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●金澤泰子(文)、金澤翔子(書)『萌 芽』雑誌『星座・歌とことば』2008年3月号(草萌号)『書-こころのかたち』より「萌 芽」◇金澤泰子 小学四年生になった時、翔子は普通学級での在籍は無理だと、新しい担任の先生に登校を拒否された。新学期に向けて想いを膨らませていたので衝撃であった。春爛漫の陽光が余りにのどかであった故になお悲しく、途方に暮れた。なすすべもない私は、翔子に大作の般若心経を書かせようと決意した。十才の知的障害の子に大紙への二六二文字の挑戦は無謀に思えた。しかし、これ位の事をしなければ二人の胸は治まらなかった。毎夜、私が罫線を引き、来る日も来る日も繚乱と続く二人の共同作業が展開され、遂に三組の心経を書き終えた。翔子には厳しい鍛錬の刻であった。 思えば翔子が書の道で生きる兆しはこの般若心経に在った。何処へとも行方の知れない辛い不安な凍土があったから、あの凄い心経が芽ぶいたのでしょう。(以上転載許可済みです)-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-いつも泰子様のエッセイを掲載させていただく時は、事前に送って頂いた雑誌「星座」もしくはそのコピーからスキャンしてブログ記事を作っているのですが、今回は「エッセイ」と「書」の両方のデータを金澤泰子様からご提供して頂きました。そのため、今回は若干今までと構成が違うと感じられるかもしれません。雑誌「星座」に連載されています泰子様のエッセイ、こちらでの掲載は、一重に金澤泰子様がダウン症のお子様を育児されていらっしゃる親の方へ少しでも参考になればというお気持ちからご縁があったものです。隔月の連載で、もうかれこれ1年以上お世話になっています。連載までの経緯は、以前より私があるご縁で金澤翔子さんの書に魅せられ、翔子さんをこちらでご紹介させて頂いているうちに自然とそのような話になりました。丁度連載が始まった時期に泰子様と直接お話させて頂く機会があったおかげかもしれません。なんにせよ一個人のブログにこのような素晴らしいエッセイと書を掲載させて頂くこと、改めてとても光栄に思い、感謝の気持ちで一杯です。私と同じく毎回感慨深く読まれていらっしゃる方も多いのではないかと思います。実際に翔子さんを育児されてこられた泰子様の様々な思いが、今までのエッセイはもちろんのこと、今回の「萌芽」にも強く感じられます。この気持ちは実際にダウン症の我が子を育児している親にしか多分わからない気持ちだと思います。私はまだまだこれからのことが多いので、本当のところはまだよくわからないことだらけだと思いますが、このエッセイと書の絶妙な組み合わせを毎回一読者として楽しませて頂いています。毎回貴重なエッセイを掲載させて頂いている金澤泰子様には本当に感謝の言葉もございませんm(゚- ゚ )★今までご紹介させていただいた金澤泰子様のエッセイは下記リンク先の中に全て入っています(^^)http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47
2008年04月06日
●金澤泰子(文)、金澤翔子(書)『飛 翔』雑誌『星座・歌とことば』2008年1月号『書-こころのかたち』より金澤翔子(小蘭)書「飛 翔」 【縦70cm×横136cm】(金澤泰子様から頂いた絵葉書より)「飛 翔」◇金澤泰子 雀や烏が電線のあたりで飛ぶ姿を、人は飛翔しているとはあまり言わない。はるばると天空高きを悠然と、鋭く飛ぶ鷹や鷲などを指して飛翔していると言うでしょう。永い時を経て作り上げた遺伝子と、幾多の戦闘の果てに獲得した、その美しい姿を彼等自身はきっと知らない。我々が憧れ仰ぎ見ていることも知らず飛んでいるだけなのでしょう。 私もあの様に飛翔してみたい。しかし彼等の様な飛行の歴史も遺伝子も持たない私達は、美しく飛ぶことは案外難しいかもしれない。・・・心に強く想い、ひたすら念ずれば叶う・・・と生物の時間で習いました。ですから天空で舞う彼等の雄姿を心にしっかりと刻み、深く念じ、ホープフルモンスターになって、 今年は凛々と飛翔しようではありませんか!(以上転載許可済みです)★今までご紹介させていただいた金澤泰子様のエッセイは下記リンク先の中に全て入っています(^^)http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47
2008年01月25日
●雑誌『星座・歌とことば』11月号 『書-こころのかたち』より『孤 雁』 金澤泰子(文)、金澤翔子(書) 「孤 雁」 金澤泰子 孤雁・群れを離れてただ一羽だけでいる雁。 どの様な理由で、 どの様な想いで一羽だけになったのか。群れを離れると云う事は自然界では生死に関わる一大事であろうから、 きっと緊迫した事態があったのでしょう。 千人に一人の割合で出生するダウン症児を授かった私も、又ある時期、深い諦念と共に健常者の連帯から離れなければならなかった。 今は知らず二十数年前は皆と同じ様に手を携えて生きるのは難しい事であった。 自らの狭い思い込みの中で、追い詰められ、悲嘆にくれ、 苦しみの極みで、 遂にある一線を越えた・・・・・・ 果たして、そこには思いがけず安穏な素晴らしい地平が展けていた。 大空を一羽だけ飛ぶ雁も、 きっと苦しい刻を過ぎ、 今は誰も知らない世界を味わっているでしょう。(以上転載許可済みです)★今までご紹介させていただいた金澤泰子様のエッセイは下記リンク先の中に全て入っています(^^)http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47
2007年11月30日
●雑誌『星座・歌とことば』9月号 『書-こころのかたち』より『旅 愁』 金澤泰子(文)、金澤翔子(書)「旅 愁」◇金澤泰子 中国の山奥、客家土楼(はっかどろう)に行った。故宮にも万里の長城にも興味を示さなかった翔子が、巨大な土楼の中の一匹の兎に釘付けになった。「ミミ(家で飼っていた兎)がいた」6年間可愛がっていたミミが家から姿を消して4年余、杳として行方が分からずに居た。ミミはお月様に行ってお餅をついている、と翔子の方法で納得していて、よく月に向かって「ミミ元気?」と話しかけていた。それなのに何が符合したのか今回土楼の一角の兎がミミだと言い張る。「ミミ寒くなかった?」等と涙ぐんで話しかけて動かない。東京の家から月を経由してこの土楼にミミは暮らしている。翔子のシュールな想い、それはそれでいいのだが、二十歳を過ぎた我が娘の知的検証に欠ける、このような考えに私はいつも少し哀しい。 旅先の里でのほろ苦き思い出の一つである。(以上転載許可済みです)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※※上記エッセイが完成するまでの過程金澤泰子様のお話では、最初に出版社側から翔子さんが書かれる字を提示され、それを翔子さんが「書」にしたためた後、泰子様がその「書」に関連するエッセイを300字以内で執筆されることになっているそうです。この度の原稿(文)はFAXでしたので、雑誌のコピーを掲載する事が出来ませんでした。何分ご了承くださいませ。★金澤泰子(文)・金澤翔子(書)『愛にはじまる』(2006年7月出版)★今までご紹介させていただいた金澤泰子様のエッセイは下記リンク先の中に入っています。http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47
2007年09月17日
●雑誌『星座・歌とことば』7月号 『書-こころのかたち』より『一以貫(いちいかん)』 金澤泰子(文)、金澤翔子(書) 「一以貫」 ~ひとつを以って貫く ◇ 金澤泰子 祖父は教師であったけれど書に非常に憧憬が強かったと聞く。父も夜な夜な懐素や王鐸の書を臨書していた。私も四季の折々に床の間に飾られる祖父の書いた掛け軸を日がな眺めては「この線はウソだ」「この字の角度は少しおかしい」等と小さい頃から書に魅せられて60有余年が経った。祖父も、父も、私も本職の蔭で秘かに書に費やした時間は膨大であった。が、遂に書家として世に問われることはなかった。そして今、いつの頃からか環境により書の世界に引きづり込まれてしまっている我が子・翔子に、私の見果てぬ夢、成し得なかった書への想いが引き継がれた。 もし、万が一、翔子が書家として世間に認められる様なことがあるとすれば、それはひたすら書によって貫かれた我々の血、DNAの祈りにも似た願いなのであろう。※別紙で泰子様から頂いた上記「一以貫」の書の印刷です。送付状態の関係で少し折り目がついておりますがより詳細に分かると思い下記に掲載いたします。
2007年09月09日
今回と次回の2回に分けて、金澤泰子様のエッセイをご紹介させていただきます。金澤泰子様は、ダウン症の女流書家・金澤翔子さんのお母様。現在、かまくら春秋社発行の、『星座・歌とことば』(隔月発売)において泰子様(文)、翔子さん(書)のコラボレーションでエッセイを連載されていらっしゃいます。このエッセイが出来上がるまでの過程について、先日泰子様から興味あるお話をお聞きしました。まず最初に出版社側から翔子さんが書かれる字を提示され、それを翔子さんが「書」にしたためた後、泰子様がその「書」の関連文を300字以内にまとめる、といった聞くだけでとてもワクワクする面白い企画でした。泰子様もとても楽しそうに話されていましたので、この連載結構続くのかな~なんて期待しています。。m(゚- ゚ )初回連載時より泰子様のご好意により私のブログで貴重なエッセイをご紹介させていただいています。今回は『星座』5月号、次回は7月号に掲載されたエッセイをご紹介させていただきます。(出版社には転載許可済みです)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※●雑誌『星座・歌とことば』5月号 『書-こころのかたち』より『青葉闇』 金澤泰子(文)、金澤翔子(書)「青葉闇」◇ 金澤泰子幼女期を運ぶ夏風逆転の歯ぎしり充てるわが瑠璃時計 今、私と机を並べて「青葉闇」の書を書いている娘・翔子と同じ齢のころに作った私の拙い短歌である。 少女の頃、初夏の日は緑が濃く、陽光がキラキラして、世界の明暗がはっきりしていた。そして光る青葉が重なり合った葉陰に出来るヒンヤリとした静寂な空間、凛としたその暗がりから出ると、外の景色が一段と深く、ありありと美しくなることがとても不思議であった。 私のそばで、無心に書を書いている翔子の目に、果してこの初夏の世界はどの様に映っているのであろうか。※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※<今までこのブログでご紹介の金澤泰子さまのエッセイ>★金澤泰子様エッセイ、『ダウン症って、本当は何?』 http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705280000/★金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『慈悲』 (雑誌『星座』1月号より転載) http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706010000/★金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『微笑』 (雑誌『星座』3月号より転載) http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706050000/★このブログ内の金澤泰子様関連の記事リンク集です。http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47
2007年09月09日
女流書家・金澤翔子さんのお母様、金澤泰子様の記事が増えてまいりましたのでこの度カテゴリを作ることに致しました。★こちらのリンク先になります。http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47トップページ左サイドバー、『カテゴリ』欄下の『金澤泰子様エッセイetc』へのリンクになります。雑然としていてまとまっていませんが、今までの泰子様関連の記事が全て入っております。改めて読み返してみましたら、初めてお電話させて頂いた時の事、エッセイの掲載を快く承知して下さった事、そのエッセイに頂いた読者の方からのお手紙の事など、過去に書いた記事を読んでいてとても感慨深い思いが致しました。それはどこからくるものかと考えましたら、やはりひろくんと同じダウン症という障がいを持って生まれた翔子さんを途中から女手1つで育ててきた(お父様は早くにお亡くなりになられたので)その経験の重みからくるものだと思いました。翔子さんは現在22才。素晴らしい才能を開花させていらっしゃいます。私もひろくんを育てている以上、それは人事ではありません。その思いもありまして、泰子様からは多くの事を学ばせて頂いています。とてもありがたいことに泰子様は、翔子さんと同じダウン症の子どもを育てられていらっしゃる方々に少しでもお役に立てればと、ご多忙な中ですが、私宛に雑誌や資料を惜しげもなくお送りして下さっています。私のブログはとても小さいですが、泰子様のそのお気持ちを精一杯汲ませて頂いた上で、泰子様からお預かりした資料を掲載させていただくつもりでいます。泰子様からの恩恵が、私も含めてたくさんの方に伝わりますよう心から願っていますm(゚- ゚ )
2007年09月08日
今回は泰子様のエッセイ『ダウン症って、本当は何?』を読まれて、お手紙、ご感想、コメントを下さった方へのお知らせです。私宛に泰子様からメッセージを頂いておりました。頂いたメッセージは下記文になります。お便りを下さった皆様にくれぐれも よろしく お伝え下さいませ。とても うれしかったので・・・活字で書くと簡単なように思えますが、手書きのお手紙でしたので、私はとても重く感じました。私の事情で、すっかりお伝えすることが遅れてしまって大変申し訳ありませんでした。 <今までご紹介の金澤泰子さまのエッセイ>★金澤泰子様エッセイ、『ダウン症って、本当は何?』 http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705280000/★金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『慈悲』(雑誌『星座』より転載) http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706010000/★金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『微笑』(雑誌『星座』より転載) http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706050000/
2007年08月25日
先日、ダウン症の書家・金澤翔子さんのお母様、金澤泰子さまのエッセイ「ダウン症って、本当は何?」をご紹介させていただきました。★金澤泰子さまエッセイ「ダウン症って、本当は何?」http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705280000/このエッセイをご覧になられた方が、金澤泰子さま宛てのお手紙をメールにて私に託されました。私自身、そのお手紙の内容にとても感銘を受けましたので、まだ幼いダウン症の子を育てていらっしゃる親の方にも大変参考になると思い、大変恐縮ながら私のブログで紹介したい旨をその方にお願いし、今日ご紹介出来ることになりました。 I.Tさん(イニシャルです)は、現在、10歳のダウン症の次男くんと、中学1年生の長男くんを育児されている主婦の方です。翔子さんが21歳、その丁度中間の年齢がI.Tさんの次男くんに当たることもあり、私はこのお手紙が大変参考になりました。それでは、I.Tさんが金澤泰子さまに宛てたお手紙をご紹介させていただきます(^^)b※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※金澤泰子様はじめまして。わたしには、中学1年の長男と小学4年生になるダウン症の次男がいます。この度、金澤様のエッセイを読む機会が持てたこと、とても感謝しています。「ダウン症とは本当は何であるか?」と聞かれたとき、確かに「知的障害があって、言葉もうまくしゃべれなくて・・・」かなり、否定的な表現でしか伝えられなかったと思います。それに、こうしないと「つよがってる・・・」っていう風に捉えられることもありますから。しかし、最近になってようやく「ダウン症」のことが少しづつ理解できてきている気がします。今回のエッセイの最後の文章にふれて、ダウン症とは何であるか・・・がすべて集約されている気がしました。私自身のことですが、次男が生まれたとき、はっきり落胆したのを昨日のことのように覚えています。絶望もしたし、周りの人たちを巻き込んでは、悩んだり苦しんだり。泣いて暮らしたといっても、大げさではないと思います。そして、わたしがあの時、いちばん悲しく思ったのが、「ふつうに産んであげられなくてごめんなさい。」ということです。それは、赤ちゃんに対してもそうだし、周りの人にも。そして自分にも・・・だったと思います。今年で10才になる次男との日々は「ふつう」という言葉に縛られてきた気がします。どうしたら「ふつう」に近づけるのか?どうしたら「ふつう」っぽく見えるのか?何事もうまくはできない次男へ「ふつうにしなさい」というひどい言葉でしかりつけたことも、何度もあったと思います。でも、こうして先輩の言葉に触れて、わたしが縛られてきた「ふつう」とは、一体、彼に何の意味があるのかと思うのです。ダウン症の大きな障害である「言葉の壁」には、ことごとくぶつかります。初めて彼と出会う人は、大抵この「言葉」で彼を「ふつう」じゃないと判断します。しかし、翔子さんと同じように彼もまた自分の持っている少ない言葉で自分の気持ちをストレートに的確に伝えることができます。それから、数の概念に関しても、とても苦手です。しかし、あるべき時間は、必ず彼の中に存在していて自分なりのルールでそれを守って生きています。そうなんです。きっと、わたしたちが心配するようなつらさや苦しさなんかは彼の中にはきっとなく、ただ毎日を楽しく自分のペースで過ごしているだけなんです。「ふつう」じゃないから「かわいそう」そういわれる彼らはちっとも「かわいそう」な人じゃないんですね。きっと、これから先も同じスタンスで生きていくのでしょう。そう、天使のように。。。ですね。わたしは何もできない母ですが、彼を見守る役をもらったわけですから、つまずいてもつまずいても彼を見守り続けられるよう、がんばっていかなくてはいけません。先輩の言葉に勇気と希望をもらいながら。。。すみません。エッセイの感想というより、自分の話ばかりになってしまいましたが、「がんばれる」勇気をいただけた気がします。うちの子にはどんな未来が待っているのか?心配だけじゃなく、楽しみが増えた気がしています。素敵な文章をありがとうございました。I.T※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※実は、お手紙のご紹介を承知してくださったI.Tさんは、私のブログによく遊びに来てくださる、美美りん♪さんなんです(^^)★美美りん♪さんのブログ「*Sweet Home*」http://plaza.rakuten.co.jp/pikopikomama/美美りん♪さんのブログでは、次男くんのことは時々しか書かれておりません。でも、とても楽しく生活されているご様子が伝わってきて、その雰囲気だけでもとても楽しくなれます(^^)特に、食べ物のお写真がきれいで楽しいし、お店(多いところではスタバ、タリーズ、ミスドなど)でのおいしいもの情報は私も参考にさせていただいています!(^u^)♪健常児を育てている方には理解できないかもしれませんが、(失礼^^;)ダウン症児の育児はとても楽しいです!(^^*)私のひろくんはまだあかちゃんですのでこれも当たり前だと思いますが、美美りん♪さんのブログを見て勇気付けられるのは多分そのところなのではないかと思っています(⌒▽⌒)bこれからひろくんを育てていく不安はもちろん私にもあります。でも金澤泰子さまもそうなのですが、育てていらっしゃる母親やご家族が生き生きとしていらっしゃる様子を目の当たりに見ると、その雰囲気だけでもとても勇気付けられますo(^-^)oこれからも美美りん♪さんの楽しいブログに期待しています!この度は大切なお手紙をこちらでご紹介させていただき誠にありがとうございました<(_ _*)>
2007年06月27日
金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『微笑』(雑誌『星座』より転載)前回に引き続き今回も、金澤泰子様のエッセイをご紹介させていただきます。かまくら春秋社発行の、『星座・歌とことば』(隔月発売)本年3月号に泰子様がご投稿されたエッセイ『微笑』です。(出版社には転載許可済みです)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※『微笑』 書・金澤翔子 知的障害と告げられ、悲嘆にくれていた頃、翔子が子犬を見て、頬を染めて微笑んだ。凄い!どのようなメカニズムの下で微笑み、幼い肌に紅がさすのか。これはもはや人間業ではなく、神の御業(みわざ)だと感じた。「翔子は大丈夫」と思った。こんなにも繊細な感情が体の中で創り出されているのだから、と希望が見えた。又、何故この子がダウン症なのか、と神に執拗にすがり、詰め寄っていた時期、古い本の中に「神は朝顔の咲く刻さえ正確に設定している、ましてや人間に対しては・・・・・・」と云う一文を見つけた。有難かった。今、高度な機械文明や過剰な物質文化にまみれた思考範疇では、何の見返りもなさそうな、か弱く消え入りそうな「微笑」を取り戻さなければならない気がする。 (文・金澤泰子)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※以上で、私が金澤泰子様からお預かりしていたエッセイの紹介を終わります。今後も泰子様、翔子さんのご活躍にとても期待しています。★金澤泰子さまエッセイ『ダウン症って、本当は何?』http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705280000/金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『慈悲』http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706010000/
2007年06月05日
金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『慈悲』(雑誌『星座』より転載)今回より2回に分けて金澤泰子様の連載エッセイをご紹介します。ご紹介させていただきますエッセイは、かまくら春秋社発行の、『星座・歌とことば』(隔月発売)において、本年1月号と3月号に泰子様がご投稿されているエッセイになります。今回は1月号、次回は3月号をご紹介致します。このエッセイは、金澤翔子さんが書を書かれて、お母様の泰子様が文を書かれるという、一風変わったエッセイになっています。今回は、『星座・歌とことば』今年の1月号より『慈悲』をご紹介させていただきます。(出版社には転載許可済みです)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※『慈悲』 書・金澤翔子 ダウン症の娘、翔子は慈悲に満ちている。今の世で必要な経済の観念や社会的名誉等々の欲望は削除されて生きている。 慈悲行を遂行するのみが存在理由(レゾンデートル)で、平素、「慈悲童子」と呼ばれている翔子に、一面識もない編集の方が「”慈悲”の書を」と望まれた。これほどすばらしい呼応があるだろうか。私は衝撃的な想いで、この書に取り組ませた。 翔子は、大きな紙に一気に書き上げた。 (文・金澤泰子)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※★金澤泰子さまエッセイ『ダウン症って、本当は何?』http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705280000/
2007年06月01日
●金澤泰子様エッセイ、『ダウン症って、本当は何?』ダウン症の女流書家・金澤翔子さんのお母様、金澤泰子(やすこ)様のエッセイをご紹介致します。掲載についての詳細はこちらをご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705240000/※このエッセイは、翔子さんが成人されたのを機に、泰子様が翔子さんへの思いを綴られた内容になっています。昨年12月の「神奈川県医師会報」に掲載されたエッセイです。(医師会様には転載許可済みです)※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※『ダウン症って、本当は何?』 金澤泰子雪の中でいっしょに遊んだよね、駅まで二人で行ったよね、いっしょにお勉強したよね、風の中歩いたでしょ、電車の中でお話したでしょ、二人で雨にぬれちゃったでしょ‥‥原稿用紙一枚分位に、延々と二人の出来事が綴られている。ダウン症の二十歳になる私の娘・翔子の文章である。好きとか愛しているとか一言もなく、修飾する言葉もなく、只ひたすら一緒にした事を書いているだけ。ダウン症の大きな障害の一つは言語障害と知的障害。未だに片言で語彙は極めて少ない。語彙が少ない分、発する言葉には思いが凝縮されて詰まっている。いつも翔子の文章は拙いけれど“これで充分だ”と思う。事象の羅列だけなのに、この恋は終わったな、今はもう会えないのだな、客観的に見れば失恋だったな、という事が私にはよく伝わる。この様に語彙は少ないけれど、翔子の日常生活は支障なく進んでいる。巧みに嘘を言ったりする事も無く、僅かな語彙で身振りや顔の表情で充分に表現したい事は伝わる。意思を正しく伝えるのに多くの言葉はいらないのかもしれない、と考えさせられる。翔子を見ていると伝えたい事は体全体と周りの空気と僅かな(5%~10%位)言葉で伝わるものだと判る。高校生のころ、翔子は一人の青年を好きになった。イケメンのT君である。「T君がね、私のこと好きだって言ったよ」と翔子が私に言う。しかし、怪しい、たしかT君には好きな子がいた筈。私は密かに学校まで、何度も偵察に行った。明らかにT君は翔子に興味のかけらさえない。こんな時、親心は実に切ない。わが身の事より辛い。けれど翔子は怯まない。「T君が翔子と結婚したいと言った」と言う。言う訳がない。自分が好きになれば、相手も同じ度合いで好きになるのだ、自分が結婚したければ、勿論相手も、翔子の心の中では結婚したいのだ。好きとか恋しいとか云う心の動きは実に危うく、不確定で、実態は正確には掴めないのだから、自分が好きになれば、それだけで充分なのだ、と翔子の心の有り方が教えてくれる。恋心のように想いの度合いも時間も何もかも揺らいで不確実なものは、こちらの心が決めた事が確定になるのでしょう。心がすべてを造り出す、と云う唯心論ではないけれど、翔子と暮らしていると、如何様にも心は現実を変え得るのだと知る。翔子の心も又、移ろい易く、お目が高く、いつも飛び切り素敵な青年を好きになる。今回も又、翔子のお相手にはなり得ないハンサムなK君を好きになった。偵察して見ると、やはり翔子の片思い。しかし、翔子はめげない。 「以前に好きだったT君とは、小指と小指が赤い糸で結ばれているって 言ってたじゃない」と私が聞くと、翔子は「K君とは、この指で赤い糸が繋がってるのよ!」 と両手の薬指を高々と差し出す。又、「K君が翔子と結婚したいと言っているのよ」と申しております。 もう一つの大きな障害は数の概念が理解できない事です。五つ以上の数量は ”沢山”と云う数です。人間が自然界の中で都合上創りあげた十進法等は生涯理解出来ないと思う。故に、お金の事も独特で実に単純であり、本来お金の有りようはこの様なものではないかと考えさせられる明解な世界を持っています。機会がありましたらこの世界も詳しく説明してみたいと思います。 時間も数で表されているので翔子には難しくて理解出来ない世界です。一日が二十四時間に分けられ、一時間が六十分に、一秒が‥‥等は終生理解できないでしょう。そんな風ですから、翔子には数字に縛られない不思議な時間が流れています。お金や名誉を欲する能力は欠落していますから、社会的に目指すべき目標を持たなくてすむもので、何かに追われる事もなく、目指すべく予定する時間もなく、前進する為に、あくせくすることもない。時間が一方向に流れているのではなく、只、その時間が完結されている絶対時間に生きています。非常にゆったりと豊かにその刻一刻を生きています。だからと言って時間が混乱していたり、ルーズだったりするのではありません。翔子の好きな漫画、ドラエモンやチビまる子などがある時は、その放映時間に遅れることもなく、早すぎることもなく、きちっとテレビの前に座っています。翔子の時のメカニズムがどの様に作動しているのかは解りませんが、急がなければならない時、時間通り約束を果たします。大好きなプールの時はきちっとその時間にはプールに着いています。翔子の時間の悠然とした豊かさには目を瞠るものがあります。本部へ行く道は遠くて暗い、本部へ行く道はせまくて歩けない。お家へ行く道は明るい。本部へ行く道はない。お家へ行く道は広い‥‥これは最近、翔子の綴った文章です。今年から書家としてきちっと育てなければと思い、親の私の手から離して家元にお預けする為に、日本橋にある本部へ通わせることにしました。ベテランの先生方の集まる大人だけの世界へ入るのは初めてで翔子には厳しい所だと思います。きっと大変だったのでしょう。翔子は身の回りの人が傷ついたり、心配させる事が耐えられないので、ロが裂けても辛いとか苦しいとかは言えません。本部を休むこともならず、母親にも言えず板ばさみの中で翔子の知る限りの明るい・暗い・広い等の少ない言葉の中で精一杯心情を吐露しています。困り果ててメタファーしてしまっている文章です。人を悲しませる事が決して出来ない過度の優しさも又、翔子の障害の一つだと思います。 目を凝らして、耳を澄ませて翔子の世界を覗いてみると、現代に汚染されてしまっている私には到底、到達出来ない、美しく豊饒な世界があり、その中で自在に生きている翔子の姿が見えます。翔子の本の出版を機に改めて”ダウン症って本当は何なのだろう” と考えてみました。数、時間、言葉、優しすぎる心‥‥等、ダウン症者の障害と言われているこれらの事は、社会通念を取り払ってみると、実は素晴らしい個性であり、比類なく幸運な特性の持ち主と言えるのではないかと思います。資本主義や学校教育制度にも侵されず、近代科学にも洗脳されず、人々の思惑や利害からも離れ、無垢な幸せの裡に生きる為に、神が余分なものを極力削除して下さった、現代に於いては稀有な存在だと思える。翔子は混濁の世に在りながら、美しい形而上的な世界をありありと見ているのです。最後となりますが、真に翔子を愛してくれる人々は、悲しんだり、苦しんだり大変な思いをしますが、当の翔子自身は天使の様に自在に楽しく充実した日々を生きて来たと思います。※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※上記エッセイは、金澤泰子様が、翔子さんと同じ障がいを持つ子どもを育児されている方々に、少しでも参考になればとのお気持ちから、僭越ではありますが私に託されたものです。翔子さんのご活躍については周知の通りですので、私からは何も申し上げることはございません。翔子さんのHPをご参考いただければそのご活躍ぶりにはとても驚かれると思います。障がいを持ちながらでも、努力次第で道は極めることが出来るという可能性を見せてくれている点でも、私たち夫婦は翔子さんにとても感謝しています。今後もますます頑張っていただきたいと切に願ってやみません。※7月4日追記上記、金澤泰子さまのエッセイをご覧になって、ある方が泰子さまへお手紙を書かれました。http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706270000/
2007年05月28日
ダウン症の女流書家・金澤翔子さんのお母様、金澤泰子様のエッセイを掲載致しますこの度、ダウン症の女流書家・金澤翔子さんのお母様、金澤泰子(やすこ)様のエッセイを、この度私のブログでご紹介出来ることになりました。これは一重に泰子様のご好意によるものです。翔子さんと同じ障がいを持つ子どもの親にとって、少しでも参考になればとの思いで、出版社等に許可を取られた上で、僭越ですが私に託されました。エッセイの1つは、翔子さんが二十歳になられたのを機に、また、昨年出版されたご本※の出版を機に、泰子様が綴られたエッセイで、昨年12月号の「神奈川県医師会報」に掲載されました。私たちの目にほとんど届かない貴重なエッセイで、内容もとても素晴らしいことから、私たち夫婦はもちろんのことですが、ダウン症児を育児されている方並びに、ダウン症の関連専門職の方に、とても参考になるエッセイだと思いました。タイトルは、『ダウン症って、本当は何?』です。読んでみて、本当に「ダウン症とはなんだろう」と思わずにはいられない、とても気づきの多い内容でした。身近な翔子さんとの生活を通じて、泰子様がお感じになられた思いを切々と綴られているエッセイですが、とても共感出来るところが多く、また、少し切ない感じもする文章でした。その他にも、かまくら春秋社発行の雑誌、『星座・歌とことば』(隔月発売)において、本年1月号と3月号に泰子様が投稿されているエッセイについても掲載許可を頂いていますので、そちらも合わせてご紹介させていただく予定にしています。上記の3点のエッセイは、近々順番にご紹介致しますので、ご興味のある方は楽しみにお待ち下さい<(_ _*)>※注記2006年7月出版『愛にはじまる』
2007年05月24日
昨日あるご縁で、ダウン症の女流書家、金澤翔子さんのお母様(金澤泰子様)と電話でお話する機会がもてました。私は金澤翔子さんをこのブログで紹介させていただいていますが、金澤家とは今まで面識は無く、今回初めて翔子さんのお母様とお話をさせていただく機会に恵まれました。実はその前日にお電話を差し上げていたのですが、残念なことにお母様は不在でした。そのとき電話に出られた方が翔子さんを幼い頃から知って、お世話されていた方でしたので、翔子さんの療育に関して大変参考になるお話を長時間拝聴することができました。本当にありがたいことだと思いました。次の日、なんと私の出勤中にお母様の方から妻に電話を頂きましたので、会社から帰って早速お電話を差し上げました。お母様は丁度いらっしゃったところで、気がついたら1時間ほども長話をさせて頂きました。ひろくんの今後の療育に関して大変参考になるお話を頂くことができてとても貴重な体験を致しました。しかし私、緊張のあまり終始声がうわずっておりました。。(緊張しやすいのでなおさらです。。)私が驚いたのは、お母様のお声。とてもハリがあってきれいなお声でした!翔子さんとのご生活、とても楽しんでいられる様子が、声からもはっきりとわかりました。電話でも、翔子さんの事がとてもかわいいとおっしゃって、(話をお聞きすると良い意味でとても厳しいそうですが)次に出版されるご本では、ダウン症の素晴らしさをたくさん書きたいとおっしゃられていました。すでに、昨年DVD付のご本を出版されていますが、そのご本に盛り込むことの出来なかったことを書かれるそうです。信じられないことに前回の本は2週間ほどで書き上げたらしく、そのために少し不満もあるとのこと。私から見れば(誰が見てもですが)このご本はとても素晴らしいご本で、私の手元のその本にはマーカーで思わず線を引いたところがたくさんあります。それよりもっと素晴らしい内容だとすると。。と思うと、とにかく今から期待せずにはいられません。まだ出版の予定は未定らしいのですが、私も含めてダウン症児を育児している方のためにもぜひ書き上げていただきたいと願ってやみません。。m(゚- ゚ )お話したいことはたくさんあるのですが、長くなりますので以下要点のみ書いていきます。翔子さんのお母様は、現在、何冊かの冊子に療育に関する内容を連載中とのことです。(ご講演もされていらっしゃるとか)うれしいことにその冊子の資料をこの度送ってくださるとのことでした。この資料は、ダウン症児を授かった親の方へ少しでも参考になればという思いで私宛に送ってくださるそうです。また到着しましたら出来るだけ速やかにお母様とご相談させて頂きながら、私のブログで公開できる内容であれば、ダウン症児を育児されている親の方々と情報を共有したいと考えています。今回の事、とても光栄に感じています。私が思うお母様の素晴らしいところは、翔子さんのありのままを公開されているところだと思います。既に発売されているご本添付のDVDや翔子さんのブログなどを初めて見られる方は、少しきついかもしれません。。今の私(まだダウン症児育児歴1年です)だったらそこまでは写さないのにな、なんて思ったりもするくらい、ありのままを公開されています。ですので、その翔子さんがとてもかわいいとおっしゃるお母様のお言葉やお声にはとても説得力があり、「ダウン症は素晴らしい!」と言い切っていらっしゃるそのお姿に、同じダウン症のひろくんを持つ親としては大変心強い気持ちが湧いてきています。『ダウン症は素晴らしい!』この言葉が世間に受け入れるようになる時には、きっとひろくんが住みやすい社会になっていることと思います。私が目指すことは、これなのではないかとお母様のご活動を目の当たりに見てきてそう思いました。私は社会貢献なんて大それたことはとても出来ませんが、足元のひろくんをしっかり成人まで育て上げて、お母様のように「ダウン症って素晴らしいな」と思う自分になれた時、私のその姿が自然に何かにつながっていくように思います。翔子さんとお母様の今の姿は、私たちの20年後だと思うことで、何かしら目標のようなものが出来ました。もちろん、ひろくんは翔子さんのように万人が認めるすごい人にはなれなくても、私たち夫婦が与えられた環境の中で精一杯ひろくんを育て上げることで、私たち自身が充実した人生を送ることが出来るのなら、それはそれで大成功だと思います。なぜなら、親が充実してるということが子どもにとっては一番うれしいことだと思うから。昔に比べればダウン症児にとってとても恵まれている時代です。様々な方のご活動のおかげでひろくんにとって、とても住みやすくなってきていると最近よく感じます。私が出来ることはその流れに逆らわないように、そして、今の社会をひろくんたちの住みやすい環境にしていくために自分に出来ることをしっかりとやっていこうと、この度翔子さんのお母様とお話したことを思い返してそう自分に誓いました。資料の方はこれからご用意されるとのことでしたので、もうしばらく時間がかかると思いますが、資料が届きましたら、出来るだけ早く翔子さんのお母様とご相談の上でその内容をご紹介させていただきたいと思っています。
2007年03月25日
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