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2010年02月15日
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今日は今回のワークショップでの個人的な体験について
書いてみたいと思います。

今回、最初に、それぞれが持っている劣等感を書き出すということだったのですが
実は、この時、私の今の劣等感は一体何だろう?と
頭の中でぐるぐるまわっていて、全くよくわからず
とても困ったのでした。

そもそも、劣等感というのは
人より劣っているという意識であって、あくまでも人との比較で生まれてくるもの。

例えば、私にもこうなりたいとか、こうだったらいいのに、とかいうのは
山ほどあるのですが、
それが劣等感ということになるか、というと
ちょっと違うような感じなのです。

例えば何人かの方があげていた「英語に自信がない」とかいうことは
私もまさにそうなんですが
それは外国に暮らしている日本人ならレベルの差はあっても
多かれ少なかれ持っているのは、よくわかっていますし
それは、劣等感というよりも、潜在意識が抱えている(そう思い込んでいる)ストレスという感じであり
劣等感とは違うと私は捉えているのです。

そういうタイプの潜在意識のストレスなら
キネシオロジーでも何でも、調整可能であることはよくわかっているので
いつでも調整可能だと思っているものは、やはり劣等感ではないだろうと。

肉体的なことに関しても、私も山ほどありますが
どんな人でも何らかの気にいらない部分はあるでしょうし、
ああ、もっと足細かったらいいなあとかはあっても
それでも自分なりのベストの状態になれば、それで満足で
(今はベストでないけど
そう言う意味でも、私にとってはやはり劣等感ではないなあと。

しかも、今回、両親がテーマですし
みかさんが言われている劣等感というのは
両親との関係から起こっているものを差していることは明白ですから
私が両親との関係の中で生み出された劣等感って何だろう?
とわからなかったわけなんです。

とはいえ、あの場で、私は劣等感がありませんというのも、
みんなで心をオープンにしていく、と言っているのに
まるで、私は問題なく、完璧ですと言っているみたいで
(いえ、本当のことを言えば、みんな誰もがすでに完璧なんですが
何だかなあと思いつつ、自分の発表の場では、もごもごと言えなかったわけなんです。

ところが、不思議なことに、他の人の劣等感に対する
告白を聞いていると、ああ、私の劣等感はこれだった~というのに
ピンと気づきました

それは、私が完璧主義であるということ。
人は誰でもそのままですでに完璧な存在ですが
完璧主義と「主義」がつくと、違ったことになるのですよね。

こう書くと、何でも完璧にしようとする人のように聞こえますが
そうではなくって、基本はけっこういいかげんなので
例えば穴の空いた靴下をずっとはき続ける、とか
洗い物をしばらくそのままにしておいて、できる時にまとめて洗う、とか
人が来なければ、顔も洗わないで1日過ごす、とか
自分のかかげた目標をすぐに変更する、とか
そういうことは多々あるのですが
他の人のために何かをするようなシチュエーションになると
完璧にやろうとしてしまうのです。

そのことは、以前からわかっていたし、自分なりに完璧主義にならないように
気をつけてはいるものの、時々それが出てきて
そして、今回は、ワークショップの前にそのことにあらためて気づきました。

ワークショップの前日に、私とおさむは二人で
約20人分のクッキーやマフィンを焼いたのですが
「これでクッキーの量、足りるのかしら?
もうすこし、別のものも作った方がいいかも?
他の材料も買ってこようよ、
みんなお腹が空くだろうし。おにぎりも作ろうかな?」
と、私がいろいろ言っていると、おさむが
「おやつだけでいいよ。今、ある材料で作ればいいんだよ。
とりあえず、第1回目なんだし、これで充分だよ」
と私を諭したので、それもそうだととりあえず、納得したものの
もっと私ができることがあるのではないか?
という後ろ髪を引かれるような気持ちでいたのでした。

ところが、おさむがすでに前日にサウンドヒーリングの楽器をたくさん
持っていっているにも関わらず、当日、さらにギターまで持っていこうとしているのを見て
「第一回目なんだし、そこまで全ての楽器を持ってゆく必要はないんじゃない?」
と言っている自分がいるのに気づいて、とてもおかしくなったのでした。

人に対しては「完璧にやる必要はない」
「できる範囲でやればいい」といつも言っているくせに
自分でやる時は完璧にやろうとしているんですね

そのことに、自分の発表の後に気づいて、
ああ、私の今回のテーマは、完璧主義だなあ、
このことを言えばよかったなあと、と思ったのですが
全員が一通り、言い終わった後、みかさんが、ふっと私を見て
「のりこさん、まだありますか?」
と私に向かってふったのは、ほんとうに驚きました
たぶん、私はその時「みかさん、もう一度言わせて」と心の中で叫んでいたのですが
それを見事にみかさんはキャッチしてくれたのです
もう、ほんとうにすごい人です。

で、この時は、完璧主義が両親とのことから来ているとはわからなかったのですが
それが後から見事に結びつきました。

それともう一つ、女性エネルギーの解放というところでの
劣等感もあることも、つけたしました。
これは、実はほとんどの女性が持っている問題であることはわかっているし
正確にいうと、人より劣っているとか劣等感というのとは違うように思うのですが
やはり、これは両親とのことから来ていることの一つかもしれないと
感じるからです。

さて、ワークショップの間、みんなのいろんな反応に共鳴して泣いた私ですが
ではなぜ、泣いているか?というと、実際、よくわかっていないわけなのです。
自分の中の何かに反応しているのはわかるのですが
それが一体何なのか?に関しては言葉として説明できない。
参加者の中で、泣いている理由がわからなかったと言われた方も
何人かいらっしゃいましたが、私もまさにそうだったのです。

なので、最後のみんなのシェアリングの時には
サポートした側から見た感想は言ったのですが
自分自身の問題として、今回何を感じたかをしっかり言葉にすることはできませんでした。
もちろん、今回は主催者側であるわけですから、自分のことに意識を向けるよりも
参加された方に対する意識の方が先だったからということもあるかもしれません。

みかさんが、参加者の一人に
「泣いている理由を知る必要はありません」と言われていて
それは全くその通りなのですが、
私はこれまでの経験上「なぜあの時、私は泣いたのだろう?』とか
「今回のテーマと、この体験がどう関係しているのだろう?」と
自分に問いかけると、潜在意識は、例え時間はかかっても、
必ず答えを出してくるというのがあったので
それも後からやってくるのだろうなあと思っていました。

そして、まさに次の日に、その気づきがやってきました。

ワークショップから家に戻って、何も考えれず
そのまますぐに眠ったわけですが
次の日の朝、目覚めてすぐ、まだ意識がはっきりしていない状態の時に
全く忘れていた、私の小学校の時の映像がありありと思い出されたのです

それは、あるテスト用紙を持って、家に帰った日のこと。

私は小学校、中学校と学校の成績はよかったので
テストで90点以下はとったことがなかったのですが
ある日、テストで80点をとったことがありました。

でも、平均点以上だし、
特に勉強をさぼったとかいうことではなかったので
家に帰ってそのテスト用紙を両親に見せたら
両親の顔色がさっと変わったのです。

その両親の顔色が変わった瞬間の自分の感情を
昨日の朝のベッドの中でありありと思い出したのでした。
「ああ、とんでもないことをしてしまった
両親をがっかりさせてしまった」という
深い落胆の感情です。

そして、両親にそのテスト結果にとても怒られました。

今から考えれば、両親もそれほど大きなことだとは
捉えていなかったかもしれないし、
どちらにしても、私を評価しているからこそであることはわかっているのですが
その時の私の感情としては、
とてもショックでした。

妹が80点を取っても怒られないし、むしろ褒められるのに、
私は80点では許されない
私は常に完璧にやらなければならないのだ、
そうしないと、お父さん、お母さんをがっかりさせてしまう、
そうしないと、認めてもらえない、

私はその時に、はっきりとそう感じていたのでした。

ああ、私は、両親に、
例え、失敗しても、だめな自分であっても、受け入れられたかったのだ
そのことがわかって、朝からぼろぼろ泣きました。

そして、私が参加者のみなさんの反応に
揺さぶられ、涙が止まらなかったのは、両親にもっと認められたかった
無条件で受け入れてもらいたかった、愛されたかったという意識
(その本人は気づいていなくてもそれが出ているので)
に共鳴していたからなんですね。

子供というのは、何と親を愛し、親に愛されたいと
感じてているものなんだろうということに
あらためて気づかされました。

考えてみれば、子供の頃の私は勉強するのも、親を喜ばせるためであって
本当にそれが好きだったからということではないことは
すでに子供の頃に気づいていました。
親を落胆させたくない、喜ばせたい、期待に答えたい
そういう意識がとても強い子供だったように思います。

だから、今回、完璧主義がテーマだと言ったのですが
正確には完璧主義というよりも、相手の気持ちばかり考えてしまって
必要以上に自分にプレッシャーをかけてしまうとか
人の期待に答えようとしてしまう、ということが
テーマだったということなのかもしれません。

もっとも、私はずっと優等生だったわけではなく
小学校、中学校の時の反動で、高校の時に親に反抗して
自分のだめな部分ばかりを見せることに喜びを感じていた時期があり
大学以降は、親の期待に沿わないで自分のやりたいようにやることが
できるようになってきたので
そういったことは、とっくに手放していると思っていました。

でもまだそういうものが残っていたのですね。
ほんとリバーシングすごいなあ。
私は受けた側ではないですが、そばにいてサポートしていただけで
こんな気づきや癒しが起こるのですから。

ということで、今回は、私の個人的なことに関する感想でした。

でも、2日たった後に感じることと、あの直後に感じていることとは
若干違っているようにも感じます。
やっぱり、すぐにアップしないと、
本当に自分はそう感じていたのか、あやふやな感じもありますが
(こういうところは、いつも適当です)


読んでくださってありがとう~

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最終更新日  2010年02月17日 03時16分13秒
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