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訂正申請を出版社が出したことを受けて検定の委員会が招集されるという。現文科大臣は「行政が口を出すことではない」と言うが、過去の削除の事実はこの言葉をいかにも軽くしている。
軍の強制を否定している人の論を聞くと、どうも演繹的分析の元にその論を成立させているようだ。「軍に市民への指揮権はなかった」とか、「憲兵が軍人を取り締まっていたから(自決を強制した)兵隊はいるわけがない」或いは「私は自決を命令したことはなかった」などである。或いは、「自決を強要した史料がないからそんな事実はない」
これに対して、「強制された」と言う人は帰納的分析を行っている。「手りゅう弾をわたされた」「頚動脈を切らされた」「子供を殺せといわれた」生きて虜囚の恥をさらすな、と教育されたのは事実のようだから、私は強制されたと主張する人の方が真実だろうと思っている。
演繹的分析をすることにおいて、もっとも難しいのは「ない」事の証明だ。ここになくても他に有る可能性は否定できないし、個々の事象を当たるのは事実上不可能である。
実は私の父は憲兵だった。憲兵の中にも、ひどいのはいたらしい。賄賂、暴力、略奪。やっぱり戦争は何でもありなのである。理性の働く状態ではない。だから戦争をしてはいけないのだ。
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