《「私」と言う男の生涯」》と言う石原慎太郎著の本。
その生涯、生きざま、日本や世界の有名人たちとの交流と時代を動かした力に驚かされます。
大学時代に「芥川賞」をとって、文学界や映画界に大旋風を巻き起こし、国会議員として東京都知事として戦後の昭和から平成に大きな足跡を残している。
高校時代に父親を亡くして専業主婦の母親と金遣いの荒い弟(石原裕次郎)を抱えた石原家の長男として一家を支えなければならなかったはずの慎太郎氏。
「芥川賞」とった大学生のころに高校生だった奥様と結婚して4人の息子をもうけて、一族の大黒柱としての責任を果たしながらも、
「好色」で「女たちからもモテた」せいか、婚外恋愛も多く、婚外子もいたと言う(でも、その子供を産んだ女性やその子供には冷ややか)。
女性関係はともかくとしても、世界や国内の有力者たちとの交流、人脈には(流石!)と驚かされる。
私も逗子にいた時に娘が通う逗子小学校の広報誌の取材で(逗子の文学を訪ねて)石原家と縁の深かった「養神亭」のご主人に「石原兄弟」話をうかがったことがありました。
「裕次郎は 無名の高校大学時代にも通学する電車はいつも女子学生でいっぱいになったんだよ(慎太郎氏ではなく弟が)」
「慎太郎が芥川賞を取った時に石原家に電話がなくて、取次ぎしてあげたもんだが、裕次郎目当ての女たちの電話が多すぎて母親が電話を解約したんだ」
「有名になってあんな、披露山の中腹に家を建てたのは取り巻きも登れないだろうと思ったからだろうね」
披露山の中腹にあって、そこまでの道路が整備されていて、そこからが細い山道。 逗子海岸近くにあった我が家から披露山は近くで、慎太郎邸付近はよく通りました。
慎太郎邸の傍の山道の入り口に次女を乗せていたベビーカーを置いて家族で披露山頂上に登ったものです。披露山は低山ですが眺めの良い自然が豊かな山です。私が逗子から離れて三十数年以上経ちますが、披露山も慎太郎邸も懐かしい場所です。
慎太郎氏が脳梗塞で倒れてからあの家ももう売りに出されたそうです。
算命学で観ても、慎太郎氏の運命は興味があったのです。
「天馳星」(あの世、自由)父親のが高血圧で高校生の時に亡くなる。
「天報星」(胎児で変化の星)の「龍運」に乗って名声を得て、作家・映画俳優・国会議員・都知事。
「天極星」(死・悟り)目に見えない力を信じ、宗教的境地。
「養神亭」のご主人が「奥さんはね、あの山の上にある教会の娘なんだよ」と言っていたけれど、その教会で彼の母親は腎盂炎を治したこともあり、奥様も吉凶など占いもされていたようす。
裕次郎氏の幼いころのいたずらからの奇病を(医者に見放されて)祈祷師に治してもらったり、
霊友会の小谷喜美さんに「我が家は曹洞宗です」と言ったり。
私の哲学は「法華経」ですと言ったりする目に見ええない力を信じる人。
慎太郎氏と同じ誕生日の五木寛之氏とともに「天馳星」「天報星」「天極星」所有者で、「親鸞」を執筆したりしているから星を活かしていると納得できます。
「私」という男の生涯 [ 石原 慎太郎 ]
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