オバかの耳はロバの耳 

2015/12/07
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上からの続き


■5.親ソ親中反日のルーズベルト政権

 ルーズベルトが大統領になったのは1933(昭和8)年で、世界は大恐慌の真っ最中であった。これを資本主義の失敗と考え、誕生したばかりのソ連の共産主義こそ経済体制の理想と考える知識人も多かった。

 ルーズベルトは、大統領に就任すると直ちに、ハミルトン・フィッシュ下院議員らの反対を押し切ってソ連との国交を樹立する。

 経済面では「ニューディール(新規まき直し)」政策と称して、社会主義的な政策を打ち出した。農産物価格を維持して農民に利益を保障し、労働組合を支援した。連邦政府の財政規模は急拡大し、「ニューディーラー」と呼ばれる官僚たちの権力が肥大化した。

 ソ連のスパイが200人以上も米政府内に入り込んだのも、ルーズベルト大統領自身に共産主義への親近感があったからだろう。

 しかもルーズベルト大統領の母親はデラノ一族の出身で、この一族はアヘン戦争の頃から、中国とアヘンを含む貿易で財をなしていた。前述の「中国支援評議会」の名誉会長を母親が務めたことも、これが背景にある。


■6.ルーズベルト政権が突っ走った日米開戦への道

 こうしてソ連スパイが多数巣くうルーズベルト政権は、スターリンの指示通り、対日戦争への道に邁進した。

 1940年10月7日付けで、海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラムは日本を開戦にまで追いつめる8項目からなるアクション・プランを作成して、大統領の側近に提出した。ここには、蒋介石政権への援助、日本との全面的通商禁止など、ルーズベルト政権が後にとったシナリオが記述されている。[b]

 1941年7月23日、日本軍による真珠湾攻撃の4ヶ月以上前に、蒋介石政権を助けるために、150機の爆撃機、350機の戦闘機による中国大陸からの日本爆撃計画が提案され、大統領自身が承認のサインをしている。

 提案者のロークリン・カリー大統領補佐官はソ連の工作員であった事が、ヴェノナ文書で明らかにされている。ただし、この計画は欧州戦線への爆撃機投入が優先されたため、実施の前に真珠湾攻撃が勃発した。[c]

 1941(昭和16)年11月26日、ハル国務長官が日本政府にハル・ノートを突きつけた。ここでは中国、ベトナムからの日本軍の全面撤退、蒋介石国民党政府以外の政府(すなわち日本側がバックアップしていた汪兆銘政権)の否認、三国同盟の死文化など、それまでの日本の政策を全否定することを要求していた。日本政府は翌日米国との打ち切りを決定した。

 実際にはハル長官は90日の停戦を骨子とする緩やかな妥協案を作成していたのだが、ルーズベルトは財務次官ハリー・デクスター・ホワイトが6月に作成していた強硬案を採用したのである。冒頭の「コンサーバペディア」が解説したように、このホワイトも、ソ連の工作員だった。

 こうしてソ連工作員たちに操られたルーズベルト政権により、日本はアメリカとの戦争に追い込まれていったのである。


■7.スターリン戦略の世界史に残る成果

 スターリンの工作の仕上げは、日本降伏の半年前、ソ連のクリミア半島ヤルタで開かれたヤルタ会談だった。ルーズベルトとスターリン、イギリスのチャーチル首相の3首脳で、ソ連の対日参戦と引き替えに、満洲の権益や、日本領土である南樺太・千島列島をソ連に与え、ポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏として認めたものであった。

 それも、日本どころか、中国や東欧諸国など当事国の同意もまったくなしに密約がなされた。戦後、東欧諸国がソ連の鉄のカーテンの中に置かれ、満洲から北朝鮮、中国大陸がすべて赤化したのも、このヤルタ会談が原因である。

 この会談でもソ連のスパイたちが暗躍していた。ソ連スパイだったアルジャー・ヒスは国務長官の首席顧問として、ヤルタ会談のほとんど全ての会合に出席した。彼は事前に米政府の立場に関する全ての最高機密のファイルを与えられて、ルーズベルトは「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」(ウィリアム・ノーランド上院議員)状態の置かれていた。[1,p151]

 また陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは、敗北を覚悟した日本が和平への道を探っているという事実をルーズベルトにはひた隠しにし、さらに「日本との戦況が悪化し、ソ連の支援がなければ勝利は覚束ない」と虚偽の報告をしていた。[e]

 マーシャルは日本降伏後に勃発した中国での国共内戦でも、蒋介石政権へのアメリカの支援を妨害し、共産党の大陸制覇を助けた人物である[e]。

 こうしてスターリンの「資本主義国どうしが戦争をするように仕向ける」戦略は、北朝鮮、中国から東欧にまで共産主義を広げるという巨大な成果をもたらしたのである。


■8.東アジアに残るスターリンの亡霊

 2005(平成17)年、第二次大戦勝利の60年目にバルト三国の一つであるラトビアの首都リガで、ブッシュ大統領はヤルタ協定を「史上最大の過ちの一つ」と批判した[f]。

 冒頭に登場したシュラーフリー会長は「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす」という論文で、その発言を高く評価し、こう語っている。

__________
 当時、反共派のアメリカ人は「ヤルタ会談は本当にひどいもの」であり、「ルーズヴェルト大統領はスターリンに魂を売ってしまった」と思っていました。私たちにとって「ヤルタ」とは侮辱の言葉と同じ意味を持っていました。[1,p153]
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 東欧諸国は、レーガン政権を中心として日欧が結束した冷戦により、ソ連を打倒したことで解放されたが、アジアにおいてはいまだに北朝鮮と中国に共産党政権が残存して、それぞれの国民を圧制下に置き、周辺国に軍事的脅威を与えている。

 日米を戦わせて、その漁夫の利によって共産主義を広げようとしたスターリンの亡霊は、東アジアではいまだに生き残っている。スターリンの残した国際政治での「戦後レジーム」は中国共産党と北朝鮮労働党の圧政という形で残存していると言える。

 これらの国が圧政から開放されて、国際政治での戦後レジームが終わった時、「太平洋戦争は日本の侵略戦争だった」という歴史観での戦後レジームも終わるだろう。
(文責:伊勢雅臣)





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Last updated  2015/12/07 07:34:58 AM
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