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この時期、各地でも盛んで、今晩も H氏の住む当地区の奥まった公園で挙行されるらしい。去年まで役員をやらされていたが、今年はご勘弁頂き、替わりに,ヨメが福祉の手伝いでタコ焼き作りの準備に、昨日から張り切っており、今日も3時から狩り出されている様だ。櫓つくりは今朝9時からもう始まっている。
H氏の田舎 小倉でも、同じ町内の 普門寺で行われ、薄暗がりな境内に提灯が灯り、境内の石仏にも果物や御菓子が盛られ、後でおすそ分けもあり この時期は楽しみな行事だった。踊りの曲は、「 東京音頭」や、当時はやっていた「 真室川音頭」等だったが、なんといっても、地元でもある「 炭鉱節 」が多かった。
篠崎の高台の、更に小高い場所にある、 普門寺 は、通常、 観音さんと呼ばれ、 子供時分の絶好の見晴らし場でもあり、遊び場、木登り場、隠れ場、子供同士の喧嘩の果たし場でもあった。
その根元を通り、更に石段を登ると、境内になり、樹木に囲まれたそれなりの広場が盆踊りの会場だった。元々の本堂は戦後直ぐに、建て替えられたが、その敷地からは、経文や梵文字の一字が書き込まれた小石がびっしりと敷き詰められ、和尚さんを手伝いながら集めた事も忘れられない。古いお寺の歴代 の墓碑の拓本を採る際、お手伝いを仰せつかりながら、中間考査の勉強途中の事を思い出し、訳も告げずにその場を立ち去ったお詫びもいってない事を今更思い出し、汗顔の思いがする・・・
境内には、5~6mの高さの「 悲母観音」像が立ち、それゆえ、 観音さんと愛称されたお寺だった。
H氏家とは宗派が違うので、残念ながら、当家のお墓所ではなかったが、その折の和尚さんは今から思うに、まだお若く、子供達とも良く遊んでくれた。盆踊りも上手だし、裏手の墓所での肝試しには払子を持って墓の裏から現われて、子供を怖がらせたりする茶気もあり、建て替えた際のお寺の開眼法要には、相撲場もこしらえ、盛大な相撲大会の折には行司も勤めてくれた。時には従軍時の悲惨な戦争の折の話もしたり、早朝の法話もあり、夏の暑い折は、お寺を 夏休みの自習の場としても解放してくれていた。透き通ったお声でお経をおとなえになるお声には威厳もあり、叱られると、怖かった。
そういえば、こんな事をしでかして、叱られた事があった・・・
小学生時分の或るとき、遊び仲間のだれかが 霞み網をどこからか手にいれた。日頃は境内で油蝉やクマゼミ、ちょうちょ、とんぼやそれを捕る道具で竹さおの先に丸い針金を付け、その間に 蜘蛛の巣の糸を巻き、女郎蜘蛛を追い払う事までは、大目に見ていた和尚さんの慈愛に気づかず、
その境内の両側に竹ざおを立て、かすみ網を一杯に広げ、 めじろを見事捕まえた処を見つかり、「 喝!
殺生を禁じたこの場所を何と心得てのふるまい! 後ろ向きの坊主頭には皆、見覚えがあるが、よくよく考えて、早々に立ち去れ!」と大喝をくらった。その折、すごすごと引揚げた、しおれきった仲間の顔も一々懐かしい。
その後にはそんな事も忘れた顔でにこやかにふるまわれ、「二度とすまい!」と子供心に誓った事だが・・・もうお浄土に旅立たれて、幾星霜とお聞きしている・・・。
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