January 20, 2011
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カテゴリ: 映画
この映画は傑作だ。いくつか留保点はあるにしても、ドキュメンタリー映画の新しい地平をひらくものであり、類似の作品を全く見いだせないほどユニークかつ斬新な作品である。

「アヒルの子」は1984年生まれの小野さやか監督が映画学校の卒業作品として制作した2005年のセルフ・ドキュメンタリー。トラウマを抱えた小野監督自身が家族にそのトラウマをぶつけていく過程と、トラウマの原因となった5歳の1年間を過ごしたヤマギシ会の関係者を訪ね歩く中で自分の過去を「発見」していく過程を「記録」した90分。

見始めてすぐ、独特のタッチが原一男監督の作品と共通するのを感じた。予備知識なしに見たので、原監督の作品かと思ったほどだ。制作総指揮に原一男の名前があるので、この映画に彼が果たした役割はかなり大きかったと思われる。傑作なのに留保点があると書いたのは、原一男とその方法論の影響が大きいと思うからだ。

原一男の作品では、たとえば「ゆきゆきて、神軍」でもわかるように、ドキュメンタリーの対象者がカメラの存在を意識することで演技をするようになっていく。言ってみればドキュメンタリーとは自発的なやらせでありそれを肯定する立場をとっている。自分と家族の「恥部」までをとことんさらけだそうとする「作家魂」の前に、そうした問題はとるに足らないと思えるのもたしかだが、ドキュメンタリーのこうした方法に全面的には賛同できない。

しかし「傑作」だと思ったのは、どこまでが自発的な無意識の演技かわからないにせよ、それでも、その人自身の本質的な人間性が浮かび上がってきている、この作品はそれを見事にとらえていると感じたからにほかならない。

たとえば小野さやかの両親である。悪意のない、子ども思いのごく普通の両親であり、むしろすばらしい親に分類されるだろうこの人たちは、しかし他人への想像力を著しく欠いていることがわかる。特に、自分自身の心の深いところから出たのではない言葉しか語ることのできない母親やヤマギシ会教育係女性の持つ「おとなの醜さ、愚かさ」は「ヤマギシ会」同期生(小野さやかと同期だから当時20歳前後か)たちの率直さ賢明さと好対照。こうした自己欺瞞に対する静かな告発になっているというふうにこの映画を観る人はごく少数だろうが、それが最も強い印象となって残った。

トラウマのない人というのも世の中にはいるにちがいない。しかしほとんどの人は何らかのトラウマを抱えている。ひとりの少女の、トラウマととことん向き合うど根性、そしてその難詰にきちんと向き合おうとする人の姿、そうしたものの全体がトラウマに対する癒しになる効果もある。強迫性の精神障害を持つ人たちには特効薬のような作用を持つかもしれない。





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最終更新日  January 21, 2011 04:03:41 PM
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