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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回はなんといっても、1019年の刀伊の入寇でした。予想に反して、かなりがっつりやってくれました(嬉)。今年の大河ドラマは平安貴族社会での、政治闘争にせよ娘の入内のあれこれにせよ、ゆったりした流れしかないのかなと思っていただけに、最終回の手前で武人たちが存分に戦うシーンが見られてスッキリした感じです。刀伊の入寇は高校の歴史の教科書で、ほんの一言ある程度なので、このような出来事だったのかとドラマを見てとても印象に残りました。竜星涼さん演じる藤原隆家に魅了されました。太宰府で共に時間を過ごす者たちを部下ではなく仲間と呼び、仲間と民を思って彼らを大事にします。そんな隆家だから、周囲の人々は彼を慕います。兄の伊周は家の繫栄と権力闘争のことで頭がいっぱいで、しまいには道長を呪詛するほど暗い性格でした。でも隆家は兄とは正反対の性格で、何かあっても今からより良く生きることに切り替えられる明るい性格です。太宰府では地元の役人や武者たちに溶け込んで、本来の彼の姿が出てきたのでしょう。だから異国からの襲撃という非常事態でも、地元の武者たちと一致団結して戦うことができたと思います。上記リンク『光る君へ』のHPに、時代考証の先生の興味深いお話があります。をしへて! 佐多芳彦さん ~刀伊の入寇で勲功を挙げた武者たちの衣装 ⇒ ⇒ こちら もう一つ面白かったのは、『栄華(花)物語』について。私はこれは学生時代に文学史でタイトルだけ覚えていて、内容は知らないままでした。でも調べたら確かに、赤染衛門が書いた宇多天皇から堀河天皇までの平安時代後期の歴史書とありました。あらためて勉強になりました。さてこちらも、参考になる動画です。RekiShock(レキショック)先生の解説です。刀伊の入寇の真相 隆家と武者たちの強固な繋がりが大軍を打ち破る【光る君へ】 ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛仁3年(1019)3月、「源氏の物語」を書き終えたまひろ(藤式部;吉高由里子さん)はふと思い立ち、乙丸(矢部太郎さん)を供にして九州の大宰府までやってきました。そこで思いがけなく約20年前に越前で別れた周明(松下洸平さん)と出会い、はじめは周明はあの時まひろにひどい事をしたと顔を見るのを避けていましたが、まひろはあれはもう昔のことと気にしていませんでした。周明はこの大宰府の地で通事と薬師の仕事をしていて、まひろたちを大宰府の政庁に連れていってくれました。まひろは越前よりずっと立派で人も多く行きかう政庁に目を見張りました。周明の師匠の恵清に宋語で挨拶をし、警護の武者たちが稽古をしている中庭に行ってみると、そこで娘の賢子と親しくしていた双寿丸(伊藤健太郎さん)に会い、こんな場所で会うとはと双寿丸も驚いていました。まひろと双寿丸が話をしていると、そこへ大宰権帥の藤原隆家(竜星涼さん)が武者たちに差し入れで酒を持ってきました。まひろが隆家に挨拶をすると隆家もまひろのことを思い出し、昔の事で多少の皮肉を言いつつも、太閤(藤原道長)からまひろたちを丁重にもてなして旅の安全を図るよう通達があった事を伝えました。隆家はまひろに宋の茶を振る舞い、怪我をした目をここで周明の師に治してもらって見えるようになったら違う世界が見えるようになったと語りました。隆家は、内裏にいた時の世界は狭かった、平為賢(神尾佑さん)を始め、ここでは信じるに足る仲間がいる事が嬉しいと言います。為賢はそんな主人を、何事にも自らの財を用いる身ぎれいなお方、それを皆が慕って懐いている、と見ていました。(金への執着がなく、仲間思いで明るい性格の隆家だから、皆に好かれるのでしょうね)夜になり、隆家はまひろたちのために宴を開きました。藤原助高(松田賢二さん)や藤原友近(出合正幸さん)ら大宰府の役人たちも集まり、都の優美な舞とは違った勇壮な男の舞も披露してくれました。隆家は彼らに交じって舞って掛け声を出し、愉快そうに笑っていました。また隆家はまひろの様子から、女が一人でこんな所までやって来るのには何か訳があるのだろうと感じていましたが追及はせず、そっとしてやりました。翌朝、周明はまひろたちを大宰府の市を案内しました。大勢の人々が行き交う通りでいろいろな店を見て歩いていたら、乙丸が急に声をかけてまひろと周明を呼び止めました。乙丸は紅を売っている店を見つけ、京で自分の帰りを待つ妻のきぬに紅を買っていってやりたかったのです。美しい容器に入った紅を手に入れた乙丸は照れくさそうに笑っていました。まひろは周明に、そろそろここを出て松浦に行きたいと言い、それならば舟で行くのがいいから船越の津まで送ると周明が言ってくれました。程なくしてまひろたちは太宰府を発ち船越の津に向かったのですが、その途中、よれよれの姿で息も絶え絶えに政庁に向かって歩く一人の僧とすれ違いました。僧は壱岐島に住む島分寺の常覚(タイソン大屋さん)という者で、政庁に着いた常覚は必死の形相で大宰権帥(隆家)に取り次いで欲しいと訴えました。常覚の話によると、3月末に異国の賊が壱岐に襲来、子供と年寄りは全て殺され他の者は連れ去られた、作物も牛馬も食いつくされ僧も自分以外は皆殺された。隆家は小舟で何日もかけてここにたどり着いたと言う常覚を「よくぞ知らせてくれた」と労わりましたが、国守も殺されたと聞き、皆は愕然としました。隆家が博多の警護をと言うと大蔵種材が、その前に筑前・筑後・豊前・備前の国守に兵を集めるよう急使をと進言しました。隆家はそれを受け入れ、各地の国司に急使を出し、朝廷にも急報しました。やがて対馬守も太宰府に島着し、隆家はいよいよ戦う決意をしました。隆家は武者たちに「これから博多の警護に向かう。一歩たりとも異人の敵どもを踏み込ませてはならぬ!奮えー!」と武者たちを鼓舞、しかし決して無駄死にはするなと皆に言い聞かせ出陣しました。(この「奮えーっ!の言葉は、2019年の大河ドラマ『いだてん』で、三島弥彦ら天狗倶楽部のエールでよく聞きました。武者たちを鼓舞する掛け声として昔からあったのですね。)博多警護所に到着した隆家は平致行から、賊は能古島に向かったと報告を受け、志摩(福岡県西部)の武者の文屋忠光の挨拶と、100人が殺され400人が連れ去られたがなんとか打ち払ったという報告を受けました。敵襲に備えて集まるよう各地に使者を出したもののいまだ到着せず、どうしたものかと隆家が考えていたら、見張りの者から沖に停泊している敵の船団が動き出したと報告を受けました。隆家はたとえ小勢でも討って出て敵をくい止めなければ無辜の民に害が及ぶと考え、出陣を決意しました。沖から続々と敵が浜に上がってくるのを見た隆家が戦闘開始の合図のかぶら矢を放ったところ、敵は聞き慣れぬかぶら矢の音に戸惑っていました。それを見た大蔵種材はもっとかぶら矢を放つよう隆家に進言し、隆家が了承すると次々とかぶら矢が放たれました。敵がかぶら矢に気を取られていると、浜辺に下りて控えていた平為賢が矢を放って敵に命中、為賢の号令の下、戦闘開始となりました。ここで出柄を上げたい双寿丸らの武者たちは、ひるむことなく一斉に敵兵に向かっていき、浜辺では激しい戦いが繰り広げられました。さて一方、京の都では太宰府での一大事を知ることもなく、太閤・藤原道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)は、若き日の自分の教育係であり長年傍で仕えていてくれている赤染衛門(凰稀かなめさん)に夫・道長の物語を書くよう依頼していて、その打ち合わせをしていました。ただその物語は887年に即位した宇多天皇の時代から始まっていて、道長の物語になるまでずいぶんと時間がかかりそうでした。(このとき1019年)倫子がそのことを言うと衛門は、藤原の物語を書くなら大化の改新(645年)から書きたいくらいだと言い、自分が成すべきことはかな文字で歴史書を残すことと胸を張って言いました。衛門はこの仕事に迷いのない自信に満ちた考えを持っていると知った倫子は「もう衛門の好きにしていいわ」と言うしかありませんでした。隆家が指揮する武者たちの奮戦によって、敵は一旦は能古島に引きました。しかし再びどこかから攻めてくるだろうと隆家は考え、その前にこちらから撃って出て追い払う、そして戦船が要るので集めるよう為賢に命じました。隆家が敵が次に攻めてくるとなるとどこかと椿西在地の武者である財部弘延に問うと、船越の津あたりだと答えました。隆家は財部らに兵を集めて船越の津に来るよう命じ、戦船が集まったと報告を受けたら能古島に出陣して敵を追いかけて討つよう為賢に命じました。ただし対馬より先に進むと高麗の海になり、こちらから異国に戦を仕掛けた事になるので、対馬より先に行かぬよう注意を促しました。船越の津に来ていたまひろと周明でしたが大雨のために動けず、浜辺の小屋で互いに語らい合いながら一夜を過ごしていました。まひろが、道長への思いを絶ちたいし、今は自分の居場所もなく何も書く気が起こらないと胸の内を語ると、周明は静かにそれを受け止めてくれました。「紙と筆と墨があれば、どこでも物語は書ける」と言ってくれた周明の言葉にまひろは心が軽くなり、穏やかな気持ちで朝を迎えることができました。夜が明けて出発の船を待つ間、周明はまひろに「必ず太宰府に戻ってきてくれ。その時に話したいことがある。」と言いました。しかしその時に異国の敵が急襲し、まひろたちは逃げ場を失ってしまいましたが、船越の津に進軍していた双寿丸らの武者たちが駆けつけました。周明はまひろの手を引いて逃げようとしたのですが、矢が周明の胸を貫き……。
December 4, 2024