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謹賀新年明けまして、おめでとうございます。元旦から、大きな大きな災害がありましたね。お亡くなりになりました方々、並びに被災された皆さんにお見舞い申し上げます。私も、9年前に、鬼怒川水害被害で、大きな大きな災難に遭いました。日本全国から、支援物資や、支援金を頂きました。本当に、有難うございます。さてさて、災害に遭うと、その都度、その都度欲しい支援物資が、変わります。まずは、水、食料。そして、生理用品、トイレットペパーや、雑巾などなど。そして、うがい薬、や、のど飴。スーパーや、コンビニには、在庫が無い状態。そして、2週間~3週間たつと、掃除用品が必要になります。そして、公務員さんに対するバッシングがはじまります。いらいらする状態が続き、疲労も、溜まってきます。みなさん、疲れてきます。ウツ気味の人たちも、増えてきます。笑顔が無くなってきます。娯楽(映画、お笑い、マンバ、音楽などなど)が、必要になってきます。もちろん、お風呂や、生活必需品が優先の一番になりますが、髪の毛も伸びてきます。化粧品も必要になってきます。精神的にも、くたくたになってきます。この私も、血圧が、180,190まで上がってきました。どうしたら、良いか?どうしたら、良いか?すると、同じ体験をしている人からの温かなお声が一番心が、休まったのを今でも、覚えています。阪神淡路大震災を体験された方から、応援メッセージも頂きました。応援メッセージや、ビデオメッセージにどれだけ励まされたか~。涙が、出てきます。もうダメだ。もうダメだ。お店は、もう営業出来ない。あきらめるしかない。そんなことばかり、考えていました。すると、「羽富さん、お元気ですか? 何なりと、言ってください。 甘えてください。自分だけを責めないこと。 あなたのせいではない。」とある人に言われました。号泣したことを今でも、覚えています。
2024.01.07
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羽富さん、ピンチの中にチャンスがあるんですよ。「もう、ダメだ、もうダメだ。何回もそう思った。 スタッフたちが、30人以上退職した。でも、20人は残った。 社長、今がチャンスです。立て直ししましょう~」と高齢者の女性が言ったそうです。「倒産やむなし。これで、わが社も終わりだ。」とその時に、大口の商いが、舞い込んできた。「あなたが、言う価格で、購入しますので、よろしくお願いします。」と言われたそうです。3,000万円の売上げが、たったそうです。退職した男性たちが、その半年後に再度入社したい。・・・・と申し出たそうです。「採用は、しません。なぜなら、歯を食いしばって、頑張ってくれた 残った20人の人たちを大事にしたかった。」と。涙を浮かべながら、その時の苦しみを語ってくれました。「羽富さん、今アパレル業界や、化粧品業界、宝飾業界、出版業界 厳しい時代ですね。 どの業界も苦しい。 ピンチの中に、チャンスは隠れています。 そのチャンスの種の深堀りですね。」と教えてくれます。本業とは、何か?地域密着型で、美と健康と食の文化を育む世界観を提案することが、本業だと考えるようになりました。
2023.12.19
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題名「東京スタイルでの経験が、今に生きている」私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで東京スタイルに勤務していまHした。この内容は、すべて私が体験、見たことを私見(個人的な感想)で、描いています。 全てが、全てのデパートの婦人服バイヤー(仕入れ担当者)が、横 柄ではなかった。 でも、60%~70%のバイヤーが横柄だった。どのアパレルメーカーの 営業マンをゴミのような扱いするバイヤーが多かった。 (特に、酷かった時期は、昭和50年ごろ~昭和63年ごろ?) 三越デパートの岡田社長の時は、酷かった。 横柄な態度のバイヤーさんが多かった。 ・・・と先輩社員や、同期の営業マンから聞いていました。 仙台の藤崎デパートは、ADOグループ(伊勢丹G)。 仕事に厳しいバイヤーさんが、多かったですが、 一人の人間として、扱ってくれました。 山形の大沼デパートさん(倒産)のバイヤーさんも、人格を否定するような バイヤーさんは、いませんでした。 東北関係のデパートさんは、 比較的支払いもよかったです。 群馬県の高崎市のスズランデパートの工藤店次長は、 口は悪かったですが、愛情たっぷりの人柄でした。 スズランデパートは、委託条件でしたが、 送料は、必ず、デパート負担の元払いで、返品でした。 酷かったのは、松坂屋、西武グループでした。平気で、納品伝票を握って支払いを送らせる。いやがらせをされていました。今のデパートの不況のきっかけは、ここからはじまったと 確信している。でも、同じ西武グループでも、西友の大型店さんは、とても紳士的でした。 人と人の関係を大切にしてくれました。 やはり、お店の雰囲気や、上司の人柄だと思います。 厳しいことを言われても、人格を否定されなければ、 デザインや、色、素材について、 どんどん意見交換をしていました。ファッションを挟んでの打ち合わせは、大いに今の私の原動力となっています。 喫茶店に行っては、 販売計画や、イベントの打ち合わせも 一人の人間として話しを聴いてくれました。 コーヒーなども、よくご馳走してくれました。(横柄なのは、西武、松坂屋グループは、最悪でした。)さてさて、本題に行きますね。 忘れもしません。 昭和59年ごろの話しです。 松坂屋名古屋本店での 毎週日曜の夕方に行われる 「セールス会議」の席上の話しです。 レナウンさんは、いつも、いつも、デパートのバイヤーさんとは、ゴルフの話しや、 接待の話しばかり、仕事に関しての話しは、少なかったです。 いつも、いつも、怒られるのは、 体育会系の東京スタイル、三陽商会、岐阜のシンガポールさんの営業マンでした。 「おい、東スタ(東京スタイル)。なんで、売上げが、伸びないのだ。 販売スタッフに、もっと気合を入れろ。」と毎回、毎回言われていました。 レナウンさんは、いつも、ぬるま湯の営業マンさんが多かった。 デパートの場所取りは、いつもレナウンさんが、販促金を払って 場所を確保していました。 当時、婦人服担当のバイヤーさんは、エリートコースだったのです。 食品売り場は、粗利益率が、低いので、出世街道が遅れていました。 婦人服売り場で、売上、利益、商品回転率を上げると、 時期幹部候補となっていました。 ツバメコート(倒産)の営業マンも、サラリマーン化していました。 日曜日に、よく休んでいました。 そして、人事異動で、 セゾングループと十字屋グループを担当することになりました。 その時に、茨城県も担当することになりました。 私の同期の営業マンが 昭和60年3月オープンのつくば西武デパート担当で、 部署が、同じだったので手伝っていました。 やはり、ライバルは、レナウン、オンワード、三陽商会でした。 レナウンの営業マンさんは、比較的温厚な人が多かった。 休みもしっかりとっていました。 社風だったのでしょうか? 「自分の給料は、自分で稼げ」と東京スタイルでは、教育を受けていました。 どこの営業マンよりも、早くデパートに行く。 9時前には、商品センターに出向いて、 検品を終えて オープン前には、もう売り場に商品が並んでいる状態にしていました。 帰るときも、デパートさんの終令に参加してから 電車に乗っていました。東京スタイルは、 体育会系の社風で、いつもいつも、ピリピリした社風でした。 故住本会長のエピソードです。 古い本社では、いつも社員食堂で 「味噌汁をごはんにかけて、食べる。 早く食事を終えて、すぐ取引先に出向く。」と言っていたそうです。 「住本会長、もう会社が大きくなったから、落ち着いて ごはんぐらい、食べてください。」と部下が言うと 「バカなことを言うな。緊張感が無くなるのが、怖いのだ。 まだまだ、他のアパレル会社より、売上、利益が、小さい。 働いて、働いて、みんなを幸せにしたいのだ。」と言ったそうです。 レナウンが倒産した要因は、いくつかあるかと思いますが、 危機感が薄れたことが、一番大きいかと思います。 他人事ではありません。 緊張感です。 ロコレディに入社して、 取引先さんには、支払いをきれいにする。 偉ぶった態度は、しない。 真剣勝負です。 アパレルメーカーの営業マンは、家族と同じ。 人格を否定するような態度は、絶対にとりません。 まとめ お互いに、お互いに、真剣勝負。 ファッションを挟んでの意見交換の ケンカは、するべきですね。 人格を否定しないこと。 当時のデパートのバイヤーさんは、 横柄な人が多かった。 その人たちのお陰で、今の私がいます。 反面教師です。 東京スタイルの社風は、「仕事とは、先手、先手と働きかけることだ。」と。電通の鬼10則(仕事10訓)は、東京スタイル手帳に書かれていました。#アパレル興亡#東京スタイル#デパート業界衰退#ロコレディ#アパレルメーカー
2023.12.16
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新規客を増やそう~。 ・・・これに、集中しすぎると、売上げが落ちてくる。 あくまでも、集中しすぎると、このような結果になる。 あくまでも、あくまでも、バランスである。 新規客を増やす。 ・・・・コレに費やす仕事は、10%位から15%ぐらいが、 最適なような感じであります。 5店舗まで、お店を大きくしたラーメン屋さんのおやじさんが言います。 立地の悪いお店の方が、お客様が最終的には、 集まってくる。 苦労して、苦労して、お店を探して、探して、 ご来店する。 するとね~、他のお店の味と同じでも、より 美味しく感じるようです。 当然、立地の悪いお店は、家賃が安い。 その安い分、お客様に還元するようにする。 他のお店でやらない笑えるイベントをしたり、 子供がまた、来たなるようなお店にしよう。」と考えたそうです。 私は、3ヶ月に一度ぐらい行く 群馬県館林の蕎麦屋さんがあります。 いつも、いつも、お客様でいっぱいです。 なぜ、こんなにいっぱいか????? 壁には、昭和の懐かしいおもちゃとか新聞とか、人生訓が、たくさん描いてあります。 トイレにも、描いてあります。 駐車場にも、順番待ちの場所にも、 昭和の写真や、人形、芸能人のサインなどなど。 面白いモノが飾ってあります。 違うお蕎麦屋さんの話しです。 また、知り合いの蕎麦屋さんの旦那様(60歳代後半)が言います。 「はとみさん~、僕はネ~、サラリーマンを辞めて 修行をして、独立をした。 店舗展開をするようなタイプの僕ではない。 だから、1店舗を確実に、お客様に喜ばれるお店にしたかった。 だから、かけそばや、ざるソバ、盛りなどの蕎麦の量を 他の標準店舗の蕎麦屋さんより、量を130%アップしている。 他の蕎麦屋さんより、原価率は、高いと思うよ~。 子供たちも、独立をした。 夫婦2人で、食べていく金額は、知れたモノ。 その分、お客様に還元する。 エビの大きさは、他のお店の150%アップ。 お子様メニューを充実。 家族連れを増やすことで、客単価をアップの戦略を立てた。 全国チェーンのうどん屋さんや、 蕎麦屋さんのは、出来ないサービス。 それは、一人、ひとりのお客様によって、 少しメニューをアレンジする。 前回ご来店された時の残したモノから、 好き嫌いや、ネギの量などを分析。 出来るだけ、名前を覚える。 サラリーマンさんの団体さんや、 主婦の皆様のご来店の場合とでは、 接客応対や、料理の出すタイミングを考えている。」 と教えてくれます。 実は、私は、経営のヒントは、飲食店から学んでいます。 出来るだけ、自分の目で、確かめて、自分で結論を出します。
2023.12.07
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キッチンカーで。各地を回ります。色々な出会いを頂いたおります、「はじめまして、今日宜しくお願いします。」とか「今日一日、大変お世話になりました。まらどこかで、会いましょう~」と言います。キッチンカーのオーナーさんとは、ライバルではなく、「仲間」というイメージでいます。私の独特な言い回し方も、参考にしてもらって、この場を盛り上げましょう~。・・・と言います。中には、嫌がるキッチンカーのオーナーさんもいるようですが、あくまでも、あくまでも、外柔内剛の精神です。お互い様、お互い様の心で、接しています。「羽富さん、茨城県のキッチンカーのオーナーさんは、親切な人、 優しい人が、多いですね。感じが良いですね。」と埼玉家県からお越しのキッチンカーのオーナーさんに言われました。私が、一番高齢者になる場合が多いです。言葉遣いに注意しながら、会話をします。年上だから、先輩から挨拶する。亡き父親は、先輩が、先輩づらして何に、なる。後輩に慕われる先輩になること。武士道には、部下の育成も語っています。
2023.12.04
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どうしたら、職場の女性を活かすことが、出来るか?いつも、考えています。アイデアを出させる環境を整えています。決断するのは、社長の仕事。提案力は、現場で磨くものだと思っています。アイデアが、浮かばないときはお風呂や、図書館や、カフェに行きます。また、ホームセンターに出向くことも多いです。時間を忘れて、本屋さんに立ち寄ることもあります。
2023.11.29
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昭和26年7月27日に創業したわが社です。創業者が、行商をはじめて親戚の扇屋旅館の一角を借りて創業した。名前は、「扇屋洋品店」と」名付けた。そして、昭和35年4月27日に、設立した。宝ストアーを始めた。昭和48年3月3日にロコレディとして、出発。昭和62年10月に私が、一般社員として入社。全く、知り合いでもない。親戚でもない。全くの赤の他人で入社した。茨城県には、親戚も、友達もいない。ある日、創業者羽富 正三に呼ばれた。「商売が、好きか?」と。「ハイ、大好きです。」と答えた。わが社の一番の宝物は、勤続年数50年、40年、30年というスタッフたちが、多いです。20年勤務は、当たり前。「まだ、勤続年数が、15年です。まだまだ新人です。」というスタッフがいます。現在のスタッフの平均年齢は、48歳です。お客様を家族の一員として考え、スタッフも、家族の一員として考えてきました。3.11。水害被害(鬼怒川氾濫、ビルの雨漏り被害2店舗)そして、コロナ被害。台風被害、深夜における泥棒被害。11年間で、9回の災害、被害に遭ったわが社です。それを乗り越えようと、毎日働いています。お客様も大事です。また、働てくださるスタッフたちも、大事です。今までのような卸し先からの仕入れて、販売だけでは、困難な時代に突入しました。ビジネスモデルを見直す。再構築をはかるべき仕組みを考えております。#ロコレディ創業#ロコレディ扇屋#扇屋洋品店
2023.11.24
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商店街や、協同組合でよく話題になるのが?ライバルの存在です。「同業同志の競争で、 お互いに、切磋琢磨する。」私は、そう思っています。例えば、同じおせんべい屋さん同士、おにぎり屋さん同士同じスポーツクラブ同士、同じ焼肉屋さん同士全てにおいて、ライバルがいるから努力するのだ。・・・・・と思います。今、常総市内で、ブラック店は、わが社だけとなってしまった。今から、20年前、30年前には、ライバル店舗がいた。時には、誤解を与えて、迷惑を与えたこともあった。その反面、いやがらせもあった。でも、気にしていなかった。ライバルがいるから、スポーツの世界でもお互いに、努力する。また、近頃、相談を受けることも多くなった。経営者の仲間や、後輩等々から。若い経営者さんからも、相談を受けることが多くなった。すぐ、答えを求めたがる。その傾向が、強くなったと感じる。自分自身で、考えるクセを付ける。それが、大切かと思う。来年夏向けて経営革新計画書を作成しようと考えている。出来れば、春までに書き上げたい。考えるクセを付ける。そんな毎日の連続です。的を絞って考える。
2023.11.19
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常に、周りに気を配って、配慮する。 状況判断ですね。これを学ばせて頂きました。厳しい会社でした。もう、毎日が怒鳴られていました。今に見てろ~。転職して、自分の世界観をつくるぞ。・・・と考えていました。故羽富 正三との出会いは、運命的でした。もし、就職活動で、三陽商会合格の電報が、届いていたら、茨城県には、、いませんでした。親戚も、知人もいない茨城県です。三陽商会の名古屋支店に勤務していたと思います。それが、それが、・・・・・・。縁があって、東京スタイルさんで、お世話になりました。 東京スタイル(アパレルメーカー)在籍中に、 教わったことは、下記の言葉です。 電通の鬼10則です。 これを手帳に書いて常に、持ち歩いていました。 単体では世界最大の広告代理店である「電通」には4代目社長吉田秀雄によって1951年につくられた電通社員、通称「電通マン」の行動規範とも言える「鬼十則」と呼ばれる非常に有名な言葉があります。1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは......。6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考になりますか??? 東京スタイルの当時の社長故高野 義雄氏には、大変お世話になりました。 感謝しております。また、常務 磯貝 勝氏にも、感謝です。 「オマエは、菌だ。 乳酸菌とばい菌があるが、 乳酸菌となって、転職先で、成功せよ。 そして、上場の時には、オレを食事会(パーティー)に誘ってくれ。」と言われました。 本当に、本当に、感謝しております。 給料を頂いて、商売の基本を教えて頂きました。
2023.11.17
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題名「おじさんは、芸人さんだよ~」近頃、アパレル店舗や、キッチンカーにお見えになるお客様より「あなたは、芸人さんだよ~・」と言われるようになりました。私は、自分の子ども4人の教育を放棄して、妻にまかせっきりでした。反省、反省、大反省です。ですから、ご来店のお客様や、子どもさん、孫さんとは、常に、仲良くしたい気持ちで、接っしています。大学生時代の新聞配達の経験から「新聞より、人柄を読まれる青年になれ!」と当時の販売所長さんから、指導を受けていました。「商品では、中々、差別化出来ないが、人柄は、マネできない。 オリジナルな接客が、差別化になる、」とアルバイト料をもらいながら、勉強させて頂きました。全ての基本は、この「新聞配達」から学びました。寒い日より、風の強い日、雨の日が、辛かったです。「一期一会」の心で、お客様や、子どもさん、お孫さんと接しています。あるお笑い芸人さんから学びました。「はとみさん、人から笑われることで、アドレナリンが出ます。 笑われることで、逆に元気を頂ける。」と。 芸人さんの心と商売人(笑倍人)の心は、同じですね。常に、常に、「素直な子ども心をいつまでも、持ち続けたい。」と思っています。年末、年始に向かって、ガンバレ、顔晴れ、願晴れしましょう。
2023.11.08
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景気が良い?悪いをしるには?私は、宅配業者のドライバーさんや、飲み物指導販売機のスタッフさんから、聴きます。荷物が増えでいるか?ゴミの量が増えているか?また、朝のゴミ収集のドライバーさんにも、話しを聞きます。商店街のお店の荷物が増えているか?そうすると、景気の動向が、わかってきます。政治家の話しを聞くより、ドライバーさんや、ガソリンスタンドのオヤジさんから、情報をとります。参考になれば、ぜひぜひ実践してみてください。
2023.10.09
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題名「女性は、安心感を好む???」今回は、若い世代向けに書きますね~。近頃、女性との接し方で、悩んでいる男性が多いのに、気づきました。私は、男3人兄弟の次男坊。体育会系の家庭で育ちました。40年以上職場では、女性の世界で、働いています。女性には、男性には、ない能力があるのです。いいですか?女性は、「母性本能」という能力があるのです。例えとして、もし、自分の子供が車にひかれそうになったら、女性であるあなたは、子供をかばいながら、車に対応するでしょう。 この私、男性ですので、車に向かって、両手を挙げて、注意を促します。ある40才台の女性に「はとみさん、女性にとって、子供は、分身なのです。だから、危険な状態になれば、身で、身をかばうのです。」わかります。わかります。要は、女性は、仕事でも、第1に安心感を求めます。ある改革を実行する時も、この安心感を第1に考え、改革をわが社でもします。女性は、「改革」より、「改善」という柔らかな言葉を好むので、わたしは、よく「改善提案」をしてください。・・・とお願いします。いいですか?女性である、あなたあなたですよ。 でもね、あまり安心感を出しすぎると、ストレスが溜まるのです。当たっているでしょう。 女性は、良い、悪いは、別として。2つ顔を持っています。もう1つの女性心理があるのです。ココでは、詳しく、書くことができませんので、今度、お会いした時に、話しますね。ウソじゃないですよ。先日も、来社されたご夫婦の方には、すべてお話ししたら、化粧が崩れるくらい笑いこけていました。しかも、涙を流し、笑っているのか、泣いているのかわかりません。そうなんですよ、この行為でも、2つの現象をおこします。しかも、その女性は、足をバタバタさせ、ノドOOコをこの私に見せるくらい興奮して笑うのです。しかも、ツバは、飛ばすは、飛ばす。そういうダンナさまは、おとなしく、沈着冷静です。要は、女性の行動心理は、すべてが、すべてというわけではないですが、安心、安らぎ、を求めます。だから、男性が、時々刺激を与えなければ、いけないのです。女性が悪いと言っているのではないのです。女性は、バランスを崩し易いのです。妻であり、母であり、家族の為に、どうしても、そのようになるのです。この気持ちを理解した上で、女性に対する声のかけ方に注意しましょう。先日、商店のオヤジさん(80才代)「はとみさん~。女性は、男性を小ばかにする習性がある。うちのばーさんもそうだ。時には、ビシッと言うときも、必要だ。威張れじゃないぞ。誤解するな、抑揚をつけた言い方で、言うことも大切だ。ただし、10回に1度か、2度だ。」参考になりますか???
2023.09.24
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アパレル業界でも相変わらず、疲弊している状態が、続いています。長年、アパレル店舗(仕入れをして、販売式小売店)は、2月と8月は、赤字場合が、多いです。なぜなら、処分価格で販売するからである。2月、8月は全くの赤字。(1月と7月は、ほとんど粗利益率が、1ケタ台となります。)なぜか? シーズンの変わり目で、夏物セール、冬物セールをするからです。夏秋企画(かしゅうきかく)、冬春企画(とうしゅんきかく)を社内で、平成6年から、トライアルしています。中々、上手くいかず、もう2月、8月は、利益を出すことをあきらめるか?・・・と考えた時に、コロナ被害に遭う。6月中旬より、夏(か)秋(しゅう)企画(きかく)を展開。過去最高の売上、利益高を確保できました。セールは、セールで、受け入れる。セールが好きなお客様もいる。(セールハンターは、時には、現金化してくれるので、シーズン制の高いアパレル業界では、必要なことかもしれない。)では、シーズンの先取りするお客様(プロパー客…定価販売客)もいるが、これだけ暑い日が続くと、秋物を7月から展開では、早すぎる傾向になってきました。支払いが、販売前に支払い(60日以上前から)なので、資金繰りも、大変である。よって、商標登録も行い、夏素材で、秋カラーを展開。そして、6分袖、7部袖のカットソーや、ブラウスを仕入れ・販売強化していく。でも、共同別注品(茨城県内は、弊社のみ。他のエリアで取引先に販売してもらう)であっても、販売点数を1型50枚以上を義務付けされる。完全オリジナル品は、生地にもよるが「1型1色100枚以上が、基本となる。」コロナになって、各アパレルメーカーさん、問屋さんの営業マンとの絆づくりをより深くしようと考えた。支払い日は、お約束より早目に振り込む。そして、お店の情報を必ず、週に最低1回は、行うことで、より人間関係が、深くなってきた。この「夏秋企画(かしゅうきかく)の情報を営業マンの功績であることを上司に伝える。」まとめ「仕入れをする」という強いう立場ではなく、「人間関係を育む」という関係で、良好な取引きをする。仕入れするという優位な立場で、横柄な態度や、条件は、慎む。ロコレディでは、円満な取引きから、取り組みを行っています。
2023.09.22
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「失礼ながらも、お客様のことを・・・」いつも、ご愛読ありがとうございます。私は、常にスタッフたちに「お客様のことを家族の一員だと思って接するように」と話しています。「ヒットよりフィット」の時代になりました。ひとり一人に合った洋服や、靴などを提案しております。大量仕入れ・多量販売方式は、賞味期限切れの時代に津突入だと考えています。また、私はスタッフたちを家族の一員として考えています。勤続年数が50年、40年、30年の70歳台の女性スタッフもいます。みんな会社の宝だと考えています。全社では、平均20年勤続です。20代半ば~50代のスタッフが、元氣に働いております。私は婿養子です。1999年に先代の後を受けて社長になりましたが、その時から強く感じていたのは「これからは婿殿・嫁様の時代。 女性が活躍の時代がやってくる。それに備えて、女性が働きやすい環境を整えておく必要がある」と平成6年に考案し、 そこでまず着手したのが、人事制度改革です。これまでの硬直的な年功序列人事制度を廃し、女性が活躍できるフィールドを広げるためにオーダー・メイド型雇用人事制度を導入しました。県内では、わが社だけのオリジナル制度のようです。戸籍や年齢は、仕事をする上では一切関係ありません。大切なのは「いつまでも、いつまでも、若い感性を持ち続けたい」と思う心が大切です。そんなスタッフたちに、いつも助けられています。お客様からも、「ロコレディは、安心してお買い物ができるから!」と嬉しいお言葉も頂きます。お客様のことを家族の一員として考えています。
2023.09.21
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで東証一部上場「東京スタイル」さんに、勤務していました。百貨店3部に属していました。地方の百貨店担当でした。仙台の藤崎デパート、山形の大沼デパート名古屋の松坂屋名古屋本店静岡の西武甲府の岡島などなど、すべてデパートの営業マンでした。当時のデパート婦人服担当は、エリートコースであり、出世コースとも、言われていました。とにかく、アパレルメーカーの営業マンに対しては、顎(あご)で使う。威張っているのが、仕入れ担当者(バイヤー)でした。殆どのデパートが、委託条件。返品は、着払い返品。ビニール袋に入れずに、平気で、返品する。自分勝手に写真撮りして、セールちらしに載せる。もう酷い状態でした。場貸し屋ですね。そんな状態でしたので、今の段階になって、あ~でもない。こ~でもない。・・・・というのは、当たり前の状態ですね。悪くなるのが、当然ですね。のれんに、胡坐(あぐら)をかいたツケが回ったのだ。・・・・・と思います。私は昭和62年10月に一般社員として、小売業(ロコレディ)に転身しました。小売業は、全くの素人の私。(もちろん、この時は、後継者になるとは、思いませんでした。)私は、今度は、小売業で仕入れする立場でしたが、決して、デパートのような横柄な態度や、安易な仕入れの委託販売は、しませんでした。デパートのやり方を反面教師として、絶対、営業マンが嫌がることは、やらないのが、私の信条でした。そして、支払いが、悪い百貨店は、ゆくゆくなくなると思っていました。特に、支払いが悪いのが、当時西●系と松●屋系のデパートでした。でも、地方のデパートで、綺麗な商売をする仕入れ担当者(バイヤーさん)もいました。それは、ADOグループ(伊勢丹G)でした。常識無い返品や、値引きは、一切無しでした。百貨店の花形は、アパレル。特に、レディース部門。(メンズ部門では無かった。)その中でも、婦人服が、花形の中で、一番出世コースでした。(どの部門より、早く部長職に)なぜなら、売上面、粗利益率面でも、百貨店の中では、一番だったからです。外商部門より、力を持っていたのが、アパレル部門でした。詳しくは、「アパレル興亡」企業作家 黒木亮氏の本をお読み頂くと、嬉しいです。その登場人物として、「堀川利幸」が、出てきます。モデルは、4人(4人とも、東京スタイルの男性営業マンです。)そのうちの1人が、私です。(まとめとして)百貨店の衰退は、時代の流れもありますが、創業者の思想が無くなった。(三方良しの気持ちが、消滅した。)お互い様、お互い様の心が無くなったので、衰退したと私は、考えています。デパートで、お子様ランチを食べるのが、月に一度の愉しみでした。(オリエンタル中村や、松坂屋名古屋栄本店で、 お子様ランチを食べた味は、今でも忘れません)デパートには、夢があった。でも、それを無くしたのは、時代の流れもありますが、保身になった横柄な態度のバイヤーや、幹部の責任もあるかと、思います。(百貨店で、バイヤーを3年やると、担当者の家に蔵が建つと言われていました。)奢(おご)れるもの久しからず。・・・だと思います。#百貨店の衰退#アパレル興亡#アパレル業界#ロコレディ#黒木亮
2023.09.14
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ワークライフインテグレーションとよく似た概念としてワークライフバランスがあります。一見すると、ワークライフバランスとワークライフ・インテグレーションはよく似たものと思えるかもしれませんが、両者は異なる概念です。ワークライフバランスとは、仕事と生活を相反するものとして捉え、両者のバランスを取ることを重視するという考え方ですが、ワークライフ・インテグレーションは仕事と生活の2つを統合して捉えるという考え方です。ワークライフインテグレーションは、生活と仕事は相互にプラスの影響を与え合うものであり、仕事の充実が生活の充実につながり、また生活の充実が仕事の充実につながると考えます。どちらも人生の一部であり、反発するものとは見做さないという新しい考え方なのです。以上一部引用有り。私は、ワークライフとインテグレーションの間に「・」をつけたのが、ロコレディ流です。オーダー・メイド型雇用人事制度と同じです。この「・」があるかないか?この「・」が、「間(ま)」になるのです。いい塩梅(あんばい)です。この感覚なのです。あくまでも、あくまでも、配慮が基本ですが、遠慮は、しません。#ロコレディ流ワークライフ・インテグレーション何度も、何度も、失敗や、過ちを繰り返してアレンジしています。毎日、毎日オーダー・メイド型雇用人事制度について考えています。どうしたら、相思・相愛になれるか?お互い様、お互い様の精神ですね。人間が、持って生まれた優しさと温もりでは、ないでしょうか?オーダー・メイド型雇用人事制度は、平成6年にオリジナルで、考えた人事制度です。ある社労士の先生が、言います。「この制度を他の会社にも、マネしてもらいたいけど、 わが社では、無理だと言う社長がほとんどです。 はとみさん、素晴らしい人事制度です。 社労士として、ここまで考えている社長様が、少ないです。」・・・・・といわれました。
2023.09.08
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私は、昭和57年に、アパレルメーカーにいました。東証一部上場「東京スタイル」に昭和62年8月まで、在籍していました。企業作家黒木亮氏の本「アパレル興亡」は、東京スタイルがモデル会社になっています。その本の名kにも、百貨店の当時の横暴な態度が、出てきます。もう、40年以上前から、その陰りは、出ていたのです。百貨店の衰退はとても悲しいし、復活してもらいたい。・・・と考えていますが、まずは、無理だと思います。なぜか???社長や、経営陣が、変わりすぎるのです。落ち着かないのです。新しい企画や、ワクワクイベントを考えないのか?行動できないのか?わかりませんが,残念ですが先行きは、・・・・・・。固定観念に縛られているのか?新しい発想を育む環境がないのか?今の形態での百貨店は、均衡縮小型で、年々、売上は、減少していくことが、予想されます。子供の頃、百貨店で、お子様ランチを松坂屋名古屋本店のレストランで、兄と、弟と食べる。月に一度の愉しみでした。百貨店が、業態を変えておとなのテーマーパークに変わることを祈念しています。子供の頃の百貨店には、夢がありました。
2023.09.05
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第9回懐かシネマ上映会を2014年から、続けています。コロナで、1回パスしています。1回目は、千姫と秀頼(主演美空ひばり)2回目は、絵師井桁さんのライブ3回目は、ローマの休日(主演ヘッバーン)4回目は、燦燦(俳優 山本學さん来場)5回目は、活動弁士(澤登翠氏の無声映画)6回目は、あかね空(主演内野聖陽)7回目は、銀座の恋の物語(主演石原裕次郎)8回目は、二宮金次郎(主演合田雅吏)9回目は、キューポラのある街(主演吉永小百合)10回目は、未定です。10回目で、千秋楽となります。色々な出会いを頂きました。チームワークです。お互い様の心で。相思相愛の心で。
2023.08.30
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民間で、考えたイベントです。常総市民なら、皆さんがご存じとなったイベントになりました。
2023.08.27
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暑い日が、続いていますが、皆さん体調の方は、いかがでしょうか?私ですか?今年は、3回も熱中症なってしまい。救急車にお世話になるかと心配しました。でも大丈夫でした。くれぐれも、お身体を大切にしてくだいませ。さてさて、子どもたちから、何度かコロッケ人形の前で「おじさんも、一緒に写真を」「おじさんは、家族の一員だから」という言葉を頂き、そのような場面に何回も、出くわしました。子供たちからも、元氣を頂いています。さてさて、今回は、長野県から、道の駅常総に旅行組の女子大生3人組から「おじさんは、芸人さんですか? さっきから、道の駅ご来場さんに、お声掛けしている姿を拝見して、そう感じました。しゃべりが、上手いですね.皆さん、笑っている。きっと、芸人さんだよ。」と3人で、話しをしていました。ニコニコ笑いながら、近寄ってきたのです。「いえいえ、私は、笑倍人(しょうばいにん)であり、商売人です。」と言うと、またまた、大笑い。「おじさんの本業は何だと思う?」と訊くと「肉屋さん、農家さん、八百屋さん」と言われました。わたしが、「アパレル業界だよ。しかも、レディースブティックチェーンなんだよ。」と言うとまたまた大爆笑、大爆笑。「「おじさん、冗談でしょ~。こんな面白いおじさんに、会ったことない。記念に。一緒に写真撮りましょう~」と言われました。若い女性に、いじられた私ですが、「旅行の想い出になれば。」とスマホで「パシッ~」と。手を振って、大きな声で「また、愛(あい)ましょう~。彼氏によろしくね~」と。振り返って「おじさんは、やはり芸人さんだよ~」と。愉しいひと時でした。一期一会の心をこれからも、大切にしていきます。季節の変わり目でございます。くれぐれも、お身体ご自愛くださいませ。
2023.08.20
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いつも、ご愛読ありがとうございます。今回は、私は、常にスタッフたちに、「お客様のことを家族の一員のように、接するように。」と話しをしています。ヒットより、フィットの時代です。ひとり、一人に合った洋服や、靴などを提案しております。また、私は、スタッフたちを家族の一員として考えています。・・・と伝えます。勤続年数が50年、40年、30年の70才台の女性スタッフがいます。会社の宝だと考えています。全社では、平均20年勤続です。20代半ば~50代台のスタっフが、元氣に働いてます。オーダー・メイド型雇用人事制度は、オリジナル制度です。県内では、わが社だけのようです。戸籍年齢は、関係ありません。「いつまでも、いつまでも、若い感覚を持ち続けたい。」そんなスタッフたちに、助けられています。お客様からも、「安心して、お買い物をしたいから!」と嬉しいお言葉も頂き、感謝の気持ちで、いっぱいです。
2023.08.19
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ユニクロ社長である柳井正氏の名言に「Change or Die」ということばがあります。「変革かそれとも死か」ということになりますが、「変革」をしなければ他方の「死」しかないということを語っています。すなわち「チャレンジしない限り将来はない」ということです。11年間で、9回の災害に、遭ったわが社です。変化せざる得ない。 人間は、変化を好まない性格である。・・・と言われています。ゆでカエルにならないようにする。だれも歩いたこと無い道を歩く。美と健康と食の文化を育むロコレディ向かいます。
2023.08.08
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女性には、解説ことばで、仕事を頼まない??? 男性のみなさん~ 女性には、解説ことばで仕事を頼まない方がよい。こんなことも、知らなかったのです。 私は、経験しました。何度も、何度も、何度も、女性との仕事上のトラブル。もう、やってられない~。・・・本当に、本当に、本当にそう思っていました。 やっと、氣がついたのです。 女性に解説ことばで、しゃべっては、いけません。 特に、感情の激しい女性には、解説ことばで、仕事を頼むと、人間関係が、おかしくなります。 危険です。 では、どういうことば なのか??? 具体的に、述べていきますね。 それは、論理的に、無駄の無いことばです。「OOに関しては、こうやってくださいね。 ここは、こーで、あーで、終わったら、こうしてください。 その理由は、OOだからです。」 簡単に言うと、感情が入っていないことばでも、あります。 実は、 感情 の激しい女性ほど、感情のことばを入れて、応対すると 人間関係がうまくいくのです。 これを知ったら、もう悩むことが少なくなりました。 女性に仕事を頼む時は解説しては、ダメなんですよ。 仕事が、やり易くなるように、噛み砕いたり、解消しやすくするんですよ~。 どうですか~、参考になりますか? もう、長年培ってきたこの極意を是非、女性との仕事で、悩んでいる男性のみなさんに理解(りかい) いやいや、理解(りかい)ではなく、わかってもらいたいのです。 どうも、男性は、固いことばで、解説したくなる習性をもっているようです。 まだまだ、私も女性の行動心理は、勉強中です。 参考になりますか???
2023.08.06
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アパレルメーカーが、自社のリスクで商品化しない。そのれが、このアパレル業界を疲弊させている。OEM(他社ブランドを製造する会社)に一任して、似たような服が生産されてしまい、競争力が低下。ショッピングセンターで、価格優先の商品を導入して同じような商品が、所せましと、いっぱい並んでいる。大量生産して、売り場にばら撒くビジネスモデル。デパート業界では、場所貸しショップや、催事場などでの委託販売主流。「消化仕入れ」と言われるメーカーに全て、リスクを負わせる仕組みがこの業界をさらに悪くしている感じがします。大量生産、大量販売のビジネスモデルは、終焉を迎えている。原因がわかっているのに、変化を恐れて、今までのやり方を継承している。わが社は、美と健康と食の文化を育むロコレディとして、1年前からコンセプトを見直しています。#ロコレディ#アパレル業界#美と健康と食の文化を育む
2023.08.05
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毎日、毎日、こつこつと。
2023.08.01
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昭和62年10月に、茨城県常総市(当時は、水海道市)ロコレディに転職しました。アパレルメーカーから小売業に転職しました。メーカーに居た時から、販売応援に参加していました。販売は、決して嫌いではなかった。他のアパレルメーカーの営業マンや、東京スタイルの営業マンは、比較的販売は、苦手のようだった。忘れましない出来事昭和59年の秋ごろです。(9月末?)仙台の藤崎デパート2階で、会社の訪問用のジャケットを販売していました。29,800円(消費税の無い時代です。)紺色のジャケットと、グレーのタイトスカートを販売しました。その時、お嬢様とお母様の2人で、洋服を選びを。すると、お母様が、いきなり「仙台のキャベツの値段と東京のキャベツの値段が、違うのに 洋服は、日本全国 共通価格なの?」と私に言ってきました。答えれなかったです。そして、東京に戻り担当課長に「どうして、洋服は、日本全国同じ価格なのか?」と質問すると、「おまえは、馬鹿か! 食べ物と洋服を同じに考えるな!」と怒鳴られました。そして、転職の話しがあり、それを面接・面談時に羽富 正三に言いました。「すると、そうか、君もそう思うか? 私も、そう思う。地域によって、価値は異なる。 ぜひ、君に、ロコレディ独自の価格で、販売できる商品を開発して 欲しい。」と言われました。この羽富 正三という人は、どういう人だろうか?・・・・・・と不思議に思いました。全く、この人が、将来の義父になるとは、想いもよりませんでした。商品に対しては、厳しい目を持った羽富 正三でした。商売、商売、商売と毎日、毎日言われ続けました。とにかく、厳しい人でした。「会長である私の前には、絶対出るな~。 常に、常に、全ての行動を私に報告しろ~」と毎週月曜日が、報告会でした。常に、先を読め。そして、考えて、決めたら、ひたすらそれに向かって走れ。・・・という指示が、出ます。365日休み無し。もう、くたくたに働いて、商売を学ぼうとかんがえました。この先は、また後日に。
2023.07.30
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アパレル業界全体が、疲弊しているが、あくまでも、100%ではない。特に、アパレル業界の卸事業の賞味期限切れかもしれない。毎年、毎年、新デザインの洋服が誕生する。7月後半になると、セール品でも売れない商品が、お店にあふれる。ネット販売で、洋服を買う人もいるが、サイズ感覚が不明で返品も多いようです。リアル店舗で、購入する。自分の目で、確かめる。試着する。コーディネートして、洋服を買う人もいる。どうしても、洋服選びが、偏る。洋服選びが、糖尿病になる。偏る。同じような洋服を何回も、購入する。バランス良く、バランス良く。
2023.07.25
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口が悪い人と言葉遣いが、悪い人とは、異なります。ズバズバと本音で、言って下さるオーナー様がいます。どうしても、どうしても、上手いかない。上手くいかないのは、手順が間違っている場合が多い。相手の感情を大切にします。想定外のことが起きる場合があります。どうやって、対応するか???悩みます。取引先様とも、真剣に打ち合わせをします。ケースバイケース状況判断で、対応します。落ち着いて、落ち着いて、対応を図ります。バランス良く、バランス良く。
2023.07.19
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暑い日が続いています。植木に水を撒く。そのタイミングも大切なようです。水をまきすぎても、ダメなようです。植木や、生花にお水を注ぐ。水を与えすぎても、ダメなんだよ。・・・と花屋さんや、植木屋さんから学びます。バランス感覚が大切ですね。ロコレディ水海道本店は、「ネコ一匹通らない商店街で、よく商売が出来ますね。」と大手の食品会社様が、言います「ファミレスも、100円ショップも出店しませんね。」と笑いながら、言います。わが社は、大型商業施設に出店攻撃をしていた時期があります。3.11があるまで、その傾向が強かったです。朝9時~22時まで営業、365日休み無し。もうこれでは、会社経営は、困難なると考え、4年半かかって、全て路面店に切り替えました。凄いエネルギーを使いました。夜は、眠れない。精神的にも、辛かった。常に、お客さまのことと、従業員のことを考えています。どうしたら、どうしたら良いか?ワークライフ・インテグレーション(調和)を考え、この秋から新たな人事制度を考えています。労務協会さんにも、相談して微調整しています。どうしたら、良いか?考えて、考えて、行動します。バランス良く、水を与える。やりすぎると、生花も自分から水分を摂ることを行るようになる。貧乏学生なら、貧乏学生なりの発想で食事付き、風呂付きのバイトを考えた。時給が高い会社や、店を選ぶのではなく、勉強になり、生活費を浮かすことが出来るバイト先として、学生時代は、新聞配達をし、デパートの清掃会社や、都議会議員の事務所で、3年間お世話になった。シャワー付きの清掃会社や、選挙事務所でのビラ配りなどなど。今の私の血液の中に、入っています。バランス良く、バランス良く。
2023.07.16
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暑い日が、続いています。お元気でしょうか?私ですか???熱中症にかかり、少し体調がすぐれない日が続きました。いよいよ、次のステップに向かって走りだします。シナジー効果を高めるには、どうするか?いつも、考えうようにしています。引き続き、よろしくお願いします。
2023.07.15
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忘れもしません、ある土曜日の出来事です。5歳の女の子と、3歳の女の子の姉妹です。パパとママの4人で、道の駅常総に家族で、ご来場されていました。13時前後だと思います。この5歳の女の子が、いきなり、私にハグしてきました。いきなりです。「おじさん、大好き!」と。すると、妹さんも、「私も、大好き」とハグしてきました。全く、初対面です。パパさんとママさんが、キッチンカーをご利用して頂いた。丁寧に、丁寧にあいさつしながら、応対しました。その光景を見ていたのでしょうか???すると、「おじさん~」と言って、近寄ってハグしてきたのです。ママさんが「ごめんなさいね~。おじさんと仲良くしたいの~」といきなり、言っておじさんの所へ、行く。・・・・と娘より。すると、今度は、妹さんまでも・・・・・・。それだけではありません。道の駅でお買い物が終わると、今度は、パパさんに「あのおじさんのところへ、行きたいの~」と言うので、「ダメだよ。おじさんお仕事しているから、迷惑になるからね~」と言っても、いきなり、走って来て、「おじさん~」とまたまた、ハグしてきました。「おじさん、また愛(あい)ましょうね~」と。家族4人で、帰る準備があったのでしょうか?トイレに4人で、行かれました。すると、またまた「おじさん~、もう帰るから、もう一回」と言って、ハグしてきました。私は、もう涙、涙、涙です。「笑倍(しょうばい)して、良かった。 商いを通じて、見知らぬ人と出愛(であい)がある。嬉しいです。」失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として考えています。「今日は、思い切りビールを飲むぞ~」と。すると妻から、「お父さん、いい加減にしない~」と。同じ女性でも、違いを感じた一日でした。(トホホ)
2023.06.21
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口が悪い人が、私の周りにも、います。でも、憎めないのです。毒蝮三太夫さんのような人です。いつも、毒舌ばかりですが、憎めない性格の持ち主です。私は、口の悪い人とは、比較的仲が良いです。頭の回転が速く、勉強になるばかりです。それと、言葉遣いが悪い人がいます。先輩に向かって、口の利き方を知らない人は私は、苦手です。若い世代の経営者様に、先日あることで、怒鳴られました。悪いのは、私の会社の出来事です。先方様の「ホウ・レン・ソウ」が上手く伝わっていなくて、一方的に怒鳴られました。もちろん、非はわが社にあります。先方様に伝えていたのが、取締役様に伝わっていなかった。私は、ひたすら、ひたすらに頭を下げました。不快にさせたのは、事実です。会社の最終責任は、この私です。頭を90度に下げて、詫びました。でも、1つだけ良くなかった部分がありました。私の子供と同じ世代の方でした。言い方や、態度が良くなかった。人格を否定された言い方は、良くなかった。言葉遣いが、悪かった。その点に関しては、訂正をして欲しかったので他の幹部の方に伝えた。すると、男性(60歳代半ば)が「はとみさん、申し訳なかった。 この私が、謝る。許してくれ。 人間関係がまだ出来ていない段階で、 暴言は、危険だ。」と言われました。この私も、経験があります。私の不適切な発言でその方を怒らせてしまった失敗があります。この私も、大きな大きな過ちをたくさんしています。その都度、反省をします。心からお詫びします。
2023.06.05
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道の駅常総にキッチンカーと冷凍生餃子🥟でお世話になっています。雨☂️対策強風対策暑くても寒くても出来るだけ影響を受けないように対策を考える。
2023.05.31
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新しいことに挑戦することは、すごくリスクのあることです。悩んでも、悩んでも、前に進もうと考えます。最善を尽くし、最悪を想定して中庸をいく。…小阪先生から、直接指導を受けました。よろず相談拠点では、集まめない。人を集めない。集まってくる仕組みを考えなさい。・・・と宮田貞夫先生から教わります。そして、バランス良く、バランス良くを再度、再度、確認します。高飛車な言い方は、避ける。・・・と故羽富正三の言葉より。
2023.05.29
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1にも、2にも、繰り返しです。5年、10年前から、考えていました。指示ゼロ方針を自分自身で、考えてオリジナルで考える。私は、平成6年にオーダー・メイド型雇用人事制度を考えました。試行錯誤しながら、前向きに考えてきました。何度も、何度も、失敗を繰り返します。部下指導で、大切なことは、育てていきたいか?どうかの1本かと思います。配慮しても、遠慮はしない。まだまだ、変態してビジネスを見直していきます。
2023.05.22
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ロコレディは、オードリー・ヘップバーンの生き方を参考にしています。どうして?どうして?色々な方に質問を受けます。もう20年近く前でしょうか?当初、ヘップバーンをロコレディ店内に飾ると「社長が好きだから、私的に応援している。 公私混同していると非難されました。」当時、会長故羽富 正三からも指摘を受けたり、店長会議でも、話題になっていました。すると、取引先のアパレルメーカー「ワールドの幹部様が、ロコレディにご来店」この飾り付けを観て述べられました。「ヘップバーンは、ワールドのコルディというアブランドの初代 イメージキャラクターです。東京・銀座リザショップがオープンする時に、ヘップバーンさんが、銀座店にご来店されています。ロコレディさんが、ヘップバーンのカレンダー公式取扱店舗ということは、ワールドとしても、大変評価しています。」と言われました。私は、仕事として、ショップイメージをあげたかっただけです。特別に、特別にヘップバーンさんが、好きだというイメージは、持っていません。私に対する非難は、それから一切無くなりました。何かを始めようとすると、どんなことでも非難される。決して、悪いことでなくても、非難される。これも、今では、懐かしい思い出です。私の好きな女性は、山口百恵さん(高校3年生まで)です。今は、もちろん女優の羽田美智子さんです。そして、懐かシネマ野外上映会をはじめて映画館宝来館のオーナーさんと仲良くなった。故東郷まささんから「はとみさん、ヘップバーンの映画は、宝来館で 美空ひばりか? ヘップバーンか?ぐらい 大人気の女優でした。 看板は、ヘップバーンの看板を飾りましょう~」と言われた。社長業というのは、非難されても、間違いない。・・・と判断したら、実行するべきだ。と現在サンスイグループ東郷治久社長から教わっています。バランス良く、バランス良く。#羽田美智子#ロコレディ#オードリー・ヘップバーンカレンダー#ワールド#コルディア
2023.05.16
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道の駅常総が、4月28日(金)にオープンしました。そこに、出店するか?悩んでいました。もう1年半以上前からです。アパレル業界が疲弊している。どうすれば、良いか?誰も、その答えは、知りません。毎日、毎日、眠れない日々が続きます。流れを読む。アパレル業界で、生き残るには、どうするべきか?本業は、アパレルです。イトーヨーカドーさんが、アパレルから、撤退を決めた?下着などを残して、自前の売り場をテナントに貸すようです。お話しは、各方面からご相談を受けます。「ロコレディさん、いかがでしょうか? 我が施設にいかがでしょうか?」と投げかけられます。言葉を選びながら、慎重に慎重に、お答えします。ヒットより、フィットする時代にふさわしい商品構成とおもてなし。それには、営業時間が長すぎる。スタッフ達の家庭環境を考えると、20時閉店、21時閉店は、耐えられない。道の駅の出店も、どういう形式がいいのか?シュミレーションします。冷凍餃子の納品は、道の駅館内で。そして、キッチンカーが良いかと2年近く検討した。事業再構築第一次ものづくり補助金の2つの案件に採択された。商売は、継続だ。…創業者 故羽富 正三より。昭和22年ごろから、行商に出かけた。昭和26年に、創業して「扇屋洋品店」をオープンした。その後に、「たからストアー」をオープンして、スーパーを経営した。そして、そのスーパーを止めて、専門店(婦人服)に特化した。その都度、その都度、時代に合った道を進んできた。そして、令和の時代になって美と健康と食の文化を育むロコレディに生まれ変わった。まだ、まだ、変態する時代は、続くと考えている。
2023.05.16
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コロナから、数多くの気づきを頂く。お客様との絆づくり。アパレルから、食品業界とのコラボ。シナジー(相乗)効果を考えます。
2023.05.13
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おはようございます♪「おじさんボクのこと覚えている?今日はママにお願いしてわざわざ道の駅常総まで来ました。」と。するとママさんが「うちの子どもがコロッケを食べたい。」ーと。「コンビニ店のコロッケではダメなの?」すると,「ボクはあのおじさんやキッチンカーの中にいるお兄ちゃんからのコロッケが食べたいんだ!」もう嬉しくて嬉しくて握手🤝をしました。別れる際にはいつものフレーズ「お風呂に入れよシャンプーしろよママの言うことをよく聞けよ。」ーと言うと,「おじさんに会えて良かった。おじさんもお風呂に入れよー。」と言われました。涙😢が出そうになりました。「キッチンカーのお兄ちゃんたちも頑張ってネ!」ーと。有難うございます♪有難うございます♪子どもさん達に喜ばれるキッチンカー販売でありたい。ーと考えています。今度はいつ常総市役所に?阿見町荒川本郷店には?守谷市松ヶ丘アクロスモールに?石岡市東大橋にはいつ戻ってくるの?もうこのようなお言葉をたくさんいただいています。今日土曜日は千姫祭り前日祭明日日曜日は千姫祭りです。チームワークです。そしてご先祖様のお陰です。地域の皆様に支えられています。子どもさん達の家族さんからも,街を元気にして下さい。うちの子どもをコロッケさんの事務所さんに!お笑い芸人になりたい子どもさんを私は応援したいです。子どもは街の宝物です。子ども達からパワーを頂きます。今日も働くでぇ!
2023.05.11
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忙しいゴールデンウィークでした。本業は、アパレル事業です。このままのやり方では、いけない。スタッフたちには、基本的には、指示はしないような環境をこの2年間継続しています。自分たちで、考える。全ての案件は、自分たちで考える。考えることが、仕事である。・・・という方針にしました。新しいビジネスに、挑戦。そして、アパレル店舗においても、ドンドン現場に委譲する仕組みをこの2年間で、構築してきました。「指示をすると、受け身になることに気づきました。 この2年間は、指示ゼロを目指して会社経営をしています。」古い仕組みは、賞味期限が切れている。だったら、やる気のあるスタッフを育てる。マンネリを打破するのは、自分たちで考える仕組み。現場の意見を聴く前に、「自分たちで、考えること。」これを意識的に、行ってきました。お店巡回しても、お店のスタッフには、指示はしません。「自分たちで考えて、お客様は、どう思うか?」これだけを言って、お店を後にします。今までの私は、指示することで会社は、良くなると考えてきました。息子も、娘も、取締役となりました。後継者を育てるには、私は、指示ゼロ方針が、得策だと考えました。キcツチンカー事業や、冷凍生餃子の件も、指示ゼロです。「2人の取締役に言うのは、 お客様は、どう思うか?」これだけです。失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として考えています。作としあき
2023.05.10
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月までアパレルメーカー勤務でした。地方の百貨店担当でした。仙台藤崎百貨店担当で、ある日の出来事です。毎週土曜日、日曜日は、婦人服売り場に、立っていました。「キャベツの値段が、東京と仙台では、異なるのに、 どうして、洋服は、全国統一価格なのか?」という不思議な気持ちを持っようになりました。ある親娘(おやこ)さんが、就職する時の洋服を探していた時に「洋服は、高い。全国統一の価格に、不信感を持っている。」と言われました。当時、東京スタイルのブラウスは、9,900円~15,000円位だった思います。そして、ご縁があって、見ず知らない茨城県水海道市にあるロコレディに転職しました。そして、店長職(バイヤー職)になりました。当時 袖丈が、7分丈、6分丈のブラウスがありませんでした。お直し屋さんに依頼して長袖を6部、7部に切って頂きました。150枚ぐらい?仕入れをしました。すべて、完売しました。オリジナル商品になったのです。もちろん、当時の社長故羽富 正三にも、相談して進めていきました。アパレルメーカーの営業には、全く言いませんでした。色々なことを顧客様と相談しながら、アレンジして、アレンジして、ご意見を伺っていました。販売してみると仲のいい顧客様は喜んで買ってくださりました。価格も、少し高めでもお客さまとの人間関係が出来ていれば、売れることを学びました。高いから、売れない。ではなく、その世界観を見せることだと思います。キッチンカーのコロッケも同じだと思います。スーパーでのコロッケは、安い。まけろ!・・・と言われることもあります。どうして、この価格なのか?それを丁寧にご説明申し上げる。スタッフ全員が気づかないうちに「価格の壁にとらわれていたこと」「価格の壁を勝手に設定している。」「自分の財布感覚(金銭感覚)をお客様に押し付けてしまう。」お客様は「価値を感じて、その価値に適した価格であれば喜んで買ってくれる」ということに気づきました。価値に見合った価格を自信をもって販売する。気づかないうちにとらわれていた価格の壁が、自分成長を止めていることに気づきました。
2023.04.24
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4月28日に、圏央道「常総インター」付近 道の駅常総がオープンします。29日に、駐車場付近で2台のキッチンカーで、デビューします。扇屋餃子は、道の駅の中で販売となります。冷凍生餃子を販売します。常総市をPRする絶好のチャンスです。3.11被害ビル雨漏り被害雷被害鬼怒川水害被害コロナ被害11年間で9回の災難に遭っていますが、こうやって、前向きに仕事ができるのもお客様のお陰です。ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします。
2023.04.18
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経験が、将来の独立した時のヒントになる? コレ、これ、これなんですよ。サラリーマン時代から、数多くの失敗という体験や、経験。全て行動、実践から学んだ数多くの教訓。アナログさん(ゲストさん)から、こんな素晴らしい参考になるコメントを頂きました。その前にわたしのブログを商業施設の事務局さんや、司会者さん、芸能人さん、コンサルタントさん、税理士さん、国家公務員さん、弁護士さん、スーパーの食品売り場の男性さんや、保険代理店さん、写真屋さんなどなど、様々の人たちが、読んでいるようです。もちろん、アパレル業界の人や、小売店さんの店長さん、オーナーさんが一番多いようです。では、ご紹介しますね。以前、テレビ局のアナウンサーだった女性からです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>「経験」も大事ですね。 アナログさん より >民放ですらニュース番組を担当させてもらえなかった、「やわらかすぎる」人間です(笑)>こんな私でも、今や「日経MJセミナーの進行役」という固め(?)のお仕事を戴けるまでに成長(?)しました(笑)>局アナだった頃に一生懸命指導してくださった上司や先輩方の期待には応えられぬまま局を退社しましたが、>あの時の先輩方のご指導は、知らず知らずのうちに栄養となり、 今ごろになって花を咲かせてくれている・・・そんな気がしています。>スタッフの教育というのは気の長い作業ですが、長い目で見て育てる・・・たくさんの「経験」の中で学んでもらう・・・ ということも必要なのかもしれませんね。以上引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の会社でも、途中で、家庭の事情を含めて、退職される方もいます。15年以上まえでしょうか~~。退職されても、時々、お店に顔を出してくれる方もいます。「あら~、社長お元気ですか?あの当時は、どうも、ありがとうございました。本当に、本当に、本当に、会長さんをはじめ、店長や、スタッフのみなさんには、お世話になりました。ロコレディさんで、学んだことを今でも、実生活でも、役立っています。特に、心の経営という部分は、人間関係にも、役立っています。」という声を頂くと、嬉しく思います。転職して、わが社のライバルの婦人服責任者(百貨店のコーナー責任者)になった女性もいます。そんな女性が、私たち(会長と私)に声を掛けてくれます。18年ぐらい前でしょうか?ある日、故会長と2人で、各お店を巡回していると、「こんにちわ~、8年ほど前に、お世話になったOOです。会長 覚えていらっしゃいますか?あの時は、いろいろご迷惑をかけて、すみません。店長に逆らって会長に、小言を言われて、頭にきたことも、ありましたが、今は婦人服の仕入れ責任者になりました。あの当時の私は、甘かったです。本当に、本当に、本当に、すみませんでした。」とその女性が、深く頭を下げると、「そうですか~、 あなたのこれからの人生にプラスになれば、それで、OKですよ。立場が、変わって氣がつく。出来れば、もっと早く氣がつけば、・・・焦ることはないよ。 ロコレディの卒業生として、恥ずかしくない成績を出すことが、自分の本当の力である。」と言って、固く握手すると、その女性の目から、涙がこぼれたのでした。あるアパレル会社の社長様から、教わりました。「勝ちに、不思議な 勝ちあり。負けに、不思議な 負けなし。」 ・・・これは、野村監督(元ヤクルトスワローズ)・・・・現在楽天の監督 の言葉だそうです。すべてのことに、要因や、原因があるのですね。 この私は、サラリーマン時代から、独立しようとか?社長になろうとか?・・・とは思っていませんでした。でも、自分が経験したことが、すべて無駄では、なく今では、お金で買えない経験をさせて頂いたと感謝しております。また、そのアパレル社長様が言います。「はとみさん~、苦悩(くのう)には、2つあるんだよ。1.このままでは、ダメだ。・・・という不安 2.新しいことを学ぶ不安、新しいものを 取り入れる不安」 私は、この言葉を聴いて、何故か、今の自分と照らし合わせるように、なりました。では、もう一度「苦悩(くのう)には、2つあるんだよ。1.このままでは、ダメだ。・・・という不安2.新しいことを学ぶ不安、新しいものを取り入れる不安」これを、是非、自分、そうです、あなたの手帳に書き写して、時々観ると、良いかもしれませんね。
2023.04.14
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この制度は、テクニックではありません。平成2年ごろから、悩み始めました。平成6年ごろに、優秀な女性スタッフの退職が、2,3名出てきました。そこで、考えたのが、この制度です。「はとみさん、マネされるよ。あまり公開しない方が良いよ。」と言われました。マネされて、結構です。どうぞ、マネしてください。少しでも、参考になれば、幸いです。平成19年には、茨城県知事から、表彰状を頂きました。従業員の個性に配慮したオーダーメードの雇用契約を自社開発のが、平成6年ごろからです。私が従業員から学んで会社経営に活かしたことの一つが、オーダーメード雇用契約である。(当時は、オーダーメイド型でした。 現在は、オーダー・メイド型です。)ワークライフ・インテグレーション(調和)の考えです。もちろん無制限に自由であるわけではないが、次の3つの働き方を基本型とする。 イ、7.5時間以上勤務で月22日以上の勤務。 ロ、通常は5時間から6時間の勤務だが週に2日だけ繁忙日には7時間勤務。 公休月に10日間 ハ、一日6~7時間で月の出勤日数が10~13日間。 イは、どちらかといえば収入を優先する「キャリア社員コース」。ロは、毎日の朝夕の時間の都合を優先する、時間と収入を足して、 2で割った平均を優先するコース。ハは、配偶者の扶養家族として認められる範囲の収入で 経済生活の保証を優先するコース。 どのコースを選んでもすべて「社員」と(株)ロコレディは呼んでいます。個人の都合で雇用形態は違うが、全てお客様への奉仕の心は、同じです。また会社への姿勢は同じでなければ困るので、私は正社員だから、私はパートだから、といった差別があってはならない。・・・・と考えています。ゆえに、社員が採用時の面談・面接や普段の部下管理において、「パートだから・・・」という言い方をすることを私は厳禁している。それどころか「女だから・・、妻だから・・。」と言って蔑むような言辞があれば合意の基で、場外へと。また本人も「パートだから」「女だから」「妻だから」と逃げることはさせない。「雇用形態は配慮するが、仕事内容に関しては遠慮はしない」のが、ロコレディの社風です。 私がこのような制度を導入したきっかけには、力のある社員が辞めた原因がわからなかったという苦い経験がある。ある元社員と街角で出逢った時に聞いたのは、ほんとうは辞めたくはなかった、姑の眼が気になったから・・という言葉であった。(この女性は、総本家の長男のお嫁さんでした。)その時、私は、「会社の労働規定に雇用者を当てはめるのではなく、ひとり、ひとりの顔が違うように、働ける時間は異なる。だから、雇用者に会社が合わせることにしよう。」と考えたという。 従業員にもいろいろな個人的事情を抱えた人がいる(介護、障がい者、孫の面倒などなど)・・・単純なことだが重要な気づきがありました。育児が終わった女性、育児期だが親が手伝ってくれる(しかしその眼も気になる)跡継ぎの嫁、育児時期で核家族、独身の女性・・・。こういう従業員の確保、定着には「時給よりも働く環境が重要」であると考えました。その環境としては時間がやはり重要で、従業員の都合にあわせてその時間も切り替えてやれば良いのではないか?・・・・・・と考えるようになりました。たとえば子どもさんが、小さい時は、シートタイム社員コース。やがてロングパートに切り替え(パートと呼んでいないことは先に書いた通りであるが)、その後、繁忙日だけの勤務に変わる人もいるし、逆にもとのフルタイム社員コースから、親の介護で6時間勤務は、出勤日数を15日に変更するスタッフも増えてきました。人それぞれなのです。でも、ここで大切なのは、配慮しても、遠慮はしません。 このような制度を導入したところ定着率がさらに向上してきた。 概して配偶者や小さな子どもがいれば日曜日の出勤は嫌がるが、よくよく話してみると月に一日なら日曜日も働ける人がいる。土日祝日は、旦那や、娘がいるので、フルタイムで働けるスタッフもいます。繁忙期だけなら良いという人もいる。日曜出勤がダメという言葉を額面通り受け取って採用しないなかった苦い経験から、気づきを頂きました。また配偶者の働き方も多様化しているから、それにあわせて出勤日を変えたい人もいる。・・そこで(株)ロコレディでは採用時の面談・面接に一時間以上もかける。最低でも、2,3回と相思・相愛になるかどうか?お互いに、話し合いします。個人の事情をよく知るためであります。第一に聞くのは「働く目的」です。 「ヒットした条件よりフィット条件」・・・これがそもそも(株)ロコレディの精神である。世の中で流行っているから売りつけるのではなく顧客にあった物を仕入れて提案する。顧客をよく知っていれば仕入れで失敗する確率は、低くなり、利益率は確保できる。・・・と考えました。それが、現実化してきました。顧客をよく知るためには顧客が定着することが大切であり、またその顧客に長くつきあってくれるスタッフの定着が大切である。・・・・・・と数々の失敗から学びました。スタッフの定着には「働く環境」がフィットしていることが、もっと大切なことです。そして、お互いに相思相愛。相思相愛になる。ならなければ、お互いに、辛い関係になります。結婚と同じと考えました。相思相愛が、基本です。一方的な希望だけでは、相思相愛には、なりません。 さらに(株)ロコレディは働きやすさには家族の応援が 大切であることも、理解しております。入社して、落ちついた時期を見計らって従業員に私は自筆で手「書」を描いて、感謝の言葉を伝えるようにしています。配偶者がいる場合には配偶者にもプレゼントを贈る場合もあります。ケースバイケース。家庭の事情で、退職したスタッフにも、筆をとります。スタッフのお孫さんには、笑顔で、接します。家族が(株)ロコレディに働くことへの味方になってくれます。女性の場合、とかく責任が重くなると嫌う人がいると言われる。やむをえず辞めた社員にも、自筆での手紙を絶やさない。やがてスタッフとして戻ってきてくれるかもしれない。大病して、見事に復帰してくれたスタッフもいます。また今度は元スタッフがお客様になってくれるのです。退職したスタッフが、ご紹介して下さる。またお客様として何度も、何度も、ご来店して下さる。これは、店長をはじめとするスタッフ達のフォローがあるからこそ、出来ることです。感謝の気持ちでいっぱいです。配慮しても、遠慮はしない。仕事に対する甘えは許さない。言い訳は、しない環境を育てる。働きやすい環境を整えるが、自己研鑚しないスタッフは、場外に自然とその方向へ、行きます。ロコレディの離職率は、低いです。でも、でも、介護で、退職される方が、多くなってきています。また、孫の面倒や、旦那様の病気看護で退職される方がいます。業界の中では、離職率は、ダントツにロコレディでは、低いです。月の残業時間も、一人当たり3時間未満です。相思相愛。相思相愛。会社とスタッフが、夫婦のような関係になるのが、どうやら、ロコレディ流のようです。
2023.04.13
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わが社の方針として、ワークライフ・インテグレーション(調査)が、根付いています。ワークライフ・バランスは、ロコレディでは、馴染まない。・・・と考えています。インテグレーション(調査)です。具体的に言うと、プレイべートの部分で、子どもさんのPTA役員会長さんになるスタッフに「学校行事に、参画して 街や、子どものことをフォローする。まさしくロコレディの方針に合う。」よって、表彰状を出して、福利厚生として、寸志を出すようにしています。仕事で、失敗したことや家族の出来事から、気づきなどがあれば、エントリー制度を設けています。その時代、その時代に合う「オーダー・メイド型雇用人事制度」を導入しています。ある50歳代半ばの元スタッフ女性より。「社長、親の介護で退職してしまった。 あの時、社長から人材登録制度を提案してもらったが、断ってしまった。 ロコレディさんを退職して、2回 職を変えた。 辞めなった方が良かったです。」と言われました。「そうか~、そうか~。 また、お母さまの介護の件が、落ち着いたら、また打ち合わせしましょう。」と言うと涙ぐんで、涙ぐんで、「ありがとうございます。 親が、認知症で 施設からも、呼び出しを受けます。 転職先では、それが受け入れされず、約束通りの勤務時間、出勤日数で 働いていましたが、2回ともうまくいかず、今は、無職です。 でも、親の介護が優先なので、そちらを優先しています。」と言われました。2人で、お茶を飲みながら、30分ぐらいお話しをしました。ワークライフ・バランスからワークライフ・インテグレーションの時代へ。ワークアズライフの時代でもあります。
2023.04.07
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私は、今年64歳を迎えます。子供の頃から、落ち着きが無く、学校の成績も、決してよくありませんでした。大学を卒業してサラリーマン生活をしていました。大企業でした。東証一部上場会社に勤めていました。もう、休みは、ほとんどない会社でした。平気で、部下のことを殴るような会社でした。今は、アウトですね。体育会系の会社でした。年齢は、関係なく入社時点の先輩・後輩になります。高卒であっても、入社が先なら先輩扱いとなります。でも、そういう環境だったから、今の私がいます。猛烈社員として、働いていました。詳しくは、黒木亮氏「アパレル興亡」をお読みください。堀川利幸の名前で、投影されています。小売業に転職して本当に良かった。でも、数々の災難は、当時は辛かった。それをチャンスと考えるクセが、自然と身に着いてきた。受験勉強や、就職試験に失敗の経験が、肥やしになっていた。本当に、本当に、辛かった。特に、鬼怒川水害被害時は、きつかった。もう、ダメだ。もう、ダメだ。頭の中が、クラクラ状態でした。でも、でも、商売を通じて、社会貢献する。亡くなった創業者や、実父のことをいつも、いつも、考えて行動してきた。そして、一番大きな出来事は上皇両陛下様から、お言葉を頂いた力が大きいです。本当に、本当に、御丁寧なお言葉を頂きました。これからも、商売を笑倍(しょうばい)と考えていきます。ありがとうございます。ありがとうございます。#黒木亮#アパレル興亡#水害被害#ロコレディ
2023.04.06
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おはようございます。私は、子どもの頃から早起きでした。早起きは三文の徳。ーと父親から教わりました。男3人兄弟の次男坊です。晩御飯はいつも,食べ物の取り合いでした。私は、子供のころから、慌てるクセがありました。落ち着きのない子だね~。・・・・と近所のおばさんたちにも、言われていました。でも、人間誰でも、欠点がある。声が大き過ぎる。その欠点を笑いに変えて、人間掌握術のヒントにしようと、考えたのが、大学生時代の新聞配達のアルバイトです。(新聞奨学生)。貧乏学生でした。本当に、貧しかった。奨学金だけでは、生活できません。収入を増やすために、営業活動をしていました。新規客獲得のため新聞拡張の営業です。当時は、読売、毎日新聞が、ライバルでした。私は、朝日、東京、サンケイ、日経新聞を配っていました。1968年ごろ(昭和53年)の夏? 秋ごろ、学生の中で、拡張NO1に選ばれました。コツが見えたのです。それは、相手が、今何を欲しがっているのか?・・・・これを把握することだと。起床は、毎朝3時30分でした。夜8じごろ~9時ごろには、床に入っていました。そんな生活をしていました。学校には、ほぼ毎日通っていました。あるお宅に新聞拡張に出向きました。「オレは、自宅を朝5時には、出る。新聞の銘柄は、気にしない。朝4時半まで、投函できるか?」という質問を受けました。そのお客様の家への配達時間は、それまでは、通常6時ごろでした。ライバルの読売新聞も、毎日新聞も、ほぼ同じ時間でした。私は、その方が、朝日新聞を読んだことのない方で、サンケイ新聞、東京新聞を見たこともない。・・・・・・・という情報を武器に、新しい角度で、新聞を読まれたら、どうですか???・・・・という提案をしました。見事に、成功。サンケイ新聞の内容の面白さを薦めました。朝は、4時半に配達を続けました。投函する時は、「おはようございます。朝刊です~」と玄関の前で、声をかけて、配達をしました。しかも隣り近所の家迄聞こえる声で。大き過ぎる声を活かそうと考えました。すると、近所の家からも新聞を配達して欲しい。ーと言われました。そして、昭和54年 最終日3月31日付けで、退職する時、そのご主人様が、玄関前で、立っているのです。「おはようさん~、 学生さん。よく、オレの為に、朝刊をいつも、いつも4時半に届けてくれた。ありがとうね~。餞別だ。 」と封筒に3,000円入っていました。新聞代金が、2,000円ぐらいの時代の3,000円です。最初は、ご丁寧にお断りしました。でも、あまりにも熱心に勧められたのです。「ありがとうございます。」・・・・と言いました。人間関係のまったくない街に住んで、信用を得る。ただひたすらに、ただひたすらに、毎朝、新聞を読みたい人の為に。
2023.04.05
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茨城県にきたのは、必然???でしょうか>故会長(羽富正三)の当時のことばより いろいろなことがあって、苦労もやまほどして、ここまで育てた会社です。あの戦争から、かえってきて始めた行商から出発して、 昭和26年7月に旅館の一画の倉庫のような場所に、初めての店をかまえて、創業しました。名前は、扇屋旅館さんから、頂き「扇屋洋品店」と名付けました。昭和35年4月に宝ストアーを7人の株主を募ってオープンさせました。初年度から、赤字。スーパーマケットにまで手を広げて赤字。当時の金額で、1,000万円の赤字。 縮小などいう失敗も味わいました。 そんな長い長い試行錯誤をへて、やっとたどり着いた、 この婦人服販売という事業です。だから私は、わたしの代でこの会社を終わってしまうのを、どうしても善しとすることはできませんでした。そもそも、昭和62年10月にある大手ファッションアパレル・メーカーから 彼を引き抜いたのは、 後継者を育てたいという思いがあったからです。 当時28歳。社長の私をはじめ他の役員側から見れば、 あの頃の彼は、子供のように若く感じられたもので その当時の経営陣はほとんどが 50歳~60歳という組織だったのだから、当然かもしれません。私たちの世代には、もう終りがちかづいている。その危機感が、彼にかけてみようと私達の心を決めさせたのです。 それは、このままでは経営陣の老齢化にともなって衰退していくことは、 目に見えていました。 ならばいっそ、彼の思うままにやらせてみることからはじめよう。 彼にとっては大きな重圧だったのでしょうが、私達も出来る限りのお膳立てを整えて、助けてきたつもりです。そして彼が入社して3ヶ月。驚いたことに売上げは、 対前年比の1.5倍を記録していました。彼がしたこと事は、社員のためのマニュアルを整備するという、 今思えば、当たり前のことでした。 お客様の挨拶の仕方、電話の取り方、そんな目にみえるところから、地味に改善をおこなったのです。 私達には、少なからぬショックでした。 そんな基本的なところに改善の余地を残したまま、これまでやってきていたとは。また、若い世代に仕事をまかせることが、これほどが、 これほどの結果を実らせるとは。 ところが、1年が、ふたたび業績の伸びは止まることになります。あの当時ほど、彼があせっていた時期かもしれません。それは、大手のメーカーから移ってきたプライド。自分にかかる期待の大きさ。なにが何でも売上げを伸ばさなければならない。 ・・・と彼が思ったのも無理はありません。しかしもちろん、私達、経営者は、彼を責めるつもりは、少しもありませんでした。あの頃の彼(としあき)にこんなことを言ったのを覚えています。 「きみは今までのノウハウをすべて出し尽くして くれている。なら、それでいいじゃないか。出し尽くしてゼロになったら、そこからまた、一緒にはじめようじゃないか」その当時の彼(としあき)が言います。「この会社のために、やってみようと、 あの時本当にそう思った」と私の娘との結婚が決まった日の不思議な気持ちは、やはり忘れません。私の娘は、京子。 この私が、あせってムコの選び方を間違いました。あせることが、娘の人生を狂わしてしまいました。 実は、娘は、わたしの長男(本家)の娘でした。そうです、わたし達夫婦には、実の子には、恵まれなかったのです。名前は、京子。幼い時に、本家より、養女として、迎えました。無理やり結婚そして、離婚。 申し訳ないことをしたと反省していました。どこへ、行くにしても「いい婿さんは、いないですか?」と聞き歩いていました。 実は、今だから、言えますが、一目見て「この男だ。」と確信しました。 彼が、入社するまで、約1年半かかりました。 昭和60年秋から、昭和62年春ごろまで。 面接、面談は、20回以上行いました。そして、縁があり、入社しました。そして、娘に会わせました。後継者がいないこのわたしに、こんなかたちでムスコができるとは。妻とその晩は、大泣きしたのを今でも覚えています。都史彰(としあき)は、名古屋生まれ。わたしも70歳を過ぎ、 他の経営者も相次いで引退していくでしょう。 このせがれには、まだ一緒に仕事をする(悩んだり、喜んだりする)相棒がいないのです。 同族会社にこだわる気持ちは、まったくないようです。これまでのような経営手法は、わたしとともに姿を消すでしょう。終戦直後から、リヤカーを引きながら、グイグイひっぱってきたやり方から、従業員の立場から考える婿のせがれと一緒になって次の世代をつくるあなたを採用すること。 ・・・これが。私の最後の、最後のおおきな、おおきな仕事です。ありがとうございました。ロコレディ 故会長 羽富正三 平成7年の会長のことばを私が、文章にしました。しかしながら、平成18年から22年夏までまだらボケが、始まり苦痛の4年間でした。辛かった。辛かった。離婚しろ。どんどん仕入れを増やして、モノを沢山お店に入れろ!カラーで、チラシを作成して折込みチラシを40,000枚入れろ!ーと頭の中は、昭和30年から40年の手法を押し付けてきました。何度も,何度も色々な人に相談しました。悩みました。でも、でも平成23年2月7日に亡くなる前に、としあき、後は頼むぞ!ーと涙ぐんで、手を握り合いました。2月11日に.天国へ。色々ありましたが、創業者故羽富 正三に感謝しております。婿養子になって、本当に良かった。ありがとうこざいます。ありがとうこざいます。合掌ロコレディ婿養子羽富 都史彰#婿養子#ロコレディ#羽富 都史彰#羽富 正三#アパレル
2023.04.03
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昭和62年10月5日に水海道市(当時)宝町株式会社ロコレディに一般職として、小売業に転職しました。茨城県には、親戚はいません。入社初日を迎えていきなりみつかいどうプラザのロコレディ店に配属されました。全く、私が想像していた雰囲気の会社と、異なっていました。東京スタイルで学んだことや、営業職のイメージが、全く違うのです。ある意味、ショックでした。ただ、家族的な会社であると、すぐ感じ取りました。全てが、マニュアル化されていない。電話の取り方も、全く基本がなっていない。もう、頭がいたくなってきました。でも、すぐに発想を変えてマニュアル作りから始めました。電話の取り方や、挨拶の基本からです。アパレルメーカーと小売業の違いにとまどいながら仕事をしていきました。休みなんか、いらない。とにかく、仕事を覚えることに集中しようと決心しました。嘘をついて、東京スタイルを退職しました。名古屋に帰るということで、退職を認めてもらった。昭和62年12月28日?とうとう、東京スタイルの元上司にばれてしまいました。その上司からの電話でした。お店にかかってきました。「怒っていないよ。元気か? 一生懸命に働けよ」と言われて、電話口で大泣きして謝りました。すぐに、羽富 正三社長様に報告してました。すると「人生は、乗り越えようとすると、 一時期、ウソをつくことがある。 この私も、そうだ。 君は、今、新たな道に行こうとしている。 その壁を超えることが出来る君だ。 期待しているよ。」と言われて、また涙を流しました。 もう、がむしゃらに、がむしゃらに、働こうとと決意しました。1つ、1つのことを丁寧に、丁寧に解決していこうと心に決めました。ある日、歯が痛くなってきました。親知らずの歯が、私をいじめます。実は、それが、きっかけで結婚する方向へと流れていきました。次回に、続く。
2023.03.28
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大学3年生時に、父親をガンで亡くしました。確か、一日2,300円がかかる。アパート代金、食事代、交通費それを考えると、当時500円、550円の時給でしたので、5時間以上、働けるバイトを探していました。昼飯付き、お風呂(シャワー)付きのバイトを探していました。時給より、長い時間働けるバイト先を考えていました。1年生は、新聞配達(住込み、食事付き・・・朝、晩)2年生から、3つのバイトをやっていました。そして、大学4年生になると、就職活動が始まりました。新聞記者に?商社に勤める?アパレル業界????????全く、全く、アパレル業界には、興味が無かったです。就職課の担当者に「としあき君、アパレル業界に行けよ。 おまえみたいに、スグ行動するタイプは、アパレル向きだ。」と言われました。三陽商会は、名古屋支店もあり。そして、夏休みに、支店長面談。内々で、OKという返事を頂きました。10月1日に東京市ヶ谷の三陽商会本社に訪問しました。運命のいたずらがあり、結果的には第2希望の東京スタイルに入社することになりました。昭和57年4月1日に、東京スタイルに入社しました。物凄い厳しい会社でした。高円寺寮で、2人同部屋で1年間2人部屋。そして、退職するまで高円寺寮で、お世話になりました。休みは、ほとんど無し。でも、苦痛ではなかった。3年間勤めたら、転職しよう~。・・・・・と考えていました。昭和60年の夏だと記憶しています。夏休み5日間をもらって、名古屋に帰省すると父親のいとこのおじさんに相談しました。「東京スタイルに居ろ。もう2年一生懸命働け。」と言われました。同期の営業マンが、ドンドン退職していきます。スーパー、病院の事務局などなどお声が、かかるようになりました。すると、昭和60年の秋ごろに、常総市(以前は、水海道市)に本社があるロコレディさんの社長様(羽富 正三氏)より転職しないか?ーとお声をかけて、頂きました。1年半で、約20回創業者羽富 正三氏と会いました。次回へ続きます。
2023.03.24
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