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5月31日は2002年日韓ワールドカップが10周年ということで、 岡野俊一郎 サッカー協会最高顧問(当時の日本サッカー協会長兼ワールドカップ組織委員会副委員長)のインタビューを紹介した( こちら )。
凡人の 日記ホーム で
5. 2001年の李秀賢氏らの平和の架け橋を土台として、2002年、日韓合同のワールドカップの開催。その翌年からのピースカップが、本来なら韓流ブームの流れの中で 「韓流サッカー」 として広まっていくはずであったが、その機会を逃してしまった。
とあるように、2002ワールドカップとピースカップは深いかかわりを持っている。2003ピースカップでは、2002韓日ワールドカップの1周年記念行事としての意味合い(当初の計画では、日韓と6大陸を代表するクラブチームの参加)も含まれていた。ところが、日本からのチーム不参加のため、韓国中心のピースカップが片足スタートした次第である(凡人の記憶では?)。
ピースカップは「人種、国境、文化の壁を越え、サッカーを通して世界平和に寄与する」ことを目的としており、ピースカップでは、これまでに紛争国家間の国境にサッカー場を建設する『 Peace Field 11プロジェクト
』を提案してきたりもした。
凡人は、日韓については日韓トンネルがサッカー場に代わるものではないかとの主張もしている。
2002日韓ワールドカップ10周年を迎えて、日韓関係を見直して考える必要を感じさせられる。もう一度、その原点に返って日韓共同開催のサッカー大会の実現を凡人も夢見て行きたい。
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