January 30, 2010
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カテゴリ: クラシック音楽
札響の創立指揮者、故荒谷正雄氏とは1990年代のはじめに3度会ったことがある。

彼は戦前のドイツで音楽(バイオリン)の勉強をした人で、1937年から終戦までベルリン・フィルやウィーン・フィルの定期会員として往年の大指揮者、フルトヴェングラーやトスカニーニを直に体験している。ベートーヴェンの交響曲は、トスカニーニよりフルトヴェングラーの方がよかったが、第九だけはトスカニーニの方がよかった。そんな、世評とはかなり食い違う評価を聞いておもしろいものだと思った。

そんな彼がふと語ったことで忘れられないのが、「ドイツでは金持ちは音楽会に来ない。家でステレオを聴いている。音楽会に来るのは貧乏人」という話。

もちろん、今のドイツではそんなことはない。日本よりははるかに入場料が安いので貧乏人でも音楽会に来ることができるが、身なりがよくメタボないかにもお金持ち風の人を多く見かける。

オーディオ・セットが高価だった時代、安価に聴けるコンサートは価値が低いと思われていたにちがいない。音楽会はそれほどまでにありふれたものだったのだろう。

音だけで言えば、よい機械を揃えれば、へたなコンサートホールで聴くよりよほどいい音がする。NHKホールやシャンゼリゼ劇場やロイヤル・アルバート・ホールのコンサートに出かけるくらいならたいていのステレオで放送を聴く方がマシだ。

しかし多くの人が誤解しているのだが、よいオーディオとは大きな音の出る装置のことではない。弱音、消え入るようなピアニッシモでも音が痩せず、響きを豊かに保つ、これがいい再生装置の「定義」である。

大音量できれいな音がするオーディオやオーケストラなどほとんどないものだが、ホールで聴く弱音の美しさこそ、コンサートで音楽を聴く第一の意義であり、オーディオでは絶対に体験できない種類のものだ。

世界でも有数の音響効果を持つ札幌コンサートホール(キタラ)で演奏する場合、デッドなホールで演奏する場合とは違って、優れた指揮者なら音響を配慮した上で、自分の解釈が許容する最もゆっくり目のテンポを採用するだろう。余韻の美しさを楽しみながら、それが消える寸前で次のフレーズの指示を出す、そんな指揮になるはずだ。

しかしジョセフ・ウォルフは若いためか、オーケストラの掌握に必死でホールの響きを「楽しむ」余裕がない。こうして一日目は散々な結果に終わったが、二日目ではオーケストラもこの指揮者に「慣れ」たのか、指揮者のキュー出しは一日目に比べるとはるかに減り、演奏は緻密になり、指揮者もオーケストラの把握やアンサンブルの確保だけでなく音楽そのものに打ち込むことのできる部分が増え、飛躍的にいい演奏になった。

惜しいのはやはり速すぎると思われるテンポである。シベリウスの交響曲第2番は交響曲史上類例のないドラマティックな第二楽章を持つことで知られるが、この演奏はあまりに滞りなくスイスイと流れてしまう。みのもんたが「クイズ・ミリオネア」で見せるタメがあるが、ああいう観衆がやきもきする寸前までの引っ張りとタメが、この楽章の演奏には必要である。

ジョセフ・ウォルフはみのもんたの芸風に学ぶべきだ。

テンポが速いので、せっかくのホールの美しい残響が、生のコンサートならではの美であるピアニッシモの豊かな響きが残っているうちに前に進んでしまうのが残念だった。

フィナーレも同様。ほんのわずかのことだが、暗鬱なメロディーを何度か繰り返して高揚していき、クライマックスで長調になる、あのやはり交響曲史上類例のないシンプルだが効果的なクライマックスが、彼の採用したテンポではなだらかになってしまう。エクスタシーに達する前に終わってしまった早漏気味のセックスのようで、聴衆という「女性」であるわれわれには欲求不満が残ってしまう。

ほくでんファミリーコンサートという無料コンサートが札幌で毎月行われていた時期がある。定期と同じような曲目をそこそこの指揮者やソリストで聴けるのでありがたかったが、なぜか感動する演奏に出会うことは稀だった。調べてみると、このコンサートの練習は二日間、定期は三日間であることがわかった。

たった一日のちがいだが、結果は大きく変わる。練習時間が少ないと、はやめのテンポになり表現はメゾフォルテの部分が多くなる。ニュアンスに乏しい単調な演奏がせかせかと続くということだが、ウォルフの演奏にはほくでんファミリーコンサートを思わせる部分が多かった。

そんなわけで、一日目よりは格段によかったが、二日目もやはり勝利者はメンデルスゾーンの協奏曲をひいたシン・ヒョンスだった。彼女の演奏もまた一日目よりはるかに白熱した。フィナーレの終結直前に、8つの音からなる同じ音型を高い音域から繰り返すクライマックスの部分のG線でひかれる下降音型の6つの音は強靱な音で、生のコンサートならではの迫力と劇性に満ちていた。

この6つの音を聴いただけでじゅうぶんに入場料の元をとったというものだが、そのはじけるような熱い音は一生忘れられないような種類の体験になった。

一日目より観客の興奮は数段上で、彼女はクライスラーの技巧的な小品をアンコールでひいたがこれも見事なものだった。

ベルリオーズの「海賊」も、一日目に比べると細部まで端正に整った密度の濃い演奏。終結部の爆発がその分破天荒にきこえて大成功だった。

NHK交響楽団の定期会員の高齢化はひどいらしいが、札響にもその傾向がある。マチネー公演の一階席などは「高貴(後期)な人々」の睡眠場になっている。

オーケストラは世代交代が進んだが、定期会員も世代交代が必要だ。hyonsama1.jpg





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最終更新日  January 31, 2010 03:08:52 PM
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