PR
人間、何とはなしに頭に浮かぶものがあると思う。それはどこかの景色だったり、人の顔だったり、歌だったりするだろう。
分析という仕事柄、相手はもの言わぬモノであって人間ではない。工程ははじめから終わりまで自分一人でやるから、まあ共用の器具とかがなければあまり人の都合なんか関係ない。そんなとき、ふっとそう言うものが頭に浮かんでくるのだが、このところ自分でも不思議なのが、お経が浮かんでくることだ。
浄土真宗大谷派というのがいわゆる西本願寺、(だったと思う)本願寺派が東本願寺を本山としている。関西では、お西、お東という方が通りがいい。うちは前者である。教典も共通部分が多いが、あげ方が少し違う。お東の方が『南無阿弥陀仏』を唱える回数が少なく、時間が短くてすむ。また、どちらかと言えば速度も速い。だから足がしびれなくてすむ。
それはいいとして、正真偈というのを在家では唱える。その一節が突然頭の中に出てくる訳だ。 なぜなのか自分でも分からない。熱心な信者では毛頭ないし、もし自分が死んでも大谷本廟のケースの中に入れられるぐらいなら柿の木の下にでもまいておいてもらう方がまし、とさえ思っている。こんなものでも肥やしくらいにはなるだろう。子供たちが気味悪がるなら、日本アルプスの中腹にでも撒いといてくれ、とでも遺言しておこうかとまじめに思っているくらいだ。浄土真宗が気に入っている訳でもなく、昔から続いているからという理由だけである。改宗するほどの積極性もない。どれもいわばかつあげの構造だし。
カレンダー
七詩さん
ピピノさんコメント新着
フリーページ