February 21, 2010
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カテゴリ: 読書日記
「ラオスに行きたいと思っている」と言ったら、笑いながら居酒屋のマスターが出してきたのがこの本。著者は同じ高校の先輩で、生徒の自主性を重んじすぎる(笑)母校の校風を説明するときに、その校風を最も具現化した例としていつも使わせてもらっている人物。が、50歳になろうとする時期にこんなことをやっていたとは知らなかった。

小説などを例外として、一冊の本を全部読むということはしない。一冊の本にかける時間は最大2時間と決めていて、慎重に選んだ本でも30分しかかけないことも多い。だから、読むのはせいぜい全体の2割から5割。どんどん飛ばす。2割を読んで8割の内容をつかむというのを心がけている。そして一つか二つ、知らなかったことや気づかなかったことを発見し、何かに使えそうなフレーズを記憶すればそれでいい。

しかしこの本は久しぶりに最初から最後まですべて読ませてもらった。もったいなくて先に進みたくないが、一刻もはやく先を読みたい。読書に熱中して食事や睡眠さえわずらわしかった小学生のころを思い出した。

ラオスの首都ビエンチャンの路地裏にコーヒーを出さない「カフェ」を作る。ラオス語能力ゼロの中年男が乏しい資金で、公私にわたるさまざまな困難にあえぎながら、とうとう開店にこぎつける、その顛末を綴ったドキュメンタリーである。

人の不幸は蜜の味という。なぜか人の不幸話は楽しい。この本が楽しいのは、著者が遭遇するトラブルの数々が不運や不幸を絵に描いたようだからだ。しかも、どこかこの不運や不幸は著者本人が招き寄せていると感じるから同情よりは笑いに誘われる。そもそも、ビエンチャンにカフェを作ろうなどと思わなければ、生じなかった「不幸」がほとんどなのだ。

しかし著者とほぼ同世代で、同じような音楽と映画と本に囲まれ、似たような人生を送ってきた人間からは、こうした酔狂なことをしたいという気持ちはよくわかる。楽しく生きたいのに、日本では楽しく生きられない。金をつかい、快適な環境で過ごすのを楽しさと勘違いしているバカばかり。会社や組織の、ついでに言えば日本的常識の「奴隷」として人生を送るうち、笑うことも、楽しむことも忘れてしまった人間の何と多いことか。

これではこちらの感性まで窒息してしまう。そう思って、ラオスやアルバニアのようなところにしばらく滞在してみたいと漠然と考えていたところへのこの本との出会いは「天啓」かもしれない。

この本を読んだ人は、開店後のこと、現在が知りたくて悶絶死しそうになることだろう。そういう人のために、親切にもその後のカフェ・ビエンチャンについてはWEB上で読むことができる。URLのリンクは張らないので検索してほしい。それによると、著者は、どうも懲りずに「バー・ビエンチャン大作戦」に奔走しているようなのだ。

営業許可証と労働ビザで店を経営するというようなことをしなければ絶対に見えてこないラオス社会の内側や国民性、行き交う日本人群像など興味は尽きないが、何より印象的なのは著者の自己発見のプロセスである。

また、たとえば江戸時代の日本人はラオス人と同じようなメンタリティだったといった、読書家の著者ならではの発見にも教えられることは多い。この本がただの騒動記に終わらなかったのは、随所に、こうした慧眼を感じさせる洞察が散りばめられているからだ。

仲間3人で映画館を作って10年。そのあとはライターをやったりテレビで映画解説をしたりしているのは知っていたが、こんなことをやっていたとは知らなかった。酔狂な人生を送ることにかけては人後に落ちないつもりだったが、クロダ先輩には負けた。

まだまだ精進が足りないようだが(笑)、とりあえずはバー・ビエンチャン訪問が先だ。





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最終更新日  February 22, 2010 11:52:43 AM
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