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いわゆる「司馬遼太郎史観」に基づいた内容竜馬は凄い!!①キーパーソンを見極めよ②被害を一致させよ③面子に配慮しろ西郷隆盛と桂小五郎の間に立って調整する会談の約束を結果的に蹴った西郷隆盛面子にこだわって同盟を持ちかけられない桂小五郎それぞれの藩主の思惑などには触れられないーーーーーーーーーーーーあれこれ調べてみると実際に同盟を決めたのは薩摩藩の家老・小松帯刀のもようその小松の部下が西郷と大久保利通
2026年01月22日
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こちらは歴史秘話ヒストリアと違って、1864年12月15日の功山寺挙兵にグッと近寄った内容集まったのは力士隊と猟師中心の遊撃隊の80名強(神主の部隊などもあった)前後の外国艦隊との停戦交渉や幕府艦隊への夜襲なども描く晋作の残した歌を交えながらの紹介
2026年01月21日
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鼻輪のない暴れ牛、と評された高杉晋作。上司の周布政之助や奥さんとの関係も描く牢獄生活と修養石(愛玩石)決起に反対していた山縣有朋も藩から奇兵隊を解体されそうになって高杉晋作に合流する山縣有朋は高杉に巻き込まれていつか自分は腹を切る羽目になるのでは?と思っていたこのあと続けて「その時歴史が動いた」の高杉晋作も見る
2026年01月21日
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信玄軍に周辺の城を次々と陥落される家康浜松城の目の前、二俣城が攻められるが信長の援軍待ちで動けず信長の方も浅井浅倉や本願寺などの包囲網に囲まれてなかなか援軍が出せないようやく援軍が来たときは二俣城は陥落済み援軍は3000人と期待外れ浜松城の前で方向転換、台地に向かった信玄軍。台地から降りるところを追撃しょうとしたら、信玄軍は台地上で待ち構えていた「顰像』(しかみぞう)は最近は別人説が中心的になっている。1900年代に入ってから流布した話ーーーーーーーーーーーー戦国時代、東海の小大名・徳川家康に強大な敵が迫ります。風林火山の旗をなびかせ、無敵の騎馬軍団を操る甲斐の名将・武田信玄です。元亀3年(1572)、家康は三方原(みかたがはら)の戦いで信玄に大敗します。家康はなぜ信玄に敗れ、そして敗北から何を学び、後の天下統一にどう生かしたのでしょうか。若き日の家康が味わった生涯最大の敗北とその敗北から学んだ家康の生き方を描きます。
2026年01月19日
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八月十八日の政変(1863)池田屋騒動(1864/7)禁門の変(1864/8/20※新暦)と言う流れ西郷隆盛率いる薩摩軍や会津軍の2万人に対し長州軍は2000人戦うかどうか?来島又兵衛の発言力が強く、久坂玄瑞は押し切られた格好久坂玄瑞は山崎まで戻ることはできず侵入した御所南の?鷹司邸で自害する禁門の変は「攘夷の終わり」医者の息子で初期は坊主姿だった(2)「幕末・京都炎上」~長州・久坂玄瑞、志に散る~「元治元年(1864年)7月19日/長州藩、禁門の変に敗れる」京都の多くを焼き尽くした禁門の変。きっかけを作ったのは長州の志士・久坂玄瑞であった。攘夷論の中心であった長州藩は、宿敵・薩摩藩を中心とする連合軍を相手とする悲壮な戦いへと追い込まれて行く。その中で散った久坂玄瑞の決断の時を描く。*2002年10月9日 NHK総合テレビで放送
2026年01月15日
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戦国編はいったん置いておいて幕末編の①草莽崛起(くっき)の言葉が生まれた(手紙に書かれた)日が「その時」綺麗事だなぁ。司馬遼太郎の本のほうがずっと納得がいく高須久子(吉田松陰より12歳年上)が入牢した経緯も何やらぼやかしているが、要は未亡人の身分を超えた爛れた性生活が問題視されたらしい奇兵隊に参加した一部階層は後々酷い目にあったはずまた吉田松陰処刑の原因となった老中暗殺計画も出てこないNHKらしい、と言えばそれまでだがーーーーーーーーーーーー1)「志ある者よ 立ち上がれ」~獄中の出会いが生んだ吉田松陰の思想~「安政6年(1859年)4月7日/吉田松陰、草莽崛起を唱える」江戸時代末、混乱に包まれた日本。後に松下村塾を開くことになる吉田松陰は、獄中で古い身分制度の現実に苦悩していた。そこで彼に新しい時代の理念を見つけるきっかけになった一つの出会いがあった。*2002年1月30日 NHK総合テレビで放送
2026年01月14日
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2011年1月放送要領良くサクサク進むアニメのお江との会話スタイルで話が進む桶狭間は強硬突撃作弟との確執は2度目の謀反計画で病気と称して呼び出し脈を取らせる途中で自ら刺殺した、とのこと楽市楽座はマムシ、部下統率の仕組みは今川義元に学ぶエピソード 1 桶狭間の戦い 信長を鍛えたのは…宿敵エピソード 2 弟との骨肉の争い 信長、非常の鬼と化すエピソード 3 マムシの親父にささげる「天下布武」への道
2026年01月12日
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2010年4月の放送公家に茶器名品を披露した最後のパフォーマンス身の回りの世話をする家臣にかけた優しい言葉女中たちには「早く逃げろ」阿弥陀寺の話、どこまで本当か??本能寺から一早く信長遺体を回収し葬儀を行った、というけれど……織田信長 ~女中は見た!!本能寺の変・信長最後の3日間~エピソード 1 公家は見た!信長最後のパフォーマンスエピソード 2 女中は見た!信長涙のメッセージエピソード 3 僧侶は見た!信長遺体の謎
2026年01月11日
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秀吉の機動戦謎の敵前退却?タイトルに偽りありでは?膠着戦の中、信長の三男・織田信孝挙兵したので主力を動かしたと番組中にも出てくるさらにウィキペディアと照合すると丹羽長秀がかなり重要な役割を果たしたらしい14時に大垣を出た秀吉軍は木ノ本までの13里(52キロ)の距離を5時間で移動。(美濃大返し)清須会議でのやりとり長浜城をよこせという柴田勝家の要求をあっさり受諾ただし城主を勝家と関係イマイチな養子にすべしと主張し受け入れられる(4)「羽柴秀吉 なぞの敵前退却」〜賤ヶ岳合戦・勝利の秘策〜「1583年(天正11年)4月21日/羽柴秀吉、賤ヶ岳の合戦で柴田勝家に勝利する」織田信長亡き後、天下の覇権を握り新しい時代を築こうとする羽柴秀吉。その前に立ちはだかる旧勢力の代表・柴田勝家。両者は近江賤ヶ岳で決戦を迎える。互いににらみ合う持久戦の中、秀吉は突然敵前で兵を引き陣内をもぬけの殻にするという不思議な行動をとる。それは秀吉が仕掛けた巧妙な罠であった。秀吉が新時代を築く第一歩となった賤ヶ岳の合戦の決定的瞬間を描く。*2001年10月31日 NHK総合テレビで放送
2026年01月10日
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光秀と仲の良く、懐柔していた長宗我部をいきなり追い詰め始める信長。讃岐は自身の親族に、阿波徳島は三好三人衆に与える残りはあとで考えるさらに光秀も丹波から山陰への国替えを通知される武士と土地の分断、城下町への居住強制武士の鉢植え化追放された足利義昭(無能だった)の檄文天皇の専権だった暦の変更の強要安土城への天皇呼びつけなどなど上杉家に届いた光秀の書状を元に、もっと早くから反乱を計画建てていたのでは?と唱える「闇に消えた真犯人」と言うのは迫力不足ーーーーーーーーーーーー『その時歴史が動いた 戦国編 本能寺の変~信長暗殺!闇に消えた真犯人~』 2020年のNHK大河ドラマでは、戦国時代末期、近江に加え丹波の国を平定し、丹後地方にも勢力を伸ばした明智光秀を中心に、戦乱の世を生きた英傑たちの姿が描かれます。 このDVDでは、教養豊かであった明智光秀が、なぜ信長への謀反を決意したのか、その背中を押した勢力とはどのようなものだったのかを、資料に基づき探ります。ーーーーーーーーーーーー(3)「本能寺の変」〜信長暗殺!闇に消えた真犯人〜「1582年(天正10年)6月2日/織田信長、本能寺で明智光秀に討たれる。」信長の仕打ちに恨みを抱いた光秀が、突発的に起したと言われてきた本能寺の変。しかし近年になって、室町幕府の将軍や公家たちも関与した集団的なクーデターであった、との説が注目を集めている。最新の研究成果をもとに、日本の歴史を大きく変えた暗殺事件の背後に広がる闇に迫る。*2002年7月24日 NHK総合テレビで放送
2026年01月10日
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信長もの続けて視聴いくつか調べて追加した1580年8月の大坂本願寺の退去、までの10年戦争を描く寄付の強要などにブチギレた顕如か檄文を発し反信長連合結成1570年の姉川の闘いで完勝した?と思ったらわずか1ヶ月後の野田・福島の闘いでは反撃に遭うこの時に浅井浅倉軍が比叡山に立て籠る講和はしたものの遺恨1570年11月伊勢長島では実弟が一向一揆に追い詰められ自害比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)元亀2年9月12日(1571年9月30日)に発展する本願寺を攻めたのは明智光秀荒木村重(後に寝返る)1573年に室町幕府滅亡1574年9月には伊勢長島の門徒勢焼き殺し1576年に第1次木津川合戦、焙烙火矢に惨敗1578年11月、鉄甲船使い完勝1580年 正親町天皇の勅令による和議が成立する大阪を立ち去る顕如と立て籠もった教如の対立が東と西本願寺の対立に発展する教如派に立った鳥越城、柴田勝家の謀略に遭い殲滅お目付け役の前田利家の門徒虐殺もかなり酷い瓦に文章刻まれる宗教が政治に組み込まれた、とゲスト解説者ーーーーーーーーーーーー「信長 執念の天下統一」~大坂本願寺との十年戦争~「天正8年(1580)8月2日/大坂本願寺、降伏し、大坂を退去」天下統一を目指す織田信長の最大のライバルは、実は戦国大名ではなく、大坂本願寺だった。第11代宗主顕如は、自ら一揆の中心となり、全国の一向宗の支援を受けて信長の行く手に立ちはだかった。元亀元年の挙兵以後、断続的な講和を結びながら、実に十年に及ぶ戦争を遂行する。戦いのクライマックスは、大阪湾海戦。信長はこの海戦で世界初の鉄船を投入する。天下統一をめざす信長と大坂本願寺の十年戦争を描く。*2002年2月27日 NHK総合テレビで放送
2026年01月09日
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少し織田信長ものを続けて見ます姉川は琵琶湖の北部。小さな川1570年(桶狭間から10年後)浅井・朝倉との戦い、お市の方を嫁がせて安心と思っていた浅倉攻め(事前通告はせず)浅井(あざい?)は琵琶湖湖北が勢力分野突然の義弟の裏切りに遭い、少数で逃げ出す信長尻拭いは秀吉、光秀、家康信長が狙撃されたのもこのとき京都で工事現場視察、余裕を見せたあと岐阜に戻りそこで兵を立て直し、ほぼ一ヶ月後に浅井の小谷城とその支城の横山城を攻めるこの辺のスピード感はいかにも信長信長・家康の連合軍に対して浅井長政と浅倉軍当主ではない浅倉景健が率いる平地戦では兵力差が物を言う横山城を囲んでいた部隊が戻ってきて参戦した事で信長圧勝不思議なのは浅井・浅倉の滅亡は1573年結構あいだが空いている三好三人衆や石山本願寺との闘いが背景にあったのかな?※と思ったら浅井浅倉勢、結構のこっていて1ヶ月後にはすぐさま反撃に転じているーーーーーーーーーーーー(1)「肉を切らせて骨を断つ」~織田信長・捨て身の復讐戦~「1570年(元亀元年)6月28日/織田信長、姉川の合戦で浅井長政に勝利する」信長は妹のお市を北近江の大名・浅井長政に嫁がせ、同盟を結んでいた。しかし長政が突如信長を裏切ったため、信長は姉川で長政と義兄弟の戦いを強いられる。そして夫と兄の戦いを前に、お市も苦悩する。お市はいかなる運命をたどるのか。そしてなぜ長政は信長を裏切ったのか。信長の本格的な天下統一の第一歩となった姉川の戦い、勝利の瞬間を描く。*2002年5月29日 NHK総合テレビで放送
2026年01月08日
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