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黒・天聖経からはもう一点過去記事から紹介しなければならないことがあるが、次回にまわすことにする。「独生子」「独生女」はそれぞれ創造理想を完成した男性・女性ということだが、支流人は、お母様「独生女」は神格化しお父様の「独生子」をさげすんでいるなどといっては非難している。ところが、「真の父母」と語られるとき、そこには「独生子」「独生女」が同参したものだはこれまでの私tomy4509からの主張である。原理講論で「創造理想を完成した人間の価値」から「独生子」「独生女」の価値について検証してみたい。第七章 キ リ ス ト 論 第一節 創造目的を完成した人間の価値第二節 創造目的を完成した人間とイエス第三節 堕落人間とイエス詳しい内容は上記リンク先からも原理講論を読むことが出来るのでそちらで確認をお願いしたい。以下にその一部を掲載する。(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス 我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。神が永遠なるお方であるので、その実体対象として創造された人間も、やはり、完成すれば、永遠なるものとして存在せざるを得ない。その上、完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである。原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。我々は、既に、イエスはどこまでも、創造目的を完成した一人の人間であることを論じた。……第三節 堕落人間とイエス 堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。しかし、イエスは創造目的を完成した人間としての価値をみな備えておられるので、天使をはじめ、すべての被造世界を主管する資格をもっておられたのである(コリントⅠ一五・27)。また、堕落人間には原罪があるので、サタンの侵入できる条件がそのまま残っている。しかし、イエスには原罪がないので、サタンが侵入できる何らの条件もないのである。また、堕落人間は、神のみ旨とその心情を知ることができない。たとえ知ったとしても、それはごく部分的なものにすぎない。しかしイエスは、神のみ旨を完全に知っておられるとともに、その心情をも完全に体恤した立場において生活しておられるのである。 したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じである。ゆえに、キリストは教会のかしらとなり(エペソ一・22)、我々は彼の体となり、また肢体となる(コリントⅠ一二・27)。したがって、イエスは本神殿であり、我々は彼の分神殿となるのである。そして、イエスはぶどうの木であり、我々は彼の枝である(ヨハネ一五・5)。また、野のオリーブである我々は、もとのオリーブなるイエスに接がれることによって、オリーブとなることができるのである(ロマ一一・17)。ゆえに、イエスは私たちを友達と呼ばれ(ヨハネ一五・14)、また、彼(イエス)が現れるとき、私たちも彼に似るものとなることを知っている(ヨハネⅠ三・2)という聖句もある。そして、聖書は、復活するのは「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」であることをも明らかにしている(コリントⅠ一五・23)のである。以上の内容は、イエス様(独生子)が神様自身であられるのかほか、キリスト教の問題点を原理の観点から紐解いたものであった。これはまた「独生女」についても同様のことがいえる。創造理想を完成した人間は聖書にもあるように「神の宮」になることから神様ともいえるが、「創造理想を完成した一人の人間」であり「創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。」と原理では主張おり、「独生子」「独生女」も価値からみて同等といえよう。コリント人への第一の手紙/ 03章 16節~17節あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。この「独生子」「独生女」が『子羊の婚宴』でもって「永遠に唯一なる真の父母」であることは「黒・天聖経」の記述にもあることだ。支流人はこれを否定できない。この真の父母によって重生され原罪を脱いで善の子女となれば、「イエス様のような創造目的を完成した人間に復帰」され同等の価値を持つようになるとも。ここで注目すべきことは、「それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じ」である。こんにちの真の家庭においても然り、真の父母様の子女様方だからといって「父(母)の順位、兄弟姉妹の順位」が逆転することはない。同時にお父様は「お母さんから産まれた」としても、もう一度「真のお母様」を通して重生されなければならない、とも語っておられた。さてさて……(?)このように「独生子」同様に「独生女」もまた、「神」とも言えるが「創造理想を完成した女性」であるということは、原理講論から計り知ることができる。ところで、原理講論の別箇所からの「独生子」「独生女」の価値も考察してみたい。cocoaさんがブログ村で紹介しているニセ宗教学者の新刊(即・廃刊→古本屋行き)を受け入れるとするならば、お父様の「独生子」も否定する立場に立つ矛盾点が浮かんでくる。cocoaさんは記事でパイオニアカフェ情報から「●統一教会の多くの学者たちの反応が期待されます。」と紹介していたが、その本自体が議論にもならないことはいうまでもない。原理講論・創造原理「第四節 創造本然の価値」から。(一) 創造本然の価値の決定とその価値の基準創造本然の価値はいかにして決定されるのだろうか。ある対象がもっている価値は、その対象が存在する目的と、それに対する人間主体の欲求との相対的関係によって決定されるというのが、我々の今まで考えてきた一般的な価値観であった。しかし、ある個性体の創造本然の価値は、それ自体の内に絶対的なものとして内在するものでなく、その個性体が、神の創造理想を中心として、ある対象として存在する目的と、それに対する人間主体の創造本然の価値追求欲が相対的関係を結ぶことによって決定される。したがって、ある対象が創造本然の価値をもつためには、それが人間主体との授受作用により合性一体化して、神の第三対象になり、創造本然の四位基台をつくらなければならない。では、創造本然の価値の基準はどこにあるのだろうか。創造本然の価値は、ある対象と人間主体とが、神を中心として、創造本然の四位基台を完成するときに決定されるが、この四位基台の中心が絶対者であられる神であるから、この価値の基準も絶対者なる神である。それゆえに、絶対者であられる神を基準として、これに対して相対的に決定されるある対象の創造本然の価値もまた絶対的でないはずがない。この一文は神様を中心として人間主体と被造万物の四位基台の完成によって創造本然の価値が決定されるというものだ。冒頭では「独生子」「独生女」は創造理想を完成した男性・女性としてのそれぞれ価値についてだが、家庭的四位基台でもってその本然の価値決定も適用される。すなわち、「独生子」と叫んでみたところで「独生女」がいなければ、絶対者であられる神を基準として絶対的価値を持つことが出来ないということだ。お母様の「独生女」発言は、裏を返せばお父様は「独生子」にも通じるといえる。その「独生女」否定こそがナンセンス。黒・天聖経の数千個の「真の父母」記述を否定したとすれば、黒・天聖経そのものの存在も吹っ飛んでしまう結果となる。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.13
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当ブログ記事「【再掲載】再臨主の位置--原理講論から整理を!!」読まれた方はお分かりのことと思うが、イエス路程を継承的に歩んだモーセ路程のヨシュアがそれだった。ブログ村の過去記事を読めば、お父様は失敗者であり、象徴的路程アブラハムのヤコブ路程だ、あるいは、ヨシュアだとかでどなたかがそれだと書かれていたものがあった。イエス様の第三次世界的カナン復帰路程の「再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」を継承されたのが、まさに、文鮮明総裁(真のお父様)であったことを考えれば、そのヨシュア的人物が二人(親子二代続きで)などといったことは原理講論には書かれていない。よって、やれ「長子だ!」、「二代王」だと騒いでいる支流も見かけるが原理講論の記述からは到底考えられないことである。「 原理講論にみる「真の父母」とは?」からは特に、しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。から見ても、「創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっている」とあり、その延長はない。ヤコブのハラン苦役のように考えられる支流の方も、イサク献祭の祭壇に横たわるイサク(俎板の鯉)もままならない人物がヤコブになることなど出来ない相談、というのが私からの意見である。さて、「独生女」は原理講論には記載はないが、「真の父母」--「独生子」と「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」-- といえば「独生女」も同参していたことはいうまでもない。前回は「原理講論にみる「真の父母」とは?」を取り上げてみたが、天一国経典・天聖経を編纂するときは、支流人が八大教材教本「天聖経」を改ざんしたものだ、と騒いでいた。その「黒・天聖経」にもまた「真の父母」の単語がいくつも並んでおり、真の神様(414個)真の父母(835個)真の愛(76個)真の家庭(29個)地上生活と霊界(123個)人間の生と霊魂の世界(123個)礼節と儀式(71個)罪と蕩減復帰(62個)祝福家庭(211個)成約人への道(168個)宇宙の根本(66個)環太平洋摂理(20個)真の神様の祖国光復(97個)真の孝の生活(13個)天一国主人の生活(351個)真の家庭と家庭盟誓(227個)と「真の父母」の一文を一つ一つ挙げていたら……。支流人の方々、この「真の父母」にも「独生子」「独生女」が同参していることを理解しておられるだろうか?もしも、「独生女」だけを否定したとしても、そこには「真の父母」もない。家庭連合は「天一国経典・天聖経」を編纂したからといって「黒・天聖経」を改ざんしたりはしていない。むしろ、「独生女」を否定することで「真の父母」までも黒・天聖経から抹消(黒塗り)されているのが、「改ざんだ!」といっては騒いでおらてた方々ではなかったか。黒・天聖経にもしっかりと「独生女」の記載があったことは、当ブログでは過去記事で何度も紹介してきた次第である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.12
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原理講論も注意して読めば、こんにちのお母様の「独生女」も原理講論と矛盾していないことがハッキリと理解できる。この原理講論が出版されて50年以上になるが、私たちはこれを読み続けてきたのではなかったか!!お母様がの「独生女」を信じることが出来ないとすれば、この原理講論そのものを否定するようなものだ。「創造原理」だ、「堕落論」だ、「復帰原理」だ、個々に見れば「何々原理」「何々論」、と学問っぽいが本来は再臨主(真の父母)を証ししたものであることを、私たちは忘れてはならないと思う。宗教でもある程度の教義は文字でも読むことが出来るが、「奥義」ともなれば別ということもある。私たちの信仰路程を振り返っていただきたい。原理講義を聞いたのちに「主の路程」、主に(「オモニ」ではなく)お父様の生涯路程だったはずだ。これがこんにちのお母様「独生女」への反発(既成概念にとらわれて)を引き起こしている要因ともなっているようだが。原理講論はまた「終末に際して我々がとるべき態度」と題しての警告文も記載していた。(二) 終末に際して我々がとるべき態度復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。したがって、古いものの終わる点が、すなわち新しいものの始まる点ともなるのである。それゆえに、古い歴史の終末期が、すなわち新しい歴史の創始期ということになるのである。そして、このような時期は同じ点から出発して、各々その目的を異にし、世界的な実を結ぶようになった善と悪との二つの主権が、互いに交差する時期となるのである。ゆえにこの時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。したがって、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスのような人々は、みなそのような新しい時代の中心として立てられた人々であった。それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々には、なかなか納得ができないのである。新しい時代の摂理を担当してきた聖賢たちが、みなその時代の犠牲者となってしまった理由は、まさしくここにあったのである。その実例として、いまだ旧約時代の終末期であったときに、新約時代の新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者たちにとっては、理解することのできない異端者の姿をもって現れたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。イエスが、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(ルカ五・38)と言われた理由もまたここにあったのである。今や、イエスが再び新約時代の終末期において、新しい天と新しい地のために、新しい摂理の中心として来られ、新しい時代の建設のために(黙二一・1〜7)新しい真理を下さるであろう。それゆえに、イエスが初臨のときに、ユダヤ人たちからベルゼブル(悪霊のかしら)の乗り移った人間として、排斥されたように(マタイ一二・24)、再臨のときにおいても、必ずや再びキリスト教信徒たちの排斥を受けるに相違ないのである。ゆえに、イエスは将来再臨なされば、自分が多くの苦難を受け、その時代の人々から見捨てられるであろうと預言されたのである(ルカ一七・25)。したがって、歴史の転換期において、古い時代の環境にそのまま執着し、平安を維持しようとする人々は、古い時代と共に審判を受けてしまうのである。堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。旧約聖書に執着していたユダヤ人たちが、イエスに従って新約時代の摂理に応じることができなかったという史実は、これを立証してくれる良い例だといわなければならない。しかし、祈りをもって神霊的なものを感得し得る信徒たちは、新しい時代の摂理を、心霊的に知ることができるので、古い時代の真理面においては、相克的な立場に立ちながらも、神霊によって新しい時代の摂理に応じることができるのである。それゆえに、イエスに従った弟子たちの中には、旧約聖書に執着していた人物は一人もおらず、もっぱら心に感応してくる神霊に従った人々だけであった。祈りを多くささげる人、あるいは良心的な人たちが、終末において甚だしい精神的な焦燥感を免れることができない理由は、彼らが、漠然たるものであるにせよ、神霊を感得して、心では新しい時代の摂理に従おうとしているにもかかわらず、体をこの方面に導いてくれる新しい真理に接することができないからである。それゆえに、神霊的にこのような状態に処している信徒たちが、彼らを新しい時代の摂理へと導くことができる新しい真理を聞くようになれば、神霊と真理が、同時に彼らの心霊と知能を開発させて、新しい時代に対する神の摂理的な要求を完全に認識することができるので、彼らは言葉に尽くせない喜びをもってそれに応じることができるのである。したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。「旧約聖書」や「新約聖書」などがそうであったように、こんにち「原理講論」でも同じようなことがいえるのではないか、ということだ。お父様がが「独生女」を語り始められたのは1959年10月、「子羊の婚宴」の半年前のこと。原理講論が出版されたのはまたそのあとだ。原理講論には「独生女」を見ることが出来ないとしても、「真の父母」がどういうものなのかを見ることが出来た。「独生女批判」をされている方々は、もう一度「真の父母」を基点として原理講論の再読をお薦めする次第である。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.11
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原理講論に「独生女」が記載されていないからといって、それを全く否定することは出来ない。「独生子」「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」・そして、「真の父母」がこの地上に出現したからだ。「真の父母」といえば、そこには「独生子」「独生女」が含まれたそ存在(完成した四位基台)だからである。原理講論には「真の父母」がいくつあるのか気になってきたので調べてみた。創造原理 人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。堕落論しかしながら、隠されているこの罪の根はいかなる人間も知ることができないもので、ただ人間の根として、また、真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができるのである。人類歴史の終末論キリスト論で述べるように、イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られたのである。それゆえに、日と月はイエスと聖霊を象徴しているのであり、星は子女に該当するキリスト教徒たちを象徴しているのである。キリスト論特にイエスは人類を新たに生み直してくださる真の父母として来られる方であるから、その点から見ても、人間として降臨なさらなければならないのである。したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国は成就されたはずであった。父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。後編・緒論ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)①)。モーセとイエスを中心とする復帰摂理以上のような三つの権能を行われたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.10
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「 お父様が無原罪である証明 珍解答」、『真の父母様生涯路程 1』記載のそれは、実は1年ほど前にすでに当ブログで紹介していたものだった。ここで、『再臨主の位置--原理講論から整理を!!』を再掲載する理由は、再臨主の位置が初臨のイエス様の使命を継承したものであって初臨の時のイエス様と同様に来るような錯覚で、もしやお父様を見られ、また、お母様「独生女」を既成概念でもって受け入れられない方々に改めて原理講論に書かれた再臨主の位置を確認していただくためのものである。モーセからヨシュアがそうであったように、ヨシュアも中心人物としてモーセの後を継承するうえで何らかの蕩減条件があった。再臨主はそのヨシュアに匹敵する。まったくの初めからではなかったことをだ。【以下に再掲載】第三節 イエスを中心とする復帰摂理(一) 第一次世界的カナン復帰路程 (1) 信 仰 基 台(2) 実 体 基 台(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗(二) 第二次世界的カナン復帰路程 (1) 信 仰 基 台 ① イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する ② イエスの荒野四十日の断食祈祷と三大試練 ③ 四十日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果(2) 実 体 基 台(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗(三) 第三次世界的カナン復帰路程 (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 ① 霊的な信仰基台 ② 霊的な実体基台 ③ メシヤのための霊的な基台 ④ 霊的カナン復帰(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。第三次民族的カナン復帰路程において、モーセのときには、磐石を中心とする「出発のための摂理」をするようになっていたのであるが、ヨシュアのときには、磐石よりももっと内的なそのわき水を中心とする「出発のための摂理」をされたのであった。これと同じく、イエスも初臨のときには奇跡をもって「出発のための摂理」をされたが、再臨のときには、それが内的なものとなった、み言を中心として「出発のための摂理」をされるのである。なぜなら、既に前編第三章第三節(二)において論及したように、み言をもって創造された人間が(ヨハネ一・3)、堕落によってみ言の目的を成就することができなかったのであるから、神はこの目的を再び完遂なさるためには、「み言」の外的な条件を立てて復帰摂理をなさり、摂理歴史の終末に至って、「み言」の実体であられるイエス(ヨハネ一・14)を再び送られて、「み言」を中心とする救いの摂理をなさらなければならないからである。神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(前編第二章参照)。それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。先に論じたように、堕落して殺戮行為をほしいままにしたアダム家庭は、神との関係を断たれてしまったのである。しかし、ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。それゆえに、イエス以後の霊的復帰摂理は、あたかも神が霊界を先に創造されたように、そのようなかたちの霊的世界を、先に復帰していかれるのであるから、我々堕落人間はまだ、霊的にのみしか、神の対象として立つことができないのである。したがって、いくら信仰の篤いキリスト教信徒でも肉的に継承されてきた原罪を清算することができないままでいるので、サタンの血統を離脱できなかったという点においては、旧約時代の信徒たちと何ら異なるところがないのである(前編第四章第一節(四))。このように、キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。かつてパウロが、聖霊の最初の実をもっている私たち自身も、嘆いて養子とせられんことを待ち望んでいると言った理由も、実はここにあったのである(ロマ八・23)。それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。それゆえに、イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。神は、将来、イエスが誕生されて、天国建設の目的をいちはやく成就させるために、第一イスラエル選民を立てることによってその土台を準備されたのであったが、彼らがそれに逆らったので、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立てられたように、もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2018.10.08
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http://www.localsegye.co.kr/news/newsview.php?ncode=1065592491453339檀紀4351年建国超宗教式典で盛大に開かれ3日慶北青島檀君神殿でデジョンの天理教、世界平和統一家庭連合など<中 略>3部超宗教祝福の儀式は、義ユンジョン韓国宗教協議会事務総長の司会でソンジュンフイ教授(私たちの文化宣揚)、イウォンオ教務長(天理教)、バクヨウンベ地区長(世界平和統一家庭連合)のジプリェに行われた。家庭連合バクヨウンベ地区長の挙式辞を介して「デジョン、の天理教、家庭連合の3つの宗団が一つになった中で、真の家庭祝福式を挙行することにより、南北統一と世界平和のための新しい時代を開いていく重要な契機となった」とし「今後、各終端が力を集め、平和な世界を作っていく先導的な役割をしていこう」と付け加えた。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.03
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『「家庭連合」の研究』の『とうごまとヨナ氏』(以下、とうごま氏)は、聖書のヨナ書を文字ってのハンドルネームのようだが、ニネベの王を始めとして全ての人々が悔い改めたため天はそのニネベを滅ぼさなかったという話だ。ヨナはニネベが滅びるのを見学しようとしたが、自分に日陰を提供していた「とうごま」が枯れてしまい神様に不平をぶつけた。同じく、今回は三日間修練会で悔い改め、お母様と一体となることでニネベ(家庭連合)は滅びることなくトウゴマが枯れるのを予見されてのこのハンドルネームということになる。今回のとうごま氏の以下ブログ記事にしても然り。なぜ「韓鶴子総裁」は使命を失敗したのか。(旧約聖書「ルツ記」研究)https://www.kateirengou.jp/entry/2018/09/27/003031旧約聖書「ルツ記」を引き合いに出しながらお母様を使命の失敗者に仕立て上げようとしていた。内容は恣意的な解釈からのものであり、クリスチャンが聞けば先ずは拒絶反応を示すはずだ。エリメレクの妻『「ナオミ」の信仰と切実な祈り(聖書に記述はありませんが。)』もまた、彼の妄想に過ぎない。妻ナオミはエリメレクや二人の息子が亡くなった後故郷のベツレヘムに帰ろうとし、二人の嫁にも自分たちの故郷モアブに帰ることを勧める。ところが、そのナオミの元を離れようとしなかったのが「ルツ」であった。ベツレヘムに帰ったところで何がどうなるとも分からない中にただ「主」への絶対信仰を「ルツ」は貫いたのだ。彼のいうナオミの信仰(?)、それは私tomy4509には理解できない。旧約聖書の「ルツ記」、イスラエル民族が異邦人モアブの娘「ルツ」の名を聖書に記すこと自体が並々ならぬことである。それほどに「ルツ」の絶対信仰が聖書に語り継がれるほどであったということだ。もしも、とうごま氏がそこからダビデやソロモン、イエス・キリストが誕生してきた血統というぐらいに見ているするならば、考えを変えるべきではなかろうか。さて、聖書自体は男性の系図を中心として書かれたものであるが、いざ、血統の転換点ともなれば女性の名が必ず出てくる。人間始祖アダム・エバの時はエバ(善悪知るの木)の「絶対信仰」が問われた。ノアおじいさんの時はどうか? 妻の名前すら出てこない。お父様は、ノアの妻は悪女だったと語られていた。彼女にもノアのような信仰があったならば、ノアが「信仰の祖」として讃えられていただろう。「信仰の祖」となったのは、アブラハムだった。そこには妻・サライの絶対信仰があった。自らの生命も顧みずアブラハム(の血統)を守ろうとした。アブラハムの息子イサクの妻・リベカもまた、絶対信仰の持ち主であったことは言うまでもない。夫イサクを騙してヤコブが祝福されるよう導いた。ヤコブの妻レア・ラケルも然りだ。タマルについてもお父様が胎中でのアベル・カインの逆転を語られていた。タマルも天の血統を重んじて義父・ユダと関係を持った。そして、異邦人の「ルツ記」だ。私の過去記事ではダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)についての奇怪な聖書の記述を紹介していた。独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について以下に引用。今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。サムエル記下/ 11章 01節~5節 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。ダビデの家来ウリヤ(天使長)の妻バテシバを天の側の妻として復帰した象徴となったのではないか? とも考えられる。マタイ伝1章のイエス様の系図にもウリヤの妻(バテシバ)は登場していたが、これもまた将来イエス様が誕生するうえでの条件的基台となったとすればだ。マリヤも天への「絶対信仰」でイエス様を身ごもった。こんにち、お母様も「絶対信仰」のお方だ。果たして「独生女」が容易な道であるか、考えてみれば分かる話である。人類の母として立つにおいて、お父様とともに地獄のようなところへも行かれた。 皆さんが絶対信仰、絶対愛、絶対従順するその基準を立てることによって、創造前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上で立てられたすべてのものが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従する群れと、いつでも心情が通じるようになるのです。血族が同じになるのです。分かりますか。 ですから、アダムとエバが堕落していなかったならば、そのように連結されていたのです。堕落することによって、…(ファミリー 2004/11月号、P.9)とうごま氏のハンドルネームの由来について別の説も考えられる。血統(とう)を誤魔(ごま)化す真の父母様は堕落前のアダム・エバ、(天から)同じ一つの血統であり、その父母様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従する群れ(祝福家庭)と、いつでも心情が通じるようになるのです。血族が同じになるのです。分かりますか!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.09.28
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ファミリー 2004/11月号から。アダム自体が、十六歳までは真の父母の血統を持っていましたが、それ以降は、(堕落によって)すべて引っ繰り返してなくしてしまいました。ですから、十六歳のときに、先生が霊界と一致して歩んできたのです。イエス様の時は、マリヤの絶対信仰によってイエス様を誕生させることが出来た。再臨主のときは、イエス様を誕生させた基台があっても十六歳まではサタンも侵入する条件があったからだ、ということか?よって、お父様が十六歳になって「霊界と一致」されて出発されたのでは。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.09.24
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ブログ村の「独生女」批判は、もはや批判のための批判、誹謗中傷の何物でもないようだ。これまではお母様直接ではなく、誰かが挙げた論文などを指しては「独生女理論」「独生女論」などといってはそれの批判を繰り返していたが、こんにちのブログ村では「独生女批判理論」を見ることが出来ない。当ブログでも、お父様が語られた「独生女」、つまりは元祖「独生女論」の批判はされないのか? と問うたりもしていた。栄養学の博士は今どこに?最近のブログ村を見ても「独生女」を挙げて批判めいたことを書かれているが、お父様が語られた「独生女」、お父様はデタラメを祝福家庭に教えておられたというのかを改めて問いたい。コスモスさん、cocoaさん、「お父さん」ブログ、ほかの皆さんはどうなのか。万が一そうだとするならば、お母様批判をされておられる子女様方が正しいことを語っておられるとでも?さて、お父様のみ言で「独生女」を語り始められたのは1959年10月11日、「神様の独り子イエス様がこの地の上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために独り娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です」これから数ヶ月のちに父母様の「子羊の婚宴」(聖婚式)があった。「独生子」「独生女」が出会ってされたものだ。批判されている方々はこれを認めないのか?三人目のアダムが堕落前のアダムとして来て、堕落前のエバを捜し出さなければなりません。堕落していないエバを捜し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。お父様が「堕落前のエバ」とも語られていた。これを見ようともされない。ところで、聖婚後の1966年5月1日に『原理講論』初版が出された。この原理講論には「独生女」などのひと言も書かれていなかった。しかしながら、この原理講論にも主人があること(証ししたものであること)をお父様以外に誰が知り得ただろうか。『ファミリー 2009/1月号』に『「原理本体論」について』お父様が語られたみ言から。かかしに頼って生きるのではありません。鳥も、行き来する主人が来れば逃げていかなければなりません。逃げずに主人になろうと史吉子さんも考えるでしょう? 「本体」である真のお母様以上の位置に……と、原理講論を執筆された劉孝元教会長の史吉子夫人に原理講論の主人が誰なのか語られていた。また、「(原理)講論」の時は女性が先頭に立ちました。真のお母様が出てくるでしょう?これもお父様が語られたみ言、原理講論の中に「お母様」と出会われた方はどれだけおられるか。お母様の「独生女」が間違っていると批判されるならば、「原理講論」は間違っている!!お父様は間違っている!!とブログ記事で書かれれば、「ハッキリとする」というものだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.09.22
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以下の命題については過去にもブログ村にも上ったものだ。真のお母様が真のお父様と一体になっているとは、お父様のことを一切、言及しないことなのか?http://broncos.blog.jp/archives/77018069.htmlお母様とお父様が完全に一体となっており、お父様はお母様に全て託されているのであるとし、従って、お母様がお父様のことを言及しなくても特段、不思議ではないとする。家庭連合も同様の見解と思われる。 一体となっているとはそういうことなのだろうか。……これに関しては当ブログでは「真のお母様はお父様と一体であるので語る必要がない!!」との意見を申し上げていた。つまりは、さて、フレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」をご存知の方は少ないと思う。この名前は自叙伝『平和を愛する世界人として』のあとがき(P.348)にも出てくる(以下)。(略。詳細はこちら)私は教会へ来て間もない時で、この本を購入した。一生懸命に読んだかといえば、本を買っては積読(ツンドク)の私であったから1/4は読んだだろうか? その中でも私に残っている内容がある。ソンターク博士が文鮮明総裁とインタビューをしての印象について書いたものだ。米国で牧師に会えばやたらに「神様」という言葉が出てくる。ところが、文総裁とのインタビューではそれがなかったという。それがかえって、神様を近くに感じたという話だ。言葉を換えてみよう。お母様(真の御父母様)の場合は、(A)が(A')について語らないのではない。(A)と(A')が一体となっているから(B)に語る必要がないのである。 である。それでは逆の場合も考えてみよう。お父様の説教集の中でどれだけ「お母様」について語られていただろうか? である。み言の中には「真の父母」は限りなく見かけることが出来るが、「お父様」「お母様」が合わさったものが「真の父母」ということだ。お父様が「真の父母」と語られるとき、「お父様」だけでなく「お母様」も影のように(この表現は正しくない。『正午定着』だ。)ついてまわるものだ。同様に、こんにちお母様が「真の父母」と語れば、当然のことながら「お父様」もそこに居られるというものだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.09.20
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真の父母様宣布文サイトから。https://trueparents.jp/?page_id=4315 この秩序は、2008年4月6日、第49回「真の父母の日」に、ハワイにおいて「真の母およびアベル・カイン一体化の特別式」を挙行されたときと同じ立ち位置です。すなわち真のお母様を真ん中に顯進様、國進様を両脇に立てられ、互いに手を繋ぐように指示されました。【写真参照】 お父様はそのハワイの式典で、次のように語られました。 「あなたたちカインとアベルがお母様の言葉に絶対服従しなければなりません。……あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です。ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いていくのを見れば、後ろから付いていって殺したい思いが出てきます。あなたたちに、我知らずそのような思いが出てくるというのです」(「ファミリー」2008年6月号、30ページ)お父様が子女様方を前にして語られた「絶対服従」です。このように、子女様方が相争うことでお父様がご苦労され、また、こんにちではお母様も隅に追いやろうとしています。お父様の語られた「絶対服従」、その前提には「絶対信仰」「絶対愛」があります。人間始祖アダムエバは、本来誰の言葉に耳を傾け聞き従わなければなりませんでしたか?真の父母様も「絶対信仰」「絶対愛」「絶対従順」の道を開拓して八段階の峠を越えられました。では、私たちはそれをしなくてもよい、とお考えですか。家庭連合を批判されるブロガーの皆様方は「絶対信仰」「絶対愛」「絶対従順」を否定的に見られているようですが。子女様方は上記のお父様の「絶対従順」に耳を貸されたのでしょうか。「父母を殺した元凶」となってはいませんか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.09.20
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韓国ニュース検索から。クリスチャン韓国新聞(2018-09-14)http://www.cknews.co.kr/news/articleView.html?idxno=13091家庭の解体は、すぐに同性愛など社会的な問題生じ結婚、神の創造の摂理であり、最も偉大で美しい贈り物結婚は神の偉大な創造ギフト数年の間に韓国教会の中で同性愛をはじめとする差別禁止法、人権法などをめぐり議論を行ってきたし、今も行っている。最近では、東仁川駅グァンジョンで警察が同性愛集会反対牧師にカフ連行する事態まで起きた。同性愛は明らかに神の創造ギフトの結婚から離脱するものであり、反道徳的であることは間違いない事実である。韓国教会が一斉に同性愛反対運動を繰り広げる理由も、同性愛は神の創造の摂理で離脱したためである。これは創世記2章18-25節に明らかに記録されている。「主なる神は言われた人が一人でいるのは良くないので、私は彼のために、ふさわしい助け手をかであろう下さっ主なる神は土で、様々な獣、空の様々な鳥を造らアダムは何だと呼ぶご覧うそれらを彼に導いて可視君アダムが各生物を呼ぶことがすぐにその名がされていたよ、アダムがすべての家畜、空の鳥とのすべての獣に名前を与えなく、アダムが助け手がないため、主なる神はアダムを深く眠らせハシニ眠れ枚彼はあばら骨一つを取って肉の代わりに満たされ、主なる神は人から取っそのあばら骨で女を造り、彼はアダムのところに導いて自分の足で、アダムが言っこれはわたしの骨のピョヨの肉の肉と、これを人から取りましウンジュク女性と呼ぶであろうとおりであるそれで人が親を離れて 彼の妻と合わせて二人は一体となるジロダアダムと彼の妻の二人が裸だった恥としないのとおりである"キリスト教が仏教や、道教と異なるのは自我を失うことなく、和解と一致を達成しようというものである。すべての宗教は、誰もが自分を完全に受け入れられ、相手を完全に受け入れていただくを目的憧れ、すべての人の生活の底には、根源的な合一への渇望を満たすうとする。仏教は、自分の欲望、怒り、愚かさから抜け出して無私の境地に至って、万物の一つれようとし、道教は人為的な生活から抜け出し、自然と合一して、動画になろう生活をする。しかし、キリスト教は、真の合一を追求する。人間と神との間に阻まれた壁を崩し、人間と人間の間に阻まれた壁を崩し、和解を成し遂げようとする。味わい深い状態や、トランスの合一に至るのではなく、私の神、私の隣人との関係と交わりの中で合一を達成しようとしていることが他の宗教と異なっている。徹底的にキリスト教は重量の中心を神に置いて、近所の人と共有する。神は、人間の生命の中に性的欲望を与えた。これは、男性と女性が一つになろう渇望である。この渇望は、子供、生命を産みとして実現される。子供を通した男性と女性は、一つになる。男性と女性が一つに結合される結婚は神の創造ギフトである。創世記2章18-25節の御言葉に男女間の愛と結婚は神の祝福であり、偉大な贈り物であるという事実がよく現れている。このような神の祝福であり、贈り物をいくつかの人間が自分に閉じ込められて拒否しているというのに示唆するところが大きい。神はアダムのことを得るペアを作ってもらおうと獣と空の鳥、家畜を土に仕込んした。そしてアダムを通じて名前を作るようにした。名前を付け名前を呼ぶのは、お互いの関係を結び、意思を疎通することをいう。私たちが結婚して子供を生み、名前を付けてくれる理由も、親子、親子、母子間、モニョガンの関係を結んで意思を疎通し、家族という垣根の中で生命の紐を継続するためである。お母さんが子供を胸に抱き、乳を物理理由も、お互いの関係を結び、意思を疎通するための生命の紐である。したがって、任意の詩人は、母親の乳首を「生命の乳与える」と言った。そう、すべての人間は、お互いに関係を結び、意思を疎通し、共に生きていく。神の創造の偉大な贈り物である結婚も同様である。お互い知らなかった男性と女性が出会い、結婚して、家庭を設けて、子供を産んで命を継続する。アダムは獣の名前は建ててくれて、愛情をソトアトジが、ペアを見つけられなかった。獣は人間のペアになることがない。お互いを理解し、人を交わす関係がアダムと獣の間で形成されることはなかった。ところで、今日の人間が堕落しつつ、獣を愛し、同性愛を負いません。 ▲ソウル市庁前広場で引き裂か祭りが真っ最中の中で大漢門広場で同性愛クィアフェスティバル反対国民大会が開かれ、同性愛反対の声を高めた。 「親の限りない愛(アカフェ)を代わりにすることが大好き人間社会のどこにもない」男女合一性的欲求を超え、人類種の維持と人類の生命維持の手段人間関係の中でのコミュニケーション最近公園や通りにペットとして溢れている。これは、真の人間関係がトゥルオジン結果として解釈される。人間は隣人との関係が失われ、破壊されたため、真の人間関係を成すことができない。ため病的にペットに執着する風潮が私たちの社会に定住した。動物を愛することは良いことである。しかし、近所の人との関係を断絶し、ペットに執着するのは間違ってもしばらく間違った。アダムは獣からペアを見つけることができなかった。自我を喪失して近所の人と断絶されて孤独に生きていく現代人は犬小屋に暖房と冷房装置をしておいて、ペットが病気になったら車で病院に行く。つの頭部にパーマまでしてくれる。そんな誠意と努力を苦しむ隣人にこぼさないのは近所の人にのぼる社会的通路、関係が断絶されて、人の心に病がして、人間性が破壊されたからである。獣を愛し、すべての心を注ぐ一部の人々は、「人は裏切りも、獣は裏切らない」と自己合理化させる。神は獣が、アダムの伴侶になることがなかったので、アダムの肋骨を抜いて女性を作ってくれた。これはエバがアダムと同じ人間で作られたということを意味する。すべての獣は、土壌に作られた。アダムさえ土で作られたが、エバだけ胸の肋骨に造られた。一言で男と女はお互いの心を送受信できる人間に作られた。女性が男性に従属されるのではなく、人間は誰でも平等であることを物語るものである。神が作った女性を見てみようアダムは叫んだ。「いよいよ表示ナトグナ!私の骨から出てきたピョヨ。私の肉から出てきた肉だな」アダムは、数多くの動物たちから発見することができなかった仲間を女性から初めて発見することができた。獣は距離があり、他の存在だった。アダムは私と同じ存在、全く会話が通じて、お互いに理解し、共感できる人間をイブから訪れた。神はアダムにぴったりの存在、アダムの好みの人間を作ってペアで結ばてくださった。ため、男性と女性が出会い、結婚して、子供を産むことは、神の創造の贈り物であり、創造の秩序に属する。キリスト教界が一斉に同性愛に反対する理由はまさにここにあるのだ。ほとんどの聖職者たちは、同性愛に反対する。国民も理解していができない。誰もが、原則的に同性愛に反対する。しかし、それらをあわれみが思って、彼らは行く途中に転じることができるように救いの手を差し伸べをできずにいる。問題は、韓国の教会が同性愛をはじめとする差別禁止法、人権法を政治的に利用するのに問題がある。進歩的な人や、保守的な人すべては、原則として同性愛に反対することは明らかである。また、保守的な韓国の教会は、まるで世界基督教協議会と韓国キリスト教教会協議会が同性愛を支持するように糊塗することもある。それは明らかに間違ってアルゴソする言葉だ。世界基督教協議会は教団加入団体で、全会員教団が合一に達しなければ、同性愛を支持することができない。この団体に加入しているロシア正教会は同性愛を明らかに反対するという事実。韓国キリスト教教会協議会も韓国教会の情緒上同性愛を支持することができない。同性愛、政治的に利用しないでください男女間の一つである本能的な渇望は、喜びを満たすのか分からないが、人類の種を維持するための手段であり、人類の生命を維持する手段である。男女の愛情は死よりも濃い。だから男女間の愛情が冷めたら、自殺したり、殺害する。すべての若者が互いに出会い、結婚をして、息子と娘を生産することで、死を超え命を乗せて運ぶ。だから男女の愛は線で美しい。これは、神の創造の摂理に属し、決して恥ずかしいことではない。神の摂理に属するため、保守的な韓国の教会は、長年にわたって同性愛と差別禁止法、人権法を積極的に反対してきたし、今も反対している。人類が堕落した後、所有と支配欲が生じつつ、男女の愛、セックスは恥ずかしいこと、醜いものになった。堕落する前に裸で過ごしても、恥を知らなかった。堕落した後、恥ずかしくイチジクの葉で前を指しだった。今日の男女は、自分自身を全面的にさらし、相手を完全に受け入れる時代ではない。相手を評価し、比較して疑って、自分自身を隠す。ひたむきは消え、私の心は深い分裂と葛藤に陥る。これはすぐに男女の関係が継続的に維持しにくくする。結婚は十分にそろって豊かにしてくれる。しかし、結婚生活を美しく完全に維持してくれるような時代ではない。今日のような現代社会は、女性の生活能力が強くなり、結婚生活を避ける。また、結婚をしたとしても、結婚生活を継続することが難しくなった。命を乗せて運ぶダムジジャとしての役割を喪失したものである。今大韓民国も離婚が流行のようになってしまった。家を支えてくれる第3の紐が切れたが、私はあなたに心を与え、あなたの心を取ることは理由が全くないということだ。昔の封建時代は一度夫婦の縁を結べば、死に割れ前別れることがなかった。寿命を極めた李氏朝鮮時代にしても「離婚」という言葉がなかった。昔農耕時代は夫婦が一日中一緒に田畑で仕事をしなければなら家族の生計を担うことができた。一言で夫婦が完全な生命共同体であった。妻は編み、縫製して、夫と子供の服を作らなければならし、ご飯を余儀なくされた。夫を屋根をする必要がありし、木をして来なければならなかった。暮らすために互いに欠かせない大切な存在だった。しかし、今日の現代社会は、夫婦が一緒に過ごす時間が非常に短くなった。一日中、他の人と生活している途中、夜のみの顔をにおいて、寝て、翌日の朝早く職場にしていく。さらに、家を支えてくれる強力な力になった宗教や、道徳の力も無力になった。命を運ぶ子供の生産も避けている。これは韓国の離婚率が急増して作る原因になった。伝統社会が崩れ、神の創造の摂理で離脱しつつ、人間の生活の基礎であると仮定が揺れ、割れて、破壊されている。それでも愛を学ぶことができるところは家である。教会は、すでにマンモンとバーベルに飼いならされた残りの愛を教えるところではない。親の限りない愛を代わりにすることが愛は人類社会のどこにもない。自分の弱点と秘密を気兼ねなく表わすことができるところも家である。家庭で服をフルロドン脱ぎ捨て裸であっても、誰が何と言わない。自分を出して任せることができるところ、一人を完全に受け入れ、愛することができるのは家である。これは、神の創造の摂理であり、偉大な贈り物です。また、家庭では、男性と女性が完全に一致と合一をなす。家庭、神の国の基礎だから聖書はいくら難しく大変でも家庭だけ守らなければならないとの教訓である。生活のリズム、思考、感覚を互いに調整し、当てる家庭の平和はもちろん、健康な社会を構築するのに寄与することができる。私自身の重さの中心を相手にべきである。自分の基準を持っていると思うし、家庭の平安はない。男女が同一線上で直接ぶつかると明らかにコミュニティは割れる。このような中で、子供たちは道を失ってさまよう。家庭の解体により、継母と新しいお父さんによって多くの子供たちが殺された。そして、多くの子供たちが非行になって、今日も街をさまよっている。神の被造物である人間は皆、健康、家庭、神の創造の摂理に参加しなければならない。しかし、世界はそれほど余裕はない。今日のクリスチャンは家を守ってくれることができる第3の桁の重要性を隣人に力説しなければならない。キーでケゴルは一生一人の女性を愛することができない婚約者と破談した。そして、彼が到達した結論は、「人間と人間の間にキリストが仲介となる場合にのみ、真の愛が可能だ」とした。朴正煕軍事独裁政権時代の国民啓蒙運動を全国的に展開した避妊は人口崖と結果を生み出した。健康、家庭、健康、結婚だけが、これを克服することができる。家族の数が減り、家族の重要性を失った。結婚の重要性もあまり感じていない。人口が延々と減っている今日の状況では、政府の対策はわずかである。今日の若い男女はお金さえあれば食べて生きることが解決されるため、あえて家庭に掛かる必要がないということだ。このような中、人間と人間の間の関係は断絶される。同性を愛し、獣を愛する。ゲイはますます増えている。男女間の愛をして結婚して、あなたと私は合一に至る生活共同体は、今日の人口崖に至った大韓民国の現実では、愛国することであり、神の創造の秩序に参加することである。今日の女性の生活能力強まり、お金があれば、すべてを解決することができる時代が到来しつつ、結婚を避ける。人間を愛するよりもお金を愛している。獣を愛する。同性を愛する。すなわち、神の創造の秩序から離脱して勝手に生きていく。そう子を産んで健康的な家庭を作り、種を保存する時代はもう昔の話になった。韓国教会は遅れ、今でも神の創造摂理であり、偉大な贈り物である家を神の意志と神の国をこの地で実現する基礎になるという事実を教育しなければならない。クリスチャンもそのために努力し、子を塗って正直に、正しい生活をするために愛と生命の大切さを悟らせなければならない。これは豊かな人類の生活を作っていく最も基本的な基盤である。 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2018.09.14
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あるブログ記事を見れば、「一体化してない」は呪いの言葉http://homechurch.blog.fc2.com/blog-entry-640.html顯進様側の弁護士は、UCI財団裁判で勝つために必要な証言を確保したと思われます。ところが一連のやり取りには、顯進様にとって残念な内容が含まれていました。<以下省略>ところで、「一体化していない」はお母様の語られたみ言か? といえば決してそうではない。原理的観点からは「アベル・カインの一体化」ということはよく耳にすることだが。お母様のみ言からは、「ウリヌンハナダ」である。これは言葉を変えれば、お父様が語られていた「正午定着」にもつながるものであることは言うまでもないことだ。弁護士は家庭盟誓にもある「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」に言及していたようである。ところが、弁護士は「絶対服従、絶対愛、絶対信仰」その順番を取り換えていた。意図的にそうしているものと思われるが、この順番一つでその意味合いがまったく違ったものになる。お母様が子女様方や信徒を「奴隷」のように見ておられるかのような印象を与えようとしているようだ。現に家庭連合を批判されているブログ記事を見れば、まさに、これまでの自分たちの信仰が「主従関係」でしかなかったといった思いしかなく、それに対しての不平不満(グチ)をばら撒いているようだ。聖書からは神様と人間との関係は、旧約時代はそのような「主従関係」であったが、新約時代、つまりはイエス様が「独り子」として来られることでその関係が少し近しいものとなった。そして、再臨時代を迎え「子羊の婚宴」がなされ、人類の「真の父母」が誕生することで親子関係として結ばれる縁を持つことができるようになった。このように歴史的に見ても神様との関係は「僕の僕」「僕」「養子」……とあるように、個人の(信仰の)成長過程もそうなっているということだ。つまりは、真の父母様との心情の距離とでもいうべきものであろう。「絶対従順、絶対愛、絶対信仰」などといっていてそこから「愛」などというものは出てこない。旧約時代の神様はと言えば畏敬のそれであって、「愛の神様」を語り始めたのはイエス様からだったけど「絶対信仰」-- 私たち夫婦を「真の父母」(再臨主)と信じるか?それが真の父母様が私たち食口に最初に問われたものだ。そこから「祝福」--「絶対愛」が始まり、天の父母様や真の父母様の前に「絶対従順」ということではないか。アダム・エバの時はそれが出来なかった。たった一つの戒めを破ってしまった。ところで、こんにちお母様のみ言「ウリヌンハナダ」は全てを「幸福」にしてくれる魔法のような呪文であると思う。決して私たちに「完全性」を求めているのではない。たとえ幼くても、また、病気やケガなどの痛みを抱えていたとしても「私たちは一つだ」はそれらを包んで余りある「愛」で充満したものであるからだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.09.14
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「火の粉」の暗在さんの翻訳スクープということだが、鬼の首を取ったかのような記事。ところが、それをよくよく読んでみれば、まさに2000年前のイエス様の法廷闘争さながらの展開をお母様はされておられたことが伺える。あなたは独生女、メシヤなのか?と。マタイ福音書26章59節~さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。 そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて、 言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。 すると、大祭司が立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。 すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。 あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」。 それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。マタイ福音書27章11節~さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。 するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。 しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。ルカ福音書22章66節~夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」。イエスは言われた、「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。 また、わたしがたずねても、答えないだろう。 しかし、人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう」。 彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。 すると彼らは言った、「これ以上、なんの証拠がいるか。われわれは直接彼の口から聞いたのだから」。 ヨハネ福音書18章33節~さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。 イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。「あなたは独生女、メシヤであるか?」の問いに真のお母様はハッキリと「ハイ!」と答えられていた。2000年前、12弟子の一人ペテロもその中庭にひっそりと身を隠しその様子をうかがっていた。ところが、夜が明ける前--鳥が鳴く前に三度イエス様を否認してしまった。もしも、こんにちのクリスチャンたちがその場にいればペテロのようにはしなかった、と誰もが口をそろえて言うだろう。もちろん、統一食口(祝福家庭)であれば当然のことである。米国キリスト教会でも真のお母さまを「独生女」と信じる方々が増えてきている。これが2000年前のイエス様当時を彷彿させるものだと知れば火に油を注ぐようなものであり、瞬く間に米国中にその信仰の炎が燃え広がっていくのではなかろうか?!お父様(文総裁)の米国での脱税容疑での裁判がそうであったように。ここでもう一つ確認しておかなけばならないことは、お母様が裁判所の証人席に立たれたということだ。UCI裁判が誰々が勝手に始めたものではなく、宣布文のごとく「私はすでにUCIを取り戻すように指示したのであり、このためにまず裁判所に提起した法的措置は、天宙に責任を持った私本人が許可したことであり、その内容は今も全面的に有効である。しかし、私のこの指示に従うならば、法的訴訟を即刻中止させるものである。」を追認したものであった。暗在さんの証言記録(一部)の公開が指し示したものは、こういうことだ。お母様と一つとなっていれば天運がある、奇跡が起きる、それを見るのはペテロの立場でか? それとも「ウリヌンハナダ」? ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.09.08
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『全体を見ない「独生女」「清平」批判』ということで、これまでNo.1~No3まで書いてきて分かるように、それらを批判される方々が挙げるお父様のみ言(切り出し文)とその実際に語られた内容とでは大きな違いがあることに気づかれたことと思う。それに対して、kimuchi氏は「訂正文」を書かれようとはしないだろうか?プームチャイさんの過去記事まで引用していたが、その全てが空を切った(お父様の真意とはかけはなれたものであった)。これまで私tomy4509と関わった人物では、gildong氏の文総裁聖和式最中での「サムネールねつ造事件」があり、自称ルポライター「火の粉」のデマ記事「ヘドロシリーズ」があり、チャレンジャー・ヨンギ氏の「まるバツクイズ」もある。彼らは私から明らかな間違いの事実(証拠)の提示にも拘わらずその「訂正」には一切応じようともして来なかった。そして、プームチャイさんもまた、その一人であった。「真の父母様宣布文」は嘘? 本当? (その2)-- プームチャイさん記事から「真の父母様宣布文」は嘘? 本当? (その3)-- プームチャイさん、再確認です彼はこの記事コメント欄で以下のように書き残していた。奇知外記さん2度も記事を取り上げて下さり、ありがとうございます。まず記事の訂正ですが、訂正の必要はないと考えています。私は顕進様を支持する立場ですが、記事の趣旨は食口一人ひとりがお父様の真意を考えるように促すことです。先輩がその趣旨をくみ取って、こうやって考察して下さったことを有り難く思います。あとは記事を見る読者各自が、自分の目で見て考えて判断すれば良いことです。私の記事のコメント欄に「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」で語られた4つの指示事項を追記しました。映像で語られるお父様の姿を見ながら、食口がより深く考えてくださることを願っています。さてkimuchi氏、あなたも今回が最初ではない。キムチ氏、「改ざん」か「改悪」か?kimuchi氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!ほか今回もまた、兄弟姉妹に「毒をもって死の道へ誘おう」とされるのか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.08.23
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全体を見ない「独生女」「清平」批判(その1)でkimuchi氏が引用していた引用真の父母が「清平に集まってはならない。」といえば集ってはいけません。以下(略)(ファミリー2002/2 P32 第35回「真の神の日」記念礼拝)に対して私tomy4509からはまた、「2002・1/1日 第35回「真の神の日」ファミリー32頁ほか詳細に説明」はファミリー2002年2月号のP.32に出ていたが、全体を読んでみればお父様のみ言は「清平に集まるな。」といった命令ではなく、むしろ、清平は誰が建てたのかと言及されながらも興進様の名を挙げており、その後は「興進様の霊界メッセージ」の訓読に何度も中断させながらみ言を語られておられた。その中には「お母様なしにはお父様もない」といった本体論同様のことも語られていた。の一文を書いていたが、kimuchiはファミリー2002年2月号を読まれなかったのだろうか?tomy4509が『全体を見ない「独生女」「清平」批判(その2)』で挙げた「天総監 文興進様」からの引用を「補足」されるともにその年代を列記されてのち、2002年1月の神の日のみ言を再度挙げておられたが。私の引用は2000年以前のものであり古いものだから関係ない、2002年が新しいと言いたげに書かれていたようだ。では、このお父様の『清平に集まってはならない。』は命令としてか? あるいは、譬えとしてか?これをkimuchi氏は確認しておられるのか、と言いたい。切り出し文をそのままに信じれば「地獄行」間違いなし。ファミリー本文からは、霊界の聖賢たちは神様の命令で「集まりなさい」といえば誰一人も欠けることなく集まるというのであり、この地上でも父母様が「集まるな」といえば「集まるな」であり、「清平に集まれ」といえば集まらなければならないと。知って「悟りなさい」と言われていたのだ。年代を挙げられるのであれば、「文鮮明先生み言選集314巻」からというみ言はいつ語られたものかの確認も当然されておられることと思う、 2000年1月、「第17回愛勝日」に語られたものであり、【文鮮明先生み言選集314巻より】清平は興進様の役事 金孝南女史の役事ではない!!2000年以前の『天総監 文興進様』引用文を2000年1月のそれでも再確認することが出来たということであり、訓母様が居られないからといって清平役事を否定する何ものもないことをkimuchi氏自身も立証されていたに過ぎない。kimuchi氏、お疲れ様。さらに続けて言わせていただくならば、この2000年9月には興進様に父母様から「祝福権委譲」がなされ、清平がより重要な役割を果たすこととなった。kimuchi氏、以下引用についても私が書かなけらばならないか?「天城王倫(臨)宮殿」の名前を中心として、”人(の肉眼)を信じてはいけないというのです”。(天の国の金城鉄壁のごとき城をつくって、サタンの侵犯から抜け出す解放の城をつくられた神様を王とし、その王を中心として(霊界の)七百億の祝福家庭を中心とし、地上の四億三千万家庭を中心として……。これは三十二億を超えます。(以下略)…)サタン世界は、すべて逆さまに回っていた世界です。自分を中心とした堕落世界。そのように、個人主義を中心とした堕落世界(、自己主張する世界が)堕落世界です。(ファミリー2000/1、P29 第40回「真の子女の日」記念礼拝)まずは、「倫」は誤字としても引用文そのものに抜けた文(赤字)が確認された。その点で文章の正確性を欠くものとなっていたことを申し上げておく。さて、ヒントは同ファミリーP.21に同じく「天城王臨宮殿」が出てくる。私たちが目にしている清平のそれが全てではないということだ。本来ならば「それは、百倍、千倍にもなるものです。さらに、万世の国家に宮殿の分室をつくり、天の国の本部にまでなる宮殿をつくっていたのです。」と。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.08.21
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kimichi氏のブログ記事、「清平」「独生女」批判記事に対して「全体を見ない「独生女」「清平」批判 」を書いたが、次のそれも同じ。『清平摂理に対するアボジとオモニの相違点とは?』https://kimuchi.muragon.com/entry/531.html「文鮮明先生み言選集314巻」のみ言を挙げての批判だが、清平役事は大母様(訓母様)でもなく興進様がされておられることはほかのみ言からも多く発見することができる(book『天総官 文興進様』参照)。訓母様が居られない清平役事は、こんにちでは興進様もされないというものでもない。kimuchi氏が訓母様を否定してみたところで、興進様がされる清平役事は変わらずということだ。また、清平聖地の建物までも語られていたみ言もある。以下は『天総官 文興進様』からの引用。 この清平の聖地は、私を中心としては忘れることのできない所です。現在建てたこの修練所を中心として、今から三十年前、誰も知り得ない統一教会という小さな教団をつくり、世界的な摂理史において、世界万民があがめることのできる超宗教的かつ超理想的な基地をここに造るだけでなく、今後、世界のすべての人々が一つの故郷の地としてあがめ得る所だと心で考え、発表したのです。 今、その三十年前を考えれば感慨深いです。それゆえに、この清平の地は、できれば世界の祖国、故郷の地、全人類の心情的故郷の地にならなければなりません。 天地があがめることのできる勝利的創造理想を完成させ、天地が連結されて神様の心情をこの地の上で発表して解怨成就できる所になるだけでなく、世界の故郷の地として備えることのできる偉大な地として祈祷してきた事実が、今、本格的に出発できる時点に到達したことを考えるとき、感慨無量です。(二八二-四五、一九九七・三・一〇) 物事を総体的に総合でき、心情的なことを総体的に再建し、未来の発展的要因の動機とすることができるこの基地こそ、驚くべき基地だということを理解して、清平を念頭において祈祷してあげ、ここで役事される大母様と忠母様、大兄様と興進君に対しても、祈祷する心と精誠を尽くすことが彼らに劣らないようにしなければなりません。 そのような世界的開門時代が成し遂げられるという事実を理解し、各家庭において、ここで精誠を尽くすすべての食口以上に精誠を尽くすことにより、その家庭から国家に天運を拡大する運動までも成し遂げられることを知らなければなりません。清平で役事する霊界のすべての先祖と、現在ここで精誠を尽くしている先祖たちに負けないように、祝福された家庭が一つになり、一生懸命に精誠を尽くすのです。そのようにすることによって、願われたすべてのことが一足飛びに世界的に拡張されるのです。 このようなことが約束されていることを理解し、より精誠を尽くし、清平を自分たちの故郷、自分個人の故郷だけではなく、一族の故郷、自分の民族と世界の故郷として、ここからつなげて祝福の基台を万民に連結させる先祖となるようにお願いする次第です。(二八二-四九、一九九七・三・一〇) 今建てているこの聖殿は、天国の故郷、地上の国の故郷、人類始祖の失敗したことを再び復帰して合わせた所です。故郷の基台を回復し、天国も、地上も、霊界も、肉界も、統一された民族、統一された兄弟として生きることができ、大革命的な時代を成し遂げることができる故郷の根拠地だというのです。そのような所を今から創造するのが清平聖地の建物だということを皆さんは知らなければなりません。 ここに来てみ言を聞き、ここに来て祝賀の内容を知ったので、新しい決心をして、過去の歴史を踏み越え、自分の生涯を踏み越えて、天地の役事を清算する摂理の前で新しい生涯の記録的な事件を残すことができる各自の姿を取り戻し、自覚しなければなりません。 自覚して自立できる自らを、再度成し遂げていく自らを見つめ、喜びを感じることができる出発の基地であることを知らなければなりません。どうぞここで決心したことを世界的に拡大させ、そのすべての内容を各自の国に種として植え、万民全体、自分の民族全体、万国が同じ種の結実を収め得るようにすべきだということが、天の願いであり、私たちに任せられた召命的責任であることを知らなければなりません。アーメン! (二八二-一〇六、一九九七・三・一〇) 今、清平で役事しているのは誰でしょうか。孝南さんを大母様の体に代わって立てておいたのです。これを連結して立てておいたのです。今回のこの期間、母親たちが先生と真の御父母様と一つになることをしなければなりません。それゆえに、大母様が来て、これまでお母様が多くの赤ん坊を産んで体の調子の悪い、このようなすべてのことを……。母親たちと霊界にいる兄まですべて連合して、このことをするのです。(二七一-一〇二、一九九五・八・二三) 皆さんの心、堕落した心もそうでしょう? 自分がどのような者なのかよく知っています。欺くことはできません。すべて知っているのです。立派なふりをしますが、天の霊界に行けば、一〇〇パーセント明らかになるのです。悪いものが先に明らかになります。悪いものを先に清算してこそ、霊界に入っていくのです。そのようにしなくては霊界に入っていくことができません。目を閉じていたとしても、悪いものが明らかになって処断を願うようになるのです。そのようにして、それがなくなる時まで教育を受けなければなりません。修練を受けなければなりません。 猛烈な訓練を受けなければなりません。今、霊界が全体的に、興進君を中心として教育体制をつくるために修練するのです。清平がそのようになっているでしょう? (二八七-二〇三、一九九七・一〇・三〇) 私たち統一教会は、霊界と表裏です。この世のほかの宗教は霊界がどこにあるのか知らずにいますが、私たちは共に生きているのです。今回、真の御父母様の賞を受けた人たちが清平に行けば実感するでしょう。一日自分たちが隠れてひそひそと話したことも、すべて明らかになるのです。天使たちが報告します。そのようになれば、恐ろしくて生きることができません。昔、先生にそのような時代がありました。霊的基準で基盤を築けば、実体の体を用いても霊的なことができるのです。霊界が協助しなくても、私たちは霊界が協肋する以上の立場まで行かなければなりません。天使長世界の協肋を受けてはなりません。私たちの体自体が、霊界で感じるものと同じものを体恤し、地上においても、霊界の協肋がなくても霊界が協肋する以上の立場まで行かなければなりません。(二七六-三一二、一九九六・三・一〇) 宗教の看板を下ろさなければ、家庭、国家、世界の救援圏内に入っていくことができません。それを知るようになっています。個人救援を受けますか、家庭救援を受けますか、氏族救援を受けますか、国家救援を受けますか。それで地上が統一されるので、清平では霊界統一をして解放役事を共に行うのです。ですから、天使たちがサタン世界の悪の天使たちを処理するのです。(二八五-一七五、一九九七・五・一)2 先祖解怨式と清平の役事 なぜ清平に行くのでしょうか。自分自身に霊的に引っ掛かっているものを清算しなければならず、自分の先祖たちをみな解怨しなければなりません。検証を受けなければなりません。興進君が行っています。興進君は、霊界の最高の長子です。興進は誰の弟ですか。興進の兄は孝進でしょう? しかし、興進は孝進よりも兄の立場にいます。興進が最高の兄の立場にいるのです。みな王として侍らなければなりません。(二九九-三〇九)このように、お父様の「夢」を実践しておられるのがどなただと言われるのですか?kimuchi氏ほか、お父様のみ言でもって「清平」を否定することも出来ないでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.08.20
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韓国ニュースから。仏教フォーカス(2018.08.12)。http://www.bulgyofocus.net/news/articleView.html?idxno=79943イスラムの言い訳リュサンテ牧師、宗教的自由政策研究院の代表読者に今日はイスラムを擁護する文をいくつか書きたいと思い。それは私がキリスト教の組織で溶ける受け住んでいた人として、イスラム教徒に借金があると思うからです。キリスト教はイスラムとのルーツが同じ兄弟宗教が歴史的にイスラム世界に多くの犯罪を犯してきました。今の一部のイスラム教徒が犯す暴力とテロは相当部分西欧のキリスト教国に責任があると私は思います。してイスラムが持っている人と癌を客観的に照明しても、過去の歴史で起こったキリスト教とイスラム教の対立についても率直に証言したいと思います。これはクリスチャンとして、イスラム教徒にささげるお詫びもあります。1.イスラムと私の最初の出会い私イスラムという宗教を初めて会ったのは、大学時代の哲学の授業を通した。イスラムに何の関心もなかった<宗教哲学>科目の報告書を提出するためにハングルに翻訳されたコーラン(ハングルの標準語は「コーラン」が、イスラム教徒は、「コーラン」と正確に発音をしたいの「コーラン」と表記する)解説書を読んだ。当時、私はクリスチャンに入門して1年も経たない初心者クリスチャンであり、私は身を置いて活動していたクリスチャンサークルは、キリスト教以外のすべての宗教を悪とみなす極端なコミュニティであった。クリスチャン聖書は一点一画もエラーがない完全な神の言葉であり、イスラム教は悪宗教、コーランは、サタンの本と学んだ。ところが、レポートを提出しなければ単位を娘ができなかったの恐怖を抱えたまま、その「悪の本」を読んだ。そこには、聖書が言って主要人物がほとんどすべてあった。人類の祖先アダムとエバ、信仰の父アブラハム、ノア、モーセ、さらにダビデとソロモンまで登場した。コーランには、取締役(イエス)もあった。当然、イエスを悪の化身で描写することが分かった。私たちは、イスラムとムハンマドを否定するように。しかし、コーランは、イエスを「神のライオン」と述べた。十字架と復活は否定したが、イエスの処女降誕と奇跡は断言した。何よりもコーランの教えに基づいてイスラム教徒がイエスを預言者として尊敬していること、それが分かった。当惑した。聖書は、キリスト教以外の他の宗教を全く認めていないが、コーランは、キリスト教を非常に否定しなかった。私が今まで忘れられない言葉がある。「本当にあなたがたの宗教は一つだ。 "「あなたがたの宗教」とは、唯一神宗教三兄弟を言うことで、イスラムより先に生まれたユダヤ教とキリスト教を含んでいる。その詩に出会った時、私は胸が止まるような衝撃を受けた。多分その時から始まった私の宗教さまようが、今日まで続いたのかも分からない。2.イスラムは平和の宗教か?歴史的に異教徒を接する態度でイスラム、キリスト教より相対的にお前そうだったのは否定できない事実である。イスラムの性格を示す有名な言葉がある。「片手剣、片手コーラン」。この言葉は、イスラム世界では通用しないことだ。クリスチャンが規定したものであるが、半分の真実は含んでいると考えている。クリスチャンは、この言葉を「イスラム教徒を受け入れるとか、死を受け入れるとか選択してください」という意味で解釈する。しかし、「片手に刀をかかっても、他の片手コーランを聞かなければならない。カルマン例えば獣になるから」という言葉を解釈することが真実に近いと私は考える。イスラムが武力を前面に出して大帝国を建設したのは事実だ。しかし、彼らはいつも正義と平和を掲げただけでなく、その信念を征服地に実践しようと努力したので後退福祉住民に歓迎を受けた。イスラムが征服したところで、独立運動はほとんど起こらなかった。イスラムが入ってきたので、以前よりも正義公平な世界になったからである。イスラム世界には民族差別や人種差別がほとんどない。すべての信者は、アッラーの前に平等だからだ。しかし、イスラム教徒と非イスラム教徒の間の差別は存在する。信者の間にアラブ民族優越意識も一部残っている。近代以前までイスラムはいつも自信に満ちていた。少なくとも15世紀までイスラムキリスト教世界に比べてはるかに優れた科学哲学、医学、天文学、科学を保有していた。学者の中には、イスラムの先進文化に刺激を受け、西洋のキリスト教世界にルネサンスが起きたと主張している。イスラム教はユダヤ民族にも比較的君そうだった。中世のキリスト教世界は、ユダヤ人を「イエスを殺した民族」として露骨に敵視しただけでなく、さまざまな制約を加えて農業と商業以外進出しないようにした。ユダヤ人の居住地域も限られて差別した。ヨーロッパであらゆる差別と蔑視に押され、ユダヤ人に息の根を開けてくれた人はイスラム教徒であった。イスラムが征服したリベリア半島は、ユダヤ人には自由と希望の地となった。3.キリスト教とイスラム教の対立の歴史キリスト教のイスラム教の反感は、十字軍に開始され、ナポレオン以降西欧列強の侵入と簒奪、第2次世界大戦後、イスラエル建国とそれに伴う欧米の偏向政策で極に達した。特に英国の大きな過ちを指摘していないことができない。英国は第一次世界大戦中にアラブ民族とユダヤ民族を相手に二重契約を結んだ。オスマン帝国の支配を受けていたアラブ人たちに英国を助けてくれれば自分たちの土地を完全に回復し、独立することを保証すると約束した。ユダヤ人にも似たような約束をした。戦争の後、ユダヤ人の国を立ててくれるとして巨大な戦費を支援を受けた。英国は第一次世界大戦が終わった後、崩れたオスマン帝国の領土の中でアラブ民族が住んでいる土地を彼らに返してくれた。しかし、パレスチナだけは完全に返さなかった。第二次世界大戦後に、ユダヤ人たちにも、独立国家が樹立されるように支援したからである。結果は、イスラエルとアラブ連合の中東戦争につながった。問題はここで終わらない。英国とフランスは机の上で国境線を文字に引かれながら、イスラム世界のいくつかの独立国家を作り上げた。今、アフリカと中東の国境を詳しく見ると、まるで米国とカナダの国境のように文字に引かところが少なくない。英国とフランスが地域の文化的、宗教的特性と種族の違いを無視したまま、自分たちの利権に基づいて、国境を引き離した余波で、地球村の平和が大きく脅かされている。中東地域はもちろん、アフリカまでイスラム宗派と種族が入り乱れ混乱と内戦がイスラム世界に広く広がって内戦やテロでモンドゥルゴている。イスラム過激派は、このような過程を経て発生したものである。だからイスラム過激主義の勃興に、米国をはじめとするイギリス、フランスなどの西欧のキリスト教世界は深い責任の意識を持たなければならない。そして、過去の無理な政策について反省して謝罪し、補償もしなければならないと私は考える。そうではなくはイスラム教徒に積もった深い恨みは解けない。根本的な原因がどこにかの間に、今のイスラム教徒の過激派によるテロが地球村を恐怖に追い込んでいる。しかし、これらの過激派は、イスラム教徒の人口でみると、ごく少数に過ぎない。残りのイスラム教徒は、ほとんど素朴な人々であり、まだ自分たちが平和を愛する人々であり、彼らの宗教が平和の宗教であることを疑わない。4.イスラム悪習のほとんどは、コーランの教えではないイスラム世界で求められている女性の割礼や名誉殺人は、人々がイスラムを暴力の宗教、非人権の宗教であると認識にする代表的な事例である。世界保健機関(WHO)の表現を借りれば、女性の割礼とは「非医学的根拠に基づいた女性外性器の一部あるいは全体を削除し、他の女性の生殖器の切開を総体的に意味」である。名誉殺人は、家族や不足、コミュニティの名誉を汚したという理由で、組織内のメンバーを他の人が殺人行為だが、主に忠実を失った女性を相手に親族によって求められている場合が多い。多くの人々がこの慣習をコーランの教えに起因すると考えている。しかし、コーランには、このような慣習を支持するいくつかの内容や暗示も存在しない。このような慣習は、元のアラブ民族には存在しなかった。イスラム世界が中央アジアとアフリカに広くなり、その地域の慣習が流入したものである。私の知る限りでは、まだも法的には慣習を支持するイスラム国家はない。問題は、イスラム世界がこの悪習を廃止するのに失敗したという点と、いくつかの細心の注意イスラム指導者がこの悪習を利用することにある。世間には、自爆テロで殉教する天国で72人の処女におもてなしを受けるという俗説も広がっている。しかし、コーランは、どのような形の自殺も認めていない。イスラム世界に広く広がっているが俗説は<コーラン>と<ハディース(預言者ムハンマドの言行を記録した本>のいくつかの詩を通し合わせだ。今日のイスラム教徒の中には、平和主義者もテロリストもいる。学者たちは、概して四つにその傾向を分類している。1)原理主義または急進主義のイスラム教徒 - イスラム法を極端に解釈し、それに応じ生きようとする人々。イスラムの世俗化と西欧世界文化侵略に対抗するジハード(聖戦)を積極的に支持したり、ここに参加する人々に、イスラム教の価値を毀損する西欧のキリスト教勢力をサタンに思っている。異教徒との平和を主張するイスラム教徒も背教者とみなしテロを託すこともある。世界のイスラム教徒の2パーセント以内。2)専用のイスラム教徒 - イスラムの教義をよく知って実践する人。1日5回の祈りとラマダンの断食を徹底的に保障する。ザカート(クリスチャンの十分の一と同じ義務慈善金)を出して、コーランとハディースを学んだが、テロなどの極端な行動には拒否感を持つ。全世界のイスラム教徒の約20パーセントほど。3)一般または中道的イスラム教徒 - イスラムの信念ではなく、文化的な環境のためにイスラム教徒になった人。イスラムの教義に精通知らない過激なテロを軽蔑する。ほとんどのイスラム教徒は、ここに属する。全世界のイスラム教徒の約75パーセントほど。4)進歩イスラム教徒 - イスラム教を信じる教義に縛られない人々。イスラム近代化されることを望んで、イスラエルと平和やっていくことを願う。ラマダンは、1日5回の祈りのようなイスラム教徒の最も基本的な義務も守らない人もいる。服装も自由である。イスラム教徒の国よりも西側世界に住んでいるイスラム教徒の中に多い。全体のイスラム教徒の約5パーセントほど。5.キリスト教が愛の宗教であることができれば、イスラムも平和の宗教であることができる仏教は慈悲の宗教という。キリスト教は愛の宗教、イスラム教は平和の宗教と自ら主張する。仏教が慈悲の宗教だということを否定する人はほとんどいませんが、キリスト教が愛の宗教だという主張には同意していない人が多いようだ。歴史的にキリスト教は非常に多くの罪を犯し、地球村のあちこちを回って暴力を行使したからである。しかし、歴史的な間違いをしばらく保留して創始者の精神に戻ると、キリスト教は愛の宗教であることができる。その後、イスラムはどうなのか?最近のイスラムへの恐怖が広がっているが、歴史的な間違い」といえば、イスラム教はキリスト教が犯した犯罪に比べて比較にならないほど少ない。創始者とすることができるムハンマドも高潔な精神の持ち主であり、彼の教えは、正義と平和に基づいている。実際に私は、キリスト教だけでなく、唯一神宗教全般に会議を感じる人です。しかし、イスラムは、現実の世界では、受信評価は悔しい側面があまりにも多い。まるで線量た学生が組織暴力団に親兄弟を失って恨みに積まれてナイフを持って、その暴力組織に立ち向かうことと同じだという気がするからである。ところが、すでにかなりの部と組織を備えた過去の暴力組織は、刀を持ってインストールは愚かな真似はもはやない。表面上は紳士の姿をしてまともな言葉(線量たが、今ではナイフを持っている)学生を言い聞かせている。因果関係を知らない人が見れば、ギャングは紳士よ学生はいじめならざるをえないのだ。現実キリスト教とイスラム教の関係は、このような側面がある。私はこれをイスラムの言い訳をいくつかしなければと思った理由は二つある。一つは、この記事の前半で読者に申し上げましたように、私は、キリスト教の元牧師として歴史的にキリスト教が犯した犯罪に対して自由でないからである。して連帯責任を負って被害者とすることができる兄弟宗教について謝罪し、イスラムが受けている誤解の防御もしたいだろう。もう一つの理由は、、イスラム教のすぐ知ることが、地球村の平和と密接に関連されると考えているからだ。クリスチャン(特にプロテスタント)の本山とすることができる北欧は今、人権と正義という人類の普遍的価値に相当近接している。そこはバイキングが支配していた野蛮の地であった。しかし、キリスト教の暴力性が何世紀を経た後、悟りを介して、イエスの精神を初めて正しく理解した。今日、彼らの福祉と平和を享受する理由の一つ、キリスト教排他主義から脱して、イエスの精神を取り戻したからだと私は考える。イスラムにもそうなるだろう。しかし、多くの年月が必要である。西欧のキリスト教世界は、宗教的暴力と排他から抜け出すために何世紀にもする必要がありました。イスラムはそれよりははるかに速く抜けすることができると考えている。しかし、イスラム過激主義が完全に消えるまで、より長い歳月が必要だろう。いや、永遠に消えない場合があります。それクリスチャンも同じだ。とにかくイスラムは本当に平和の宗教になることができるかという問いは、、キリスト教のは本当に愛の宗教になることができるかという問いのようなことを私は考えている。キリスト教を愛の宗教だと言うことができれば、イスラム教も平和の宗教だと言うことができる。6.共生のために文がちょっと長かった。最後に、伝わる話一つ紹介し終えたい。十字軍と、イスラム征服していたエルサレムをキリスト教徒が奪還した。十字軍は聖地を汚した異教徒を見えるようにすべて殺した。エルサレム城内で平和共存していたユダヤ人とイスラム教徒の両方を殺したのだ。当時の犠牲になった人々の血が足首まで車上がっている。後イスラムの名将サラディンが十字軍を追い出し、エルサレム奪還を目前にした状態で作戦会議を開いた。将校が一様に主張した。「彼らは、私たちの兄弟のすべてを殺した。その異教徒を殺すことはアッラーに栄光になるでしょう。」しかし、サラディンはゆっくり首を横に振りながらこう言ったという。「彼らの宗教を尊重しなければ、私たちの宗教も尊重されることができる。」サラディンは本当にこのような言葉をしたのか正確に確認する道はない。しかし、イスラム教徒の軍隊がエルサレムを平和的に受け付けて、そこの住民と十字軍の末裔を故郷に戻ったのは明らかな事実である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.08.12
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韓国ニュースから。http://news.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=0923948263&code=23111412&cp=du[寄稿]韓半島分断期は異端に対処する機会はありますか危機か南北と米朝首脳会談を通じて南北の和解ムードが造成されている。しかし、横行する異端者の活動を見ると、肯定的にのみ見ることができない状況である。南北交流の活性化は、すぐに北朝鮮と中国東北3省を拠点とする韓国の異端の影響力拡大につながる可能性があるからだ。異端対処の観点から韓半島の平和定着は「北朝鮮宣教の機会」であると同時に「異端問題による危機」の開始することができる。まず、1992年に文鮮明と金日成の出会いの後、統一教会は北朝鮮進出の広幅歩みを続けている。文鮮明の故郷である平安北道定住生家に「定住平和公園」が立てられ、ここを訪れる統一教会信徒の巡礼が続いている。平壌の中心には、北朝鮮で最大の黒字を上げた統一教所有「普通鋼ホテル」があり、向かいには「統一教会平壌家庭教会」がある「世界平和センター」がある。2013年末には統一教が70%の株式を確保していた「平和自動車」を北朝鮮に無償譲渡し、その対価として、北朝鮮全域を網羅する販売網を許可受けたニュースもある。個性を中心とした韓国企業の対北朝鮮事業は制限的で不安定だが、統一教の対北朝鮮事業は揺らぐことなく安定的に行われている。さらに、毎年、文鮮明の誕生日には、白昼ソウルのど真ん中の最高級ホテルで金日成、金正日、金正恩が送信さ山参と豊山犬などの贈り物が統一教会に渡された。統一教会の対北朝鮮進出は治外法権地域で本格化している。第二に、南北の平和局面の組成は、中国東北3省で活動している韓国の異端の北朝鮮進出を容易にする見通しだ。吉林省と遼寧省、黒龍江省など東北3省の朝鮮族同胞が集中的に居住する地域であり、中国異端が多数勃興した地域である。現在ここには新天地、神の教会、救援派をはじめとする多くの韓国異端が攻撃的な布教活動を行っており、朝鮮族信徒を通じて、中国全域に広がっている。韓国の異端の無分別な布教活動のために危機感を感じた中国政府は、韓国の宣教師たちを定期的に追放しているという。第三に、国内に居住する北朝鮮離脱住民と朝鮮族同胞に対する異端のアクセスも注視する必要がある。韓国で不確実で不安定な時期を送っている人々に、異端者は拒絶するのは難しい救いの手を与え近寄っている。南北交流が本格化した後、これらの故郷に戻って家族と知人を対象に布教活動をするようになれば、北朝鮮と東北3省で韓国異端の影響力はさらに大きくなるだろう。国内居住多文化民族と朝鮮族同胞のための戦略的な次元での宣教が進行なければならない。南北のと東北3省をつなぐ「シルクロード」が「異端ルート」がされている危機の瞬間が今後のではないか懸念される。何よりも、韓国の教会の連合的異端取り組みが惜しい。異端は、組織的かつ体系的に北朝鮮に進出しているが、韓国の教会は、競争的なロマンチックで統一問題にアプローチしている。北朝鮮宣教は示す式統一運動を超え異端対処活動と並行して、緻密で戦略的に展開されなければならない。韓国教会の四分五裂された連合の動きは異端対処電線の混乱で、その限界をそのまま表わしている。「キリストのための連合」ではなく「私利私欲のため野合」を行って教権掌握と静電気除去の手段として異端の問題を悪用する効果的な異端対処は、エージェントだけだ。北東アジアの異端に対処するための韓国の教会の連合的対策が切実だ。1世紀前復興の炎が起きた「東方のエルサレム」平壌で韓国教会が再び福音を持って探していく日、すでにそこに安定的に定着している異端者と避けられない神聖な戦いを開始する暴風前夜に韓国教会は立っている。タクジ日(釜山ジャンシンデ教授・現代宗教理事長)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.21
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仕事の帰り際、駐車場で普段はあまり話をしない方が近寄って来て小冊子を手渡された。聞けば、真光系の宗教。ところが、その表紙を指しながら「宗教ではない」との説明。では、これも『超宗教か?』なるほど、表紙を見れば「宗教」ではない。『崇教(スウキョウ)』だ。一本取られた気持ち。それでも嬉しかったことは、その号崇(数)が「667」であったことだ。何かの吉兆を予感するものだったのでありがたかった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.19
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韓国で出版(翻訳版)されたBookの紹介です。タイトルだけを見れば『終末論・メシア・異端... 世界の宗教の「つながり」』といかにもイカメシク、家庭連合を異端のように書きなぐっているかのような印象ですが、本文からは宗教史入門書と書かれていました。韓国の宗教の紹介もありました()。[本の村] 終末論・メシア・異端... 世界の宗教の「つながり」http://news.hankyung.com/article/2018032277131「世界の宗教の歴史 」リチャード・ホロウェイ著/利用週訳 ソソの本/ 416頁/ 2万3000ウォン 輪廻と業(業・カルマ)は、インド亜大陸で発生したヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の共通概念である。人間はカルマ、すなわち行為の法則に基づいて輪廻の車輪に閉じ込められているというものである。しかし、ここで脱出する方法はまちまちである。ヒンズー教では、神に仕えること、自分忘却を促進したり、極端苦行を含む瞑想を通して、「自分」という幻想自体を捨てという。しかし、輪廻から抜け出すまでどのくらいの時間がかかるかもしれない。注ぐは喜びも苦行も正解でないとどちらか一方にも偏らない中道(中道)を選んで八つの正しい道(八正道・八正道)を実践すると輪廻の車輪を止めることができていると強調した。ジャイナ教は正反対だ。極端禁欲主義を実践したジャイナ教の最高以上はアテンダントがサレハカナ、すなわち飢えて死ぬことだった。このようにだけ見ればジャイナ教が全く奇妙な集団だがそうではない。ジャイナ教の創始者マハーヴィーラは輪廻の車輪から抜け出す唯一の方法は、悪を避け、善を行うと教えた。ジャイナ教の5戒律の中で最初の「生きているのは、その何も殺したり傷つけるいけない」ということだ。「アヒムサ」という言葉よく知られている非暴力主義はまさにそれだ。「世界の宗教の歴史 」は、スコットランド聖公会のリチャード・ホロウェイ司教が書いた宗教史入門書だ。他チュートリアルと異なる点は、世界各地で起きたユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ジャイナ教などの各宗教を年代順に表示していないということ。代わりに輪廻、多神教と一神教、終末論、メシア、異端の形成とオフセットの成立、天国と地獄、宗教改革、宗教戦争など、さまざまなテーマでつながりを作成し、複数の宗教をあまねく見回すようにした。 例えば、アブラハムはただユダヤ教やキリスト教だけの話ではなく、宗教の歴史の中で一つの転換点だと説明する。アブラハムを基点に多神教で唯一神を信じる一神教に切り替えることができたし、特定の民族・地域の宗教で普遍宗教に拡大されたというものである。宗教が生じてきた暴力の問題も検討する。著者は、「宗教は歴史の中で最悪の暴力を引き起こすし、今も続けている」とし「このような暴力を正当化するために神用いたのも事実だ」とひねる。これまで宗教が先行だけでなく、悪事も犯したことを謙虚に認めなければならないというものである。現存する主要な宗教からシーク教、日本の神道、北米インディアンの霊性と末日聖徒教会(モルモン教)、セブンスデー・アドベンチスト教会など新興宗教まで興味深く言及している。本の主要な流れや比重が、キリスト教に重点を置いている点は惜しい。韓国の宗教には、世界平和統一家庭連合(統一教会)を簡単に言及したのがすべてだ。ソファドン文化選任記者一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.03.23
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.02.27
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18日、韓国ニュースから。【聯合ニュース】http://www.yonhapnews.co.kr/photos/1990000000.html?cid=PYH20171018225200013&input=1196m【韓国・SEGYE.com】世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.10.19
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韓国・家庭連合ホームページから。天宙聖和5周年記念「2017宗教平和ピースカップ」の宗教指導者親善サッカー大会9 つの宗団10 チーム参加、団&団の平和・和合・コミュニケーションの場開い▲歓迎の言葉をしている家庭連合ユギョンソク韓国会長(社)韓国宗教協議会(以下、ジョンヒョプ)が主催した泉州トーチ5 周年記念「2017 宗教平和ピースカップ」の宗教指導者親善サッカー大会が天暦7 月26 日、(量9.16)、京畿道河南市河南総合運動場で開催された。今回の「2017 宗教平和ピースカップ」大会は、隣人の宗教への理解と交流、宗教間の相互共存のための平和と和合の場(場)に用意された、世界の平和統一家庭連合、国際クリスチャン宣教連合会、デスンジンリフェ、大教、イエス・キリストの教会、韓国仏教太古宗、韓国イスラムなど9 つの終端が参加し、韓国文化平和連合忠南支部、北朝鮮離脱住民「同苦同楽」でもそれぞれ1 つのチームが参加し、合計10 個のチーム300 人余りの選手と応援団が 熱いコンテストを行った。▲2017宗教平和ピースカップ団体写真▲開会式始球式をしている宗団長ら <詳しくは韓国ホームページにて>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.09.24
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2017-08-08、韓国のニュース検索から。以下、google翻訳。世界平和の鍵は女性性の再発見と心情文化の定着にある書籍の出版幸せエネルギー「女性と平和」、「心情真理の林道」の同時出版記事入力: 2017/08/08 [07:11] 最終編集: 毎日宗教新聞まさしく今の時代は、「混乱の時代」とも呼ばれている。世界的な経済不況が長期化し国家単位の大規模な政治的変動が起きている。地球には、領土と資源、理念と宗教をめぐる国の集団の間の対立と葛藤、そして戦争が絶えずに連日ニュースを飾っている。また、自然環境の汚染と破壊のために地球のあちこちで、気候変動の被害が表示されており、私たちの韓半島にも影響を与えている。このような現実の中で、多くの人が人生の道を失って迷いながら平和と愛ではなく、葛藤と憎しみにより慣れていることが昨今の苦い現実だ。これらの中で本の出版幸せエネルギー(代表グォンソンボク)が最近出版した新しい本「女性と平和」は、家父長制-権力-戦争-国家に代表される、男性中心の文明が母-愛-平和-家庭に代表される女性を中心とし文明に変化することだけが、人類存続の危機を終息することができるという点を強調している。権力と闘争の属性を持つ男性を中心とする人類の文明のパラダイムは、必然的に大規模な戦争をもたらすが、高度に発展した近代的な技術文明を動員した大規模な戦争は、すべての共倒れ(共滅)を取得するしかないという説明だ。この過程で、著者パク・ジョンジン(世界日報平和研究所所長兼文化評論家)は、ヨーロッパ、中国、エジプト古代の女性の神話を探検し、聖書を通してあらわれる西洋の女性性(女性性)を話す一方で、西洋近代哲学の巨頭と呼ばれるニーチェ、ハイデガー、レヴィナスの理論を批判的に引用する。これにより、人類の文明の人(黎明)を導いた女神(女神)の記録と男性中心の家父長的文明が、これらの女神を退位(廢位)させてきた過程を説明する。また、著者は、これらの研究を通じて、男性中心の家父長制が、その寿命をすべてし、歴史の裏に退いた女神が宝くじ(復權)される時代が戻ってきているという点を強調している。 女性中心の文明復帰をエオン... 世界の中心でも、ヨーロッパでアジア、特に大韓民国に これらの女性の中心文明の復帰を予測するとともに、著者が予測することは、将来的に近づく女性中心の文明で世界の中心にヨーロッパからアジアへ、その中でも大韓民国に移して来ることある。特に著者が強調するのは、韓民族(韓民族)の起源を神話的色彩に入れて出している人類最古(最古)の創世神話、「孫神話」である。また、韓国語とハングルを哲学的に分析し、解釈し、創造神であるマルゴー女神から受け継がれてき共存的、平和的、包容的、女性的な文化が私たちの国の歴史の中にそのまま残っているという話を聞かせてくれる。これらの研究と予見を通じて著者が、最終的に追求することは、人間と人間、人間と自然との間に対立、葛藤、競争より共存と愛、平和が共に世界を作るものである。著者は、このような平和、世界の完成のために、現存するどんな哲学宗教よりも女性中心的な統一思想、頭翼(頭翼)思想の研究と電波が切実に必要であることを強調している。 本文中のキーワード-女性、海平和 "女性はすべてのものを「受け」てくれる存在だ。だから「海」である。平和は、すべての存在を受け入れる心である。女性は海であり、平和である。」今、世界は女性の時代に完全に入った。韓国もその隊列から負けておらず、かえって先に進んでいるといっても過言ではない。今日の世界の女性ゴルフ界を曲げてつかんいる国は韓国である。韓国は世界の女性のゴルフ界での女性軍団を形成しているといっても過言ではない。LPGAで韓国の女性ゴルファーが3分の1を占めているほどである。 ◆世界をリードしている女性の指導者... 国内も女性国会議員は17% 1979年に英国の首相になって最長執権したマーガレット・サッチャー首相はあまりに有名な女性首相である。その後テレサ・メイが女性で二番目首相になって、今対処の後に続いている。また、世界で最も影響力のある人物で「フォーブス(Forbes)」誌(誌)が選定した、ドイツのメルケル首相も、現在偉大な指導者で、欧州連合(EU)を導いている。その他にも、ネパールの反足大統領が2016年当選されたネパールは、国会議長も女性であり、下院の3分の1が女性であることで有名である。そうだからなので女性首相や国家元首を経て行った人物が、少なくとも20〜30人前後に達している。女性が国家元首または伴わになって最も歴史的な成果を成し遂げた国は英国である。イギリスはエリザベス1世の登場とともに大英帝国となり、エリザベス3世女王として国ウォン垂直を見事に実行しながら英連邦を導いている。米国は共和党のトランプと経線た民主党のヒラリー・クリントンがたとえ大統領に当選していなかったが、米国初の女性大統領候補になった。現在大韓民国国会で女性国会議員は、銃の石大工300人のうち17%である51人を占めており、今後さらにその比率はさらに高まる見通しだ。加えて、民主党の総裁になったチュ・ミエ議員、ソウル市長選挙戦に出たことがあるナ・ギョンウォン議員をはじめ、そうそうたる人物が多い。財界の女性経営者を見ると、ヒョン・ジョンウン、イ・ブジン、チェウンギョン、チョン・ユギョンなどがよく知られている。国家という制度はもちろん、家父長-国社会の延長であり、国家という制度が残っている限り、国家の男性統治的特性は、無視できないだろう。国は何よりも、戦争の産物であり、男性は女性より戦闘的な動物である。そのような点で、国家間の覇権競争が激しくすると、世界の政治権力は、人間の男性の性を要求するが、人間が平和をより追求してあれば、女性性こそ平和の根本的な流れを導くに違いない。もちろん、女性性の弱点も多い。政治的支配力または掌握力が不足している点である。これまで人類の権力エリートの中に女性がまだ少数であり、女性は公的な空間ではなく、プライベートな空間、公的な定義ではなく、私的な認定を優先する傾向がある。いわば子供を妊娠して育てているのに決定的に必要な女性性、すなわち母性愛や献身的な愛の精神などは、勝敗を競う戦争や競争に不利だからだ。女性は男性より相対的に平和動物である。女性は家庭をリード期には有利だが、国を導く機には不利である。しかし、今、人類は、女性の時代、平和の時代に向かっている。もちろん、その過程で、かえって人間の覇権主義が短期的に際立って、人類の共倒れを招く核戦争の可能性などが懸念されていないわけではないが、それでも、もし人類が地球上で解決しない場合、結果的に平和の目をトトギだろうし、人類が平和マインドを人間各自の心の中に大切にして、それ絶対多数が共感して、歴史をその運営したであろう。 ◆女性の時代には、韓国が有利... 他の国に比べて比較優位にあるから 女性の時代には、韓国が有利である。その理由は、女性の能力や可能性の面で、韓国が他の国に比べて相対的に比較優位にあるからである。その理由は、恥ずかしくも女性でなければ、韓国は国を維持していなかったほど、韓国は男性性が脆弱な国だったからだ。韓国は周辺強大国から絶え間ない侵略を当該おり、朝鮮時代に入って、特に中国に事大(事大)して、素晴らしい日本に植民地にあう屈辱を経験した。韓国の女性の慇懃と根気がなかったら韓国は国を回復できなかっただろう。今の時代は変わり、男性性の発揮と見ることができるの侵略と征服は世界でますます退いており、女性を中心になす平和の時代に入っている。家父長-国時代には土地の征服と合併によって領土を広げることが大きな成果であった。しかし、今陸の価値は徐々に衰退している。陸地が大きい国はそれだけで大きな扱いを受けていないおり、経済力と文化力が大きい国が強大国になっている。陸地を開発するには限界に達しており、もう人類は目を海に戻さなければ、食料をはじめ、人間が必要とする物資を供給することができない羽目になってきている。これまで人類は地に依存して生きてきた言っても過言ではない。土地で農業と牧畜をすることができ、地面から鉱物と石炭、石油を採取し、産業を起こし人口を扶養している。18世紀の産業革命、20世紀の電子革命に続いて、インターネットに象徴される21世紀の情報革命を迎えることになった人類は、地球村時代を迎え、人生のスペースを今、宇宙空間に延長する夢を見ている。それほど地球は比較的つの町は、地球の近くに市・空間的に絞られたわけだ。地球が地球村に変貌するとともに、地球の地では、陸に劣らず、海の効用が増大することが予想される。海は、貿易と航海の場所というよりは、人類の食べ物を生産して形成する場所で脚光を浴びることが予想される。これにより、海のヨウントファに人類が角逐を繰り広げるものと見られる。しかし、海は陸とは異なり、人類の共有面積が広いのが事実だ。陸はモザイクのように国境線に、金を引きますが、海は、特定の国の領土で一定距離を超えると、すべて公害(公海)となる。海は公害を中心にしており、各国の領海は、周囲のである。海が共有面積が広く公害が中心となっているというのは、まさに女性性内在している世界の共通性と一般的な成果のMacを共にする。だから女性性よく海に比喩されることもある。陸は実は広い海の立場から見ると、大陸でも海に浮かぶ大きな島に過ぎない。陸の特性から来ている領土戦争と権力競争と覇権競争は超越性と普遍性を追求するようにした。 ◆この時代は海の時代... 人類に「ブルーオーシャン」に登場したのはオーシャン、すなわち海 今の時代は変わった。今、私たちの時代は、女性の時代、海の時代である。海は人間の最大の資源の宝庫(寶庫)に登場することが期待される。宇宙も人間の生活の新しい空間として脚光を浴びているが、それより先に、人間に新しい「ブルーオーシャン」に登場したのは、まさにオーシャン、すなわち海である。海は宇宙よりもはるかにコストが削減されるだけでなく、人間が地上ですぐに利用できるもう一つの場所であるからである。海は宇宙よりもはるかに利用しやすく、コストも少なくする。今までの海は、貿易と戦争のための場所とされたが、今では新しい食料の生産場所で、新しい鉱物と資源の採掘場では、新しい領域にも新たに脚光を浴びている。人類はこれまで、主に川の周辺で文明を耕し生活を営んできた。もちろん海を免れた国は、そこからさまざまな魚を取っ食料を加えた。海が本格的に脚光を浴びたのは、おそらく15〜17世紀の地理の発見の時代を経て、世界が一つの取引市場がされてからである。海は川の流れがすべて集まる場所に、何よりも、世界が一つであることを象徴する。いくつかの川でも海を避けることができない。「海はどんな水もいとわない」という言葉が象徴するように、海は地球の最後の生存のボゴヨ、生活の基盤である。海のこれらの包容する姿は何も愛許しと忍耐包容する女性の不徳(婦德)と似ている。 ◆戦争のパラダイムの全面否定を通じて平和へのパラダイム転換切実て 戦争欲求は平和時には、スポーツや映画、セックス、ギャンブルなどで解消されるか隠蔽されているが、これらの文化産業が男性の競争や欲求を完全に払拭させることははなかった。家父長-国社会の戦争パラダイムの全面否定を通じて平和へのパラダイムシフト(paradigm shift)が切実なのが、今日の人類の文明である。なぜなら、核爆弾をはじめ、大量破壊兵器が氾濫して、これにより、無機的本能が別の世界の戦争の火種になるかもしれないからである。もちろん、戦争のパラダイムの中でも、平和のための努力、例えば国際連盟に続く国際連合の創設、そして大小平和運動などの努力があったが、1、2次世界大戦が起きたことを、人類は忘れてはならない。特に今日も絶えない地域紛争、宗教紛争、人種紛争は平和のための画期的な考え方の転換、生活の態度の根本的な反省がなければ解決されない見通しだ。人類の生存と繁栄と平和のために、より根本的なことは何なのかを探していた中で最も顕著な発見がすぐに女性性を中心とする人類の文明の大転換である。また、平和的ネットワークを中心に人類共同体を作っていく努力、そして母系神話の発掘を通じた新たな神話の構築が課題として浮上した。平和パラダイムは、女性中心の社会にならなければ達成されるものであり、女性中心の社会は、たとえ戦争があったとしても、平和の中に嫉妬のようなものしかない。平和と人類愛を標榜する高等宗教というのも原始宗教、例えばシャーマニズムより合理的で理性的な教義体系を備えているが、国家間の、あるいは種族間の葛藤と戦争の名分のツールとして利用されている場合が多く、時には宗教自体が定義の名分で宣教のために戦争の戦略を選んした。戦争の最大の被害者は子供であり、その次が女性である。これ逆に見れば、女性や子供は戦争を本能的に嫌がるしかなく、平和主義者ではないことがなく、それ自体がすでに平和的なものである。平和に偽装された男性の徳性ではなく、人生そのものを楽しむ女性的美徳がより平和的なものである。 肉喜び追う技術文明の時代に投げる救いのメッセージ- 「心情真理の森の道」 物質文明と技術の進歩は、これまで以上に、人類を豊かにした。多くの人が何十、何百年前には想像すらできない衣食住の供給を受けており、人工知能(AI)の領域にまで到達した自動化機械は人間の手足を細かい労働から解放させてくれた。衣食住と医療の発達で韓国をはじめ、先進国ではすでに人間の寿命」100歳時代」が現実になっている。しかし、このように派手な物質文明の裏側に隠された精神文化は、すでに多くの部分で限界を示している。技術文明のシステムを作成しておいたシステムに慣れた人々はもはや、自分の人生の意味を問わず、意味を切り分けることではなく、何かを計算することに慣れている。このような社会の中で、現代人は、常に新しいものを「生産」こなし道を余儀なくされながら精神は徐々に荒れて肉体的快楽を見つけるためにのみ没頭することになる。書籍の出版幸せなエネルギー(代表グォンソンボク)が新たに出した本「心情真理の林道」はこのように、神に象徴される超越的心情的な領域を排除して物質文明と理性的進歩のみからなる西洋中心の現代文明は、必然的に限界を表わしてニヒリズムという罠に陥るしかないという点を力説する。これにより、著者ジョヒョングク(世界日報平和研究所次長)は、ニヒリズムに満ちた現代文明を克服するためには、異性の存在ではなく、心情の存在として神を中心に統一思想で言う「三大祝福の人生」を生きるするという点を強調している。また、「技術は、人間が創造性を発揮して、万物を主管する方法」という統一思想の技術哲学を危険方向に絶えず走っている現代の技術の科学文明の解決策として提示する。神を似ように作成された人間は、神が創造性を発揮して、人間を主管するように技術を利用して、万物を主管するが、これに神の創造性の本質的な「心情」と「創造目的」の体得が必ず先行しなければならないというものである。韓国ハイデガー学会で総務理事、国際協力理事を務め、現在、世界日報平和研究所で統一思想を哲学的に研究されている著者は、このように、現代社会の虚無主義を克服する「訓読みの理由」、物質文明の価値中立性を克服する「統一思想技術哲学」を提示し、これらの事象を網羅する不変の心情的価値にユニバーサルバレエ団の創作バレエ「沈清」を通じた効果(孝)と犠牲の価値を話しながら本を仕上げている。私たちの民族の血筋の中脈々と受け継がれてきた伝統的な価値観こそ危機に瀕し現代社会を救うことができるという逆説的であるわけだ。 ◆文鮮明総裁、21世紀は精神文明の時代」宣言... 理念は神主義、頭翼思想 今日は派手なデジタル技術と人工知能(AI)が開いて言うようになる世の中に興奮している。第4次産業革命が主導する新しい世界を準備しなければならないとあちこち忙しい。ところが、一方で、私たちは、重度のうつ病と感情的な虚しさを感じながら生きる多くの人々に会う。最近、私たちの社会の高い自殺率と孤独死(孤獨死)増加と各種の暴力の問題に私たちは本当に幸せな人生を生きているとは言いがもじもじたてられる。高齢化の傾向と少子化問題に多くの対策を用意して、国家経済を心配しますが、なぜかポリシーの真正性が感じられないことが多い。何が問題なのか?今日、私たちの生活の世界はなぜこれらが?この地で人間として居住することの意味は何ですか?モノのインターネットと人工知能が提供する数多くの利便性と鮮やかなデジタル文明に陥って、私たちは「心情」の価値、真の疎通と共感の暖かさを感じずに買うことはないか?今から約120年前にニーチェが予言したが、最近に歴史学者フランシス福山は「歴史の終末」で胸がない肉欲(肉慾)主義者たちを言及した。近代以降は、特に西欧人は「超越」を追放し、世俗からの感覚喜びと力の意志を追求してきた。そして、その結果、過去20世紀の文明と野蛮の戦いの歴史で飾らきた人類は今、これまで捨てた」超越」の価値を再び回復しなければならないことを低減している。日深刻化、気候変動、宗教とテロリズム、届出リップ主義、社会の二極化などいちいち列挙することができないほど多くの問題が、私たちの生活を総体的に脅かしている。これらの世界的な危機と社会問題について、今日、多くの未来学者をはじめとする知識人たちが環境学科経済学との両方を現実的に調整し、政策を立案して実行できる政治学を模索しなければならないと力説している。無限競争と資本の論理によって、より多くの犠牲者を必要とする現代文明の中で、私たちは死ぬ者としての居住艦真意を忘れ買うことはないか?万物と人間の世界が相手を「愛しながら喜びする静的な衝動」である心情的価値によって帰るという宇宙の原理を忘却して買うことはないか?今日、私たちは、現代文明の危機を克服し、より良い生活と世界のための新しい考え、生活の価値観を模索しなければならない。そうではなく人類が共倒れすることもあるという不安から、私たちは自由でない現実を生きている。人間の利己主義と所有欲を制御して、自然環境との共生のための考えと平和の生活のパラダイムを、私たちはどのように作らべきであるか 私たちが生きてきた過去20世紀の戦争と野蛮の歴史であることを知っている人間中心の異性の歴史、物質文明の歴史には、もはや73億の人類の平和を確保することができないという事態を早く予感た文鮮明(文鮮明)先生は1992年には、世界の主要ジャーナリストたちと一緒に席で次のような預言者的見識を表明した。「本人は明るく、21世紀を精神文明の時代と宣言しました。物質文明の時代は暮れています。私たちの世界はミステリーを蹴り再び生きるために共産体制の滅亡に惹起された理念の空白を埋めてくれて、自滅でなければ、審判の日を待っている自由世界を一緒に救出できる精神的文芸復興が起こるだけです。これはすぐに精神的人間革命を敢行することができる新しい思想と理念の創出が必要であることを言うのです。本人は、新しい時代の先駆者の使命を使命ました。それは21世紀を指向する新しい精神文明の先駆者という意味です。本人は神から授かったしっかりとした新時代の理念を宣言したがあります。その理念は、神要注意頭翼思想(頭翼思想)です。」このような預言者的目の必要性とは宣言の内容を更新学問的にデザインしなければなら今日である。「ブレックシート」(Brexit:英国の欧州連合脱退)に代表される国家孤立主義と利己主義と覇権主義の論理は、21世紀の多文化時代と現実を弱めにしている。 ◆神と人間の本質は、心情にあり、その心情は父子の関係で結ばれており、 私たちが最後の世紀の国連(UN)という国際機関を作っていって、世界の平和を言いきた歴史が、最終的に強大国便の歴史なのか?文鮮明・韓鶴子総裁が教え心情をの哲学、頭翼思想によれば、神と人間の本質は、心情にあり、その心情的関係、金持ち(父子)の関係で結ばれている。したがって、互いに愛と生命の網目に接続されており、これはすべてのもの万象もそのまま通じる。万物万象と人間が生命と平和の網目(network)に接続されており、お互いに「ために」構造の中での動き、成長、発展するようになっている。一生を「平和を愛する世界人」に生きて来られた文鮮明韓鶴子総裁の神主義、頭翼思想、統一思想は、21世紀の文化の時代、相互文化性の時代のための根本的な価値観とすることができる。今、私たちは、現代文明が量産している数多くの世界的な危機、すなわち気候変動、宗教とテロリズム、難民問題、社会の二極化などを克服し意識革命、生活革命を案内する「心情真理の林道」に足を移動する必要がある。過去20世紀には、韓国の地から世界に広がっていった心情真理事件、すなわち心情の真理と祝福の政治の痕跡を振り返って見なければならならない。そして今日を生きる私たちを介して真の愛の哲学がさらに真正性にあらわれるとき、世界は再び驚きを隠せないだろう。 <ムンユンホン・時事コラムニスト·moon4758@naver.com><原文で読む>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.08.08
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FFWPU(韓国)>お知らせ真のお母様の言葉に私たちの信仰告白私たちが直面し昨今の教会内外の状況を直視しながら72先輩家庭として声を出さずに無対応、無関心で一貫するのは遠い将来の歴史の評価に決して自由でないという責任感に取りつかれている。真の父母を迎えて生きてきた過去には、外部からの攻撃や無理解による試練はあったが、今のように内部の分裂によった混乱は、かつて経験したことがなかった。これはすぐに非原理的反摂理的な集団の蠢動(蠢動)に含めている。彼らは自分たちの立場を正当化するための名分として真のお母様を蔑視(貶毁)してついには真の父母の言葉を恣意的(恣意的)に解釈してその言葉の本末(本末)を転倒している。ここにとどまらず、自分たちの勢力化(勢力化)に家族を犠牲の対象としている。その懐柔(懷柔)に付和雷同(附和雷同)する家族がいることは悲痛である。切なさをよりにすることは真のお母様の言葉について否定して批判する立場を堅持(堅持)するいくつかの家族がいることに私たちは驚きを禁じえない。私たちが守るべき信仰の最高の価値は、真の父母の位相と権威と価値だ。真の父母を一生仕え生きてきたと自負する私たちは真の父母に対して人より多く知っているうぬぼれ(自慢)が自縄自縛(自繩自縛)の束縛(足鎖)になることもあるということを覚えておかなければならない。 真の父母の限定(限定)された経験が自分を偏見(偏見)に埋没させるという事実は、信仰に最も警戒すべき重要な部分だ。偏見に過ぎない自分基準で真の父母と摂理を裁断(裁斷)する場合を犯す最後につまずき(失足)と敗着(敗着)に終わってしまうのだ。元老と称賛を受けてきた先輩たちが空しく、このような銑鉄を踏んでいる現場を、今私たちが目撃していないか。近頃のこのような状況を接しながら、私たちは、胸痛く切なさを超え通分した心情を禁じえない。このような状況の中で、先輩家庭であるため責任ある役割が必ず必要があるという信仰的に強い要求に直面した。ここに私たち72家庭は、信仰的不公平に信仰的定義に対応して真の父母の尊厳(尊嚴)を守る子として道理を果たすための誓いと決意を次のように声明するものである。1.私たち72家庭は真の父母のアイデンティティを歪曲する一切の主張に対して強く反対する。真のお父様と真のお母様は、最終的な一体を成し遂げられた真の父母であられるので真のお父様と真のお母様を分離区別すること真の父母のアイデンティティに対する根本的な毀損と否定に容認できないことを声明(闡明)する2.私たち72家庭は真のお母様が啓示された言葉は、天の秘密に該当するので、私たちの是非の対象ではなく、絶対的な信仰、絶対愛、絶対服従の信仰告白に取ることを声明する。3.私たち72家庭は真のお父様の偉業を実現するために、地上摂理の第一線に対して真のお母様を知性的に仕え生きることが天上にいる真のお父様を大切にことであることについて異見を持たないことを声明します。4.私たち72家庭は真の父母の尊厳が損なわれ、今日の信仰風土を嘆かわしく毀損をあおる言葉や文章、行動は、私たちの信仰のアイデンティティの否定であり、挑戦と規定して積極的に取り組むものであり真の父母の尊厳回復のために最善を尽くすことを声明する。5.私たち72家庭は神氏族メシア使命実行に基づいて、ビジョン2020の目標を達成するための主要な役割を果たすことを声明する。ここに私たち72家庭一同は祝福55周年記念日を期して以上のように信仰的決意と覚悟を表明して約束するものである。天一国5年天暦5月10日(陽2017年6月4日)72祝福家庭一同上記は72家庭の祝福結婚55周年に出された信仰告白である。文章はgoogle翻訳に一部手を加えたものであり、必ずしも正しいものとは限らないのでホームページの原文での確認をお願いする次第である。(こちらから)さて、当ブログではお父様の「独生子」はイエス様同様にクリスチャンの信仰告白によるものであり、また、文鮮明総裁夫妻が「真の父母」「再臨主」も只々、その信仰告白によるなにものでもないことを確認してきた。ところが今日、真のお母様の「独生女」言葉一つを置いて様々な混乱が生じていることは否定できない。特には、「独生女理論」とか称して批判をされる方も少なからずいる。そもそも、私が最初に「独生女理論」なるものを耳にしたのは能登教会教会長として赴任して間もない(三男さん支持の)郭炳憲氏からであった。2015年4月のことであった。それがwebに上がってきたのはそのあとしばらくしてからであり、郭炳憲氏がそれの「名付け親」となってお母様の「独生女」批判のために拡散させた可能性も無きにしも非ずだ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.06.11
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昨日の夕方、ママさんは無事帰国(帰宅)した。清平から仁川空港行のバスが早朝に出るので、そのバスに乗り遅れると飛行機も難しくなるので心配であった。ママさんは今回は能登教会を代表しての参加ということもあったのか、能登の地が天の父母様に申し訳ない思いでいっぱいになり涙の祈祷を捧げてきたという。分派騒動等。しかしながら、役事の時は不思議なことがあったという。背の高い光りを放つ人が来て按手をしてくれたというのだ。しばらくしてその姿がスッと消えた。周りを見渡してもそれらしき人はいなかった。もしかして興進様か?ほか、他地区の方々とも情報交換をしてきたとのこと。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.06.06
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今朝、ママさんは教会長からの特命(徳命)を受けて清平へ。今回はママさんの方の「代理解怨」をお願いしていたのだが、急遽教会長からの電話があり「能登を代表して清平へ」の特命が下された。いつもなら金沢教会で行かれる方にお願いしているのだが、ママさんの他にも数名のそれがあり特別に。最近になって代理解怨される方から行かれる方に少しの(交通費)補助も出すこととなったので経費も少し軽減されて清平へ行くことができるので、ママさんにとっても「徳命」であった。2年ぶりの清平となる。朝、私は金沢までの見送り。その使命を終え、朝マック中。眼は曇り空はまだ大丈夫なのだが、日が差してくると涙目に。(100円均一の)黒サングラスが重宝している。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.06.03
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いきなり、tomy4509の目の前が「真っ白」に。あまりの光のまぶしさに(刺激で)目を開けていられない状態、盲人同然となってしまった。光がこれほどのエネルギーをもっているのだ、と改めて知らされた。結果は目にゴミが入りそれが傷となっての涙目。強い光を避けるため、黒いサングラスをかけての仕事姿だ。昼休み、ママさんから「気付き」の電話。今週、清平で先祖解怨(代理で)したでしょうその解怨前の「朝食断食」とか「50拝敬礼」の精誠条件してなかったよね目が見えなくなったのもコレよ!!ということだった。先祖解怨の話も10日ほど前の突然のことで「代理で行かれるのでどなたか?」で申し込んだものだ。申し込みさえすれば----それが甘かったようだ。今晩から早速「50拝敬礼」の精誠が始まった。しかし、不思議なことも無きにしも非ずだ。土曜日16時半ごろに清平から先祖解怨(代理の方)の受付を受理したメールが私宛にあった。今回は母の父方の解怨をしたのだが、その土曜日の夜に母が訪ねてきて私たち夫婦が知らなかった母の実の父親の親戚がごく最近になって分かって交流を始めていると話していった。私たち夫婦が思っていたそこが直系かとも思っていたが、実は母の母親が離婚しての連れ子として、実は離婚した父の直系の家系があるということを「今、知った」次第である。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.06.01
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新地区体制となって今週もまた、小さな能登家庭教会に恩恵多い1日を天は与えてくださった。第6地区教育部長が来られての「新・親セミナー」が開催された。講座に先立ち第6地区となっての新・地区長、ほか、先週に続き今週も石川教区・教区長も来られて挨拶をされた。「新・親セミナー」は二日ほど前にも金沢教会で行われたもので、教区長曰く、この講座を聞いたその時から奇跡的なことが「バンバン」(誇張的だろうが?)起こり始めているといった話もされていた。例えば、ながく本人からは電話を掛けてくることがなかった息子さんだが、講座の後に電話が突然に掛かってきて親の方が話にとまどった、とか。講座後は、各人が信仰の原点に立ち返って再出発を始めているということだ。ところで、この「新・親セミナー」とは何か?(No.1)多田講師がされておられた従来の「親セミナー」→「家庭力アップ講座」のプレ講座としての位置づけをしていた。まずは、聖書の観点からヤコブの「後日談」をされた。ヤコブがエサウを逃れてハランに向かう途中で、寝ていると夢で神のみ使いたちが登り降りしているのを見た。ヤコブが初めて「神と出会った」地として「ベテル(神の家)」と名付けた。時は流れ、エサウとの件も一段落した後、聖書に書かれてた「後日談」だ。ヤコブの娘デナが汚された事件があり、その兄弟たちが怒り狂って復讐をした。これによって、ヤコブの家庭はそこの住民らから忌み嫌われ滅ぼされる危機を迎えることとなった(ヤコブ家庭に深刻な問題が生じる)。ときに、神からの啓示があり、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んであなたが先に兄エサウの顔を避けて逃れる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい。」(創35:1~)と。ヤコブは家族と僕らに「異なる神々を捨ててベテルに上りなさい」と命じて問題が解決されていったのだ。下図は順番が逆に書かれているようだが。これはまた、聖書だけの話ではない。講義では、私たちもまた、神と出会った「信仰の原点」(ベテル)に立ち返っていく必要を強調している。特には、女性(妻・嫁・母)の信仰の重要性に重点を置いて、サライ・タマル・マリヤの絶対信仰について聖書的観点から学んでいくものだ。これに関したは、私のブログでも取り上げてきた女性の信仰観にも通じるものがあった。今後、各地でもこの講義がされていくものと思われるので、詳細はその折にでも聞いてください。【参考記事】「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ「独生女」考(5)-- 天の血統を重んじる女性の信仰独生女考(10) --「アブラハムの家庭」における「女性」の復帰摂理は?!独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!独生女考(14)-- アベル・カイン、その上に立たなければならないのが「母の立場」!!独生女考(16)-- 「独生女」自体が未知の世界、それを信じるかどうかだ!!独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について 独生女(19)-- 統一原理にも記載されていたエバ(独生女)復帰世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.03.12
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前回記事「霊的な目を開き、真のお父様と真のお母様を見つめるようにしてください(by 文亨進)」に以下コメント(一部)があった。>最近お母様とお父様が一体となっておられる。 という話は聞かなくなりましたね>申し訳ないですが、お父様が霊界に行かれてからお父様の語られていた事がお話しされませんね真のお父様の話ではなく、真のお母様の話(「独生女」など)ばかり。さて、「お母様とお父様が一体となっておられる、という話は聞かなく」なったということだが、逆に言えば、「お母様とお父様が一体となっておられる」証拠である、といえる。私たちが「真の御父母様」といえば、真のお父様と真のお母様がそこにおられる。また、私たちが「真のお母様」といっても今日、真のお父様と真のお母様が一体である、ということだ。私の過去記事でフレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」のことを書いた。真のお母様はお父様と一体であるので語る必要がない!! (Nov 1, 2015 )-----(以下引用)▼ フレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」「文鮮明と統一教会~その人と運動をさぐる~」 元カリフォルニア州ポモナ大教授フレデリック・ソンターク著 松下正寿監訳 世界日報社発行(1979.6.25)私は教会へ来て間もない時で、この本を購入した。一生懸命に読んだかといえば、本を買っては積読(ツンドク)の私であったから1/4は読んだだろうか? その中でも私に残っている内容がある。ソンターク博士が文鮮明総裁とインタビューをしての印象について書いたものだ。米国で牧師に会えばやたらに「神様」という言葉が出てくる。ところが、文総裁とのインタビューではそれがなかったという。それがかえって、神様を近くに感じたという話だ。言葉を換えてみよう。お母様(真の御父母様)の場合は、(A)が(A')について語らないのではない。(A)と(A')が一体となっているから(B)に語る必要がないのである。 である。-----(引用終わり)また、前回記事の説教集の引用で大事な部分が抜けていたので、再照明する。真のお父様と完全に一体の真のお母様(by 文亨進) 食口の皆さん! 私たちは、真のお父様が真のお母様をおしかりになる姿を見ることがあります。問題は、そのような状況を見たときに、真のお父様と真のお母様の深い心情を理解しないまま、「真のお父様が真のお母様に対してひどい扱いをされるので、私たちもこれからは真のお母様に従っていく必要はない」と思ってしまう人がいるかもしれないということです。 それは、正しい信仰者の態度ではありません。私たちは、そのような状況と遭遇した場合にも、真のお母様の深い心情世界を理解し、慰めてさしあげなければなりません。カトリック信者たちが聖母マリヤを変わらない心で愛しているように、完成したエバであり、真のお父様と絶対的に一つとなられたお母様に対して、信仰的基準を失ってはいけません。 真のお父様は、とても緊迫した、切実な心をもって摂理を導いていらっしゃいます。時には、み旨どおりに摂理が進んでいかないとき、しかられたりもします。それは実は、リーダーと食口たちが責任を果たすことができなかったためです。しかられなければならないのは子女たちであるのに、真のお母様は、子女である私たちが傷つくことを願っていらっしゃらないので、真のお父様の怒りと私たちの間にたたれて、執り成しをしていらっしゃるのです。分派の方々は、お父様がお母様を叱られる様子を見ては、お母様とは一体ではないことを主張されるが、2010年3月、文亨進世界会長(当時)の説教のみ言葉である。彼が当時、霊的に真のお母様を見られて証しされたものであった。「真のお父様と完全に一体の真のお母様(by 文亨進)」に同感される方は以下をクリックしてください。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.11.19
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以下は文亨進世界会長(当時)の twitter 応募から送られてきたプレゼント(1/300 名先着順)である。そのカード裏面には「真のお父様のための祈祷文」、「真のお母様のための祈祷文」が記載されていた。また、裏文面には文亨進様のサイン(印刷)まであった。これは、世界会長当時に天福宮教会での礼拝ごとに拝読されていたものであった。特には、天福宮説教集「真の愛の恩恵」(2010年11月1日発行。光言社)、『神聖な愛』(2010年3月21日、天福宮日曜礼拝説教。P.45~)の末尾にこれら祈祷文が掲載されていた。また、この日曜礼拝説教「神聖な愛」では、限りなく「真のお母様」を称賛されていた。以下に小見出しと一部引用を掲載。メシヤの使命真のお父様と完全に一体の真のお母様 真のお父様は、とても緊迫した、切実な心をもって摂理を導いていらっしゃいます。時には、み旨どおりに摂理が進んでいかないとき、しかられたりもします。それは実は、リーダーと食口たちが責任を果たすことができなかったためです。しかられなければならないのは子女たちであるのに、真のお母様は、子女である私たちが傷つくことを願っていらっしゃらないので、真のお父様の怒りと私たちの間にたたれて、執り成しをしていらっしゃるのです。他と比べられない真のお母様の価値サタンと悪なる霊人たちは、真のお父様が歩まれる道をふさぐために、絶えず真のお父様を攻撃してきました。多くの女性を送り、真のお父様と真のお母様の関係を断ち切ろうと攻撃してきました。しかし、神様に向かわれる真のお父様の信仰と真のお母様の愛は、あまりにも大きく、絶対的でした。真の愛で真の父母様は、常にサタンの誘惑と攻撃にしょうりされました。真のお父様を一番御存じである真のお母様真のお母様は聖霊の役事を主管真の家庭の子女たちも、失敗をしたり、悔い改めたりすることがあるとき、真のお母様を訪ね、告白して、赦しを受けます。真のお母様は、時にはしかられたりもされますが、温かい懐で私たちを抱いてくださいます。私たちが心から悔い改めたとき、真のお母様は、私たちを真のお父様のところへ一緒に連れていってくださり、報告して、赦していただけるよう助けてくださいます。何の落ち度もない完璧な人はいません。ですから、私たちには、真のお母様の温かい愛と癒やしが必要です。そのようにして、私たちは過去を清算し、新しく出発できる力と、勇気を得ることができるのです。……霊的な目を開き、真のお父様と真のお母様を見つめるようにしてください。……「真のお父様への祈祷」神様を解放された神聖なる真のお父様!万王の王であられ、再臨のメシヤであられ神様の真の愛を完全に相続された方、栄光を受けてください!個人から天宙まで私どもが犯した罪を蕩減してくださるために七死復活八段完成をされた私の再臨主様最も高く大きな感謝の心であなたに敬拝し神様と真の父母様にすべての栄光をお捧げいたします。アージュ。「真のお母様への祈祷」神聖なる真のお母様完成したエバであられ、聖霊を動かされる方!栄光をお受けください!私どもを生み変えてくださったあなたの聖霊の腹中!栄光をお受けください!子女である私どもを哀れに思って愛してくださり赦しのきとうをしてください!今、そして私どもの昇華の瞬間にも私どもが神様と真のお父様により一層近づくことができるようにしてください。アージュ。(引用終わり)世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.11.17
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日刊Today|2016-10-11http://www.dtoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=235692このような過程を通じて、著者は、最終的に神の下した血脈された宇宙大家族が真の愛絶対価値基準でサンハプ・共生する平和世界到来の必然性を力説する。このような著者の一貫したメッセージは、第理論の統合とトンソプを志向する21世紀の融合学問の時代に宗教と科学の相互交流・通じるの可能性を喚起させる画期的な宇宙原理の研究互いに注目されている。定価15,000ウォン、聖火出版社(truebooks.net)も購読可能である。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.10.14
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毎日宗教新聞|2016-09-26「男性、性交後宗教性、愛他強くなる」米国デューク大学の研究者、性交時に分泌されるオキシトシンの影響分析<続きをgoogle翻訳で読む>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.09.26
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天一国天聖経 P.189から。
2016.09.25
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韓国教会が「異端カルト」を置いて揺れている。というのは、9月12日に異端カルトとして知られているいくつかの教会を第100回総会決議で「特別赦免宣言」したのだが、その逆風も強く20日、総会長チョヨウンナム牧師がそれを撤回するとした。26日から開催される第101回総会では、この特別赦免決議を置いて「有効」「無効」が争われる。http://www.ecumenicalpress.co.kr/n_news/news/view.html?no=41896世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.09.24
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ブログ村では何度となく出てくる問題み言葉の補足です。 お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるhttp://kundoku.blog-fps.com/kyounomikotoba/%E3%81%8A%E7%88%B6%E6%A7%98%E3%81%8C%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AB%E7%A5%9D%E7%A6%8F%E3%81%AE%E6%A8%A9%E9%99%90%E3%82%92%E7%9B%B8%E7%B6%9A%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%82%E3%81%92%E3%82%8B%EF%BC%887%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%89 顕進君がお父様の代わりに祝福することのできる時代になるのです。 については、当ブログでは2012年12月に記事で挙げていた(以下URL)。 http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201212160000/ 郭氏の説明からだ。
2016.07.11
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7月8日、韓国記事からだ。 イッツデイ|記事入力:2016-07-08 11:01 http://www.etoday.co.kr/news/section/newsview.php?idxno=1354248 [今日の人物] 7月8日タクミョンファン - 英雄から商人まで...評価すれ違う宗教活動家 【イツデイイウンホ記者]イウンホ将来設計研究院研究委員「タクミョンファン(1937.7.8〜1994.2.18)は、30年以上も韓国の各種異端と疑似宗教を研究し、彼らの正体を、教会と世界公開した。おかげで異端や擬似集団に陥って滅亡にチダトドン多くの人が普通の生活に戻ることができた。」(作家イジソン「韓国の本当の牧師を探して」で)"タクミョンファンは統一教会を批判しながらも、時によっては、妥協をしてきた。彼はずっと統一教をカルト、政治集団、非倫理的集団と罵倒してきたが、統一協会と妥協しながら、自分が間違って主張したと告白した。」(宗教言論」法と教会」の記事) このように、彼は「擬似宗教を追放した真の英雄」から「擬似宗教商売人」までの評価が大きく分かれる人物である。全北井邑市シンテインリで生まれた彼は、軍服務を終えた後、1965年に龍門山祈祷院の長老であったナウンモン牧師が運営する「福音新報(現福音新聞)」の取材記者として活動しながら、新興宗教の問題点を認識した。そうするうちに1970年10月1日の新興宗教問題研究所(現国際宗教問題研究所)を作った。彼はこの研究所を通じて雑誌「聖別」を出版している新興・異端宗教を集中的に扱った。 2年後から統一教会批判に出た彼は突然1978年9月10〜11日、各日刊紙に統一教の謝罪文を掲載し、多くの人々が困惑した。当然お金に懐柔されたという疑惑が提起された。1980年代には、「聖別」を「現代宗教」に改編して異端宗教の記事を続けて書いた。しかし、記事が主観的、扇情的なので批判も多かった。特に、「わいせつ文書の製造」事件(1969.7)など9回以上の有罪判決を受けた。五大自殺事件でも、彼は集団自殺ではなく、他殺だと主張したが、検察の捜査で事実無根で明らかになった。大成教会(現平安第一教会)信徒のテロで死亡した。イウンホ記者 leeeunho7@etoday.co.kr タクミョンファン氏については当ブログでも何度か登場している(以下)。統一教会に対し、根拠のない異端規定に「恥」さらした異端専門家 ブログ村の昨今-- 『ヘドロシリーズ』、 ルポライター米本和広氏の素顔に迫る(No.12)ブログ村の昨今 -- 故タクミョンファン氏の謝罪文と米本ブログ「ヘドロシリーズ」 No.1 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.07.08
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2016/03/31韓国・ニュース検索からです。以下はgoogle翻訳、スクリーンショット。 詳細記事(google翻訳)はこちら。これまで家庭連合(旧・統一教会)も異端・カルトとして取り扱われてきたが、韓国教会でも見直しの機会が与えられることを期待したい。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.03.31
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2016.03.11
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2016.03.11
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教祖的な信徒と盲信信徒 「全ての宗教が宇宙宗教、全ての宗教人が教祖になるべき」 世の中の万事が原因の無い結果が無いように、私はその原因的主体を創造主、神として信じている立場から、神の実存に関して最近、「鶏龍山」にある仏教宗教団体の元老僧侶とインタビューする過程で、自らの所見を表明しました。「神様がどこにいるか?」 「神様は誰が創造したのか?」と、元老僧侶が尋ねました。そして僧侶は、「アインシュタインがこれからは宇宙宗教が出て来なければならない。キリスト教は宇宙宗教ではない」と言いました。更に、アインシュタインがした話を引用した元老僧侶は、宗教が普遍・妥当性があって科学的に立証される論理で話さなければならないという話を付け加えしました。元老僧侶は「既に世の中は大きく変わって、信徒が聖職者の知識を追い抜いて信徒自身が教祖になったが、こういう現実を把握出来ず、教祖や聖職者は霊能力や特別な能力があるかのように振る舞っては墜落するのが、今日の宗教界の現実であると言った。「地獄はありますか?」と尋ねたら、「無間地獄がある」と言いました。……<続きはこちらから> 訪問ありがとうございますにほんブログ村/家庭連合(旧・統一教会)へのリンク 言葉を変えれば、結論的には「神氏族的メシヤ」、一人一人がメシヤとなって世界平和を実現しましょう!!ということになりますか。
2015.12.16
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PeaceTV-HP>E-book (要ログインから) [2015-10]TP Magazine 天一国3年 天暦9月(2015年 陽10月)号 E-Book ダウンロードhttp://www.ipeacetv.com/data/board_jp/Ebook/bf_file220151019143256.pdf ◎主要内容1. 真のお父様のみ言-神様の祖国と一つの世界2. 真のお母様のみ言-天宙聖和三周年勝利記念集会のみ言、グローバルトップガン修練生集会のみ言3. 特別写真集-真のお母様の動静4. 世界会長のみ言-第6次 天一国最高委員会基調演説のみ言5. 世界平和女性連合 文姸娥会長基調演説6. 大陸別ニュース-日本法人名称変更、米国アラスカ・コディアックの海洋修練会、ベラルーシ二世たちの韓国聖地巡礼、西アフリカ第一回21日修練会
2015.10.19
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日本統一教会公式サイトからです。当法人名が「世界平和統一家庭連合」に改称されました統一教会から「世界平和統一家庭連合」ヘ正式に改名が認められたということです。tomy4509も個人的には訪韓帰国後、ブログ村ヘはボーダーラインを設定した上でカテゴリー「FFWPU日本」の新設をお願いするつもりでいたのですが、やり易くなりました!! 分派、反対派、当然のことながら米本ブログは完全アウトを訴えていくつもりです。APTF脱会の「維新の迷君」氏もアウトです。
2015.08.31
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[会員向け] 2015/8/21KMS U-ONE TV / 2015年8月第3回 番組案内 ********************************************************アメリカ、サンクチュアリ教会の問題に対するお母様のみ言を配信! 「この新しい時代には絶対信仰・愛・服従で真の父母と一つになるのです」********************************************************……上記ビデオ内容の真のお母様のみ言は、TWJ天暦7月(陽暦9月)号でも掲載されるようです。
2015.08.21
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統一グループHP>プレスリリース【月刊中央8月号]ヨンチャンシク世界平和統一家庭連合アジア大陸会長インタビュー「2020年までに、アジア地域の信徒数1千万人時代開きたい」東南アジア地域の7年間信徒数倍以上増え...「氏族的メシア」主義、部族の村の多くの国で説得力発揮7月5日午前8時(現地時間)タイ カラシン(Kalasin)州クチナライ(Kuchinarai)群のノンハンポットチヤ中学校(Nonghang Pattiya School)。休日の朝なのに学校はお祭りの雰囲気だ。屋外講堂に伝統的な音楽が鳴り響いて、華やかに飾られたホール正面の舞台では、伝統的な衣装を着たダンサーの踊りが繰り広げられる。 1時間ほどの公演が行われている間、親の手を握ってきた子供から年配の老夫婦まで伝統的な衣装を着た村の住民約500人が講堂を埋め尽くした。世界平和統一家庭連合(旧統一教·以下家庭連合)の祝福式に出席するために来た人たちである。 「祝福式」は、家庭連合信徒になるための通過儀礼で、一種の結婚式である。宗教的観点から見ると、「洗礼」のようなものである。カモルタナノパヴァーヌ(Kamol Thananopavarn·43)家庭連合タイ 協会長は「家庭連合の家族になるために祝福式を使用して「祝福家庭」がなければならない」とし「しかし、家族がいなくても、超宗教活動の一環として行われる祝福式には誰でも出席することができる」と述べた。宗教団体のイベントだが予算は全額地方政府が負担するとした。カモル協会長は「タイ 政府から家庭連合の「家庭を生かす運動」の純粋性を理解し、積極的に支援する」とし「12個の郡で構成されカラシン州では、今回の祝福式が三番目に開かれるイベントで、今年末までに12個郡全体で祝福式が行われる予定だ」と説明した...[原文で読む] ※該当の記事は、有料コンテンツで[オンライン有料会員]サービスを介して利用することができます。 訪問ありがとうございます にほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。
2015.07.29
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ペテロの第一の手紙 4/12~19愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。上記は7月12日、日曜礼拝の「み言葉訓読」からではありませんが、説教から私が気に留めた聖句です。2000年間クリスチャンたちがそのような信仰を保ってきました。今日、統一食口たちはどうあるべきでしょうか?聖書の中にも多くの例を見ることができます。試練の後には神様の恩賜が待っているということです。
2015.07.12
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「チャリンコこいで世界平和実現?! 完全に終わっているって感じ」などとPeace Road 2015を非難される方がおられる、もはや、夢や希望を抱いた青年時代を過ぎ、壮年としての具体的な行動もなく、老い先の短い月日を数えておられるのだろう。日韓国交正常化50周年を迎えた今年、日韓トンネルへも夢を膨らませていきたいものである。世界を見れば、国境から国境へとPeace Road 2015が連結されている。点から線へ、そして世界が平和理想世界実現へとペダルのひと踏みひと踏みがそれに向かっている。ピースロード旗(アフリカ喜望峰)から。ナイジェリア、ベニン、トーゴへ...... また、ファミリーフォラムJPからピースロードは文鮮明·韓鶴子総裁が提唱した国際平和高速道路を意味して表現した言葉で、国家間の断絶された道を疎通させ、地球の平和と繁栄を実現しようという趣旨で行われてきた、世界的な平和運動である。文鮮明総裁は90代になっても青年のような夢(世界平和)を持たれて生涯をそれに費やされたお方です。草創期の先輩方もまた、その夢に未来の希望を馳せながら迫害を苦ともせずに来られました。その夢、希望を引き継いでいるのが私たちであり、二世・三世にそのバトンを渡していかなければならないでしょう。 訪問ありがとうございます にほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。
2015.07.12
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PeaceTV>今週の歴史(No.106) からです。 世界平和理想家庭教育本部奉献式(1998.7.1、ブラジル・ジャルジン) 1998年7月1日午前10時、ブラジル・ジャルジンのニューホープ農場で、世界平和理想家庭教育本部の奉献式が挙行され、ブラジルの著名人やジャルジンの各界の指導者など3千人余りが参加した。真のお父様は、「個人のために生きるのではなく、家庭として国と世界、神様のために、そして氏族を犠牲にしても国を犠牲にしても世界のために生きる人をつくるのが、ジャルジン研修院の目的である」と語られた。この奉献式を契機として、世界平和統一家庭連合の全世界の食口たちが真の父母様の心情と伝統を相続する「ジャルジン40日修錬」を受けるようになった。 ( 資料-歴史編纂委員会) 2,075双国際合同祝福結婚式 (1982.7.1、ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデン) 1982年7月1日、米国ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、2,075双の国際合同祝福結婚式が挙行された。48カ国から参加した善男善女による祝福結婚式は、米国社会で大きな関心を集めた。真のお父様は、「西欧社会にとって大きな衝撃となた。これから皆さんは、合同結婚式を大いに誇らなければならない」と語られた。( 資料-歴史編纂委員会) 訪問ありがとうございます にほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。 7.4事件 (1955.7.4、ソウル・西大門刑務所) 1955年7月4日、真のお父様はソウル中部警察署に連行され、西大門刑務所に収監された。梨花女子大・延世大生を中心としたエリート大学生と若い青年を主軸とする統一教会の目覚しい成長にブレーキをかけた、いわゆる「7.4事件」である。キリスト教と韓国政府の合作で、真のお父様は西大門刑務所に3カ月間収監された。弟子の金元弼、劉孝元、劉孝永、劉孝敏と共に収監された真のお父様は、10月4日、結審公判で無罪が宣告され釈放された。( 資料-歴史編纂委員会)
2015.07.01
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PeaceTV>今週の歴史(No.105) からです。 「真のお父様、米国聴聞会で証言 (1984.6.26、米国ワシントンD.C.) 1984年6月26日、米上院司法委員会憲法小委員会聴聞会で、真のお父様が証言をされた。300人余りの傍聴者が参加する中で行われた聴聞会で、真のお父様は、「世界最大の対決は、米国対ソ連、民主主義対共産主義の対決ではなく、神様に対する信仰と神様に対する不信である」と語られた。そして、「この法的闘争は、米国の宗教の自由を正す機会となるだろう」と強調された。オーリン・ハッチ憲法小委員長は、聴聞会の証言に直接出向かれた真のお父様に敬意を表した後、法務長官に文鮮明総裁の起訴過程備忘録の提出を要求した。(資料-歴史編纂委員会) 「宗教の自由」大会 (1985.6.26、米国ワシントンD.C.) 1985年6月26日、真のお父様のダンベリー収監に抗議する米国の聖職者による「宗教の自由」大会がワシントンD.C.で開かれた。大会の参加者は胸に白いたすきをかけ、ホワイトハウスの前のラファイエット広場から福音聖歌「We Shall Not Be Moved(我らは屈しない)」を歌いながら、ホワイトハウスに向かってデモ行進をした。牧師たちは、手錠をかけられた手を頭の上に掲げ、宗教の自由のために祈った。宗派を超えた1千人余りの牧師とバークレー大学やハーバード大学など50校以上の大学を代表する2千人以上のCARPの会員たちが参加した。(資料-歴史編纂委員会) 天勝号の進水式 (1963.6.26、仁川) 京畿道仁川市万石洞の埠頭に位置する造船所で、真の父母様をお迎えし、200人余りの中心食口が参加する中、天勝号の進水式が行われた。真のお父様はこの日、祝辞において、「天勝号は、天が勝利したという意味であり、同時に、この天勝号の進水式を行うことは、天と地、すべての勝利の出発となる」と語られた。 真の父母様は、このとき既に海洋摂理を準備しておられた。(資料-歴史編纂委員会) 訪問ありがとうございます にほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。
2015.06.26
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