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ケンタロー (la joie de vivre)さんKeyword Search
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中国の使節からみた日本の風習についての部分です。
「しょうが・橘・さんしょう・みょうがの類はあっても、これらのものがうまみのある食物だということをしらない。・・・・』(藤間生大訳 『埋もれた金印』(岩波新書より))原文は、「・・、橘・・・、不知以為滋味」で、たった6文字なのですが。
橘(みかん)の木はあるけれど、食べる習慣がない、と。
これまでミカンについては、
10月23日のブログで、『万葉集』に家持のみかん讃歌がのっていること。
そこでは、日本に柑橘類がもたらされたルーツや、当時の人の花や香りや飾りとして楽しんだ様子が紹介されていました。橘は文化勲章の図柄ではないけれど、貴ばれていたことがたくさん残っています。
1月24日のブログでは、その家持がみかんのルーツについてもとにしたのは『古事記』や『日本書紀』ではなかったのか、そこに同じことの逸話が書かれることを紹介しました。
しかし『古事記』がまとめられたのは712年です。
後漢が滅び魏が始まったのが126年、魏が滅んだのが265年です。
『魏志倭人伝』の記述というのは、魏国の書です。240年ころの卑弥呼の時です。
この当時の資料と見聞をもとに、日本に橘があり、当時の人が食べる習慣がない、と紹介していたわけです。
『万葉集』は『古事記』がでてから40-50年後にまとめられたとされていますが、その『万葉集』には50首をこえる橘を材料にした歌があります。
そこでは、家持にみられるように橘は花と香りを楽しみ、飾りとしてしか扱われていません。食べるということを卑下していただけか、それとも食べる習慣がなかったのか。
そこが謎だったのですが。
この謎は、『魏志倭人伝』の「不知以為滋味」が当時の事情を明かしてくれているようです。そして、大陸から橘を持ち帰ったこともあるにはあったのでしょうが、すでに卑弥呼の240年ころには、もともと日本でも橘の木は樹生していたということです。
(3月2日 ダイダイ)
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