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少年時、見た映画の話は、今しばらく置いておくとして、娯楽の少ない当時は連続ラジオ放送が楽しみでした。
「 鐘の鳴る丘」
は、あのテーマソングと共に、共感し、共に泣き、共に喜んだものでした。
昭和22年(1947)7月に始まり、以後3年半、600回にわたって放送され、昭和23年(1948)には、松竹によって映画化され、全部で3本作られたそうです。
菊田一夫作詞・古関裕而作曲 で (「 とんがり帽子
」)唄うは 川田正子
緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メイメイ仔山羊(こやぎ)も 鳴いてます
風がそよそよ 丘の家
黄色いお窓は おいらの家よ

二木紘三のWebサイト
より 借用
詳しいストーリーはもう ボロボロに忘れましたが
、
当時、戦災で焼け出され、食うものも住む処もない戦災孤児が大勢いた時代を背景に
一人の復員してきたおじさん( 当時はそう感じたが
、 本来は若い人
)が、食わんがため止むを得ず非行に走った、孤児たちと力を合わせて 信州の山あいに「少年の家」を作り
、共同生活を始め、立ち直り、更正していく話で、当時、その色々な話が身につまされ、感動を呼んだものでした。
(第2次世界大戦で日本人戦没者は約310万人にのぼり。 12万4千人の子供が戦災孤児になった
。うち1万3千人は、戦後数年たっても東京・上野駅周辺をねぐらとする浮浪児といわれた。・・・・ いったい誰のせいだったのでしょうね・
・ ♪よ~く考えよう、
いわずもがなですが~
)
後年、社会人に成り立ての折、信州にスキーにいった際、フラットな 栂池スキー場内に、鐘の鳴る丘ゲレンデ
があり、赤い屋根のとんがり帽子の時計台が雪を被り、この場所だったのかと感慨に耽った覚えがありますが、調べてみると、撮影場所はそこではなく、
実際に映画撮影された建物は、長野県南安曇郡穂高(ほたか)町(現在は 安曇野市穂高
)にあった青少年の更生施設「有明(ありあけ)高原寮」がモデルだったそうで、それも
実際にモデルになった時計台つきの旧建物は、昭和55年(1980)に約600メートル離れた場所に移築・復元され、「 鐘の鳴る丘集会場
」という青少年の合宿訓練施設となっているそうです。次回、信州安曇野方面に行く機会にでも、寄ってみたいものです。
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