会でやったら大変です。いくらそうやっても、心の柵に先生がいじめたという思いが残らないように、水が流れていくように流れていくのです。流れても大きくなっていくのだから大変です。日本全国に台風が吹くのです。春の台風を先生が起こすのです。春風を起こしているのです。そうなると、一度でも先生に会うと、先生のことを忘れられなくなるのです。 春風が吹くのです。「ずーっと先生の所にいたい」と。本当は、先生の所に来て話を聞くよりも、子供のように先生と遊ぶことのほうが印象に残るというのです。そういうような原理原則を中心とした蕩減の道があるから、そういうふうにならざるを得ないのです。だから、たくさんの女たちが先生のために涙を流してきました。あなたたちは、そういう時代に先生に会っていないから幸福なのです。 みんな初めて会ったのですね? 半分以上が初めて二日ばかり前に会ったのですね? だから、それは一般には分からないのです。霊的に、みんな先生が教えるようになっているのです。一〇〇パーセント教えるようになっているのです。だから、このような組織や団体は世の中にはないというのです。とても一般の人々には理解できません。統一教会は、いくら研究しても分からないのです。 お母様の基盤をつくるための苦労 四大心情圏の内容が分かりましたか? (はい)。こういう現象の根本的転換をなさないと、韓国に帰れないのです。そういう深い内容を一般の人は知らないのです。先生が誰かというと、皆さんが神様の娘だったら先生は神様の息子です。双子の息子であり、兄さんなのです。旦那さんの中の旦那さんです。もっと高い次元において、自分の心霊的な相対関係であり、話より事実が先に立つのだから、先生について来ざるを得ないのです。おばさん、分かりますか? (はい)。こういうことは初めて聞く話ですね。 ですから、復帰の道がいかに難しいか、先生はよく知っているのです。普通の人では行けないのです。四十年以上の信仰歴がないと行けないのです。そのような一家に、そういう現象が起きてくるのです。神様は公平です。先生はそれを無視することができないのです。 先生は、若い時には美男子でした。本当にみんなが、「美男子だ」と言ったのです。先生は、そうは思わないのですが二十代、二十五、六歳はもう、若い先生に対して八十代のおばあさんが、行く先々で足を抱えて離さないのです。まるで子供みたいにです。先生は女のために十字架にかかったのです。一生涯、女のために先生は苦労したのです。今はお母様がいるので、誰もそういう心配はないのです。それで統一教会は、男女問題が徹底していることで世界中に知られているのです。アメリカに行っても、「統一教会は、模範的に男女関係が徹底している」と噂になっているのです。 お母様の基盤をつくるために、女の世界の悪辣なすべての過程を通過したのです。蕩減として仕方がないことです。反対現象として、逆にいくのだから、お母様を殺したかった女がたくさんいたのです。だから先生は謎の男なのです。 アメリカへ行ってもそうです。アメリカの女たちも先生を慕ってくるのです。アメリカの女は露骨です。好きになったら「アイ・ラヴ・ユー」と、走ってくるのです。だから、一メートル以内に入らないように命令しているのです。それは、蕩減の原則で仕方がないのです。そういうことは、誰も知らないのです。 そういうふうにして、お母様は女世界の過程を通過しながら訓練されてきたのです。だから先生は一〇〇パーセント信じています。共にプログラムを越えてきたのです。それがいかに難しい路程であったかしれません。だから君たちを妹みたいに思い、立派な奥さんに育て、立派な旦那さんと組んであげようという思いがあるのです。分かりましたか? (はい)。 ですから、女たちは先生に感謝する者がたくさんいるのです。先生はそんなに近い男なのです。兄さんであり、旦那さんよりももっと近い、お母さんよりももっと近いのです。そうでなければ嘘です。サタンの血統を受け継いだその基準から抜け出すには、先生に帰る心情がなくては抜け出すことができません。父母が反対し、旦那さんが反対し、三代が反対するのですが、何の未練もないことです。それが、皆さんたちの救われる最も近道なのです。それを乗り越える力をどこかで得なければなりません。分かりましたか? (はい)。 そこから違った国、違った世界に分かれていくのです。だから、全世界の男たちは、みんな先生を怨讐だと思うのです。「自分の娘を乗っ取っていった、自分の奥さんを乗っ取っていった、自分のお母さんを全部悪くしてしまった」と思うのです。夜考えても、昼考えても、「自分の娘と、自分の奥さんと、自分のお母さんと、三代をめちゃくちゃにした」と思うのです。三代の女が引っかかるのです。 第一代のアダムを殺したのはエバです。第二代のイエス様を殺したのもエバです。第三代の再臨主まで、四十年間苦労させたのもエバです。そのように三代の男を殺したのです。そういう女を、愛でもって本妻として迎えなければならないのが再臨の主なのです。だから蘇生、長成、完成の三代を通過してきたのです。それで、みんなが先生を利用しようとするのです。みんなが何とか先生を幽閉してもいいから、自分の孫娘と一緒にしようと大変です。しかし、そのような戦略に先生は巻き込まれないのです。それは原理を知っているからです。そういう困難な戦場を通過して、原理の内容を勝利した先生なのです。ですから先生をつかんで、先生の指導どおりに生きれば間違いなく、目的地に到達することができるのです。 あなたたちも、先生をそういうふうに思いながら、真剣に先生の代わりを果たしたならば、霊界が同じように活動してくれます。だから、それが恐ろしいのです。「お父様の言うことは間違いない」と信じてやった場合には、何でもできます。病気した者をかわいそうだと思って、涙ながらに祈祷した場合には、すぐに治ります。そのように先生が祈祷して治した場合には、イエス様の奇跡のようなことはたくさん起きるのですが、そういうことをするのは良くないのです。蕩減条件に引っかかるのです。 病気になったことは、先祖の悪い条件に引っかかっているのです。それをみんな治してやった場合には、治してやった誰かが、その何十分の一でも蕩減をしないといけないのです。それをしないので、イエス様も殺されたのです。奇跡を起こさなかったならば、十字架はなかったのです。病気をしても、自分が責任を持つことによって、すぐに病気も引っ越していくのです。先祖の病気は、蕩減しなければならないことです。 ですから教会内で病気をした場合には、誰かが教会内で犠牲になって、病気が治るのです。分かりますか? (はい)。十人ぐらいの人々の病気を治した場合には、十人以上の善なる人が犠牲になるのです。それで、統一教会のハイクラスのメンバーたちが、そういう条件でたくさん霊界に行ったのです。だから先生は、病人に対して祈祷などしないように言っているのです。 このようにして、先生が涙を流して痛哭しながら、激烈な話をした場合には、病気がたくさん治るのですが、今はそんなことをしたくないのです。今は涙で感動する時代は過ぎ去りました。真理でもってやるのです。先生と君たちとの因縁が、そんなにも近いということが分かりましたか? (はい)。あなたたちの心も、そう近く感じますか? (はい)。本当ですか? (はい)。霊界の心情圏がそうなのです。みんな神様を中心としていく所に、心情がみんなつながるようになっているのです。接ぎ木は、一人では大変です。そのような真剣な顔で見なくてもいいのです。「現地の整備」が何か分かりましたか? (はい)。戦略戦術を組みなさい。男の性格をよく知ることです。分かりましたか? (はい)。<その2に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.20
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「四大心情圏と三大王権」1993年12月21日韓国・済州研修院 四大心情圏についての公式的な骨子 四大心情圏について話しましたか? (まだです)。チョークは? (先生が題目を板書される)。これは、何と読みますか? (四大心情圏と三大王権)。何の意味ですか? 周藤君。(はい)。四大心情圏について、ちょっと話してください。公式的な、骨子だけです。(はい)。よく聞きなさいよ。 (それでは、「四大心情圏」について、簡単に骨子だけをお話し申しあげます。四大心情圏は、元々神様が創造の理想として持たれた構想理想をいかにして実体化するかという、その基本的な神様の計画であります。そして神様ご自身も、自分の中にいかなるものを持っていらっしゃったとしても、環境という相対圏を持って、その授受作用によらなければ喜びがありません。だから、その爆発的な喜びを経験するためには、どうしても、神様ご自身の性相と形状を実体化しなければならないという基本的な原理があるのです。 したがって神様は、その中心として人間を創造されました。そして、神様の元々の構想理想では、アダムとエバを、神様の中において双子の兄さんと妹として構想され、それが具体的に誕生して、アダムとエバがこの地上に実体の、子女として展開しました。そして、それがさらに、環境と授受作用して成長して、アダムとエバそれぞれに、基本的に四つの愛、すなわち第一心情としての子女の愛、第二心情としての兄弟姉妹の愛、第三心情としての夫婦の愛、第四心情としての父母の愛という、この四つの心情を完成することを通じまして、それを一点において一挙に完成させて、神様もそこに同時に参加して、爆発的な喜びを体恤するという構想理想を神様は持たれました。 そしてそのために、まず子女の愛が成長し、そして兄弟姉妹の愛、さらに夫婦の愛となってきますが、その子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛は離れたものではなく、それぞれ一直線上に連続的に存在するものであります。そして子女の愛の基盤の上に、兄弟姉妹の愛が成長し、兄弟姉妹の愛の基盤の上に夫婦の愛、最後に父母の愛という四つの心情圏が、アダムとエバが初めて夫として妻として一体化する初愛の瞬間に、一挙に完成するようになっていたのです。そのようなアダムとエバの結婚によって、子女の愛が完成し、兄弟姉妹の愛が完成し、夫婦の愛が完成して、さらに父母の愛が出発できる条件が成立するのです。その一点にまた、同時に神様ご自身も降りてこられて、神様も共に同じ経験をするというのです。 そして、このアダムとエバの結婚の時には、実に全世界のプラス・マイナス、陽性実体・陰性実体が一体となるその瞬間であり、天使界も共に賛美する瞬間であり、そしてさらに、神様ご自身もそれに参加するのです。そのような意味において、神様の性相と形状がその時、同時に一つになるのです。 しかし、神様の性相と形状が一つになることが内的に優先し、それが原因であり、その結果として、人間のアダムとエバが一体化するというのです。そういう意味において、神様がいつも優先し、先行しますけれども結局、アダムとエバの結婚のその時は、実に神様ご自身の結婚式でもあるのです。そして、その結婚によって、アダムとエバ両者は相互完成して、神様の愛を占領し、同時に神様もそこで完成するという素晴らしい理想なのです。その中心点がすなわち、四大心情の定着点であり、その一点が正に神様の住みたもう場所であり、それが至聖所であり、また同時に三宮すなわち、真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮であるというのです。そこに永遠なる愛というものがあり、神様と人間が縦的横的な愛において完全に一体化して、永遠の基準となり、そこから具体的に神の永遠なる家庭、永遠なる氏族、民族、国家、世界、天宙、地上天国、天上天国が出発するという理想の一点となるのです。 ですから、その愛の一点こそが重要なのです。しかし、堕落によって、そこにサタンが侵入したというのです。ですから、その至聖所を本当に守らなければならないのが私たちの立場であります。そしてそこから生まれる新しい生命は、神様がアダムとエバを創造した時に投入した基準を経験し、さらにまた神様が人間を愛する愛の基準を、自分の子供たちをすべて無私の愛で愛することによって体恤して、神様と同等の実体となっていくのです。そのようにして結局、人間は見えない神の実体として、第二の神として、第二の創造主としての立場に立つことができるのです。 こうして神の構想理想が四大心情の定着点において完成するというのです。正にこれは天地創造の秘密であり、そして最高の中心点がその一点であり、それによってこの四つの心情圏が完成するのです。しかし堕落によって、それを失ってしまったのです。ですから、それは真のアダムによらずしてはできず、特に女性は真のアダムを通じて今、初めてそれを復帰できるのです。すなわち、お父様によらなければ、この四大心情の復帰の道がないということです。その素晴らしい恵みを私たちは今、この場所でもって受けているのです。どうも、ありがとうございました)。(以上で周藤先生の説明が終わる) 四大心情圏は、神様の心情圏を完成するための標本(先生が黒板に図―1を書かれる)四大心情圏は、(人間始祖が)堕落した以降の問題ではなく、堕落以前の神様の心情圏を完成するための標本です。テキストです。「万民は、こういうような公式的基準によって天国に入る」という、その標準的な公式です。そういうようなことです。神様は無形実体なのです。形は見えないのだけれど、実体を持っているのです。無形実体の神様は、性相と形状をもっており、愛を中心として一つになっていたのです。 いくら愛を中心として、その体内で一つになったとしても、心臓の中で鼓動がたくさん動いていても、感じないのと同じです。一つになった場合には、相対的に感じることが難しいので結局、相対的な存在をつくることによって、衝撃を受けるのです。すごく爆発的衝撃を受けるのです。だから、相対と向かい合うことによって、作用が始まり、それがどんどんどんどん深くなって、愛という力が生まれるのです。 それでアダムとエバは、結局、神様の見えない姿そのものを全体的に表示して、実体化しようとするのが創造の目的なのです。実体化したその目的は何かというと、愛の相対のために、愛を完成するためです。その内的な愛が、外的な相対を中心として一つになることによって、衝撃を受け、衝撃を受けることによって、それは高い喜びを感じるのです。 結局、神様の見えない実体がアダムとエバによって展開されるのです。そうすると、神様の無形実体内で、神様自体も一遍に大きくなったのではないのです。だんだんだんだんと大きくなってきたというのです。一遍に大きくなったということになれば、それは大変なことになるのです。すべてのものは、小さいものからだんだんと大きくなるのです。 だから、神様自体がずーっと成長してきた内容を中心に、それをさらに展開しようとするのです。それは子女として、子女の形で、子女の心情、それから兄弟(姉妹)の心情、夫婦の心情、父母の心情という四大心情を中心として展開するのです。神様自体がそういう過程を通過してきたのだから、それを表面的に実体として展開していくのです。それは子女の立場で始まるのです。子女がどんどん大きくなって兄弟(姉妹)になり、兄弟(姉妹)が大きくなって夫婦になり、夫婦関係でもってある期間を通過しながら、父母になるのです。その内容のすべては、神様がずーっと成長してこられた内容を実体的に表示したものであり、だから神様自体が、どのようにして大きくなってきたかということを、アダムとエバを通して実体的に体恤するのです。 君たちも奥さんになってみて、夫婦生活して、子供を生んでみるというと、その生まれた子供は男であり女であったとしても、自分たちの過去の姿であり、大きくなったお父さんお母さんの第二の表示体として体恤するのです。子供たちを見ることによって、自分の妻が過去にあのようにして大きくなってきたということを知るのです。娘はむしろお父さんに似ているのです。しかし主にお母さんを中心として、再びそれに似せて合わせて見ることができるのです。 男の子は自分の夫の過去を思い出させるのです。大概、男の子の性格はお父さんに似るし、女の子はお母さんに似るのだから、その子供たちを通して、自分たちの過去を再び展開して感じることによって、自分という実体をはっきり分かるとともに、子女を中心として、その愛の刺激によって、どんどんどんどんと自分の内的覚醒、外的覚醒がなされていくのです。 子供を育てていくことによって、いろいろと内面的な喜びが拡大していくというのです。そのようにして、人は子供を生んで、それが兄弟(姉妹)となり、家庭においては、兄さんと妹になるのです。兄さんと妹として育って、ここから別れてくるのです。 第一に子女の愛 神様と子女は二重になっているのです。男と女、二重に展開して別れてくるのです。男は男なりに、女は女なりに完成に向かって、別れた立場で成長していかなければならないのです。女は西のほう、男は東のほうにやって来るのです。(先生が図―1を示して説明される)ここが二重に、神様を中心としてずーっと降りてくるのです。子供を生んで、その子供が大きくなることによって、いつも父母を中心として関係を持つようになるのです。子供は父母によらなければ習うところがないのです。父母を中心として大きくなるのです。お父さんお母さんを中心として、子供たちはすべてを習うのです。だから、大きくなるためには、いつも父母を中心とした関係で成長していくのです。これが幼稚園時代、小学校時代、中高等学校、大学時代と成長していくのです。 神様の見えない無形実体の中には、第一に子女の愛があったのです。(先生が黒板に図―2を書かれながら説明される)その子女の愛がどんどんどんどん大きくなって、プラスして兄弟(姉妹)愛となり、さらに大きくなってプラスして夫婦愛となり、これがまた大きくなってプラスして父母愛というように発展してきます。子女の愛よりも兄弟の愛が大きくなっているのですが、どういうふうにして大きくなったのかというと、アダムとエバが兄妹愛を考えるとすれば、エバはお母さんが愛するアダムとして、まず、お母さんを中心として考えるのです。お母さんが愛する兄さんにプラス、自分(の愛)となるのです。エバはお兄さんを思う時、直接に思うのではなく、まずお母さんがどういうふうに兄さんを愛するかということを中心として、エバ自体も、それに伴って愛するのです。こういうように、二重になるのです。 アダムも、お母さんがエバを愛する愛に、自分の愛を加えるのです。こういう関係です。だから兄弟愛は大きくなっていくのです。このようにしてだんだん大きくなって上がっていくのです。兄弟愛の次に、夫婦愛とは何かというと、父母を中心として、自分たちはそれまで兄妹同士としてやってきたのですが、ずっと父母が上がっていくというと、こちらは霊的には下がってくるのです。良心的にはこれで四段階です。これは相対的になっているのです。これはずっと上がっていくというと、これはずっと下がってくるのです。こういう関係です。 結局、これを見れば、ここで初めて霊界と二重になるのです。(先生が図―2の縦の二重の点線と線、横の二重の点線と線を示しながら説明される) これが子女の愛、兄弟愛、夫婦愛ですと。この夫婦愛になるというと、ここを中心として神様が二性性相として一つになって、自分たちを育てたと同じように、父母の立場にある父母の内的性相と形状が実体として成就していくのです。そうなるというと、こちらがこう近づくとともに、こちらもどんどんどんどんと近づくのです。最初には子女の愛、それから兄弟愛、夫婦愛というように、だんだん近づいていって最後にはどうなるかというと、実体的にこれもこうなって、それらがどんどん近づいて、これがみんなこのように合うのです(先生が図―2の中央のに向けて矢印を、上下左右から書き込まれる)。これも下がって、こういうふうになるのです。有形実体がだんだんだんだん上がってくることによって、無形実体もだんだんだんだん下がってきて、上下が一つとなるのです。結局、神様は見えないのだけども、こういうような形で実体を中心として、実体がここで上がってきた場合には、無形実体と合うように近づくというと、アダムとエバも実体的に、こういうふうにして四つが、良心的、これは肉心的に、こういうふうにして、ここを中心として一つになるのです。 だから、ここにおいて二重になるのです。これも(上)ここ(下)も二重になって、ここで全部が一つになるのです。分かりましたか? 神様を中心としてずーっと人間(子女)を成長させて、ここまでを連れてきて、神様の見えない実体がこのように上がっていって、ここまで戻るというと、アダムは実体として、ここにいて相対的になるのです。ここ(全体)は二重ではないのです。ここが二重になっているのです。どこで二重になるかというと、これがどんどん近づくことによって、(有形)実体がここに上がることによって、この見えない(無形)実体は下がっていって、全部が同じように相対的になるのです。こっちから実体のアダムとエバがそこまで行くと、神様もずーっと上がって、アダムとエバがこっちに来るというと、神様もこっちのほうに来られて、良心基準をプラスとして、マイナスとして一つになるのです。 これは何かというと、結局、神様の内的な見えない心情圏、四大心情圏なのです。子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏が一体どこで完成するかというと、四つが別個に完成するのではなくて、これらを一つにまとめなければならないのです。では、どこでこれを決着させて一つにするかというと、結局、子供の完成を通して、子供の完成は兄弟の完成であり、兄弟の完成は夫婦の完成であり、夫婦の完成は父母の完成となるのです。その完成の終着点、決着点は一体どこかというと、子供を生んで育てる目的も、兄弟を成長させる目的も、夫婦の関係をもって一つになる目的も、みんなそれが別個になっているのではないのです。それを一つにまとめないといけないのです。そこが一体どこかというと、アダムとエバが、結婚するその初夜の愛の関係を結ぶことによってすべてが完成するのです。分かりましたか? 子女愛、兄弟(姉妹)愛、夫婦愛、父母愛 神様が無形実体として、アダムとエバを教育しながらずーと引っ張り上げてきて、ここまで(図―2のを参照)上がるというと、アダムが実体になって、これがこうなって相対になるのです。これが二重になっていくのです。これが二重です。これは霊的な心、内的な体と同じです。心身一体です。どこで一体になるかというと、ここです。(図―2のを示されて)それで神様はずーっと上がっていって、神様に似た実体として、これは下がってくるのです。こういうようにして、実体の相対になるのです。これ( の左側)は心と同じで、これ( の右側)は体と同じです。ここで初めて二重になるのです。有形実体と無形実体、良心の立場と肉体の立場とが一つになるのです。 それで夫婦の愛というものは、今までの兄弟愛にプラスさせるのです。お父さんお母さんと同じ愛ではないのです。(先生が黒板に図―3を書いて説明される)夫婦愛は兄弟愛よりも大きいのです。それから夫婦の愛よりも父母の愛が大きいのです。これは神様と一つになっているからです。神様と人間が一つとなって子供をプラスさせるのです。夫婦愛に子供が入るのです。子供をプラスさせて、父母の愛になるのです。これは子女の愛に、父母を中心として二重になるのだから、兄弟の愛は子女の愛よりも大きいのです。兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。夫婦が一体になるのだから一つになるのだから、兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。それから父母の愛は、その夫婦の愛に子供がプラスされるのだから大きいのです。 このように、だんだん大きくなっていくのです。そのすべてがどこで結実するかというと、結婚の初夜の夫婦関係においてです。愛を中心として夫婦が一体になることによって、神様が内的に要望した子供の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が完全にその一点で結ばれるのです。分かりますか? (はい)。 夫婦というものは、夫婦二人きりではないのです。このように見た場合には、この連結体です。夫婦というものを考えて見た場合には、自分が神様の娘であるし、また、夫は神様の息子であるというのです。それはまた、神様の子女であるけれども、自分の兄さんであり、自分の妹であり、それが大きくなって夫婦になるのです。ですから、夫婦の愛というのは、兄弟愛とは違うのです。直接、男、女が一つになるのです。男が完成するし、女も完成するのです。兄弟愛は、男完成と女完成にはなっていません。分かりますか? それは、夫婦愛によって、半分半分の男と女が完成するのです。 兄弟愛では、男、女が一つになることはないのです。だから、愛から見た場合に兄弟愛よりも、夫婦愛が大きいのです。分かりますか? いくら夫婦愛といっても、その夫婦愛には、子供は絡んでいません。夫婦愛の中に子供がプラスされ、子女愛というものが加わるのです。だから夫婦愛よりも大きいというのです。そのような概念を入れなければならないのです。子女の愛の場合には、父母と関係を持っていないのです。だから、それが一番小さいのです。父母を中心としてアダムがエバを考える時、父母が愛するエバに自分の愛をプラスさせるのです。だから大きくなるのです。 それでエバもアダムを考える時、お父さんとお母さんが愛するアダムの基準の上に、自分の愛をプラスさせるのです。だから子女の愛より大きいというのです。夫婦の愛は兄弟愛よりも、半分半分の男女の完成を結ぶ愛なので、これは、さらに大きな愛です。だから、それは兄弟愛よりも大きいのです。兄弟愛では、男、女の完成はなされません。分かりましたか? (はい)。父母の愛には、子供が入るのです。だから夫婦愛よりも大きいのです。そこには縦的、横的関係が結ばれているのです。 そして子供を生むということは、神様が創造した時のすべてを体恤するためであり、子供を生むことによって、神様が四大心情圏を体恤したと同じように、子供を生んで育てて、それが結婚まで、二世の完成圏までいくことによって、アダムとエバの時と同じように、子女の関係、兄弟の関係、夫婦の関係、父母の関係を再び完成させなければならないのです。だから、こういうように循環運動をするのです。アダムとエバも、結局子供を生んで、神様が創造した内的心情圏のすべてを体恤するというのです。アダムとエバがそういう心情圏、四大心情を体恤することによって、神様のすべてが完成されるのです。 そういうような無形実体の神様が、それを中心として性相・形状が長い間、愛でもって一つになっていった時に、それは人間をつくり出したと同じように、夫婦生活を中心として一つになった上に、無形性相の神様の中にある形状・性相が愛でもって一つになって人間を創造したと同じように、夫婦関係は無形実体の神様の性相・形状が愛でもって一つになっていると同じ立場です。その中から時間を経て万物を創造したと同じように、夫婦関係を持つ期間の上で、時間性を経て子供が生まれてくるのです。 子供が生まれてくれば、実体のアダムとエバは、無形実体の(神様の)性相がアダムであり、その形状がエバなのです。それが一つになったとすれば、それは(神様が)アダムをつくったと同じように、実体のアダムとエバが愛でもって一つになって再び子供を生むようになるのは、神様がアダムとエバをつくったと同じことを繰り返すことになるのです。分かりましたか? だから、神様がアダムとエバをつくる時の喜びを、実体の相対なるアダムとエバも同じように、実体的に子供を生んで体恤するのです。子供を生むということは、神様が創造して喜んだすべてのことを人間に伝授して、体恤させるように授けたことなのです。 人間は神様の第二の相対圏 子供を生むことによって、女も男もみな非常に立体的な思いをするのです。新しい世界が自分たち二人の中から生まれてくるのです。お母さんとして、子供を身ごもった場合には、もう大変です。立体的な構想、思い、考えが広く高くなるのです。結局、見えない神様のすべてを見えるものにして、全体に展開していって、その相対位置に立てたのは何のためかというと、愛の完成のためです。愛を中心として、神様と相対共に同じ刺激的な喜びを体恤させるために創造したのです。分かりますか? (はい)。神様と共にです。この話は、神様ばかりではないのです。相対的だから、主体と客体が一つになるのです。愛によって一つになった場合には、主体だけが喜ぶのではなく、客体も喜ぶのです。だから神様は主体であって、人間は客体であって、それが愛の相対の立場に立って愛する時には、神様と同じような喜びを持つのです。分かりましたか? (はい)。それを体恤させるために人間をつくったのです。ありがたいことです。 だから人間は結局、神様の相対者としてつくられたのです。神様はなぜそれを必要とするかというと、前にも言ったように、内的一体圏の愛では刺激を受けないのです。あなたたちも心臓の鼓動をいつも聞くことができないと同じように、外的に一体となれば動きも感動も、外的にそれは体験できないから、刺激的な喜びを拡大させるために、相対的に展開せざるを得なかったというのです。分かりましたか? (はい)。 結局、夫婦というものは、存在のすべて、過去、現在、未来を完成させるその中心点にあるということです。アダムとエバの完成は神様の完成であるとともに、子女の完成なのです。子女を生んで、また完成体を成すのです。無形実体の神様の中間のアダムとエバを中心として、その子供を中心として、過去、現在、未来の三代圏をつなぐのが夫婦の愛というのです。その夫婦の愛が失敗した場合には、過去の愛の因縁が失敗するし、現在はもちろん、未来の基準も失敗圏に落ちるというのです。 こうなった場合に、旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。 その双子を展開したのがアダムとエバです。神の無形実体圏で性相と形状の一つになっていたものが分かれて生まれてきたのだから双子と同じなのです。旦那さんが元々、双子であったということを考えたことがありますか? そのことを今からは知らなければなりません。ずーっと昔、双子であったのです。夫婦という因縁は、アダム・エバの双子でもって、こういうふうにアダム・エバから始まったということは、これはもう否定できません。それから、その双子が兄妹になるのです。 神様から見た場合には、それは子女の関係なのです。縦的には神様を中心としての子女関係なのですが、横的に見た場合には、兄妹関係なのです。それが横的に大きくなるために別れていくのです。女の行く道、男の行く道です。女として完成し、男として完成するためには、二人共にいたらいけないのです。別れていくのです。女は女の方向へ、姿を見ても女なりに完成するために勉強し、男は男なりに完成するために勉強するのです。だから、互いに向かう方向が違うのです。男はものすごく外的で、活動的で、それから発展的ですが、女はそうではないのです。内的で、それは活動的ではないし、それは発展的ではないのです。保守的な立場なのです。 そういうふうにして、だんだん大きくなって、別れていくのです。そこは二重ではないのです。二重の関係は父母を中心としてつなぐことによって、二重になるのです。父母を中心として兄妹は一つになるのです。だから、幼稚園時代から小学校時代、学校によってみんな違うのです。それで、だんだん習っていくのです。そして結局、最後は何かというと、万物をすべて見れば、神様がアダム・エバに発展理想を教えるために展開されたものだというのです。万物を見ることによって、神様が創造した内的な性相が実体圏でもって一つになって、それが一つになることによって、どんどんどんどん、神様の成長してきた創造世界を体恤していくのです。神様の代わりに、みんな体恤することによって、神様の相対圏となるのです。 人間は神様の大切な第二の相対です。平面的に相対圏として体恤できるのです。そうすることによって、相対の立場で見れば、みんな雄・雌からなっているのです。アダム・エバも当然、雄・雌が愛するようになれば、その相対的万物も愛するようになるのです。「みんな同じことをやっているなあー」と言ってね。だから、アダム・エバの理想を教えるために、理想的環境でもって、アダムとエバに刺激的な喜びを授けるために、すべてのものがみな、雄・雌で愛するようになっているのです。それを見て、アダムとエバも大きくなっていくのです。小さい時は何も分からないのです。そういう雄・雌の愛とか考えは、成熟することによって、「ああ、すべてを見れば男・女、雄・雌として、愛して子供を生むんだなあー」と、みんな習うのです。あなたたちもそうでしょう? 動物がみんな関係するのを見た場合に、「人間も、ああいうふうにしていくのだなあー」と、そういう好奇心からいろいろ聞いたり、勉強したりして、自分もそうなることをみんな考えるのです。 だから、すべて周囲を見た場合に、アダムとエバも、初めはそう関心はなかったのですが、どんどんどんどんと、周囲の環境から関心を持つように教えられるのです。アダムも考えて、「ああエバも、内緒でもって、自分のあとから文句ばかり言っていたのに、エバというものは、ああいうような雌の立場と同じだなあー」と言うのです。ああいうふうにして関係を持つということをみんな教えられるのです。エバもそうです。「ああいうふうにして、アダムというものは結局、自分の相対になるべきだなあー」と考えるのです。そういうような考えで共に会うというと、昔と違ってくるのです。愛という力でもって、引力でもって、触ってみたり、連れて一緒に行きたいと思うのです。そういうふうに、だんだんだんだんと、一つになるのです。 アダムとエバもキスしたのだろうね。(笑い)それもみんな、アダムとエバから始まるのです。アダムとエバの始めは神様と同じです。神様が良心の立場で、アダムは肉身の立場です。心身一体となって愛するのです。だから結局、実体の体がキスする前に、心が先にキスするというのです。二重になっているのです。 結局、神様が二重の向こうで、アダムとエバが大きくなってだんだん近寄っていくというと、神様は下からずーっと中心に上がっていくのです。この実体が下のほうの相対圏なのだから、良心圏は上のほうに上がって、プラス・マイナスで結婚をすることによって、東西南北、前後左右、全部が一つになるのです。だから向こうから、こっちからアダムからエバ、エバからアダムに向かう時に、この上の良心も二重になるのです。そこから二重に始まるのです。(先生が両手でもって、しぐさされる)分かりますか? (はい)。 神様だに愛には絶対服従する ここまでは二重ではないのです。ここ(二一九ページの図―2 を参照)に来るまでは、二重ではないのです。こちらから、こうなるというと、こうなるし、点が生まれてくるのです。そうすると、神様はここから無形実体で、子供を引っ張って、こっちから成熟して、ここまで(図―2 )来た場合には、良心圏はこういうふうにして、神様はこういうふうにして(図―2の中央を大きなカッコで囲まれる)待つのです。待つ所にアダムとエバがこういうふうにして(図―2 )に来た場合に、初めてドッキングするのです。 心身が一体になるのです。だから、結婚の初夜というものは、神様の子女としての心情圏が完成するというのです。あなたたちも、父母としてそうでしょう? 子供を生んであなたたちも、その子供を育てていって、結婚させないと、完成したとは言えないのです。結婚でもってみんな完成するのです。 だから父母の愛というものは、自分たち、男女二人だけではないのです。一家を代表し、一族を代表するのです。一族の過去、現在、未来の全体が入るのです。結婚して愛で結ばれるということは、神様の娘、神様の息子として完成していくことです。(その愛は)自分が持っているのです。だからそうなるというと、神様が、子供を愛する愛も持っているというのです。分かりますか? (はい)。兄弟愛、女として兄さんを持っているということは、神様が家庭において兄さんを愛する愛を持つように、すべてをつくってあるのです。分かりますか? 夫婦として愛し合うところには、旦那さんを神様が愛するという、つまり旦那さんの愛とともに、神様の愛が加わっているのです 父母の立場で、自分の旦那さんがお父さんになっているとすれば、その中で子供を愛するとともに、自分の夫、旦那さんを愛するのです。二重の愛を自分が持つのです。そして、だんだんだんだん、プラスさせて、愛の圏を所有するようになるのです。そうすることによって、神様の全体の愛の内的、見えない素性を外的に見えるものとして、完全に受けもったのが旦那さんであり、奥さんであるのです。分かりますか? それで、離婚するということは、すべてを破壊させるのです。神様の愛する子供の愛とともに、神様の愛する兄弟愛、兄さんの愛、それから夫の愛とお母さんの愛、夫と子供の愛をみんな一遍に崩壊してしまうのです。大変なことです。それでも離婚ということを考えられますか? そうした場合には、離婚した場合には、エバと離婚したとすれば、男はどこへ行きますか? それは、心が定着する基地が完全になくなるのです。それは、神様の息子としても落第生だし、兄さんとしても落第生だし、夫としても落第生だし、父として落第生です。「夫をそんなに惨めにさせることのできる無情な女ですか」と言うのです。 男もそうです。神様の娘をあんなにぺちゃんこにして、妹をぺちゃんこにして、自分の愛の相対もなくなって大変なことです。子供を持たない時は、みんなぺちゃんこにしてしまっているのです。定着する基準が全然ないのです。さまよって、その姿も、形も、一方向きりで、止まるところがないのです。地にも定着基地がないのです。空に浮かんだ雲みたいに、風が東から吹けば西に行くし、西から吹けば東に行き、東西南北へ、浮いて回るような姿です。どこに定着しますか? だから夫婦の愛というものは、こんなに重大な問題なのです。夫婦の愛を結ぶということは、男女のすべて、子供から、兄弟から、それはもうすべて死ぬまで、幼いころから死ぬまでのすべての関係です。男関係、女関係です。社会の心情関係もすべてが備わっているのです。それが離婚すれば、みんなめちゃくちゃになるのです。結婚している者は手を挙げて 旦那さんに対して、そういうことを考えたことがありますか、ないですか? 愛が絶対になるには、一つしかないのです。二回求めてやることはできません。一回でもっておしまいです。それが絶対になるというのです。絶対自体は最初であり、最後なのです。神様は絶対なるお方だから、神様は有りて有る者であり、初めであり終わりなのです。その神様の愛の相対として定着する瞬間が、夫婦の愛を結ぶその瞬間なのです。男、女が愛の関係を結ぶことです。あなたたちもそうでしょう? 女として、男として、知り合った場合には関係を持つのです。関係を持ちたがるのです。そうでしょう? その門を初めて開くのが、結婚した最初の夫婦関係なのです。そうなれば、旦那さんのすべては女(妻)のものです。体から一切全部が女のためにつくられ、女のために生まれてきたのです。また、女は男のために生まれてきたのです。自分を主張する何ものもありません。 愛を中心としては絶対服従です。いくら喧嘩をするようなことがあったとしても、愛を超えるものはありません。愛を汚す者は宇宙にないというのです。分かりますか? だから夫婦喧嘩で、愛を汚すようなことをしてはいけないというのです。喧嘩をしても、離婚とかそんなことを絶対に考えてはいけないのです。喧嘩は悪いことであり、サタンの行動のつなぎだと思うのですが、それが神様の愛を破ることにはならないのです。いくら血を流してもぶっかけ合っても、別れるということは駄目だというのです。喧嘩というものは、悪いことですが、悪が善の最高の位置にある愛を崩壊させることはできません。どう思いますか? いくら喧嘩をやっても、愛の心でもって平和を保てるのです。だから夫婦共に争うということで、愛の道を破壊することは絶対あり得ないのです。 神様だに、愛には絶対に服従します。現代の神学の観点と、統一教会の先生の話す観点は違うのです。神様は絶対全能なるお方だから、愛を自由自在にすると思っているのです。愛までも屈伏させて、愛をけ飛ばしたり、投げたりすると思っているのですが、そうではありません。絶対なる神様だに、絶対なる愛には絶対服従するというのです。そうでなければ、神様は愛の相対をつくる必要はありません。刺激を受ける実体をつくった以上は、神様自体内で刺激を受けない愛よりも悪い結果になるのです。そうなったら、そんな創造などしなくてもよかったという結論になるのですから、自分がなしたことを後悔するということは、神様は絶対的な立場に立ち続けることはできないという結論になるのです。分かりましたか? (はい)。 神様だに、愛の前には? (絶対服従です)。なぜかというと、愛というものは相対から来るものだからです。神様がいくら主体だといっても、相対がなければ、自分一人では愛を得ることできません。愛は相対から来るものだからです。その愛をもらうには、愛は流れるものだから、もらう所に下がらなければならないのです。分かりますか? 侍らなければならないのです。だから神様だに、絶対なる愛の前にはどうするかというと、愛は相対を通して、刺激として流れるものだから、それをもらうには、その下のほうに立つことによって、愛を受けられるのです。みんなもそうでしょう? 男もみんな、女に対して好きだった場合には絶対に服従します。(笑い)「何を言ってもやります」と言って、もう最敬礼でも、何でもするし、礼拝でもするというのです。それはなぜかというと、高い愛は相対からも来るのだから、それを願うのだったら、低いほどよいのです。だから愛の関係を持つ時は、共に敬礼して、敬った立場で愛さなければならないのです。どうですか、皆さん。 それは敬礼をしなくても、心の中でちゃんと有り難く思いながら、「あなたがいなかったら自分はどうなるのだろう」といつも感謝しながら、つきあわないといけないのです。それを遊び半分にしたり、方便として関係するのではありません。自分の発展のためにするのです。分かりましたか? (はい)。愛の道を高次元に高めるために、そういう関係をするのです。だから関係する時には、日本のために愛するとか、世界のために愛するとかすれば、本当に、その中から日本が生まれてくるのです。世界も、その中から生まれてくるのです。神様の子供も、その中から生まれてくるのです。そうですね? (はい)。 これは大変なことです。そんなに貴重なものを持ったとは思わなかったですね。(笑い)本当です。それで、いつでも座る時には、みんな聖別して座らなければならないのです。王宮、三大王宮の本郷地なのです。それで、みんな座る時には、聖別してちゃんと座るのです。勝手に座ってはいけないというのです。そんなにして生きてきましたか? かわいそうに、手荒に扱ったり、無価値のものとして扱ったので、泣いたでしょうね。それが泣くのだから、心身共に泣くのです。あの部所が喜べば心身共に喜びます。そうですか? 先生の話が合っていますか、どうですか? 合っていますか? 夫婦生活もうまくいかなかった場合には一週間もひびくのです。 そんなに見ないでください。これは元の世界の教育です。堕落した世界ではないのです。この真の夫婦というのは、堕落以前の世界の神様の直轄圏でもって、サタンのいない所でいう話です。夫婦関係というものは偉大なものです。偉大なものです。偉大なものです。それはなぜかというと、それが一つになるというと、宇宙が震動するのです。神様がそれを愛するからです。そんなに価値のある人間であるということを考えてみなさい。そういうような思いを持って生きる人になったら、自動的に周囲から尊敬されるのです。このように、人間の価値が乱れるようなことはないのです。そのような尊いものもみんな失ってしまったのだから、動物扱いをするのです。だから、失ったすべてのものを再び挽回することによって、その尊い価値の生活がもとがえされるのです。分かりましたか? (はい)。 絶対信仰を持つこと それを蕩減復帰というのです。復帰しなければならないのです。その世界に再び帰るには、蕩減しなければならないのです。蕩減は反対です。悪魔が上で押しつけるのだから、反対にこれをずーっと抜き出さなければならないのです。それでサタンはすべてを持っているのです。家庭から氏族、民族、国家の巣を持っているのに、神様は何も持っていないのです。サタンの主管する国家基準を超えないというと、サタンはいつでも殺すことができるのです。 そう見た場合に、神様がこのサタン圏内に入って、働きかけることは難しいのです。だから信仰、絶対的信仰が必要なのです。もしアダムとエバが絶対的信仰を持っていたならば、堕落しなかったのです。この地上において、サタン圏においては、絶対的信仰を持つことによって、アダム・エバを神様が自由に訪問して関係を持つと同じようになったのですが、絶対の信仰を持たなかったために、堕落圏が生まれてきました。分かりますか? だから絶対的信仰を持たないというと、堕落圏内にあるので、神様はその人に対して干渉することができません。もし、それができるとするならば、堕落する前にちゃーんと干渉して、堕落させなかったのです。そういう原則を中心として、サタンと神様が働きかけるのです。それは一般の人は分からないのです。そういうことが分かりますか? (…) 絶対的信仰が必要です。神様を絶対信じる信仰を持った場合には、自分の生命がふっ飛ぶようなことがあっても、生命がふっ飛ぶというのは、サタン圏の生命のことです。サタンから継続された生命です。それを否認する以上の信仰を持った場合には、堕落しなかったアダムとエバを神様が自由自在に干渉して引っ張ってあげたと同じように、悪魔の堕落した世界圏内でも神様が干渉して働きかけることができます。分かりますか? 信仰基準がなかった場合には、それはできません。完全にサタン圏内だから、サタンがどうしようとも、干渉することができないのです。もし、干渉するとするならば、堕落の時に比べられて、長成(期)完成(級)基準では神様も干渉することができないようになっているので、すぐに讒訴されるのです。その圏内ではいくら殺してもいいし、神様も干渉できないのです。 堕落とは、アダム・エバが死ぬ瞬間なのです。その死ぬ瞬間にありながらも、それを堕落しないように、それを守れなかった神様は、サタンがいくら殺したとしても干渉することはできません。たった一つ干渉できるのが絶対なる信仰なのです。分かりますか? 絶対信仰です。それは、みんな原則的に悪魔サタンと条約を結んだと同じようなことで、この条約に違反した場合にはサタンのものになるし、条約に合った場合には神様のものになるのです。だから祭物をさせて、条件の分け合いをするのです。 真心をもって祭物を捧げて、神様がそれを受け取った場合には、サタンはそこからずーっと離れるのであり、真心を尽くさないで、神様がそれを受け取らなかった場合には、それをサタンが受け取るのです。はっきりしているのです。だから、絶対なる信仰が必要なのです。神様と共に生きることです。分かりましたか? (はい)。 男女の愛がいかに偉大なものかというと、今までは、これはもう一番悪いことのように思って、三宮を破壊してきました。神様の愛の基地、神様の生命の基地、神様の血統の基地をみんな破壊してしまったのです。そのようなサタン世界の愛の関係というものは、悪魔の愛の関係であり、それで悪いことになっているのです。夫婦関係自体、結婚すべて、神様は喜ばないのです。独身生活をすればいいのです。独身生活をして、子供をたくさん増やしてはならないのです。堕落したアダムとエバが独身生活をして子供を増やさなかったらば、こんなに長い何千万年もの歴史はいりません。すぐに復帰できます。 ですから真の父母が、神様の創造理想、四大心情圏を完成するために愛の相対圏をつくろうとして創造されたそのすべてを、神様を中心として成し遂げたのです。神様の目的の完成のためです。人間の目的ではないのです。分かりますか?(はい)。 相対は主体を喜ばせること 神様が愛というものを中心としてつくったので、愛の相対は自分より高くなることを願うのです。そういう基準において、人間の価値も、元々は神様の愛の目的のためにつくられているのです。第一原因は神様なのです。分かりますか? 神様を喜ばせないといけないのです。相対は主体を喜ばせなければならないのです。なぜかというと、神様は何もない相対を自分の基準以上に上げようとして、どんどんどんどん投入したのだから、投入したものを返さないといけないのです。そういう面で、客体は主体のためにすべてを尽くさなければならないのです。同じく投入しなければならないのです。だから最初に投入したのが神様であり、すべての主体ですから、その主体が最初に喜びを得ないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 だから愛の問題も、生命の問題も、血統の問題も、神様を中心に第一主義として尊重するようになるのだから、愛の関係を持った場合には、その生命も神様につなぐし、愛も神様につなぐし、血統も神様につなぐ時、その相対が自動的に自分につながるのです。分かりますか? (はい)。 あなたたちは兄弟として、父母の子供として、女として、生まれて育って、それでお嫁に行った場合には、自分の縁をみんな切っていくのです。父母の子女として生まれて、家庭内で兄弟としてずっと大きくなっても、女は別れていくのです。お嫁に行って、旦那さんの家系に入って考える時には、自分の兄さん、自分の本家には兄さんがいるのですが、それを忘れないといけないのです。絶対に自分の旦那さんを中心として、兄さんより以上に愛さないといけないのです。自分の故郷を振り返って、兄さんたちへの思いを持ってはいけないのです。一切を忘れて、忘れて、そこで生まれたことも、みんな自分の本家で忘れたと思うように考えないといけないのです。だから自分一人で勝手に、自分の本家や親族を、旦那さんとか家の人に相談せずに助けることはできません。 女は男の相対としてつくったのです。そのような相対をつくった主体圏には神様もいるのです。大元がそこにいるのです。だからお嫁に行った場合には、神様と旦那さんが、大元が、長男と父が一つになって、自分を愛するのです。アダムは横的であり、お父さんは縦的関係です。だから舅をめちゃくちゃにすることはできません。神様の代わりなのです。自分のお父さんもそうです。神様の代わりです。そこに差異を持ったら駄目です。アダムの家庭のアダム・エバは差異を持つようになっていないのです。たった一つの家庭だからです。エバは家庭が二つになっても、差異を持つようになってはいけないのです。お嫁に行った場合には、それは向こうの人であり、向こうに接ぎ木された者は、行ったり来たりすることはできません。分かりましたか? (はい)。 お嫁に行った女たちは、別個の生活をして、自分の本家を助けようとして、袋を隠し持つようなことがあったら大変です。本当です。自分の旦那さんや舅さんと相談してやればいいのです。それは、自分の相対の家庭です。旦那さんの家庭は主体、自分の家庭は相対の関係として扱ったらいいのです。全体でやるのです。自分一人でやったら、法的に引っ掛かるのです。それが分かった場合には、舅も旦那さんもみな、一家が喜ばないので問題になるのです。そういう原則がはっきりしないので、めちゃくちゃになっているから、それはもう大変です。どこのどんな土地がいいか、どんな土地が悪いか分からないのです。こういう原則のテキスト・ブックです。原則を分かるように、ちゃーんとしているのです。だから将来は裁判長も必要ないのです。家庭問題は、この原則によってすべて収拾可能です。 国家もそうです。国家も、王様を中心として、閣僚たちもみな同じです。この原則で、国家も一つの最高の家族と思うのです。王様と女王様を中心として、それは家族と同じです。この原則によって合わなかった者は、すべて処理することができるのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい)。 自分のいかに尊いものが取り戻されていたかということを発見しましたか? 宇宙の、見える世界と見えない世界が、そこにおいて占領されていくのです。見える世界は旦那さん、見えない世界は神様です。そうでしょう、分かりますか? 女のそのものは、旦那さんのものであり、神様のものです。男もそうです。男のそのものは女のものであり、神様のものなのです。そんなことを考えたことはないでしょう? 地上天国、天上天国はそこから始まるのです。君たちの子供もそうです。同じことです。子供を生んだ場合には、地上天国の子供、天上天国の子供、アダム・エバの子供、何ら変わりはありません。同じ価値の子供を生まなければならないのです。分かりましたか? (はい)。男も女も、そこに侍りながら生活しなければなりません。 しかし堕落した結果、すべてがめちゃくちゃになっているから、いくら男女関係が千年万年続いても、堕落血統内でやっているので神様とは関係ありません。神様も永遠に処罰する行動なのです。だからサタンは、すべて男女関係でもって崩壊し、めちゃくちゃにするのです。地獄です。地獄に落ちてめちゃくちゃになるのです。そして天国から永遠に離れてしまうのです。神様が復帰しようにも、探しても分からないように、何もできないようにしてしまうのです。分かりましたか? (はい)。 だから方向転換をするのです。こう行った者が一八〇度転回しても別に変わりません。行動は同じ行動であっても、立場が違うし、方向が違うのです。それは南北の韓国を例に挙げれば、境界線を中心として、線を引かれていても、それは見えない線なのです。細い線の中間がまだあるのです。だから、別に変わらないのです。二つに割ったような立場であり、割ったものは、こっちのものも変わらないのです。 四大心情圏は愛のテキストブック だから愛といっても、天国の愛が別に変わるのではないのです。サタン世界の愛の行動と同じでも、感じるその深さが違うのです。アダムは、蘇生、長成であり。神様は蘇生、長成、完成です。長さが違うのであって、行動は同じです。だから、今までの男女関係はみんな悪いというのは、神様が関係することができないからです。分かりましたか? (はい)。 原理の観点から見たら、真の父母を中心とした、こういう原理の内容をテキスト・ブックとした一体圏の愛というものは、サタン世界にはなかったのです。全体を代表した立場で愛しているのです。一族全部が、少年から、青年から、壮年を中心として老年に向かっていくその過程において、みんな愛の関係でつながっているのです。それは方向が違うだけであって、姿は同じです。だから、いかに方向転換をするかということです。分かりましたか? (はい)。 ですから血統が違ってきたのだから、血統を転換した場合には、別の世界になるのです。血統が違うというと、それは東洋人は東洋人の血統があり、西洋人は西洋人の血統があるように、それが違っていくのです。サタンの血統と神様の血統として、違っていくのです。 そう考えれば、女というものは尊いものですか、でたらめなものですか? 何があるから尊いのですか? 女としてのそれがあるからです。そこは、男の代表と神様が共に訪問するようになっているのです。それは本当ですか? 原理から見ても、それはもう避けることができないのです。だからエバは、それで長男と神様をだましているのです。そうなっているのです。エバのそれを失うということは、長男を痛めることであり、お父さんを痛めることです。アダム破壊、神様破壊です。不信感があるからです。父子をだましたからです。そうでしょう。長男とお父さんをだましたので、それを破壊しているのです。 それが何かというと、内的なお父さんと外的な長男です。それが女を中心として、一つになるというのです。だから女の愛には、人間の愛と神様の愛が訪ねてくるというのです。男に対してもそうです。それは神様の二性性相の性相です。形状は女の姿です。神様の無形の形状です。実体のエバの形状は、旦那さん(の性相)と同じです。相対なる女王様が、長女が訪問するのです。だから結婚は男占領とともに、神様占領なのです。男占領のために自分が完成されるし、神様占領のために人間もそれ以上望めない。絶対の希望なのです。男女完成とともに立体的な完成を願うので、立体的な完成までも成されるというのです。だから、結婚は神様と宇宙を占領するためであるというのです。皆さん、そう思いますか? そんなこと知りませんでしたね。(笑い)落第品です。(笑い) これは重大な問題です。四大心情圏で、四大心情の花が咲くというのです。だからそこには、子女が植えられ、兄弟が植えられ、それから旦那さん、夫婦が植えられ、父母が植えられるのです。そういうふうにして、二世はそのとおりに大きくなって、同じように何代も繰り返すのです。公式的に、みんな神様の型と同じようになるのだから、みんな神様の子女として、神様の家族になるのです。真剣な話です。若い女の子たちはこういう話を聞けば、幸福です。そのように生きたとしたら、大変なことです。 こういう観点から世の中を見た場合に、サタンも話にならないのです。サタン以上です。そういう者に、自分の一身を裸にして任せるということは――。何の話か分かりますか? 何の話か分かりますか? 重大な話です。君たちには想像もつかないような話です。歴史以来初めて教える内容です。 だから、四大心情圏を完成することによって、自分も子女を愛することができます。子女を教育することができるのです。それは兄弟を教えることを主体として、夫婦は、子供を結婚させてやることによって、訓示することができます。自分がまた父母になってみて、自分の孫を教育することができます。それは、別個に別れてはいません。全部が一遍に決意すれば、それはすべてが種からずーっと芽が出て、そして、大きくなって一生涯のすべてが縮小して入っていくと同じように、愛という圏内には、子女、兄弟、父母のすべてがつながっているのです。ですから、四大心情を体恤しないというと、人間として、男、女として、完成した人間にはなりません。分かりましたか? (はい)。 それがくっつくことによって、神様の友達になり、神様と一体になるのです。四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。愛のテキストブックです。祝福家庭は、愛を毎日、毎日、吟味しながら、その境地に向けて修養し、自分の欠けた所をみんな調整しながら、あれの一体圏になって、あの門を通過しなければ、神様の前に出ることはできないということです。 そういうふうに考えれば、自分たちの夫婦生活はどうですか? それは、話にならないね。この基準で考えた場合に、自分たちの夫婦生活というものは何の価値もないのであり、神様から見た場合には、砕いてしまいたいような、悪いことをやってきたということです。それが分かりますか、分かりますか? (はい)。分かったと言う女の子たちは手を挙げてみなさい。(はい)。後ろのほうはどうですか? (笑い) それで、みんなその基準に一致するように努力しないといけないのです。真剣なことです。「いやあ 男はそんな立場か? 女はそんな立場か? 神様も完成し、人類も完成する」。そうでしょう? それが本当だったら、大変なことです。神様であるからあんなことを考えるのであり、平等な神様だからあんなことを考えるのです。あなたたちは先生の話を何でもないように聞いているのだけど、その内面を打ち明けた場合には、大変なことがたくさんあるのです。さあ、これは難しいことだけど、努力してあの基準に到達するように努力いたしましょう(はーい)。はーい。ありがとう。(笑い) まあ、先生一人によって、こういうことが発表されることによって、全世界が影響されることを考えてみなさい。家庭内に影響されて、大変な革命が起きてきます。先生だに、この問題を中心として通過しなければならないのです。だから文先生、真の父母はいったい何かというと、神様の子女として、心情的に完成したものでなければならないというのです。そういう面で、お母さんに聞くのです。「あなたは大丈夫ですか?」と。(笑い)お母さんはお父さんに「大丈夫ですか?」と。それに及ばなかった場合には、「共にあすに向かって発展しましょう」と。そういう励ましをして、その家庭で、どんなに難しくても、あの踏み台を踏み越えなければならないのです。 だから真の父母になるには、神様の子女としての子女圏の完成体に、家庭内の兄弟としての兄弟圏の心情完成体に、夫婦においての心情完成体に、父母においての心情完成体にならないというと、真の父母になることはできません。分かりましたか? (はい)。 ですから一心不乱に、共に協力して、その目標に向かって突進しない以上は、いい加減にはなされません。精誠を尽くすことによって可能になる道です。分かりますか? (はい)。だから旦那さんというのは、この現代世界の愛の王様です。そんなことを考えたことがありますか? 真剣なものです。みんなそういうような立派な旦那さんを願いませんか? (願います)。みんな、そうなっているのです。願う必要はないのです。そうならなければなりません。みんな、そうなっているはずです。真の愛に関係して、神様の血統を受け継いだとするならば、そういうようなことは教えなくてもなるようになっているのです。堕落したから、こういう教えを強調して、それに向けるように鞭打ちながら、追っていかないといけないのです。それは悲劇です。それは喜劇でなくて悲劇です。分かりますか? (はい)。では、奥さんは旦那さんの何ですか? 愛の女王様です。みんな、そう願うのです。みんな、「あなたの希望は何か?」と言うと「女王様になりたい」と。女王様になって何を言うか 国ではないのです。ナンバー・ワンは愛です。全部、そういう欲望以上の基準に立つことができるようになっているのです。分かりましたか? (はい)。 人間の欲望、欲心は、もう絶対に夫婦完成をしないと完了できないというのです。もう既に完了された立場に立っているのです。先生が、こういうことを知ってがっかりしました。数十年の努力したことが、水泡になってしまったのです。みんな持っているものも外国を回って、宇宙を回って、天宙を回って、苦労したことがしゃくにさわってくるのです。もう、がっかりしたのです。堕落はこんなに恐ろしいものとは分からなかったというのです。全部、神様は授けています。そうでしょう。第一創造主が、人間を第二創造主として、子供を生ませることを通して、第一の創造主と同じような価値圏に置いたことは有り難いことです。 さあ、四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。もう、それ以上は言わなくてもいいでしょう。(はい)。言いたいことは、たくさんあるのですが時間もないのです。 氏族復帰の命題 人間の欲望すべてが、その基台、その基準において完成されるということです。それ以上の野望、希望はないのです。そうなれば、それは幸福ですね。それ以上の幸福はないのです。愛の王様と愛の女王様になるのです。自分の旦那さんは愛の王様であり、自分は愛の女王様です。それ以上は何もないのです。だから人間の欲望は即、自分に結ばれるようになったのです。それが分からなかったのですが、今はもう分かりましたね? (はい)。誰によってですか? (真の父母によってです)。真の父母ですから、真の愛の伝統を教えてあげなければならないのです。これを汚さないように、あなたたちに伝授してあげるのです。千年万年、後孫が幸福になるようにして、愛の王家の華々しい家系を残していくのです。そういうふうにしたくないですか? (したいです)。 愛の女王様にみんななるのですね? (はい)。神様もそれを願うのです。あなたたちの後孫がどんなに幸福か考えてみなさい。「神様より以上、自分の父母のほうを愛します」。それでいいのです。神様より以上崇拝すると言っても、神様はそれを感謝します。自分のつくった手本がこんなにも歴史を超越して、実感として効果を成していくとはね。だから、そういう立場には信仰もいりません。分かれば宗教もいりません。たった二人で何万点です。ですから、完成期を中心としてつくったアダムとエバには、宗教も何もありません。学校も何もありません。自動的に習わなくても分かるようになるのです。こういう文明圏が、アダム・エバのその境地に到達するようになっているのです。真の愛は知らないことがないのです。真の愛は関係しないところがないのです。分かりましたか? 真の愛の元を適用すれば、すべてが解決していくのです。その愛の体験を忘れないようにしてください。分かりましたか? (はい)。 あなたたちは夢でも、忘れない夢があるのです。それは自分の生涯に絶対必要な夢です。忘れる夢があるし、忘れない夢があるのです。それをずーっと活用して、自分の生涯にいかに適用されるか研究して統計を取りながら、自分の将来を正していかなければなりません。神様は必ず教えてくれます。統一教会の先生、父母は必ず教えてくれます。それはいろんな幻の中とか、夢の中とかに必ず現れて、その場合には自分のためであるということを思うのです。初めは話をしないのです。後ろ姿が見えるのです。それは信仰が遠いという話です。それで、笑いながら話しかけるような境地まで発展していかなければなりません。そうでない場合には、遠い立場にあることを示すのです。そういうことを体験を通して、はっきり分からなければならないのです。だから父母様に会ったりした場合には、それは良いことか悪いことか、表情で見分けなければならないのです。必ず教えてくれるようになっているのです。だから、成約時代は侍ることによって救われるのです。 これが分かった場合には、先生はいりません。共にそういう夫婦になったとするならば先生はいりません。そういう自分の生きる環境をつくって、そこに住めば、地上天国、天上天国が自動的につながるのです。それでいいものを持った場合、神様に何の功なしにもらったのだから、自分たちも功なしに授けてやるのです。それは自分の親近の人からです。先生はこういう立派なものを持ちながら、自分の親近の者に対して、伝道することができませんでした。君たちは先生に対して氏族復帰という命題を持って立っています。先生はカイン・アベルを愛してから、全世界を超えて勝利圏を得ないというと、自分の一族を率いることができません。それは聖書の本然の教えです。カインが服従しないと、アベルは殺されるのです。いつも不安です。だから自分の一族が問題ではないのです。世界が問題なのです。 先生のお母さんと先生の兄さんは立派な信仰者でした。啓示を受けて、弟がいかに有名になるか、それだけを信じていたのです。たくさんの兄たちや弟たちがいても、世界中で自分の弟が一番であるという、それだけしか知らないのです。それが啓示されて、それ以上は教えてもらえないのです。自分の弟が何者か分からないのです。先生はそれを成して教えているのです。分かりますか? 聞いて教えるのではなく、成して、完成させて、教えてあげなければならないのです。 アダム完成は、神様の子供と共に完成した上でもってです。そこで、すべてアダムという価値が決定します。それと同じように、完成圏に立つアダムとして、地上のサタン世界にそれを正すには、自分が成し得ないでは、サタンは屈伏しません。分かりますか? それは、でたらめなものではありません。だから先生の話を聞くと、心から忘れることはできないのです。いつも心を占領しています。それは大変です。統一教会に入って、原理の話を聞いて興奮して体恤したその思いは絶対なくなりません。外に出ていっても、それは生きているのです。それが生きているから、先生が現れて、いつも関係を持つようにコントロールするのです。だから大変です。 そうかといって、自分の一身体面上、反対した者は、ただ来るということはできません。口を開いて反対した場合には、それを取り消さないというと、良心は許しません。「この野郎 何だ」と。だから歴史上で、たくさん統一教会に入って、出て消えていった者たちは、先生を見るとみんな隠れてしまいます。何でそんな隠れることをしたのですか? また反対する者たちも、先生が前に来た場合にはみんな逃げていくのです。だから、悪辣なサタンもそうです。反対しながら逃げていくのです。正面から会って、自分で言うことはできないのです。 こういう話をするのは、きょうで、もうこれが最後だからです。きょうで、五万一千八百名が完了するのだから、これで終わりです。あすになったら、君たちは、もう修練会はないのです。あすになったら、二千名の済州島の人々が集まるようになっているのです。 今度、帰ったら何をしますか? 今、先生が話したことです。君たちは幸福だというのです。自分の親、自分の兄弟と抱き合って、痛哭しながら、この道を行かなければならないのです。それを語るのです。先生はこの道を探すために、痛哭した道がいくらでもあったのです。韓国では、冬になれば服の真ん中に綿を入れるのです。北韓なんか寒いから、そういう着物を着るのです。それが涙で濡れたのです。それを絞ると、水が落ちるようだったのです。そういう道を通過しないと、真理を探し出すことはできません。 また、長い時には十七時間も祈ったのです。十二時間は普通だったのです。今はもう、祈祷する必要はありません。みんな分かってしまったから、成すことが忙しいのです。世界に相対圏をつくるので大変です。それで相対圏をつくって、先生の生涯の内で悪魔が数千年間、神様に背を向けて三宮を迫害してきたそのすべてをストップさせたということは、それは話にもならない奇跡なのです。分かりますか? それで先生に対して、すべての霊界がみな地上に向けて敬拝するのです。イエス様とか、孔子とか釈迦牟尼とかがです。この真の父母は一人しかいないのです。永遠に、過去にもいなければ、それはたった一人しかいないのです。分かりましたか? (はい)。 そういう意味で、君たちが統一教会に入って、ふらふらしながら反対して、ほうぼうを回りながら、口々にいろいろと悪宣伝する者はどうなるか考えてみなさい。その先祖がみんなやられるのです。霊界では、後孫が反対することによって、先祖がみんなやられるのです。それで霊界に行ったら、どうしますか? 先祖が悪魔扱いをします。「この野郎 先祖の功労によって統一教会に入ったのに、迫害して何だ」と。総理大臣も、それは国家から預けられた祝福だけど、もし過った場合には牢屋に入るのです。即時にです。それと同じことです。総理大臣だからそうではないということはないのです。分かりましたか? (はい)。 帰ったならば、自分の一家を早く収拾しなさい。先生はご父母様の墓の前に立って、「故郷に住んでいる北韓の二千万人を救って再び参拝するその時までは、まだ時が違います」と言ったのです。それを必ずやるというのです。先生には先生なりに、行くべき道があるのです。皆さんは帰ったならば、自分の親族圏を早く収拾していくのです。先生一人がそんなことはできないのです。しかし、君たちが父母、親族を解放することによって過去のつらさを、天はそれによって慰めるというのです。それが天の心です。自分の一代ではなく、全体が救われるという思いは、時を超えても同じです。分かりましたか? (はい)。 だから長子権復帰を今、分かって、氏族復帰時代が来たのだから、真の父母の絶対権限を中心として、一直線に切ってしまうのです。親族解放を早くする方法は、いくらでもできます。自分が立って話をするのです。「こういうような道を、こういう内容の道を我々は辿ってきたのです」と。分かりましたか? (はい)。 本当に、兄弟のために痛哭する時代になりました。真の父母のために、世の中のサタン圏内で一生の間にいかに傷つけられても、生涯を行っているということは大変なことです。こういう心情が分かった場合には、それが解放圏になるのです。いくら厳しくても、落第するようなことはありません。先生の生涯がそうです。個人的に見れば悲惨な生涯です。しかし、行くべき道は一つしかないことを知っているから、他のことは考えられません。 そういうふうにして、ここまで上がってきました。日本も今、大変でしょう。五万人も済州島で教育したということで、みんな変わっていってしまったね。来た時の女と、帰る時の女とは違っていますか、同じものですか? (違いました)。本当に違ったのですね? (笑い) これで完全に頭が占領されたのですね。(笑い)それは、占領されていいのです。それ以上のことはないのです。向こうの悪魔が占領したのを神様が再び占領するのだから、元に返ることになるのです。元に返るのです。理想の国、理想の世界です。そこで理想の王様に侍りながら、万年、万々歳を叫ぶようなことになるのです。それは不幸ではありません。分かりましたか? (はい)。 先生の生涯は、そのような苦労の道を克服してきました。悲惨な道をね。それは、先生よりもっと悲惨な神様を知っているからです。神様を知ったのだから、そういうふうにして行きましょう。そういうようにしたいという者は手を挙げてみなさい。(はい)。ありがとう。 三代王権から縦的天国と横的天国が生まれる 四大心情圏は、もう分かりましたね。次に、三大王権です。これは簡単なものです。これが、(先生が黒板の図―2の周りを何度も円で囲まれる)こうなれば球体になるのです。これが楕円形になったのだから、球体です。こう見た場合には、(先生が黒板に図―4を書かれながら説明される)神様、アダム・エバは、過去の創造主、現在の創造主、未来の創造主と、こうなるべきです。この縦的な結合を平面的に回すというと、(二五二ページの図―5を参照)こちらが神様の立場で、こちらが現在、こちらが未来です。なぜこうなるかというと、平面的に過去、現在、未来がやって来るからです。そう見た場合には、ここが神様の立場、これはアダムの立場、これは子女の立場です。分かりますか? これは縦的な立場で、これはアダム・エバを中心とした横的立場です。 こう見た場合に、これが一つの家族に、おじいさんがいるし、これは父母です。アダム・エバには(真の)子供はいなかったのです。分かりますか? アダム・エバの子供はいなかったのです。だからアダム・エバは、創造主の体恤した喜びを相続できませんでした。子供がいなければ大変です。それでアダム・エバが子供を持ったような立場で話をするのだけど、本当は子供がいないのです。そうなるというと、これは神様です。現在、未来になるのですが、未来がなかったのです。分かりますか? 神様は、おじいさんを象徴します。一番年寄りのおじいさんは誰ですか? (神様です)。 だからおじいさんの根っこというか、穂先というか、それがつながっているのです。自分の家庭に、天国の代表、神様の代わりとして送られてきたのが、おじいさんです。これが堕落しなかったとするならば、アダム家庭が王様になったとするならば、おじいさんは王様です。そうでしょう? アダムは現代の王様、子女は未来の王様です。そういうふうになるのです。 だから王権を中心として見れば、過去の王権は神様なのです。アダムが現代の王権を中心として、これが一つになって、そこから移動していくのです。神様につくられたのですが、天国に子供として生めるのは二番目なのです。そうなって結局、王子たちを連れて天国に入るのです。実体世界で子供を生んで、永遠なる不滅の理想世界に移動していこうというのです。その神様の本然の世界がいかに素晴らしいか考えてみてください。全知全能の神様として、そこにすべてを備えているのです。 霊界に行けば、そこは時空を超越しているのです。時間と空間を超越しているから、何千年の前の歴史が今なのです。何の話か分かりますか? 時間を超越しているから、何千年の歴史も今なのです。だから空間の無限の星の世界もみんな現在なのです。遠くないのです。分かりますか? 自分の感覚圏内にすべてが収まるのです。 だから愛を中心として成そうとすれば、それは無限の世界を凌駕するのです。目の前で見るような思いで命令すれば、どこでも可能なのです。自分の家が、済州島にあったのだけどこっちに来て住んでいるとしても、何千万マイル離れたアメリカであっても、家を持ちたいとなれば、済州島の家がすぐそこにあるのです。分かりますか? 遠い所でもすぐそこにあるのです。そういうような便利な所であり、距離の感覚がないのです。空間の感覚もないのです。だから膨大なあの星雲世界、あの銀河世界も自分の一日の生活の庭園と同じなのです。 それを考えてみなさい。だから果たせないことがないのです。そこには、車が必要ですか? 考えてみなさい。考えるよりも愛がもっと速いのです。そういう便利な世界です。そういう世界が分かった場合には、この地上には未練がないのです。制限や限界内で生きた者が、限界を超えて無限界の活動舞台に拡大するということを考えてみれば、それ以上素晴らしい、それ以上の出世はないのです。ですから、死ぬということは悲しいことではありません。分かりますか? そういう所へ行ってみたいですか、みたくないですか? (みたいです)。行ってみたければ、今晩でも死んでみなさい。(笑い)本当です。すぐに分かるのです。先生の言ったことを実感するような世界が生まれてきます。だから、よく準備して、完成して、あの世界に入らないと大変です。それで、美人たちが困るのです。自分の顔が天国より美しいと思うからです。自分が博士号をもらったことが天下最高、国よりも尊いと思うのだから、話にもならないのです。だから世の中では、末の時代には自分が最も愛する、最も貴重に思うものが、自分の行くべき道を妨げる第一の条件になります。 これからは、世界が回れ右をします。一般の人々は回れ右の仕方を知らないのです。回れ右した場合には、自分がどういうような列に立つかということを知らないのです。それを知らないといけないのです。だから、地上における生涯は、あまりにも短いのです。先生からすれば、短いのです。先生が今、二十代だったら、今からの世界はいかばかり変化していくことでしょうか? ここまで来る年齢を費やしたとするならばね。世界が反対したのだからこうなっているのです。もし反対しなかったならば、天下は変わってしまっているのです。地上天国はできてしまっているのです。今教えているすべてのものは、もうみんな準備されているのです。今の氏族メシヤも、あの当時の全キリスト教界の信者が一つになって、全教会のクリスチャン十億以上の人々が氏族メシヤとして派遣されたと考えてみなさい。すぐ天国になるのです。分かりましたか? おじいさんは神様です。だから神様を象徴します。そしてアダム・エバは現代です。これをずーっと直系につなぐのです。これは縦的直系と横的直系としてつなぐのです。ここから縦的天国、横的天国が生まれてきます。分かりましたか? (はい)。横的にしたのは(先生が図―4の中央の横の線を示されながら)地上天国になり、これは(先生が図―4の中央の縦の線を示しながら)天上天国になるという意味です。横的に回してやれば、神様がこうなって、こうなるのだから、(先生が図―4の中央で十字を示される)これは永遠に続くのです。そうして、三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか? (はい)。 おばあさんたちも、三人が一つにならなければならないのです。おばあさんのおばあさん、そのおばあさんです。それから娘とか、嫁とか、三代が一つです。(先生が図―5を示されながら)切ることはできません。これは、直線を引くというと、一つ、二つではないのです。必ず水平線になるのです。垂直には水平線があるから三点です。一点、二点、三点。水平に引いても、一点、二点、三点です。それを切ったら、みんなめちゃくちゃになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。 天国に通じる道 三代を中心としてなぜ組むのかという問題になった場合には、これ一つでも切ってしまったら成立しません。だからこれを切って合わせることによって、それは構成されて完全なものになるのです。ですから、こう見た場合に、一、二、三(横的に)。一、二、三(縦的に)です。兄弟を中心に一、二、三とみんな三点でつなぐのです。蘇生、長成、完成と同じです。ですから一族において重要なのは、おばあさん、お母さん、奥さんです。この三代です。三代の子供が未来の奥さんになるのです。この三代が一つにならなければなりません。そこで一番重要なのが、おばあさんではなく、お母さんなのです。だから、その家ではお母さんを中心としながら、(自分の)奥さんが一つになっておじいさんを神様のように侍る伝統を立てなければならないのです。だからおじいさんの命令には絶対に服従しなければなりません。なぜかというと神様の代わりだからです。 それを木に例えれば、年寄りが一番大きな木です。次がお母さん、自分の奥さんは三番目です。木は年がたてば、年輪が多くなるのです。太くなるのです。だから山では太く大きい木が主人です。分かりますか? これは、三つを切ることができないのです。三代が一つの家庭に住まなければならないという原則になるのです。東洋の家族はそういうような形式になっているのだけれど、西洋の家庭は縦がないのです。西洋文明というものは縦がないのです。これは外的、物質文明です。心的文明、精神的文明ではなくて体的です。横的は体を象徴します。 こう見た場合に、統一教会では、おじいさんを神様のように侍った場合には、そのまま天国に通じます。そういうふうに侍って生涯を過ごした者は、霊界のどこに行っても邪魔なしに入れるのです。分かりますか? この基準が三代王権になっているから、王様みたいに侍れば、無事通過です。それから、自分のお父さんお母さんは、過去の王様を代表としているのです。アダム・エバは、現代の五十二億すべての家庭を代表した家庭です。だから現代のすべての家庭の中の王様、女王様が自分の両親です。代表しているという場合には、それは全体の中心になるのです。誰でも全体の中心、全体の最高の者になりたいと思うのです。ただし、それは代表した立場をいうので、代表するには全体においてあがめられ、尊敬されるような立場に立たないというと、全体を代表することはできません。 オリンピックのチャンピオンなんかもそうです。マラソンで日本と韓国の選手が競争して、日本は負けましたが、それは国全体を代表していたのです。全体が一つです。そういう関係を持った者が代表です。それを、普通の人は、自分がそういうことをしないで、ただ代表を願うのですが、そうはいきません。そういうふうに、投入して投入して、頂上の山を自分がつくらなければいけないのです。その頂上に自分が立った場合には大変なことです。そのような基台をつくらなければならないのです。基台をつくらないでただ代表を願うのは泥棒です。分かりましたか? (はい)。だから、自分の家庭のお父さんお母さんは何かというと、王様と女王様です。全世界を代表した家庭の王様と女王様です。 では、お父さんお母さんにどういうふうに侍るのかというと、全世界の家庭を代表した王様、女王様のようにです。それは本当です。地上天国の王様なのです。そうでしょう? 地上天国の中心の家庭だから、王様の家庭なのです。分かりますか? (はい)。おじいさんは天国の王様、それから自分の父母は地上天国の王様です。それは、みんな君たちもそういうようになりたいと、良心が願うのです。そのような代表的な立場であることを忘れたら駄目です。そういうふうに、地上に住んだ場合には霊界に行っても、その基準は平面的に同じ価値基準にみんなが、なるのです。同じ天国です。分かりましたか? これは地上天国、これは天上天国です(先生が図―4を示し説明される)。これは未来の天国です。未来は、天上天国と地上天国が合わさって、希望を持つのです。合わさった二つの国を相続して、未来の立場に立つというようになっているのです。だから神様にも自分の現実の父母のように侍らなければならないのです。神様は、永遠の国の王様の立場に立っているから、もっと尊重しながら侍らなければならないのです。そして、自分の親も神様と平等な立場で侍らなければならないのです。分かりますか? そういうように侍らなかった場合には、地上、天上両天国を相続することはできません。 これは、アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのです。そうでしょう? だから子供が一人であっても、その子供はお母さんの愛の結実体でもあり、お父さんの愛の結実体でもあり、二人の愛の結実体です。それと同じです。おじいさんと子供がそういう相対関係になった場合には、そういう二つの天国のすべてを相続して生まれた子供と同じだから、二重の価値を抱えているのです。分かりましたか?(はい)。 だから、王権の生活をして、三大王権の心情を相続しなければならないのですから、必ず神様を霊的代表として、おじいさんを天の王様みたいに、自分の親は地上の王様みたいに侍ることによって、一体になっていけば、その王族は自動的に子孫に伝来していくのです。これが伝来すれば、それが循環運動でもって、こういう線が円形になって大きくなっていくのです。分かりますか? 点は同じです。一家庭から氏族、民族、国家に拡大していくのです。循環運動をするのです。こういうふうにして、王権が世界に拡張することによって統一の世界が成されるのです。それは、この三大王権の伝統的家庭の標本を拡大したものであって、標本の元というものは、本然の中心家庭であったというのです。これは拡張した内容です。 だから、こうすることによって三大王権ができるのです。三大王権は、決して四大心情圏を除いてはできません。分かりましたか? (はい)。夫婦生活も同じです。おじいさんも夫婦生活、お父さんも夫婦生活、自分も夫婦生活、未来の後孫も夫婦生活、四大心情圏の上にこのような連体関係をもってなすのです。今まで夫婦生活は連体関係を持っていません。関係を持ったとしても、中心とか、上とか、下の関係を持っているだけです。一組の夫婦でよかったのですが、これから関係を組んで完成することによって、天上、地上、いずこにおいても自由の王権の権限をもって、生きることができるのです。分かりましたか? (はい)。将来は王権になるのです。民主主義は兄弟時代だから、ぶっかけ合うのです。 さあ、これで四大心情と三大王権を終わりました。だから、夫婦生活は夫婦二人ではないのですね。分かりましたか? (はい)。それは、王権を相続する基盤なのです。それを果たせなかったら、王権も何もないのです。天国へ入るには、王権を相続して入るのです。(全員起立。お父様に敬礼します)。(ありがとうございました)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.17
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「氏族メシヤ」1993年12月20日韓国・済州研修院 神の願いは親を訪ねていくこと エバは、真の父の話を絶対(視して)聞けばいいのです。(はい)。今、あなたたちの使命を先生がやっているのです。先生が乗っ取って蕩減復帰したので、先生が言うとおりにやるのです。五万人、まずもって完了しました。それは誰も信じませんでした。分かりましたか? 先生が言うのだから、やってみなさい。やってみてから不平を言いなさい。みな日本の輩たちは、先生が命令したら、「日本の現状に合わない」と、みんな足の下に敷いてしまうのです。そんなことでは、ぺちゃんこになるのです。主体を無視する客体はあり得ないのです 分かりましたか? (はい)。誰が主体ですか? (お父様です)。お父様が主体です。 日本は国がないのです。お母様は国がないのです。エバ国家がないのです。エバ国家の上に新婦として立つべきなのに、その国がないのです。英米仏。英国の代わりに日本を立て、日本の国をつながないといけないのです。全国がそうなり、女の国教の国になったと同じようにです。分かりますか? キリスト教の国教の国になったと同じように、先生と女だけが完全に一つになれば、男は反対しても、それは自動的に消耗していくのです。 だから、神様の願いは、親を訪ねていくことです。第一先祖が失敗したことを、イエス様を中心として蕩減復帰しなければなりません。メシヤを中心として、家族基準を中心として、国家基準を願って、それを完成しようとしたのですが、これⒶも成せないし、これⒷも成せなかったのです。再臨の主には、一、二、三。全体です。ここを復帰しなければならなかったのです。第一先祖の失敗を復帰しないといけないのです。第二先祖の復帰がこれⒷです。同じです。分かりましたか? これをこうⒶ。これがこうⒷなるのです。分かりましたか? (先生が図―1を書かれながら説明される) これが第一先祖、第二先祖、第三先祖です。再臨は第三完成のアダムです。国家的、世界的基準です。これを全部横的平面を中心として、一代完成、二代完成、三代完成です。世界的に、これはこうなってぷーっと押せば、(先生が両手でもって押すしぐさされる)こうなるのです。地上平面に立つのです。分かりますか? アダム家庭も平面で完成基台を願ったのです。イエス様も平面です。平面でなければ、縦的国家を中心として神様が介在することによって、縦的定着期間の基準が狂ってしまうのです。その定着基準は、この中心とこの中心です(先生がⒶⒷの丸を示される)。分かりましたか? だから、これは六〇〇〇年の歴史を通過してきます。六〇〇〇年です。 これは何かと言うと(先生が図―2を説明される)、第一アダムⒶ、第二アダムⒷ、第三アダムⒸです。これは神様から見たら、六〇〇〇年かかったのですが、これは第一長男、次男、三男です。分かりましたか? (はい)。これを、縦的な基準がここにきて、ここへずーっと(縦的に下りてきてⒹ)定着して完成した場合にはⒹ、第一先祖、第二先祖、第三先祖と、平面圏に⒠伸びるのです。第一先祖はこれです。分かりますか? これは第二先祖です。これを中心としてイエス様です。これが結局、第一、第二、兄弟になるのです。兄弟です。兄弟は平面上に立ちます。分かりましたか? (はい)。 だから、縦的な六〇〇〇年間、三代の第一、第二、第三の先祖は、神様から見た場合には、三番目は、第一の子供、第二の子供、第三の子供になるのです。それが平面的に、アダム完成自体も平面的完成すべきことが、平面で成されなかったのです。平面になるというと、それは三代が平面で、三人の子供になるのです。兄弟関係になるのです。分かりますか? (はい)。 平面は兄弟関係です。そうでしょう? 長男、次男、三男です。これは平面的です。これは縦的ではないのです。神様から見ると、神の地上完成を定着した場合には、これをそのまま延長すれば、これ自体を延長したと同じように、歴史的な六〇〇〇年の三代の先祖は、平面的に一度にこういうふうになるのだから、それは三人兄弟の立場に立って一平面圏に入るのです。それを四十年間で蕩減しないといけないのです。一代でもって、父母を中心としての三人の子供が、地上で定着することができるのです。分かりましたか? (はい)。 そうなるというと、これは第一先祖、これは第二先祖、これが第三先祖になるのです。完成はここでしたのだからⒹ、孫の立場が、この三番目です。これは三代から見た場合に、それは孫と同じです。孫の立場が兄さんになるのです。お父さんが二番目になるのです。それから三番目が王様になるのです。完成したのだから、家庭基準ではなくて、世界的です。一代は家庭基準、二代は国家基準、三代は世界基準です。勝利した基準から見た場合には、世界が中心になるのです。世界がお父さんになって、国家がイエス様、国家基準になるのです。アダムが家庭基準になるのです。分かりましたか? そうした場合に、勝利圏から見た場合には、全権は長男が持つべきなのに、それを三男が持つようになるのです。だから、三男が全権の兄さんの立場でもって、次男と長男に分けてあげることができるというのです。それで、長男と次男が(先生が図―3を書かれて説明される)こういうふうに祝福されて、次男もこういうふうに分けてⒶ、自分の国を同じ立場に立たせてくれるのです。三男も同じくここまで、こういうふうにして、こういうような同じような立場です。同じ価値観で、それは平等になるのです。分かりましたか? (はい)。そういう時代がやって来るのです。 それで、一九九二年八月二十五日を中心として、三万双の結婚式をしたのです。その時には、その親は、第一の先祖の立場と同じです。それは第二の親、第三の親になっているのです。こういうように見た場合に、これを勝利した者をみな同じ権限でもって祝福するのですⒷ。だから一週間だけ修練すれば、七〇〇〇年の期間を費やして祝福家庭を求めてきた七〇〇〇年の功労、七〇〇年のイエス様の定着、イスラエル民族安着、それから七十年代を中心に、これを七十年で蕩減し、それから、七年の蕩減になるのです。それが一週間に入ってしまうのです。だから、海水が満ちて、それが引いていく時は、その時間的感覚は数分間なのです。そこに立った人は、苦労しなくて平面基準に立つことができるのです。分かりましたか?(はい)。 その平面基準の表面の権限まで先祖たちを同じに祝福したのだから、それに属する後孫は、自分の父母が祝福されたものを、そのまま相続するようになっているのです。第一先祖圏のその子孫全体は、何千代を並べても、それは父子関係でつながるのです。分かりますか? お父様が無条件に祝福したものは、その子供が無条件に相続し得るのです。こういうようになると、自分の父母を子供たちが、祝福家庭の自分たちの氏族メシヤとして、お父さんお母さんに、三代で、おじいさん、お父さん、兄さんが屈伏するのです。氏族メシヤが絶対に必要です。 そうすることによって、自分の親をアダムの完成圏の立場に立たせるのです。分かりましたか? 自分の親は何ですか? (アダムです)。堕落しなかった一代の完成圏に立つ氏族メシヤです。 氏族メシヤの三大重要項目(氏族)メシヤの重要項目、重要項目。三大要目は何かというと、第一は先祖復帰です。第二は故郷復帰です。第三は神と同居です。氏族メシヤでエデンの家庭を復帰しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 自分の先祖、自分のお父さん、お母さんを復帰してあげることによって、一族を復帰してあげることによって、アダム家庭が堕落しないで氏族圏を成したと同じような立場になるのです。氏族圏をまとめることによって、家族、氏族、国をつなぐのです。全世界の一六〇か国宣教師を中心として、国の中心は先生になるのです。真のお父様、父母です。祝福家庭はイエス様の立場であり、そのイエス様のお父様が第一アダムだから、祝福された家庭のお父さんをアダムの立場に立たせておいて、アダム家庭を復帰することによって、アダムの時に失った先祖を復帰するのです。分かりましたか? (はい)。 それから、二番目は故郷がなくなったのです。故郷がなくなったのですから、神様も追放してしまったのです。そのようにして、神様と一緒に住んでいた環境から神様がいなくなって、サタンと住むようになったのです。それを再び整備するために、氏族メシヤは必ず家族メシヤを復帰しなければならないのです。家族の責任は、堕落したイエス様時代の失敗の復帰です。それで祝福家庭は、イエス様が祝福を果たせないで死んでしまったのだから、祝福家庭はイエス様の祝福をなした基準なので、三十三歳にならないと生活できないようになっていたのです。分かりましたか? (はい)。 イエス様の家庭を完成した場合には、イエス様の先祖がアダムです。アダム先祖に直系的に立つのが氏族メシヤ、自分の父母しかいないのです。分かりますか? だから父母を復帰することによって、氏族メシヤ、イエス様完成、アダム完成になるのです。 こうなった場合には、この祝福を一週間でやった場合は、それに伴う代々の後孫もみな祝福されるのです。分かりますか? いくら何千代でも、これをつなげて(図―3のⒶ参照)父子関係でもって、平面的につなぐことできるのです。だから祝福は、第一代、第二代、第三代を平面的に置いて、一編に祝福してやることができます。分かりましたか? (はい)。 第一代の自分の父母たちは、統一教会の食口たちを拉致したり、反対したり、サタンのようなことをそっくりやってきたのです。その家庭を完成した先祖として祝福するのです。真の父母という名前のある所には、サタンは関係ないのです。サタン世界をみな勝利してしまったのです。分かりますか? だから過去が整理されて、それから、八段階の現在の全世界のサタンの権限もみな消化するようになったので、過去、現在が清まると、真の父母の名前に属した場合には、サタン権限とは何の関わりもありません。 サタンの世界は長成(期)完成(級)の基準であって、真の父母の段階は完成(期)完成(級)の基準であり、直接、神主管圏内に入るのだから、サタンとは何のかかわりもありません。そういう基盤が立った場合には、それは、ずーっと復帰されてきた、反対していた者が降りて、蕩減復帰(完成して)聖別することができるのです。分かりますか? 勝利したその者をみな復帰して、サタンをみな征伐し、なくすることができるのです。だからサタン自体も、それを知れば自動的に屈伏してくるようになるのです。分かりましたか? (はい)。 天的入籍の氏族メシヤ そういうふうに平面的に見ると、人類というものは、(先生が図―4を説明される)これが宗教圏です。これが非宗教圏です。だから人本主義とか、共産主義とか、フリー・セックスとかはみな非宗教圏です。その宗教圏、非宗教圏は、非宗教が政治世界になっているし、宗教圏は良心圏になっているのです。良心圏を代表した宗教統一が「世界平和宗教連合」であり、その反対に、肉的世界を総合した政治的な世界の「世界平和連合」、先生が内的な宗教と外的な政治世界を握って、これを回れ右しているのです。回れ右をして、方向を一八〇度転換するのです。 そして、それが一つになったのです。共産主義と民主主義が一つになったのです。イエス様の死によって、左の強盗、右の強盗の讒訴圏でもって死んでいったことで、世界に向けて戦を展開してサタンの権限で、キリスト教を迫害してきたのですが、再臨の時は再び死なないで生きて蘇ってきたのです。だから、イエス様自体が左翼と右翼を統一し、天下を統一するというのです。カインとアベル、左翼と右翼です。分かりましたか? それを成そうとしたのに、成せなかったことを再臨の世界的な基盤において、民主主義と共産主義の悪辣な最中に収拾していくのです。それからイスラムまで、バラバ圏までを一つとすることによって、初めて回れ右をしていくのです。 だから、右翼と左翼がこうなって、(先生が両腕を広げてしぐさされる)サタンのイシマエルが前に立って、悪が、サタンが前に立って、キリスト教は後ろに立って、神はその前に立って、それが後ろになった場合には、こういうふうに回れ右をして神の前に、神とキリスト教が一つになって、それから再臨の主が一つになって、右翼と左翼が統一されて、反対圏がなくなったので、全体が神の前に前進することができます。分かりましたか? (はい)。 だからソビエトに、先生は緊急に手を着けたのです。二年八か月でイエス様がやったようにです。それは反対圏で三年以内に収拾しなければならないのです。だから、「変革の風」を見たでしょう? (ロシアにおける統一運動)ビデオです。それで今や、文先生の思想でなければ、何もやることはできないのです。ひょっとすれば、アメリカよりも先立つのです。なぜかというと、それは放蕩息子や娘が帰ってきた場合のようにです。先生は金日成を放蕩息子として扱ったのです。それで訪問する時は、放蕩息子に対する父母の心情で訪問したのです。だから忘れられないのです。兄弟であれば忘れるのですが、父母の心でもって訪問したのだから、何となく情的になって、そこに根が一体となって忘れられないのです。今、そう言っているのです。だから、放蕩息子を迎えていくので、兄さんたち民主主義が反対するのです。 そうなると祝福して、放蕩息子に宴会をして、指輪をつけて新しい着物を着せてやると、兄さんが帰ってきて、「自分の罪でこういうことになったのに、放蕩息子の弟に対して何ですか」「何言っているのか。君の財産ではないよ。お父さんは、君たちが放蕩息子の弟を親よりももっと愛するべきなのに、何じゃーっ」と、放蕩息子に、かえって全財産が移行していくのです。だから、後の者が先になり、先の者が後になるという、聖書の話のようなことになるのです。分かりましたか? エバもそうです。果たすべき使命を果たせなかった場合には、代理の者が、後の者が先になって相続していくようになっているのです。洗礼ヨハネも、ペテロのように努力する者に奪われていったのです。努力するペテロが洗礼ヨハネの権限を握ってしまったのと同じです。分かりましたか? (はい)。 だからこういうふうにして平面的に全部同じ立場に立って、家庭的祝福だけを受ければ、家庭出発を神を中心としてつないでおけば、アダムの家庭がサタンを中心に出発したことを、全世界で蕩減復帰して、先生は蘇生、個人復帰、家庭、氏族、民族、八段階のすべてを平定して、垣根を崩してしまったので、ずーっと通じるようになっているのです。先生に連れられて、どこでも神様は往来するようになりました。だから、五十二億の家庭の前に、真の父母の家庭ができて平面的に接ぎ木していくのです。それが祝福です。 それで新しい国に入る時には、サタンの血統的系列の先祖入籍ではなく、天的入籍をして新しくなるのだから、それには必ず氏族メシヤの一六〇軒の家庭を収拾して、イエス様が一二〇を失敗したことの蕩減をして、世界基準において国家が生まれてくるのです。 今から、その国家に入籍するには一六〇軒の者を収拾して登録するようになっているのです。その一氏族を中心として、何千、何万の家庭、何十の氏族メシヤが生まれてくるのだけども、それらはみな後孫になっていくのです。そのように平面的になったのを、再び神の国によって、縦的に系列の先祖を後孫までつないでおかなければならない時代になったので、四〇〇〇名以上の者が同じ時に祝福を受けたとしても、同じ日に受けたとしても、それは第一代、第二代、第三代。第一兄さん、第二兄さん、第三の弟というように、平面的に同じ祝福を受けても、国家に登録する入籍の順番は、先祖となり、後孫となるという問題が起きてくるのです。 氏族メシヤと摂理的総決算 だから、それを解決する秘訣は何かというと、氏族メシヤの使命を着地化させるということです。全世界に発布しているので、全世界が氏族メシヤを中心として、南北統一圏ができた後すぐに入籍になった場合には、超国家的に移動が可能です。 共産主義は世界的に大移動をして、スターリンは、韓国人でサハリンに行った者や、中央アジアの砂漠に行った者をみな、ほうりっぱなしにしたのですが、韓国人は強い民族なので、その中で部落をつくって中心的な民族として立派な生活をしているのです。大民族移動が可能になります。 日本がエバ国家になった場合には、韓国と日本の国境はすぐなくなってしまうのです。そして、天使長国家は中国です。中国をアダムとエバが抱擁するようになるのです。分かりますか? そうしたら、天使長は何も持っていません。今そういうような一番最低の位置に立っておる中国を援助して、子供のように抱擁しないといけないのです。そうすれば全世界が、東洋文明と西洋文明が、カイン・アベルが、アベルはアジアの精神的文明であり、カインは物質文明であり、体を象徴するのだから、自動的に中心にアベルが立場に立った場合には、カイン圏西洋文明圏は自動的に東洋で一体になるのです。分かりましたか? (はい)。 そういうことを中心に、今、内的処理問題に先生は手を着けています。ところで四〇〇〇名が今、氏族メシヤを果たして登録する場合、四〇〇〇段階の先祖として登録するのです。それは同じく祝福された場所でもって、四〇〇〇先祖が生まれてくるのです。大変なことです。霊界に行った場合には、この四〇〇〇の先祖の蕩減が大変です。だから氏族メシヤの権限を早くやれば、全霊界が動員するのです。分かりますか? 特に、善霊界の女たちは総動員しているのです。だから信念を持ってやれば、信念に作用して、すぐに氏族メシヤ権限をもって祝福させることは問題ありません。だから、氏族メシヤが分かれば、みなやってしまうのです。分かりましたか? (はい)。 このようにすることによって、全世界が「摂理的…」何と言いましたか? (総決算です)。摂理的総決算で、すべてが解決するのです。分かりましたか? (はい)。氏族メシヤを早く入籍することによってです。全世界の統一教会に同じく、氏族メシヤ発布をしているのです。分かりましたか? (はい)。 それで、国が一つになって登録するには、列をなして大変です。全世界が登録されるのに、十年以上待つかもしれないのです。だから太平洋も、トンネルを掘らないと大変です。日韓トンネルなどです。だから、サタン世界はめちゃくちゃになるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.15
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MIRAIOH TVミライオーと「ゴミ拾い」してみた! #Shorts一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.14
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[22.05.15] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/05/15 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.14
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「真の父母と重生」1993年12月20日韓国・済州研修院 神の創造の全体的目的 真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。 神の創造の全体的目的はどこにあったのかというと、万物を創造して、万物の霊長たる主人の人間をつくって、人間と神が愛を中心として一体となることによって、神の完成がなるのです。きのうも話したように、個人完成、夫婦完成、神完成です。女は半分で、男も半分です。旦那さんはなぜ必要かというと、半分なる者が完全な者になるには、女には男がいなければ、完全にはなれません。何を中心として完全かというと、愛を中心としてです。理想とか、幸福とか、善とか、美とか、すべてのものは、愛を除いてしまえばみな、めちゃくちゃになるのです。 愛を中心として善と言うのです。その善の中には、美も含まれているし、必ず愛も含んでいるのです。だから、善いことを言えば美しいのです。かわいいのです。みな愛を中心としていう話です。女の幸福というのは、愛がなければ幸福ではありません。男もそうです。幸福というのは、愛を中心としていうのです。だから、すべての創造物は愛によって始まり、愛の目的のために存在しているのです。その愛をなすには、一人ではできません。相対的存在になっているのです。相対的です。なぜ相対的になっているのかというと、愛のレベルがみな、違うからです。それが公式として作用するのです。 それは、一番低級なもの、中級なもの、それから植物も愛を中心としてみな、おしべ・めしべの相対関係です。それから動物は雄・雌です。なぜ雄・雌になったかというと、それぞれに愛を中心として一つとなるためです。それが標準になっているのです。最低のものからだんだんと一番最高なものまでです。一番最高なものは何かというと、一番最高な神様は見えないのです。その見えないお方の相対となるためです。だから人間というものは、全部が愛を求めているのです。 それで、きのうも話したように、水中時代、地中(空中)時代、それから愛中時代へとだんだんだんだん上がっていくのです。昆虫もみな、三世界を通過するのですから、人間は万物の霊長として、三中世界を通過せざるを得ないのです。だから最後には、愛を中心として復活できるようなすべての準備を、地上生活でしなければならないのです。死ぬということは、地中時代から霊的愛の世界に移行する現象です。さなぎが殻を脱いで、蛾になって空中を飛ぶように、昔の殻を脱がないといけないのです。殻を中心として見ると、ちょうど死ぬのと同じです。殻を破壊させなければなりません。肉身の生活が、ちょうどそれと同じです。肉身の世界を破壊して、見えない神様に似た霊人体となるのです。人間として、さなぎが蛾になると同じようにして、生まれる場面です。だから霊人体は、死ぬ時に肉身から出ていくのです。 それで霊人体があるのは、無限の霊界とつなぐためです。その霊界は、愛を中心としているのです。空気が愛だと思えばいいのです。空気自体が愛の空気です。だから、愛を吸えるような全体的呼吸が必要です。細胞全体で呼吸すればいいのです。細胞全体が愛を中心として呼吸して、神様と同じように永遠に生きるのです。神様が愛を中心として呼吸しているというのです。だから、無形である神の性相・形状と、(すなわち)無形実体の内的性相・形状が愛を中心として一つとなると(神の)形状も性相も人間と同じようになるのです。人間自体も、心身が一体となるには愛がなければなりません。愛を中心に一体となるようになっているのです。神様もそういうふうになっているからです。神様の性相の中にも形状・性相があると原理は教えているのです。すべてが愛を中心として成長し、愛を中心として一つになるのです。愛を中心として一つになって、永遠の世界に飛んでいくのです。 そのためには、神様に似たものでなければならないというのです。だから、人間は神様から生まれてきたというのです。それから、神様とアダム・エバが完成すれば、神様は縦的親、アダム・エバは横的親です。それがなされないというと、人間と神様が一つになる道がないのです。愛の主人は人間ではありません。生命の本体は人間ではありません。血統の本体は人間から始まっているのではなく、神からすべてが始まっているのだから、神とつながる道がなかった場合には、人間と神の関係とか、関係を結んで良いとか悪いとか、神の創造理想、神様のみ旨とはいったい何かと尋ねた場合に、一般の神学者は「それは易しくて難しい言葉です」と言うのですが、易しくて難しいという答えはないのです。易しいのは易しいのであり、難しいのは難しいのであって、易しくて難しいと言うのは暴言です。 統一教会は、はっきりしているのです。み旨の道は創造理想を完成することです。神が創造した理想を完成することです。創造理想完成とはいったい何かというと、万物を対象にした小宇宙になっている万物の霊長である人間自体の完成です。人間自体の完成は個人だけではなく、家庭的完成をいうのです。四位基台の完成です。四位基台は、男、女の完成とともに、神様の完成がなされるのです。これが宇宙の最後の秘密でありました。 神様と人間とは、何ですか? 神様と人間が共に完成する場面、それは結婚して初夜の愛の関係を結ぶことにより、神様も「これだ」、人間も「これだ」と、すべてが完成するのです。そのようにして宇宙を完成させ、宇宙を出発させ、宇宙を引っ張っていく基台が愛なのです。真の愛、宇宙の本然の愛なのです。 だから、あなたたちも子供の時から、愛によって生まれて、父母の愛のもとに保護されて、それから旦那さんと愛を掲げながら、子供をつくっていく愛の連続です。それなのに、世の中が相対的愛の環境的相対基盤が合わないと問題なのです。それは堕落したために肉身が愛と反発し合って、肉身が良心を反対の方向へ引っ張っていくのだから、良心の願いの反対に行くのだから、良心の苦しみが自分から離れることができないのです。だから問題は、肉身を分別して完全に聖別しておけば、良心は良心なりに南北を指し、北極と南極が合った場合には、磁石みたいに、ちゃーんと方向を永遠に指し、永遠にほうっておいても、方向を一定して永遠につなぐのです。 愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。その二つの力が一つに合わないというと、運動ができません。宇宙の運動は、球体以外ではなされません。横的に引っ張っていった場合には、運動できないのです。これでは循環運動が不可能です。運動は中心に引っ張ろうとする遠心力によって、縦横が連結することで、釣り合いの運動がなされるのです。だから神を中心として、人間を中心とした共同的運動をするには、愛が中心になるのです。その愛が相対の場合は、逆に拡大するような力の釣り合いによって運動が始まるのです。分かりましたか? (はい)。 だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。それを知らないのです。旦那さんも旦那さんです。それを知らないでは済まないのです。その由来をはっきり究明して、自分との関係を、肯定的な結論として、公式化された結論を得たとするならば、人間は脱線することができません。みな列車が軌道を走らなければならないのと同じように、万民共々に自分の愛の軌道によって、永遠に自分の世界で、自分の理想の成果が違っていても、個人真理一体の目的に直行するようになっているのです。 愛の基準 このことを語る前に、四大心情圏を語ってあげればよかったですね。分かりますか? (はい)。旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。いかなる者も、自分の完成を願わない者はいないのです。それは最高の完成を願うのだから、何によってそうなるかというと、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それらは、何の関係もありません。女として金があるとか、知識があるとか、その人が何々の課長とか、局長とかいう、そんなものは、愛には関係がないのです。アダムとエバには局長もいなかったのです。アダムとエバは、ただ良心と神様を知ればすべて分かるようになっていたのです。堕落したから分からないのです。先生は普通の人と違って、ずーっと見れば分かるのです。 良心には教育が必要ないと同じように、人間にも教育は必要ないのです。霊界では、博士などは、一週間以内にそれ以上になれます。だから、教育は必要ではないのです。言葉が通じなくても、良心がすぐに通じます。良心で考え、良心で聞くのです。口で言うのは、第二次的です。そうなっているのです。だから、天に近いのです。それから、何千年も昔の先祖であっても、自分の上か下かがすぐに分かるのです。愛の心情圏を地上で成し得たその基準を中心として、向こうに止まっているのだから、自分より高いという場合、何を標準にしてそれを決めるかというと、知識ではないのです。お金ではないのです。権力ではないのです。愛を中心として、その全部が決まるのです。愛の位がどんなに高いかということです。分かりましたか? (はい)。 それが、自分の家庭的完成基準で完成した場合、家庭的基準の所に留まるのです。神様みたいに天宙を愛するには、より大きいものを愛しなさいというのです。個人より家庭を愛し、家庭を愛するには投入しないといけないのです。犠牲にならないといけないのです。愛の道は投入し、投入することによって、相対が大きくなる要求を求めていく道です。相対が大きくなることによって、自分が喜びを感じ、愛の喜びを体恤することができるのです。自分自体内では刺激を受けないのです。 神がなぜ人間を創造したかというと、自体内で一つになったのでは刺激を受けないからです。刺激を受けるために相対をつくったのです。相対をつくったことによって、目も笑うし、鼻も笑うし、口も笑うし、耳も笑うし、肉体も笑うというのです。そうでしょう? だから、愛の相対という立場は、目も疲れないのです。それから、口もそうです。口は一日中しゃべっても、夜通しささやき語っても疲れを知りません。耳は愛の相対者が休まなくても、素晴らしく聞こえるのです。手はそれでみな、つかむために一つになっているというのです。相対によって、そういう全体、五感というものが一遍に、四〇〇億以上の細胞が刺激を受けるのです。だから、興奮するし、興奮して、興奮して、涙が出ます。喜んだ場合には涙が出ます。悲しい時も涙が出ます。これは不思議なことです。だから、天地は最低と最高のものが一つになっていくのです。分かりましたか? (はい)。 きのうも話したように、立派な最高の所に汚いものがついているのです。君たちも本当にうれしい時には、涙が出ますね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。悲しい時も涙、本当にうれしい時も涙です。そして、うれしい時は最高であり、悲しい時は最低です。それは話すこともできません。だから、堕落しなかったら涙を流すようなことはないかというと、あるのです。ナイフで切れば切れるのです。堕落しなければ切れないということはないのです。同じことです。 だから、愛の基準が損なってしまった時には、みんな同じです。人間世界に真の愛が神様の創造したと同じようになったとするならば、これはもう、人間社会では苦労しても、苦労しても、それを面白く思うのです。愛する者と汗を流し、苦労しながら、そういうふうに苦労のあとに夫婦が共に愛する時は、深く骨肉から交わるのです。骨髄からつながるというのです。苦労しないのは、中間の肉だけです。苦労しながら死ぬような中でも、共に愛しながら一つになるというと、骨髄が刺激を感じるのです。そういうことを体験した者は、安らかなことを願わないのです。 統一教会の宣教でいえば、統一教会の宣教に行った場合、そこには誰もいないのです。誰もいないから父母様が、直接教えてくれるのです。あすやるべきことを祈る時に幻の中でみな、教えてくれます。そして、そのとおりになるのです。そのとおりになるから、宣教師の生活はみすぼらしいのです。普通から見ると、誰があんなことをやって生きているのか、不思議なのです。一般の人だったら、もう風呂敷を包んで帰って消えるべきなのに、誰も見ていないし、誰も援助してくれなくても、ただ一人で寂しい生活を続けることが、なぜか分からないのです。 それはなぜかというと、内心においては天と共に生活しているというのです。だから、そういう者たちが故郷に帰っていったらみな、切れてしまうのです。前線ではないからです。切れてしまうと、その暗黒さは話にもならないのです。いくら良いものを食べて、いくら良い所に住んでも、それは幸福ではないのです。いくら人の上の立場に立っても、そこにはスリルがないのです。神がすべてを教えてくれるのです。 それで、宣教に行った場合に、大きな川などには、ワニがいくらでもいるのです。そういう中で、神が霊界と交信して「こっちから何メートル、何分以内に渡らなければやられる。あなたの水泳は平時はこうだから、一・五倍のスピードで」と教えてもらって渡るのです。ビザの問題で、どこかに出向して帰って来れなくなるという場合にもみな、コーチしているのです。聖書の内容の教えなど何でもないことです。神様が直接、教えてくれるのです。分かりましたか? (はい)。そういう生活をすると、環境が難しいということはないのです。自分の一身の霊的世界をつなげば大きくなっていくのです。 だから、苦労するのが悪いのではないのです。苦労の生活をして、宇宙や世界に徹するような相対的な心を持ち続けると、神様と直接に通じるのです。深い根を持つ幹は土に埋もれているのです。そういう深い根とつながって埋もれるような立場になっても、それは不幸ではないというのです。安全な土をかぶっていた場合には、外的な被害に遭っても倒れないのです。分かりますか? だから、幹から見た場合に根っこは真っ暗で大変です。 根っこの生活と幹の生活、それから枝の生活、葉っぱの生活は違うのです。葉っぱは、「幹の生活は何でああいうふうに黒くなって、動きもじーっとしていて、これはもう大変だ」と思い、自分自体は動いて、こういうふうに日ごとに大きくなるから素晴らしいと思うのですが、そうはいきません。それが最後になった場合には、枝がいいか、葉っぱがいいか? 枝がいいことが分からないので、そう言うのです。その小さい小枝がいいか、幹がいいかということは、その幹になってみないと、枝になってみないと分からないのです。 愛の完成のために投入して忘れる 愛を中心にして、不幸なことはないのです。愛は苦労も消化します。死ぬことも消化します。愛する者のためには生命を消されても、それは悲しくないというのです。それ以上の忍耐の力があるというのです。だから、愛を得ることはすべての完成の内容を持っているから、お金もいらないし、知識もいらないし、愛を求めていくのです。結婚する時は、その愛と一つになるように、内外共に総和して一つとなるようになるから問題はないのです。動物は既に、自分の問題は解決しているのです。 南洋から帰ってくるつばめを見た場合に、つばめは食べ物の袋を抱えて帰ってきますか、どうですか? たった二羽で鳴きながら来るのです。何千マイルを渡り鳥として、そのように行動するのです。渡り鳥は何かというと、愛を中心として最も素晴らしい後孫を残したいというのです。鮭なんかもそうです。なぜ海にすんだものが真水に入りますか? 環境が違う両方を通行することによって、完全なものになるのです。男も女も、両方を通過することによって、主体・客体、プラス・マイナスの違う境地を愛で占領することによって完成するのです。環境が違うのが悪いのではありません。必ず塩水の魚は、真水の境界線に来なければならないのです。だから、アラスカは寒流と暖流が交差するのです。それはプラス・マイナスです。そういう所には、必ず産卵のために魚が集まってきます。田舎に行くと、蟹なんかもそうです。 日本の水田にも蟹がたくさんいましたが、今は農薬を使うのでいなくなってしまったのだけれど、蟹もそうです。春になると、ずーっと小さいものが川を上がっていきます。水田で大きくなって、秋になって下がってきてどこに行くかというと、海水と淡水が交わる所に行って塩抜きをしないといけないのです。真水の魚は塩水、海水を味わわないとプラス・マイナスの接触点にならないということです。分かりますか? 鶏にも無精卵というのがあるのです。無精卵というのは、子供にならないものです。男というプラスと和合することによって、生命がその中間に起こるのです。男、女の愛の通い合う中心で生命が始まるのと同じです。相対関係で、水もそういうことをやっているのです。だから、淡水が必要であり、海水が必要なのです。こんなことは、常識的に分からないといけないのです。 愛のためにすべてが始まったとした場合、君たちが女になったことも恨みに思わないのです。「いやー」とうらやましく思うのです。「いやー 愛のために生まれた」と。だから、愛の完成は一人ではできません。愛の完成のために結婚するのです。分かりましたか? 自分の完成のためです。離婚は自分を破壊するのです。一つになったのを裂いてしまうのだから、裂いた紙をいくらくっつけてもつきません。それは破壊物であって、完全なものではありません。離婚した女にとって、「心がすっきりする。結婚する前より幸福だ」と言う女は一人もいません。みな傷ついているのです。それを埋める道はありません。だから離婚した女は、男を再び追おうとするという恐ろしいことになるのです。 自分の旦那さんが前の旦那さんよりも悪かった場合に、殺すこともできないし、自分が死ぬこともできないのです。自分の旦那さんが、前の旦那さんよりもよいという保証はないのです。それは自分のやり方によって、良い悪いは決まるのです。いくら悪い人でも自分が良いことをやれば、良い人になるのです。だから、そういうすべての解決をなすために、神様は投入ということを教えたのです。投入して忘れて、投入して忘れていけば、もっと素晴らしい愛の相対を得るようになっているのです。間違いないのです。 だから、神様が一〇〇を持っていて、一〇〇を投入した場合には、一〇〇の愛の相対しか生まれてきません。無限の相対を願うのだったら、無限に、無限に投入して、忘れて、また投入したいところに、無限に、無限の相対を得ることができるというのが理論的です。投入しても、何回かして止まれば、それ以上にはなりません。だから、それが無限に通じるには、一から三六〇回るのです。三六〇回が終わったら、また一から回るのです。回るのに、同じく回るのではなく、大きくなって、大きく回るのです。分かりましたか? (はい)。そうなれば、何のために生まれたのか、人間はなぜ生まれたのかという質問になるのです。それは愛のために生まれたというのです。 世の中に一番幸福な男と女がいたとすれば、一番標準な男と女がいたとすれば、そのようなモデルケースになるために、生まれてきたという話になるのです。そのモデルケースは何かといった場合、それを知らないのです。それは、今から先生の言うのがモデルケースです。心には、なぜ厄介な体が必要かというと、それは心身がなければ平行であり、統一圏を持たないというと平面が生まれてこないのです。平らな、整地工作をして、そこに家を建てるのです。平らな所に建てるのであって、横になっている所に建物を建てることはできません。だから、人間自体も平地が必要です。そこで一つにならなければなりません。 主体がこうなって、女はこういうふうにつくのです。(先生がしぐさされる)それで球体を願うのです。だから男の性格は上がろうという性格であり、女の性格は地につこうという性格です。それで、女は尻が大きいのです。女は座っても、クッションがあって、石に座っても痛くないのです。クッションがいいのです。男はずーっと座っていると、肩が重くて大変です。尻があまり大きくないから痛いのです。「男はこういう活動をして、力もこうやれ」と言うのです。だから、男は上向きです。男には「胸を張れー」と言うのであって、女は「胸を張れー」ではなく「尻を張れー」です。(笑い)尻が張れば近くなるのです。(先生がしぐさをされる)(笑い)反対に、男はこうやって、女はこうやって回るのです。分かりましたか? (はい)。そういう別個体の行動が、別個の方向に行くのではなく、結局は回って一つになるのです。 だから、それは「神秘」と言えるし、「不思議」と言えるのです。愛は分からなくて、こんなものだと方々回って、相手が分からなくても夫婦生活をしてみれば、これは離れては生きられないというのです。だから、男が必要です。女の前に絶対真理は何かというと、女自体が絶対真理にはなりません。愛を除いたら真理ではないのです。だから、もっと刺激的相対的な真理というものは、女の前に、男一人以外にはありません。一人です。二人ではないのです。(笑い)主体・客体です。主体が一人でなかったらどうしますか? 大変です。男一人です。主体です。 女は東西南北、四方があるのです。だから獣の世界は雄を中心として、たくさんの雌が連れられていくのです。鹿なんかは五十二匹まで子供を産ませるのです。動物なんか優性を保つためにそういうふうにやっているのです。中心は一つだけど、相対は時期、時期に変わるのです。相対は切ってしまっていいのです。枝は切ってしまえば、早く大きくなるのです。柱は下の枝を切った場合に、立派な柱になるのです。 愛のために生まれてきたということは、気持ち悪いですか、気持ち良いですか? (気持ち良いです)。今、あなたたちが気持ち良いと言うのは、人間を中心とした堕落した圏内の愛の大地の上で答えることであって、真の愛の大地圏で答えることではありません。堕落した社会での愛は、自分を中心としての愛をいっているのです。すべてを自分に引き付けようとするのです。自分から犠牲になり、自分から放棄して拡大していこうということはないのです。神様から、そういう力をもらって、もっと投入すれば、たくさん投入すれば、たくさんの群れが生まれてくるのです。それが生まれてきた場合には、主体として相対関係で自分を保護して、包んで安全圏にしてくれるのです。たくさんの人を持った指導者になるのです。二重、三重に、永遠に、安全地帯に中心者が包まれていくのです。 たまねぎも大きくなった場合には、被せ、被せ、被せ、被せて、それに被せるとたくさんの殻に包まれて大きく、安全に立派なものになるのです。だから、父母という、家庭という殻を被せてくれるのです。家庭が中心になった場合には、氏族という殻です。国はもっと大きな殻です。その自分は、もっと、もっと中核に立って、内的な比重が重くなって、価値がもっと高くなって相対圏で平衡を保っていくのです。 だから、男と女、二人が合った場合には、それは二人共に利益になるから、一つになるのです。その関係から見た場合に、現在より良くなるために、関係を持っていくのです。あらゆる分野の関係は、あらゆる分野の一体圏を願っていくのです。そうすれば、すべての者に尊敬されて、すべての者の相対圏で喜び、いろいろな種類を喜びに感じて、一遍に何百もの刺激を受けることができるのです。(先生がしぐさされる)(笑い)ストップ、ストップです。(笑い)死んだのではないのです。みな止まるのです。止まって見るのです。息が止まっても、すべての細胞は止まっていないのです。そこから跳躍の準備です。「いやーっ いよーっ」とね。(笑い)こういうことを言い出したら、限りがない、限りがないのです。 先生の話が分かりますか? 人は何のために生まれますか? (愛のためです)。みな愛のためです。よくも、そうなっているのです。子供を生むのは愛の延長のためです。旦那さんを得るのは愛の延長のためです。そして、旦那さんの愛を得た場合には、父母となって離れるのです。愛は一つの道です。子供を生んだ場合には、別の世界が横的に拡大するのです。子供から横的に別れていくのです。第二の夫婦が生まれてくるのです。子供は大きくなって、父母についていくより、別れていくのです。だから、愛は神のほうに、段階的に上がるようになっているのです。それを否定することはできないのです。先生も、君たち以上に苦悶した男です。 神人愛の一体圏を求めて 何が良いか悪いかを決めて、発表して、自分と関係を持たなければ大変です。一方のみではなく、東西南北を比べてみないと駄目です。御飯ばかりが良いのではないのです。世界にはたくさんの料理があるのです。中国料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理、韓国料理、各国によってみな違うのです。それらをみな味わってみて、「これが自分の体に良いから、誰が何と言っても仕方がない」と。日本にいても西洋料理を食べるようになるのです。それは心がそれに引かれていくからです。そうではないですか? (そうです)。決めるのは自分が決めるのです。食べるのは自分が食べるのです。愛するのも自分が愛するのです。誰かが愛するのではないのです。だから、真剣な愛は、真剣なる立場で、絶対一つしかない道なのです。それを見ても、自分の絶対的統一圏を認めないということ、絶対に一つになる愛に関係を持つことはできません。だから、心身一体は絶対要求なのです。 これが一つにならなければなりません。単位と同じです。数や単位を組み合わせて、公式になるのです。単位が間違った場合には、その公式が間違ってきます。この単位が間違った場合には、過程が間違ってきます。この単位の男と女を組み合わせて、公式になるのです。神様まで合わせていくのです。だから、結婚は自分の完成のため、結婚は神様を占領のためです。神様の実体です。外的な神様ではないのです。内的な神様とともに、良心と愛と一つになった神全体を占領したいのです。人間の欲望は、最高の欲望を持っているのです。神様を袋に入れて担いでいけるような大きさを持っているのです。それが堕落したので、それが困難になったのであって、本来だったら、神様から出発して神様に帰るのです。分かりましたか? (はい)。 子供たちは、父母から生まれたので、父母に帰るのです。結婚するのです。分かりますか? (はい)。原因と結果が一つにならなければ、完成というものがないのです。原因と結果が一つになることによって、大きく回っている環境を抱擁して回って、すべて因縁でもって関係を結ぶことができるのです。たくさんの人類を知り合いながら、帰っていくのです。そうすると、いろいろな国の人々、いろいろな文化と交流していくのです。霊界はそういうような集合、連帯の世界なのです。そこに適応するには地上に住みながら、世界、人種、あらゆる国との関係を持って体験したことがあれば、向こうの世界(霊界)において、主体世界において、すぐに相対になれるのです。相対圏で一つになることができるのです。分かりましたか? (はい)。 結婚をなぜするかというと、自分完成とともに宇宙占領、神様の愛まで占領したいのです。こういう問題になるのです。アダム・エバに神様が言うには、アダムとエバが結婚して、その次の朝に呼びかけて訓示するには、「君たちは、愛を中心として絶対に一つにならなければならない」と。そうすると、アダムとエバは「お父さんは、そういう愛を中心として絶対に一つになっていますか?」と質問します。すると神様は、「私はそういうことはないのだ」。そんな気持ち悪いことはないのです。 先に父が成し得て、子供に訓示しないというと、それは主体がないことであり、主体がなければ、客体もなくなってしまうのです。それで神様は、「もちろん、あなたは知らない深い分野に、既に愛の主人としていたのであり、結婚して愛の関係を持つことは、神自体が初めに体験しており、君たちは二次的になっているのです」と言うのです。だから、神様に訓示し得る立場であり、神様自体も愛には絶対服従するというのです。平和的に今日の理論的出発が生まれてくるのです。分かりましたか? (はい)。 愛を絶対的に感じて屈伏したとするならば、愛の本郷地が神だとすれば、神の本郷地はどこですか? そこで、愛が初めか、神が初めかということが問題になるのです。人間が初めですか、愛が初めですか? (愛です)。人間が男、女に分かれたのは、愛の完成のためです。見えない構想があって、こういうようになるのが愛であり、男、女が一つになっているのが愛です。神の無形実体が、性相・形状で一つになっているのが愛というのです。見えない世界では統一されているのです。それが見えるものとして、分化して、大きくなって再び、見える相対圏と見えない神様と同じような立場になるのです。 見えない神様は良心の立場であり、見える立場は肉身です。これが縦横に一つになるので、人間は縦的自分、横的自分というのです。これを定着させておかないと、理想的出発をする理論的理想郷の結論を得ることはできません。出発点が二つであったら、目的とするところも二つになるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。先生が一番苦労したことは、神人愛の一体圏をどういうふうに求めるかということです。これは重大な質問です。宇宙の根本問題の原因のはっきりした出発点を究明しないというと、過程が矛盾していくのです。それが一つになっていないのに、過程が一つになることはできません。 運動して、こう回っていくのです。(先生が手先を回転させるようなしぐさをされる)鉄砲の弾も、こういかないのです。こう回っていきながら、宇宙も回るのです。そういうふうに電気も、電気の送電を見れば、電気もこう回りながらいくのです。そうすることによって、抵抗を少なくするのです。直線では抵抗があるのです。回るには、錐がこういう直線で「キー」と回りながら刺さるのと同じように、思わないといけないのです。だから、二人が同時に上下でもって、こういうふうに授受しながら、周辺を回りながらいくのです。ですから、送電線では表面は真鍮、銅だけど、中には鋼鉄が入っているのです。ここは電気は通らずに回っているだけです。分かりましたか? (はい)。 出発点が相対関係で授受しながら移行する、そのようなペース、周波が異なれば、めちゃくちゃになるのです。だから、原因の出発は統一なるものを発見して、それが二性性相でもって運動するような基準に結び得てないというと、結果と原因が一体になる道は永遠にありません。神の愛と人間の愛はどういう関係かということは、大変なことです。 だから、宗教と哲学がどう違うかというと、宗教というものは、神から始まるのです。大概、教祖たちは霊的に神様からの命令によって、教典とか、真理の内容とか教えられるのです。哲学というものは、人間が神を探していくものです。宗教は、神が人間を探してくる道です。それは堕落したからであって、堕落しなかったならば哲学も宗教もいらないのです。既に神も分かっているのです。自分の中にある神と共に生きているのです。宗教はいらないのです。分かりますか? (はい)。だから、完成した地上人においては、宗教はいらないし、哲学はいりません。人間自体が哲学完成体、宗教完成体になるのです。 その完成の最も重要な要因は、天的な根本的な基本的な元の愛であり、元の愛の主人は神様です。人間は神様の相対的存在です。何を中心としてかというと、真の愛を中心としてです。だから、人間は愛を絶対的に必要とするのだから、それを絶対必要として占領した場合には、神自体もその愛の中で住みたいというのです。いくら大きい有名な旦那さんでも、愛する女の懐に住みたいのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。子供たちもみな、お母さんの懐が必要なのです。 人間は愛のために生まれた 大きい男は愛の懐が必要なのです。分かりますか? 奥さんというのは、愛する旦那さんのお母さんと同じです。そうなると、これは別れることはできません。お母さんを好きになった場合には、女で自分に近いのは、お母さんです。お母さんの次に継続して、お母さんになるのが妻です。お母さんの代わりです。だから奥さんは、お母さん以上に愛さないといけないのです。奥さんは自分のため、お父さん以上に愛さないといけないのです。そういうことが理論的に分かるようになったとすれば、自分が移動した場合には、宇宙が移動するのです。分かりましたか? (はい)。 そういう意味で、人間はなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのであり、男も女もこの答えには何の不満もありません。「それで良い」と言うのです。愛を見たことはないし、触ったことはないが、それでも良いというのです。本当ですか? 考えてもそれ以外にないのです。分かりましたか? (はい)。 真の父母というのは、こういうような全体の愛を総合し、宇宙に定着、安着した者をいうのです。そういう男と女は共に、宇宙と共に、神様と共に同じ場所で、神様が笑うと、同じくアダムとエバも笑うのです。「わーっ」と一つになって中心を中心として、アダムとエバが笑うのです。アダムとエバが横的になって、神様はこうなって、一つになって、「あーっ」と、です。神様が中に入って、アダムとエバは袋みたいに被せるのです。中心がこう下がって縮まった場合には、(先生が両手でもってしぐさされる)これは十分中に入るし、男と女は周囲でもって縮めていくのです。円心を中心に、円形を中心として縮まっていくのだから、自動的に細胞は円形にならざるを得ないというのです。角があった場合には削られていくのです。均一的になるのです。 だから、あなたたちも、いい人がこうやった場合には、こういうふうになるのです。(先生が上体をゆするしぐさされる)こういうふうにね。(笑い)こういうふうに、こういうふうに、(先生が両手で抱き込むようなしぐさをされる)それは削られるものがないように真ん丸くなって、一つになるようにです。だから背中を出して相対的に、これがこうなったのに、これがこうなったら駄目です。これは相対的に平均で、こうなった場合には、(先生が両手を左右に大きく広げられる)向こうから回って全部を捨てないといけないのです。そういうでたらめをやったら駄目です。先生はそういうのに敏感です。 それで、韓国の舞踊団も先生がつくったのです。それは、西洋の舞踊団的にです。西洋舞踊団で有名なのは何ですか? (オペラです)。オペラは歌です。「UBA」を知っていますか? アメリカの「UBA」です。薫淑様を知っていますか? (はい)。薫淑様は何をやっているのですか? (バレエです)。バレエというのは、神を称えるものです。だから大衆は分かりません。そういう意味で、韓国は両方とも幅が広いのです。日本は着物を着て足を伸ばすことはできないのです。こういうふうにして、こういうふうに(先生が踊りのしぐさをされる)(笑い)「月が出た出た。月がー」なんてね。だから、韓国の舞踊には及びません。ジャンプができないのです。 そういうように自然の中で、すべてが先生になっているのです。芸術品を見ればみな、自然から取り入れているのです。テーブルの足なんかもみな、こういうふうに自然にあるものを取ってきたのです。神様は芸術の王様です。 真の人間というのは、どこから出発すべきかというと、今から出発すべきではなかったというのです。全知全能なる神様の直前から出発すべきだったのです。分かりましたか? (はい)。 だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 人は何のために生まれたのですか? (愛のためです)。愛は何によって得られるのですか? (夫です)。旦那さん、夫、どんな旦那ですか? 一段、二段と、段階をつくってくれた名前を持ったものが旦那さんですか? (笑い)梯子の踏み台と同じです。(笑い)本当です。こういうふうにすると、旦那さんの説明がつくのです。文先生は、済州島で四〇〇〇名余りの女性の前で、初めて語った言葉が、「旦那さん」であったと、そのように、先生はたくさんの言葉をつくっているのです。英語もたくさんの言葉をつくったし、日本語も、韓国語もです。言葉がないのです。 そういうふうに、人間は愛によって生まれるべきだということです。分かりましたか? (はい)。その愛の元なる男と女が出発するように始められたのが、神様の創造です。だから、創造の前から真の父母という観念はありました。存在するすべてのものは相対的関係を持ち、それなりに夫婦関係の内容を持っているのだから、創造の前からあったと言っても、理論的に矛盾はしていません。分かりましたか? そう考えた時、これが宇宙の根本であり、出発の動機であり、それに従わなければならないということに気づかなければ、自分は中途半端になってしまうのです。だから本然の根につきたいのですか、枝につきたいのですか? 本然の根につけば、葉先、幹の根、幹の枝、すべてのものについたと同じ価値があるのです。本然の根につくのが理想的だというのです。分かりましたか?(はい)。 それで、真の父母という問題は、宇宙存在、出発する前からあったというのです。環境には相対的存在があり、相対的存在は必ず、それなりに次元は低いのだけど授受作用するために一つになるのです。一つになることによって、両方ともマイナスにはなりません。大きくなって、立体的にふくれていくのです。だから運動を続けていくのです。君たちが市場に出るとしても、毎日、出るたびに一円ずつ損をするとしたら、毎日継続するかというと、しないのです。十円でもいいから、いつでも出たり入ったりすれば、少しでももうけた場合には大きくなることによって、それは栄光と天国に通じるのです。 神様を占領する道は大きくなることによって成されるのです。だから、大きく、良いことは蕩減を余計にしなければならないから、「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。こういうことをみんな知った場合には、説明がいりません。それで自分を守って、脱線せずに自分を安全地帯に導いて引っ張っていくことができるのです。分かりますか? (はい)。だから、真理を知ることにより、良心の元の知識を蓄えることができ、良心は神様と一つになるようになっているのです。良心は神様の真理の相対と一つになるようになっているのだから、それを蓄えておけば、すべての主体に適応して、すべてと一つになる動機をつくるのだから、どこへ行っても利益を残すようになるというのです。何の話か、分かりましたか? (はい)。 キリスト教の歴史を通して求めてきた新郎新婦の遭遇 先生は、いつでも会って話をする時間はありません。これが初めであり、最後かもしれません。一度別れたら、もう十年会えないかもしれません。十年、二十年、三十年かかっても会えないことがあるのです。その時は、先生は既に霊界に行っているのです。 これが生涯において初めであり、終わりであるそういうような切迫した緊張圏に立っているのに、座って鼾をかきながら寝るような者たち (笑い)横に座っているそういう者を見て、放っておくのは、それはもっと悪いのです。寝る者よりもっと悪いのは、座って分かっていて、それを目を覚ましてあげないのがもっと悪いのです。もっと悪い女にならないように、警告します。分かりましたか? (はい)。 これが大元です。小さいものから大きいものへ、人間と神様がみな、このケースに引っ掛かっているのです。神様も共に大きくなりたいから、投入して、投入して、忘れるのです。なぜかというと愛の大きい無限の愛の袋で包囲されるために、投入して、投入して忘れるのです。 完全な真空圏になった場合には、すべての高気圧は上下左右に、一遍に「ふわーっ」と入ってくるのです。分かりますか? 先に入ってくるのが悪いのではないのです。それは、こういうふうに入って来た場合には、来たものがすーっとここを中心にして、全部がまとまって立体をつくります。「トネイドー」を知っていますか? 旋風です。英語では「トネイドー」と言うのです。こうなって、家も何でもみな、巻き上がるのです。無限に爆発的な力が生じてきます。分かりますか? 力が生じてきます。奉仕、奉仕して、絶対真空圏に立った場合には、無限の力が「ぱあー」と最高に出てくるのです。だから、神様に奉仕するというと、台風が吹き寄せるのも、斜めから来ないで垂直に近く来るのです。垂直に近くなって、「びゅー」と来るのです。爆弾投下みたいに爆発してしまうのです。強ければ強いほど迫力があるし、破壊力があるので強いのです。そういうふうな刺激、最高の刺激があるのです。 だから、時には旦那さんと分かれても、真空圏と高気圧圏が必要です。そうすると、毎晩、夢で会うようになるのです。夢の中で、抱擁して愛した場合には、堕落した世界の愛よりも、もっと刺激的です。その基準を超えるということです。これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のために四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたと同じような所で、一八〇度転覆するのです。 それで四大心情圏を女が体恤しないというと、宇宙の転換点を正すことができないというのです。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊してしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤することです。遭遇の時が、キリスト教を中心として歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦の遭遇です。会い合うというその時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないというと、変わらないのです。 そのような大元が、再び生まれてこなければならないのです。そういう体恤をした場合には、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるではないのです。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そういうような愛の本郷地を求めていくのが、人間の生来の生涯の生活です。真の父母の観念が分かりましたか? 宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。 あなたたちは何から出発しましたか? 真の父母ですか、偽りの父母ですか? (偽りの父母です)。偽りの父母という、血統が違っていたのです。エバが堕落して、君たちみたいな生まれるべきでない者が、故障した者が生まれてきてしまったのです。完成は一つもありません。だから、霊界は空いているのです。分かりましたか? 霊界、神様の創造した天国は、今まで一人も入っていないのです。真の父母が最初に入るのであって、神様と人間が愛の関係で、主体・客体の関係で一つとなった基準が、創造の本然の目的なのです。 そういうような血統的因縁、愛の因縁を、生命の結合体と血統を伝授した者が、家庭、氏族、民族、それから天国の世界を主管することができるのです。堕落は反対です。血統的に過ったのだから、神様も血統的に、生きた者を殺さないで、そのまま一つ一つを転覆して消化していくために、何千万年もかかったのです。それで、神様の真の父母ということを体恤する根拠がないのです。相対がないのです。その相対たるべき者が長成(期)完成(級)基準でサタンと一体となって、なくなってしまったのです。良心一つでは、何にもなりません。良心も、それは長成(期)完成(級)基準で堕落したのだから、堕落した愛よりも弱いのです。だから、肉身がサタンの基準になって、肉身が良心を引っ張りだこにしているのです。これをはっきり知らないといけないのです。 それを抑圧、却下させるのです。宗教者の目的は、主にそれを成すためです。それで宗教は、肉身の願うすべてを拒否しているのです。寝ることを克服しなければなりません。サタンは食べてよく寝ます。怠け者は食べてはよく寝るのです。良いものを食べても寝ながら消化してしまうのです。それから、食べ比べて良いものを食べるのです。きょうより、あすはもっと良いものを食べるのです。どんなことをやっても、泥棒しても良いものを食べるのです。だから食うもの、寝るもの、遊ぶものが怨讐になっているのです。 それから情的問題です。原理原則を破って、誰でも乗っかって一つになろうとするのがサタンの性格です。君たちもそういう思いをしたのでしょう? そこに美男子がいた場合には、心で慕いながら、「あの美男子を夫にすればいいな」と、夢で抱えながら、そういうふうになって恋煩いに引っ掛かってしまうのです。そんなになるのです。男もそうです。そんなものはヤクザな世界です。複雑に交わる曲線を通過したそれが愛というものです。 エデンの園にはアダムとエバの二人しかいないので、そんなことはないのです。それが伝統になった場合には、さーっと絶対愛によって、自分の相対者が、生まれると共に分かるようになるというのです。寝ながらも、共に生きるのです。目をつぶってからでも共にです。アダムとエバはそうなるのです。堕落しなかったら、寝ながらも共に話が出来るし、夢を見るのも、二人で見るのです。だから、因縁も関係も一体になっているのです。 堕落圏に立っているから雑多な思いを持つようになるのであって、堕落しなかったとするならば、唯一の思いでふた心はないのです。毒蛇は二つの話をします。舌が二つです。堕落した人間は、蛇の後孫を象徴するふた心を持っているのです。うそをよく言うのです。蛇は舌が二つです。毒蛇の特徴です。それで人を殺すのです。噛まれた場合には死んでしまうのです。 あなたたちはふた心を持っていますか、ひと心を持っていますか? 二つです。心身が紛争するからです。きょうはここで、あすは家へと、自分の利益になると思ったら、いつでもそーっと出ていくのです。だから、芸者なんかみなそうです。愛を中心とした自分の価値が分からないので、金が必要になったら、何でもやって売ってしまうのです。豚よりも悪いのです。そういう者で、統一原理を分かる者は絶対生まれてきません。 真の父母の名というものは、宇宙の根本から出発しているのです。神様は愛を中心として、神人一体圏を考えながら創造を始めておられるのです。大きく高いものをつくるには、小さいものをたくさん加えて、大きいものをつくろうとするのだから、愛の相対の要素をみな集めて、大きい男女を神様の相対になるように投入しているのです。宇宙のすべての存在を投入して、神の相対をつくるのです。そのような相対は、神の無形実相が実体実相として現れた宇宙なのです。 名前は何と言いますか? (森です)。盛り蕎麦? (笑い)これも、森さんです。あなたは黙っていなさい。教育されて使われるのは、神聖な者になるのです。黙っていてよ。(笑い)これも森さんです。一遍、触って分析すれば性格が出てくるのです。そのように、すべての宇宙は、神に属しているのです。分野が低くても、神のある段階にいるのです。その様相がみな、二性性相を持っているのです。自分の性相と自分の性質を分け合って生まれてくるのと同じです。そういうふうになっているのだから、みな大きいものへ大きいものへ上がろうとするのです。 小さい小さい川で、浅っぽい川で泳いでいると、深い所へ、深い所へ、深い所へ、大きい所へと、こうなるのです。みな、あなたたちの欲望もそうです。最初に生まれた子供の時は小さいおもちゃですが、女の子も男の子も夫婦になると、一つの国を願うのです。そこから、どんどんと大きくなっていくのです。日本の奥さんや旦那さんよりは、西洋の奥さんや旦那さんのほうが、となるのです。(笑い)そうなるから、女としては生きた男の旦那さんが必要となるのです。それで最高の王様みたいなものになろうと思うのです。だんだん大きくなるのです。最高の所まで行くと、欲望の最高の絶頂は、神を占領して、神を最も愛する秘密の宝のバッグに入れて抱えていきたいのです。 停止は滅亡と地獄に通じる、発展は繁栄と天国に通じる 良心は神の愛を占領するような構造になっているのです。元になっているのです。先生が多年の苦労で、真理は何かを分かってみた場合に、がっかりしたのは「真理は空中のどこかにある」と思っていたのにみな、自分の座布団の下に入っていたのです。自分も知らなかったのですが、神様はどこにいるかというと、愛の最も深い良心の寝る所に神様がいるのです。分かりましたか? これは、「人の人」です。こういう「の」の字があるのです。人すなわち神です。それは一体ではないのです。相対関係の組み合わせが分からなかったのです。 お釈迦さんが「天上天下唯我独尊」と言ったのも、自分の中に神様がいると思ったからです。それは解明されていません。垂直の決着点に良心の基盤があるから、その決着点に止まる主体・客体観念を発見できなかったのです。だから、仏教も出発時から、世界終着点の中心に立つことはできないのです。根本がはっきりしていないので、結果もはっきりしていないのです。しかし、統一教会は根本がはっきりしているし、結果もはっきりしているのです。だから、この思想は誰が何と言っても、世界を統一せざるを得ないようになっているのです。 多方面の実験を経て先生は、良い頭を持っているのです。本当です。そういうふうに実験して、自分が成してみて、世界が反対しても堂々と成功しているのです。それは、原理の内容が、教えが正しいから、その結果はどこでも成功するのです。サタンの世界で原理を知る者は、どの世界でも完成者になるようになるのです。 そこで、各国の人々がどういうかと言うと、「統一教会には立派な青年がたくさんいます。いやー、文先生は幸福です。ああいう者たちが統一教会に入って先生を援助するから」と言うのです。先生によって相対としてつくられたということを知らないのです。日本もそうでしょう。「勝共さんでなければ、日本は救えない」と、みな言っているのです。なぜかというと、「それは話もうまいし、説得力もあり、金には一銭も工作はしないし、正直である。そして奉仕的だ。そういう人は、日本中一億二千万の中に一人もいない。いくら探しても、統一教会以外にはいない」と言うのです。 また、学者たちも統一教会の学生と付き合った場合には、「自分の孫より立派であり、孫嫁や孫婿と比較した場合に、自分の娘というのは、孫娘は勝手な者です」と。私たちは、神様みたいに投入して忘れて、投入して忘れて、高尚な相対理想を求めて、きょうの苦難を忘れて、あすへの希望に向けて進んでいくのです。だから、停止しません。停止すると、とたんに死亡と地獄に通じます。停止した瞬間に、そこから下がっていくので、滅亡と地獄に通じるのです。発展というのは、繁栄と天国に通じます。それが宇宙の真理です。だから先生の生活は、毎日一つでもプラスさせることです。プラスさせる人は停止しないのです。普通の人が山に登った場合に、「ああ、上がった」と座り込むのですが、先生は必ず三歩ないし、十歩数えて座るのです。 そういう習慣が大切です。きのうよりきょうへと新しいものを神様は願うのです。分かりましたか? (はい)。きのうのように、三日以上も同じものであったら、神様は嫌うのです。回れません。回っても、新しい者を組んで回るから発展します。大きいものに向けて運動する理論になるのです。停止は、滅亡と地獄に通じるのです。繁栄は? (天国です)。プラスさせるのは、大きくなることは、繁栄と天国に通じるのです。君たちもそうです。 統一教会に入った時には、統一原理を聞いて興奮して、御飯を食べることも寝ることできないで、「教会、教会、教会」と言った者が、十年たった場合には、ぺちゃんこになってしまっているのです。それは地獄の地獄で、再び立ち上がることができません。そういう者は、いくら統一原理以上であっても、真の真理に反対した者は蕩減しなければ、再び真理に立つことができないのが宇宙の原則です。一度落ちた場合には、再び帰るためには何十年の蕩減の生活が必要です。統一教会に入る時は堂々と立って入ったのですが、出ていってから再び入る時は、這ってでも入ることができません。恐ろしい所です。 こういうことがみな、生活に必要な内容になるのです。真の父母が分かりましたか? (はい)。真の父母という名はどこでも必要です。鉱物世界でも、その観念を中心として愛につながって生きているのです。植物世界もその観念と共に、おしべとめしべがまとまって生きていこうというのです。昆虫世界も、動物世界も、人間世界も、人間を中心としているのです。人間が王様です。そういう観点から見た場合に、人間というのは、男と女は小宇宙というのです。愛を中心として、小宇宙というのです。それで、どこでも人間は通じないところはないのです。君たちも霊的にそういう願いが出てきた場合には、みな話せるのです。水中の魚とも語ることができます。神様は、それができないと大変です。みな通じるのです。愛は偉大なものです。そういう尊いものを失っているのです。 だから霊界に入れば、それが一〇〇パーセント活用できるのです。見たい者を呼べば、すぐに現れるのです。何億マイルでも一瞬に飛ぶのです。愛の速度を超えるものは何もないし、愛の速度を止めるものはありません。分かりましたか? (はい)。だから、真の愛の道は直短距離(最短距離)を通じるのです。直短距離です。上から下に行くのも直短距離は水平以外にはないのです。ちょうど九十度の一点しかありません。それが最高の直短距離です。上下をそのようにつなぐ直短距離が真の愛の行く道だとすれば、平面的直短距離は、アダムとエバです。その直短距離も九十度だったから、九と十と、横的に一つになっているのです。これが元です。それが一つになって、大きくなっていくのです。家庭、氏族、民族、国家です。それが大きくなるというと、相対的に平衡を取るのです。 だから、そういう意味において、男と女は平衡をたどり平等です。これが横的に一つになるには、愛を中心として平等になるのです。ですから、女というのは土です。男は永遠に近いのです。分かりますか? こういうふうにして、螺旋で発展していく無限の世界です。たくさんつなげて、縄をなうのと同じです。大きな縄と同じようになって、どんどんどんどんと回れば回るほど、宇宙の理想は個人から天宙までつながって、どこにでも通じるようになるのです。だから膨大な霊界も自分の活動舞台になり、遮るものは何一つもありません。 そういう永遠の大宇宙旅行のために、理想の相対が必要であるというのです。一人では寂しいのです。宇宙旅行です。あそこは飛行機もいりません。何百倍のジャンボ以上のスピードを持つ車が、ちゃんと自分の命令によって可能です。夫婦が一双になって、神様みたいに、神様と共に生きるのです。(一部割愛) 善の全権時代へ これからは、旦那さんを再教育するのです。だから今、「女性連合」をつくるのです。旦那さんたちを再教育するのです。女の組織を強力な組織にするのです。奥さんとしては一か月に一回ずつ、旦那さんの報告をしないといけないのです。どこへ行ってきたか調査して、他の女と関係があった場合には、どこかにやってしまうのです。部落の女の最高司令官が、「男ちょっと来い。この天使長の輩」と。(笑い)それを切ってしまうのです。それが必要ではないですか、要らないものは切ってしまうのです。自分の奥さんが相談して切るのに、誰が不平言いますか。そこまで教育して、男が願うような境地まで詰め込む内容を持っているのです。立派な旦那さんで、酒も飲まないで自分ばかりを愛してくれる旦那さんを願いますか? でたらめに凸凹の道を歩いてきて、ぼろみたいな穴ぼこを流れてくる愛の子供を持ちたいですか、どうですか? みんな女は、だまされているのです。全部うそです。出張すれば、そんなことは一〇〇パーセントがやります。それを知っていますか? 知っている、知らない? 旦那さんはうそっぱちのサタンです。エバがだまして誘惑したと同じです。それはもう、何千代も続いた罪の塊になっているから、そういうことは平気です。分かりましたか? (はい)。そういうものをみんな綺麗にしたくないですか? (したいです)。だから、先生の言うとおりにやりなさい(はい)。 それで、今度帰れば、反対する者に「何が悪いですか、統一教会の文先生の何が悪いですか、誰が悪いと言いましたか? 行きましょう」と言うのです。そして「話しなさい」と。それで、三人ぐらいで連れていきます。「ああ、私が悪い」と言えば、「どこから聞いた?」「新聞社です」。では「新聞社に行きましょう」「その、主筆とか、局長、編集局長の所に行きましょう」。そこで、「誰から聞いた? それを紹介してください」と三人ぐらいで問い詰めた場合にはみな、逃げていくのです。分かりましたか? 今度帰ったら、先生が女の口を開くのです。今までは黙っているしかなかったのです。神様は黙っていたのです。長子権が立ってないから、父母権、王権ができなかったからです。今はそういう時代を越えているのです。 全体、全般に、善の全権時代に入るのです。三者から統一教会が指さされて、何を言われても従っていてはいけないのです。それを戒めて教育しないといけないのです。みな悪いからそういうことをしないようにするのです。女の将軍になるように、五万人の将軍になるように、先生が指示して、日本に派遣致しました。口を止めていてはいけないのです。分かりましたか? (はい)。それで君たちは番頭さんとして、自分の地域を守ることも必要です。自分の子供がめちゃくちゃになってしまうのです。自分の一家がめちゃくちゃになっていくのです。自分の舅さんにもその話をするのです。旦那さんから引き詰めて、それから舅さんを連れて、「お父さんを証しなさい。お母さんを証しなさい」と言って紹介します。(先生に対する)悪いうわさが世界まで、広がったので、先生はそのカラーを脱ぐのに一生涯かかったのです。神様もそうです。アダム・エバが堕落した責任は神様も同じです。その責任を先生が持っているのです。だから、神様が先生を愛するのです。神様に似ているから先生を必要とするのです。 先生が日本にいた時も、日本の女に、「私は君を愛します」と手を取ってキスした人は一人もいないのです。むしろ、女のほうが先生の所に入ってきて「救ってください」と言ったのです。そういう女を、妹として教育して、将来は立派な奥さんになるようにしてあげたのです。涙を流しながら、振り返りながら「すみません」と言ったことが、今も忘れられません。その女の子は今どこに住んでいるだろうね? だから、あなたたちに何を言っても、先生は堂々としているのです。あの美人のお母様はさておいてもね。(笑い)お母様に対する先生の使命はまだ完成していないのです。一つ、二つ、まだ残っているのです。お母様はそれをよく知っているのです。だから、真の父母の伝統をはっきり知らないというと、こういう複雑な世界において、それを治めていくことはできません。 真の父母が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。なぜ必要ですか、なぜですか? (真の愛ゆえです)。いいえ。堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。堕落して偽りの血統を受け継いだのだから、真の愛とは関係ない立場に立っているので、真の愛を再び接ぎ木して、接触させて、再び自分たちが甘柿になるために、真の父母が絶対必要です。真の父母が立たなかった場合には、渋柿の枝から甘柿は永遠に結ばれることはできないから、甘柿になるために真の父母が必要なのです。こういうふうな説明をしないといけないのです。絶対必要ですか? 絶対の反対は何ですか? 何、不絶対ですか? (笑い)それが一番良いのです。何か反語を探すことに考える必要はないのです。不絶対です。(笑い)それは絶対必要なことです。いなかったら大変です。分かりましたか? (はい)。 過って生まれたのだから再び生まれなければならない(先生が黒板に図―1を書かれる)これが八段階です。分かりましたか? これも、これも、これもです。これがこれです。八段階です。一、二、三、四、五、六、七、八段階です。これは蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これは六〇〇〇年の六〇〇〇年です。これは歴史的に過ったすべてを綺麗にして、平面的にも綺麗にしないといけないのです。だから、ここ「にいる五十二億というものは、みなこっち」から生まれて生まれて、こういうふうになっているのです。分かりましたか? 蕩減復帰です。過って生まれたのだから、再び生まれなければ、正しく生まれなければならないのです。 だから、こういうふうに生まれていった者が、こういうふうに逆のほうに生まれるために、母の腹に戻っていかなければならないのです。分かりますか? 重生のために再び生まれるためです。そうなるというと、ここで家庭を中心として、家庭と氏族をつなぐには梯子が必要です。ここで絶対必要なのは氏族メシヤです。(先生が黒板に図―2を書かれる)その一六〇か国の中心が再臨の父母です。真の父母です。こっちから、蘇生、長成、完成です。国を中心として、これが氏族のメシヤです」。氏族メシヤと家庭的四位基台が整うことによって入籍ができます。分かりましたか? それと同じように、この基準によって家族はみな、氏族のお母さんの腹の中に戻っていかなければならないのです。女と子供です。神様を失ったのは、女とカイン・アベルです。分かりますか? アダム家庭を失っているのだから、それを探さなければならないのです。それで、再び腹の中に入ってしまわなければなりません。 全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? (はい)。それはナイロンの細い線をずーっと、つないだのと同じです。電気をつければ、そのナイロンを通して電気がつきます。そういう一体圏をつくりなさいというのです。それはなぜかというと、お母様の心情を体恤しなければならないからです。分かりますか? お母さんが寂しくなった場合には、自分も何となく寂しく感じないといけないのです。一体にならなければなりません。 だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか? (はい)。全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主、完成されたアダム基準です。アダムと関係しないで、反対の方向へ行った者が、再び帰ってきて、アダムと関係するようになるのです。君たちは今、そういう立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。 そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。 全世界に同じようなペースでもって氏族メシヤを送っているから、家族メシヤはアダム家庭であり、氏族メシヤはアダム家庭です。それは、先祖をなくした、統一教会の祝福をされた者たちです。それはアダム家庭と同じです。アダム家庭で先祖をなくしたので、先祖復帰が氏族メシヤです。それから故郷復帰です。故郷を失ったので、神の基地がなくなってしまったのです。 それで、再び故郷が生まれることによって、神と同じく同居する時代に復帰していくのです。家庭から氏族、国家を通して、世界へつなぐ道ができるのです。だから生まれ変わるには、逆の方向に向かって、逆に戻っていって、真のお母さんの腹の中にみな入ったような立場に立つのです。「うわー、そんな話がなぜか?」と言うと、天国という所は真の父母の愛を中心として、真の子供の種を結実させた者たちが、地上で王権に侍り、王族として生きた者が、最初の天国に入って王族になるのです。王族の兄弟をたくさん重ねた場合には国になるので、国民が増えていくのです。分かりましたか? そうなっているのです。 だから、王族圏の心情を体恤しなかった者は、理想の神様の本郷の国に入る資格はありません。これは何人としても、否定できません。神様の考えは、それ以上のことを考えるのですが、それが最高の考えであれば、そうならざるを得ないのです。だからアダムとエバは、神様の万能の王子と王女であったということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 分かりましたか? (はい)。 だから、その女が天使長と――。イギリスの王権は天使長と女がぺちゃんこになるのです。日本の男は、天使長の女とぺちゃんこになっているのです。もう、おしまいです。東洋の宮殿を代表して日本、西洋の宮殿を代表してイギリスになっているのです。日本がプラスである時は、東洋が中心であるから、イギリスを消化していかなければならないのです。そういう立場です。そうすれば、イギリスの中にはらんでいたアイルランドの旧教とスコットランドの新教が、このカイン・アベルを一つにして、それを生んで、一つの国をつくらなければならないのです。それが一つの国になっていないから今、紛争しているのです。 それと同じように、エバはカイン・アベルを生んで、自分の子供と一つにするように、一族をしないというと、エバ国家を天国につなぐ道はありません。だから交差結婚をするのです。アダム国家はマイナスです。ちょうど、そうなるのです。だから、お母様も国に帰って、カイン・アベルを生んで一つにしなければならないので、韓国の四十か所の大学を中心として戦っているのです。カインとアベル、カープと共産党を一つにしなければなりません。今、もう一つになっているのです。 それで南のカイン・アベルが一つになった場合には、北の本当の赤、こちらのだんだらの赤と向こうの真っ赤な赤を一つにすることによって、母がそれを生んで一つにすれば、イギリスの天使長、こちらはカイン圏の韓国の天使長、向こう(北)は堕落天使長です。それはいらないのです。分かりますか? (はい)。南北の青年がお母様と一つになって、先生と一つになって、一体となった場合には、彼らは堕落した天使長と天使の立場でみな後について行かなければ、おしまいです。だから韓国の国会は先生が整理するのです。それは、自動屈伏という内容でもってなすのです。血を流すような、打つようなことはしないのです。自動屈伏させないというと、サタンの反発を生むなどして、どこかにつながるのです。分かりましたか? (はい)。 逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1参照)、地上天国です(図―1参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。 真の父母と重生 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。 国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された一六〇の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです。 女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。 そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか? その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。女が命令するのです。女が子供までも絶対命令することによって、天使長の立場に入るのです。分かりましたか? (はい)。天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです。 あなたたちの旦那さんをどういうふうに創造するかというと、(先生が黒板に図―3と4を書かれる)十六歳の時のアベルとカインのように(図―3の )です。このアダムが蘇生、長成から二十代へ、三段階を上がるには、これは長男と長女が上がるようになっているのです。分かりますか? 次男は上がることができないようになっているのです。それで、次男がここへ上がるには、長男の立場を蕩減復帰しないというと、上がることができないのです。蕩減復帰は次男の立場からやるのだから、長男の立場ではないのです。 だから長男の立場を得るには、次男として、アベルがサタンの世界に出ていくのです。八段階です。それは個人、家庭、氏族、民族の八段階です。このようにして、アベルが次男としてサタン世界に出て、迫害を受けて自動屈伏して、長男として全体の支持を受けて、「君たちの言うとおりにする」と言って、故郷に帰ってくるのです。長男として帰ってくるのです。次男として行った者が、勝利して長男として帰ってくるのです。 そうなると、サタンは、あとについて来て、次男の立場に立つので、長男のカインが次男の座、アベルが長男の座に立つのです。だから、ここに来て(図―4の )押して上げることによって、こっち」に上がるのです。分かりましたか? (はい)。このことを繰り返します。分かりますか? 八段階です。こういうふうに上がっていくのです。分かりましたか? (はい)。このようにした場合には、この圏内はサタンに勝利したために長子圏が復帰されているのです。長子圏です。 これを誰がやったのかというと、アダム完成実体なるアダムが成しました。これは十六歳の時のアダムの体に、勝利したアダム全体の体をつないだような立場になるのです。この圏内に五十二億の子孫が、サタン圏にあったものがみな、アダム圏のほうにまとまるようになりました。分かりましたか? こっちから、こういうふうに回って、こういうふうに来ているのです。(先生が図―3・4の全体を円で囲まれる)こっちから、こういうふうに来ても、サタンは反対することができないのです。 だから、再臨の主、アダム完成実体を打とうとして、サタンが八段階の攻撃して、次子圏を長子圏として打って蕩減復帰したので、長子圏でもって堕落しなかったアダムとエバ、長男、長女が上がっていくことができるのです。そこに上がった場合には、いくら下がっていっても、サタンは移行することができません。分かりますか? 自由圏です。だから個人からの八段階に、神様が離れていったけれど、先生が戦って勝利して、神様をお連れしたので、どこへ行っても自由自在に、先生と共に地上世界から地上家庭まで、どこに行っても同居するようになります。 天の地上天国顕現 そうなったならば、世界の万民は接ぎ木だけすればいいのです。分かりますか? 接ぎ木は何かというと、完成したアダムの体を、渋柿に接ぎ木させてやるのです。本当は茎を切って、根っこを切って、こういうふうに接ぎ木するのです。こうやったとするならば、枝でもいいのです。これが三年ぐらいたった場合には、神様はこの根の力を吸収して(サタンのもので)大きくなりたいとは思わないのです。三年たった場合には、この接ぎ木された木から新しい芽が起こってくるのです。芽を出して、こういう芽が生えてきても、これを切ってしまうのです。サタンの因縁でもって、その力を補給してきた悪魔のものを受肉したくないというのです。分かりますか? そうして、これを肥料として、肥料として早く処理しなければならないのです。それであなたたちが、以前に結婚していて再婚したとするならば、前の旦那さんのものを再び結婚した男に見せたら大変です。姿もその表情も指すものではないのです。神様も同じです。 エバが、再び結婚した立場に立って接ぎ木された場合には、接ぎ木は過去の因縁の茎の上に残しておくことはないのです。だから新しい根っこで切ってしまって、これを腐るようにして、みんな肥料として処理してしまうのです。分かりましたか? そういう接ぎ木をいうのです。接ぎ木は、臨時的であって、大きくなった昔の接ぎ木は何十分の一であっても、そのままにしておけば、全部が一〇〇パーセント、サタンの株につながるので、それは嫌だと言うのです。分かりましたか? 神様の接ぎ木は違うのです。 こういうふうにして接ぎ木して、あなたたちの旦那さんを完成したアダムとエバがかわいそうにと思って、本当は元はアダムの体につなぐのに、十六歳の良心基準が第二の神の相対であり、絶対的なる良心が神の立場であった者が、堕落してこうなったのだから、完成したアダムが完成基準で、長成(期)完成級から完成期まですべてサタン権限を残してしまったのだから、アダムの上に再びつないでやったので、何千年、何千万年の歴史を通してたくさん生んだサタンの体であったのが、接ぎ木されることによって、アダムの体の延長として子供を生んだような立場の価値を認められることになるのです。 接ぎ木されて、同じような完成した第二のアダムと、完成した第二の奥さんで、お母様とお父様の第二のアダム、第二のエバとして、そうして、その二人を組んで兄さんの後に弟が、兄さんは真の父母の後に兄弟の夫婦として天に入ることができます。蕩減復帰はこんなに複雑です。こうすれば、サタンは、それについて入ることができません。分かりますか? (はい)。 血統的純潔で接ぎ木して、本然のアダムの体、完成したアダムの体を残してやったのだから、それを乗っ取ろうとすることはできません。個人から八段階を勝利したその基準にはみなアダム完成権限があるのだから、それに再び侵入することはできないのです。分かりましたか? そういうふうにして、女も、男も、子供もみな完全に勝利することによって、それが一体となることによって、天の地上天国が顕現するようになります。分かりましたか? 中にはこういうふうに、再びお母様の腹に入って、こういうふうになるのが(先生がしぐさされる)「真の父母と重生」という話です。分かりましたか? 真の父母と重生です。分かりましたか? (はい)。覚えておきなさい。分かりましたか? 重要なことです。(はい)。お母様の分身であるということが、はっきり分かりましたか? (はい)。 これが地上天国です。新しく生まれてくるのであって、サタンとは全然関係がないのです。これは、みんな男を失った者が、天使長と一つとなってきたことをみんな切ってしまってどうするかというと、再び完成したアダムが勝利を接ぎ木してやることによって、第二のアダムとして、第二のお母様のエバとして立っている相対と組んで、堕落しなかった姿で、長男と次男の夫婦が天国に共に入ることができるのです。 こんなに復帰が複雑なのに、キリスト教を信じていて救われるというのですか? 分かりましたか? (はい)。「真の父母と重生」が分かりましたね? (はい)。蕩減復帰によって、こういうふうにならざるを得ないのです(図―1参照)。こういうふうに生まれた場合には(図―1参照)、地上天国です。ここはサタンとは全然関係ないということです。だから、真の父母が絶対的に必要なので、そこに生まれた者は絶対的に神に属することができるということが分かりました。 それから、第二の旦那さんをいかにもらうかということです。妾の女が再び結婚するには、妾の男が必要です。二番目の男と同じです。それをもらうことで同じ立場で一つになって、長子と次子のカップルとして、神の国に入ることができるのです。分かりましたか? (はい)。 本当の純潔の祝福家庭となるには これは話しておかないと、君たちが今からの地上で解決する、直接解決する問題です。問題の言葉です。先生が成し得たすべてを君たちは、こういうふうな戦いの反対、サタンの反対圏内ではなく、歓迎圏内で氏族を中心として回復するようになっているのです。統一教会の真の父母と全世界の女たちが兄弟として、こういうことをなすようになっているのです。それが統一教会で、統一教会の世界本部で、先生を中心に、お母様を中心として、こういう運動がなされていることを忘れてはなりません。 父母様は絶対必要ですか? (はい)。どのくらい必要か考えているだろうね。「いやー、重生。第二の祝福家庭」。これは原理にないことです。原理タイプに合うようにして、ハンダ付けをして神の国に入るのです。あなたたちは三代を通過しないと、本当の純潔の祝福家庭にはなりません。同じ過去、蘇生、長成、完成期だから、第一次先祖失敗、第二次先祖、第三次先祖の四十年間を迫害したという基準が残っているから、第三代までは忠誠を尽くさなければならないのです。家庭的に、長男においては天使長家庭として忠誠を三代尽くさなければなりません。分かりましたか? (はい)。 アダム家庭蕩減、イエス様家庭蕩減、再臨の家庭蕩減、三代の忠誠を尽くさないといけないのです。分かりましたか? (はい)。向こうの後ろに立っている者、分かりましたか? (はい)。 こんなおとぎ話みたいなことを、現実に成していくということです。だから、こういう内容を知らないと、先生が分かりません。先生がいかに必要かということは、こういう内容を知ることによって、いかに必要かということが分かるのです。絶対的か、相対的か、それは君たちが決めるようにするのです。相対的ならば相対の立場に立っても、地獄には行かないのです。中間で待っていながら、何千万年も訓練していくのです。 そういうふうにやりたいか、積極的に先生の言うように、「ぴゅー」と、先生と歩調を合わせて一体となっていくか? それは自由です。中間に立って見ながらやるのと、どっちですか? 直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? 直接を願う者は、手を挙げてみなさい? (はい)。みんな、欲望ばかりだ。(笑い)ただ、そういうように手を挙げただけで通過すればいいのだね。(笑い)そうはいきません。 蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。 第一先祖、第二先祖、第三心情先祖をつないで、自分の子孫たちにも同じ立場で祝福して、それを平面に立たせた場合には、数千代が入籍して大移動が起こるのです。日本人は、エバ国家になっていても、そうなった場合、アフリカに大移動していくのです。それが、統一世界です。全世界に散らばるのです。それで、全世界に先生が早く混じっていくのです。孤独にならないようにです。分かりましたか? (はい)。 日本人が世界的に混じっていくのです。韓国人も散らばっているのです。韓国人の男も、女も韓国の政治体制の不均衡のためにみな世界に行っているのです。帰ってくればチャンピオンです。だから今から、日本の女を送ります。日本の女を送った場合には、韓国の男を送ります。父母の代わりです。分かりましたか? (はい)。 日本の男女、家庭的な父母家庭になるのです。未来において、将来、総理になった場合には、男一人が総理にはなりません。それはカイン・アベルと父母が一つになって総理になるのです。夫が総理になった場合には、副総理は奥さんです。それから重要な部署はみな子供たちが治めるのです。そこには暴力とか詐欺は通じません。原理原則を中心としてやっていくのです。そうなると、その家庭には、総理家庭として侍るようになるのです。分かりましたか? (はい)。腐敗した組織体制、政治体制はなくなります。謀略、戦略、戦術でもって、やりくりする国家のように、サタン的手腕でもって悪辣な者が上に行ったり、下に行ったりする、そんなことはできません。原則的な世界に向かっていくのだから、そういう時代になってきます。 それで、未来にどうなるか分からないのだから、家庭を中心に転覆しなければならないのです。世界が原理的に分かるようになっている統一教会の人たちは幸福です。こういう混乱なる世界を泳いで、自由に花園、彼岸に向けていくらでも泳いでいくことができます。分かりましたか? (はい)。先生に感謝しますか? (はい)。反対したら、「謝感」です。感謝の反対は謝感です。(笑い)君たちは、感謝というが、先生から反対見たら、謝感です。感謝してるの? (はい)。どのくらい? それは表示できません。何千万年の功労が、こんなにたやすく得られるのです。だから、真の父母の心は、いかに投入して、投入して、投入して、無限に投入して、自分の夫を求めてきたという、神様の親の心情で感謝する以外には何もありません。分かりましたか? (はい)。そういうふうに心にとめて、もう時間も過ぎましたね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.12
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「文鮮明先生御言選集 19931220 -「 蕩減復帰の峠を越えましょう」(1/2) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」の続きです。「蕩減復帰の峠を越えましょう」(2/2)(摂理的総決算)1993年12月20日韓国・済州研修院 蕩減復帰は堕落の反対の道をとる イエス様の奥さんは、勝手にもらうことはできません。それは原理、原則によって二代が共に通過しながら、マリヤとエリサベツのお母さんたちができなかったことを蕩減復帰しながら、二代のすべてを、それはレアとラケルのお母さんのように援助して、援助して、お父さんお母さんのすべてを援助して、これ(A)が一つになって、これ(B)と一つになって、そうなることによって、カイン・アベルのお母さんたちを中心として、子供がいればこれ(C)がイエス様と一つになった場合には、お母さんたちが一つになった場合には、この二つ(A)と(C))がザカリアを中心として統一されるのです。神様を中心に全体が一つになることになるのです。 そうすると、イエス様の奥さんは誰になるかというのです。なぜ結婚できないかというと、勝手に結婚はできません。女であれば、誰とでも結婚するのではないのです。必ず蕩減原則によって、血統的な問題になるのだから、蕩減復帰するのです。エバがするのです。エバは堕落したために、長子と父をだましたのです。アダムは子供です。神様は父です。父子をだましているのです。分かりますか? エバは堕落した時、アダムをだましたし、神様をだましているのです。これを蕩減復帰するには、反対の道をそのとおりに、目には目、歯には歯です。旧約時代は、そこで損なったとおりのものが傷付けられるようになるのです。エバが二人をだまして、長男と神様、お父さんをだましたから、復帰される過程においては必ず、神のほうに立ったエバの代わりの人が、長男とお父さんをだまさなければ、帰っていくことができません。 そういうふうに、これらが結ばれてしまったのだから、反対の方向にしていかなければ道がないのです。堕落したとおりに、目には目、歯には歯で、同じようにです。分かりますか? (はい)。エバは長男のアダムとお父さんをだまして堕落したのだから、神のほうのエバの代わりのリベカは、長男とお父さんをだましているのです。堕落の日に、長男と神様をだまして、それを、この長男が相続したのです。 神様は堕落によって、みななくしてしまって、これだけしかないのです。だから良心は神様のものであることをサタンは知っているのだから、サタンは肉身を中心として成り立っているのだから、良心のほうを神様は取らなければならないのです。上のほうをみなサタンは取ってしまったのだから、(神様は)これをみななくしたのだから、反対のほうのしっぽを握らなければなりません。しっぽです。分かりますか? アダムのほうをみな、サタンが取ったのだから、それ蕩減復帰していくには、一番しっぽを握って、逆の方向に行かざるを得ないのです。 そうなるというと(先生が図―8を書かれる)、神様の良心のほうがプラスになるのです(A)。これは原理原則から、こっち(B)がプラスで、こっち(C)がマイナスです。これを蕩減復帰で反対の方向に、これ(D)をプラスにして、これ(E)をマイナスにしないといけないのです。そうなると、こちら(サタン)のほうは家庭を持ち国を持つのです。世界はサタンのほうで、神につく者はアベルしかないのです。分かりましたか? それでアベルを殺してしまうのです。セツがアベルの代わりになって、歴史を通して、過ったものを、歴史過程を中心として個人で失敗したのを家庭で、家庭で失敗したのを民族で、民族で失敗したのを国で、国で失敗したのを世界でというようにして、移行しながら、大きい分野で成功した場合には、民族を責めても、その中には氏族、家族があるのです。 こういうふうにして発展の度数を高めながら、イエス様は国において失敗したのだから、再臨の主は世界の土地を中心として再び収拾することによって、世界完成がなされた場合には、国も完成するし、民族も家庭も完成するのです。分かりましたか? (はい)。 蕩減原則によって、(リベカは)父子をだましたのです。エソウは長男です。それから夫のイサクをだましたのです。考えてみなさい。(ヤコブは)自分の兄さんが祝福を受けようとする時、リベカがヤコブを誘って、羊を殺して、それで偽装して、長子が毛が多いから羊の皮でもって(夫を)だますような女は部落中で、身を鞭打ちして殺されるような者です。そんな者を神様はどうして、なぜ祝福したのか? それは今まで、聖書の謎として残っているのです。何の話か、分かりますか? 分かりますか? (はい)。 なぜ神様は、こういう悪辣な女のほうに立って祝福してやったのか? それが、なぜイスラエルの選民圏になったのか? これは大変なことです。これは、人間の観点では理解できないことです。先生が現れて、こういう内容を明らかに説明することによって、結ばれたものを解かなければならないのです。目には目、歯には歯、そのとおりに蕩減していくのです。分かりましたか? (はい)。それは、お父さんをだまし、長男をだまして、祝福の権限を弟のヤコブのほうに乗っ取ってしまったのです。エバはだましてカインのほうです。まるっきり反対にしたのです。だから、弟を中心として逆のほうに上がっていくので、サタンは全権でたたきつぶすのです。分かりますか? (はい)。 こういうような因縁で、(先生が図―9を説明される)何回もこういうふう(A)(アベルとカインを一体化)にして、兄弟を復帰することによって、これ(原理原則のプラスとマイナス)が生まれてくるのです。環境には必ず主体・客体があるように、これ(B)(カインとアベル)が一つとなって、小さいプラスになって、(C)(カインとアベルとエバ)大きいプラスと相対的関係で持っていくのです。分かりますか? エバを中心としてカイン・アベルが一つとなって一八〇度違った所に、旦那さんと完成したアダムと神様が上がっていくのです。だから、これ(D)を切ってしまうのです。天の神様。天の旦那様。これ(E)は天から来るのです。分かりましたか? (はい)。こういうふうにつなぐのです。 そうして大きいマイナスになって、もっと大きい神様を中心として、こういうふうにして(F)一つになっていくのです。分かりますか? これを何というかというと、「蕩減復帰の峠を越える」という題目の中の、一つ目は何かというと長子権復帰であり、二つ目は何かというと、父母権復帰です。分かりましたか? 父母権復帰です。三つ目は何かというと、王権復帰です。四つ目は何かというと、皇族圏復帰です。皇族というのは、レアを中心とした女と子供とラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っているのだから、皇族というのはイエス様の直系の子供ではないのです。分かりますか? 堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちが復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神の正妻になって、妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。反対にして帰っていくのです。分かりましたか? (はい)。 このことを再臨の時代に見た場合には、お母様と君たちは姉妹です。女は一つになるのです。正妻と妾と同じです。だから、あなたたちに旦那さんはいないのです。分かりますか? それを真のお父様がつくってやらなければならないのです。君たちは、それまではずーっと女として未完成の女です。再び、真の父母が生んでくれなければ、真の女にはなりません。分かりましたか? (はい)。 こういう皇族圏というものは、一族が復帰されたヤコブ圏によって反対になったと同じようなものを皇族圏というのです。それは復帰された、神様から見た正妻の立場に立った女と子供の所が長男です。長子権復帰の権限を持つのだけど、長子が次子としてここに一体となっていくのです。そうなるというと、本妻にラケルとマリヤがなって、エリサベツとレアが妾の立場より復帰していくのです。サタンのほうの姉さんが、本妻が、妾の立場で一つになっていかなければ復帰はできません。ちょうど反対です。分かりましたか? (はい) そうなると、イエス様の相対は誰になるかというと、(先生が図―10を書かれる)アダムの妹です。アダムの妹を天使長が取っていったのです。これが堕落です。カイン(洗礼ヨハネ)の妹を、今度はアダム(イエス様)が取ってこなければならないのです。これが蕩減復帰です。分かりますか? イエス様とヨハネの関係を見れば、こっちがカインです、こっちがアベルです。アベル(アダム)の妹をカインが取っていったのだから、カインの妹を、今度はアベル(アダム)が取ってくるのです。まさしく蕩減復帰です。そうなるというと、洗礼ヨハネの妹を、イエス様は妻として迎えなければならないということになるのです。 そうなったとするならば、大変なことになるのです。ザカリヤから見ても、またマリヤ自体も大変なことです。それがばれた場合には、部落中で石打ちにされるのです。マリヤはそれを口にして言うことはできません。ヨセフはというと、ヨセフは自分を守って保護してくれた男です。それにしてもヨセフは、「おなかに身ごもった子供のお父さんは誰か?」と聞いたでしょうか、聞かなかったでしょうか? 何回も聞いたのだけど、「聖霊によって身ごもりました」と。それを証しした場合には、一族がぺちゃんこになるのです。 お父さんのザカリヤは、それは許されません。異母共混血になっているのです。大変なことです。その時のユダヤの歴史において、法律に許されません。分かりますか? 再臨の主を迎えそこねたアメリカの運命 こういうような近親相カン関係が、神様を中心とした世界的蕩減復帰においては、生まれてくるのです。だから、なぜアメリカが、新婦教会、新婦の第一国家として、キリスト教体制を成して王座に座ったアメリカが、なぜフリーセックスの国になったか? 近親相カン関係で、なぜこういうフリーセックスをやっているかというのです。 それは、再臨の主を迎え入れたとするならば、再臨の主によって、こういうような内容を明らかに整理して、みな回っていくのができるにもかかわらず、再臨の主を追い出してしまったために、再臨の主のために準備した勝利の英米仏諸国を、みんなサタンが取ってしまったからです。 上のほうをサタンが、アダム、エバ、カインを取ったと同じように、神様はしっぽを再び泣きづりながら取らざるを得なかったのです。英米諸国が先生を反対するようになったので、反対の立場で神様と先生は荒野に追い出されてしまったのです。今まで数千年の勝利の基台を完全にサタンが握ってしまったのです。サタンは四十年間、キリスト教文化を完全に否定して、共産圏の足場がキリスト教になっているのです。日本も、そうなっているのです。韓国も、世界も、そうなっているのです。なぜそうなったかというと、キリスト教文化圏が再臨の主に反対したために、みな乗っ取られてしまったからです。サタンの足場になって、キリスト教理想の崩壊のために、サタンの全権を張るような地上地獄を拡張しているのです。分かりますか? (はい)。 こういう現実を原則から、近親相関係でもって崩壊直前に属しているアメリカの運命を救う者はいません。なぜ、そうなったかというと、再臨の主を押し出してしまったから、蕩減復帰によって、そうならざるを得ないのです。再臨の主が、再び四十年の歴史を経て帰ってくることを知っているから、サタンは全権を振るって、めちゃくちゃにしてしまったのです。教会には若い者が一人も残らないし、おばあさんばかりが残って、葬送曲をかけるような悲惨な教会になってしまっているのです。教会が恋愛と男女関係、フリーセックスの紹介所になっているのです。それから、女同士、ホモセクシャル。天使長は最後の末端に迫ってくるのだから、相対関係を許さないのだから、男同士で、女同士で、相対関係を許さないのです。 そのように再臨の主の希望が、完全に、男女でめちゃくちゃになっているのだから、それを収拾しなければ神の理想圏に帰ってくることはできないのです。完全に破壊したものを、神様は完全に再創造してしまうのです。それは誰によってかというと、再臨の主、統一教会を中心としてです。サタンの崩壊が、なぜこんなにも大きくなったかということが分かりましたか? フリーセックス、ホモセクシャル、レズビアンというのは、サタンの拡張運動であり、地獄万能圏を成しているのが、今の世界です。だから、理想的愛が根本的に崩壊しているのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。 アメリカでは、おじいさんが自分の(息子の)嫁、自分の孫のお母さんと関係するのです。自分の(息子の)嫁、それから孫娘と関係するのです。おばあさんは自分の子供とするのです。自分の孫とするのです。だから、獣だというのです。それで、女嫌いになるのです。男嫌いになるのです。だからといって、人間の性的欲情は残っているし、自分一人ではそれを解消することができないから、共にそういう欲情解消運動が、ホモとレズビアンになっているのです。獣でもそういうことはしないのです。 また、妻をもらった場合には、アメリカでは大変です。結婚した場合には、すぐに離婚するからです。離婚した場合には、自分の財産が半分ふっ飛ぶのです。財産泥棒です。悪魔です。エバは最初に神様の財産を乗っ取っていきました。まるっきりそれです。愛を売って、それから所有権を争奪していくのです。これはもう、末恐ろしいことです。分かりますか? 近親相カン関係が、こういうように回るということを神様は知ったのだから、家庭的な基準を、これからは環境で許容される周辺を掃除していって、そこで引っ張りだこに回って、みな切ってしまうのです。だからアメリカが再臨主に侍った場合には、全部が回って天に帰る道ができたのに、それを押し出してしまったのだから、サタンが主人になって完全に全滅するような境地に落ちているのです。それは、全滅の境地としてです。先生はその反対に上昇し、頂上に上がっているのです。だからひっくり返すには、国を下、国民をこういうふう(上)にするのだから、国民の基盤を高揚しないといけないということを考えているのです。分かりましたか? (はい)。 血統転換 こういうような関係でもって、(先生が図―11を書かれて説明される)これはヤコブ家庭と反対になってしまったのだけど、結局はイエス様が、これを成し得ずに死んでしまったのだから、再び来なければなりません。分かりましたか? (はい)。これが長子権復帰です(A)。分かりましたか? 長子権復帰です。これが父母権復帰です(B)。父母権復帰です。分かりましたか? (はい)。これが王権復帰です(C)。神様を介入することによって、国が成立するから王権復帰です。分かりましたか? 三番目の皇族圏復帰は、正妻圏が復帰されてきて、妾が正妻になり、正妻が妾になるような立場で立つのだから、マリヤの立場が姉さん、エリサベツは妹として、神様の妾の立場で蕩減復帰して、まるっきり反対にして、神に帰らなければならないのが蕩減復帰原則です。 これは先生の話ではないのです。数千年の歴史の旧約、新約の内容が分からない道で、今は日本を探しているのです。世界は日本を探して回っているのです。分かりますか? これは否定できないことです。数千年前のヤコブも、リベカもそうです。自分の腹の中で、ヤコブとエサウを身ごもった時に、二人の子供が戦っているのです。「神様。二人の子供が戦って、どういう訳ですか?」と聞くと、神様が言うには「あなたの腹の中には二つの国をはらんでいる。大きい者が小さい者に侍るであろう」と言っているのです。それは、何の意味か分かりますか? リベカも分からないのです。これは、先生が内容を明らかにしたことによって、はっきり分かりました。 神様は世界がいかに反対しても、リベカを中心として、み旨を全うするのです。リベカは四十歳で蕩減復帰しました。しかし、それでは、四十歳以下を中心として腹の中で、まだ蕩減されていないのです。だから、タマルを中心として、ペレヅ・ゼラを中心として、腹の中で、子宮の中で転覆運動をするのです。兄さんが先に出ようとするのを引き戻して、弟が兄さんの立場で出るのだから、血統基準下から、長子が逆になったのをもとがえしてきたのです。その血統をつなげて、イエス様が殉教されたので、イスラエル民族を中心として、選民民族を中心として、二〇〇〇年の後に国が成立する基準になった時に、初めて地上に生まれてくるのです。 なぜ、国の基準を待たなければならないかというと、サタンは国を中心として、たくさんの国をもって神のほうを反対してくるのです。分かりますか? だから、神様も中心の国が必要なのです。なぜかというと、兄さんは、兄弟圏です。地上平面の立場に立って、弟になった者が兄さんの権限を復帰するのです。イエス様はローマから見たら弟です。それを長子権として、ローマを弟の立場に転換しなければ、天下統一になりません。みんな原理的になっているのです。 それで、ヤコブがリベカを中心として、血統を転換した純潔の相続が二〇〇〇年続いてきたのです。二〇〇〇年の間に、いろいろな悪魔の戦場にあって、血統を汚される疑いがあるから、マリヤ自体もそっくり、リベカとタマルのように、タマルも自分の旦那さんを否認し、舅を信じて身ごもったのです。そうでしょう? それと同じように、国家を代表した中心者として王様として生まれてくる純潔な血統に対しても、もう一回、それを聖別するためにマリヤはエバと同じような行動を取るのです。 ヨセフは、アダムとエバの約婚の時のアダムと同じです。分かりますか? それが堕落したのだから、ヨセフを約婚した時にだますのです。ヨセフを長男として、お父さんが嫁として決めたのだから、結婚すれば一家の希望の道が生まれてくると望んでいたのに、とんでもない子供を身ごもってしまったのです。それはヨセフのお父さんに、自分のことと言ったに違いないというのです。(そこでマリヤは、ヨセフを)だますのです。まるっきり同じです。同じですか、同じではないです? (同じです)。 それからマリヤは、一家すべてに対してうそを言ったのです。そのような転換の責任を持った本人は、こういうことを成し得ることができるのだけど、普通の人はできません。全部がそういうふうにやったら、大変なことになるのです。それは大変なことになるのです。(皆さんは、)中心の本部が転換した場合、一体となっていけば自動的に神に帰ることができるのです。分かりましたか? (はい)。 マリヤも旦那さんを、神の長男のヨセフをだまし、自分の父をだましたのですか、だまさなかったのですか? 蕩減復帰は、それを犯したとおりを再現して、反対の一八〇度違う所に立つことによって、天の基台になるのです。だから、マリヤも、彼らをだまして、国家的基準でイエス様を生んだことによって、イエス様は悪魔を退治し、国家的基台として、未来にはローマを屈伏して、長子権を復帰して、天下を取る中心になるのです。それで、個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、イエス様が王権、国を立てたとするならば、その国の中心に立つのです。サタンは相対圏だから移動してなくなるのです。 真の父母と成約時代は神の干渉圏 統一教会が国を持ったとするならば、その国を打った場合には、世界中がいっぺんにやられるのです。鉄柱の杭を打ったと同じように、その流れにある国とかはぺちゃんこになるのです。分かりますか? 蕩減復帰の原則は、それを否定することができないのです。これは、先生がつくって、いいように当てはめて言うことでしょうか? 原理原則に合ったその基準につないで、それを発表しているので、こういうふうに歴史がつながるようになったのでしょうか? どっちですか? (……)だから問題です。文先生の解説と聖書の観と、自分たちが解いた観とはめちゃくちゃで、とてもつながりません。一から十まで全部がばらばらになって、いろんな集団のキリスト教の宗派をつくってしまったのです。しかし、統一教会はそうはいきません。ちゃーんと前後がつながっているのです。 蕩減復帰して、堕落したその内容を反対にして、その内容が原理原則になっているので否定できません。分かりますか? こういうような悪辣な女の伝統を、神様が抱擁して祝福したその理由は何か分かりましたね。目には目、歯には歯。堕落したのと反対の方向に上がっていかないと、元に帰ってくることはできません。反対の方向を取っていくのだから、上はサタンが国を先に持っているのでみな、完成に到達しなければ神様が降りて援助することができないのです。アダム・エバの堕落に不干渉したと同じように、自分の子供たちを未完成期に殺しても、(神様は)降りてきて援助することができなかったのです。分かりましたか? (はい)。 事実、クリスチャンたちがローマの闘技場で、ライオンなどに殺されるのを見て、なぜ神様が干渉できなかったのか? それは、アダム・エバが堕落するのに干渉できなかったことと同じです。完成圏以上に到達しない者は、サタンの廃品になっているのだから、それに神は干渉することができません。 しかし今は、そうではありません。「真の父母と成約時代」を発表したことは偉大なことです。神の干渉圏に入ったということです。分かりますか? (はい)。だから、全世界がお母さんを歓迎しているのです。これに反対したら、めちゃくちゃに霊界から一億が「ばぁー!」と、ぺちゃんこになってしまうのです。先祖たちが総動員して降りてくるのです。それで、特にお母さんたち、女たちは、「真の父母と成約時代」を発表したのだから大変です。今まで女は地上に降臨して援助するようになっていませんでした。分かりますか? お母様が勝利して、世界的に女子解放を宣布して、「真の父母と成約時代」を宣布したから、家庭的完成圏ではなく、世界的な、最頂上でもって勝利圏を発表したのだから、世界頂上を中心として、先祖たちがすべて降臨して援助するようになるのです。 特にお母さんたちが、今こそ働く時代になっているのです。分かりましたか? (はい)。昔は男たちだったのだけど、天使長の直系の男たちだったのだけれど、今はそうではないのです。再臨の主の直系になるには、お母さんの体を通して再び生まれなければ、直系にはなれません。だから、女が霊界、地上界を統一する時代になったので、女権時代に移行してきているのです。分かりましたか? (はい)。 君たちは、こういう蕩減として、動員されてきても、心も浮き浮きして、「済州島、済州島、済州島、済州島へ。死んでも行きたい! 死んでも行きたい」と、そうなるのです。(笑い)運勢がそうなっているのです。だから、「自分たちは行かない」と何回も決心した者も、来ざるを得ないようになっているのです。(笑い)自分がやったのではないのです。みな先祖が何十名、何百名、何万名と動員しているのです。やらなければ大変なことです。 物的旧約時代の蕩減時代が来るのです。それを聞かなかったならば、新約時代の子供を打つのです。「物を犠牲にせよ」と今、統一教会は、打つ者を神に返しているのです。「日本の統一教会の負債を弁済しなさい」と言うのです。そういうものを、こうやったら、ぺちゃんこになるのです。その次は、子供がぺちゃんこになるのです。その次は、自分たち夫婦がぺちゃんこに、一家がぺちゃんこになるのです。蕩減を平面的にして、旧約時代、新約時代、成約時代となるのです。成約時代は夫婦をいうのです。一家がぺちゃんこになるのです。間違いなく蕩減原則は生きています! だから、先生は子供たちに、貯金なんか残してやらないのです。全部、未来の国の教会のものです。分かりますか? そうしなければ打たれるのです。子供が引っ掛かるのです。子供が、その金のために引っ掛かるのです。蕩減復帰させるものがないので、それで子供が打たれるのです。それは親がやったのだから、父母が打たれるのです。大変な時代に入りました。エバは何の所有権もないのです。堕落した子供は所有権がないのです。分かりましたか? (はい)。 だから、君たちは神に献納したいですか、したくないですか? (したいです)。それは、先生の子供を通して、長男と次男の立場に立つ先生の子供を通して、お母様を通して、先生を通して、神に返還していくのです。一、二、三、四。四代目です。カイン・アベル、カイン・アベルとして、父母様を通して上がるのです。分かりますか? 返還して神の所有物となった、神の所有の下で、本当の神の祝福を受けるのです。だから、三回待つのです。世界が一つになって、すべてを神のほうに返納する時まで、アダム・エバの祝福の所有権は神になっていたのです。分かりますか? サタンのものをみんな返納した上で、最後の祝福を受けるのだから、祝福は三段階です。二段階がまだ残っているのです。国家的祝福、世界解放祝福です。その後、君たちは何も持っていません。それで真の愛と、真の子供の種をもらうのが最高の目的です。それをもらわないというと、未来の所有権も持てません。子供の名を持たないというと、所有権も持てません。これは、先生の話ではないのです。 神の相対になった場合、天運が保護する だから、統一教会を中心として、世界が統一にならざるを得ないのです。戦う中でそういうふうになっているのです。原理原則がそうなっているからです。それはつくりごとではないのです。イエス様の時代も、物品共有共用時代だったのです。アナニア夫婦なんか、(使徒行伝五章を参照)そうです。自分の財産をみんな売って、イエス様を中心にしてみな共同生活をしているのに、アナニア夫婦は、自分たち二人で組んで、半分を全部だとして、自分たちもみな弟子と同じように、「自分の全財産を売って持って来ました」。「全部ですか?」「はい、そうです」と。それで、その場で倒れて死んでしまうのです。神様をだますとそうなるのです。天的良心のコンピューターをだますことはできません。分かりましたか? (はい)。女の子は貯金帳を持ったら駄目です。結婚していない者は、自分の貯金、所有権を持ったら絶対駄目です。まだ子供として養育する父母の養護をもらっていないのです。真の父母に会ってもいないのです。全部がそうです。 だから今の時は、みんな金の袋は女に任せるのです。神のほうに、エバがみな総動員して、泥棒していったのだから、エバがまとめて探してこなければならないからです。真の自分を探してこなければいけないのです。これは先生の話ではありません。 神は創造主です。投入して投入して、最も投入してつくる者に、金は回ってきます。神の相対になった場合には、天運が保護すると言ったでしょう! 先生の命令を絶対視していってみなさい。金は自動的です。先生は金など心配しないのです。生活も、今までの生涯、一回も考えたことはありません。金がなくなったら、ちゃーんと飛んできます。霊界で命令するのです。先生はそんなことをたくさん知っているのです。これはみな、自分の宝だと思ったら、何百万、何億、何十、何千と。名前も教えてくれるのです。それを計算した場合、神様の言ったことと一銭でも違った場合には、サタンと思って、これを実行しなければなりません。言ったとおり一銭までも合うのです。「それをどこまで持っていって、どこどこの文先生の所に持っていって」と、名前は知らないのですがさーっと飛んでくるのです。そういうことがいくらでもあります。分かりましたか? 先生は心配しないのです。エバが心配です。 先生がエバ国家を中心として、全世界のエバ解放のために準備したものが、そのためにみな関係した者が、錨につないだ縄がみな切れてしまうのです。錨がなければなくなってしまうのです。船は太平洋を流れて、流れて、それは果てしなく流れてしまうのです。それを信頼する者はいません。だから先生が責任を持つのです。 長子権、分かりましたか? 父母権、王権、皇族圏。これが、「蕩減の蕩減復帰の峠を越えましょう」の全般的内容になっているのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.10
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天の父母様聖会 孝情ヌリ Festival真のお母様登壇は1:02:00頃からです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.08
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「蕩減復帰の峠を越えましょう」(1/2)(摂理的総決算)1993年12月20日韓国・済州研修院 旧約時代、新約時代、成約時代の目的 聖書では、「再び蘇るという」ことをいっているのです。再び生まれなければなりません。それで、イエス様にニコデモが夜に訪問して尋ねました。「いかにすれば救われますか?」と。その時、イエス様は「再び生まれ変わらなければ、それは救われません」と言いました。それでニコデモが言うのには「いかにして、大きくなって再び腹の中に入って生まれることできますか?」。「それも知らずして、イスラエルの先生になっているのか」と、イエス様が反問したことがあるのです。だから、重生の意味は重ねて生まれるということです。最初に生まれたことが間違っているから再び生まれ変わなければならないという意味です。イエス様は、はっきり話しましたが、その内容は説明しなかったのです。言葉では言っているのです。 旧約時代、新約時代、成約時代です。(先生が黒板に図―1を書かれる)こうなるのです。神様の摂理の中心思想は、真の父母を再び取り返してくることです。創造するのではないのです。 サタンによって盗まれていったのだから、もとがえしてこなければ、探し求めてこなければなりません。きのうの「真の自分を探しましょう」と同じく、失ってしまったということです。分かりますか? そうするには、良心を絶対なるものとして、それと一つとなる道以外には、自分を探すことができないというのです。それでは誰によって教わるのかというと、自分ではないのです。良心は何も知らないのです。堕落圏において長成(期)完成(級)基準の未完成期において、知らないで堕落した基準を凌駕する者が一人もいなかったのです。それを凌駕しないというと、サタンの支配下に永遠に止まります。 それで、神様は真の父母として、蘇生(期)完成(級)基準ではなく、それを凌駕している完成(期)完成(級)基準に到達した場合には、神の直接主管圏に入るのです。だから間接圏は、神様の直接主管圏を中心として主管されるような基準に及んでいないので、その下に行って愛の問題を完成するようにはなってないのです。分かりますか? (はい)。何も知らないで堕落するのは、その知らない基準に神様は降りていくことができないから、そのまま待っている立場ですから、それを見ながらも、堕落することをほうりっぱなしにしました。それでアダムは分からなくって、知らないうちに堕落しました。そうなるというと、完全にアダム自体が分かるような基盤を、再び探してこなければならないのです。 それを探してこられる方が、この世の中の救世主であり、宗教圏ではメシヤというのです。日本では、メシヤのことを食堂の親父と言ったね。(笑い)最初に先生に言ったのです。「メシヤは食堂の親父だ」と。(笑い)本当ですよ。霊的な食物の親父がメシヤです。そう考えてみると、それは間違いではないのです。 旧約時代、新約時代、成約時代の目的は何かというと、アダム・エバが完全に完成し、完全なる真の父母の立場に立つべき立場を失ってしまったのだから、地上のサタンから、真の父母たる者を再び取り返してこなければ復帰ができません。復帰は反対の道をたどっていくので蕩減復帰しないといけないのです。だから、これは皆、連関関係を持っているから一つでも抜いたら説明に困るのです。 本当は、きょう「蕩減復帰の峠を越えましょう」という話をしたいのです。(先生が黒板に図―2を書かれながら説明される)神様。これはアダムです。エバです。カインです。アベルです。サタンです。アダムです。エバです。カインです。分かりましたね。アベルです。堕落しなかった場合には、神様の命令にアダムが従えばいいのです。アダムの命令にエバが、エバの命令に長男が、長男の命令に弟が従った場合には、それで済むのです。主体のプラスの前に横的になって、一つになればいいというのです。だから、アダムの命令をエバが守ればいいのです。エバがアダムの命令と一体になった場合には、相対関係だから、神様の直接命令を受けなくても完全なる完成の立場に立つのです。 中央政府を中心として、国会を中心として、行政機関を中心として、中央の下には県があるのです。県知事を中心として、県全体が県知事と横的に一つになれば、中央政権の干渉がなくても、国家という木の枝の立場を守ったと同じような価値の位置に立つことができます。郡は郡の長を中心として横的に一つになればそれでいいのです。県の知事に聞く必要はありません。分かりましたか? (はい)。こういうふうになっているのです。 だから、この前にも言ったように、良心は神様の前には第二の神様の立場であるのだけれど、自分には絶対なる神様であるというのです。だから、神様が干渉しなくても、プラス・マイナスが一つになれば、それで「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。 神の創造と人間の堕落 そういう観点から見た場合に、神様の命令をアダムがエバに命令すれば、それで下が完成されるのです。エバはアダムの次に、カインと一つになればいいのです。アダムの指示する方向にコントロールする方向に相対的に合わせていけばいいのです。母を中心として、長男と母が一つになった場合には、お父さんに聞かなくてもいいのです。家庭の規則がそうなった場合には、規則を子供に言い聞かせて、母の言葉と一体となった場合には、お父さんとお母さんの話を聞いたと同じであり、それから神様の話を聞いたと同じであるというのです。分かりましたか? (はい)。便利なようになっているのです。だから、カインはアベルを重視し、アベルとカインが一つとなったら、主体・客体関係で収まるようになっていたのです。 こういう者が堕落したために、みな怨讐なのです。怨讐になってしまったのです。アダムはサタンに対して、「この野郎 君は神様の王子となるべき者を堕落させて、地獄の王にさせた」と言うのです。怨讐です。分かりましたか? それでアダム・エバ同士でも、エバはアダムに対して讒訴するのです。「私は堕落したけれど、あなたが主管圏を転倒したから堕落したのだ」と。責任を転嫁させてしまうのです。それは堕落の傾向です。女はみなそうするのです。女のけんかを聞けば、みな偉そうに、みんな自分が全部いいように、相対は全部悪いように言うのです。みな被せて責任を転嫁してしまうのです。だからみな怨讐です。「この野郎、何をやってるのか 君が堕落して、みんなを誘致して」と、そんな馬鹿なことを言っている怨讐です。それで、子供は「お母さん何で堕落して、地獄の長男になるようにして、何です」と。みな反対なのです。だから、カインがアベルを殺したように、みな反対するのです。みな怨讐になっているのです。 怨讐を植えてしまった家庭だから、世界は、みな分散するのです。怨讐のサタンの子供たちが成長して皆、サタンと同じくなったのだから、みな成熟して、自分なりの主張をして誰も聞かないのです。「お父さんは何だ?」「サタンだ」。「君は何だ?」「夫婦だ」。「旦那は何だ? 妻は何だ?」「君が悪いじゃないの」。お母さんは子供に「君が悪いじゃない」。「お母さんが悪いじゃないか」。兄さんは「何だ 弟が悪い」。弟を殺して、「この野郎」。全部、そういうようにして、みな別れていくのです。 だから、植えたとおりのことが結実されるのです。アダム、エバの堕落の実です。それは、いちじくの木の下でもって淫行行為をして堕落した青少年の倫理問題がなぜこうなるかというと、エデンの園においてそういうようなティーンエージャーによって人類が堕落して、自由行動でもってめちゃくちゃにさせたものを植えたのだから、末の結実の収穫期、秋の収穫期になると、全世界のティーンエージャーの混乱期になり、そのために国も世界も収拾の道がないのです。全部、地獄化していくのです。一番犯罪の多い年齢は二十歳、その三年前後のティーンエージャーが大変なことになっているのです。それを収拾する道は、なぜこうなったのかという原因を知らなければなりません。結果は動機があるからそうなったのであり、その動機を知らなければなりません。動機がこういうものであり、その堕落の結果、このように乱れてきたということです。分かりますか? (はい)。植えたとおりに収穫するのです。 蕩減原則によって、エバといえば韓国語では、「イゴッパ」「これ見なさい」。「イゴッパ」「早くしろ。エバ」となるのです。「これ見なさい。悪くなった」と言うのです。エバは堕落のために何をしたかというと、アダムをだましたのです。それから親です。神様は親です。父子をだましたのです。こういうふうにして、堕落したのだから、こういうふうに落ちていったのだから、それを反対にして上がってこなければなりません。同じものをひっくり返して上がってこなければなりません。分かりましたか? 堕落した正妻の道では、復帰の女、真のお母様が生まれることができないのです。 転覆して反対に上がるのだから、正妻一人では、二人のことができません。二人が必要です。そして、こういうふうになったのです。(先生が黒板に図―3を書かれる)こういうふうに降りていく者が、こういうふうにして行くには、これは正妻ではできません。正妻は、それ本妻というのです。本妻としては上がることができないのです。これが妾です。妾、妾です。 妾の系統を中心として上がっていくのです。 だからサタンは、ヤコブの時に、ヤコブは神の選民として帰る代表の家庭です。そのヤコブの家庭によって、堕落したすべてを清算していかなければならないのです。神の血統を考えて見た時、堕落したために生まれたサタンの血統をみな殺してしまうことはできません。殺してしまった場合には、女がなくなるのだから、メシヤという真の父母が生まれる基地がなくなるのです。分かりますか? 残さないわけにはいかないのです。それで女をたくさん持たないといけないのです。それで、妾として、妾の女を連れて神のほうへ戻っていかなければなりません。そうなるというと、妾は本妻の、正妻の怨讐です。地獄にみな同じく入ります。抱き合って転んで、そこに行こうというのです。大変なことです。これをなだめて一つにならなければならないという、復帰された家庭にはそういう内縁があることを知っているのだから、神様はそれを収拾するために、「怨讐を愛せよ」ということを発布せざるを得ませんでした。分かりました? (はい)。 聖書の「怨讐を愛せよ」という話は何かというと、一家においては、兄弟です。レア・ラケルと同じように、姉妹の関係が共に一つの愛の後孫を取り合って戦うようになっているのです。それを一つにしないというと、天国に入れないのです。それで神様は未来の世界を望みながら、こういうような愛の怨讐圏が一家にかかっており、それを収拾しないといけないことを知っている神様は、遠い未来世界に向けて「怨讐を愛せよ」ということを発布、発表せざるを得なかったということです。分かりましたか? (はい)。どんなに難しいことであっても、これを収拾せざるを得ないのが女たちの十字架です。堕落した女が蕩減復帰の道を逆さまに行く、この運命を避けることはできません。こういうような内容です。 ヤコブ家庭の摂理 それで、ヤコブ一代において、ラケルを中心として、ラケルを七年間、ヤコブが精誠を尽くして相対として求めたにもかかわらず、結婚の初夜に、それはラケルではなく、レアをヤコブの所に入れさせたのです。それで起きてみれば、大変なことです。「神様が、なぜそれを許したのか」と。こういう復帰の中心の家庭に、なぜこういうような悪辣な問題が起こるようにさせて、神様は保護されなかったかということが問題なのです。 その時、ラバンはサタンの側に立って言うのです。「神様。神様の家庭を復帰していくには、正妻では復帰できないことをあなたは知っています。それでも正妻で復帰するのだったら、サタンと共に人の家でもって交代に愛する立場に立ちますか?」と。絶対できないのです。怨讐の立場です。怨讐の立場でもって、憎む怨讐の立場から手を着けるようになっているのです。分かりますか? それは愛の一家という、独特の一人の旦那さんを中心として二人の女の怨讐圏、愛の相対関係の怨讐以外にありません。だから正妻と妾の関係です。分かりましたか? (はい)。 それで、ラケルが妾ではなくて、本妻になって、ヤコブと一つになっていたらそれでいいのに、堕落の系統から復帰されるには、正妻ではできないのです。分かりますか? 正妻の怨讐の女からです。それは分かりますね? (はい)。だから妾です。妾は正妻をさておいて、二番目のもっと過去より高い愛でもってつなぐのです。そこに、復帰伝統に一致する内容があるのです。 それで終末の時には、妾の子供たちが世界を指導していくのです。出世する者がたくさんいるのです。大概、自分たち女は言わないのだけれど、そういうような関係の因縁で、はらんで身ごもった子供たちがたくさん世界的な指導者になっているというのです。お母さんにはみな隠してしまっても、自分の旦那さんが横で三角関係を結んではらんで生まれた者が、天下を治めるということがたくさん起きているのです。分かりますか? 末の時期は、妾の子供が世界を指導して、こういうふうに切り返していくのです。(先生が黒板に図―4を書かれる)だから、なぜ離婚が末の時期に許されるようになったかというと、妾が離婚することによって、正妻の立場に立つようになるのです。分かりますか? これが離婚したとするならば、このヤコブとラケルが一つになるのです。また離婚することによって反対するようになれば、この離婚した本妻が元の旦那さんを探していくのに、何の差し支えもないのです。 再臨のメシヤが来た場合には、正妻も離婚することによって、妾も離婚することによって、本当の再臨の主の所に行くことができるのです。それはサタンに、「行くな」とぶたれてもです。だから、末の時期において、離婚をなぜ神様が許したのかというと、神のほうに自由自在に、完成の旦那さんを訪ねて、神に帰る道を開いてやるために離婚という問題を、常識みたいな環境にしてきたということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。君たちもそうでしょう。旦那さんをだましてここに来たのだけれど、すぐに帰れば離婚もできます。離婚は難しくないのです。それは誰が決めるかというと、男が決めるのではなく、女が決めなければなりません。優先権は女にあるのです。女はアダムの実体の女王様です。男は天使長です。金とか全権は、子供と共に女が持っています。 だから追い出した場合には、「君が子供と出ていけ」とは言わないのです。「私が出ていく」と言うのです。(笑い)分かりましたか? 心配しなくてもいい、そういう時代が来たのはなぜかというと、再臨のメシヤは泥棒みたいに来るというのです。サタンの世界から横的に見た場合、何の関係かというと、縦的には関係があるけれども、横的に見た場合には外の橋の向こうの陰で、内緒の奥間に住んでいる奥さんに、「来い、来い」と誘うことです。それは天使長がエバを「来い、来い」と誘ったと同じように、誘っているのです。そして目が合った場合には、惚れて大変です。死んでも離れることができないので、「垣根を飛び越え、家を飛び出していく」と言って、部落の騒動問題を統一教会が起こしてきたのです。だから、「家庭崩壊 文先生は家庭破壊の大将だ 悪者だ」と、自分の力ではできないので警察に頼むようになったのです。先生が動機になったのではなく、女がみな動機になっているのです。 だから、ラバンが言うには、「復帰路程は、正妻でもってはできないことを知っているのではないですか?」。そうであれば、ラケルは本妻になれません。妾にならなければならないのです。それで、レアを許さざるを得なかったのです。分かりますか? レアは完全にサタンのほうです。自分の僕の三人の女を通して、十人の子供を生んだのです。ラケルは二人の子供を生んだのです。十二人です。これはレアの作戦で、ヤコブ家庭を自分のほうに完全にとりこにしたのです。ヤコブ自体もそれが分からなかったのです。こういうように内的に絡み合って、それで峠を越えて、明らかな道を開拓していくことを知らなかったのです。こういうふうにして、ヤコブ家庭はこうなっているのだから、こういう二つになって、これが一つになるのです。正妻は妾と一つにならないといけないのです。 一つにならなかったのはなぜかというと、ラバンの妻、レアの母の補助が必要であり、ヤコブのお母さん、それと姑と婿の補助が必要だったのです。この二人の母が一つとなったとするならば、それでラバンに対して、「何だ この悪辣な者 二人の女を売ってしまう そんなことはない」と言うべきです。それから、レアを呼んで「この者 妹の愛を盗んだ泥棒」と言うのです。ラケルを中心に心情的な痛みを残してはいけないのです。「君は妾だ」そういうふうに言うべきです。分かりますか? 本当にそうなるべきです。「君が妾である」と。夫婦が共に公文を出して、舅と嫁がレアに対して、「この者」と、一人が主張した場合には、本妻は妾の立場で一つにならなければ駄目です。レアの子供たちとは、カイン・アベルです。これを屈伏させて家族を統一するのです。二代の女が一つにならなければならないのです。分かりますか?(はい)。 第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりのお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。それを知らなかったのです。これが問題になったのです。一つにならなかったから、これがだんだんと民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。(先生が図―5を書かれる)家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。 エリヤの使命と洗礼ヨハネ 北朝と南朝が一つになるための、イスラエルとユダヤの聖書の中の絡み合いの戦いなのです。それを成すために、中間の調和のために送ったのがエリヤです。エリヤは、北朝のバアルと偶像アシュラを崇拝する者たちを集めて、その祭司たちをみな動員して、南のほうのユダ支派の祭司と共に、「生きた神がいかなるものかを試して、それを証しした方向に南北を行かせよう」と提唱してやったのです。北方の十支派の祭司、偶像崇拝、サタン的な祭司たちを八五〇名が、みな祭壇を作って燔祭をささげ、「そこに水をかけて祈った場合に、天から火が降りてみな焼いてしまうような実証をしよう」と準備して、まず、八五〇名の北朝の十支派のカイン的な祭司たちは、いくら祈ってもびくともしないのです。それで、エリヤが一人で祈ってみると、天から火が降りてきて、祭壇とともに、祭物とともに祭司たち八五〇名をみなさーっと焼いてしまったのです。 そうなると大変です。北朝の人々は自分たちの崇拝した祭司たちがみな死んだのだから、「このエリヤ」と。約束したこともさておいて、「自分たちの信奉する祭司たちを殺してしまった」と、みな殺そうとしてきたので、エリヤは逃げて、山へ行って祈ったのです。「神様、あなたの命令によって、一つとなるように思ったのに、一つとなるどころか、みな私を殺そうとするのです。こういうふうになったのだから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。その時、神様が言うのには、「いまだに、バアルに屈伏していない七〇〇〇人が残っている」と。その七〇〇〇人を中心として一つになる時までは、復帰はできません。カイン・アベルの二人を立たせないと、神の国に帰ることができないのです。 そういうような言葉を残して、エリヤは昇天して使命を果たせなかったのだから、それを再びイエス様が、国家次元でなさなければならないのです。国家次元でイエス様が来られる時、イエス様は国家の王様として来られるのだから、その前に起こる支派的民族的な争いは大変なものです。それを平定して、エリヤの統一の理論を再びなさなければならないので、エリヤの再臨という概念が再び生まれてくるのです。それで、エリヤが九〇〇年前に火の車に乗って昇天していったと同じような姿で、再び降臨すると思っている旧約聖書を徹底的に信じていたのです。分かりますか? (はい) エリヤが来るといっても、火の車に乗って行ったので、火の車に乗って帰ってくると思っていたのですが、火の車に乗ってエリヤの霊人体が来て、何をするというのですか? 地上でもって、平面でもって、完成するようになっているのです。分かりますか? ヤコブの家庭のレアとラケルは、地上において家庭で完成するようになっているのです。イエス様はその失敗を国家的になさなければならないのです。家庭でできなくて、氏族的にできなかったことを国家的基準において統一するために来るのだから、氏族の失敗を延長させてエリヤが再び来て、主の道を正しておくと旧約聖書で約束していたので、降臨なさる時は火の車に乗って来ると思っていたのに、人として生まれてきたということは大変なことです。 それで、イエス様の弟子たちが伝道に行くと、「君たちの先生が、もしメシヤだったら、エリヤはなぜ来なかったのか?」と言うのです。これが問題です。何も知らない、旧約聖書も知らない者たちが、イエス様に感化されて、伝道に行って「自分の先生がメシヤだ」と言った時、それを突っ込まれて、何も知らなくて、それで帰ってきて先生に質問するのです。「人々が言うのには、メシヤが来る前に、エリヤが先に来ると言うのですが、それは何のことですか?」と。それでイエス様は、はっきり言っているのです。マタイ伝の十一章にあるのです。「エリヤはもう既に来ている。それは洗礼ヨハネとして、エリヤは来ている」と。それは大変なことです。旧約聖書では、昇天した者が降臨すると思っていたのに、イエス様は、「そのエリヤが降臨するのではなく、もう既に洗礼ヨハネがエリヤとして来ている」と言ったのです。 そうなると、その当時のユダヤ教会の信者たち、旧約(時代の)信者たちは、「この悪辣なイエスのやつ、悪魔の王者よ 自分がメシヤになるために引っ張りだして、つくりあげたのではないか 我々はそう思わない」と言うのです。だからといって、そのように追われたイエス様は、追われたままではいけないのです。死んでも、そのみ旨の道を発展させていかなくてはならないのです。それを消化していくために、どんどんどんどん、伝道を続けることによって、ローマの法廷闘争で、十字架上に、はりつけになって死んでいくのです。そのことは、イエス様をローマ自体が、ユダヤ人が殺したのではないのです。エリヤが来なかったからです。分かりましたか? (はい)。 イエス様の言ったとおりに、イエス様はメシヤになりました。その当時、イエス様を誰もメシヤとは知らなかったのです。メシヤは神様が決めるのだから、いかに世の中が反対しても、神様の公認する基準に立ったイエス様の教えの教会を中心として、歴史以来初めて宗教、文化を通して、キリスト教が世界を統一したのです。第二次戦後にです。分かりましたか? (はい)。 メシヤと神様が決めたのならば、それは絶対的なメシヤであり、ユダヤ人が否認したとしても、メシヤになれないことはないのです。だから、この世的にいって、(エリヤとして来た)洗礼ヨハネがイエス様と一体となった場合には、イエス様は死なないのです。洗礼ヨハネの率いる者はカイン圏です。七〇〇〇名以上のバアルに屈しなかったそういう群れをまとめて、イエス様が来る時に、それを一つにさせて家庭をつくるために祝福してやった場合には、ヤコブ家庭失敗と氏族、民族失敗が、ここで再び統一されたとするならば、イエス様を中心とした右翼と左翼、右の強盗と左の強盗も生まれてきません。 バラバはイエス様の代わりに復活しているのです。死ぬべき者が、悪辣な暴動を起こしてローマ転覆運動をしたバラバが、イエス様の代わりに生きているのです。イエス様の体の代わりに生き残ったバラバの基準が今の回教圏です。イエス様が亡くなって七世紀、六〇〇年を超えて七世紀に始まったのです。 イスラエル民族が六数の通過過程で悔い改めて一つになって、イエス様をメシヤとして侍ったとするならば、バラバ圏はなくなっていたのです。それで、イエス様を中心として、中近東が体の代わりです。イエス様の体は国家を代表しているので、その国家基準が統一された場合、ユダヤの国は、こういうような紛争の立場には立たないのです。イエス様を殺したために、それ(ユダヤ民族)はジプシーのように、世界的に追い出されて、二〇〇〇年の歴史にも蕩減の量がまだ満ちないので、ヒットラーを中心として六〇〇万の犠牲者を出すようになって、蕩減の量を越えることを神様はなさっているのです。 洗礼ヨハネの失敗 それを蕩減して、第二次大戦で連合国が勝利することによって、アメリカが中心となって、日独伊が完全に負けたのだから、一体になっているのです。それでキリスト教文化圏は霊的救済を目的としてきたので、肉的救済の基盤を引きつけないというと、再臨の主が来て霊的救済ばかりではなく、肉的救済もともに成すのだから、霊肉共にカイン・アベル一体を成すために、第二次大戦後の連合国家勝利基準のカイン・アベルが一体となった所に、お母様を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば、それで世界は七年の間に統一されて、地上天国、天上天国が、アダム家庭でなすべき基準をイエス様が国家的基準で失敗したのだから、今度は世界基準によって、すべてを勝利するのです。 ヤコブの家庭、モーセの七十二長老、イエス様の一二〇門徒がみなイエス様の氏族として、国に入籍するような基盤なのです。そこには、家庭が入っているし、氏族が入っているし、民族、国家が入っているのです。失敗した内容を全部引っくるめると一二〇軒です。一二〇軒の門徒たちが祝福されて、地上のイエス様の後孫と共に、血統の組み合わせをなすような相対関係になった場合には、その一族は世界を動かして余るようになるのです。死なずにイエス様が二〇〇〇年の歴史を通して、世界を統一したとするならば、生きた血統を持ったイエス様の直系のその民族は、国家基準を超えて、世界は既に一つの地上天国になっているはずです。だから、再臨ということはないのです。 今、先生が語っている成約時代は、その時に始まって、先生がなしている氏族メシヤも派遣されて、家庭的メシヤ、そしてアダム家庭を復帰して、血統転換、所有権転換、心情転換を一族で成して、神の国に入籍した場合には、イエス様を先祖として、その次に弟子たちがみな十二弟子を中心として、こういうふうにつながって、結婚することによって、どんどんどんどん、祝福でもって世界をまとめていくことができたのです。そうなったら、先生みたいに、金もかかりません。分かりましたか? (はい)。 そういうふうにして、イエス様が死んだために、大変なことになったのです。イエス様は、なぜ死んだのかというと、レアとラケルが一つにならなかったことを、イエス様の家庭において蕩減復帰しなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうなるというと、イエス様のお父さんは誰ですか? これは奥さんのエリサベツ、これはマリヤです。(先生が黒板に図―6を書かれる)マリヤは妾の立場です。エリサベツとマリヤは、ちょうどレアとラケルと同じです。姉妹関係、母同士がいとこ関係です。分かりますか? 姉妹です。姉さんであり、妹です。これは姉さんであり、妹を蕩減復帰しないといけないのです。 母の系列が間違ったから、母のほうでもって組むのです。分かりますか? それが蕩減復帰です。こういうふうにして誰が正妻かというと、これが正妻です。これが妾です。しかし、レアとラケルは反対です。まるっきり反対です。それでエリサベツは、マリヤを自分の旦那さんの所に紹介してあげるのです。こういうことは有り得ないことです。蕩減復帰をするには、マリヤは妾の立場で心情的な絡み合いをしなければならないのです。分かりますか? こういうふうにして、イエス様をはらみます。これはヨハネです。エリサベツは、マリヤが身ごもった子供が、女であればいいと思ったのです。しかし、女では何もできません。女はお嫁に行ったら、それで問題ないと思うのです。しかし、男の子供を生んだのです。それが問題です。 そうなると洗礼ヨハネとイエス様は、異母兄弟です。それを洗礼ヨハネは知っているのです。こういうような非公式な血統関係の者がメシヤになるとは、夢にも思いませんでした。ヨルダン川で、神様の直接の命令で天の門が開かれて、聖霊が鳩のように降臨して、神様の直接の命令によって、洗礼ヨハネに告げられてメシヤとして証し、天の命令どおりにしたのだけど、考えてみれば、(神様が)こういうような非公式な血統でもってメシヤを送るとは思えないのです。だから疑ったのです。イスラエル民族は、イエス様が「洗礼ヨハネがエリヤだ」と言うのだから、それは問題です。しかし、洗礼ヨハネは「自分はエリヤではない」と否定したので、大変なことになるのです。 なぜ洗礼ヨハネがヘロデの奥さんと、妾の問題を中心にうんぬんして、それで首を飛ばすのですか? マタイ伝の十一章を見れば、イエス様は泣きながら言ったのです。「君たちは何のために野原に出ていったのか、それは洗礼ヨハネを見るためにか、それはきれいな着物を着た者を見るためにか? 結局は、メシヤを見るために行ったのではないのか」と言ったのです。「女のうちで一番、女が生んだ者で、洗礼ヨハネより大きい者はいなかった。しかし天国では一番小さい者になってしまった」と、反対のことを言っているのです。地上で大きい者だったら、天国でも大きくなるべきなのに、なぜ小さいのですか? 地上で、イエス様を王様と認めた場合には、天上では一番大きい者になっていたのに、それを地上で否定してしまったのだから、天国には住めなくなってしまうのです。 聖書を見れば、それを否定できないのです。なぜ洗礼ヨハネが、主弟子にならないのか? そう見た時に、天(国)は戦う者が勝ち取るという結論です。洗礼ヨハネは戦えなかったというのです。それはペテロに取られてしまったのです。無関心で、放棄した者はみな天の栄光が取られてしまうことを、はっきりと記載しているのです。マタイ伝の十一章を読んでみなさい。そういうことを今まで知らなかったのです。 だから、洗礼ヨハネの失敗のために、洗礼ヨハネの弟子がみな十二弟子になるべきなのに、主弟子が洗礼ヨハネであるべきなのに、主弟子はペテロです。それは誰が反対したからですか? 十二弟子、一二〇門徒などはいらないのです。昇天しないうちに、十二人、一二〇人の家庭基準を残していかなければ、未来の国家的一二〇国家を求めて来られないのです。みなそんなことを知らないで、洗礼ヨハネが切ってしまったのだから、証しするために、主の前の道を正すために送られた神のみ旨とはまるっきり反対に、一人の女のことにかかわって首を切られてしまうのです。イエス様を受け入れなかった罰です。 そういうふうにして、なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。お母さん(マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹が一つになって収拾しないと大変なことになるのです。それができなかったのです。 <2に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.05
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天の父母様聖会 孝情ヌリ Festival(日本語)2022/05/08 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.05
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真の自分を探しましょう(その2)1993年12月19日真のお父様、文鮮明先生済州島指導者特別招請講演(韓国・済洲研修院) 堕落したという観念に徹せよ そうなると、問題は何かというと、いかにして良心を解放させるかという決断を下すには、自分が堕落したということをはっきりと知らなければなりません。堕落したことをはっきりと知らないから、ぼやっーっとしているのです。分かりましたか?(はい)。堕落していることを知らないのです。歴史がどういうふうになっているか知らないのです。それが問題です。中間位置でぼやぼやしながら自分を中心として考えているから、いくら解決しようとしても解決できません。分かりましたか?(はい)。堕落したという観念を、徹底して自覚しなくてはなりません。 堕落は偽りの愛によって起きたのです。私の一身はサタン的な愛の結集体であり、生命の結集体であり、血統の結集体です。それを取り返すのは大変なことです。ですから神様も、数千万年の歴史を費やしてきたのです。救済が、そんなに難しいものだということを分からないといけないのです。宗教生活の一、二年でもって、救援を完成するという思いを持つ者は泥棒です。神様は今まで、真の父母、真の子供を持ったことがないのです。真の女、真の子供がいないのです。それなのに、自分が統一教会で、一、二年ですべて成そうというのは泥棒です。生涯かけて、何代かけても続けなければならない根強い歴史の背後が潜んでいることを忘れてはなりません。 神様は今まで、再臨主を中心として、真の父母が立つために数千万年もかかったのです。君たちの負債は、そんなに、一、二年で、真の父母の血統を相続することができると思いますか? だから真剣に、神様の何十倍以上、真剣になれば、時間を短縮することもできるのであって、この世的に歩調を合わせながら、遊びながら、いい加減にして、何か福祉事業みたいにしてできるものではありません。これは本職です。分かりましたか? (はい)。 今、分かったことは、堕落がはっきりしたということです。偽りの愛によって、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだのです。それを考えると、触りたくもないのです。みんな悪魔の手足であり、この身は国賊どころではなく、天宙を売った天宙賊です。怨讐の血が固まっているのです。 その子女になった場合には、宿命的な立場に立つのですから、これは大変です。いくら国賊の子供が名誉の学位を何千持っていると言っても、それは国賊です。その国では、その名誉は通じません。どんなに美しい人で、お金をいくら持っていても、そのお金は神の国と関係がありません。分かりましたか? なめてかかってはなりません。真剣で、真剣になって、真剣に自分を切ってしまわなければなりません。遊び半分ではありません。先生は、そういう境地を知ったので、宇宙主管の前に自分を主管するのです。自分が怨讐です。自分が地獄と天国の基地になっているのです。軍事基地と同じです。分かりましたか? (はい)。 良心と肉身を中心とした境界線の基地になっているのです。世界が基地にはなっていません。自分の心身が紛争しているのです。分かりますか? だから悪いのです。日本も紛争しています。野党と与党が紛争するので、悪い国です。野党と与党が紛争すれば、その国はだんだんだん弱くなってしまいます。アメリカは、二重の野党と与党政策なので、おしまいです。それは兄弟同士なので戦うのです。親子は戦いません。アメリカの政策は縦的観念がないのです。中心がないのです。だから握手は横的です。東洋(の礼)は縦的です。(先生がしぐさされる) そのように、みんな相対的な組み合わせになっているのです。分かりましたか? (はい)。堕落が分かりますか? この血が悪魔の血だと実感したことがありますか? 肉も骨もみんなそうだし、生命もそうだし、血統もそうです。こういう血統の子供を生むということは大変なことです。神様が、創造したアダムとエバの堕落した姿を見た時の大変さを、自分が生んだ子供を見て、それと同じような大変なことであることが分からないのです。堕落した子供を生む者は、アダムとエバが堕落して、神様より離れていったその時の痛みを、自らが感じないと神に帰ることはできません。分かりましたか? 旦那さんを、自分の欲望を中心として迎えているのです。知識があるから、名門の家だから、親しい友達の紹介だからと。そんなものはいりません。本心が第二の神様なのです。絶対の神様なのです。堕落しなかった場合には、相対が誰かすぐに分かるのです。初愛の相手が決まった場合には、それ以外の道はつながりません。絶対つながらないのです。蘇生、長成、完成(期)基準での堕落の愛なので、真の愛がどのくらい強いかということを君たちは分からないのですが、統一教会の初代の信者たちはそれを体恤しているのです。 人間はそれ以上にならなければいけません。分かれることは絶対できないのです。旦那さんを思うようになるのです。恋しくなるのです。そういう現象があるので、毎月、旦那さんの所を離れることができないというのです。 統一教会の初代の信者たちはそういう経験をしてきたのです。あなたたちも、そのような本当の真の愛と一体になって、その境地に入るのです。神秘的な体験をするのです。そうなると、愛の共鳴圏に入って、霊界肉界のすべてが見えるのです。だから、統一教会のメンバーたちは、初代教会の時にみんな伝道は霊界から案内されてきたのです。 また、先生は迫害があまりに激しいので、一か月に十三回も引っ越ししたのです。女たちが、みんな集まってくるので、先生はこっそりと隠れて行くのですが、神様に「先生はどこへ行きましたか?」と、御飯も食べないで、眠らないで、泣きずりながら祈って、みんなで「行こう、行こう」と、足が歩いてやって来るのです。この家に必ず先生がいることを探して来るのです。 君たちは、それから見た場合に、みんな本質ではありません。遠い所に離れているようなものです。モーセの直轄した十二士師や七十二門徒ではなくして、六十万の喧嘩しながら従ってくる者たちです。そういう者たちは、中心を立てて国家建設の勇士にはなれません。それが失敗して、今日のイスラエルになっているのです。だから、そのような歴史の前轍が分かる先生は、そういうことのないように徹底して教育をするのです。そこに参席する者は、そうたくさんいないのです。分かりましたか? (はい)。 祝福は命懸けの業 アダムとエバが堕落した時に、神様に追放されたアダムとエバと同じように、君たちが堕落の後孫として生んだ子供を捨ててしまうような立場に立つ心を感じないと、神様の心情圏は分かりません。サタンの子供と同じことです。分かりましたか? それを感じることのできる女性が、今日まで、地上のお母様がいないのです。それを感じなければなりません。歯を食いしばって、そういう子供として生まれたのだから、早く祝福を受けなければならないのです。祝福を受けても、蘇生、長成(期)基準の上のほうに行くにあたって、七年間は自分で開発していかなければいけないのです。祝福してあげても、先生が監督してするのではありません。分かりましたか? (はい)。 教会内でも、迫害を受けながら祝福を受けたのです。エデンの園の中で祝福されるような環境ではありません。自由千万で、平等圏で迫害が永遠になくなるような立場ではないのです。ですから蘇生結婚式であり、南北統一建国が成った場合には長成結婚式です。民主主義とカイン・アベルが一つになるのです。そうなった場合には、結婚段階に入るのです。そのような基準で蕩減を復帰していくのです。ですから統一教会のメンバーで祝福された家庭は、三十歳、三十三歳を超えなければ結婚生活ができないようになったのは、第二先祖のイエス様の過ちを復帰しないといけないからです。 それが三十歳に下がってきました。イエス様が出家しないで、家庭内で結婚することのできるような環境に入ったので、昨年から三十歳に下がってきたのです。ですから真の父母様が、三十三年の結婚以後の時代に入るのです。分かりましたか? それらはみんな数理的な蕩減です、そのようなことを、君たちは何も知らないのです。ただついて来るのではありません。十年間もぼやっとしていてはなりません。それでは、六〇〇〇双の祝福を受けても何にもなりません。子供が霊界に行って、お母さんを悪魔として讒訴します。「なぜ、こんな子供を生んだ」と讒訴します。 神様が一番嫌がることは、堕落したアダムとエバを追放する時の痛みです。その後孫をまた追放しなければならない立場に立つことです。ですから安易に結婚するよりも、独身生活をしなさいというのです。宗教生活を通して、自分たちが今まで分別し、血統転換して天的な子供を生んだ時のように、それを神の子供として尊敬して、旦那さんと愛しながら育ててこなかったという話です。大変なことです。祝福を受けたことが讒訴圏になるのです。災いになるのです。遊びごとではないのです。命懸けの業です。分かりましたか、何の話か? (はい)。 周辺にサタンがたかってきて、君たちの一族をみんな殺してしまうのです。でたらめになった場合、将来子供には良くないし、君たちの将来がもうだんだん狭くなるのです。見てみなさい。間違いなく、み旨を先頭切って行く者はだんだん広くなるけれど、後ろから批判してついて来る者はだんだん狭くなるのです。大変なことです。君たちの自由にはなりません。見てみなさい。だんだんだんだんと大変なことになるのです。自分自身どうにもならない境地に追われていくのです。そういうことを知っているから、先生は先頭に立つのです。先生は利口な男です。前後のすべてを知っているのです。分かりましたか? (はい)。 堕落したアダムとエバに似たような、サタンの血統を相続した子供を生むような女になってはなりません。それが一つ二つとたくさん増えていけば、エデンの園で追い出したエバよりもっと悪くなるのです。だから真剣なのです。どんなことがあっても、四大心情圏と三大王権を中心とする基準に合わせるようにしなければなりません。分かりましたか? (はい)。 だから、日本も悪いのだけれど、日本から来た女たちも悪いのです、なぜ悪いかというと、心身が紛争しているから悪いのです。心身が紛争するのです。世の中の世界大戦は、休戦条約で戦争を中止することはいくらでもできたのですが、この良心と体の心身紛争は、過去、現在、未来まで続くのです。その戦争をやめさせるために、解決するために、手をつけた者は一人もいません。それを先生が始めるのです。分かりましたか? (はい)。どんなに難しいことがあっても、紛争の相対を一つ切ってしまわなければならないし、元に帰らなければなりません。だから、絶対なる良心を自分の神様として侍って、絶対崇拝しながら、肉身をそれに合わせて収めていく以外に、サタンの基地を撲滅させる道はありません。分かりましたか? (はい)。 どんなに難しくても根っこを取ってしまわなければなりません。これは、人間が肉身を持って地上に生きている間に果たさなければならない重大な宿題なのです。宿命的な宿題なのです。宿命というのは死んでも成し遂げなければならないのです。死んでも成し遂げないと、また再び地上に来て、成し遂げない限り帰る道がありません。ですからイエス様も、地上でもって家庭を持たなかったので、家庭を持って国家基準を立てるまで、再び来られて再臨の時代を中心として、それを復帰するのです。 だからイエス様も、二〇〇〇年間にたくさんのキリスト教徒が殉教する血を見ながら、その痛みを感じながら、苦しい痛哭の声とともに、涙を流しながら復帰の路程を辿ってこざるを得なかったのです。分かりましたか? 一億全体が引っかかっているのです。一億、一国が引っかかっているのです。勝手にやってはなりません。祝福受けている女が、そんなに十年間も何ですか 自分は自分一人ではないのです。公的な連帯的な関係を持っているのです。親も、兄弟も関係しているのです。神の摂理は、そのように祝福したので、先祖の良い人の恩恵によって召されて、そのような立場に立っているとするならば、全体を代表した場合は、全体に責任を持たなければならないのです。中心者は責任を持って全体を保護しなければなりません。ですから、先生は中心者として、日本のエバ国家の使命に対して責任を持っているのです。責任感でもって、このようにやっているのです。それから、保護してあげるということです。死んでしまえばどうでもいいのではありません。保護しなければなりません。それから責任者は、成育、発展させなければなりません。 ですから先生は、五万人を短期間にして、このように日本全体の女の方向を完全に回してしまったのです。皆さんは男の前に立っているのです。今までは、女の前に男が立っていたのですが、今や復帰時代、女性解放時代になったので、女が男の前に、完全に立つのです。日本全体のそういうようになっているのです。 そこで、五万人が六〇〇〇万人の女に対して、一人が一二〇〇名に影響を及ぼさなければならないのです。そういう責任があるのです。 良心の命令には絶対服従 先生に続けて言ってください。私は(私は)、堕落した女です。(堕落した女です)。エバと同じです。(エバと同じです)。それをはっきり知らなければなりません。これは嘘ではないのです。自分の血も、生命もみなサタン的なのです。ですから、今までの既成祝福のようであってはなりません。完全否定、無の境地を通過しなければなりません。それをしないで子供を持ってはなりません。それが公式になっているのです。誰にもどうにもできません。先生にもできません。 良心が何か分かりましたか? 良心が無力になってしまったのです。ですから、問題は何かというと、神様と真の父母によって、再び関係づけられなければなりません。真の父母は蘇生、長成、完成(期)基準以上に、完成基準を通過して下りてきているのです。解放圏を経て、神様をお連れして、堕落圏の長成(期)完成(級)基準まで下りてきて、先生が接ぎ木してやるのだから、先生を通して完成基準に上がる道ができるのです。梯子が作ってあるのです。分かりましたか? 真の父母が通過した梯子があるので、それを上がることができるのです。それをサタンは何とか否定して、個人から家庭、氏族、民族、世界的に否定させようとしているのです。だから君たちは、否定する環境、家庭、氏族、民族、国家、世界的な否定圏を、何事にもとらわれないで真の父母と一体となっていけば、無難にその峠は通過します。真の父母を離れた場合には、行く道がありません。原理的にそうなっているのです。分かりましたか? (はい)。 先生は長成(期)完成(級)基準に上がってきたので、世界の長成(期)完成(級)基準から完成(期)完成(級)基準を凌駕して、長成(期)完成(級)基準に来て、これをつないでいるのです。ですから、真の父母と完全に一つにならないと、完成(期)完成(級)基準に上がる道はないのです。神様は下りてきません。それは、未完成のアダムを主管することができなかったのだから、下がってくることはできないのです。 しかし、アダム完成体は、その基準から、みんな凌駕して行ったのです。神様と一つになって、相対的真の父母圏をつくって下がってきたのですから、真の父母を中心として一つになった場合には、サタンは反対することはできません。分かりましたか? だから、下りてきた真の父母は何を教えるのかというと、良心が弱くなったことを、強調して教えるのです。良心を絶対的に第二の神様として、肉身は全部なくすように、それには良心を投入して、再創造しなければならないというのです。分かりましたか? そのことをはっきりと教えてやることによって、良心絶対権限、神様のように信奉して、真の父母様の命令と同じように信奉して、どんなことがあっても一つになりなさいという話です。 そうなった場合には、自分をそこで失ったのだから、そこから自分を真の父母によって、案内することによって、堕落した時、アダムとエバが長成(期)完成(級)基準まで上がっていなかったので、神様も完成できなかったのですが、先生は長成(期)完成(級)から完成(期)完成(級)基準まで、みんな通過したのです。未知の世界を開拓したのです。アダムとエバが知らないで堕落した圏をみんな分かって、完成基準まで上がっていったのです。ですから、お父様の言うとおりに一つになった場合には、自動的にサタン圏限を凌駕することができるのです。分かりましたか? (はい)。 サタンは世界的にそこに上がらないように、ずーっと文先生を殺そうとして、いろいろ計略しているのです。それらをみんな、個人的、家庭的、世界的に、各段階での八段階の迫害を凌駕してきたのです。そうして、出発から垣根をみんな砕いてしまって、完成したアダムが、神様をずーっとお連れして地上まで下りてくるのです。そのように下りてきたのだから、いかなる段階でも、反対するサタンがいなくなってしまったので、神と共に家庭的に、氏族、国家、世界的に、神と共に生きるような時代になってきたのです。これはアダムの家庭ではなく、世界的なアダム理想完成基準において、神様を東から西、西から東へ、個人から五十二億へ、横的に総括して命令し、指導するような時代に入りました。 もはや、遠くないのです。七年間でもって世界を完全に一つにまとめるのです。だからサタン世界は、もう大変です。めちゃくちゃになってしまうのです。日本も今から大変です。見ていなさい。日本の女はみな、世界的な悪い男に一人ずつのせられて、みんな売られていくのです。世界の男たちがみな、日本の女を好んでやって来て、エイズを増やしていくという話です。 分かりましたか? 良心権限を最大限に拡大するような教えをしているのです。これをはっきり分からないというと、自分を世界的に解放する動機がなくなるのです。力が出ないというのです、分かりましたか? (はい)。 良心の命令には絶対服従しなければなりません。そして、その規定は、良心は第二の神様であり、神様の相対圏である自分を中心としては、第一の絶対なる神様として侍りなさいというのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい)。 良心が先に分かるか、神様が先に分かるか そこで、こういう質問があるのです。良心が自分に対して分かることは、神様より先なのか、神様のほうが先なのかということです。何の意味か分かりますか? 良心は、自分に対して分からないことがないということです。良心をだますことはできません。良心には教育が必要ではありません。良心は母よりも立派であり、先生より立派であり、神様より立派なのです。ですから、良心が自分に対して分かることは、神様が自分に対して分かるのと比べてみて、先に分かるか、後に分かるか、ということです。どうですか、はっきり答えてください? (先です)。何でそんなに言えますか?(先生が今、教えてくださいました)。それは今、先生から聞いたことです。 自分に対して、神様が先に分かるか、良心が先に分かるかと聞いているのです。なぜ、そう言えますか? はっきりしてください。神様だに、自分に対して質問しなければならないというのです。神様が先に分かったとするならば、神様が、「君、こうだろう」と言うのです。「君、こうこうこういう悪いことをしたね」と言うのかというと、そうは言いません。分かりましたか? なぜ、そんなに言わないのかというと、「君、どうした?」と聞くのです。そうした場合に、「こうこうなったから、こうです」という時に、「そうだね」と解決してくれるのです。エデンの園でアダムが堕落したそのことは、アダム・エバ自体が知っていると同時に、神様も知っているのです。だから、誰が先に知ったかというと、良心が先に知っているのです。 それでアダムは、第二の神様の位置に良心を立たせたのです。それから、自分自身を中心としては、絶対的な神様として良心を頂いているのです。分かりましたか? もしも神様が、先に知ってそうしたとするならば、神様の体と同じだというのです。神様の良心が先に自分を分かると同じように、神様と一体になったものだというのです。しかし、まだ愛の相対として一体にはなっていません。分かりましたか?(はい)。そういう、神様自体がなぜ、良心が自分より先に分かるようになっているかというと、良心の相対である肉身は神様の相対ではありません。それは、良心を中心に肉身が相対になっているのです。それが先に一つになるようになって、それをつなぐようになっているのです。それが先になって、それをつなぐのではないのです。分かりましたか? 良心を中心として、体が一つになって、神様につながるようになっているのです。 だから、神様と一つになっていないということは、神様の相対の価値、そして別個の真理体として立たせるために、別個の中心の基準が、神様とは別になっているのです。自己完成とは、自分を中心として良心と肉身が一つになるのが先です。それが一つにならないというと、神様の相対としての良心と一つにはなりません。分かりましたか? (はい)。そういう面において、良心は、すべて神様よりも先に分かるのです。そういうような立場に立っているので、人間は神様の愛の相対の価値存在になるのです、分かりましたか? 神様をプラスとして、自分はマイナスとなって、プラスの相対の立場に立つのです。ですから、マイナスはマイナスとして先に分かるのです。これが重要です。 だから神様も、良心に訪ねてくるのです。自分と一体となれば訪ねる必要はありません。分かりましたか? 訪ねるということは、相対的な個別真理体だからです。真理体になっているのです。それはマイナスの存在であって、プラスではないのです。分かりましたか? もしプラスであれば、もう聞く必要はないのです。一つになっているので、自分の手足と同じだから、聞く必要はないのです。先に知っているのに、何を聞くのかというのです。しかしこれは相対の立場だから、プラスではなくマイナスだから聞かざるを得ないのです。分かりましたか? (はい)。 だから良心の命令は、絶対に受けなければならないのです。神様はプラスだから、マイナスはマイナスで一つになって、完全に完成しなければなりません。それで、良心を神様のように絶対信奉しながら、一つにさせる道が修養の一番の近道です。祈祷する時も、良心に向けて話をするのです。「あなたの良心は、いかに苦労しましたか、肉身とまるっきり反対の境地に立って、肉身がこういうことを反対したのを聞かないので、いかに痛哭しましたか」と。そうすると、良心と自分と友達になるのです。分かりますか? 良心と自分と話し合うのです。そうすると良心が、第一の神様の基準に立つようになるのです。一体化した基準に、どんどん肉身が弱まって一つになれば、一つになることに比例して、マイナス圏が大きくなることに比例して、プラス圏と、どんどん一つになってくるので、だんだんと自分の良心が明らかになるのです。そのように一つになった境地になれば、教えなくてもすべてが分かるのです。堕落のサタン圏に奪われて、引っ張っていかれたので、自分が分からなくなり、みんな反対されて、ふさがっているのです。ですから、それを完全に回した場合には、すべてに通じるのです。分かりましたか? (はい)。 良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る それで良心はー、一緒に言ってください。良心は(良心は)、両親に優る(両親に優る)。神様は何かというと親です。良心は、自分を生んでくれたお母さん、お父さんに優るというのです。神様より先に分かるというのです。分かりましたか? (はい)。良心は(良心は)、両親に優る(両親に優る)。良心は(良心は)、両親に優る(両親に優る)。親に聞く必要はありません。分かりましたか? (はい)。そういう習慣性を付けて、良心に聞くのです。最初は何も分からないのに、だんだんだんだんこういうふうに三六〇度を超えれば、一つの自信が基台になるのです。二回、三回になれば、これは王宮になり、円周が、半球になり、小さいのからだんだん大きくなって、こういうふうにして上がっていくのです。(先生が手で円を描くしぐさをされる)それが、半球型になった場合には、すぐ、良心の主体である天と一つになるのです。そうした場合には、堕落しない本宮の自信でもって、すべて霊界、地界が明らかになるのです。分かりましたか? 大変なことです。これが一番の近道です。 今まで、こういうような内容を、修めようとして教えてきた教典もなければ、そういう先生もいないのです。先生自体に始まったのです。なぜかというと、完成したアダムの権限を持ってきたのだから、先生に従っていけば知らないうちに、アダムの堕落圏を突破することができるというのです。分かりましたか? そうして、神様と一つになり、神の創造理想と一つになった場合には、サタンはここにくっつくことができません。自動的に、天使長の立場に帰らなければならないのだから、神様に絶対服従するようになるのです。神様に対して悪辣な相対圏に立っているので、今は残っているのです。分かりましたか? (はい)。 良心は(良心は)、先生に優る(先生に優る)。良心は(良心は)、先生に優る(先生に優る)。良心は(良心は)、先生に優る(先生に優る)。先生が教える必要はないのです。先生に教えを受けるところは何もないというのです。良心が教えてくれるのです。先生は教える必要がないというのです。分かりましたか? (はい)。 良心の基準が基盤になった場合には、自分の生涯において成すべきことがみんな分かって、自分に必要なもの以外を成す必要がなくなるのです。それは何かというと、自分の必要とするものは、みんな成すようになっているのです。その必要の最高の目的は、神の愛を占領することです。分かりましたか? だから、宇宙を占領しても、まだまだ占領したいと思い、神様を占領しても、神様が一番尊ぶ愛まで占領して、「あー、終わりだ」と言えるのです。そこを占領した場合には、再び帰ってくることができるのです。 そこで、占領したものを相続するために、子供が必要なのです。分かりますか? 神の愛を占領した場合に何が必要ですか? 後世に残していくためには、子供が必要なのです。神様と一体になる境地は、愛を中心として一つになることです。分かりましたか? (はい)。 それで、良心は(良心は)、神様に優る(神様に優る)。良心は(良心は)、神様に優る(神様に優る)。良心は(良心は)、神様に優る(神様に優る)。神様に聞く必要がないというのです。自分が、真の父母を中心としてつながった場合には、自分を中心として、良心の命令に絶対に一つになれば、間違いなく天国につながる道があるのです。分かりましたか? (はい)。これは、死ぬまで地上で絶対必要なことです。分かりましたか? (はい)。 真の愛を中心として、兄弟が一つになった場合には、(先生が黒板に図―2を書かれる)小学校から中、高校へ、大きなプラスに向けて一つになった場合には、これが一つになるのです。こういうふうに発展して、これを対応的相対関係というのです。分かりましたか? こういうふうにすべてが発展していくのです。中高等学校を卒業して、マイナスが大きなプラスの大学になって、それが一つになって発展して、対応的相対関係でだんだん大きくなって、どこまで行くのかというと、神の愛を占領するまで行くのです。精神的には神の愛を占領することであり、肉身的には、原子世界、物の世界では、神の愛の接触分野の生殖器が最高の望みの基準なのです。だから人間の愛の分野に向かって、すべてのものは投入して入ってこようとするのです。 ですから植物は鉱物が好きであり、鉱物は動物が好きであり、動物は人間が好きなのです。そして、最も最高の望みとする所は、神の愛の平面的な最高部の夫婦の愛の器官なのです。これが地上天国の基台です。良心の基準は神の愛です。分かりましたか? 神の愛を占領する所です。 それは縦的な父子関係です。神様の愛は縦的な愛であり、天から地に下りてくるのです。真の愛は、直短(最短)距離を通過します。回っては行きません。縦的の距離でもって、一番近い直短距離は平面を中心とした九十度です。これは、家などをつくる時、まず平面を見るのです。そのためには、ずーっと重りを下ろして、それから水平になった計りを中心として、水泡を真ん中に合わせるのです。そのように縦的横的を組み合わせないと、立体構造物が生まれてきません、分かりますか? (はい)。 ですから、人間の愛においても、二つの愛があるのです。父子関係の愛と夫婦関係の愛です。それから、兄弟関係の愛なのです。(先生が図―3を書いて説明される)上下関係が父子関係、左右関係が夫婦関係です。前後関係が兄弟関係です。このようにすることによって、球体になるのです。 このような球体になるのです。これは上下関係は父子関係、左右関係は夫婦関係、前後関係は兄弟関係です。その三つが一つの中心を中心としてつながっているのです。真の愛を中心としてです。これらが一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ。七つで完成なのです。この円は八番目です。円を描くことによって、いくらでも無限に回るのです。いくらでも繰り返し、繰り返し、繰り返しても再出発、再出発になるのです。分かりますか? (はい)。 統一完成圏 神様はどこにいるのかというと、ここにいらっしゃるのです。(先生が図―3の7を示される)これをサッカーボールにした場合には、ここに数多くの線が引かれるのです。分かりますか? 無限の線でもって、同じような線でもって、表面を支持するのです。表面が真ん丸い表面になるには、そのすべてを支持する力の方向は、この中心の一点を通るのです。この一点です。分かりますか? この一点を通らないと、この表面が真ん丸にはならないのです。ちょっと外れた場合には、それが凸凹になるのです。点が一つしかないのです。分かりましたか? 一つでありながら、全体がそこに引っかかっているのです。神様はそういう所にいらっしゃるのです。ですから、良心の真ん中が、肉身と良心がつながる愛の四大心情圏なのです。子女愛、夫婦愛、父母愛、兄弟愛。そういうような愛が完成したその一点というのは、結婚の初夜の愛をつなぐ所に定着するのです。それで神様はどこにいらっしゃるのかというと、愛の生殖器、愛の一体の元に住むというのです。 それで、女たちはどこを求めていきますか? 夫婦関係の愛を求めていきますか? そのように生活しますか、そうではありませんか? 男もそうです。男と女がどこを中心として生活を結ぶ点になっているかというと、それが夫婦関係です。夫婦の因縁ではなく、夫婦関係をする所です。それが円満であった場合には幸福であり、それが不満だと不幸なのです。分かりましたか? その器官が原理原則、四大心情圏を抱えるようになると幸福であり、それが欠けた場合には不幸なのです。子供を持たないと不幸なのです。分かりましたか? (はい)。 こう見た場合に、結局夫婦というものは、真の愛を中心としていえば、(先生が上記の文字を板書される)第一に統一完成圏、第二統一、第三統一です。これは何かというと、心身一体です。分かりますか? 心身一体とは、真の愛を中心として心と体が一つにならなければならないのです。偽りの愛によって心と体が紛争するようになったのを、蕩減復帰して、真の愛を中心として心と体が一つにならなければ、元の基準に返った立場ではないので、天国に入ることができません。分かりましたか? そういう真の(愛の)第一統一完成体たる男と女が夫婦になって、一つになるのが第二統一完成体というのです。分かりましたか? (はい)。 第二に夫婦が一つになったとすれば、見えない神様の形状と性相が一つになったと同じように、実体的に引き出して、男は性相の実体、女は形状の実体として、見えない神様の実体圏が見える実体圏となるのです。それはプラス・マイナスであり、例えば心と体と同じように、神様の見えない実体と神様の見える実体の、性相・形状一体圏は良心と同じです。分かりましたか? (はい)。 心身が一つになって、夫婦が一つになって、第三番目には見えない性相・形状の実体が、見える実体の性相・形状として、心と体と同じように一つになっているのです。それは、真の愛によってです。ですから結婚初夜における愛の根は、神様なのです。良心と愛と神様が一つになって、アダム・エバが結婚式の前に、愛の主人は神様なので、神様が初めて一つになって、それから、これが二つになるのです。分かりましたか? アダム・エバの結婚式は横的結婚式であり、これは縦的結婚式になるので、縦的が横的よりも先に立つのです。 だから、結婚初夜の夫婦関係の瞬間において、男が完成されるのであり、女も完成されるのです。男、女半分だったものが一つになるのです。半分ずつが、こういうふうに分かれて、(先生が両手でしぐさされる)また合うのです。神様において一つであった、無形なる性相が実体化して、分割されて、性相は男として、形状は女として、大きくなって、二人がここで一つになるのです。そうなった場合には、無形実体の神様において、性相形状が一体であったと同じように、実体的一体になるのです。だから、アダムとエバの結婚式は横的の結婚式であるとともに、神様と、アダムとエバが結婚する一体圏は縦的結婚です。先に縦的が始まって、横的がつながるようになるのです。分かりましたか? (はい)。 この位置の縦的を中心として、横的になって、これが九十度です。(先生が図―4を書いて説明される)ですから神様は、ここ(神の座)にいらっしゃるのです。既に話したように、こういうふうに球形です。分かりましたか? (はい)。神様は良心の根、愛の根としてそこに住んでいるのです。良心の主体も神様であり、愛の主体も神様です。そうですね、分かりましたか? (はい)。主体が初めてその愛の体恤を成すようになるのです。だから、アダムの結婚式は神様の結婚式なのです。そしてアダムとエバの完成は、神様の完成になるのです。これが、宇宙の根本の秘密です。分かりましたか、分かりましたか? (はい)。 神様はどこにいらっしゃるのですか? 夫婦生活の夫婦関係する本源の基準に、いつでも神様はいらっしゃるというのです。それで、神様は縦的だから、縦的の血統を相続して生まれたのが自分だから、自分には縦的な親の血統と生命と愛、横的な愛と生命と血統を受け継いでいるのです。だから二重になっているのです。縦的な父母より相続されたものが良心であるので、良心を縦的な自分というのです。分かりましたか? 神様の愛と一つになっているので、教育は必要ないというのです。肉身は横的な自分ということです。それで良心が縦的な自分であり、肉身が横的な自分なのです。分かりましたか? それが九十度を中心として球体圏を成すために、父子関係、夫婦関係、兄弟関係は切り離すことができません。 アメリカなどは、兄弟観念がないのです。夫婦関係もめちゃくちゃであり、父子関係もめちゃくちゃです。だから滅びるのです。天運の保護圏を離れているので、自動的に分散してしまうのです。この基準に通じれば、天運の保護は永遠に、立体的に、球体的に保護されるようになるのだから、永遠に発展するのです。分かりましたか?(はい)。 真の自分を探しましょう そうすることによって、真の自分を探すことになるのです。男は男なり、女は女なり、神様と人間が一つになることによって、はっきりした自分の一体圏を生みだすことによって、この世の中の女や男のために乱されるようなことがなくなるので、世界の大問題も八〇パーセント以上が治まってしまうのです。分かりましたか? だから結論として、良心を強くしなければなりません。そうするには堕落観念を徹底させなければなりません。自分は堕落した者であるということです。分かりましたか? (はい)。 私は堕落しました (私は堕落しました)。ぺちゃんこです。ぺちゃんこには価値がないのです。これを復帰しないと何の価値もない堕落したサタンの遊びものです。地獄の基地です。だから、平和の世界は自分から築くのです。紛争している者には、いくら世界が一つになっても、自分と何の関係があるかというのです。それが傾斜になっているので、置くものがみんな滑って転がって落ちてしまうのです。そのバランスです。分かりましたか? (はい)。 だから統一教会の名前は、その平衡をいうのです。両方が統一になっているのです。その上に自由があり、その上に幸福があり、その上に希望があるのです。紛争する所に自由がありますか? 分かりましたか? この世の中の簡単な真理です。 日本の若者は、「自由だ ハッハッハー」とやっているのですが、何を言うかというのです。君たちが戦っている、本心の紛争する所に自由がありますか? まずもって、自分が自由を得るには、平面基台をつくらないといけません。その基台は統一基台しかないのです。それで「心身が一体になれ」と言うのです。夫婦喧嘩をした朝、気持ちが良いですか、悪いですか? 御飯を食べても、良いことがあっても、みんな嫌になってしまうのです。夫婦が釣り合った場合には、すべてが「オーケー」です。それを考えれば気持ちが良いし、幸福であるし、すべてが円満に通じるのですが、それが、こうなった場合には、すべてが駄目です。自分が大変なのに、外的にいくら「平和だ」と言っても、自分と何の関係があるかというのです。元は自分なのです。分かりましたか? 自分がすべてに入るように、すべてと関係するような完成体を成すことによって、全体が必要とするのです。 個体は、自分を必要とするし、家庭も必要とするし、国も必要とするのです。それが一つになるには、神様の再創造理想に投入して忘れることです。神様も、一〇〇パーセント投入した場合には、一〇〇パーセントの価値しか生まれてきません。一〇〇〇パーセント、億万倍の愛の相対を願うのであれば、億万倍を投入して忘れることによって、その倍加、倍加の価値が高まっていくのです。 この自由世界、個人主義の世界において、いかに一八〇度違う世界を迎え得るかは、全く神の創造原則の理論と同じように、投入して投入して忘れることによって、もっと高い理想の相対者を得ることができるのです。理論的なのです、分かりますか? (はい)。だから個人において絶対必要な真理は、投入して忘れなければ蕩減復帰ができません。堕落した者が、逆に変わっていく道を探すことはできません。 必ず、たくさん投入した者は、一家庭を中心として、八人を相手にした場合には八人の中心になるのです。氏族のために家庭を犠牲にして、氏族には自分の家庭みたいな家庭が何千も入っているので、何千倍の家庭のために、家庭はすべてを投入して犠牲にならなければなりません。次に、氏族はなぜ国のために犠牲にならなければならないのかというと、国は氏族みたいなものがたくさん入っているので、たくさんの氏族を滅ぼして、自分の一族を重んじようとする者は地獄へ行くのです、破壊分子なのです。原則ではないのです。分かりますか? (はい)。 日本人として、日本ばかりを考えて世界を利用しようとする者は、世界を破壊させる罪に引っかかるのです。だから、世界の保護を受けるためには、世界に向けて投入して忘れることによって、世界の中心の国家になるのです。その原則は万年を通じても変わらないので、中心の国になるのです。中心者はその国に責任を持つのです。先生は統一教会の中心(者)なので、すべての悪いことにも先生が責任を持ってきました。それで、統一教会に無限に投入してきているのです。分かりますか? 自動的に、中心になった者は責任を持つのです。中心者は保護しなければならないのです。みんな原理原則です。このように保護しなければならないので、統一教会全体を保護するのです。日本の国の中心の政府であれば、日本のすべてのことに責任を持ち、日本を保護しなければなりません。それから日本を立派に発展させ、生育させなければなりません。発展させなければならないというのです。そのような、三大責任があるのです。だから先生は、君たちに夜遅くまで、なぜこんなことを話すかというと、きのうよりきょう、どんなに時間を費やしても、きのうより大きくなるように、発展するように、成長させるために投入しなければならないので、こんなことをするというのです。分かりましたか? (はい)。 それは、すべてが原理原則に一致したものであり、それで悪い自分にならないし、良いという結果になるので、どんなに時間を費やしても良い、断食しても良い、牢屋に入っても良いと言うのです。牢屋に入っても悪い所には行きません。先生が牢屋に入った結果、アメリカを凌駕する結果を生みだしているのです。牢獄から出て七年目に、アメリカ全国を踏みにじってしまうようなことを成し得て、「真の父母と成約時代 新教と旧教をカイン・アベルとして、父母の前につながれ」と命令しても、みんな反対する者はいなくなってしまいました。 自分が怨讐であり、自分が悪いのです。自分が悪いということが分かりましたか? (はい)。自分が怨讐であれば、いくら家庭の平和と言っても、自分とは関係ないのです。それは除外されるのです。だから、平和でない者は地獄へ行くのです。地獄です。分かりましたか? 心身紛争する者は地獄へ行くのです。堕落のゆえにそうなったのだから、堕落の基地を完全に収拾して、心身一体にならなければ、天の元の国には帰れません。 元の国に帰るには、真の愛というものが必要であり、真の愛というものは生命を投入して忘れる境地を越えないと出発しません。なぜかというと、サタンの愛は、サタン的な生命基準以上でなければ、神の愛につなぐことはできません。だから「死なんとする者は生きる」という、そういうような逆説的な定義を出さざるを得なかったのです。こういうような内容をもって、天的な教理、経典、聖書は、はっきり教えているのです。分かりましたか? (はい)。 ですから、まるっきり、サタン世界に向けては一八〇度違う所です、だからサタン世界は、文先生がそういうふうに神様の国を誘致しようとするのだから、全世界のサタン世界は一〇〇パーセント、一八〇パーセント反対するのです。反対しない者は嘘です。サタン世界で喜ぶ者はサタン化された者だから、自分を通して、それは感じません。何の衝撃も受けないのです。だから、相対的に立つ所の者を「殺せー」「駄目だ」と言うのです。ですから、世界的な宗教指導者として、歴史的に出発して、世界的な迫害を受けるようになるという、このような原則が当然なければならないことになっているのです。それで先生は何を願っているのかというと、早く世界的な迫害の時代が来るように願ってきたのです。 女の全権時代は二〇〇〇年まで 今や、それも過ぎました。その戦いも過ぎました。アメリカを中心として過ぎました。アメリカの五十州をまとめてしまって、みんな万歳したのです。一週間で国会演説を行ったのです。それは二年半かかることです。それにUN(国連)総会も、二週間から三週間以内に、お母様がUN会場で講演することになったのです。文先生はともかく可能だけど、お母様が成されたのです。先生はお母様と一体になっているのです。愛は一体だからです。 エバ国家のキリスト教を中心とした新婦教会が失敗したのだから、新婦でもって蕩減しなければなりません。アベルはアメリカ国家、カインはヨーロッパ、自由世界です。自由世界の国会がUNで、アメリカの国会が相対圏です。それをみんなカイン・アベルとして、お母様が抱いて、旦那さんと一つになっているのです。分かりましたか? (はい)。 第二次大戦後において、世界は英米仏と日独伊が心身一体として一つになっていたのです。カイン・アベルが一つになって、お母様を中心として先生に侍ったとすれば、そこから世界が、七年間で世界統一になるべきだったのです。今、「真の父母と成約時代」を発表したその基準は、第二次大戦後において新婦と新郎が会うようになったのと、ちょうど同じです。だからアメリカも神のほうに、イギリスの代わりに日本が、そうしてドイツは既にカイン圏として長子権を復帰したので、干渉してくるようになるのです。分かりますか? 長男とエバとお母さんが、お父さんを中心として一つになるのです。アメリカと日本のエバ国家と先生がこのようにして一つになるのです。 韓国に来て、お母様がやるべきことは、青年を中心としてカイン・アベル。原研を中心として、共産党を中心として、大学を分裂されて、原研はみんな三年前に大学を追放されているのですが、それを復帰するのです。一つになっていくのです。これが一つになって、南の国の学生と金日成の学生が一つになった場合には、お母様の腹の中から二人の子供が生まれるのです。一つになったからです。その国家的な基準が立った場合には、世界は一つになるようになっているのです。それと同じように、日本は日本なりにカイン・アベルの子供を二人はらんでいるのです。その朝総連と民団を一つにしなければ、日本は救われません。 同じように、イギリスのアイルランドとスコットランドが、新教・旧教として、お腹の中に入って戦っているのを、イギリスは一つにできなかったのです。日本も同じように、韓国の北と南のプラス・マイナスで反対するのを生んで一つにしなければならないのです。それは日本の女として一番嫌がることなのです。日本人も嫌がるのです。ちょうど、それと同じになっているのです。分かりますか? だから、これから帰った場合に、女たちは韓国僑胞の民団と朝総連をいかに統一するかというのです。それを統一しないと、日本の国が立つことはできません。それを一つにすることによって、六十万人のイスラエル民族と同じように大移動です。日本はエジプトと同じような国です。イスラエルをはらんできたのはエジプトです。それを追い出すのではなく、再び一つになって、女たちが一緒になって帰っていったとするならば、エジプトも天国になることができるというのです。分かりましたか? (はい)。 だから民団を先にして、日本エバ国と一つになって、男を連れていくことにより、大きい民団に上がれるようにして、それに日本の男性がプラスにすれば、日本国家の救済になるのです。 今は、そういう時代です。七年間で、一九四五年から一九五二年に、世界統一圏を成そうとしたのですが、それが四十年延長して、新婦と新郎が一つになって、韓国と日本エバ国家が、再び一体圏を成すことによって、今から七年間で一つにならなければならないのです。七年も延長させてしまったのですから、エバ国家の日本が全世界の女たちと再び組んで、方向を固めることによって、全世界が方向をまとめるようになるのです。エバ国家の日本の女は、旦那さんが誰であるかということを知っているのです。 全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主と見るのです。女と再臨主は一つで、こちらは天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか? 母の分身になって、お母様が姉さんだとすれば、君たちは妹です。先生から見た場合には、正妻と妾の立場です。 復帰は、レアとラケルを中心として見た時、レアが正妻になるべきではないのです。ラケルが正妻になるべきなのに、レアがなぜ正妻になったのかというと、復帰路程において、堕落した女から復帰されたレアみたいな女がいなければならないからです。それがレアとレアの娘です。(一方)ラケルみたいな本当にヤコブの願った娘と子供とを一つにさせなければならないのです。そのことを全世界的に、ヤコブ家庭でできなかったのです。イエス家庭でもそっくり同じです。 こういう関係を先生を中心として見れば、聖進様のお母様も獄中で離婚したのですが、聖進様がいる以上、ちょうどそれに引っかかるのです。聖進様のお母様は子供と一体となっているから、いくら年取ったとしても、いくら別れたとしても、聖進様の家に入って住むことができるのです。聖進様が切ってしまうことのできない場合には、いつもお母様を憎み、聖進様と共に反対するような立場に立ちやすいのです。これを凌駕していかないといけないのです。ちょうどそれと同じです。 歴史は、ただでは通過できません。蕩減復帰というのは、堕落したとおりに再び再現して、反対に一八〇度違った方向に行くことによって、収拾の道ができるようになったのです。アダム・エバが堕落する時に、天使長とエバが、一つになってアダムを地獄に連れていったので、今度は天使長とエバ、お母様が日本の国を一つにするのです。一つにしてアダム国家を蕩減復帰するのです。アダムを追放したので、反対に救ってあげなければならないのです。それが日本と天使長です。今がちょうど、その時です。分かりましたか? (はい)。 その基準は、既に終わりました。全世界を回ったのです。そうなると、七年間において、世界を一つの方向に、統一世界をつくらなければなりません。七年間に世界は、そのように急変していくのです。だから今、アメリカも、日本も、韓国も、そういうような境地を進んでいくのです。分かりましたか? (はい)。 女の時代は七年間です。女の全権時代は二〇〇〇年までです。先生は、今から七十年代、八十年代までの七年間が残っているのです。一九四五年から一九五二年までの七年間ですべてをまとめようとしたことが、今残って延長されているので、再びそれを蕩減復帰して、完全な地上天上天国の成立が可能な時代に入りました。それで氏族メシヤを送って、家族メシヤを編成するというのは、地上天国編成が始まっているからです。分かりましたか? (はい)。 横的東西統一と縦的南北統一 堕落観念を強く感じていくことによって、自分の良心圏が絶対権限の上に立ちます。それが立つとしても、どういう方向で、どういうような思いでいくかというと、神様が再創造するのに投入して忘れてきたと同じように、統一教会は家庭のために投入して忘れていくのです。犠牲になるのです。氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様、神様自体も愛のために投入して忘れてきたのだから、それを成就しようとして従っていくことによって、勝利的な中心の国家として成り立つのです。 国家が成立した場合には、それは世界的な代表国家になるのです。北の金日成共産主義と南の民主体制が一つになったとするならば、平面的東西の分裂がドイツです。それが一つになったとすれば、世界的縦的分裂国家、横的分裂国家群の最後の統一が、東西によって成るのです。縦的南北統一が最後のベースです。 金日成が四十年間なぜ王様になったのかというと、キリスト教文化圏が、新婦を中心として新郎に侍ったとするならば、北の金日成は生まれてきません。南北は自動的に統一されたのです。キリスト教が反対したために、悪魔の再臨の主として唯物共産主義の父が生まれてきました。それで、二つの父が対立して争ってきたのです。それは、サタンの全権でもって、世界を一挙に攻めて七五パーセントまで占領するのです。蘇生、長成、完成(期)基準は第一次戦争も、第二次戦争も、第三次戦争の思想戦もみんな負けると思ったのに、そうはいきません。先生によって、みんなぺちゃんこになりました。 だから、金日成は今からだんだん下がっていきます。先生は追放された荒野から、上陸作戦をして世界へ無限に上がっていくのです。このような交差時代に今、入りつつあるのです。それでソ連、中共を結び、金日成には、アメリカを中心として、日本まで活用して圧力を加えるような教会にしていくのです。分かりましたか? (はい)。何でもないような男が、そういう力を持つようになりました。何でもってかというと、神の保護力によってです。絶対なる神の権限の相対基準に立ったのだから、その相対圏を侵そうとする者は、反対しようとする者は、天運がみんな追放してしまうのです。迫害の境地をずーっと段階的に勝利して、最後の段階もみんな越えてきました。 今は、もう世界的に「真の父母と成約時代」を発表しても、日本もびくともしなかったのです。それを取り戻すことはできません、サタンは取り戻すことができません。祝福家庭が一つでもあれば、その国は、その理念を未来までつなぐようになるのです。先生の教えはなくなりません。それは、一人が残っても続くのに、全世界の最高クラスが文先生の恵沢を受けているのです。頂上会議を中心として、PWPA、CAUSA会議、言論界などを通して、あらゆる識者、世界に手を伸ばしていないところはないのです。それは四十年以上、五、六十年間ぐらい、中南米からやってきているのです。だからアメリカの国会にしても、今後はアメリカ大統領も先生が指名すれば可能になる圏まで入っているのです。 それを信じますか?(はい)。ソ連のビデオ(ロシアにおける統一運動)を見たでしょう? ソ連の科学施設全体を先生に提供しようと、向こうから願っているのです。ドイツとか日本では絶対にやらないのです。昔、怨讐だったからです。しかし、文先生は世界的な平和主義者として、投入して、怨讐国家のアメリカを救うために、『ワシントン・タイムズ』などを、今までつくってきたことを彼らはよく知っているのです。だから尊敬するのです。全面的に、この思想だったらアメリカを凌駕すると知っているのです。一つになって、アメリカも、自由世界も、みんな乗っ取ろうというのです。 モスクワに行った時に、文教(文部)大臣が発つ前に十分だけ会ってもらいたいというのです。それで、「自分たちは八年前から統一思想を研究した。KGBが全面的に(研究した)」と言うのです。「悪辣な反共運動の王者のレバレンド・ムーンがこうやった場合にはー」と。それで、「もしかしたら、共産主義はもう、これ以上続かない」と、彼らは八年前から知っていたのです。「共産主義を撲滅させた場合に、レバレンド・ムーンがそれ以後の対策もなくてやった場合には、悪辣な者であり、何の代案があるのか?」と彼らは言っているのです。その結果、「先生の真理は我が国に必要です」と言っているのです。それで約束したごとく二四〇名の経済学者たちを案内して、自分たちの共産主義経済体制から民主主義、個人主義を中心とした体制、それらすべてのいろんな約束をみんな成して、彼らの道を示してやったのです。 それで直ちに、二年半後には十万人近い人々を教育しました。「七十五日間で五万人をやったのだから、そういうペースでもってやれー」と。だから、いかなる勢力、政治団体の基盤があっても、これを抜き取ることはできません。ソビエトに対して、それを指導し得る体制をもって、自信をもって指導したいという者は先生以外にはありません。分かりましたか? エリツィンの経済の最高分野まで手がついているのです。UN(国連)の共産地区の悪辣な地下運動をした者を、エリツィン政府に戻してやって、UN事務局を治めないといけないのです。いろいろな世界のことをしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 天願うエバ国になるには そのようなすべての経済(問題)は、エバ国家が支えないといけないのです。英米仏、世界を統一した立場に立つキリスト教文化圏が反対しているのも、エバ国のゆえです。イギリスがアメリカを生んであげなければならないのに、今は怨讐になっているのです。だんだんだんだんアメリカを生かす方向に、神のみ旨を中心としてやれば、すぐに目をみはるようになるのです。中共も、ソビエトもです。それをエバがしないといけないのです。生み直さなければならないのです。放蕩息子であれば、母は子供に対して泣きずりながら、お父さんより胸の心情の痛みを感じなければならないのです。分かりましたか? お父さんは送る時、そうは言わないのです。エバに全世界を任せているのです。分かりましたか? (はい)。 英米仏のキリスト教文化圏が、新婦圏がそうだったのです。旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人だというのです。聖書を見れば、そのような歴史があるのです。親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。それを通過しなければ、子供も再び、女も再び生まれ変わる道がありません。 真のお父さんの真の愛の子供の種と、真のお母さんです。二人を通過して再び生んでもらわなければなりません。神の国に真の子女として生まれて、生涯を終えて移動していくのが天国であって、真の父母と関係のない者は、愛の門を通過しない者は天国と関係ありません。だから再び生まれ変わらなければなりません。 あす、そういう内容をみんな話して、二日間でそういう内容をはっきり分かることによって、日本から集まった五万人の女性は、神がいよいよ信頼するようになるというのです。今まで自分勝手にしていたので、信頼も何もできないのです。先生の手が届いていなかったのです。この女や男たちが、先生の言うことを日本式にみんな解釈して、でたらめにして、ぺちゃんこにしたのです。先生はずーっと十年前から言っているのです。 五年以上、戦わないといけないのです。必ずそういう過程を通過するのです。先生が(一九)八八、八九、九〇、九一、九二、九三、六年間、語ってきたことがぺちゃんこになったのです。それを先生が一人で、こういう重大な責任を負うのであって、今は大変な、窮地に立っているのです。 エバ国の使命の不徹底のために、先生まで困るようになってきたのです。それで先生は四年前にエバ国家が失敗する可能性があることを知って、カナダを第二のエバ国家として選定することを神に宣布したのです。四人の女と日本の男を立てて(宣布)したのです。 今度のお母様の大会を大々的に歓迎したのがアメリカの国会です。全体が一つになってです。アメリカやカナダでずーっと大会をしたあとに、表彰とか賞杯とかをもらったのが、こんなに一冊の本になっているのです。大変です。全国的になっているのです。日本はぺちゃんこになる反面、カナダはその反対に栄えているのです。日本は雑教国家ですが、カナダはキリスト教文化国家です。六か月も教育すれば、あなたたちに二十年以上教育したより、先立つような人材をつくることができるのです。分かりますか、何の話か? だから、英米諸国が失敗することによって、日本が祝福を得たのです。もしも、このように先生が選抜しなかったとすれば、日本は戦争犯罪として、賠償のために四か国に分割されて、今の女、娘たちは涙で月を眺めながら故郷を思いつつ、胸が裂けるような痛みに嘆くことを逃れることができなかったのです。先生がエバ国家として指定したので、日本はこうなったのです。日本が偉いからこうなったのではありません。 ドイツも、みんな焼け野原になってしまった。そのような日本が、アメリカの助けによってこうなったのです。それから蒋介石の保護によって、日本は弁償を要求されていないのです。それなのに、ある総理は、蒋介石の功労どころではなく、台湾を切って中共と結んだ、その姿勢がよくないのです。 その後、台湾は統一教会を追放したのですが、それでも先生は台湾を救ってやったのです。レーガン政権の時代にあらゆる問題の背後で援助したことが分かっているので、今度お母様を国家的に、国家全体が国会を動員して、みんなお母様に侍っているのです。国会大演説は、三〇〇〇名の講堂で国を中心とした大会をするようになったのです。そういう面によって、先生に感謝しているのです。だから「為に生きれば」すべてが収まるのです。分かりましたか? (はい)。 この会場いっぱいに集まった「女さん」たちは聞きなさい。もうこれでおしまいです。この五万人の女たちは今からどこへ行くのかというと、行く所がないのです。韓国に責任を持たなければなりません。日本のために韓国が二つに分かれているのです。アメリカのために韓国が二つに分かれているのです。天使長とエバがアダムを堕落させたことの復帰です、蕩減復帰です。天使長のアメリカとエバが一つになって韓国を統一させなければならないのです。 それを、自分たちの生命を懸けてなさないというと、日本の国はエバ国家として、アメリカは天使長国家として立つことができません。これは先生が適当に話すことではありません。摂理がそうなっているのです。公式なのです。それを逃れる道はありません、分かりましたか? (はい)。運命的になっているのです。だから、日本がやるのです。今から僑胞に向けて、エバはお腹に入った彼らを生んで一つにしなければ、日本の希望がないのです。 リベカも、ヤコブとエソウを一つにするために死を覚悟したのです。タマルも、ペレヅとゼラを一つにするために死ぬ覚悟をしたのです。分かりましたか? 国家的基準のエバ国家になるには、すべての六〇〇〇万人が死を覚悟しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 なぜ五万人を教育するかというと、六数からアダムをつくりました。そのアダムを危うくしたのが女です。女の基台の上に、アダムを再創造する勝利的基盤をつくらなければならないので、前もって祭壇が必要です。分かりましたか? 女の祭壇です。女によって男を失ったのだから、女を中心として、男を再びつくり変えなければならないのです。だから五万人なのです。六〇〇〇万人を中心として十二数に当たるのです。十二、一二〇。蘇生、長成。一二〇〇は十二の百倍です。この五万人は一二〇〇人に責任を持たなければならないのです。分かりましたか? (はい)。五万人は、六〇〇〇万人を中心として、十二になるのです。十二を蘇生とすれば、十倍、十倍の一二〇、一二〇〇です。それに影響を与えないといけないのです。分かりましたか? (はい)。そういう意味があるので、こんなことをするのです。これを治めなければならないのです。八十日以内にです。 先生がいなかったらこんなことができますか? これは誰にもできません。なぜ、みんなここへ来たのですか? 先生を見たくて来たのでしょう。再臨の主に会うのが、二〇〇〇年間のキリスト教の希望なのです。財産も、アダムとエバが結婚する前には、アダムとエバの所有の前に神様の所有になるべきです。君たちも祝福される前に、自分の財産を神の所有に回さなければならないのです。サタンの所有になっているのです。それを拘束して所有権を持った場合には、引っかかるのです。先生も、何も持っていません。 先生の名前で残してはなりません。国の名前で残すのです。先生の名前も(国に)登録しないといけないのです。分かりましたか? 同じ運命なのです。君たちが、緊急の時に再臨の主に負債をさせて、天的な縦的なお父さんに、自分の負債を弁償させるようなことをしてはなりません 法律的内容が問題ではありません。 日本民族としての使命 だから、みんながそういうふうにした場合には、共産党にやられるのです。ソビエトがそのままほうってはおかないのです。みんな乗っ取られます。そうなるか、そうならないか見ていなさい。そうでなかったら先生がそういう道を案内してやるかもしれないのです。そうすることが、永遠に追放されて日本がめちゃくちゃになっても、悔い改めて生き返る道があるからです。分かりましたか、何の話か? 文先生は流れていくような者ではないのです。やろうとすれば何でもやります。先生が命令したら何でもできます。 自分のお金ではないのです。お金は女の所にみんな集まっているのです。そうですね? お金は女の所に入ってくるのです。それをしないと日本は滅びるのです。見ていなさい。めちゃくちゃになるのです。こういうふうにして、先生がつばを吐いて、回れ右した場合には、日本は希望がないのです。先生の苦労した四十年間を、エバ国を立たせて苦労したすべてを、獄中の苦労、四十年間の苦労を、みんなエバ国家が蕩減しないといけないのです。他に抜け出る道はありません。こんな最後の話はしたくないのですが、終わりだから言うのです。分かりましたか? (はい)。 ここには、でたらめな者がみんな集まっているのです。中間のいろんなだんだら者、みんなでたらめな者が入っているのです。それらが確信を固めて、悔い改めて、本心の道を正当に行かなければならないと警告します。分かりましたか? 先生の話が聞き取れますか? (はい)。聞き取った者は手を挙げてみなさい (はい)。 何のことか、分かりますか? これは先生の話ではないのです。原理原則がそうなっているのです。だから血統転換、所有権転換をするのです。心情圏転換は氏族メシヤです。血統転換して、氏族転換、所有権転換をしなければならないのです。みんな避難民になるイスラエル民族と思って、国に帰らなければならないのです。本郷の地です。分かりましたか? 日本の地ではありません。登録とともに、みんな韓国の基地に帰る道があるのです。民族大移動が起こるのです。韓国人であっても反対した者の土地をみな、買って入るのです。反対した者を追放して、逆に入っていくのです。 それで、正妻が妾みたいになるし、妾が正妻みたいになるのです。分かりますか? (はい)。妾みたいな者が正妻になるし、正妻のようであった者が妾になるのです。そういうことが天地開闢というのです。分かりましたか? こういうことをはっきり分かって、日本に帰ってどこでも堂々と言うのです。そうすることによって、自分を探して、一家族、一国を探して国に帰ることができます。自分一人だけではないのです。真の自分だけではありません。真の家庭、真の氏族、真の国を生かしてあげなければならない、日本民族としての使命があるというのです。こういうような内容をまとめて告げてあげるのです。最後だからこんなことを言うのです、分かりましたか? (はい)。 これを心に留めて、みんな五万人が火をたいて、釜で御飯を炊くように、みんなが日本全国を蒸すような決意をしなければなりません、四三〇〇名は、四十三数に当たるのです。四三〇〇年と同じです、韓国も四三〇双は四三〇〇数を中心として、四三〇と合うように組んだのです。分かりましたか? (はい)。真の自分を探すということは、自分一人だけではないのです。国を求めて、国を復帰してこなければ、世界に帰る道はありません。サタン圏を越えることができないということです。こういうような結論まで突き詰めて送るのです。分かりましたか? そういう覚悟で今から二日間教育して、日本に帰して、新しく種を蒔くような、そういう生きた実になるように決意しますか? (はい)。決意する者は両手を挙げて誓いましょう (はい)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.02
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「真の自分を探しましょう」(その1)1993年12月19日真のお父様、文鮮明先生済州島指導者特別招請講演(韓国・済洲研修院) 「女の子」とは みんなどこから来ましたか? (さまざまに答える)時間がないから始めます。(先生が黒板に題目を書かれる)何と読みますか? (真の自分を探しましょう)。これは、真の自分をどこかで失ったという話です。どこで失ったかという、それが問題です。そうなると、失った所を知らないし、失った時を知らないのです。どうしますか? ここは、先生の通路です。ちょっと、空けてください。先生に触ったら、話をするのに支障をきたすので、まずもって注意しておきます。 先生を初めて見る人は手を挙げてください。ほう、大半だね。 日本でさんざん先生のうわさを聞いたでしょう? うわさによると先生は悪い人ですか、良い人ですか? (笑い)兼ねているのです。「一番、世界でも悪辣な者、顔を見ただけで洗脳してしまう」と世界中でいろんなことを言っているのですが、そのような、悪くても良くても宣伝が必要な世の中は、一方では「悪い」と言っても、一方では「良い」と言うのです。悪辣な者が「悪い、悪い」と言うと、君たちが「良い、良い」と言っているのです。それで親戚関係を回ってみると、知らないでただうわさしているのです。 ここに集まった者は、先生に近いほうですか、遠いほうですか? (近いほうです)。本当かね? 見るのが、会うのが初めてではないの? 君たちは、統一教会の先生とか、真の父母とか、成約時代とかいっても「大変、世界をかき回す先生とはどんな人か?」と、みんな手帳に書くか、写真を撮って持っていくだろう。見合いのようにね。先生の立場と君たちの立場は違うのだから、違う判断をしてもかまいませんが、すぐに判断するのではなく、一時間、二時間とたつと、根底がはっきりしてくるので、その時に批判しなければならないのです。分かりましたか? (はい)。 今まで、先生はたくさんの人々を教育してきました。大変です「女さん」。「女さん」と呼びましょうか、何と呼びましょうか? 大衆を指導するには、標準を決めなければならないのです。さあ、何と呼びましょうか? 「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女様」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? 何を願いますか? 願いのとおりに決めます。どうしますか? ここに立った人を統一教会では何と言いますか、先生ですか、お父様ですか? お父様は二人いるのが良いのですか、一人いるのが良いのですか? 皆さんのお父さんはどうしたのですか? 皆さんのお父さんもお父様だし、ここに立っているのも――(真のお父様です)。だから、困るのです。「真の父母」と言ったために、先生は世界中で迫害を受けているのです。真の父母という名前を言わなかったならば、反対される理由がないのです。 真の父母を皆さんが強調すれば、自分を生んでくれた父母は偽りの父母になってしまうのです。自分を生んでくれた父母に、「地獄に行く」と言えば、それは反対するようになっているのです。「女さん」たち考えてみてください。そんなこと言い出したら大変なことです。それで、先生にこんな悪い名前をつけたのが女たちです。女が問題です。女が問題なのです。 先生は女が大好きですか、大嫌いですか? どっちです? (大好きです)。(笑い)大嫌いです 女がいかなるものかよく知っているし、誰よりもよく知っているのが先生です。歴史を通して、大変よく知っているのです。女は、かわいそうです。歴史以来、今日まで、女の世界には代表がいなかったのです。陰とか暗闇とかの真っただ中で、行く方向も知らないで、男たちにいじめられ、迫害されながら今まで生き残ってきたのも偉いことです。それを、世界的に初めてお母様を前にして、「女性解放を宣布いたします」と。それは誰がしましたか? お母様がしましたか、先生がしましたか? 誰がしましたか? 発表はお母様がしたのだけれど、その内容は、先生がしたのです。 男は女が大好きですか、大嫌いですか? 普通の男たちは大好きかもしれないけれど、先生は女が大嫌いです。皆さんは、その大嫌いな女たちです。ですから正直にどういう話をしようかと迷っています。それで、先生を何と呼びましょうか? お父様? お父様というのは血統的関係があるのです。そんな関係はないではないですか。では、内容はよく知らなくても、名前のとおり「お父様」であるとするならば、皆さんを何と呼びましょうか、「女様」と言いましょうか、「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? (娘です)。娘、子供たち? その中に「女の子」はみんな入ります。娘も入ります。「女の子」にしましょうか、「奥さん」にしましょうか、「女様」にしましょうか? どうしますか? もし「女の子」と言ったら、「何だ、自分たちと先生は同じような年齢なのに、女の子って失礼ではないか」。そう言ったら大変です。このことは、公的に発表して決めることです。 では、決めましょう。娘は「女の子」と同じことです。娘? どうしますか? 「女の子」にしましょうか、「娘」にしましょうか? 「女の子」だったらみんな入ります。大人も、子供が大きくなった「女の子」だから、ちょっと時間がたっただけで、別に差別はないのです。「女の子」にしましょう 「はい」です? 「女様」はどうです、嫌ですか? それでは「女の子」にしましょう。先生もかしこまりました。(笑い) 蕩減というもの 先生を見てどう思いますか? 恐ろしいの反対は何ですか? (優しい―)。かわいらしいです。(笑い)どっちですか? 恐ろしいですか、優しいですか? (優しいです)。優しくて親しくなった場合には、かわいらしい人です。(笑い)先生の年が十五歳だったら、何ですか? 「かわいらしい」と言うのです。 今、ずーっと先生を見て、その気持ちはどうですか? 悪い人のように見えますか、良い人のように見えますか? (良い人です)。やあー、ありがとう 日本の感謝の言葉で「ありがとう」と言えば、蟻が十匹という話です。だから日本人はいつも「ありがとう、ありがとう」と言うので、蟻のように腰が細くならなければならないのです。前では引っ張るし、後ろでは引き止めるので、腰だけが細くならざるを得ないのです。だから日本人は蟻のように、よく働くというのです。そうです。それで、世界中では「日本人は、あまり働くな」と言って、世の中では熱心に働くことにブレーキをかける人たちがいるのです。そういう人たちは滅びます。いくら良いことを言ったとしても、陰で聞こえてくるのです。 しかし、日本人が熱心に働くよりも、統一教会の世界のメンバーたちは、その三倍以上働くように先生は願っているのです。一般の日本人ではなくて、統一教会の日本のメンバーは、統一教会に入って、それは話には素晴らしいのですが、内容はそう素晴らしくないというのです。(笑い)「蕩減という言葉がなかったならば良い所なのに、蕩減という言葉があるので大変だ」と言うのです。分かりましたか? 先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。だから統一教会の理念の最高の基準には、ただ安らかな生き方では到達することが絶対できません。ですから、蕩減というものを尊重せざるを得ません。蕩減を通さないと絶対に行けない目標だから、蕩減を重要視せざるを得ないのです。 その蕩減というものは、笑いながら行くものですか、泣きながら行くのですか? 笑いながら行くのではなく、その反対です。だから統一教会は大変です。どこへ行っても、泣く教会です。先生もたくさん泣いたのです。こんな大きな顔した男の泣くのは、みっともないものです。その時の写真なんか撮っておいたら、とても印象的なことです。統一教会とはそういう所です。だから先生の話を聞いても、先生のたくさんの本、二五〇冊以上の説教集を読んでも、「今まで統一教会は苦労したのだから、今からは休んでも良い」ということは、一つも書いてないのです。もし見つけ出せたならば、賞品を上げますから探してみなさい。 だから先生は小さい時から大きくなっても、「いつも蕩減だ、蕩減だ、もっと犠牲になれ、もっとかわいそうになれ、もっと悲惨になれ」ということを言いながら、もし自分が安らかに統一教会の中心としていた場合には、もっと大変です。その団体は、その時から滅んでいくのです。分かりましたか? 今、先生は何歳ですか? (七十三歳です)。七十三歳は八十代につながるのです。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。一は十につながるのです。ですから七十三歳といえば、八十代に入ります。「ここに集まった女たちで、八十代に入ったおじいさんを好きだという者は手を挙げなさい」と言えば、一人もいないはずです。先生はさておいて、八十代を歓迎するという女は手を挙げてみなさい。賞品を上げますから、手を挙げてみなさい いないじゃないですか それが常識なのです。普通なのです。それなのに、ここに八十代のおじいさんが立っていて、君たちに聞いた場合には、いくら統一教会の教祖であっても、みんなそう言うべきなのです。そうでしょう。 本当に、先生を好きですか、先生を愛しますか? (愛します)。愛するということは、今、お母様がいなくて先生が一人でいれば、みんな結婚しているだろうということなのです。先生のようなおじいさんと結婚したいという女の子がいますか? いないというのです。それでも、愛しますか? 好きになりますか? 愛するとすれば、愛するという内容の話をするし、好きになるとすれば、好きになる話をしますが、好きは壁の隙、スキーのスキ、畑を耕す鍬など、たくさんあります。そうでしょう? どうしますか、好きになりますか、愛しますか? (愛します)。やあー、大変なことが起きました。 それでは、君たちの旦那さんはどうしますか? (笑い)一人の女が二人の男を愛すると言った場合には、それは良い女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。どれくらい悪い女ですか? それは部落でたたき殺されるような女です。それを考えないで、大変なこと言ったら先生は困ります。そんなことを言うので、先生はどこへ行っても、大変なのです。 初めて会う女たちがたくさんいます。教育をしたこともないのに、先生の話を聞いたこともないのに、初めから「愛します」とは、それはちょっと気が狂ったとか、正常な者ではありません。ですから皆さんの「愛する」という言葉は信じられますか、信じられませんか? どっちですか? 君たちがいくら「先生を愛します」と言っても、先生は信じられますか、信じられませんか? どうです? 信じられません。 もう一回、はっきり言ってみてください。愛しますか、好きになりますか? (愛します)。はっきり言ってください。(愛します)。ありがとう それで、愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。分かりましたか? (はい)。もし、旦那さんが横に座っていたとしても、「私はお父様を、あなたの何十倍も愛している」と言って、ほほにキスをしていっても、横に座っている旦那さんは喜ぶのです。あのおじいさんは日本一の金持ちなので、仲良くしていた場合には、亡くなった時には、何割か自分にも回ってくるというのです。ですから、心配ありません。心配しなくていいのです。「お父様」と言ったのだから、皆さんは「女の子」になっているのです。「女の奥さん」ではありません。「女の子」になっているから、「心配しなくてもよろしゅうございます」と言うのです。(拍手)握手でも一つしようか? (拍手)握手しようとするとこんなに騒ぐのに、キスしようとしたらどうなりますか? だから危険千万です。注意するように、ブレーキをかけておきます。 さあ、「女の子」たちにこうして会ったんだから、「女の子」に対して一言、何か話しましょうか、それとも初めから「真の自分を探しましょう」という題目に入りましょうか? お母様が演説する時のエンターテインメントのように、ちょっと序論をしましょうか、直接、題目のみ言に入りましょうか? 「女」とは名ばかり なにしろ、立派な日本の女性たちがたくさん集まったこの場です。北海道から鹿児島まで、全国から集まったのですね。そうでしょう? (はい)。訛言葉もたくさん使うでしょう。沖縄なんかも、日本語ではないみたいです。半分中国語のようなのです。「女さん」たちがたくさん集まっていますが、平均的に見ると実に美人が多いですね。(笑い)本当です。今晩の先生の目が美しいので、そう見えるのかもしれないけれど、美人が多いのです。そう言われて気持ちは悪くないというのですね。先生も美しい人たちを前にして話をするのだから、良いことなのです。 さあ、それでは「日本の人」と言うのがいいですか、「日本人」と言うのがいいですか? (日本の人です)。「日本の人」がいいのですか? では、「の」をつけてあげます。日本は島国です。島国に住んでいるのが日本の人です。では、島国は広いですか、狭いですか? 昔は山陽線だったけれど、今は下関から東京まで、新幹線で軒つなぎ、町つなぎです。だから狭いというのです。島国はいつも大陸を慕っているのです。ですから、日本は大陸を侵略したのです。女なのにです。だから、ぺちゃんこになりました。 それで、女たちの話し方は、大概、尊敬語を使うのです、上に侍るように、女は尊敬語を使ってきました。今まで女は歴史的に、そういう生活をしてきました。旦那さんの下で、言うとおりに服従してきました。いつもいじめられながら、何かちょっとでもしてもらうたびに「お願いします」と、お世辞を言わなければならない立場で生きてきたのが女たちです。ですから日本語を見ると、みんな尊敬の言葉を使っているのです。「御飯」「お水」「おかず」「お塩」これは、みんな女の言葉です。いくら弁明しても、それは男の言葉ではありません。男は「飯ちょうだい。水ちょうだい」と言うのであり、男が「お水ちょうだい。御飯ちょうだい」と言うのは大変気持ちが良くないのです。「お味噌ちょうだい」これは、女の言葉です。このように「お」を好むのが、「女さん」たちです。それで「女」というのは、「御名」の「お」を強く言ったものです。 女というのは名ばかりであるという話です。名前しかないのです。日本語で、女というのは名ばかりで、中身が一つもないという話です。先生の名刺であっても、名刺は本人と違うのです。何万枚をまいても、自分とは関係ありません。町の人が踏んだり、破ったりしても、気持ち悪くすることができません。分かりましたか? 名ばかりの存在という者は、かわいそうな人です。話にもならないし、目標がないし、相対がないし、環境も許容しないのです。そういうような者が、名ばかりの人です。 だから死ぬ時には、名が死ぬのですか、人が死ぬのですか? 名前は残っているのですが、本人はちゃんと墓場に入っていくのです。それはあってもなくてもいいという話です。動物なんかみんな、名前がなくても生きているのです。人間は、必要があって、所有権の分割のためにつけたのが名前であって、名前がなくてもいいのです。 そう考えて見た場合に、「女は名ばかりの者だ」という話を聞いて、教祖様から教わる第一番目の話が、「女は名ばかりで、何も持っていない」ということを聞いて、気持ちが良いですか、悪いですか? 率直に答えてください。気持ちが悪かった場合には、反論することができるのです。あとで「あの時、率直に言うべきだった」と、そんなことを言っては駄目です。率直に言ってください。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。 女は名ばかりです。本当に、女は何も持っていません。本当です 気持ち悪い顔をしなさい、おばあさんたち 帝政時代の教育を受けたおばあさんたちは、「そんな馬鹿なことはありません」。そう言うはずなのです。最近の女の子たちは、フリーセックスなどで無価値な者になってしまいましたが、昔は名門の家のお嬢さんには、みんなが尊敬していたものです。 では、女の体は、男に比べて軽いですか、重いですか? (軽いです)。どのくらい軽いのですか? (笑い)男は女に比べて一・五倍は重いのです。だから、女と男を比べた場合には、肉の値段だけでも一・五倍です。それが平等であるという話は合いますか、合いませんか? もし人間よりよいものが宇宙にあった場合には、男を取りますか、女を取りますか? はっきり答えてください。(男です)。男とは、どういう男ですか? 年を取った男ですか、若い男ですか? (若い男です)。若い男で美男子ですか、その反対の醜い男ですか? 美男子なのですね。 では、その反対の女は何ですか、美人とブス様ですか? それで、女と男を比べて見た場合に、いかに「男女平等でなければならない」と日本語で叫んでも、平等になるものは何もありません。もしもオリンピックで男女が共に競争した場合には、女は一人も、チャンピオンになれる者はいません。 そうした場合に、平等になりません。背丈から見ても、女が大きいですか、男が大きいですか? (男です)。女はいくら大きくても、首以上にあがったら、これは異常です。女の首がここ(あごの下)まできた場合には、大変です。それは不幸な女です。男と女二人が抱擁した場合には、女の頭はちゃんとここ(あごの下)にはまるようになっているのです。(笑い) 話をするにも、前後をずーっと調べ、比べ合わせて話さないといけません。外交舞台においても同じです。話題の条件を相手に取られた場合には、負けてしまうのです。伝道は、最高の外交的方法でしないといけません。分かりましたか? (はい)。でたらめでは駄目です。 男は主体、女は客体 さあ、そうなると、女は主体ではないのです。女は、なぜ主体ではなく客体なのでしょうか? 男に負けたいですか、負けたくないですか? 本当のこと言ってください。(負けたくないです)。負けたくないのに負けるようになったのだから、癪にさわるというのです。では、癪にさわるその恨みをどういうふうに解決するかというのです。それで、女は宗教を信じるのです。さらに大きい中心を中心として、自分に欠けた所を埋めていくのです。旦那さんなんか、ぺちゃんこになるようにするのです。「生きている時には、苛められたのだけれども、霊界に行けば私があなたの女王様になるのです」と言うのです。本当です。 日本は、歴史始まって以来、二六〇〇何年ですか? その日本の女が、こんなにたくさん済州島にやって来るというのは日本の歴史にも、韓国の歴史にも、アジアの歴史にも、世界の歴史にもないことです。これは歴史的な大事件であり、これは戦争なのです。 先生の前に、女が主体に一度なってみたいとは思いませんか? たくさんの女が先生の前でぺちゃんこになって気持ち悪くないのですか? (悪くないです)。何を言っているのですか 先生の前にお世辞を言っても通じません。先生自体も気持ちが良くないのです。だから女はかわいそうに思います。先生が神様だったら、一瞬に切り返したらいいと思うのです。そういう考えを持っている先生は、悪い人ではないと思ってもいいのです。 一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。 女は何も持っていません、女は名ばかりです。神様から見た場合に、創造の世界で一番最後につくったのは、男だったのですか? (女です)。そんな表情で言っては良くありません。復讐の感情が詰まっています。(笑い) それでも良いです。ですから、女は籠でしかありません。空箱です。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。そういう即断をしてはなりません。先生は、女が空き箱ということを知って、「いやー、私は空き箱になったら良かった」と、いまだ何回も考えるのです。女と男を変えることができるとしたら、すぐにも変えてしまいたいのです。そのことが何か分かりますか? ちょっと話を聞けば分かるようになりますが、話をしましょうか、やめましょうか? 関心がありますか? きょうの時間は、その話でいっぱいになり、「真の自分を探しましょう」という話ができなくなりますが、そうでも良いですか? 本当ですか。 女の体の二分の一以上の重さがどこにあるかというと、尻にあります。胸と尻を測れば、半分以上だと思います。大きいのもあるし、小さいのもあるからです。女の半分以上の重さは尻とどこですか? (胸です)。胸ではないのです。ツインピークです。二つの山みたいなものです。この二つを合わせば、半分以上の重さになります。それで、胸には乳房がついているのですが、それは誰のものですか、自分のものですか? (男性のためにつくられました)。それは誰のものですか? (夫のものです)。夫のものですか、子供のものですか? あなたの答えは五十点にしかなりません。夫のものですか、子供のものですか? (夫のものです)。みんなが笑っているよ。そんなに自分の我が強くては大変です。あんな顔は、絶対死んでも譲歩したくない思いを持っている女です。そうでしょう? (はい)。先生はそんなことをよく知っているから、駄目です。女は正直で、率直がいいのです。率直は正直に通じるのです。真実の前には、いくら大きなものでも服従します。 それは、子供のものです。間違いなく自分のものではありません。「自分のもの」と言う人は手を挙げてみなさい 誰もいないのです。時間もないのに、それは聞く必要もないことです。それは子供のものです。それから、尻も誰のものかというと子供のものなのです。日本人は、よく「そうです」とか、「そうじゃないです」とか言っているのを見かけますが、「そう」というのは、韓国語では「牛」という言葉です。せっかく済州島に来たのだから、覚えていきなさい。なぜ先生が「牛」を紹介するかというと、牛は犠牲の象徴、一番の祭物だと教えているのです。分かりましたか? 日本人が、なぜか「そうです、そうです、そうです」と言うのは、「犠牲です、犠牲です」と言うことです。それで「あー、日本人は犠牲になる、祭物に近いものだなー」と思うと、それは悪くないのです。 女の半分の重さは自分のものではないということを、はっきりと分かりましたか? それが分かったら、眠ることもできないし、死ぬこともできないのです。地獄に直行していくのだから、自殺することもできないのです。死ぬこともできないし、生きることもできないし、大変です。 さて、女の顔は、女が好きますか、男が好きますか? (男です)。本当ですか? 先生は男ですが、女の子は好きではないのです。(お母様は好きです)。お母様は、女のうちでも特別な女です。(拍手) 君たちが見合いに行った場合、自分は相当の美人であると思って誇っていたのに、その前に現れた男の顔を見た時、自分よりももっと美しい男だったらどうしますか? 気持ちがすーっとしますか、ぞーっとしますか? 男の手を見れば、自分の手よりもっと細い手をしていたらどう思いますか? 一生涯、気持ちの悪い記憶となってしまうのです。考えてみても大変です。自分よりもっと美人の顔をした男の子と、自分よりももっと細い手をした男の子、気持ち良いですか、悪いですか? 死ぬほどに気持ちが悪いのです。(笑い)先生はそう思います。女でなくてもそういう気持ちは分かります。だから女に聞くより、説明するのが効果的です。「死ぬより気持ちが悪い」と言えば通じるのです。みんなが笑ったのは、気持ちが悪いことです。だから女の子の顔は、女は大嫌いです。そういう結論になります。 そうすると、女の顔は、女のために美しい顔になりましたか、男のために美しい顔になりましたか? 先生には分かりません。答えてください。(男です)。女の顔は女のものではなく、男のものであるという結論になりました。男のためにそういう顔になったのです。自分のものではないのです。自分が欲しいような顔ではないのです。自分の欲しい顔は男です。反対になっているのです。 それを今まで考えたことのない女は馬鹿です。どうにかなっているのです。だから、みんな自分を分からないままに死んでいったのです。今からは、一つ、一つ知っていくことによって、自分を探すことによって、元の自分が何なのかということが分かるようになっていくのです。それで、きょうの話の題目が、「真の自分を探しましょう」です。女として、完全に自分で忘れてしまったものを、一つ一つ探し出して、それで、「あー私は女だ。こういうものが女であり、名ばかりのものではない」ということが分かるのです。ですから首から上も自分のものがないのです。それは、誰のものですか? (男です)。気持ちが悪くないですか、気持ちが良いですか? そうなると、男の前に主張する何物もなくなってしまうのです。 人間は三時代を経て理想の姿になっていく それはそうとして、女が男と一つだけ違うことによって、女という名前がつくのです。その本体そのものは、女のものですか、男のものですか? (男のものです)。先生がそんなことを聞いても「旦那さんのもの」と答えないといけないのです。(笑い)はっきりと意味をわきまえながら、答えないといけません。いくら聞き方が間違っても、それは旦那さんのものです。そこまで突き詰めなくても、常識的に分かることなのです。そのものは誰のものですか? (旦那様です)。旦那様のものです そうなると縦的に、すべては、臍は水中時代を象徴します。胎中時代です。そして口と鼻は空気時代であり、一番下は愛の時代を象徴します。分かりましたか? そのように、人間は三時代を通過して理想の姿になっていくのです。 水中時代、胎中時代。地上時代、空気時代。それから愛の時代です。愛に向かって、すべての昆虫も、愛を求めてさなぎが蝶になり、飛ぶのです。昆虫だに、水中から陸中(空中)を経て、天中を飛ぶようになるので、万物の霊長たる人間も水中から陸中(空中)、天中を飛ぶようになるのです。ですから人間には、死ぬという悲しいことはありません。それを、統一教会では理論的にも教えるのです。 水中時代でも呼吸するのです。その時は、口と空気ではないのです。もし、十か月も呼吸をしなかったら大変です。空気がないといかに苦しいか、考えてみなさい。それで、子供は自分より偉いと思うのです。十か月間、水の中に浮かんで、水がなくったら大変です。衝撃でみんなやられてしまうのです。実に科学的になっています。その水中時代に何を準備しなければならないのかというと、次の呼吸をする準備をしておかなければ、いくら生まれてきたとしても、すぐに死んでしまうのです。 必ず、水中時代の切り替えとともに、すーっと空気を吸って、空気時代に生きるのです。その変化、その進化、突然変異と同じように大変です。水中から空気です。それで、お母さんの骨盤が開いたり閉じたりしないといけないのです。狭い所を押していって生まれる時に、すーっと圧縮され、空気にふれて膨脹し、「ハッ」として呼吸して、泣くようになるのです。もし泣かなかったら死んでしまいます。それは地中世界と同じ中間世界です。それで土というのは、お母さんの胎中と同じです。胎中で子供が十か月も飲んでいるのに、なぜ十か月間も小便もしないのでしょうか、大便もしないのでしょうか? お母さんたちはそれを考えてみたことがありますか? すべてがみな神秘的です。 水中十か月、地上一〇〇年、それから霊の世界、それは愛の世界です。この地上で生きて呼吸をするように、水中で空気を吸う準備を完璧にしないと死んでしまうのです。それと同じように、中間の地中(空中)時代においては、永遠の愛中時代に生きる準備を完璧にしなければなりません。 それで、水中時代から空中時代に生まれるには、みんな愛の袋を破って出てくるのです。破れて水が出ることによって、その狭い所を油と同じようにすべって出てくるのです。それと同じように、死ぬ時も苦しいということはないのです。再び蝶のように飛ぶために生まれるのです。肉体のすべてを放棄して、破壊して、さなぎから蝶が生まれてくるようにです。死ぬのではなく、新しく生まれ出るのです。そのためには、愛の空気を呼吸する、愛の準備が必要です。ですから、胎中の子供たちは父母の愛に守られているのです。胎中では、お母さんが子供をずーっといつも抱擁しつつ、立派に愛して育てるのです。愛の懐で育てるのです。そして生まれた場合には、父母の愛の胸で抱擁されながら、愛によって育つのです。人は愛のために生まれたのです。胎中時代の愛、空中時代の愛です。胎中時代はお母さんに頼っていたのだけれど、地中時代にはお父さんに頼るのです。地中時代はお父さんが責任を持つのです。そして愛中時代は根本なる神様が、根本の親として責任を持つのです。そうすることによって、各自の使命が、お母さんの使命、お父さんの使命、神様の三大使命が完璧に、一人によってこのように関係し、因縁を持っていると言わざるを得ないのです。そう考えた場合に、「あー、愛中、霊中世界がなければならない」となるのです。 万物すべての創造の段階は、蘇生、長成、完成からなっているという原理の教えが真であったとするならば、人間一代において、蘇生水中時代、長成地中(空中)時代、完成愛中時代が必要であり、それで神様によって育っていくのです。そこでは、父母様は関係ありません。神様を中心としていくのです。神様の世界では食べもの、着るもの、住むものが問題ではありません、それはいつでも自由に、自分の愛の理想の届く限り、愛の理想が影響される限りにおいて不可能なことはありません。何千万人も一晩で連結が可能です。「あー、こういう十二のタイプの人で、こういう心情的な人は全部、過去、現在まで、霊界に来た者はみんな集まれ」と言えば、さっと集まるのです。それで何千万人にもなるのです。こういう着物、こういう自分の構想に合わせてと、みんな可能です。直感の、完全に創造可能なる世界です。愛の理想の豊富な者によって、高次元な可能圏を持つようになるのです。 まるでうそみたいな話です。そんなことを知っているから、先生はこの世に対してあまり関心がないのです。こんなにたくさん女がいても、美人がいても関心がないのです。お母様以外にはね。(笑い) 女は神様が最後につくった傑作品 そうした場合に、女においては自分のものがないのです。だから名前ばかりというのは、失礼ですか、失礼ではないですか? (失礼ではありません)。それでは、「ありがとう」と言いなさい。(ありがとうございます)。はい、ありがとうございました。よい教訓になりました。本当です。そうすれば、女がかわいそうではありません。素晴らしいのです。空いた籠は大きいのです。あなたたちの良心は大きいのです。女の心は男に負けないくらい大きいのです。心は大きいのですが、その大きな空き箱に何を入れますか? (愛です)。愛を見たことがありますか、見たことがありますか? 愛に触ったことがありますか? (ないです)。では、分からないではないですか? 見たこともないし、触ったこともないものを入れようとしても、どうするのか? その方法、手段が分からないのです。どういうふうに分かりますか? (感じです)。感じが人間の幸福の元になりますか、愛自体が幸福の元になりますか? それは愛です。 感じがよいからといっても、そこに愛はないのです。感じは人によって違うものです。そう言った場合、その感じでもって、良心はありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。良心はないのです。なぜ黙っているのですか? 良心が「ある」と言ったのではないのですか? 「ある」と言ったならば、死ぬまで「ある」と言わないといけません。(あります)。ないです (あります)。ないです (あります)。こうやって負けるのです。 真理は偉大なものです。いくら先生でも、王様でも負けるのです。神様も真理の前に跪くというのです。ですから、平等な世界が生まれてくるのです。真理の世界にのみ可能であって、不真理の世界では不可能です。そのように女として、本当の女になっていますか? 本当の女になった場合には、真理と一つになっているのです。本当とは、真理と一体となった立場をいうのです。 少し考えてください。先生もちょっと考えて話をしなければなりません。研究しながら話をしなければなりません。分かりましたか? 神様が一番最後につくったのは誰ですか? (女です)。建築も、最後には仕上げをよくしないと、すべてが駄目になってしまうのです。全体の価値の正負を決定する八〇パーセント以上を左右するのです。そうした場合には、仕上げは、女がうまくできるのかどうかで、天宙の創造の八〇パーセント、合格か不合格かが左右されるのです。 こういう話を聞いたら、もう気持ち悪くないですね。気持ちが悪い峠を越えました。安心していいです。(女は)神様が最後につくった傑作品です。万物の霊長として、神の愛の相対としてつくられているのです。愛の相対が、自分より劣る者を願った女の子はいますか、どうですか? 自分の相対は、自分より悪い者を願うような女の子、男の子はいないのです。そうでしょう? 自分の愛の相対は、自分よりも何倍よいことを願うのですか、答えてください? 一・五倍ですか? (限りなくです)。よく答えました。欲望の大きな女の子です。愛の相対は何億倍も、何億倍の何億倍も、永遠に続く最大のものを願っているのです。宇宙の最高のものを願うのです。誰でも自分の一倍を願うのではありません、無限 無限です 女として、愛の旦那さんは立派な美男子であり、美男子のうちでも、ナンバー・ワンの美男子を願うのです。宇宙最高のものを願うのは、男も女も同じです。(女は)仕上げがよくなっているから、顔がつやつやして、なめらかで、柔らかいのです。男を触ってみると、髭がザラザラして大変です。だから、美術館に行くと、裸体画は女が八〇パーセント以上です。男の体はみな、骨ばかりでみっともないのです。骨を見て笑う人はいません。(笑い)そうですね。それで、女はクッションがいいのです。クッションの悪い女だったら、男は死んでしまうのです。みな相対的です。硬い男にクッションがなかったらどうなりますか? 破れてしまうのです。ダイヤモンドを削るのは、ダイヤモンドよりもっと硬いものではなく、銅とか真鍮で削るのです。まるっきり反対のもので削るのです。工作機械の芯棒を支えるものは、パレットという鉛なのです。強いものには、柔らかいものの支持が必要なのです。ですから、強い男には弱い女が合うのです。分かりましたか? 女は善悪を知る木 さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。 それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。 もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな 勝手にするな 神様が命令するまで待て」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。 女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。 なぜ旦那さんが亡くなった場合に、女は、あんなに転がりながら泣き続けるのでしょうか? 誰が、何がそんなにさせるのでしょうか? 第三の力が加わって、押し出すような力で悲惨さを抱かせるのであって、自分の中にそういう力があるからそうするのではないのです。宇宙力、天運というものは、相対関係のあるものは保護するようになっているのだけれど、相対がないものは天運が押し出すようになっているのです。 これが分かれば、大変なことです。先生はそれをよく知っているから、世界がいくら反対してもびくともしないのです。絶対なる神の相対圏に正しく立っているのです。「打つなら打て」。ちゃーんと天運が保護するのです。いくら個人であろうと、いくら国であろうと、いくらアメリカ、いくら共産党が打ってきても、反対にやられるのです。日本もそうです、日本もやられます。 今後の日本は誰が収拾しますか? アメリカもそうです。文先生の話を聞かなければなりません。韓国も北韓もみな、そうです。世界もみな、そうです。そういう自信満々なことを言う先生を、君たちは信じますか? (信じます)。詐欺師はいつも自信満々なことを言うのです。先生はよく詐欺師にも似ています。目が小さくて透視力を持っているし、鼻はすーっと一本で、理論的に優れているのです。唇は肉が少ないので、言葉は球が転がるように出てくるのです。唇を見て、弁護士になれる者かどうかを先生はすぐに選抜できるのです。 統一教会の神秘さ、不思議さは何かというと、レバレンド・ムーンは歴史的に、世界的に、反対や迫害を誰よりも多く受けながら、その最中にいかにして世界の基盤をつくり、発展したかということです。そういう秘訣を教わりたいですか? (はい)。では、その授業料をいくら出しますか? ただで教われば価値が分からないというのです。 その秘訣は何かというと、天運をつかさどりながら生活することです。天運は永遠に滅びないのです。天運と共に生きたとするならば、大きな天運は大きい所に、小さな天運は小さい所に、すべてのことに関係を持つようになるのです。この関係という言葉を世の中から抜いた場合には、みんなバラバラになるのです。この世の中であっても、父子関係、婦女関係、夫婦関係、兄弟関係、国家関係、家庭関係、外交関係、経済関係、政治関係、学問関係、みんな関係し合っているのです。関係という言葉は、相対圏を離れては成り立ちません。上下、前後、左右などと、価値比較の基準となるし、マイナスやプラス、高低などのようにレベルを決めることもできるのです。すべてが関係であり、それはみな、バランスを標準としているのです。ですから関係という言葉を抜いたら、絶対に世界は瓦解してしまいます。 君たちは、曇った日に雷鳴や稲妻を見たことがありますか、ないですか? (あります)。雷鳴や稲妻というものは何の象徴かというと、それは結婚式の象徴です。それも知らなかったのですか? 空中のプラス電気とマイナス電気がキスし合うのです。それで火が出るのです。水蒸気の中で火が出ることを考えてみなさい。それが信じられますか? 水蒸気の中で、「ブワーッ」と火がともるのです。プラスとマイナスの空気の中に含まれている電気がキスする傑作品です。愛の絶頂で「ブワー」と火をともすのです。あなたたちが愛するのも同じです。ねずみなんかも、天井の裏で「チィチィチィ」と鳴くし、春になったら猫は「ニャォーニャォー」と鳴くし、鳩なんかも「クックックッー」と声を出して鳴くのです。それは悲しい声ではないのです。傑作品です。ジャンプしたり、こけたりするのです。この話は結婚した者に必要な話です。そのように愛し合ったことのない夫婦は、自由ではないのです。万物よりも劣っているというのです。 愛する旦那さんに呼びかけるのも、歌で呼びかけるのです。「あなた様」と。オペラなんかそうです。本当に愛し合う思いで、声を出すのです。光を出すのです。男も、女も、これ以上の明るいものはない、これ以上の希望はないという頂上に達して、そこから下がっていくのです。零から始めて、大きくなって、キスして、光を出して、零に帰っていくのです。あなたたちは結婚して、年を取るにしたがって大きく理想的になっていくのですか、小さくなっていくのですか?(大きくなっていきます)。 悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題 ここで一言、言っておきますが、世界のすべての歴史の悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題です。八〇パーセント以上が、男、女の絡み合いによって悪くなっていくのです。平和の世界も、男、女問題を解決すれば、平和世界が八〇パーセント達成されるという結論になるのです。 ですから、「人間はなぜ生まれてきたのか」ということが問題なのです。哲学の質問の第一条です。人間といえばすべて男と女であり、「私はなぜ女として生まれてきたか」ということが問題です。これは、今まで人類歴史を通して数多くの人たちが解決しようとしてきたことですが、今まで延長してきているのです。 先生の時代に入って、神様とはいかなるものか、女とはいかなるものか、男とはいかなるものか、その出発はこうで、過程はこうで、結果はこうなって、最後の終着の理想のタイプはどうであるかということを、はっきり分かるように教えてあげるのが統一です。それで、心身統一、夫婦統一、家庭統一、氏族統一、国家統一、世界統一、天宙統一という、神人愛でもって一体となって統一が成される内容を教えるのです。ですから、これ以上の素晴らしいものはないというのです。本当ですか?(はい)。教祖様だから自分をこういうふうに高めて讃えるかもしれないのだけれども、事実、それを分かってみると、統一教会の思想は素晴らしいのです。素晴らしいですか、素晴らしくないですか?(素晴らしいです)。神様まで解放しようとしてきた人間は、先生が初めてです。こういう話は聞いたことありますか? (はい)。世界解放、天宙解放どころではありません。地獄を解放し、神様まで解放しようとするのです。それは可能ですか? 理論的可能だから、今や世界的に問題となってきているのです。 君たちは、ビデオを見たでしょう? 「変革の風(ロシアにおける統一運動)」を見ましたね。日本は三十三年の歴史を持っているのだけれど、三年にもならないロシア(旧ソビエト)の動きを見た時に、日本は負けましたか、勝ちましたか? (…)。申し訳ない? そんなことでは駄目です。勝ったか、負けたのか聞いているのに、申し訳ないは零です。そんなことを言う必要はありません。それは、先生に対する礼儀ではありません。申し訳ないと涙を流すのは、家庭においてやることであって、公的場ではいけません。 先生は北韓に行った時、金日成のもとの最高の指導部の案内において、先生の両親の墓参りをしてきました。その時、姉さんと妹が同行しました。そこで姉さんは、お母さんが自分の弟をいかに愛していたかということを、悲鳴のような声で「お母様 あなた様が日夜、願い叫んだ、その誰々という名前が来ています 地中でご覧になって、この時代を喜んでください」と叫ぶのです。その声を聞いていた妹も、共に涙をポロポロ流しているのです。その真ん中に先生が立っているのです。そこで、涙を流すべきや、流さないべきやというのです。腸が切れるような、胸が引き裂かれるようなことがあっても、公的な立場と私的な立場を分別しなければならないのです。悪辣な金日成の指導者たちに、「文先生が墓参りして、父母の心情に涙をたれました」と報告されるのです。その時、先生が思ったのは、「二〇〇〇万人の民族解放を成した後に、墓参りして涙を流す」。 だから、神様の解放まで、その例と、その理想でやるのです。分かりましたか? 先生の言うことは、高次元なことばかりです。高等推理数学なのです。ですから今、世界で自分がやらなければならないという者は、文先生を尊敬するのです。分かりましたか?(はい)。 サタンも屈伏し、神様も屈伏しているのです。「サタン こうじゃないの?」「神様。そうですか、そうじゃないですか? 答えてください」。神様は答えられません。サタンが答えないからです。神様は、サタンも「そうです」。「こうだね」、「間違いない」。神様は、「裁判で裁決をしなさい」。「こういうものは、先生に任せてください。よろしゅうございます」と、御印を受けなければなりません。(統一教会は)でたらめな所ではありません 分かりましたか? (はい)。だから統一教会は高尚なる理想があるとともに、反対があるので、泥棒たちが住めないのです。分かりましたか? 寄生虫たちが寄りつかないのです。先生の心身に接するような振動数と同じ周波を持った者はつながることができるのですが、それに違反するような者は排斥するのです。排斥処分は、神の作戦です。どうですか、気持ち悪いですか、良いですか? (良いです)。良いと言っても、君たちが処分の対象になれば、処分されるのです。神様はちゃーんと知っているのです。その例を挙げましょうか。 良心は自分において第二の神様 人間において、一番貴いものは何ですか?(愛です)。愛はどこに住みますか? 男の愛と女の愛は、どこで一つになりますか? どこですか?(生殖器です)。生殖器を合わせたところです。女の生殖器には愛はないのです。自分自身には感じないのです。あなたは愛を持ってるのですね? それは、父母の愛、父母の生命、父母の血統をみんな相続しているのです。それを持っていても、自分なりに一つになっているので感じないのです。これは、近くなったら見えますか? 答えてください。見えますか、見えませんか? (見えません)。 なぜ見えないのですか? 目というものは相対的に物を見るようになっているのであり、一つになっていれば見えないのです。目玉が目玉を見ることできますか?(できません)。だから、良心がなぜ見えないのかというと、自分と一つになっているからです。相対的であればすぐ分かるのですが、一つになったら分からないのです。愛を見たことがありますか? ないのです。触ったこともないのです。一つになっているからです。人間はすべてが中間に浮かんでいるのです。すべて一気圧の中で調和が取れているのです。一気圧の力は大変な力ですが、一つになっているから分からないのです。分かりますか? 一つになっていると分からないのです。 君たちの(胸の)鼓動は、「ドン、ドン、ドン、ドン」と聴診器で聞けば大変なのです。このように、心臓が動くということを一日に何回考えますか? 平均みんな一か月でも考えないのです。一年に数回しか考えないのです。忘れているのです。大変なことです。臼で突くよりもっと大きい音がするのに、なぜ感じられないのですか? 答えは、一つになっているから感じないのです。速度の一番速い所、一番遅い所、その中間しか聞こえないのです。感じることもそうです。相対関係に立たなければ感じられません。脈なんかもそうです。それが分かりますか? 神様が良心を見たいと思うのに、良心がないという女の子がいたら、気持ちはどうですか? ひっくり返るほどに気持ちが悪いのです。愛がないというのです。気持ちが良いですか、悪いですか?(悪いです)。愛と良心をコントロールするのは神様です。神様は良心の主人であり、愛の主人なのです。分かりましたか? (はい)。 良心は自分において第二の神様です。先生に続いて声を出してください。良心は(良心は)、自分において(自分において)、第二の神様です。(第二の神様です)。自分を中心としては(自分を中心としては)、絶対なる神様です(絶対なる神様です)。そのように定義するのです。 第二の神様は、第一の神様の相対位置に立つのです。相対を中心としての主体・客体の関係は、男が中心に立ったら、女はその男の命令に従えばよく、神様に聞く必要はないというのです。分かりますか? 相対は、主体と一体であれば、それで万事「オーケー」です。分かりましたか? 着物と同じです。立派な着物も、その人が着ることによって、いくらでも御殿の王様の前にも出られるのです。立派な着物が出られるのではないのです。その人が着た着物だから、みんなが歓迎するようになっているのです。そのような相対関係をいうのです。分かりましたか?(はい)。 相対関係において、神様を中心として良心は第二の神様です。それがなければ、神様と人間が相対的な内容の関係を持つ因縁がないのです。分かりますか? 良心は神様と人間が通じるようになっているのです。良心は第一の神様に対して相対的立場に立つのだから、第二の神様の立場に立つのです。しかし良心を、男、女と見た場合には、男の良心は神と一体になっており、その一体になった主体と客体は横的関係だから、これが一つになった場合には、幹と同じ、枝と同じで、相対基台が一つになったら、それで万事が「オーケー」です。 国も、国会を中心として、行政府があるのですが、地方では県は県知事を中心として、相対的な県の法律に一体になった場合には、中央に報告しなくてもよいというのです。分かりましたか?(はい)。 主体・客体関係の世界は、このような原則によってつながっているのです。どちらが上か下か、どこが中心か、相対かを決めることによって位置が決まるし、男、女の二人の問題が世界の八〇パーセント以上、悪辣な罪悪世界をつくったとすれば、男、女の問題をはっきりと解決することによって、平和世界が八〇パーセント無事達成できるというのです。ですから、男、女の処理問題は歴史的に重要なことです。 この世界は悪い世界ですか、良い世界ですか?(悪い世界です)。今は、もう絶望の段階にきているのです。絶望の渦中で、現状の世界を眺めているのです。「どうすればよいか」と言っても、そこには中心もなければ、主体もないのです。相対ばかりがうごめいていて、今から上がるか、下がるか、この渦巻きがどうなるか分からないという世界です。そういう渦中に生死を決めなければならない運命圏に立っているのです。 ここにおいて、絶対なる相対が、女としても絶対なる女がいないのです。絶対なる相対が完全ならば、絶対なる主体が生まれてくるのです。完全なるマイナスがあった場合には、プラスは自動的に生まれてくるのです。分かりますか? 空中において、そうなるのです。プラス電気があった場合には、マイナスをなくさないように保護するのだから、必ず自然はマイナスをつくって同伴させて、主体・客体関係を保つことによって、天運が保護するようになっているのです。分かりましたか? (はい)。 すべてが主体・客体なのです。顔も、目玉をなぜ二つ、つくったのですか? これが一つだったら、消耗も少なくなるのです。鼻の穴も一つであったら便利です。風邪をひいた場合には、「チーン、チーン」と二回も大変です。耳も一つであったらいいのです。手も一つだったらいいのです。女も、男も、みんなそのものをつけて関係するようにすればいいのです。なぜかというと宇宙原則の公式に合うようになっているからです。もし、合わなかったら、みんな笑われるのです。目玉が一つあったら笑いますか、笑わないですか? 鼻がぺちゃんこになって、穴が一つであったら笑いますか、笑わないですか? 笑うのです。笑う者は相手にしないのです。それは障害物になるのです。分かりましたか? 宇宙はそれをよく知っているのです。宇宙力は、両班さん(韓国・李朝時代の社会の指導者として、政治、学問、文化の発展に貢献した人々のこと)です。相対となるものは保護するようになるし、相対でないものは拒否するようになるのです。だから、宇宙には相応力と反相応力、作用力と反作用力が働きます。一般の人々は、反作用力は作用力反対と言うのですが、先生はそういうふうには言いません。「共に必要です」と言うのです。 それをみんながはっきりと明らかに知らないと、女の立つ所も、男の立つ所もはっきりしません。分別されて立つ所がはっきりすることによって、秩序が整頓されていくのです。秩序が反対になった場合には、いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。分かりましたか? みんな整頓して、正規の条件に合うようにしなければなりません。何でもって条件を分別するかというと、主体・客体関係によってです。 だから、君たちもそうです。体が病気になった場合に、お医者さんに、「病気になったら、なぜ体が痛くなるのですか?」と聞けば、お医者さんは何と言いますか? 「それは、病気になったから痛いのです」と言うのです。それがなぜか分からないからです。なぜ痛いのですか? 自分の中から痛い力が別個にピーンと現れて、自分を痛いようにさせるのですか、そうでなければ、どこからか第三の力が作用するから痛いのですか? それが何か知らないから、「分からない」と言うのです。それをはっきりしないといけないのです。 それが平均になった場合には、バランスが取れた場合には、平等になり、宇宙力が保護します。そのような天運という宇宙力があるのです。分かりましたか? 宇宙の天運というものは、相対関係になるものは保護するようになるし、相対関係が崩れた場合には、天運の相対圏には不合格なので、不合格なるものを残した場合には、合格品に被害になる恐れがあるので、すぐに処分してしまうのです。押し出すのです。その押し出す力によって、痛みを感じるのです。 主体と客体が一つになれば宇宙力が保護する なぜ旦那さんが死んだ場合には、女は気違いになるほどに、転び回りながら、「ウウー、ウウー、ウウー、ウウー」と大変なのですか? 生涯全部をひっくり返して、「私はどうなるのか」と、悲惨な立場になるのです。なぜそんなに痛みを感じるのかというと、自分の旦那さんばかりが死ぬのではないのです。たくさんの男たちが死んでいるのに、なぜ自分だけの問題とするのですか? 自分と相対になった者が破れたならば、天運が「君は不合格品だから、この圏上にいることはできません」と押し出すからです。原理原則の全体圏に不合格品になったのだから、除外されるのです。嫌でも仕方がないのです。 だから、そこで他の相対を求めて、結婚するとかしなさいというのです。そのような力によって、押し出す方向は悪いのですが、それは何か相対圏を保護するため、相対者を求めるように忠告することになるのです。分かりましたか? 先生は原理原則を話すのです。これに不合格になった場合には、宇宙力が押し出すのです。君たち、先生の話を聞かなかったならば、良心の呵責を受けるのです。なぜ、文先生の話が韓国に、アメリカに、とても遠い世界にいる人にまで、今まで見たこともない先生の話が、なぜ作用するのかというのです。 日本の家庭にいても、先生を見たことがなくても、先生の命令を聞かなかったら、良心の痛みを感じますか、感じませんか?(感じます)。先生が主体だから、主体と客体が一つになれば宇宙力が保護するし、天運が保護するのに、一つになっていないので除外されるからです。押し出す力によって痛みを感じ、苦しみを感じるのです。そういう立場に立たないというと、滅びます。先生も同じです。神の原則から外れた場合には、良心が必ず命令するのです。「気持ちが悪いよ」と。先生は着物を着るにしても、きちんとしたものを着るのです。 ここには、日本の名門の家の奥様たちが、たくさん来ているのです。話はいちいち言わないのですが、日本中がびっくりするような名門の家の女性が来ているのです。それで、暑いからといっても、上着を脱いで簡単にすることはできません。しかし、皆さんが公認すれば何でもできます。皆さんが願うのならば、裸になってもいいのです。分かりましたか? 女も、裸になっても罪ではありません。女も裸になれば夫婦になるのです。一番近いものになるのです。裸になるのが恐ろしいのではありません。一番近い関係、一番恐ろしい関係とともに、一番親しい関係になるのです。女が旦那さんの前で着物を脱ぐということは、大冒険なのです。革命的なことです、奇跡中の奇跡です。そうは思いませんか? 考えてみなさい。それは、簡単な事件ではありません。死ぬか生きるかということよりも重大事件なのです。 先ほども話したように、天運というものは相対関係です。電気でいえば、プラス・プラスは反発するし、マイナス・マイナスは電気原理において反発するというのですから、自然の結婚式をするには、数億ボルトの力を持たなければ、あのように雲の中で火を発することはできません。数億ボルトが「よーい始め」と言って、一緒に男のプラス電気と女のマイナス電気が、「ヤー」とぶつかるのです。もし一つ一つの電気が集まって、ぶつかることになれば、電気の原理からするとプラス・プラス電気は反対するのだから、集まるようにはなっていないのです。マイナス・マイナス電気も全部反発するのだから、集まらないようになっているはずなのに、なぜ、どのようにして大きな電気が集まるのか考えたことありますか? ない ない ないのです。みんなが「そうだ」と言うので、みんな「そうだ」と言っているのです。それだけ分かればいいのではありません。先生は、聖書について、みんな神学界で「そうだ」と言っても、そうは信じません。自分が鑑定して、再び分析して、実験しないと信じません。だから、非常に先生を恐れているのは、質問が限りなく続くということです。 だから、そういうような考え方でもって、宇宙の根本が何なのかを究明する責任を持って立っているのです。そして、失敗した男としてではなく、成功した男として認められているのです。天下すべての者が反対しても、神様が公認した場合には、神様公認の頂上圏を自動的に再建して、勝利者になるというのは自然的な結論です。分かりましたか? ですから、君たちは先生に会って気持ちが悪いのですか、気持ちが良いのですか?(気持ちが良いです)。男たちは気持ちが悪いよ。自分の奥さんが、自分の旦那さんより先生に対して、「もっと気持ちが良い」と言うのだから、後ろに立っている男は嫉妬心を持つのです。 女たるものは先生の側です。生まれる前から初めから。いくら弁明してもそうなるのです。ですから文先生に、「女は格別に注意せよ」と言うのです。分かりましたか? 立派な愛は、立派な後孫を残すのです。いくら学者でも、悪い学者は立派な後孫を残すことができません。国を滅ぼし、国に詐欺をするような、詐欺師のお父さんになるのです。分かりましたか?(はい)。 先生が言います。プラス・プラス、マイナス・マイナス、それは反発しません。(します) しません(します) しません(します) しません(します) しません いかにして大きな数億ボルトが、どうしてプラス・マイナス一つになりますか? 説明してみなさい(相手を生かすからです)。何を生かす?(生かし合うからです)。生かし合って、それはプラスになるのですか? 相反発するならば、殺すのですか? 反発するならば、それを変えて保護するのです。ただし条件があるのです。それが合うか合わないか、今から聞いてみなさい。プラス・プラスが反発作用をするのは、相対が決められた時に、そうなるのです。相対圏をつくった時に、そこにプラス・プラスが来た場合には、女を乗っ取る恐れがあるからです。分かりましたか? だから、プラス・プラスは反対するのです。その反対も真なりです。 例を挙げれば、美人の女が二人いたとします。A美人とB美人です。A美人は何パーセントもよい美人なのです。そこで、B美人が言うのには、「あー、A美人が嫁に行かない限り、私は死んでも離れない。食べることも、寝ることも、遊ぶことも、一生を共にしたい」と。友達としては、二人とない友達として親しくなっていたのです。(一人が)部屋にいなかった場合は、電話で話すし、何時間も会わなかったら大変です。そういう仲のいいAとBの友達がいました。分かりますか? ある日、そのBの美人が結婚をしました。美男子の旦那さんを迎えて、素晴らしい結婚をしました。そして、結婚式を終えた次の朝に、A美人がその家を訪問して、「あなた Bさんいらっしゃるの?」と言った場合に、昔ならば、もう窓を蹴飛ばして飛び出してきたのに、B美人は奥の間の中から「はーい、います。何ですか?」と言うのですか、それとも「いやー よく来ました。いらっしゃいませ」と言うのですか? どうしますか? 入りなさいと言うのですか、拒むのですか? 拒むのです。「入るな」と言うのです。そんなことは、友達同士の時はあり得ないようなことですが、一晩のうちに、旦那さんが決定したことによってそうなるのです。それは何かというと、プラス・プラスが反発するというのは、相対が決まった女のためであるというのです。それは男女二人が一緒になった場合、もっと美人が訪ねてきた場合には、その女のために自分の相対が破れるので、女は「カーッ」と反発するのです。 それを理解できますか? 相対が決まらない前には、女の子たちは群れ合って一つになるのです。もう十五歳、十六歳になった場合には、「どこどこの村のお嬢さんは、何とかいう立派な旦那さんをもらって、結婚した」という話をするのです。あなたたちもそうだったでしょう? そうでなかったら、女ではありません。 だから、男もそうです。相対が決まった場合には、美男子が美女をもらった場合には、もし、美男子が訪ねて来たら大変です。反発するのです。夫婦になったら、男が来た場合には男が反発するし、女が来た場合には女が反発するのです。分かりましたか? 相対圏が決まった後には、そういうことをするのですが、相対が決まる以前には合うようになるのですから、雷雲の中のプラス・プラスの相対が決まっていないというのです。「ワー」と、何千ボルト、何億ボルトになって、一つでも間違った場合には、合わない場合には、ずーっとついて、これがストップした場合には、さーっと合って、切ってしまうのです。理解できますか? だから、宇宙には和合作用と反発作用があるのです。反発作用が悪いのではないのです。分かりますか? 相対圏を保護するために、相対が破れるプラス・プラス、マイナス・マイナスの危険性があるから反発するのです。 天運がそうするのです。天運、宇宙力ともいうのです。分かりましたか? その原則を先生が知ったために、今までの生涯の戦に勝利する秘訣となったのです。だから問題があった場合には、すぐ神の相対圏に入るのです。神の相対になった者に、反対するような者があった場合には、直ちに切ってしまうのです。自分がやるのではなく、宇宙力が、天運が除外するのです。 先生は、そういう実験的な生涯を活用して、ここまで来ました。だから間違いないのです。分かりましたか? (はい)。それだから、君たちも相対を変えることはできません。相対を中心として一つになった場合には、天運が作用した効力に反する者になったので、天運が逆に切ってしまうのです。そういう者は地上からなくなってしまうのです。 先生の結論を出しましょう。統一教会は理想が高いために、反対も非常に世界的なのです。それで先生は、喜ぶと言いましたが、そんなに二つの法則が相反することはないのです。 愛の本宮 さあ、一つ質問をしましょう。愛はどこで一体となると言いましたか?(生殖器です)。女の生殖器だけでは愛は生まれません。男と女が関係して一つになった時に、愛が生まれるのです。そうですね?(はい)。それが本場です。 人間世界において、愛の起源地です。愛の泉の本源です。本家と同じです。その国の先祖の家になるのですから、それが本場です。王宮です。分かりましたか? 王様の家です。宮殿になるのです、そのように一体になった基準が、愛の本宮なのです。オリジナル・ファンデーションです。それは、「源なる基台」というのです。分かりましたか? アダム・エバの愛は、そこから始まるのです。はっきり分かりましたか? (はい)。だから、女も男も愛の本宮を持っているのです。二人が一つになることによって愛が成立するのです。一人では絶対に愛は成立しません。おばあさん、分かりましたか?(はい)。そこが夫婦が一体になる所が愛の本宮です。男女の生命が一体になる本宮です。そこにおいて、血統がつながるのです。それ以外は血統がつながりません。そこで、女も男も喜びの最高の興奮の中において一つになるのです。それが最も貴い愛というものです。 その本場が、堕落のために悪魔の本場となり、本宮が地獄の悪魔の本宮になってしまいました。天国と神様の本宮になるべきものが、神様の愛の本宮、神様の生命の本宮、神様の血統の本宮になるべきものが、悪魔の三大の基地になってしまったのです。それを再び取り戻すには、大変なことです。第一の初愛の体恤心情を再び取り戻すことはなかなか難しいのです。それを、もとがえそうとする神様においては、数千万年の歴史を費やしても、その基準に到達することはできなかったのです。そのために救世主、メシヤが必要になったのです。分かりましたか? (はい)。 だから、その場所が最も貴い所なのです。それを崇拝しなければなりません。そういう習慣を持たなければなりません。本来であれば、男も女に対して、生命の源、愛の源、血統の源を崇拝しなければならないのです。しかし、そんなことを考えた男は今まで誰もいないのです。初めて先生から聞く話でしょう? (はい)。それはお金で買うことができません。だから、愛とは恐ろしいものです。すべてを統括し、すべてを消化し得る力を持っているのです。愛は、神様までも消化するのです。その生命は神様の生命であり、その血統は神様の血統であり、血統の主人は神様から始まるのです。生命の主人も、愛の主人も神様から始まるのです。 そのような本然の関係を持って生まれているべき人間であり、この人間が神様と一つになるようになっているはずなのに、サタンと共に地獄に陥ってしまったため、本心の要求は「神様、神様」と、本来の体験の源を探しているのです。それが人間の良心の欲望として現れるのです。歴史的な人々が言うには、「人間の欲望は不可能である」と思ってきたのですが、そうではありません。全部が可能になるようになっているのです。堕落しなかったならば、人間は完全に全部が神様の愛の相対なのです。神様もそういうものを持っているのです。分かりましたか? (はい)。 無形性相の神様が、実体の神様としてつくったのがアダムとエバなのです。神様も愛が必要であり、人間も愛を必要とするならば、人間の愛と神様の愛が、どのようにして一つになるのか、これは大変な問題です。理論的に一つになった起点を満たさないと、神様と人間が共に生きる平和の基地、平和の出発、平和の過程、平和の結果の世界に到達することはできません。同じ出発点と、同じ過程を経て、同じ終着点に到達することができなければ、神人一体は永遠にできません。 だから根本問題は、神様はなぜ人間をつくったかということです。それは、愛の相対者としてつくりました。なぜ、神様は愛の相対者を必要とするかというと、自分一人では何も感じません。刺激的な喜びを感じません。君たちも愛があり、生命があり、血統があるのですが、その愛と生命と血統は一人では刺激されません。女になって、男を見た場合に、この目がすーっと合った場合には作用するのです。愛の力が発動するには、作用が必要であり、作用するには主体・客体が必要です。これは、宇宙の根源の道理を明かすために、そういう例えをせざるを得ないのです。 電気というものは、作用によって生まれてきます。電気というものは、プラス・マイナスの相対がなければ作用しません。科学者たちは、「宇宙は力によって構成されている」と言うのですが、力が先か作用が先かというと、作用を通して力が出るのです。しかし、その作用は一つではできません。主体・客体の内容で運動が始まるというのが理論的な結論です。運動するには、求心力と遠心力の作用による相対関係の釣り合いによって、そうならざるを得ないというのが理論的です。分かりますか? 良心が作用をすると、二人の良心の力が合った場合には、偉大な力になるのです。良心が作用して一体になった場合には、男と女の場合には、愛の関係に持つようになるのです。愛の関係を持った場合には、天地が共に動き出すのです。男と女がいた場合には、天地を象徴するのです。プラス・マイナスの全体の線上の代表的な基準を象徴するのだから、男と女は小宇宙として、そこに大宇宙が引っ張られてくるのです。 国家的基準から世界的基準へ 復帰の時代において、復帰は正妻ではできません。妾を通してしなければなりません。こうなった者を逆にして上がっていくには、正妻ではできません。(先生が右手で「」のようなしぐさをされる)別の女を通していくのです。分かりますか? イエス様が来られた場合には、別のお母様を選ぶのです。共に生活していた妻を正妻としては迎えません。おばあさんと、お母さんと、三代目がつながらなければならないのです。そういう公式があるのです。でたらめにはできません。先生は四十歳で、お母様は満十七歳だったのです。そんなことをした先生は泥棒ですか、何ですか? 四十歳の男と結婚したというような十七歳の女の子がいると思いますか、いないと思いますか? 誰もいません。 なぜ、そうしなければならないかというと、真のお母様になるには、ティーンエージャーでなければならないのです。十八歳、十九歳、二十歳を超えれば、真のお母様にはなれません。当時、先生は四十歳で、その周りには、博士の女性や、修士の学位を持ったたくさんの女性がいたのです。美人もたくさんいたのです。教授もたくさんいたのですが、その人々は真のお母様にはなれないのです。ティーンエージャーの時にエバが堕落したのだから、そういう条件を立てて、愛で一体になるのです。ティーンエージャーと一体圏になれば、十七歳の平等基準に立つことができるのです。 そういう意味において、お母様と結婚するようなことになったのです。分かりましたか? (はい)。それは、悪くないのです。仕方なくやったのです。なぜかというと、女を救ってあげるためにです。お母様を訓練して、立派な女につくりあげたのです。三十三年間のイエス様の恨みを解いたのです。今年がその三十三年目です。イエス様が三十三歳で死んだ、第二の先祖としての失敗を蕩減復帰して、国家的基準を越えなければならないのです。それで、世界的な出発をして、今や世界の四十か国を凌駕する戦いをしているのです。分かりましたか? それを勝利した場合には、国家基準から世界基準へ上がっていくのです。そのような基盤を中心として、統一世界が成るのです。国も、南北を統一する黎明の時がやってくるというのです。金日成がいくら反対しても、思うようにはなりません。 これから、日本もどんどんどんどん駄目になります。アメリカもどんどんどんどん駄目になります。しかし、文先生だけは、どんどんどん上がっていくのです。考えてみなさい。「八月には統一教会を全滅するのだ」と(一部の)言論界が、「ワーワー」言っていたのですが、何を言うかというのです。反対とは、反対する者の所有権を相続する神の第二の戦法であり、戦略戦術なのです。そういう公式を知っているので、「打つなら打ってみよ」と言うのです。打てば、打たれる者の財産になるのです。罪なくして打たれた場合には、その賠償、弁償を支払わなければならないのです。 先生が世界的に大変な立場に立って打たれた場合には、世界を全部相続するのです。世界的な個人、世界的な家庭、世界的な氏族、世界的な民族、世界的な国家、世界的な天宙、世界的な悪魔、すべて神様まで、善なる霊界すべてが先生に反対したのです。神様はなぜそうするのかというと、最高の賜を与えるには、最高のチャンピオンにならなければならないからです。チャンピオン(になりたい人々)が一〇〇人いた場合には、九十九人を落としてしまわなければならないのです、そのためには、反対のコースを取る以外に道がありません。だから、すべてに死の境地を何遍も越えてきたのです。最後に死の状態で一人残っても死んでしまうのを恐れてみんな逃げていくという立場で、死にそうになった者を神様は呼び起こして、今まで宇宙のすべての隠しておいた宝を、初めて授けることができるのです。 立派な先生とは、(先徒が)優等生として一〇〇点を取るためにどうするかというと、みんなが逃げていくような方法を取るのです。頭でしなければ力でするのです。毎日、自分の僕みたいに便所掃除をさせたり、自分の奥さんの生理のものを洗わせたり、博士の女性に子守をさせたりするのです。そして、みんな九十九名が落ちてしまうのです。試験というものは、そういうものです。分かりましたか? (はい)。 だからそういうことを知っている先生は、「やりなさい。やりなさい」と言うのです。文先生の理想は神解放であり、最高の理想なのです。君たちもそうですね? 若い者が犠牲ということをなぜ好むか考えてみなさい。個人は家庭のために、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様、神様は愛のために犠牲になってこられたからです。神様だに犠牲になってこられたのです。愛のため神様は犠牲になっているのです。 愛の相対としてつくった人間です。だから、第一の神様の前に、第二の神様として良心があるのです。それが蘇生、長成(期)基準で堕落したのだから、神様と関係するには、完成圏が残っているので、神様は堕落したアダムには干渉できないのです。長成基準で止まってしまった良心に、下がってきて干渉することはできません。理論的にもそうです。もしも、完成基準に到達したとすれば、神様と直接一つになれるのです。分かりますか? 神様が主体で、人間の良心は、神様の第二の人間の良心は客体としてぴったり一つになるようになっているのです。それがなぜできないのかというと、長成(期)完成(級)基準の堕落圏を残しているのです。完成基準の七年間が残っているのです。(そこで)祝福を通して、長成(期)完成(級)基準以下で止まっていたので、上に向かって七年間越えていくのです。 先生も聖婚式で世界的な迫害を受けてきたのです、分かりますか? それは、原理的になっているのです。原理基準、原理過程を完成基準に通過しない者は、廃品と同じです。廃品は回収する必要がありません。完成した、再び修理したものを回収するのです。分かりましたか? そのような再創造の公式過程を通過するのです。このことをはっきりと知らなければ、あなたたちは永遠の高速道路に出ることはできません。あぜ道でさまよって、山奥で、山の頂上を上がりながら途中で落っこちてしまった場合には、地獄に直通するのです。 一番投入して犠牲になる者が中心者になる 個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、七人のために犠牲になって、それが間違っていたとすれば大変なことです。七人共々に、みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。垂直に飛び上がるのです。 こういう原則から見た場合に、当然、個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、それは道徳社会の公的な道として、誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、為に生きた場合には、神様の再創造の道、神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。分かりましたか? だから滅びることはないのです。投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。国の大統領、国の総理という者は、その国のために自分のすべてを投入して、投入して、誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。分かりましたか? それが、今まで若い者には分からなかったのです。投入して投入して忘れていくことによって、中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。だから中心者は責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。 日本の統一教会はぺちゃんこになりそうです。それも先生が責任を持つのです。いかに難しくてもやるのです。日本の男女で、誰も五万人ができると信じた人はいません。日本の状況が大変であれば、女性解放が宣布されたので「私がやります」と言わなければなりません。完全なる主体と相対が立てば、環境は磁石のように収まるのです。先生の言うとおりにやりなさい。やってから不平を言うのです。みんな信じなかったし、やらなかったので、最終回になって、こんなにふくらんでしまったのです。最後になって、こんなにたくさん来いとは言っていません。先生はこんなにたくさん招聘していません。 第二次大戦の時、出征した兵士も終戦時までに汽車に乗った場合には、第二次大戦の勝戦の参加者になるのです。そういう考えで、一歩でもいいから汽車に乗ろうとした者たちです。自分の利益だけをむさぼり、一身の幸福を考え続けてきた者たちです。そのような人たちが集まって来たと言われても仕方がないのです。なぜ最初に来なかったのですか? 先生は、皆さんが気持ちが悪くなるように、こんな話をするのです。もし気持ちが悪くならない人がいれば、どうかしています。死に物狂いで気持ちが悪くなって、自分自体が覚醒できるとすれば、新しい道が開けるのです。 すみません。立派な奥さんたちをこんなにめちゃくちゃに扱っても、まだ堂々として続けて話せる腹を持っている先生なのです。みんな、「新しい家庭と統一の祖国」を誰からもらったのですか?(お父様です)。お父様ではありません。女を警戒し、お母様がおみやげを、ちゃんと買ってやっているのです。お母様が普通の女だったら大変なことです。先生が日本の美人たちに包囲されているのですから。先生は年を取っていても、まだ元気です。それは、お母様がよく知っているのです。それで、心配でもって講演もできないはずなのに、お母様はそういうことを凌駕しているのです。 そういう面では、先生よりも完璧な女になっているかもしれません。先生はよく訓練しましたか、訓練しませんでしたか? どうですか? 考えてみなさい。アメリカでも一回だけの講演かと思ったら、三回やることになり、さらにアメリカ五十州を分けて、二十二回(最終的に、お父様が十二回、お母様が四十四回)も回ったのです。それでおしまいだと思ったのに、次は「日本に行け」と言われて、日本に行って、日本の講演を終えたと思ったら、「韓国に行け」。韓国が終わったら、「世界の四十か国を回れ」となるのです。それで、また帰ってきてどうしますか? 休ませればいいのですか、働かせればいいのですか? 先生の気質から見て、休ませる余裕があるような男に思えますか、思えませんか? そうであれば、君たちも休ませたらいいのですね。長年の間、数十年の間、先生を知って、日本の先頭に立って迫害を受けて、もう気が抜けて、しおれてしまうような立場で、もうどうにもならない限界で、みんなのびてしまったのですね。 それでも先生は気合いをかけて、火をつけるのです。みんな死にたくはないから起きてくるのですが、逃げる所は先生のほうしかないので、みんな先生の所に走って来るのです。いくら世の中を見ても頼れる所はないのです。世の中はみんな経験してみて、みんな駄目だと知っているのです。しかし、文先生には、まだ実験済みでないものがたくさんあります。世界から歓迎された国一つもまだ迎えていません。それなのに、こんなに発展しているのです。 そういう立場でアメリカを救い、ソ連の共産党も先生の手によって解放し、アメリカの国連も、国会も、先生の手でまとめて、反対する日本も、反対する韓国も、反対するすべてを、先生はずーっと通過してしまいました。先生は能力のある男ですか、無能力の男ですか? (能力のある方です)。今後の未来の世界に対して、希望を持てる何かがあると思いますか、何もないと思いますか?(あると思います)。既に、世界的な共産主義も実験済みだし、民主主義も実験済みですが、この世界最高の思想は、いまだに未実験です。日本一国が歓迎をしておれば、世界は一瞬にして回っていくのです。韓国政府が受け入れた場合には、世界は一瞬にして回るのです。 そういう材料はいくらでもあるのです。先生が四十年間ためてきた材料は、NHKなどで放送しても十年以上使えるのです。CIAなどでもって、今まで文先生に反対してきた者たちの内密の調査書がみんな先生の所にあります。日本では誰々が反対したし、韓国では誰々が反対したということを、みんな知っているのです。 先生は新聞の王様です。世界平和は、言論界の組織でもってやるのです。日本では、統一教会の文先生は何でもないと思っているのですが、今度、拉致事件を中心として、言論界の有名な人々を何人か連れていって、消化してしまうのです。だから、文先生を知ったら恐ろしいのです。引っ張ってみても、根が切れないのです。どこまでも続いているのです。最後には、神様につながって「この野郎、何だ」というようになっているのです。 済州島は再び修練をする道場 ここに集まった者は、先生を夢の中とか、幻の中とか、また啓示とかで先生に会ったことのある人は手を挙げてみなさい (はい)。これが一〇〇パーセントにならなければなりません。考えてみなさい。生きている実体でもって、霊的世界を投入して、君たちの生活の中で寝ころんでいる女たちに命令して、「統一教会に行け」「先生の命令を聞け」と、こういうようなことをやれるような独裁者ではないのです。 日本の東条さんも、ヒットラーも、ムッソリーニも、スターリンも独裁者の名前をもっているのですが、月給をやりながら(部下を)使ってきました。しかし統一教会の文先生は、月給(献金)をもらいながらやっているのです。(笑い)だから、世界でナンバー・ワンの独裁者だと言うのです。献金をもらっても、先生のために使ったことも、統一教会のために使ったこともないのです。飢え死にするかわいそうな人間を再創造するために使ったのです。分かりましたか? 神様を助けるためにやっているのですから、万年千年かけて糾明しても、裁判にかけることはできません。罪名をつけて地獄に送ることはできません 分かりましたか? (はい)。 そういうふうにやりましょうか? それとも、今までみたいに、のろのろ遊びながら、女は男が統一教会で熱心に活動する足を引っ張って、「あー就職をして、月給をたくさんもらって、男は家族を養わなければならない。子供を教育しなければならない。金、金、金、金」と、引っ張りだこにしたが、今度は先生が連れてきて反対にしたのです。男たちは、「いやー、あまり走るな」と、大変です。それで日本も騒ぐのですが、統一教会はそんなに簡単な教会ではありません。アメリカでも五百回以上裁判してきたのです。共和党や民主党の大統領顧問弁護士などをみんな使っているのです。だからアメリカ政府が、「一番、宗教圏で扱いづらい難しい所が統一教会であり、理論的組織体系でぶつかってくるから大変です」と言っているのです。分かりますか、何の話か? 先生はでたらめな男ではありません。いったん手を下した場合には着実に行うのです。 統一教会のメンバーは着実な女でなければ消えていくのです。率直に言います。そういう自信がなかった場合には、十年、二十年待ちなさい。遊びながら待ちなさい。その時は無料で入場券を上げますが、それは落ち葉として肥料になるだけです。落ち葉は枝になりません。枝になりますか、落ち葉になりますか? 落ち葉でもよいです、統一教会にいて栄養分をずーっと補給されたのです。しかし、枝にならないと落ちてしまうのです。分かりましたか? 枝になれなかった場合には、落ち葉になるのだから、今早くみ言を聞いて、秋の落ち葉にならないで夏の葉になって、秋までに大きくなるようにして、自分も満足して生きたほうが良いのです、そうですね。分かりましたか? (はい)。 何とか済州島へ行って、ちょっと様子を見て、何か決めようとした者がたくさん来たでしょう? ここが済州島です。済州島とは、再び修練する道場を済州島(再修道)と言います。その済州島に来たのだから、みんな修練に文句を言ってはなりません。修練は厳しければ厳しいほど効果があるのです。時間ごとにさぼるような学生に、「十分間だけお話しします」と言う先生は、学生時代には良い先生のように思えたのですが、学校を出てみた場合には、悪い先生であったと烙印されるのです。 先生は厳しいほど、真の先生なのです。分かりましたか? 厳しい訓練をさせるほどに、よい先生なのです。だから二〇〇〇人が入る所に、二七〇〇人も詰め込んだのは訓練としても最高の訓練なのです。訓練の歴史において記録をつくるようになれば、記録を書き入れられる歴史になるのです。日本の歴史の記録を記載するのです。そして皆さんは、記録の場所に参席した有名人になるのです。記録に残りたいですか、記録に残りたくないですか? (残りたいです)。だから、先生は話を続ける甲斐があるのです。分かりましたか? 先生は何を好きになりますか? 高尚な理想を持つとともに、迫害を歓迎すると言いました。なぜかということをはっきり答えてあげます。最も貴い愛の器官はどこですか?(生殖器です)。生殖器は、最も神様が精誠を尽くしてつくった部分です。それを「愛の本宮」といいます。分かりましたか? 生命がつながる本宮であり、それは血統、歴史がつながる本宮です。そこから天国は出発します。そこから王権が出発します。天上天国もそこから出発するのです。間違いありますか、ないですか? (ないです)。(先生が同じ質問を三回くりかえす) そこに謎があるのです。一番きれい、一番貴い所に一番汚いものがついているのです。神様はなぜ、そういうふうにつくったのかというと、高くなるには、その反面に低い所も共にしなければいけないということです。そうすることで無限に回るのです。無限に、永遠に続くのです。きれいなものばかりだったら、山をどんなに登っても雪しかないのです。名山になるには、鳥が集まらないといけないのです。蝶や蛾が飛ばないといけないのです。分かりますか? そのためには、高い山には深い谷のあることが条件です。深い谷にはたくさんの落ち葉があり、山の汚いものが、動物の糞なんかがみんな集まるのです。だから、汚い所には昆虫が集まります。たくさんの昆虫が汚いものを好むのです。その昆虫を食料とするのが、鳥とか蛾とかいうものです。分かりますか? だから、名山になるには深い谷があり、たくさんの昆虫を養育する本場がなければなりません。鳥がいなければ大変です。 みんな人間は、高い所、富士山頂を願うのですが、山頂には何もありません。上がれば上がるほど、息が詰まるだけで道もありません。しかしおもしろいことに、下に下がれば下がるほど、くさい臭いがするけれど、たくさんの昆虫がすんでいるのです。それを中心として、たくさんの鳥が集まってくるのです。そのように、たくさんの鳥とたくさんの昆虫のすむ所が、万物の理想郷になるのです。分かりましたか? それと同じです。いつも便所に行った場合には、それを考えなさい。「あー、先生の高い理想とともに迫害はつきものだ」というのです。分かりましたか? それを中心として、押して来れば来るほど、先生は大きくなりながら、どんどんどんどん進んでいきます。上がったり下がったりしながらです。 いつも先生はいいことがあった場合には、開拓伝道の宣教師のことを考えます。今までソビエトとか、衛星国家の地下要員を、二十八年、三十六年前に送っているのです。分かりますか? まさかKGBの足元に、統一教会の文先生の組織が、モスクワやレニングラードの地下にあるとは夢にも思わなかったのです。衛星国家の愛国運動、右翼運動を指導したのが宣教師たちです。今は大統領の友達になって、みんな建国の勇士として働きかけているのです。 君たちみたいに、自分の一身を考えて「あー、統一教会の命令するところは大変だ」「日本内でも、あー大変だ」。そんなことばかりではないのです。生死の境できょう一日を、あす一日を生涯の戦いの場と思いながら、み旨の道を歩いている食口たちがいることを忘れてはなりません。 ですから、高い人は必ず低い人を愛さなければならないのです。先生は反対する人たちの子供たちにも学費を送ってあげたのです。困っていた場合には、お米も買って送ってあげたのです。それは悪魔が侵入できない防備策です。そういう人には、サタンも讒訴することができません。だから神様は「怨讐を愛せよ」と言うのです。怨讐は死んでいくのです。その滅んでいく死骸と共に死なないように、それを避ける方策として、「怨讐を愛せよ」という話になるのです。これが分かった場合には、怨讐を愛するのはそう難しくないのです。 だからイエス様も、槍でもって自分の胸を刺して血を流すローマ兵に対して、神様に祈るのです。「彼は自分がしていることがいかに悪いことか知らないので、許してあげてください」と。そういうイエス様だから、神様も、サタンも、すべての相続権を与えて、天下統一を成すことができたのです。 先生の話が分かりましたか? (はい)。良いことを考えて、良いことを行いながら、悪い人を友達にしていくのです。悪い人も再創造していくのです。反対する者を訪ねて、改心させて、神様につなぐようなことをたくさんすれば、神様の再創造の路程を助けたことになるのです。神様の代わりに再創造を成し得たことになるのですから、その人は霊界でも高い神様の相対圏に立つことができます。 世界は、こんなに悪いのです。男、女がこんなに悪い世界にしてしまいました。ですから、死亡の境地に立って、抜け出る道のない中で、もがき苦しんでいるのです。分かりますか? その反対に、統一教会は最高の基地に立っているのです。希望に燃えているのです。それで、「えーい、どうせ反対する者は死んでしまえ」と言うのではなく、それを救ってあげたいのが神様だから、そういう心で日本で反対する者を、今から収拾工作しないといけないというのです。救ってあげなければなりません。そのままにしておけば、いくらでもその戦いは続くのです。それは真正面に話し合って、整理していかなければなりません。日本人は、日本の統一教会が責任持たなければなりません。今からは、そういう工作をする時代に入りました。 再創造の公式 きょうの題目は何ですか? (真の自分を探しましょう)。みんな、こういうように、結局は世界が悪いというのですが、日本はどうですか? 日本は悪い国ですか、良い国ですか? (悪い国です)。日本が悪い国だったら、ここに集まっている日本の女はどうですか? (悪い女です)。悪い女は天国に行きますか、地獄に行きますか? (地獄です)。何で地獄に行く人が、ここに来ましたか?(……) 地獄が大変だから、地獄を免れる道があるから、ここに来たというのですね。それには結局、自分が悪いことをはっきり知らないと、よい所に行くことができないのです。分かりましたか? (はい)。 自分がはっきりと悪いということを、知らなければならないのです。それは、先祖のアダム・エバが悪くなったのだから、その根っこが悪いので、全体が悪くなるのです。枝が悪かった場合は、全体ではなく枝を切ってしまえばいいのですが、中心の根が悪くなっているのです、中心の根、中心の幹、中心の穂先が幼い時に、それが悪くなったのだから、大きくなっても悪いのです。だから、そのことをはっきりと知らなければなりません。病気になったとすれば、それを治すには、救援摂理は復帰であり、復帰はただでは行けません。蕩減復帰というように、蕩減復帰するには再創造の道をたどって行かなければならないのです。再創造が何か分かりますか? 再創造とは何かという公式を知らなければ何もできません。 神様は創造において、まず環境をつくりました。(先生が黒板に図―1を書かれる)環境は、必ずプラス・マイナスになっています。 これが公式です。再創造路程の公式はどういうふうになっているかというと、必ず環境によってつくられたすべてのものは主体・客体になっているのです。それで、すべての被造世界を見ると、鉱物世界、植物世界、動物世界、人間世界も主体・客体です。原子を見れば、プラス電気とマイナス電気が授受作用するのです。分子を見れば、プラス・イオンとマイナス・イオンが相対的になって、それを軸として運動するのです。全部がそうなっているのです。鉱物世界もすべて相対関係で運動しているのです。分かりましたか? それと同じように、植物はおしべとめしべ、動物は雄と雌、人間は? (男、女)。男、女。これはもう公式になっているのです。神様が環境をつくられた時、環境は水と空気、土と太陽。それらがなければ生物が存在できません。環境の中には、こういう公式の内容で配列されているのです。分かりましたか? 再創造の過程は、そういう公式でつながっているのです。 あなたたちもそうですね? 小学校を卒業した場合には、中高等学校に入るし、だんだん大きくなって、どこまで行くかというと、神様を占領するまでです。神様の理想と自分の理想が一体になるまで発展していきたいのです。みんなの欲望、欲心がそうなのです。最高のものを願うのです。願わない者は一人もいません。その願いは、可能になるようになっているのです。真の愛でつながったとすれば、その真の愛の本郷、真の生命の本郷、真の血統の本郷に落ち着いたとすれば、心身は自動的に一体となるのです。心身一体となった場合、夫婦は絶対一つになって、それは自動的に、自然的に一つになるようになっているのです。今まで、それができなかったのは、長成(期)完成(級)基準の愛の基準だからです。その長成(期)完成(級)基準において、愛の関係を結んだ愛の力というものは、完成基準の愛の関係を持たない良心の力よりも強いのです。分かりましたか? (はい)。 それで、堕落しなかったとすれば、心身を中心として、心を主体として体は自動的に一つになるようになるべきなのです。そうなった場合には、それは自動的に完成基準において、神を中心として、真の生命、真の血統を、絶対なる生命、絶対なる血統、絶対なる愛を伝授されて生まれた子供は、絶対なる愛と絶対なる生命、絶対なる血統につながるようになるのです。子供たちがそのようになった場合には、絶対なる愛、絶対なる生命、絶対なる血統で、万年歴史を超越できるようになるので、神様が永遠であるように、私たちも永遠の存在になるというのが理論的なのです。 そのように、死亡圏を逆のほうに上がるべきなのに、逆に落ちてしまいました。それを堕落というのです。この堕落観念をはっきりと知らない以上は、自分を探し求める基準を得ることはできません。堕落して落ちた道と、一八〇度違った方向を取って戻る道が復帰です。救援摂理は復帰摂理です。復帰は反対に行くのだから、蕩減という名前が生まれてくるのです。 良心の基準 サタン世界は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界まで、すべて制覇している中を、神様は逆の方向に上がっていこうとするので、サタンは切ってしまうのです。切ってしまっても、神様はどうにもできません。完成基準ではなく、長成基準で堕落する時に、神様は干渉できなかったのです。堕落とは、死ぬようにさせることです。だから神様が完成基準を凌駕しない前には、死の全権圏内にあるので、サタンは殺すことができるのです。廃品の圏内でつくられるものは廃品であって、完全なものにならないので、人を殺すことができるということです。分かりますか? だから悪魔は、今まで神の精神に従っている者たちを殺してきました。 良心の長成(期)完成(級)基準まで、アダム・エバを殺してしまった権限をもって神様に反対するところにおいて、サタンの世界をひっくり返そうと、敵として、これを切ってしまっても、アダム・エバを殺されても、どうにも手を出すことのできなかったのが神様の立場です。分かりましたか? だから何とかして、長成(期)完成(級)基準を凌駕しなければならないのです。何でもってかというと、愛の力でです。それは決死的に対抗して、その基準を一瞬でも越えた立場に立たなければ、神様の干渉を受けることができないのです。神様の干渉を受けない所は、サタンの全権であり、いくらでも殺すことができるのです。 ですからイエス様は言いました。「自分の弟子になるには、誰よりも、地上の世界において誰よりも、私を愛さなければならない。それは、お母さん、お父さん、自分の奥さん、旦那さん、舅、いずれにしても、私よりも愛した場合には、私の弟子にはなれない」と。そのようにサタン圏の基準を凌駕しなければなりません。分かりましたか? だから、聖書は逆説的な論法の内容で教えているのです。「死なんとする者は死に、生きんとする者は生きる」と言ったのですか、「死なんとする者は?」(生きる)。生きる 統一教会の信者を死ぬような所に引き込むことが何ですか? (生きる)。生きるようにして「自由自在に、安らかにせよ」と言った場合には? (死ぬ)。あなたはそれが好きですか? それは嫌でしょう。そうならなければなりません。逆説的な論法をいっているのです。 イエス様の弟子の中で、「自分のお父さんが死んだので、葬式に行って、何日して帰ってきます」と言った時に、イエス様は、「死んだ者は、死んだ者に任せよ」と言われたのです。堕落した者は死んだ者です。地獄へ行く死んだ者です。それをはっきり知らなければなりません。この堕落圏を、いかなることがあっても抜け出なければならないのです。分かりましたか? (はい)。 長成(期)完成(級)基準において、サタンの愛の力でもって一つになったのです。サタンというものは、神様を中心として相対できない立場に立っているのですが、アダムの前には相対できるのです。分かりましたか? だから心身一体を考えて見た場合に、良心を第二の神様とするならば、良心は自動的に、神様のほうにつくのです。サタンもそれは知っているのです。良心を自分のほうにつけることはできないのです。 良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。だから良心は正しいのです。良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、自分に対して分からないことはないのです。良心は、自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、自分の良心をだましながらやってきたのです。 ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです 姑をだましているのです 子供をだましているのです それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級)基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期)基準で一体となったとしても、堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、一つにすることができるというのです。だからサタンは、その場に留まることができません。逃げていくのです。 だから、君たちの良心に反対して、良心の願うことの、反対の方向に世界がみんな流れているのです。これが地上地獄として拡張された世界です。見込みがないのです。このまま滅亡するのです。それで緊急に再臨の主が来て、すべてにブレーキかけて、すぐに回さないといけないのです。すぐに回さないと、どんどんどんどん下へ落ちていくのです。自動的にみんな流れていくのです。「さっさっさっ」と、素早くしなければなりません。そういう展開時代になったのです。 分かりましたか? (はい)。なぜ肉身が良心を支配し、良心を引っ張りだこにしながら、良心の命令を聞かないようになったのか、分かりましたか? (はい)。肉身が良心より強いからです。なぜ強いかというと、サタンの愛によって、長成(期)完成(級)基準において、サタンの根っこが肉身の所に根を下ろしているので、プラス・プラスで反発するのです。良心は神様と相対関係が決められているので、反発するのですが、肉身のほうが逆に強いので良心は引っ張られていくのです。<その2に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.02
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昨年12月の火傷から4ヶ月が過ぎました。傷口はまだ完治しておらず包帯を左腕に巻いた日々が続いています。前回の病院の診察からは、もう次に来るときにはその傷口もふさがっているでしょうということで「見切りで診察終了」ということになりました。もう1・2週間の辛抱ですか。さて一方の仕事ですが、長年一緒の部署でいた年配の一人がこの3月で辞めていきました。部署といっても3人しかいなかったのですが。これが大きな変化です。3人が2人になったからといっても、ただでさえ人員不足の会社ですから補充という話は結局はありませんでした。仕方なく3人で6時間の仕事でしたが、2人で8時間くらいかけて何とかというところですか。精神的ストレスもあってここ1ヶ月は疲れ気味でした。ようやくのGW、8日間です。だからといって「ステイホーム」の我が家です。ここ数日間は子供の勧めで韓流ドラマ「君の声が聞こえる(字幕版)」をママさんと視聴しています。全部で18話ですが、今日で8話まで見終わりました。キリスト教がバックボーンになっていて、弁護士の娘に恨みを持った犯人がその母親も殺してしまうのですが、その死を前に残した母親の遺言(第8話)が「目には目を歯には歯を」のような人生を送るな、自分を殺す犯人を決して恨むなというものでした。主人公は弁護士として罪を逃れようとする犯人に法との葛藤も描かれています。アマゾンのプライム・ビデオでの視聴中です。怖いだけでなく、笑いもアリでお勧めです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.01
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