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「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング)を読みました。何か月か前に読みだしたものの、さっぱり読めない日々が続いて放置していたのを、ようやく読了。確か、トマス・H・クックの本の中で、この本のことがちょろっと出てきて、読みたくなったんではなかったかな、何の本だったか忘れてしまったけど。本を読んでいると、こうやって読みたい本が芋づる式に増えていく。「十五少年漂流記」みたいなものだとか、子どものころに読みましたという感想をよく目にしたので、その手のものだと思って読み始めましたが、思っていたものとは少し違いました。だいたい私は冒険ものは好きじゃないので、そういう部分は端折って読んでいるところがあるのかもしれないけど、これは要するに、話全体がメタファーになっているのではないかと思いました。ちゃんと小説で読んだことはないのですが、「ガリバー旅行記」みたいなものではないかと思いました。あれも、前々から読もう読もうと思いつつ、本屋で手に取るたびに、なんか、しち難しそうで、ま、いっかとなってしまっています。書かれた当時は戦争中で、作者も戦争に関わる体験をしていることから、戦争という現実がチラチラ出てきますが、今の時代に読むと、また違ったものが頭に浮かんできます。政治的なこととか、もっと個人レベルの人間関係とか、読みながらいろんなことを考えさせられました。初めのころは、ピギー以外の子どもたちはみんな、読んでいるこっちが驚いてしまうほどのんびりしていて楽天的なのに、少しずつ変化していく、その様子の描き方がすごいと思いました。無垢な子どもたちが、麻痺して自分で考えられなくなる様子や、集団で誤った方向に行く心理など、だんだんと醜い心に支配されていく様子を読んでいると、今の世の中で起こっているいろんなことは、必然なのかなあ、でも、人間の英知でそこを乗り越えていけないものなのかなあというようなことを思いました。
2013.03.27
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先日、皮膚科の診察を受けました。2か月ぶり。最近は特に悪いところもなく順調で、アトピーのことが日常で頭を占めることが少なくなって、2か月前はどうだったかが思い出せないほど。この日記を見て、復習してから行きました。左のももにアミロイドが出ていたことなんて、すっかり忘れていました。腕には、奥のほうには一部気配がありますが、刺激を感じることはありません。背中の上部には、少しブツブツが残っています。去年の夏に、アミロイドが悪くなって腕に、ステロイドを塗った上から薬包紙と腕カバーで覆っていたときのことを思うと、よくなった思います。時々、一日のうちに、ワッと赤いものができたりします。普通の湿疹とは違うように思いますが、薬をつけると数日で治まります。前回(1月)の血液検査では、TARCは400台だったそうです。その前(12月)は600台でした。今回の結果が分かるのは、また2か月後の5月。何のこっちゃという感じですが。とにかく、順調なのです。で、今年も、花粉症はどうですかと聞かれました。ちょっとくしゃみをする程度で、症状は感じないし、年々花粉の気配を感じることがなくなりましたと報告。そうですか。よかったですね。今年は、ずいぶん皆さんひどいって言いますよね、と先生。え、そうなんですか? と、世間のことに疎いので、すっとぼけた答えしかできません。続けて、それはオノンがきっと効いているんでしょうね、と言われて、飲んでませんといえず、ぼや~っとテンション低く、ハイ…と答えてしまいました。飲んでないのに、調子いいんだよなあ。困ったもんだ。オノンを続けていくのがいいですね、って言われてしまった。ほな、便秘薬代わりにでも、使うかね。アミロイドにも、アンテベートとプロトピックを隔日交代で塗る方法が効いているみたいだから、もう少しそれを続けてくださいと言われました。実際には、アンテベートは塗っているけれども、その量はだんだん減っており、プロトピックは塗っていません。ステロイドを塗らずになんとかいけるときは、プロトピックの必要は感じないから。先生は、ステロイドが減って出てくる痒みを抑えるためにというけれども、アミロイドが出ずに痒みだけ出ることはないので。自分にしか分からない感覚があるから、自分でいいようにしていったらいいと思うけれども、治療の期間がこれだけ長くなると、だんだん先生の中のストーリーと現実がかい離していくなあ。
2013.03.26
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年々、花粉の影響が少なくなってくるのを感じます。天気予報の花粉情報は「非常に多い」ばっかりで、毎朝洗濯竿やベランダの手すりを拭いても、黄緑がかった花粉(黄砂とPM2.5混じり)がしっかり付きますが、症状はほとんど感じません。ちょいちょい、くしゃみをする程度です。半年ほど前から、オノンという抗アレルギー剤を処方されていますが、おなかが適応してくれないので、いまだに飲めていません。好酸球を下げる治療を拒否しようという気はなく、前向きなんでありますが、如何せん体がついてこん。飲み始めて調子を崩したおなかの調子が、何か月もかかってやっと安定してきたと思ったのもつかの間、こないだ、おできを切ったときに出された抗生物質の影響で、元の木阿弥(胃薬は飲んだけど)。いつも飲んでいる、セファランチンも一時やめて、最近ようやく再開しだしたところ。だから、ゆくゆくこのオノンを飲めるようになれば、より一層、アレルギー症状が治まって、花粉のカの字も感じなく、なるのだろうか。私自身は、そこんところは非常に怪しいものだと思っていますが、とにかく、そういう飲むべき薬を飲んでいない中での、花粉の飛散をあまり感じないこの体調は、うれしいです。もちろん、皮膚は相変わらず安定して症状がしっかりあります。最近は、疲れやストレスなどで、1日にしてワッと出る傾向があります。アレルギー的な要素は、年々少なくなっている気がします。聞くところによると、この冬は近年まれに見る寒さだったらしいですが、本当に私もその中で過ごしていたんだろうか?私の実感としては、この冬の寒さは、とっても楽ちんでした。まあ、機嫌よくコロコロと、チョッキやセーターやカーディガンを着込み、足元は毛糸の靴下2枚で、湯たんぽをして毛布を足に巻いてぬくぬくしていましたが。寒いときはどんなに厚着をしても、体の芯が冷え冷えで、ちっとも効果はありませんでした。今は、気温が低いということは感じても、自分の体の内から体温が感じられるから、あまり体にこたえません。しっかり食べているし(しっかりすぎる)、毎日歩いている積み重ねもあるような気がします。筋肉が、血流を上げてくれるのではないかと思います。こないだからしばらくのあいだ、あまりたくさん歩けなかったときも、ほとんど足に力を入れず、ほとほとと歩いていましたが、それでも毎日歩いていると力がついていて、普通に歩いている人を追い抜いてしまっていました。そんなことを言うと、母がうらやましがります。ついこないだまで、母のほうが長時間、長距離を歩いていたのに。ヨチヨチと近所をリハビリを兼ねて散歩に出て、どうしたの? と声を掛けられるたびに、だからね、美人なだけじゃだめなのよと、訳の分からんことを言っています。とにかく、歩ける体の人は、ガンガン歩くのがよろしいです。
2013.03.12
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去年の3月に、夜寝入りばなに意識消失してから、1年。あれ以後、口には出しませんが、常にそのことは意識していました。薬をまた飲まないといけないかなとも思いましたが、結局飲まずにそのまま何とかなっています。丸1年、時間をかけてやめたのだし、それと時期が重なるようにして、神経の痛みの症状が出るようになったこともあって(今日も久しぶりに動きたくないぐらいのものが来た)、あの種の薬は、相当のことがなければもう飲めないという気持ちでいます。正直、あのときはびっくりしたけど、もしかしたらあんなふうに、あるときからふっと意識がなくなってそのまま何にも分からずに死ねるのかもしれないと思ったら、それはもう恍惚という言葉が浮かんでしまうほど。親に迷惑さえかけずに済むなら、それは素敵だなあと思います。ほぼ1か月に1度くらいの割合で、視覚異常は起こります。それは以前から変わらずで、現状維持なのですが、最近は、今までになかったことも起こります。まず、1年前のあの発作以降、頭の特定の場所が痛くなります。頭痛というより、もっと外側のある特定の場所が、物理的にというか直接的に痛い感じ。それから、先月には、視覚異常がいつもと違う展開に。これまでは、視界の左上でしたが、真ん中に出るようになりました。見えるものも、全く違う種類のものです。時間もこれまでのものよりかなり長い時間でした。そして今月になってからは、聴覚の異常も起こりました。朝起きたときから、左側の聞こえがおかしく、聞こえにくいのではなくて、どちらかというと聞こえ過ぎというか、小さく聞こえるはずの音が異常に大きく聞こえるような、空間の認識を間違っているような感じ。その聴覚の異常は、午後に10分ほど机に突っ伏して昼寝をして、起きたら治っていました。治ってみると、音が異常に大きく聞こえているように感じていたけれども、実際には、普通なら簡単に聞こえるはずのものが全然聞こえていなかったことに気づきました。いろいろなことが起きているような気がしますが、とりあえず今のところは、どれも自分の感覚の問題なので、言わなければ第三者には気づかれません。家族に心配させたくないので、ずっと言わずにいますが、だんだんこう、たまってくるっていうか。そんなわけで、ここに書いてみました。
2013.03.12
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痛み止めで思い出しましたが、母も年末年始にかけての最悪期のときに、病院から出された痛み止めを飲んでいました。それもロキソニンの亜種みたいなものでしたが、身動きがとれないほどの痛みだったので、再びその痛みが出るのが怖いと言って、10日以上飲んでいました。必要以上に肉じゅばんを着込んでいるため、人より暑がることはあっても寒がることはない人なのに、寒い、寒いと、エアコンやストーブを付けまくるようになりました。確かに動いていないわけだし、何といっても冬だし、寒いと言うのは正しいんだけど、外から帰ってきたら家の中がモア~と暑くて、おかしいんじゃないかと気になりつつ、何がどうなっているのか分からずにいました。そうしたら、ある朝母がふと、この痛み止めかな? と言いました。母は、前から度を越した低体温で、35度ぐらいになることはざらだったのですが、改めて計ってみると34度台でした。そう言われて、よくよく考えてみると、あれは解熱鎮痛剤というんだった。鎮痛のほうにばかり気を取られていました。病院で薬を出されるときに、このようなことが起こる可能性があるからと、特に注意されたこともないようだし、3週間分ぐらい出されていて、全部飲んでも大丈夫だと言われていたようだから、誰もがそうなるということではないと思うけれど、母の場合、もともと体温が低くなりやすい傾向があるから、そういう薬の影響を受けやすかったのではないかと、遅ればせながら気づきました。服用をやめたら、やっぱり異常な低体温は収まりました。一番痛みがひどいときには、やっぱりあの痛み止めがとてもありがたく、あれがなかったら、母は寝たきりになって何もできない年寄りになっていたのではないかと思います。痛みの信号をいったん止めることが肝心で、必要なときは使うべき薬だと思いますが、痛みが引いたらなるべくすぐにやめるべき薬だなとも思いました。今回のことで、薬の影響は、誰もが同じように出るのではなくて、その人の弱い部分に出やすくなるのだなと思いました。で、母のその低体温は、なんでそうなるのか?私は、甲状腺の手術をしていることが、怪しいような気がするんだけど。もちろんチラーヂンは飲んでいるし、血液検査でも量は足りていると言われているのだけど。今、ずっとなっている、足や腰の痛み、筋力の低下も、その線が気になっているんだけど。本人は、手術後も定期的に病院で診てもらって、検査も受けているから、それはないと考えているんだけど。お医者さんを信じても、宗教じゃないんだから救われないと思うんだけど。ただ、もう一つ思うのは、去年の後半に母の両親が続けて亡くなって、四十九日が過ぎた直後に悪くなったということ。お葬式の前じゃなくてよかったと、口癖のように言っていますが、やっぱり何かがっくりきたのかなと思ったりもします。脳の、筋肉を動かすために必要な物質を出す力が、弱まってしまったとか。まあ、まだコンニャロという気があるみたいなので、大丈夫だと思いますが。
2013.03.12
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去年の夏に、取るように言われていたおできを、ようやく先日取ることができました。暑い時期だと大変だから涼しくなってからと言われていましたが、涼しくなっても一向にその気配がなく、やらないんですかと聞いても、まあ今度と言われ、その2か月後に聞いたらば、え、何ですかと、すっかり忘れていて、来月忘れずに私に言ってね、私は忘れると思うからと言われて。先月は診察室に入ってすぐに、まず一番に言っておかないとと思って来たんですと、言ったのに、普通に診察を終わろうとするので、いやいや先生だからと、2度も催促してようやく日取りが決まりました。なんで、最初に診て「切ったほうがいいですよ」と言ったときに、カルテにメモを挟んでおくなり、何カ月か先のスケジュールを手術する先生と打ち合わせておかないのか不思議でした。で、2月の下旬に取ってもらい、昨日は抜糸でした。膝の外側に、何年も前からあったもので、最近は徐々に大きくなってきて、夏場は根元がかゆくなったり、汁が出たりで不快でした。それで取ってもらいに行ったところ、呼ばれた部屋に入ったら、子どもみたいにかわいらしい先生でした。何となくそんな予感はしていたけど。で、寝転がって、切る部分だけくりぬかれたシートを掛けられて、先生は手に麻酔の注射を持って、まさに今から始めますという段になって、あ、同意書、書いてませんね。って。そこに書いてあるのは、こういうことです、いいですか? って。そんな何とも間の抜けた感じで、とにかく30分ほどで終わりました。縫ったのは、5針でした。その当日は、表面の麻酔が夜まで効いていて、消毒するときも皮膚の感覚がありませんでした。翌朝起きると、奥のほうに何と言えない痛み。おかしな話ですが、足の痛みのために、手の力が入らなくて、いつもならすぐに開けられる、湯たんぽの栓が開けられず難儀しました。気がつくと、何時間もじっと座ったまま身動きせず。すぐそこの物を取るのもいやな気分でした。出してもらった、痛み止め(ロキソニン)がとってもありがたかったです。曲げ伸ばしをする場所なので、なかなか不便な生活でした。外を歩くものきつかったのですが、母は相変わらずの状態なので、買い物に出なければなりません。いつもは何とも思わないけど、世の中、何でこんなに階段が多いのか。でも所詮切り傷なので、母と違って、日に日に、着実によくなっていきました。普段、体のあちこちに神経の痛みが出て、それを我慢することに慣れてしまっているせいか、これって痛いのかな? と、自分でもよく分からない感じがしていましたが、日に日によくなるにつれ、ああ、やっぱり痛かったんだと気づく毎日でした。ぬれないようにしろとのことだったので、お風呂には、膝にラップを巻いて入りました。なんか、ガーゼが大量にあるけど、これは何のときに買いだめしたやつだったっけか。医療用の紙テープも、尋常でないほど買いだめされており、それを見てしばらく悩んだ末に、半日ほどしてようやく、腕のアミロイドが悪いときに、何やかんややっていたことを思い出しました。切った後で、こういうものを薬局で買ってねというリストを渡されましたが、そういうものが、大量にストックしてあって助かりました。あのリストは、当日までに渡しておいてもらわないと、困ります。ま、とりあえず、何とか気温が低い時期に済ませることができて、ほっとしました。
2013.03.12
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