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本日、NHK教育テレビ 『福祉ネットワーク』
で
『石井筆子を知っていますか~映画になった障害児教育の母~』
が放映されます。
詳細の放映日時は、
2月14日(水)20:00~20:30
(再放送は2月21日(水)13:20~13:50)
<NHK福祉ネットワークHPより番組内容転載>
日本の知的障害児教育の母・石井筆子。長崎の名家に生まれ、
津田梅子とともに女子教育の先駆けとなり「鹿鳴館の華」と言われた。
授かった長女に知的障害があったことから筆子の運命は変わった。
日本初の知的障害児施設「滝乃川学園」を設立した石井亮一と再婚し、
亮一の死後はみずから園長となって、障害者の教育と生活を
守るために尽力した。筆子の生涯をたどる。
『筆子・その愛 -天使のピアノ-』の山田火砂子監督と
常盤貴子さんがコメンテーターとして 出演されるそうです。
★NHK『福祉ネットワーク』番組情報
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/
★映画『筆子・その愛 -天使のピアノ-』公式HP
http://www.gendaipro.com/fudeko/
★(財)日本ダウン症協会
http://www16.ocn.ne.jp/~jds2004/
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石井 筆子(いしい ふでこ、慶応元年4月16日(1865年5月10日) - 昭和19年(1944年)1月24日)は、日本の近代女子教育者の一人。日本初の知的障害者福祉の創始者の一人。
筆子は、肥前国大村藩士渡辺清・ゲンの長女として生まれる。父清は幕末から明治維新にかけての志士で、明治政府では、福岡県令や元老院議官等の要職を歴任し、男爵に叙せられた。筆子の叔父渡辺昇も同じく幕末~明治維新の志士で、坂本龍馬と親交を持ち、薩長同盟の周旋をした功労者である。
筆子は、東京女学校を卒業後、皇后の命により津田梅子や山川捨松らとともに欧州に留学する。日本初の女子海外留学生である。帰国後、津田と筆子は華族女学校の教師となり、筆子はフランス語科目の授業を受けもった。そのときの教え子に、貞明皇后がいた。また、鹿鳴館の舞踏会にも度々参加し、「鹿鳴館の花」と評判だった。
さらに、静修女学校の校長に就任し、近代女子教育者としても活躍した。静修女学校は後に津田梅子が主宰していた女子英学塾に引き継がれ、現在の津田塾大学となる。
筆子は、同郷の高級官吏小鹿島果と結婚するが、生まれた3人の娘はいずれも健康ではなく、一人は知的障害があり、あとの二人は虚弱児であった。その上、1897年に夫の果が35歳の若さで死去する。
その後、娘を石井亮一が主宰する滝乃川学園に預けていた経緯から、学園に経済的・精神的な援助を惜しまないようになる。その過程で、園長石井亮一の人間性に惹かれ、再婚。知的障害者の保護・教育・自立に献身する。
当時の世情は、知的障害への理解が乏しく、亮一・筆子は度重なる苦難の中、学園を発展させ、現在の社会福祉法人滝乃川学園として至っている。
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