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「一元論」の東京都知事選挙私はこれまで、「一元論」という言葉が、なかなかピンと来なかったんですが。本日、私流の一つの解釈ができました。天下分け目の7月7日の東京都知事選挙まで、本日から数えて20日間です。1100万人の東京都民が選択する選挙ですから、私ごときは無に等しいのですが。しかし、本日、私のフェイスブックに投稿しておきました。『 「一元論」という言葉をご存じでしょうか?本日は6月17日、前に予定してあった医院に行ってきました。これですべての予定は終了です。7月7日(日)の東京都知事選の投票日まで、あと二十日間です。本日の「しんぶん赤旗」には、沖縄県議選の結果と、小田原市長選挙の結果が報じられています。一元論とは、私流の解釈によると、自然と社会、その歴史ですが、そこではやりたいことなどがいっぱいあるわけですけど、それらのすべてのことは、そのすべての人生がこの一点にかかっている。そうした一点ということですね。限られた自分ですが、その自分に、この都知事選で蓮舫氏を勝たせるために、都民と日本国民の未来を切り開くために、いったい自分に何が出来るのか、何をしなければならないか。このじつに楽しいテーマが、今、確かに自分の目の前に提起されているということです。それにどの様に答えるのか、はじまった20日間の楽しみです。』1100万分の1の思いと、都民の多数の判断とが、どのような重なり合いにあるのか。私などは、都知事選挙では、ほとんど何もできないのですが、もちろん出来得ることを探る、この20日間ですが。もちろん、勝敗は分かりませんよ。しかし、人生には、こうした個人の見極めと、主体的努力によって、もちろん、みんなの合力によってですが、素晴らしい未来の可能性を引き寄せれる時というのが、あるんですね。勝敗の結果は、もとろんわかりませんが、この判断と、努力することは、間違いなしですね。
2024年06月17日
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「一元論」の東京都知事選挙私はこれまで、「一元論」という言葉が、なかなかピンと来なかったんですが。本日、私流の一つの解釈ができました。天下分け目の7月7日の東京都知事選挙まで、本日から数えて20日間です。1100万人の東京都民が選択する選挙ですから、私ごときは無に等しいのですが。しかし、本日、私のフェイスブックに投稿しておきました。『 「一元論」という言葉をご存じでしょうか? 本日は6月17日、前に予定してあった医院に行ってきました。これですべての予定は終了です。7月7日(日)の東京都知事選の投票日まで、あと二十日間です。本日の「しんぶん赤旗」には、沖縄県議選の結果と、小田原市長選挙の結果が報じられています。一元論とは、私流の解釈によると、自然と社会、その歴史ですが、そこではやりたいことなどがいっぱいあるわけですけど、それらのすべてのことは、そのすべての人生がこの一点にかかっている。そうした一点ということですね。限られた自分ですが、その自分に、この都知事選で蓮舫氏を勝たせるために、都民と日本国民の未来を切り開くために、いったい自分に何が出来るのか、何をしなければならないか。このじつに楽しいテーマが、今、確かに自分の目の前に提起されているということです。それにどの様に答えるのか、はじまった20日間の楽しみです。』1100万分の1の思いと、都民の多数の判断とが、どのような重なり合いにあるのか。私などは、都知事選挙では、ほとんど何もできないのですが、もちろん出来得ることを探る、この20日間ですが。もちろん、勝敗は分かりませんよ。しかし、人生には、こうした個人の見極めと、主体的努力によって、もちろん、みんなの合力によってですが、素晴らしい未来の可能性を引き寄せれる時というのが、あるんですね。勝敗の結果は、もとろんわかりませんが、この判断と、努力することは、間違いなしですね。
2024年06月17日
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「一元論」の東京都知事選挙私はこれまで、「一元論」という言葉が、なかなかピンと来なかったんですが。本日、私流の一つの解釈ができました。天下分け目の7月7日の東京都知事選挙まで、本日から数えて20日間です。1100万人の東京都民が選択する選挙ですから、私ごときは無に等しいのですが。しかし、本日、私のフェイスブックに投稿しておきました。『 「一元論」という言葉をご存じでしょうか? 本日は6月17日、前に予定してあった医院に行ってきました。これですべての予定は終了です。7月7日(日)の東京都知事選の投票日まで、あと二十日間です。本日の「しんぶん赤旗」には、沖縄県議選の結果と、小田原市長選挙の結果が報じられています。一元論とは、私流の解釈によると、自然と社会、その歴史ですが、そこではやりたいことなどがいっぱいあるわけですけど、それらのすべてのことは、そのすべての人生がこの一点にかかっている。そうした一点ということですね。限られた自分ですが、その自分に、この都知事選で蓮舫氏を勝たせるために、都民と日本国民の未来を切り開くために、いったい自分に何が出来るのか、何をしなければならないか。このじつに楽しいテーマが、今、確かに自分の目の前に提起されているということです。それにどの様に答えるのか、はじまった20日間の楽しみです。』1100万分の1の思いと、都民の多数の判断とが、どのような重なり合いにあるのか。私などは、都知事選挙では、ほとんど何もできないのですが、もちろん出来得ることを探る、この20日間ですが。もちろん、勝敗は分かりませんよ。しかし、人生には、こうした個人の見極めと、主体的努力によって、もちろん、みんなの合力によってですが、素晴らしい未来の可能性を引き寄せれる時というのが、あるんですね。勝敗の結果は、もとろんわかりませんが、この判断と、努力することは、間違いなしですね。
2024年06月17日
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「一元論」の東京都知事選挙私はこれまで、「一元論」という言葉が、なかなかピンと来なかったんですが。本日、私流の一つの解釈ができました。天下分け目の7月7日の東京都知事選挙まで、本日から数えて20日間です。1100万人の東京都民が選択する選挙ですから、私ごときは無に等しいのですが。しかし、本日、私のフェイスブックに投稿しておきました。『 「一元論」という言葉をご存じでしょうか? 本日は6月17日、前に予定してあった医院に行ってきました。これですべての予定は終了です。7月7日(日)の東京都知事選の投票日まで、あと二十日間です。本日の「しんぶん赤旗」には、沖縄県議選の結果と、小田原市長選挙の結果が報じられています。一元論とは、私流の解釈によると、自然と社会、その歴史ですが、そこではやりたいことなどがいっぱいあるわけですけど、それらのすべてのことは、そのすべての人生がこの一点にかかっている。そうした一点ということですね。限られた自分ですが、その自分に、この都知事選で蓮舫氏を勝たせるために、都民と日本国民の未来を切り開くために、いったい自分に何が出来るのか、何をしなければならないか。このじつに楽しいテーマが、今、確かに自分の目の前に提起されているということです。それにどの様に答えるのか、はじまった20日間の楽しみです。』1100万分の1の思いと、都民の多数の判断とが、どのような重なり合いにあるのか。私などは、都知事選挙では、ほとんど何もできないのですが、もちろん出来得ることを探る、この20日間ですが。もちろん、勝敗は分かりませんよ。しかし、人生には、こうした個人の見極めと、主体的努力によって、もちろん、みんなの合力によってですが、素晴らしい未来の可能性を引き寄せれる時というのが、あるんですね。勝敗の結果は、もとろんわかりませんが、この判断と、努力することは、間違いなしですね。
2024年06月17日
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マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」 まとめ4 序言のフォイエルバッハ論本論に入ります。今回の範囲は、著作の序言(ME全集のP387-389)と、この章のまえがき部分(P490-493)です。マルクスは、冒頭で、青年ヘーゲル派とフォイエルバッハについて述べています。一、マルクスはこの序言の部分で、三点の指摘をしていると思います。1、この『経済学・哲学手稿』を1844年にマルクスは書いているわけですが、ヘーゲルが1831年に亡くなってから10年以上がたつているわけです。そのヘーゲルの影響というのは社会のさまざまな分野にますます広がっていた。しかし、だれもヘーゲル哲学の方法問題について、問題意識をもって検討することはなかった。2、そうした中で、ただ一人、フォイエルバッハによるヘーゲル哲学批判は、新たな哲学の発展に寄与する内容のあるものだった。とくに唯物論の観点を明確にした批判は重要だった、との認識です。3、しかし同時に、フォイエルバッハのこのヘーゲル哲学批判には抜けている点がある。ヘーゲルの弁証法に対する批判が出来ていない。どのようにヘーゲルの弁証法をとらえるのか、そこにある問題点は何か、このヘーゲル弁証法の批判ですが、フォイエルバッハはこれが出来ていなかつた。そのことが、マルクスがこの著作を書く大きな問題認識になっていると思います。ようするに、ヘーゲルの弁証法ですが、これは唯物論の見方からどのような問題をもっているのか。唯物弁証法を確立していく考察の歩みですね。二、フォイエルバッハ(1804-1872)の3つの功績まず、フォイエルバッハの業績の評価です。フォイエルバッハは、ヘーゲル(1770-1831)の講義を、1824年、25年に直接受講しているそうです。彼の著作は、日本の先人たちも重視していて、主要な『キリスト教の本質』(昭和12年)、『将来の哲学の根本命題 他二篇』(昭和42年)は、岩波文庫でも刊行されており、確かめることが出来ます。ヘーゲル学徒から出発したフォイエルバッハですが、最初の問題提起は1839年の「ヘーゲル哲学批判」です。マルクスは次のように評価しています。「フォイエルバッハはヘーゲル弁証法に対して真剣な、批判的態度をとり、この領域においてほんとうの発見をした唯一の人物であり、総じて古い哲学の真の克服者である。」(第5文節 P491)まずは、業績の確認です。1、フォイエルバッハの問題提起当時のヘーゲル哲学を絶対視する風潮に対して、フォイエルバッハが問題提起した点です。あるヘーゲル主義者がその哲学を「哲学の理念の絶対的現実である」ことを、真面目に証明しようとしたんだそうです。解釈学というか、崇拝というか、人間社会には、往々にしてそうした態度をみかけるじゃないですか。これにたいしてフォイエルバッハがおこなった問題提起です。「いったい類が一個人のうちにしめされるとか、哲学が一哲学者のうちに絶対的に実現されるということが、はたして可能かどうか。このことを問題にしていないところに、先の有識者の無批判的ふるまいがある。この問題こそ主要問題なのだ」との趣旨です。(「ヘーゲル哲学の批判」岩波文庫 P123-129)。この問題ですが、エンゲルスが、後年『フォイエルバッハ論』(1886年)で、「(ヘーゲルの体系)のような任務を哲学に課するということは、ただ人類全体だけがすすみゆく発展のうちで果たせることを、一人の哲学者にはたせと要求することにほかならない」(第一章)と指摘していますが。このエンゲルスの指摘ですが、フォイエルバッハが問題提起した考え方ですが、じつはそれがヘーゲルその人自身の考え方そのもののうちにも、そうした絶対視をつくる問題があると、この問題を指摘しているわけです。もちろん、ヘーゲルは弁証法の発展観を指摘したうえで、それが絶対精神にいたるとの矛盾をのべているわけですが。フォイエルバッハの指摘は、この体系のもつ問題点を指摘していると思います。2、はじめて意識的な唯物論の立場に立つ次は、フォイエルバッハが、初めて唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判した業績です。これは私などのもつ誤解でしょうか、唯物論と観念論との関係について、「唯物論こそが正しくて、観念論は誤りだ。このことはわかりきったことだ。」といった風潮が、今日でもあるように思います。また他方では「唯物論は、精神の意義を否定するタダモノ論であり、人間の崇高な精神を評価しない理論だ」といった考え方がある。これは、エンゲルスも指摘してもますが、哲学者の中にもあり、あちこちに無意識なうちにもはたらいている観念でもあるとおもいます。だいたいドイツ古典哲学というのは、カントにしても、フィヒテにしても、ヘーゲルにしても、いってみれば観念論的哲学の森です。マルクスなどは、その観念論哲学の森の中にある宝とその発展がどこにあるかを探っているわけでして、「唯物論か、観念論か」「正とか邪とか」、そうした問題じゃないんです。いつのころからか、それを説明するのに、問題を取り違えた、誤った単純化するきらいがありますね。また、以前の唯物論はともかくとして、ここでの唯物論は意識の能動性を大事にしているし、精神の役割を大切にしていると思います。だからこそ、ここで検討がなされているわけです。2-1、問題の基本に戻す必要があると思います。とにかく、ドイツ古典哲学のモヤモヤした中から、フォイエルバッハが初めて唯物論の意識的な立場にたってヘーゲル哲学を批判したこと、マルクスはこのことをすばらしい業績として評価しています。「①哲学は、宗教と同じく思想の疎外されたあり方だ。②唯物論と科学の意義を据えたこと。③絶体肯定された否定の否定に対して、自立的で自己自身にもとづく肯定を対置したこと」(第6文節 P491-2)同じことですが、「序言」では、「フォイエルバッハからこそはじめて実証的な、人間主義的かつ自然主義的批判は由来する。」(P388)と、評価しているわけです。2-2、その唯物論の主張の具体的な内容ですが。以下にフォイエルバッハ流の唯物論の原理をしめしています。ア、『キリスト教の本質』(1841年)は、唯物論の立場からキリスト教をといたものです。「神の秘密は人間学である」(序文)イ、『将来の哲学の根本命題』(1843年)では、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(P8 第一節)これらは、明らかに唯物論の立場です。理論的解明をしていく方向性を示しています。「唯物論」といっても、もいろいろあるしかし、ひと言で唯物論といっても、唯物論にもいろいろな唯物論があるわけで、「唯物論なら正しい」といったものではない。フォイエルバッハは、唯物論の彼なりの形態をとなえることはしたが、あれこれの唯物論の、そもそもの基本が何なのか、それを検討しようとする立場にはたてなかったんじゃないでしょうか。というのも、かの時代は、唯物論というのは無神論とともに、同じように宗教界の強い反発する対象としてあり、社会的な非難される思想対象とされていた。かなりの圧力があった。正面から唯物論の立場を明確にするには、こうした社会勢力を相手にして、しっかりした理論と勇気が必要だった。この事情が問われていたんだと思います。ようするに、マルクスの指摘する、フォイエルバッハが洞察した唯物論見地の重要性ですが。それはマルクスにとっては、さらなる理論探究が求められていた。「唯物論にもいろいろな形態があること」「唯物論の基本的な立場とは何なのか」、「解明が求められていたのはどのような唯物論なのか」、マルクスにとっては、そうした問題を探っていく出発点でしかなかった。そこから努力がはじまったんじゃないでしようか。そして、そこに同じ唯物論でも、違いをきたした。(エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、フォイエルバッハの唯物論について、検討しているところです) 唯物論とは何かこの「唯物論とは何か」の問題一つをめぐって、レーニンは大著『唯物論と経験批判論』(全集第14巻)をまとめているわけですが。ここでは、エンゲルス『フォイエルバッハ論』から、「唯物論とは何か」の学術的見解を紹介しておきます。一つ、自然と精神、どちらを根源的なものとみるかで唯物論陣営と観念論陣営にわかれた。(第一章)いいとか、悪いとかの問題じゃないんですね。二つ、現実の世界(自然と歴史)を先入観的観念の幻想なしに、誰にでもあらわれるままの姿で把握しようとする立場、これが唯物論の基本姿勢だと。(第四章)この言ってみれば当り前の姿勢こそが、唯物論的な態度なんだと。しかし、このように指摘されると、「あたりまえで、いったいどこに問題があるの?」との感じもしなくはないんですが。しかし、このためにヨーロッパの歴史では、それが唯物論者と見なされた場合は、火あぶりの刑にも処せられた、殉教者をつくった、そうした歴史があるんですね。思想としての民主主義の歴史、それは長期にわたる宗教戦争の歴史の中から探りだされた、命がけの問題からの総括だったということもあるんですね。日本国憲法も、立憲主義をはじめ、そうした基本思想の上にあるわけです。ところが、責任ある立場のはずの政治担当者が、ほとんど理解していない人が、その仕事にあたっている。ここに今の日本の未熟さがありますね。歴史的な課題があります。戦前日本でも治安維持法による唯物論の弾圧の歴史これは、戦前の大日本帝国憲法から引き継いでいる問題でもあります。思想の弾圧は、戦前の日本でも同じでして、「天皇機関説」問題もありますし、治安維持法の下での思想弾圧の歴史があります。日本での唯物論ですが。社会的に問題になったのは1920年代以降だそうです。それ以前にも中江兆民は、1901(明治34)年に亡くなる直前に、「精神は本体ではない。本体より発する作用である。」(『続一年有半』)と意識的立場を書き残しています。しかし、戦争に社会がすすむころとなると、取り締まりがはじまります。1931年に学術団体の「唯物論研究会」がつくられたそうです。その後、研究者たちがどの様な取り締りを受けることとなったか。唯物論=共産思想だとみなされて、特高により弾圧された。その歴史の事実を見れば明らかですが、侵略戦争と同じく、今もって公には反省はされてません。(『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)、『証言・唯物論研究会事件と天皇制』(新泉社 1989年刊行)。民主主義の制度が確立するまでは、現行憲法が確立する以前は、唯物論の思想も、いばらの道だったんですね。三、フォイエルバッハは、弁証法をどの様にとらえたかこの三番目の問題は、次回にさせていただきます。今回は、ここまでです。
2024年06月16日
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蓮舫都知事をつくる、立川・日野・八王子集会数日前に、その案内ビラをいただいたんですが、蓮舫氏を都知事にしようと、立川・日野・八王子地域での、6月15日、立川で「ともに変えよう東京キックオフ集会」が開かれました。もちろん、蓮舫氏は来れませんが、すごいですね、早いですね、蓮舫氏のビデオメッセージが寄せられました。これは、私にとっては、住んでいる地域の立ち上がりの状況を知りたかったもので、こうした政治集会で、立川まで出かけるというのは、初めてのことでしたが、行ってきました。もちろん蓮舫氏は時の人ですから、こんな地方の一地域までは来れません。代わって、都知事選挙の様子を紹介してくれたのは言ってみれば、メイン弁士ですが、候補者選考委員会のメンバーの一人の、前川喜平氏でした。前川さんも、今や時の人です。前川さんという人は、宇都宮さんと同様ですが、独特の方ですね。笑いの中に、理性の力で、市民と政党の結束の仲立ちをしちゃうんです。政党と政党というのは、そもそもは競争関係にありますから、結束するというのは、思うほどにはなかなか簡単じゃない、難しいじゃないですか。ところが、この人たちが言うと、その違いをわきに置いて、共同の大義がつくられるんです。今回の集会も、そうした現実を実際につくってくれました。参加してない方は分からないと思いますが、「たぬきとムジナ」の話を材料にして。この地域集会は、立川市と日野市、それと八王子の私の住む一角が対象でして、これは、衆議院選挙の東京21区なんです。残念ながら同じ八王子市でも、萩生田氏の八王子の東京24区とは別なんです。従って、「小池-萩生田」連合の地域、直接的な対立の場ではないんですが、しかし、東京都知事選挙のその全体の構図のなかでの、この地での争いです。かたすみの八王子市民のかかわりだとしても、しかし、八王子市民として、ここで明確な意思表示をする責任があるじゃないですか。そんなことで、参加してきました。もっともですよ、最近は政党の単位でひっくるめてはダメなんです。八王子市長選挙で体験したんですが、自民・公明の人たちのなかにも、理性がはたらいてるんです。「自民党」「公明党」の支持者の人たちのなかにも、有力者のなかにも、『今の事態は、余りにも、おかしい』と。『小池知事のこれまで期待していたイメージと、今の現実とは違う』『今の小池氏に任せておいて、ほんとうに大丈夫なんなんだろうか?』と。そう思っている人が、たくさんいるわけですから。ですから、丁寧に話す必要がある。しかし、一点がわかれば、すべてが見えてきます。有権者の過半数ですすから、大胆に本質的に、しかも短期間の間に。この説得的な対話が、それがどれだけできるか、これが大事だと思うんですよ。くりかえしますが、切りすてたんじゃダメなんです、説得力が求められてるんです。この点では、八王子と多摩・立川の都議会議員の人たちが、市議会議員の方たちが、直接の生きた体験をもって、都政の変えようと訴えて並びたちました。もちろんその基礎には、それこそたくさんの切実な、当然な要求があります。一人ひとりの、切実な思いがあるんです。圧倒的多くは、あきらめさせられちゃってると思いますが、そうした気持ちを切り替えてもらうことが必要です。ひばりさんも言ってるじゃないですか。『黙っていては、わからない』んです。変わらないんです。今は「『石の地蔵さん』も、叫び、動き出す時」なんです。今回、それぞれの要求をもった人たちが、多彩な1分間の発言をされてました。さぁ、これから7月7日の投票日まで、期間は短い。それは相手も同じです。どちらが頑張るかです。掲示板をみてると大勢が立候補するようですが、たとえ何十人が立候補しようと、都民の心を分散させようとしてもダメ、中心は二人であり、二人のうちのどちらかです。この都知事選挙の意義について、それぞれが言ってましたが、国政と都政が、共通の配置図になったということです。ここで都政を変えるのは、腐りきった国の政治を変えること、そこに直結します。全国の国民のあれこれのくるしみですが、軍拡政治、利権政治による国民生活の切り捨ての政治ですが、それらの基本が、この都知事選挙において問われてるということです。もっと言えば、戦争が世界にひろがるなかで、世界に対して、日本国民が、都民が、平和と民主主義の声を発信するということです。7月7日まで、あと3週間余ですが、そのための努力を尽くすということです。とにかく、この地域でも、いよいよそのたたかいがスタートした、という今日の集会でした。
2024年06月15日
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東京・八王子市鹿島でのことこれまで八王子市鹿島は、ただ寝に帰って来るだけの地域社会でしたが。多摩ニュータウンの一角でもあり、高齢化と衰退する街の商店会・・・等。みかん園の小田原は、農家の高齢化と耕作放棄地の広がりと。その現れ方は違っても、小田原も八王子も、似たような問題に直面しています。先日、「鹿島・松が谷地域まちづかい計画」なる言葉を耳にしました。八王子市の基本計画にもとづいて、地域の現状と振興策を探っていたんですね。この6月11日には、日本共産党の望月しょうへい市議が、八王子市議会の第2回定例会のなかで、この問題を取り上げていました。私などは、小田原のみかん園の手入れから帰って、八王子市議会の録画ですが、その市議会での望月市議のやりとりをれを視聴させてもらいました。録画中継 | 八王子市議会インターネット映像中継 (jfit.co.jp)今、国も東京都も、大きな問題を抱えてます。新たな生みの苦しみを経験しつあります。そして、私などの住む八王子市鹿島でも、やはり同じ問題なんですね。これは一個人としては、問題は大きくて、その解決策というのは、容易でなく霧の彼方なんですが。ひとりの市議が、この問題を取り上げてくれました。地域社会と暮らしの問題です。問題を問題として直視しし、探りつつ、みんなで検討し合うこと、なり行きの自然のままの状態に任せるのではなく、何が問題か、それぞれの立場から、意見をだしあって、交歓し合あうことが、暮らしやすいまちづくりのために、大切と思っている次第です。それって、この直面している東京都政も、国政も、私の住む地域社会(八王子も小田原)も、同じです。メディアは興味本位なAだ、Bだの報道を、さかんにまき散らしてますが、『おちょくるな! こっちは、くらしと未来がかかってるんだ!!』ひとこと言っときます。
2024年06月14日
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梅雨入りか、ビワとお茶の整姿今は、ビワが収穫時です。ビワは、この地の自然条件にあっていると見え、巨木に育っています。しかし、その収穫作業に労力が、なかなか当てれないんです。援農に来てくれた人たちにそのビワの収穫は任せました。当方はというと、左下側にお茶の木がありますが、このお茶の木の整姿作業です。これまでは、刈込ばさみでをつかっての整姿作業でしたから、満足な整姿が出来なかったんです。今回は、植木屋さんなみにトリマーを使うことにしましたから、これまでずーっと出来てなかった整姿作業ですが、それこそ、短時間のうちに片付いていきます。それともう一つは、草刈りです。どこに苗木があるか、わかりますか。クズの蔓が巻きついて、苗木にも巻きつき、覆い隠していたんです。以前に周辺をきれいに草刈りしたんですが、そんな苦労はまったくどこへやらです。この押し寄せる雑草をおさえないと、みかんの苗木なんて覆いつくされ消失しちゃうんですね。昨日は晴れていたんですが、今日は、雨こそ降らないものの、どんよりとした曇り空。私などの勝手な判断ですが、関東も、今日をもって梅雨入りです。いつ雨が降りだしてもおかしくないような、そんな曇り空の天気です。農道の右側の木は、甘夏の木ですが、あと数個を残して、今回で、ほとんどの収穫を終えました。やれやれ、ですが。これだけ作業をすると、ビワを収穫することまでは、手が回らないんですね。援農の人たちに、今回の収穫は完全に任せて、当方としては、次回の作業にのこしてきました。何が問題か。この自然の力を、相手にして、高齢化した農夫が頑張っているんですね。その人流に、それぞれの人なりに対処をすることで、今を維持して来ているんですが。全体的には、荒廃地がかなりの面積を占めてます。ある役員の方の話によると、全体の30パーセントが耕作放棄地になっていると。私などの作業も、大きく見れば、農家の手の及ばなくなった箇所の手入れをしているわけです。みかん園は、1年でも草刈り等の人の手が入らなくなると、畑が原野に、さらには山林に変わります。それだけ自然の力というのは強力なわけで。どうやって、この畑がつづけられるか、維持していけるか。大きな社会的なサポートが、高齢化してゆく農家ですから、求められているとおもいます。今回、初めての出会いがありました。リスをスマートにしたような形でしたが、ハクビシンでしょうか。テンのような茶色の毛をした小動物だったんですが、何回か立ち止まっては、振り返りつつ、この道を下の方に走り去ってゆきました。
2024年06月13日
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参議院・政治改革特別委員会での質疑6月10日(月)に、参議院の政治改革特別委員会が開かれました。共産党・山下芳生議員の質疑を聞いたんですが。というのは、参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)で、その中継録画を見ることが出来るんですね。共産党は独自に企業団体献金の禁止法案と、政党助成法の廃止法案を出しています。それにより、自民・公明・維新の政治改革法案と、共産党提出の政治改革法案とが、具体的に何が問題かが対比されるわけで、なぜ三党の法案がザル法とされ、どうしたら本当の政治改革が出来るのか、問題点が何なのか、より一層見えてきます。この山下議員による追求を、是非フォローしてみてください。この追求こそ、国民の求めている声だ、とわかると思います。同時に、国の政治を本当に変えるためには、どこを変えなければならないか、見えると思います。
2024年06月10日
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東京都知事選挙の大きな流れ7月7日投票の東京都知事選挙。有権者1100万人の大きな選挙です。市民と野党での選考委員会で、蓮舫氏が候補者となりました。これは、私なども大歓迎なんですが。ただ、投票日まで1カ月を切ったというのに、小池知事は態度表明をしません。マスコミは、あれこれ気をもたせるような報道をしてます。なぜ小池氏は、その態度表明をしないのか。自民党・公明党・都民ファーストなどの支持基盤に、明らかに選挙を準備しています。ではなぜ態度表明をしないのか。これは、政治・政策的な対決をさけて、イメージと組織の力で押し切ろうとする作戦ですね。6月4日の東京都議会の代表質問でも事態は明白です。都民の要求には答えず、裏金疑惑にはふたをして、ようするに、選挙を意識して政治対決を避け、イメージをふりまいているわけです。ふつうには、自分の実績や今後の抱負を語たるのは当然なんですが。これは、小池氏の政策対決を避けてイメージ選挙にもちこもうとする作戦ですね。過去の都知事選をみてみると2020年 有権者1129万人 投票620万票 投票率55% 小池ゆりこ 366万票 宇都宮健児 84万票2016年 有権者1100万人 投票662万票 投票率59% 小池ゆりこ 291万票 増田 179万票 鳥越 134万票この過去の選挙の結果です。これをよく見てやってください。確かに、今、蓮舫候補で都政を変えるチャンスがあると思うんですよ。しかし、現実の力関係はどうなのか。4対1 この現実にあることを腹に据えよ、雰囲気では現実を見誤るということです相手が政策論戦を避けて、イメージにたのむのもわかるじゃないですか。くわえて、興味本位のマスコミ報道の、本質を隠した思わせぶり報道を氾濫させておく。小池氏の選挙作戦はこれです。現実の都政の明かな問題、その政治対決を避けて、漠然としたイメージをはりめぐらす。その裏では、実際には、自民党・公明党・都民ファーストの組織の力で圧倒しようとしている。ここに、小池氏の作戦があります。選挙ですから、最終的には1100万人の都民が決めることです。しかし、これまでの結果から見て、この見えざる組織力はあなどれません。この彼我の力関係をかえるためには、マスコミの報道を追いかけて、一喜一憂していては駄目なんです。たんなる評論家にどどまっていては、相手の作戦に踊らされるということです。現実にこの力関係をかえる、という大仕事があるんです。勝敗の基本は一人ひとりの努力です東京は広い。いくら候補者が一生懸命になって、あちこち飛び回ったとしても、1100万人にはとどきません。確かに候補者がくれば、そこは燃えると思いますよ。すばらしいですから。しかし、それは1100万有権者の、ごく一部なんです。私などの住む、八王子市のすみの一角、鹿島からしたら、まったく夢の世界なんです。こちらは、無風、いや無風どころか、地縁血縁のつながりで、小池氏にもっていかれかねない。このギャップをうめること。僻地の鹿島だって、日本全国の風をうけてるんです。しかし、地縁血縁がはたらいており、政治に虐げられあきらめかけている高齢者がくらしている。そこにあって、この彼我の力関係を大きく変えること。それには、一人ひとりが、候補者に成り代わることが必要です。苦悩させられている都民のくらしと、それに対する蓮舫都知事候補の奮闘。これを見定めて、友人や知人、まわりの人たちにたいして、「都政を自分たちの手にとりもどそう」と、しっかりした交歓できるかどうか。お互いの心意気をわかち合えるかどうか、ここが問題です。二つに一つです。〈マスコミ報道を楽しむ評論家にとどまるか、それとも、隣の一人ひとりと声を掛け合えれるか〉東京都知事選挙は、東京全体の大きな選挙です。もちろん中心にいる選挙対策の人たちは、大きく知恵と計画を立てて、展開しているでしょうけど。しかし、問題は東京都民の底力です。私などは、この都知事選の勝敗は、この一人ひとりの努力にかかっていると思います。
2024年06月10日
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共産党後援会と立憲パートナーで宣伝6月9日(日)、八王子市鹿島で、「蓮舫氏が候補者に決まった。都政を変えよう」と、日本共産党後援会と立憲民主党パートナーの方とで、一緒に宣伝活動をしました。望月市議の宣伝カーを借りて、静かな住宅地なんですが、3か所の宣伝をしました。「都知事候補に蓮舫氏が決まりました。7月7日の投票日には、都民本位の都政をつくるために力を合わせましょう」との、簡単な宣伝なんですが。話をしてみて、簡単ではないことがわかりました。話が終わった後で、立憲民主党パートーナーの方からアドバイスがありました。「思いは分かるけど、話が事前運動にひっかからないように注意した方がよい」と。言われてみると、まったくその通りなんですね。それで、音出しの録音を聞いてみると、たしかに、きちっとその話の中身が配慮されてるんですね。「へぇー、そうなんだ」と、今さらながらですが、感心させられました。行動しつつ、話しを手直して。「あと、1カ月足らずの、7月7日の七夕は投票日です。大企業中心の開発を進める小池都政を、都民の願いを実現する都政にかえましょう」と。静かな住宅地に、音による宣伝がされました。相棒の方の話が終わったら、団地から一人のご婦人が近づいてきて、「○○さんじゃないの? 声が似てたんで出てきました」と。参加者が少人数なんで、宣伝行動が出来るかどうか危うんだんですが、案ずるより産むがやすしでした。この立憲パートナーの方のアドバイスと、知らないの方の激励が寄せられたこと。これでハッキリしました。どんなささやかなことでも、7月7日まで出来うる努力をつくせと。無駄なことなんて何もない、地域の人の思い、どれだけ見えてない地の塩を、自らがつかみ取れるかだ、と。
2024年06月09日
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マルクスの『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ3一、最初に、私はどうしてマルクスの『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶのか 科学的社会主義の思想を理解するには、唯物弁証法の哲学を理解する必要があるじゃないですか。そのことは、この世界の自然と社会の動きに対して、自分自身がどの様な姿勢で対処していくのか、その基本に関係していると思っているんですが。ところで、その哲学を学習していく材料ですが、哲学の解説書というのは、それこそたくさんありますが、実際に哲学を探っているものというのは、それほどありません。基本的な古典では『フォイエルバッハ論』、『反デューリング論』、『唯物論と経験批判論』くらいじゃないでしょうか。私などは、この『経済学・哲学手稿』の学習ですが、これも一つの道だと思っているんです。 マルクス自身もその哲学(唯物弁証法)を、わかりやすい形で刊行したかったようです。いくつかのところでそれを語っています。しかし『資本論』をまとめることに集中していたこともあって、それを十分には果たせず1883年に亡くなってしまった。 エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)ですが。マルクスが亡くなった後に、エンゲルスはその遺品の中から、マルクスが生前に刊行することが出来なかった『ヘーゲル法哲学批判』、『経済学・哲学手稿』、『ドイツ・イデォロギー』などの草稿を発見したんですね。それらは世間一般にはまったく内容が知られていなかったわけです。そこには、マルクスとエンゲルスが、唯物弁証法と唯物史観を探った過程が、草稿の形で残されていたんですね。 しかしそれらは、『経済学・哲学手稿』にしても、その探究は難解な表現でもあったので、エンゲルスはそのままの形で出だすことは出来なかった。そのため、『フォイエルバッハ論』(1886年)として、あらためて整理し直して、その内容をわかりやすく、簡潔にまとめて刊行した。そうすることで、マルクスの遺志をかわって果たしたんですね。日本では明治19年のことです。 私たちが自由に科学的社会主義を学習できるようになったのは、日本の戦後になってからですね。現行憲法の民主主義制度の下でのことですね。『経済学・哲学手稿』が翻訳され刊行さたのも1960年代に入ってからです。『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)第40巻は1975年の刊行です。その後は、誰でも入手できるようになって、現在にいたるわけです。 私などの今回のマルクスの「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、その基本な学習の仕方は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学草稿』「ヘーゲル弁証法批判」そのものにあたります。マルクスはどのようにして弁証法的唯物論という新たな哲学を認識したのか。それはどのような内容なのか、それはどのような意義をもつのか。それを、あらためて探っていきます。 二、次に、本論の全体像を探ってみました『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学習すすめるのに、その全体像とその骨組みについて、一応の目途ですが探ってみました。 草稿全体の序言と、「ヘーゲル哲学批判」での序言があります。1、フォイエルバッハ論(第4文節-第9文節)2、ヘーゲル哲学の全体、二重の誤り、最終成果(第10文節-第14文節)3、マルクスのテーマとあらかじめの指摘(第15文節-第16文節)4、『精神現象学』「絶対知」の要点と、8つの論点(第17文節-第22文節)5、検討①「自己意識の外化が物性を措定する」(第23文節-第32文節)6、検討②「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33文節-第46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的契機(第47文節-第56文節)8、総評、ヘーゲル哲学の問題点(第57文節-第64文節) 今回は、ここまでです。
2024年06月08日
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都知事選挙まで、あと一カ月東京都知事選挙が、6月20日告示-7月7日投票と、一か月後に迫りました。マスコミは、さかんに小池氏がいつ態度表明するかを、気をもたせるように報道しています。しかし、疑問に思うんですよ、どうしてこの大事なことを、期日も迫っているのに態度表明をしないのか。これは、正面からの政策や態度表明をさけて、メディアを使って都民に気をもたせることを狙った策略ですね。「後出しじゃんけん」です。6月4日の東京都議会での代表質問の様子が報じられました。小池与党の都民ファーストの代表質問ですが。蓮舫氏を意識して、「実績をふまえない『リセット』発言や、税金をめぐる不正の混乱を都政に結びつける動きなど、政党間の政局争いを期待しているわけではない」と述べた。これって、わかりますか。一つ、小池氏は態度表明することは避けつつ、態勢づくりをしているということです。1、「実績をふまえない『リセット』発言」というのは、これは難癖ですね。この間の小池氏の所業(悪しき「実績」)からして『リセット』の必要が提起されているわけですから。2、「税金をめぐる不正の混乱を都政に結びつける動きなど、政党間の政局争いを期待しているわけではない」。これは裏金作りへの国民の批判をかわそうとしていますね。小池氏は、自民党・公明党・都民ファーストを基盤としてますが、自民党の都連会長は萩生田氏じゃないですが、八王子市長選挙にはその応援に小池氏を呼んだ人じゃないですか。みずからの裏金作りには、一切チャックしてるじゃないですか。それに対する批判が及ぶのを避けているんですね。これは、ようするに、都知事選挙告示(6月20日)まであと10日。気をもたせるパフォーマンスの態度ですが、その実際は、その水面下では、ものすごい組織戦がすでに展開されているということです。相撲で言えば、立ち合いの呼吸をあえてのらりくらりと合わせずに、相手の気がなえた、油断したところで一気に力を集中しようとしているというわけです。二つ、この蓮舫氏と小池氏の都知事選挙。5月27日に蓮舫氏が候補者として決定したことで、東京都民には電流が流れたと思います。本日、八王子のごく片隅に住む私のところにチラシが届きました。はやいですね、いいですね。しかし、東京は広いですから、隅々までこの事態が伝わるには、このチラシをとどけることも含めて、多くの努力が必要だと思うんです。その期間はごく短いんですが。東京都民は、かつて革新都政の下で、都民本位の都政というのがどういうものかを体験しています。もっとも1979年には保守都政に変わりましたから、それから40年以上も年月が過ぎたわけですが。若いひとたちは、踏みにじられてる経験はあっても、都政を変えれる実感がわかないとおもうんです。しかし、〇無料のシルバーパス実現、〇老人医療の無料化、〇保育園づくり、〇学校給食の無料化・・・。その後、ズタズタにされてますが、いまでも形が残っている。その基礎をかつてつくったわけですから。今日、ふたたび都民にとって、都民が主人公の都政をつくるチャンスが来たということ。生活に苦しむ都民が、その声をあげる時だということです。もしここで、都知事を変えることができれば、私たち都民の諸々の要求の実現に道が開けるということです。三、ただ、それだけじゃないんです。国政を覆う黒い霧、裏金による金権政治にたいする国民的な批判ですが、全国の各地でそれがしめされてますが、それがこの東京都民の意思としてしめせます。国政の腐敗を正すという意志がしめせます。これは大きいですよ。しかも、それだけじゃない。いまの戦争の続いている世界にたいして、日本の首都・東京から平和と民主主義への希望の意思を発信することにもなります。混乱する世界に理性の声を発信することになります。四、ただし、そのためは乗り越えなければならない問題があります。すでに紹介したように、小池氏側は政策的な対決をさけての組織戦を展開しています。国会を見ればわかるとおり、政治献金の禁止と政治腐敗をただせとの国民の要求を、新たな与党連合をつくって議員の多数の力をもってかわそうとしているじゃないですか。都知事選の様相も同じです。正面からの政策的対決を避けで、自民・公明・都民ファースト・維新の議員の頭数で都民をねじ伏せようとしている。労働組合の連合幹部まで、それになびいているじゃないですか。「共産党が加わるから・・・」うんぬんする人たちがいますが、これと八王子市長選で小池氏がとった言動は同じです。これまで政治を牛耳ってきた人たちが、どういった事態をおそれているか、それをしめしてますね。逆に言えば、ここに越えなければならない障害があります。都民が主人公となる都政をつくるためには、この水面下の組織戦に勝たなけれはならない。そのためには、文字通り思想・信条・党派のちがいを超えて、都民と野党の共同の力で、蓮舫氏を候補者とする都民の多数派をつくらなければならない。都民の過半数以上の人たちの共同をつくる。この1カ月間の間に、この大作業があるんですね。問題は二つに一つです。「蓮舫氏か、小池氏か、どちらが本当に都民に寄り添う都政をつくれるか」いまや、都民にたいして、問題は何か、根本的な信を問うべき時にあるということです。こうしたチャンスというのは、そうめったにはないと思うんです。良い勝負をしたとの結果ではすまない、選挙は勝たなければ結局あしらわれるだけだということは、これまでの経験で嫌というほど体験させられてきているじゃないですか。であればこそ、あとでなくより、この一か月間を頑張れ、ということ。都民の可能な知恵と努力をつくして、平和・民主の共同の力で、蓮舫氏を候補者として、これまでの都政をひっくりかえすこと。この二つに一つです。すばらしいこの歴史的なたたかいです。勝つか負けるか、それは今のスピードと共同のちからをつくりだすことができるかです。すべては、今、この時の努力にかかっているということです。
2024年06月07日
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みかん園の草刈りこの時期は、一雨降るごとに雑草が繁茂してきます。援農に来てくれる人たちのおかげなんですが、広い畑を相手にして、例年では自然の力の前に、途方に暮れるころですが、今年は、自然のスピードに追い付きだしています。例年だと、草刈りに追われて、それだけでも中途半端で、ヘトヘトにさせられちゃう。とても、お茶の木を整姿することまでは、手が回らなかったんです。ところが、去年、農家の方が、お茶の木の整姿するのにトリマーを貸してくれたんです。これまでは、刈込ばさみでちょっきん、ちょっきんと刈っていたんですが、整姿作業の効率が、それこそ雲泥の差だったんですね。それで、今年は、先週のことですが、清水の舞台から飛び降りました。トリマーはお茶の木の手入れに必需品なんですね。農家の方だって、自分のところを刈らなければならないわけですから、毎度かりるなんてことは、虫が良すぎるじゃないですか。今回の小田原行きで、6,7割の整姿ができました。ちょっと虎刈りですが、それは初めての始動ですから、まぁ仕方ありません。これまでは、この作業を何日間も、その度に何時間もかけて、クタクタにさせられながら、順次すすめていたんです。広い畑をカマで草刈りしていたようなことだったんですね。だいたい農家の畑仕事というのは、その時に、そのタイミングでやっておかなければならないこというのがあるんですね。遣りさえすればよいとか、いつでもよいとか、そういうわけにはいかないんです。例えば、この時期のみかんの木の根回りの草刈りです。6月下旬になると、カミキリムシがでてきますから、その前に根回りを綺麗に草取りしておく必要があります。7月カミキリムシの活動が活発になります。中からも発生し、外からも飛来してくるわけで、草取りしてあれば、その動きが見つけやすくなるわけです。発生しだせば防虫剤の基幹に塗布して防ぎますが、その基幹塗布もしやすくなるわけです。なんたってカミキリムシの加害は、みかんの木が枯らされる一番の原因です。他の病気なら、翌年には手当てして回復することも可能ですが、カミキリムシの場合は、枝先に下からの養分が送れなくなり、木は枯れてしまいます。みかん栽培にとってカミキリムシは天敵ですね。むかしは、子どもたちがカミキリムシを捕まえると、農家はお礼をしていたそうです。子どもたちのアルバイトになっていたとのこと。いまのみかん園は、もっぱら高齢者が広い畑を手入れしてますから、そんな光景はありえません。それに今の子どもたちは、とても忙しくてそれどころじゃない。でも、もしも来てくれたとすれば、私などは喜んで御礼するんですがね。まぁ、そのためには、6月上旬までに、みかんの木の根回りを綺麗に、草刈り・草取りをしてかなければならないということです。根回りの草刈りと、お茶の木の整姿が、まさにそのタイミングですすみつつあること、これは、いつに援農に来てくれた人たちのたまものなんですね。農家だけでは、少ない労力で、高齢化の中で、不可能になりつつあると思います。また、この6月の時期は、梅のシーズンでもあります。今年は、産地の曽我の梅ですが、裏年と気候不順がかさなって、全体として不作だそうです。そうであれば、なおのこと貴重な梅の収穫です。これも肥大化した実をそのタイミングで収獲しないと、実が小さかったり、ないしせっかくの梅が落下しちゃったりしますから。今が、その収穫の大事な時に入っているわけです。だいたい農作業というのは、人間の勝手な都合から出発するわけにはいかないじゃないですか。自然に人がうまく合わせれるかどうかが、そこが農家の技の、腕の勝負どこなんですね。同時にまた、そうした生きた農環境をつくるには、社会のあり方を改善しないといけない。今の政治のように、安い農産物をどんどん外国から輸入して、国内農家を・食糧自給を衰退させる道をすすむところとなってます。後継者が失望し、畑からいなくなっている。今さえ何とかなってれば、農家状況なんてどうでもよいといった農政です、バカな話ですが、これが今の現実の政治です。農家は、自然だけを相手にしているだけじゃ、絶対にダメだということです。
2024年06月06日
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東京都政をかえるため、力を合わせましょうおよそ政治の風など感じない東京・八王子の片隅の、静かな鹿島からの便りです。6月2日、日本共産党・望月市議が、「7月7日は小池都政を変える、絶好のチャンスです」と、その気になれば、すぐこれだけのことができると、都政策を紹介してくれました。日本共産党の地域後援会の総会ですが、八王子市政報告とともに訴えてくれました。1979年革新都政が保守都政にかわってから、40年余にわたって、鈴木-石原-小池と、保守都政から今の自民・公明・都民ファーストにつながる、都民生活民切りすて政治がつぎつぎと続いてきました。福祉・教育はボロボロにされて、都民の運動でわずかな改善がはかられただけです。無駄遣いは、相変わらずひどい。蓮舫氏が無所属で立候補することに5月27日に、立憲民主党参議院議員の蓮舫氏が、無所属の都知事候補者にきまりました。これは東京都政を変えるための、とりもどすための、大きなチャンスを都民は手にしたということです。6月20日告示、7月7日投票ですから、あと一カ月後には、その結果がでます。自民党・公明党・都民ファーストは、みずからの都政を守るためにその組織をあげるでしょう。メディアをみると、小池氏がいつ立候補表明するのかとか、この野党協力のスタートしたことをぼやかそうとして、打ち消そうとして、さまざまな興味本位な傍観者的な報道が、わんさかと流されています。でも、そんなことはいいんです。問題は、かつて、都民は革新都政をつくってきたじゃないですか。この間、さんざんにないがしろにされてきた都民ですが、都民が立ち上がれば、都政は変わります。国の政治だって変えれます。混迷する世界にだって、平和・民主主義のメッセージをおくることになります。八王子の片隅ですが、ここはいたって静かな鹿島です。高齢化もあって、一般に投票率が低く、棄権率が高いのでは・・との見方もあります。しかし、ここでもやはり、本質的には東京全体と同じ傾向がはたらいていると思います。どこでも、平均的な力がはたらいているはずです。そうであれば、このねむれる街をかえるために、これからひと仕事です。そのために、みんなで力を合わせて、この間、ずっと都政に失望させられつづけて、あきらめさせられてきた都民です。「7月7日は東京都知事選挙だよ。あなたの一票で、蓮舫さんで都政を変えるよ」と。静かな街に、新しい都政の熱い風を、少しでもおくります。どうしたら、主人公のみなさんが、本当にたちあがってくれるか。どうしたら、そうした状況を実際につくれるのか。とにかく、そのために、ここ鹿島でも、あらゆる努力を尽くすということです。この発信も、またその一つだということです。
2024年06月03日
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ここに政治資金問題の焦点がある私などは、日々あちこち動ていますから、現在進行中の事態にたいして、認識がずれてしまうんですが。6月2日に、この間の、動いていた間の出来事を追跡しました。5月31日の日本共産党山添拓政策委員長の記者会見ですが、これに注目しました。政治の裏金をどのようにしたら規制できるのか、自民と公明、自民と維新の会との合意ですが、これをどう評価するか、ここに目下の政治の焦点があると思います。山添拓議員は15分間の記者会見をした。その記事と、共産党ホームページからの会見の録画です。草刈り等のもろもろの畑仕事で疲れていると、ついつい新聞の活字を読み取りにくくなる。それじゃぁいけないと思うんで、新聞で読むことと同時に、記者会見の様子をインターネットをみるようにしています。これがそのインターネットです。https://www.youtube.com/watch?v=3f6aaMkeWig冒頭発言の「これでは現状はかわらない」については7分間でした。冒頭のコメントを受けての記者の人たちとの、いろいろな質疑になるわけですが。すべての時間をくわえても、記者会見の全体は15分間でした。山添拓氏の会見は、様子も、後味もすっきりしているんですね。冷静に道理をといています。若い方なんですが、説得力のある、いたってクリアーな素晴らしい記者会見です。問題が問題なもので、ついつい私などは頭に来ちゃうんですが。さすがです、そこを若い共産党の政策委員長は、冷静に順々と説いているんです。そこが、すばらしい。この会見は、今の政治の焦点を完全にしめしてくれている15分間だと思います。
2024年06月02日
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再び句集『北山時雨』を紹介します一年前に句集『北山時雨』を残して、知人が旅立ちました。歌心のない私などは、その時は「あとがき」に込められた思いとなりをさぐったんですが。この句集に対して、『おだやかな人様が句集にあふれ心が豊かになりました』(HY)そんな感想が寄せられました。句集「北山時雨」(120句)の「あとがき」を紹介します | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)人はそれぞれの思いで、句集をひらくと思います。歌心の水準がどうのということではないとおもいます。それで今回は、私なりに、いくつかの句を選んで、鑑賞してみました。〇帰農して「ひるのいこい」を雉と聞く これは、最初にある句です。彼はどんなに忙しくても、「ひるのいこい」をきいて、休み時間をとるようにと、いつもみんなにアドバイスしていました。〇十貫のみかんを背負う娘の笑顔「昭和30年代明るい農村」の副題が付いてます。新潟などからの出稼ぎの人たちにささえられていた。今も作業小屋の二階の部屋には、彼女たちが使っていた布団が残されています。〇花咲けど人影ない山時止まるこれは2019年の作で、最近のみかん畑の様子をうたったもの。高齢者がみかん仕事を担っている。〇ニュータウン五十年目の桜咲く小田原のみかんは東京の永山団地の朝市で販売しています。見栄えは劣っていても、美味しくジューシーで、安いですから、それなりに好評です。園主の彼もその様子を見に3回は出かけてきてるんです。〇人形が微笑み返す梅雨晴れ間東京・多摩市から援農に来てくれた人、一緒にイノシシ柵を設置してくれた人、その人が人形づくりをライフワークにしてたんです。今もその遺作が何体も早川の家に並んでいます。〇さしあたりあと十年と冬日差す昨今のみかん農家は、高齢化や耕作放棄地の広がりなど、見通しがなかなか見えない事態ですけど、「しかし宝の山なんだ」と自分自身に言い聞かせて、体が続けれるあと10年間くらいは、とにかくがんばろう。それが彼のもっとうでした。〇春が来る木馬は回る七巡目これが辞世の句です。もう体の不調なことを、他人には言わなかったけど、本人は自覚してたんです。これは「あとがき」の気持ちとも重なると思います。「世の中の混乱はおさまりそうもなくふあんになることも多い。・・・でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望をもって期待するものである」私流にこれを解釈すれば、この一文を残すために、彼は病の体を駆使して、いろいろと最後の努力をしていたんだと思います。あとから振り返って、わかってきたことですが、それがはっきり見えてきます。確かに、今のひどい世の中ですが、そのなかに次の若者たちの、希望を感じさせてくれる努力をみる。我々年寄りたちは、彼ら若ものの未熟さを「あれが足りない」「だめだ」と否定的に水をかけるのではなく、もっとその苦るしいたたかいを理解しよりそって、しっかりと励ましてやること。そこに大人たちの大事な責任があると。それが「あとがき」にこめられている精神だと思います。今日は、彼の一周忌でした。あどけないお孫さんには、事態の意味は分りません。しかし、とにかくかわいいこと。住職も、その様子に感嘆の言葉を述べてました。私などは、何も言えなかったので、その分をここで紹介させてもらいます。
2024年06月01日
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この五月、東京も小田原も大変でした一つは、自然でして雨です。毎週のように雨の天気です。雨が降っては、畑が濡れていれば、農家にとっては仕事が出来ないじゃないですか。5月の初めにはお茶摘みがあり、5月は甘夏の収穫時でもあり、梅の収穫の始まりなんですが。もう一つは、社会です。国政は、政治資金の裏金を正せるかが問われてますが、東京は、都知事選挙の投票が7月7日の七夕です。経歴すらも詐称が疑われる小池都知事が、パフォーマンスで都民泣かせの自民党パンダです。5月27日(月)に蓮舫氏が候補者に決まった。小田原では、5月19日に小田原市長選挙があり、現職の自民・維新・連合神奈川支持の候補者が、現職にもかかわらず2対1で負けたんですね。政治の世界では、小田原も東京都も激動の様相を示しています。農家にとっては、自然との関係もあります私などのみかん農家にとっては、こうした政治の動きをみつつも、毎日、自然相手とするみかん畑の手入れ仕事が待っています。今日は、昨年亡くなった知人の息子さんと一緒に、みかん畑で仕事をしてきました。密集するみかんの木の剪定をし、その根回りの草取りをしてきました。お母さんが、みかん畑管理の手法をおしえようと、行ったり来たりしていました。今年は、毎週のように雨が降ります3月来、毎週のように降る雨はです。この一雨が降るごとに、雑草が繁茂してきます。みかん仕事は、とどのつまりは、この雑草をいかに抑えるかが基本作業です。それに加えて、みかんの木野枝が密集したままでいるとアブラムシなどの発生によりスス病がひろがります。同時に、みかんの木の基幹の回りをきれいにしておかないと、木を枯らすカミキリムシが発生してきます。今回の手当ては、これらに対する対策でもあったんです。ということで、今回、二人で1時間をかけて、8本の木をきれいに手入れしました。この仕事を始める前に、打合せしました。1、この五月というのは甘夏の収穫の大事な時でもある。ここを過ぎると甘夏のジューシーさが消えてパサつくようになる。レモンも5月までだけど、この5月のうちに甘夏・レモンの収穫を終えなければならない。2、また、5月の末から、梅の収穫が始まりだした。今年は、曽我梅林の梅農家によると、例年の6割くらいしか採れなとのこと。不作とのこと。とにかく、今が梅の大事な収穫期に入ってていること。3、みかん畑の境界にあるお茶の木だけど、ゴールデンウイークころの一番茶の茶摘みを終えて、今はその整姿剪定の時にある。天候をにらみながら、これらの作業をすすめているのが、周りの農家の状況だ。そうした事態の下での、今回のみかんの木の手入れとなる。今、みかん農家は、みかんだけでは食べていけないから、ほとんどが兼業農家として働いている。職場で疲れた休みの日に、休みたくても、つかれた体でみかん作業をしている。若い世代は小さな子どもの育児もしなければならない。それは彼が、突然おかれた逆境でした今回、仕事をともにした彼ですが、その生活は、そうした事情を思うと、まったくたいへんなんですね。私などが見ても、よく頑張っていると思います。彼は去年の6月に、みかん園の園主のお父さんを亡くしたんですね。畑仕事をしているのは、その残された母子なんです。今週の末が一周忌です。突然にお父さんの不幸がふりかかる。そしてこの一年、それからくる、さまざまな苦労がのしかかってきて。奥さんは奥さんなりに、息子さんは息子さんとして、その結果に対処してきたんですね。その一つが、このみかん畑の手入れです。彼にとっては、これはふってわいた事態で、まったくの新規就農者なんです。亡くなった父親は、これ自分の苦労を息子に押し付けるわけにはいかないじゃないですか。おそらく「お前はお前で、自由に生きろ」としてきたと思うんです。しかし、内心ではわれ亡きあとのみかん園をどうするか、他人には一切言わずに悩んでいたと思うんですね。私なども、そんな体調や事情は知りませんでしたから、この数年、一日の作業が終えたあとに、二人して飲んだくれていたんです。彼はビールをコップいっぱいで、大所高所の世界に行っちゃって、いろいろ持論を吐いていたんです。まぁ、それはそれ。突然のお父さんの訃報のころから、別世界に手た息子さんですが、この現実に立ち向かい出したんです。その辺から、私などとの出会いがありました。おそらく、ほとんど観察でしか知らないみかんの手入れだったでしょう。よもやこの大変な仕事が自分自身のみに降りかかってくるとは、思ってもみなかったと想像します。しかし、大したものです。それにいちから立ち向かって、頑張るようになりだしたんです。私と早川とのかかわりそもそも私などと早川とのかかわりですが。小田原・早川のは、たまたま私が真鶴のみかん園に通う通り道でした。2000年に亡くなった私の父ですが、真鶴に125坪、28本のみかん畑を、職場を退職するころからはじめていたんですね。亡くなってはじめて、それを現実的に知ったんですが。彼と同じです。八王子と真鶴を通ううちに、その知人が、市民園を貸すから販売の一助にすればよいと。それが、わたしと早川との関係がはじまったということですが。しかし、数年間、その市民園の草取りをしているうちに、早川の情況が見えてきました。今回の場合、この1年の知人の園主の不幸という事態の激変にあって、これからの先が心配されました。とにかく、私としては、出来うることで応援するしか、仕方ないじゃないですか。今、手入れしている箇所というのは、みかん園全体の一角なんです。しかし、とにかく、息子さんが手入れ作業をはじめだしたことは、確かなんです。これは、おもい荷物なんです。私などでもほっぽりだしたとしても当たり前だと思うんです。しかし、それでも彼は、その一部を担い出している。私などは、これはたいしたものだと思うんですよ。私などは思うんですこのことというのは、今、全国の農家が抱えている問題の共通の姿だと思うんです。亡くなった知人が、しんぶん『農民』を毎回おいていきました。農民運動全国連合会(農民連)の機関紙だそうです。それを読むと多くの農家がいっています。「国の無茶苦茶な今の農政を抜本的に改めさせなければならない」と。それはその通りなんだけど、もう一面では、その農家がこれまで自民党の基盤になってきたこと、これもまた事実でして。ようするに、昨今の農家はかわりつつあること。農家の人たちにとっても、国民消費者にとっても、今の農政は亡国の農業政策だということが、ここにきて見透かされつつありると思います。彼は酔うと、テープレコーダのように、TPPでの挫折の体験を繰り返していたんです。このおかしな現実を、いったいどのようにしてまともな農政に政治に転換させるのか、それが彼の最後の最後までの問いかけだったんですね。なんたって、国内の農家の事情を知ってるかのような顔して、結果は考慮しない。外国からの安い農産物を買うことで、その日がよければそれでよしとする政治です。場当たり的な、いまがまかなえていさえすれば、それでよし。問題はなしとする政治です。そのために、農家の後継者がいなっている事態ですが、これは、拉致被害者への対応と同様のもんだいです。こうした現実です。この事態を変えようそれは、農家だけの問題じゃないんですね。少子化対策もしかりです。根っこは、軍事産業のために国民生活を犠牲にするということです。農家の現実は、国民・消費者とを分断させて、みずからの特殊な利益を確保しているということ。これは、農業問題は、国民全体の立場から、再点検する必要があるということです。これは国民全体の問題であり、責任ですね。こうしたなかでの今回の東京都知事選挙ですそれは、首都東京から、全国国民に、さらには全世界に対して、政治転換の新たなシグナルを発信する機会になります。首都・東京の動きは、小田原のみかん農家にとっても、みかん園の荒廃を広げるような政治から、農家のくらしを守るような政治に転換させれるかどうかにつながっている、けっして他人ごとではないんですね。今や、この東京都知事選挙が、全国の関ヶ原の戦いとなっています。すでにその政治戦が始まっています。今回、小田原市民の一人なんですが、農産物を届けに来てくれた人ですが、『小田原は市長選挙で勝ったけど、今度は東京でこそ勝負だね。面白いことになったね』日ごろは政治のことなど口にしたことのなかった農家ボランティアの方ですが、帰り際に、首都・東京の都知事選挙について、私に対しこの言葉を残していきました。みずからの問題として、この都知事選挙について、生き生きとした言葉を言い残していきました。私などが都民の一人であることを知っていたため、あえて強調していたんです。『これは、面白いことになったね』と。そんな言葉を残していきました。ようするに、いまや東京都知事選挙は、全国注視の戦いとなっているということです。かならず勝って、国民のための未来を引き寄せる、ということです。
2024年05月31日
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マルクス『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ2今回は、準備作業です。一、翻訳について『経済学・哲学手稿』の、日本語への翻訳書ですが手元には、三つがあります。刊行の順に紹介すると、一つは、国民文庫(大月書店) 藤野渉訳 1963年3月刊行二つは、岩波文庫 城塚登・田中吉六訳 1964年3月刊行三つは、マルクス・エンゲルス全集 第40巻 真下信一訳 1975年3月刊行、です。それぞれの人が、その真意をつかもうとして努力されてるんですが、今回の学習の場合、ME全集の真下信一訳を軸にさせていただきます。対象は「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」P490-512の33ページです。この著作の冒頭には、「序言」の3ページがあります。これも大事な提起をふくんでいると思います。わたしも各文節ごとに通しのナンバーをつけてみました。それは問題の箇所を明確にするためですが。私なりの数え方では、第1文節から全体は第64文節となります。二、『経済学・哲学手稿』刊行の経緯についてそもそもこの『経済学・哲学手稿』が刊行されたのは、1932年のモスクワではじめて印刷されたとのことです。マルクスが1844年にパリで書いたものですが、出版社との間で出版契約を結んだ、その数日後に、フランス政府により国外退去を命じられた、そのどさくさでお蔵入りされ、だれもこれを知らなかった。1883年にマルクスが亡くなりました。その遺稿集の束に目を通していたエンゲルスが、これを手稿を発見したんですね。エンゲルスは1886年に『フォイエルバッハ論』を執筆しましたが、これは比較するとわかりますが、この草稿あたりが原典的な材料になっています。それは、マルクスがはじめて唯物弁証法を歴史的に明確にした努力でしたから、大事な問題です。しかしその手稿は難解で大部な論文でしたからそのままの形で出すわけにはいかなかった。しかし、そこはエンゲルスです、大部な難書の中心点を、私たちのために、わかりやすく、しっかり解説してくれていたんですね。それは日本の明治19年のことでした。日本は鎖国をといたばかりです。その後の日本は、西洋の学術は取り入れるものの、基軸は侵略戦争への道にすすんでゆくじゃないですか。きな臭くなるとともに治安維持法です。幸徳春水はじめとする大逆事件、社会主義の運動や本は国禁の取り締まりの対象になりました。そうした中ですから、『経・哲手稿』は、ほとんど知られることはなかったでしょう。手にすること自体が禁じられていたし、語学の壁もありましたから。これが日本で自由に読めたり、議論できるような可能性を得たのは、1945年8月15日の敗戦後ですね。それにより民主的な日本国憲法が確立した。その時以降なんですね。それはマルクスがこの本を書いた1844年から100年をへた後での日本ということでした。わたしなどがこの本の存在を知ったのは、学生時代の1970年のことでした。こうしてみると、それはまだ日本語訳が出てから数年後の、比較的に初期の頃だったんですね。そのころ研究者たちが、「労働の疎外論」などの『経哲手稿』に関する議論を、それこそ事新しく、活発に展開していたのを記憶しています。しかし、そうした時から、今や50年以上が経過したということです。三、関係する主な著作の紹介ですつぎは、『経済学・哲学手稿』が書かれた前後の社会背景です。まず、人物です。ヘーゲル(1770年-1831年)、フォイエルバッハ(1804年-72年)、マルクス(1818年-83年)、エンゲルス(1820年-95年)です。つぎは、内容です。 1807年 ヘーゲル『精神現象学』 1812-16年ヘーゲル『大論理学』 1817年 ヘーゲル『エンチクロペディー』 (1831年ヘーゲル死去) 1839年 フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学批判」 1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 1842年 フォイエルバッハ『哲学改革のための暫定命題』 1843年 フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』 マルクス 1842年 マルクス『ライン新聞』編集 (※1843年 マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』(クロイツナッハ)) (※1844年 マルクス『経済学・哲学手稿』(パリ)) (※1845年 マルクス「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」) (※1845-46 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデォロギー』) ※ は、書かれた当時は、刊行することができなかった。日本の先人は、これらを私たちが今日、それを読めるように、しっかりと翻訳してくれているんですね。しかし、この若きマルクスの努力は、ほとんどが刊行することができなかったんですね。『経済学・哲学手稿』ですが、当時マルクスは26歳。当時のドイツは、戦前の日本がモデルにしていたように、民主主義的自由が圧迫されていた。マルクスはそのドイツからフランスに出国して、自由なバリに移つることで『独仏年誌』を刊行することが出来た。ところがプロイセン政府の圧力によってフランスから国外追放させられた。こうした事情で、『経哲手稿』は刊行することができなかったんですね。波乱な生活にもかかわらず、短期間に多岐な集中的な作業がおこなわれたことが見て取れます。新たな世界をひらくための、その努力の成果がこの著作なんだということです。今回は、ここまでです。次回は、マルクスのフォイエルバッハ論です。社会的に一世を風靡したヘーゲル哲学ですが、そのドイツの観念論の大勢的な中から、フォイエルバッハが、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しだした。ここからマルクスの努力がはじまるわけですが。この努力のはじまりをさぐります。
2024年05月27日
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南大沢での立憲民主党・青空対話集会5月26日、東京八王子市南大沢駅前で、立憲民主党の青空対話集会がひらかれ、参加してきました。当方の住む八王子市の東部は、衆議院選挙では、新たに東京第21区となり、日野市と立川市と、八王子市の一部からなる、新しい区割りとなる選挙区です。野党共闘で衆議院議員の大河原まさこさんが活動しています。この対話集会には、大河原まさこ議員とともに、ゲストとして小川淳也衆議院議員が参加して、市民との対話がおこなわれました。この対話集会で、市民からどの様な質問が出されたか聞き取りにくかったので、正確なものではないんですが、趣旨はあっているとおもいます。ランダムですが、紹介します。小川淳也議員の最初のスピーチは、裏金問題のひどさでした。水だけで2万円パティーなど、自民党の資金集のパーティーのひどい様子が指摘され、今このひどい政治を力を合わせてかえるしかないと、力を込めて訴えていました。こうしたスピーチに対して、市民からだされて意見・質問ですが。〇政治家のパーティーがこれだけ問題になっている時、規制法を提案している立憲・岡田幹事長がパーティーを開こうとしたりしたのは、ちぐはぐじゃないか。〇これだけ自民党・公明党、岸田内閣の政治がひどく、批判が大きいのに、それなのに野党への支持があがらないことを、いったいどうかんがえているのか。〇最近「連合」がおかしな言動するのがめだつ、連合との関係はどうなっているのか。この問題をどの様に見ているのか。〇子どもたちの平和が大切だと思う。その時に、立憲民主党が、経済安保法に賛成したり、武器の共同開発や輸出に賛成する態度をとったことは、たいへん残念だ。〇消費税で減税がくらしと経済の回復のために大切だと思っている。なのに枝野さんは「財政を確保する上で必要だ」といった発言をしてるようだけど、消費税についてどう考えているのか。〇原発反対の運動をしてきているが、命を守るうえで、処分できない核のゴミがたまるのも問題だ。なのに、立憲民主党の原発問題に対する態度がハッキリしない。どう考えているのか。等々。参加した市民からは、つぎつぎに意見と質問がだされていました。これ以外にも、さまざまな質問が出されていました。私などの感想です自民・公明政権のひどさは、裏金、43兆円の軍事費大拡大による国民犠牲の政治にあることは明らかだと思うんです。それを変える政権づくりが求められている、これも明らかだとおもいます。同時に、今回の対話発言に見られるように、野党の「批判」のなかにも問題があるし、そのことの打開が求められている。こうした事態をかえる理論と共同を、どのようにつくるか、それが、今、国民にとって痛切に求められているということです。
2024年05月26日
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希望ある東京都政をひらこう 第4回鹿島のつどいを開きました東京・八王子市鹿島で、5月25日に4回目となる「くらしと政治 鹿島のつどい」を開きました。東京都知事選挙が、6月20日告示-7月7日投票と、1か月後に近づいています。5月25日のニュースでは、小池都知事が都知事選挙へ出馬するとの報道されてます。このつどいでは、希望ある都政をひらくために、今私たちの鹿島地域で何が必要か、など。都民が求める政策とはなにか、候補者の選考はどうなっているのか。互いのもっている情況や認識について、ざっくばらんに交歓し合いました。つどいには、八王子市議会の日本共産党・望月しょうへい市議も参加してくれて、5月23日に発表された都知事選挙へのアピールと、その具体的提案を紹介してくれました。東京都知事選挙についてもちろん、私たちでは、都知事候補者の選考状況などは分かる由がありません。しかし、都知事の候補者が決まるまで、そのままただ待っているだけでなく、今、この時点で何が出来るかなど、話しあいました。この中で、東京の共産党都委員会が5月23日に発表したアピール「自民党政治に審判を下し、みんなの希望がかなう東京へ、力を合わせましょう!」を紹介。その中心点を望月市議が紹介しました。東京都の一般会計予算は8兆4530億円ですが、共産党として提案は、その無駄づかいをけずって、全体の3.8%を組み替えるだけでも、都民の求める要求のどれだけのことが出来るのか。その中心点を話してくれました。ここには121項目が提案されているが、その中から、いくつかを紹介しました。「都政への要求」のいくつかその要求の幾つかをあげると、〇シルバーパスの無料化、モノレールへその適用-これは153億円で出来る。〇通学定期券の半額補助-21億円。〇学校給食の無料化-239億円。〇75歳以上の低所得者の医療費の完全無料化-162億円。〇18歳までの医療費の完全無料化-21億円。〇子どもの国保税(「均等割り」)を無料に-66億円。などなど、121項目が提案されていて、これが予算の組み換え提案で3224億円でできること。これらの提案について討議しました。「都政を変えれば、豊かな未来が」望月市議は、その実感をもって語ってました。「東京都は、スウェーデンの国家予算並みのゆたかな財政(8兆4530億円)をもっていて、その無駄な一部を削るだけで、都民の要求は実現できる」と、力強く語ってくれました。その削減対象の主な項目は、〇経済界の要望する都市開発(200億円もの分譲室販売)-328億円。〇都民の反対する都市計画道路や外環道-1013億円。〇都庁のテレ画面-26億円。など69項目の削減で2053億円。その差額の1170億円は、ためこんでいる財政調整基金と国の補助制度で手当てできる。「ようするに、その気にさえなれば、東京は都民が希望の持てる都政に転換できるし、その資力がある」、この選択が、1か月後の都知事選挙で問われていると語っていました。「お互いを知り、質疑・懇談しあうことが大事だ」と。参加者のそれぞれは、お互い状況を知り合うことが大事だということ。「八王子の都議補欠選挙の準備は、どうなっているのか?」「八王子市段階では都知事選をすすめる野党共闘はどうなっているのか?」「これからの八王子市議会の予定はどうなっているのか?」「八王子市での学校給食無償化、体育館へのクーラーの設置は、その具体化はどうなっているのか?」などなど。さまざまな質問や意見等が交歓されました。次回の鹿島のつどいは、 6月22日(土)、午後1時半に開催予定しています。
2024年05月25日
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政治資金規正法「改正」案の質疑5月24日衆議院の特別委員会で法案の質疑がありました。自民党の政治資金規正法の「改正」案が、どの様なものか。共産党の塩川鉄也議員の質問に、自民党作業部会の座長が、法案提出者として答弁したんですが。そのやりとりをしんぶん「赤旗」と、委員会のインターネット録画を見たんですが。規制法の法案提出者が、どっぷりと泥沼につかっている。そうしたサマが浮き彫りにされました。そもそも法案の提出者がですよ、企業からの献金の不記載が指摘されて、その訂正を余儀なくされている。さらに、派閥からキックバックを受ける仕組みになっている事実も認めざるを得ないんです。しかし、そのやりとりには、まったくの誠意がない。「派閥全体のことはしらない」としたとしても、自身の目標額すら「記録を残していない」「報告書等の保存がなく申し上げれる状況ではない」と。これじゃぁ、この法案でいったい何を正そうとしているのか、問題を問題とする意思がなく、ましてやそれを正そうなんて意思がまったくないんですね。どうしようもない自民党法案の提出者であり、これが「自民党政治改革刷新本部作業部会の座長」だというんですから、あきれるけれど。あきれるだけじゃすまないわけで、本当に今の異常事態を正せる力をつくらなければならないということです。何が問題なのか、実際の関係がみえる塩川議員の質疑です。インターネットで会議は誰でも見れますので、衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)5月24日の衆議院政治改革特別委員会のインターネット中継の閲覧をお勧めします。
2024年05月25日
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5月下旬のみかん園5月21日から23日(木)に小田原のみかん園に行ってきました。いよいよ甘夏の収穫が、最終段階に来ています。甘夏は5月に入ると酸味が和らいで美味しくなります。しかし、5月を過ぎると水分が消えてパサつくようになります。ようするに今が、収獲の時なわけです。しかし、このところ、毎週のように雨が絡むでしょう。木は濡れていると滑るし、この高さでは援農の人たちの力を借りるわけにもいきません。万が一の場合、骨折どころのケガではすまなくなるからです。これは今回の収穫が終えたあとの様子です。次回が、最後の収穫日となる予定です。小田原は5月19日(日)に、小田原市長選挙の投票がありました。自民・維新・国民・連合神奈川がおした現職の市長候補が、25,000票で、前市長の候補者の46,000票に負けたんです。大差で市長が交代したんです。私などは援農者の立場でして、小田原市民ではないんです。しかし、みかんの手入れをしていると、何とかしなければと感じるんですね。農家は高齢化がすすみつつあり、耕作放棄地も広がりつつあるわけで、みかん農家の人たちが、なんとか、みずからの共通要求をまとめて、小田原市の行政に働きかけて、少しでも明るい未来をつくるようにしてほしいのですが。いろいろと私なりに農家の人たちに、はたらきかけてはいるんですが。どうしたらそうした状況をつくることが出来るのか、そこが問題なんですね。実際のそうした関係づくりが問題なんです。農家自身が、忙しい中にも、そうした目をひらき、協力し合うことが必要なんですが。そこが、なかなか、ひとすじなわではいかない、一番のネックなわけです。ともかく、毎週のように、小田原のみかん園も雨が絡みます。みかん畑は、一雨ごとに雑草が繁茂してきます。次の写真は、みかん園の園主さんが草刈りしている、その途中の様子です。手前が草刈り機で草刈りしたあとで、その上はこれから刈らなければならないところです。次の写真は、その畑の一番上の様子で、わたしが手入れを引き受けている部分です。苗木なんて、すっかり草が覆い隠してしまってます。今回、わたしはここを草刈りしたんです。このテラス面を1時間くらいかけて、1タンク分の草刈りしてきました。援農の方がきてくれて、脇にある甘夏を、わたしが草刈りしている間に収穫してくれました。一人でやっていたら、草刈りしただけでヘトヘトになっちゃう。①くさかり、②甘夏の収穫、③草刈りと、何度も何度も山を往復して、3ラウンドは必要なんですが。草刈りしているとくたびれて、甘夏の収穫まで、とても、とても続ける気にはならないんですが。それが援農者の協力があったおかげで、その難題ですが、一気に片付けてくれました。草刈りと甘夏収穫が、5月22日(水)の午前の1時間で、すべて片付けることができました。すごいです、すばらしい。二日分の仕事が、1時間で片付きました。やはり、援農者がいるとは、農家にとって大きな支援になっているということです。
2024年05月24日
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『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著) を紹介しますこれまで日本共産党に関する本というのは、だいたい自己の変節をかくしての共産党論か、共産党の外部の知識人から共産党を注目したもの、ないし圧倒的には共産党自身の立場から書かれたものだったんじゃないでしょうか。そうした中、今回紹介するのは、『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著 あけび書房 2024年5月1日刊行 2420円)です。これは、れっきとした共産党の役職をつとめてきた人が、もちろんこの本もそうしたポリシーに立って書かれているものです。一つの時代を地区委員長として活動されて、そこで直面した出来事や見解のさまざまな事柄ですが、記録されています。もちろん私などには、そこにある個々の問題の是非を判断できるような自分の存在ではないんですが。しかし、一つの時期を苦闘努力されてきた、その生の記録であることは、私も同時代を生きてきたものとして、客観的な時代性が重なるので、そのことだけはわかるんですね。これは、私などは、日本共産党版の「ルソーの『告白』」といったもののように感じます。これって、難しいんですよね。渦中の中にいる人が、それを記録に残すなんてことは、よほど自己意識がないと、忙しさに振り回されてそれどころじゃないじゃないですか。ましてや組織のなかで活動してきた人が、自己の個人を自覚して、その個人の立場から組織の客観性に対する認識を活字にして書くということは。「内部問題は、組織のなかで議論するのはOKだけど、外に対しては統一性をはかるために出してはならない」との規約ルールがあるじゃないですか。これはこれで、討論クラブに陥らせないための当然のルールですね。したがって、現役の立場では出来ないことですね。しかし、現役を退職した人が、政治路線と節度を守りつつ、みずからの体験したことを、みずからの責任で、その客観性をふりかえってみる。これは、専制国家だった革命前のロシアや、戦前の治安維持法下の日本では、そもそもありえない自由です。しかし、民主主義的な社会条件の下では、戦後の日本国憲法のもとでは、一定の節度を守ってのことですが、それは個人の権利として、ありうる権利であり、人権だと思います。たとえて言えば、国家公務員にも秘守義務がありますが、ある期間の後には時効というか、情報・記録の公開ということもあるじゃないですか。これもそうした問題に属すると思います。まぁ、素人の私には、問題の法律的な理解や解釈というのは、いたって妖しいものですが。そうした問題をもちつつ、刊行されたこの本ですが、これは、発達した資本主義国の、共産党の民主主義的な組織人のありかたということに一石を投じているものとして、新たな領域をひらく試みとしてうけとめました。またその内容としては『善意による労作』として読まさせていただきました。ここには現役人にとっても、生かすべき問題がいっぱいあるし、国民にとっても一つの自己成長の記録をしめす。今日の民主主義的社会において、新たな共産党のあり方を提起しているものとして、読ませていただきました。
2024年05月20日
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小田原市長選挙の結果神奈川県の小田原は、みかん畑の手入れに、毎週通っている所なんですが。5月19日(日)に小田原市長選の投開票が行われました。結果は、前市長の加藤憲一氏(60)(無所属)が当選。現職の守屋輝彦氏(57)(無所属=自民、日本維新の会、国民民主、連合神奈川推薦)を破ぶり当選しました。 (当日有権者数は、15万7448人。投票率は48・17%で、前回は46・79%)確定票当46,038 加藤 憲一 無元 25,528 守屋 輝彦 無現〈自〉〈維〉〈国〉〈連合神奈川〉 3,630 古川 透 無新もちろん、私などは、みかん畑の草を相手にしているだけの宇宙人の様なものなんですが。きくところによると、共産党は加藤氏といくつかの政策合意をかわして選挙に臨んだとのこと。私などが選挙公報をみると、どちらの候補者が市民の声を生かす可能性があるか、明確だったんですが。しかし、私の周りの数少ない農家の知人たちは、「接戦でどちらが勝つかわからない」などと態度のハッキリしない人とか、どちらかといえば守屋氏の側のステッカーをはりだしたり、その応援で動いている人もいたりして。身の回りからは、どちらが勝つのか、わからなかったんですね。昨夜、11時に電話が入りました。「すごい、大差で加藤氏が勝っちゃった。自民党に対する批判がいかに大きいか、自民党や維新、国民、連合神奈川がいっしょになったとしても。市民の意志がしめされた」との連絡が入ってきました。「歴史は動く」とのこの結果に、私などの周りの人たちは、これからどう対応していくのか。また、新たな市政ですが、大変な農家の現状にたいして、これからどのような具体的に政策展開していくのか。農家の人たちとの関係をつくっていくのか。私などは、草刈り人であり、ただの『外人』なんですが、この小田原の新たな動きに、これから注目していきたいと思っています。
2024年05月20日
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八王子市鹿島の宣伝活動昨日、都政・市政の報告会が、八王子の東部の地域でありました。アオヤギ都議と望月市議が、国政・都政・市政の状況を紹介してくれました。本日・5月19日には、八王子の一番東部に位置する鹿島地域ですが、静かな住宅地域なんですが、音による宣伝をしました。これは、偶然でもあるんです。もともと、このまま自然に任せるにはいかない。老いたるとはいえ、今の政治の中に、生きてきた証として、ひと言でも自分なりに言いたいことを言おうと話しあってきたんです。そこに、あまたある八王子の諸団体の諸スケジュールをさいてですよ、渦中にある望月市議が宣伝カーをもって、来てくれると。こうなったら、世界は鬼に金棒です。政治的には、日ごろは無風の、いたって自然の鹿島地域ですが。望月市議が、そこに、裏金問題から市政と都政の焦点についてわかりやすく話してくれました。こうなれば、地元の参加者としては、それを踏まえて、日ごろ感じている面から、「政治を変えるために力をあわせよう」と話しました。この地域では、これまでハンドマイクによる宣伝行動はデビューしていたんですが、今回のように、望月市議をふくめて宣伝カーをくり出しての宣伝というのは、昔はどうかは知りませんが、私などは、この20-30年間の中で、初めてのことです。ねむれる鹿島住民に対して、迷惑なことかもしれませんが、マイクを通して、静かな鹿島にがなり立てました。今焦点の国政を刷新する問題がありますし、7月7日の東京都知事選挙があります。もしも黙っていれば、無風の自然の風の流れです。そうしたことの結果は、はっきりと知れてるじゃないですか。この宣伝ですが、これは、日本共産党の後援会が、この地域の一般の市民の前に、目と耳において、はじめてその存在と、「なにをいいたいのか」その訴えが復活したということです。今回、宣伝車のわきに、素知らぬように出てきて、道ばたにですが、出てきて、それとなく応援してくれた人も、2人、3人とありました。これは地の塩ですね。努力には、それに対して何らかの反応があるということです。しかし、問題はこれからです。この流れを、これを一つの機会として、これからこのながれをどれだけ広げれるか。いま、そこのところが問われているということです。
2024年05月19日
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東京都政と八王子市政の懇談会まもなく七夕の7月7日には、東京都知事選挙の投票となります。5月18日(土)、八王子市の東はずれの地域で、東京都政・八王子市政の懇談会がひらかれました。この地域住民のつどいには、アオヤギ有希子都議と、望月しょうへい市議が参加しました。この地域には、地元から都議会議員と市議会議員の代表をもっているんですね。そのおかげで、東京都政と八王子市政ですが、グーンと質疑問答が出来る身近かになったんです。このなかで、東京都政・八王子市政の状況が報告がされるとともに、参加した市民との間で、さまざまな質疑・問答が交わされました。私などが質問したことですが。1つは、国民健康保険税の問題です。国民健康保険税の過大な負担が、全国で問題になっていますが。八王子市民は7年連続の値上げで、三多摩26市で最高率の負担となっている。これにたいして、そうした都民の悲痛な声にたいして、東京都政はどのように受けとめていて、都の行政としてどのようにかかわっているのか。もう2つには、東京の地域格差のひとつとしての交通問題があり、都心とはちがって地下鉄などもなく、どこに行くにも、よろずの不便があって。これまでにもいろいろ要望してきたけれど。1.都市モノレールにシルバーパスを使えるようにしてほしいこと。シルバーパスをかつてのように安くしてほしいこと。2.通学する学生などにとっても、運賃が高額なためにモノレールを使わずに歩く人すらもいる。運賃を値下げしてほしいこと。3.これまでもそうした請願署名に署名してきたけれど。それらの要望に対して、いったい東京都はどのように答えているのか。どうしたら、こうした事態の改善が実現できるのか。この二点を質問しました。これにたいして、共産党都議団報告の5月号を使って、より具体的に現在のやりとりについて報告がありました。望月市議からは、4月の市長選挙を前後しての、八王子市政の改善への動きと、引き続く課題問題が。アオヤギ都議からは、小池都知事は、選挙で都民の支持をたことをかさにきて、利権を中心とする大きな開発を推し進めて、各地の都民の声を蹴飛ばして、企業利益優先の開発をすすめている。都の予算は大きくて、無駄遣いを正す予算の組み換え提案をしているが、都知事の姿勢が変るだけで、都民の生活に、多くの希望ある変化が開けることを、細かなくわしいまとめた資料で紹介してくれました。その提出している「予算の組み換え提案」を、具体的な説明してくれました。7月7日の七夕が、東京都知事選挙の投票日です。告示日が6月20日と、あと1か月後と迫っています。参加者から、都知事選の現状について質問・意見がありました。〇候補者の選考はどうなっているのか、早く候補者を決めてほしい。〇候補者が決まる以前でも、都政を転換する焦点となる政策の明確化が大事だ。〇いつでも、もてる力を発揮できるように、今できる努力をつくすことが大切だ。などなど、意見が交わされました。会場の予定していた時間をいっぱいに、いろいろな意見が交わされました。
2024年05月18日
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マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法の批判」まとめ1私は昨年(2023年)12月から、マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習してきました。この5月10日の第18回目の発信をもって終わりまできました。右往左往の手探りでもありましたから、何が問題やらチンプンカンプンなこともあったかと思います。これから、あらためてその中身をまとめてみようと思います。一、はじめになんでマルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学んだのか直接の経過としては、昨年ですが、福田静夫先生(日本福祉大学名誉教授)の講座で、ヘーゲルの『法の哲学』「国法論」と『歴史哲学』「ゲルマン世界」を学ぶ機会がありました。長年にわたりヘーゲル哲学を研究されてきた方が、その中身と今日的な意義をといてくれたんです。私などは、その講座の終了後ですが、『歴史のなかの弁証法-『歴史哲学』「序論」をまなぶ』との冊子を、その後の学習の副産物としてまとめてみました。ヘーゲルが世界史のあゆみの中に弁証法をどのようにとらえていたのか、その「序論」から探ってみたんですが。まぁ、これが私などの理解の程度でしたが。そもそも私などは、科学的社会主義についてこれまで学習していたんです。このことから、ヘーゲルにたいしても関心を持っていたわけですが、この機会があらためてヘーゲル哲学を学ぶうえでの貴重なものとなったわけです。そうなると問題は、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」です。そもそもヘーゲル弁証法とは何か。いったい、マルクスはどのようにヘーゲル哲学、その弁証法を理解したのか。どの様にしてそれを批判したのかです。これまで私などは、折節につけてエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を読んできました。この本が、その問題を主題にして解明してくれていたからです。しかし今回は、『1844年の経済学哲学手稿』です。エンゲルスがその著作をまとめるにあたって、元になっていた原材料となるものです。なんで、その『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶかというと。それは、ヘーゲルが初めて弁証法を意識化したように、マルクスが唯物弁証法をはじめて意識化した現場であるからです。唯物弁証法を学ぶ上で、一つの基本的な道だと思っているからなんです。哲学の学習というのは大事だと思うんですよ。いまを生きていく上での基本姿勢にかかわってくると思うんです。しかし、今どき哲学を学ぶなんてことは、マニアックなひとか、専門の研究者の人たちならともかく、一般的には、それを語り合えるような場は、この世知辛い世の中ですから、なかなかそうした機会というのはないと思うんです。私なども「達磨大師」状況におかれたことを、さんざんボヤいてきたわけですが。ここで問われていることは、ものごとに対する自己の基本姿勢だと思うんです。人間がこの世を生きていく上では、さまざまな問題が問われるじゃないですか。あれも、これも、それもと、万華鏡のようにつぎからつぎへと問題が出てきます。それらへの対応に、ついつい人は振り回わされますよね。それが普段の日常的なことがらだと思うんです。なんといってもヘーゲルという人の努力は、そうした一端を示しているとおもいます。人間の感覚から意識、理性、精神の『精神現象学』、一般の『論理学』、自然哲学、芸術・宗教、『法の哲学』、『歴史哲学』と。「対象というのは自己意識だ」との根本から、人をとりまいている森羅万象を、ひとりの知性で探るとことを挑戦しつづけたわけですから。おそるべき、愛される人です。しかし私たちだって、現代に生きている以上、ウクライナ侵略はあるし、パレスチナ侵略問題があり、軍拡政治はあり裏金問題がある。こうした歴史学術の成果を学ばなくてはならないし、また働いて家族とくらしていくこと、同時にまわりの市・町での動きや、大本での国の政府や議会の動きと、これら自分をとりまく諸関係とのやりとりがあるわけで。同じように課題は多岐で、日々大変なわけです。今の世の中にあって、私などがあえて哲学をうんぬんするのは、根本にはこれらに対する基本姿勢の問題にかかわると思うからですが。まぁ、そんな素朴な気がしてくるからでして。もちろん、ものごと一般論だけでは、すべての問題が解決しきっこないんですが、しかしそれでも現実問題に臨む姿勢が、ある程度はしっかりしたものになるのでは、そう思っているからですが。(以上、といったことで、まとめのスタートです)。
2024年05月17日
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「国民健康保険料」、いったいどうなってるのかみかん仕事から帰えり、ヘトヘトなんですが、ポストにチラシがありました。私などの住んでいる八王子市からの「広報」でした。このトップ記事は「国民健康保険税」の問題でした。この間に、この問題が、私の周りでも問われていたわけで、そのことを客観的な形で検証する記事でもありましてた。しかし石川啄木じゃぁないけれど、この案内にたいして、じっと手を見据えさせられました。何が問題か国民健康保険制度がある下で、私たちは健康のさまざまな問題について、対応して暮らしているわけですが。1960年代にこの制度が出来てから、自然なこととして暮らしてきたわけですが。この間、八王子市の望月しょうへい市議から、ひどい事態になっているとの話を耳にしてきました。今回の「八王子広報」で、あらためてですが、それが実際であることを認識させられました。これが、「じっと見」せつけられた、その「八王子広報」の記事です。わかりますか、若夫婦の、子ども二人の四人家族の標準家庭の場合の試算です。統計上の標準家計世帯のことですから、もちろん、個々場合にはいろいろな違いはあるでしょうが。しかし、これは標準家計世帯の現実です。今回、八王子市は、国の方針に従がい八王子市は、今回で7年連続ですが、国民健康保険税の値上げがされた。これがその説明なんです。私などは、「じっと手を見る」じゃありませんが、この表に見せつけられました。というのは、人間今を生きていくためには、各人の家庭では、もちろん家族の健康が第一で、健康を維持していかなければなりません。風邪をひいても、何にしても、健康保険証が必要です。しかしさらに、当然ながら、それ以外にも、1、住まいがなくてはなりません。家賃を払わなければならない。2、子どもたちは学校に通わさなければなりません。授業料や交通費が必要です。3、人が生きていくためには、食事をしていかなければなりません。それなのに、健康保険証の為だけに、400万円の中に58万4900円の負担が強いられている。それを示めし、徴収を求めている広報です。この現実を見すえてください年収400万円の幼児など子ども二人を抱えている標準家族が、ただ健康保険税だけで58万4,900円の徴収が強制されている。このことを、衣食住のくらし全体の中で、考えてみてください。それが如何に大変かということを。しかしこの八王子「広報」には、まったくそうしたことは書かれていません。ただ、値上げの数値があるだけです。まぁ、それはすすめる側としては当然かもしれませんが、市役所の側は、国民健康保険をアップすることだけを考えている。それは担当者の置かれている立場としてそれだけなんです。しかし問題は市民の現実です。その市民の暮らしにどのようにかかわるか、それが政治じゃないですか。「少子化対策」だとか美辞麗句は並べられるけれど、足元の現実はどうか。若ものの家庭から、ただ健康保険税にたいしてだけで、総収入のうちの58万円をもっていかれる。強制的にとりたてられるわけで。「均等割り」ですが、これは収入のない赤ちゃんまでも一人前に徴収する。このことは情け容赦ないんです。これじゃぁ、若い夫婦がこどもをつくるのを躊躇するのも当然じゃないですか。給食費、教育費だってたいへんですから。ともかく、「広報」は、値上げを通告しているだけで、これにはそれ以外の説明は無しです。この事実と行政の現実ですが、冷たく、残酷なことだと思いませんか。他の多くの自治体では、これに対する緩和措置も取られてるんですが、八王子市は国の自公政治に直結です。そもそも萩生田氏は自民党元政調会長でしたから、それをつくっておしすすめてきた本人であり、八王子はそのおひざもとの自治体なわけです。だから、その指示がストレートにはたらいているわけです。三多摩で、7年間連続して引きあげられ、最も高い負担率となっている状況です。しかし、この健康保険税の問題は、八王子市だけの問題ではありません日本全国のどこの自治体でも、大同小異で、同じ事態に直面しているはずです。国と都道府県の指示にもとづいて、最寄りの市区町村の自治体にかぶされている国民負担を強いる政治の問題なんです。国の政治の問題なんです。ひとりの国民としては、税金を払うだけでなく、国保の事態を調べてみて、これが絶対的な、自然なものなのかを。これは全国のどこの自治体でも共通の問題となっているはずです。そもそもこの決定は、何千万円もの裏金を、たくみに操作している連中が、決めたこと。彼らにとっては、自分たちのふところはちっとも痛まず、逆にその企業団体献金の見返りをふところにしていて、この利権を進めているわけですから。国民の苦痛なんで、わかったかのようなポーズだけで、今の方向でよしとしてすすめている現実です。国民の悲痛な声などは、実際はまったくどこふく風なんですね。「役者」なんですよ。その大もとには、アメリカの圧力と国の官僚組織にのっかってすすめている今の軍備の大増強の自公政治があります。この基本路線にのる人が大臣になれて、行政を政治を牛耳っているわけです。口では「日本を守るために」などもっともそうなことを言ってますが、現実はこのためにくらし・福祉・教育予算をどんどん削って、さらには新たな国民負担の押し付けること、この遂行を使命とする大臣ポストの「しかけ」になっているわけです。首のすげ替え程度では変わらないということです。また、それを批判し正すはずの野党ですが、そのなかにも、ふらふらとそれにくっついたり、「もっとやれ」とけしかけたりしている事態です。野党なら少しはましか、なんてものじゃないんですね。だから、この基本的なしくみ-軍備をねん出するために国民負担を強いる国の行政の現実を、この体制を大元から変えないければならないわけで。これが国民が今直面している問題です。これというのは戦前の日本が経験してきた道と、先人が経験してきた道と、同じような事態にあるということです。いつか来た道なんです。国民の見識、意思が問われている無責任な連中によって、国民生活は戦争へ、戦争へと押し流されている。あるとき国民が気がついた時には、戦争が避けられないような事態となっていた。そうした方向に、国民が望んでない方向に、すすみつある。さりげない形で、今という日々の日常が、そうした方向につきすんでいるわけです。この事態をみさだめて、どのように止めるのか。どうしたらそれを転換させれるのか、そこが問われているわけです。今という時は、国民一人ひとりの見識と行動が問われている。くりかえしますが、そもそもは国民皆保険制度は、誰でもいつでも、安心して医療を受けれるための制度でした。ところが今は、「それを維持するため」とのセリフで、保険料を引きあげて、強制徴収で国民生活を苦しめている。軍事費ねん出するために、国は理屈をつけてそれへの手当てから撤退して、国民の負担に転化している。このことは国民保険税の医療の問題だけでなく、ローカル線の交通、介護保険、教育、農政、子育て、批判的学者の排除、・・・あらゆる分野におよんでいます。まわりをみると、あらゆる所に、この基本が深刻にのしかかってきている事態が見えてきます。これが、裏金作りをしていた政治家たちがすすめてきた道ですね。これは自民党政治の全体にかかわってますから、なかなか事実をあきらかにしません。誤魔化すことに必死なわけです。しかし、だいたいの輪郭は、すでに国民・万人の前に明らかになっています。これを中途半端なお茶にごしで済ましたらと、もっと今より災いが大きくなりますよ。この黒い政治勢力が、多数派勢力として牛耳っている政治世界のもとで、その一つのあらわれがこの国保問題です。この関係をかえること、国民が求める常識の方向に転換させることが、今求められているわけで。いまこの時に、国民自身がその転換の見識と力を、しっかりとつくりだすことが求められており、それが出来るかどうか、このことが問われている。今という時は、そういう時なんですね。
2024年05月16日
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社会主義の新しい可能性のために『カール・マルクスの弁明』(聴涛弘著)の紹介大事な点を明らかにしていると思い、紹介します。私などが注目したのは、第二章の「レーニンの苦悩と社会主義論」なんですが。この本は2009年5月刊行(大月書店)ですから、少し前のものですが。昨今の私などの印象なんですが。プーチンのロシアによるウクライナ侵略戦争が続いています。隣国にたいして軍隊を出して占領し、人を殺し、無茶苦茶に破壊しちゃっているわけですから、国連をはじめ世界各国が国際法違反として、糾弾するのは当然なことですが。問題は、「プーチンはソ連時代の警察官僚であり、これが社会主義の姿だ」との雰囲気が、そうした印象論がふりまかれる風潮ですが、日本社会にもあちこちに陰に陽にあると思うんです。もちろん、このウクライナ侵略の以前から、ソ連邦の崩壊は社会主義そのものの崩壊とする風潮があったわけですが。そうした中で、この本は、歴史には社会主義が世界に新鮮なインパクトを与えた時代があったことを紹介してくれています。そのレーニンの当時というのは、日本では治安維持法などで、危険思想として取り締まられていたわけですから、偏見のさえたるものでしたが。社会的な反省がありませんね。しかし、今の時代というのは違います。しっかりと事実をもとにて、ことの是非や評価を語らなければならない、一人ひとりにその努力が求められています。それが民主主義的社会です。もしその努力が弱いとなると、その分邪道と非合理といったことが、社会に幅を利かすことになると思います。この聴涛弘氏の「レーニンの苦悩と社会主義論」ですが、そこには、ソビエト連邦がつくられた当時の、レーニンの努力が紹介されています。これは素晴らしい紹介ですよ。こうした材料をふくめた史実を確認したら、プーチンを社会主義とだぶらせるなどということは、まったく論評に値しない、臆測と偏見でしかない、無責任なものだとわかると思います。しかし残念ながら、広く日本社会を見ると、そうした人が多いんですよ。まったく無責任な、自分勝手な印象論をふりまく「コメンテーター」が多いわけでして。レーニンと社会主義論-この本は、歴史を探究することは、すがすがしいしと感じました。今頃この本の存在に、わたしなどが気がつくというのは、多分に遅すぎるんですが。しかし、知らずにいたよりかは、少しはましでしょう。私などは思うんですよ、今でもこの成果は意義があること、というか、今日的な意義があること。もっともっと、広く社会に分かち合う必要性があると感じています。そうした思いで紹介させていただきました。
2024年05月14日
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御殿場線を旅してきました「旅」などは無縁な当方ですが、5月12日に旧東海道線・御殿場戦の旅をしてきました。すでに、4月25日付のブログで、下見したことで、その輪郭は紹介しました。御殿場線で、国府津から沼津を旅してきました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は、本番の旅案内だったんですが。新たに感じたことのいくつかを紹介します。一、富士山の雄大な景色です下見した時は、小雨模様の天気で、富士山は雲の中で、まったく見えなかったんですが。足柄峠を越えて御殿場あたりから、富士山が車窓いっぱいにひろがりました。これまでも、八王子・多摩、平塚・小田原と、富士山を遠くからは見てきたんですが、まじかに迫る富士山、裾野が広がる富士山をみることは、めったになかったんですが、この御殿場線の旅は、これまでで一番の、芸術的な大自然・富士山の迫力でした。残念ながらというか、あえて写真は撮ることは、しなかったんですが。二、旧東海道線の最大の難所山北から御殿場まで区間は、昔であれば足柄峠越えの難所だったことが実感できました。東京と京都・大坂を結ぶ東海道本線にとって、中央線の碓氷峠じゃないけれど、最大の難所です、特急列車も、その前後を蒸気機関車がサンドイッチして、峠越えをしたんですね。あえて伊豆の山をくりぬく丹那トンネルの大工事が、どうして必要だったのか。わかるような感じがしてきました。車窓から見ていたら、山北駅にもありましたが、何か所かに、活躍した蒸気機関車が保存されてました。三、『更級日記』にもそうした掲載がありましたこの足柄峠越えの難所ぶりを伝えてくれている日本文学の古典があります。『更級日記』です。この作品は、1020年、菅原孝標の娘により、その13歳の頃にかんする日記部分ですが。9月3日に勤め先の千葉(下総国)を門出して、12月2日に京都の家に帰るまでの、東海道の旅の途中の様子が紹介されてます。天候が悪ければ、うっそうとした足柄峠の山道をこえるのに4日も5日もかかった。「山のなかのおそろしげなる事いわむ方なし・・・」足柄峠をこえたら富士の山が、せまってきた。「その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青をぬりたるようなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白きあこめ着たらむように見えて、山のいただきのすこしたいらぎたるより、けぶりは立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つもみゆ。」(旺文社 池田利夫訳注)平安時代の古典の文章というのは、現代の私などには、読むのも理解するのも難しいのですが。今回の御殿場線の旅をしたことで、1000年の時をこえてですよ。この古文書に、書いた人の心ですが、その感動ですが、少しですが私などにも現実感をもって伝わってくるようになりました。そうなると、不思議です。この1000年をこえた文章ですが、難しく感じていたものが、同じ感動を表現したものですから、心で読めるんですね。そして逆に、難解に見えた文章がその言葉遣いまでもが、リフレーンしたくなるような的確なものであることがわかってきて、愛着すらを感じるようなものになってくるわけです。じつに不思議な感じです。ということで、私などにとっても、今回の御殿場線の旅は、有意義な時となりました。
2024年05月13日
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甘夏の朝市5月は甘夏が美味しくなる季節です。小田原から搬送してきた甘夏ですが、5月11日(土)には甘夏の朝市を開きました。みかんの好きな方でも、「甘夏は酸っぱい」といった経験則があります。それは分かるんです。甘夏は、かなり早くの時期から、八百屋さんの店頭に並んでいます。確かにその中には酸っぱいものがあるんです。しかし、5月に入ると、その酸味が和らいで、美味しい甘夏に変わってきます。小田原のみかん農家では、みかん好きの方は、この時を待ってから収穫を始めます。しかし5月も後半になると、ジューシーさが落ちてきますから、パサつくものがでてきますから、まさに今が、そのシーズンなわけです。私などとしては、どんどん味見をしていただいて、納得していただいて、購入してもらっています。これが、私などの甘夏の木です。4月23日時点のものです。すでに、ほとんど手が届く範囲のものは収穫を終えています。これからは、木に登って収穫しなければならないのですが、3月以来、毎週のように水曜日が雨模様となっています。木が濡れていると、登るとすべって危険になるので、なかなか収穫ははかどっていません。しかし、そろそろ木からすべての果実をおろさなければならない時期となります。この次に行った時には、そうした甘夏収穫の目途をたてる時となります。心配なのは、毎週重なってきている、週サイクルの雨の天候です。濡れていては収獲は出来ません、しかし収穫を終えなければならない時期となります。さぁ、どうなりますか。
2024年05月11日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」18 「自己意識は他在のなかでおのれのもとにある」ヘーゲルは弁証法を初めて意識化した人です。今回は、『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭には、8つの要点にまとめられています。マルクスは『経済学哲学手稿』のなかで、この箇所を取り上げています。「(六) 自己意識は外化した対象性をおのれの中に取りもどす、従って、その他在のなかでおのれのもとにある」(国民文庫 P220)この内容というのは、人がものを知るというのは、自己の意識を対象化することにより、その対象化したものを通してものごとを知ることができる、この点をとらえているわけですが。ヘーゲルが最終章「絶対知」でのべているのは、どのようにしてその対象性を克服して、自己のものに取り返すのか、です。「なんじゃ、これは? 」ですが、この内容というのは弁証法ですね。ものを規定し、つくりだす否定の弁証法、精神の運動ということですね。ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)、この初期の著作において、弁証法をはじめて明らかにしているんですね。その内容は、人間がはたらくことでつくりだしたものなんだけど、それが疎遠なかたちで対象化されてある。それを今度は人が取り返すという一般的な原理です。それは抽象的一般的にいえば「否定の否定」ということですが。ヘーゲルという人は、すごいですね。そして、それを批判したマルクスも、またすごい人ですね。マルクスは、当時26歳ですが、1844年『経済学・哲学手稿』において、その『精神現象学』の「絶対知」において、ヘーゲル弁証法を検討しているわけです。いったい弁証法の意識化は、人間にとってどの様な功績となるのか。また、それは私などにはわかりにくいものですが、そのわかりにくさにはどんな問題があるのか。そこから何を引き出したのか。マルクスは1845年の春に「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」のメモを残しています。これについてエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で指摘してますが、「新しい世界観の天才的な萌芽が記録されている最初の文書として、はかりしれないほど貴重なものである」このことに、つながっているわけです。私などは、今回、あらためて『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学」を通読したわけですが、これから、それをまとめることが求められているわけです。
2024年05月10日
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甘夏の収穫と草刈り5月のゴールデンウィークは、茶摘みと甘夏の収穫、一番の苦行は草刈りでした。まだまだ、一雨ごとに草は繁茂してきますから、その途中ですが。今年は、裏年の甘夏の木は、みかんの花がいっぱいです。まわりには花の香りが漂っています。今、甘夏の収穫が山場です。5月の甘夏は、「味がのってくる」と農家の人は言いますが、たいへん美味しくなるんですよ。それを5月中には収穫を終えようとしていて、木の高い位置についている実を、今、木に登っています。しかし、この時期の苦行は、なんと言っても草刈りです。これだけ広いと、草苅きをふりまわすだけでは、イタチごっこになるんです。援農の方が言ってました。「この間草刈りしたばかりなのに、・・・」と。今回から、根回りは除草剤を使って、雑草をおさえて肥料を撒くようにしました。そうしないと、地下には雑草の根が残っているので、雑草に肥料を撒くようなことになるからです。これは昨年の10月に、農家の方からのアドバイスによるものです。草刈り機をふりまわすだけでは、自然の力には、これだけ広いとかなわないんですね。今回も、30メートルくらい先で、キジが鳴いていました。キジは人なつこくて、作業をしているすぐ近くで鳴くんですね。メスに対して、その存在をアピールしているんでしょうが、農夫にとっては、人気のない畑で作業をしていると、一つの励ましの声として聞こえます。
2024年05月09日
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急きょの、お茶摘みこれは、5月5日(日)午前5時3分の富士山、小田原サービスエリアから見たものです。天気は五月晴れで、朝日が山頂を照らし出していました。本来なら、4月30日(火)-5月2日(木)のみかん作業を終えて、搬送してきたみかんなどの農産物を、3日(金)、4(土)の朝市での販売を済ませたところですから、ひと休みするところなんですが。携帯に援農者から連絡が入りました。『明日、5日(日)に畑作業に行くけど、何をしたらよいか?』と。これで、日ごろの過ごし方が、一変しました。5日(日)午前3時45分の八王子発で、小田原へ。臨時のお茶摘みに、もうひと頑張りするということです。今季のお茶摘みですが、JA久野工場の稼働が、5月1日から10日ですから。1日には雨の降りだす前に、朝の茶摘みをして、今季の依頼の一番のりの受付でしたが、JA久野の製茶加工を依頼してきていたんです。この時、やはり雨降る前の日に甘夏を収穫しておいたんで、それを東京に搬送して、4日(土)の多摩の団地での朝市をしたわけですから。もはや、ヘトヘトだったんです。援農者というのは、神様の声ですしかし、援農者が来てくれるとなると、そうなると、事情は変わります。天気予報をみると、5日の快晴のあとは、天気は下り坂です。そうなると、その後の、通常の作業時間であれば、7火-8水のバターンでしたから、その後の茶摘みについては、雨が降っては茶摘みは出来ません。ですから、お茶摘みはへとへとで、あきらめていたんです。ところが、その快晴の5月5日に援農が来てくれるとなれば、事態は変わります。これで、私などの行動は決まりです。前回の真鶴での茶摘みにつづいて、5月5日に、小田原の石垣山みかん園で、第二次のお茶摘みを実行するということでした。今が、小田原のお茶摘みの真っただ中小田原真みかん園には、畑の境界にお茶の木が植えられています。この5月のゴールデンウィークの頃が、その茶摘みの時期です。みかんの花の香りをかぎながら、茶摘み作業が行われています。「足柄茶」として、ブランド品になるんですね。JAは、期間限定で製茶工場を稼働させてくれます。そこへ私などもお茶摘みして、生茶をもっていき、製茶加工を依頼しているんです。ことしも、今が茶摘みの、その時だったんです。私なども励まされて、もうひと頑張りしました5月5日は快晴の「五月晴れ」、お茶摘み日和でした。「草刈りでくたびれた」なんてことは言ってられません。実際に、隣の畑の農家の方もお茶摘みを、せっせとしていました。私たちの方はというば、「一心二葉の手づみ」の原始的な手法ですが、これが昔ながらの茶摘みの手法です。茶葉としては、最高級品なんです。その代わり、手間が大変なんですが。結局、午前10時から11時半までかかつて、3人で生茶2キロを茶摘みしました。これを午後1時に製茶工場に出して、かわりに、前回依頼した生茶1キロを加工した製茶を受け取ってきました。生茶1キロは、製茶すると400グラムですね。農協の職員の方は、このわずかな量の袋を見つけ出すために、棚に並んだ大きな袋の間を、なんどもなんども探しまわってくれて、ようやくこの小さな袋を見つけ出してくれました。これは、久野工場が受付した生茶の、今季の依頼の一番乗りのものでしたが、しかし、それはもっとも少ない量のお茶の出来上がりでした。まわりの袋は、大きな袋ばかりだったんです。しかしですよ、今回2キロの生茶を出せたということは、数日後には、この倍の量のお茶が出来るということです。援農者も、その出来上がりを楽しみにしてくれています。先人の知恵です「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、摘めよ、摘め摘め摘まねばならぬ。摘まにゃ日本の茶にならぬ」この茶摘み歌ですが、この歌というのは、だいたいお茶摘みというのは、きわめて単純な作業のくりかえしですから、あきちゃうんです。その手摘みのくたびれちゃう作業を励ましてくれる、なんとも見事な、昔の人による応援の歌なんですね。これが日本の近代化を支えたくれたんですね。まさに、なんともすばらしい、宝の歌であり、貴重な仕事だったんですね。
2024年05月05日
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ゴールデンウィークのみかん園と朝市5月のゴーデンウィークは、みかんの花が咲き、茶摘みの時でもあります。5月2日(木)は五月晴れ、気がつけば、畑にはみかんの花が咲きだしていました。まったく歌心などとは無縁なんですが、この歌だけは聞き覚えがあります。 五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする (よみ人しらず)農夫にとっては、この時期は、花も香りなども、ついつい見逃しちゃうんです。この時期に一雨ふると、雑草の繁茂がすごいんです。援農に来てくれている人から、「ついこの前に、きれいに草刈りしたはずなのに、何だこりゃあ」5月2日にみかん畑に着いて、その様子について連絡がありました。当方とは、すれ違いでしたが。これは、当方が草刈りした畑ですが、ここもとんでもないことになっていました。当方は、午前10時半には、みかんを積んで帰京してきました。というのは、ゴールデンウィークには交通渋滞が、無茶苦茶にはげしくなるからです。混雑する前に帰京してきました。そして、みかんをとどけてから、5月4日(土)の朝は、団地の甘夏市でした。東京の団地ですが、ゴールデンウイークは、幹線道路の方は大渋滞していますが、団地内の方は、いつも以上に人影が少なくて、ガランとしていました。しかし、それでも朝市を楽しみにしてくれている人たちがいるんです。これは、買い物を終えて帰えっていくお二人です。タケノコとフキ、それと甘夏が、今回の産物でした。やれやれです。ようやく、これて私もひと休みができるわけです。そして、ひと休みした週明けには、ふたたび小田原・真鶴行きです。今は、草刈りと元肥の施肥、甘夏と日向夏の収穫などが待っていますから。
2024年05月04日
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三島大社と楽寿園みかん畑を私が手入れを出来るのは、遠距離農夫の私などには、週に一度の水曜日なんですが、ところが今年は3月から毎週ですが、雨がかかわっています。今回の5月1日(水)もまた、午前9時から雨が降り出しました。今は茶摘みの時期でして、なんとか雨の降りだす前に、午前8時から真鶴で1キロ茶摘みしたんですが、予報よりも早く雨が降り出したんで、茶摘みはストップし、午前9時5分に小田原のJAの製茶工場に製茶を委託しました。聞くところ、今年のJA久野の製茶工場は、5月1日から10日が受付とのこと。当方が持ち込んだたった1キロの茶葉でしたが、これ今季が第一番の受付の茶葉でした。わずかであっても、もったいないですから、ヤレヤレでした。この日は午前10時には雨が本降りとなりました。雨が降っては農家は、当然ですが、表での農作業は出来ません。そこで、急きょ頭を切り替えて、静岡県三島の三島大社に行くことにしました。これが三島大社の正門です。なぜ三島大社にでかけるかといえば、当方は、これから御殿場線の旅を計画しているんです。その旅の締めくくりが、この三島大社を予定していて、今回はその下調べだったんです。5月1日(水)の、午前11時半に早川を出て、午後3時半にもどってきましたから、4時間の行程でした。JR三島駅で、伊豆長岡鉄道に電車を乗り換えました。三島田町駅が、三島大社に一番近いというので。おどろきの三島散歩ところが初めてのようなこの旅でしたが、遠い昔の記憶ですが、それをフラッシュバックさせてくれました。これは、三島大社の本殿の、すぐ左にある鹿園です。これが、私などの記憶をフラッシュバックさせてくれました。ここは、初めてじゃなかったんです。「鹿せんべい」と、「メリーコーランド」それは私の60年以上も前のことですが、おそらく、それは七五三の時じゃなかったでしょうか。確かにそれらをみた記憶があるんです。鹿せんべい、メリーゴーランド、街中の川の流れ、ワサビ漬け、・・・。三島は、わたしの父の故郷なんです三島は、2000年に亡くなった父の故郷だったんです。思い当たります。60年以上前の小学校に上がる前後でしたが、私はここに来ていたんです。小生意気なガキは、それから今日まで、まったく記憶してなかったんですが。ここに来たことがある、だれに連れられてきたのか、だれが案内していたのか。それから今日まで、いっさい、すべて、そんなことは気にしなかったんですが。この「鹿せんべい」と「鹿」については、しっかりと覚えていたんです。これって、残酷なことじゃないかと、あらためて感じさせられました。三島大社の本殿ですここも、遠い昔ですが、たしかに来たような記憶が、うすら記憶が出てきたんです。私は、神奈川県の真鶴町岩の生まれですが、そこは、いわば、東京の西のはずれ、箱根山の裾野なんです。私などが、もの心ついた時から、すべてはみな認識は東の東京の方を向いていました。背中の西の方は、伊豆の丹那トンネルから西側の世界というのは、修学旅行で京都・奈良に行ったこと以外は、いっさい関心なしで視野になかったんです。同窓会で伊豆を案内するところが何年か前ですが、東京の学生時代のむかしの同窓生との関係で、伊豆の旅を案内することになったんです。その時に、あらためて、みずからの背なか方をしらべて、そこを案内することになったんです。そうしたところ、その時に、これまで見えてなかった世界が見えてきました。その時の旅は、伊豆山権現—熱海の温泉―丹那トンネル—中伊豆地震-蛭が小島(ここで「鶴瓶の家族で乾杯」収録との出会う)—伊豆の学識代官宅・反射炉-西伊豆の戸田・プチャーチンとの日ロ修好条約とタカアシガニの歓待と、目からうろこでの新たな発見があり、豊かな旅となりました。その旅の下見をした時でしたが、私のおぱあちゃんの出身は函南の舟山なんです。小さいころいったんですが、フナのいる池のあるうちでした。その家を確認したんです。さらに、父は原木新田の生まれでして、あらためてその家も、外から柿の木のある家を確認したんです。しかし、そんなことは、わたしだけの思い出であって、その時は、ただそれだけのことくらいの認識でしかなかったんです。関係する人たちはことごとく、あの世に行っちゃっていて、わたしの記憶だけの懐かしの世界でしかなかったんです。ただしかし、その下見した時に、すくなくとも、箱根山の裏側には、これまでの世界とは違った、ひろがね世界が、裏の背中の方の世界が、そこには富士山のすそ野の広ががり、豊かな文化も歴史もあって、箱根山の雲助とはちがう世界があることを感じたんです。もちろん、ほんの少しの感じでしたが、しかし確かにその素晴らしさを認識したんです。ちょうど、その時、NHKで『鎌倉殿』のドラマが放映されてました。伊豆の北条時政が舞台であり、願成就院も訪ねたんです。また、私の郷里の真鶴・岩村ですが、石橋山でやぶれた頼朝はそこから舟で千葉に逃げたんです。その下見と歴史ドラマが重なったんですね。その下見で、初めて「蛭が小島」の地を見たんですが、イメージの様子と違ったんです。島流しされたへき地と実際とは、まったく違っていたんです。富士山を望むひろい景色、豊かに広がる狩野川の平野のコメどころで、箱根の裾の雲助とはちがってました。しかも、なんとそこは、父の郷里の原木新田とは目と鼻の先、まったく直ぐ近くじゃないですか。父は、まったくそのこと語らなかった。だけど、そこに生まれて、自分の子どもにそこに引き合わそうとしていたんです。今思えば、ということですが。今回、あらためて感じましたそこは、私などの世界、箱根山のすその界隈の、いわば山の世界とは違って、じつにひらけた土地柄。家康だけでなく、多くの文人たちも住みたくなるような、雄大な富士山が広がり、豊かなコメどころの、自然豊かな土地柄じゃないですか。しかし、それでも、そのときは、「伊豆の旅、東も西も・・・」、ディスカバ-ジャパン、私などはその程度の認識だったんです。今回は、強力な三島でしたしかし今回は、もっと強力でした。一種のフラッシュバックのような体験でした。なんたって、「鹿せんべい」、「メリーコーランド」です。今回は雨に濡れて人影は少なかったんですが、しかし今現在、確かに存在していたんです。「夢幻の世界」という言葉がありますが、これは私にとって、はじめての世界ではなかったんです。三島大社の参道だって、その太鼓橋と巨木だって、初めて見るものではなかった。遠い記憶の世界ですが、それらは、たしかにどこかで見たような景色だったんですね。「おいおい、これはなんなんだ」今回、たまたま雨が降り、御殿場線の下見をしておこうということで出かけてくるまでは、まったく忘れていてところの世界でした。かつて小生意気なガキは、手を引かれてきて、これらに一度は感動したんですよ。だから記憶に残ってるんですが。しかし、それから次々に関心とする対象が、次から次へと他のことに移って行ったということでしょう。まったく、その当地に関する意識は、馬耳東風であり、猫に小判だったわけです。しかし今回みたら、どこかななつかしいものがわいてきて。昨日も今も、そこにはそんな世界が現実にのこっていること、たしかにかつて、わたしなどにそこを案内しようとしていた人たちがいたこと。そして、ほとんど風潮する人はまわりにはいないけれど、たしかにそれだけの宝がそこにはあること。当時は、ちっともその思いや、客観性は知らなかったんですが。いまにしてみると、その思いがとその宝が、多少ですが分かりますね。このギャップはじつに残酷なことですが。しかし、それはまた致し方ないことと、今にして思うしかありませんね。さらに、記憶のなせる業でしたが、歩いているうちに、駅前にかつてわさび漬けを大きなたるで、量り売りをしていたお店があった記憶がわいてきた。今回、そのあたりを、あえて確かめてみると、たしかにそのお店があったんです-カメ屋さん。「へーっ」と、おもわずそこで地酒「はなの舞」カップをかくほしした。帰りの車中、函南から丹那トンネルをくぐる5分間の車中で、記憶では、かつては12分くらいかかったと思うんですが、蒸気機関車の煙がはいらないように、窓を閉めろとして。しかし、今回は旅の終わりの5分でしたが、それスマホを相手にしている若者を前にして、かばんには懐かしの「わさび漬け」と「金山寺漬」も買いこんで、車中で、ひとり酒を楽しんだ次第です。すべてが、幻の世界ではない残念ながら、もはや、それらの事柄を語り合える人はいない。みな、あの世の人となってます。それを語り合えるのは、もはやごくごく限られた人でしかないわけですが。しかし、それでもいる。その希少価値をもつ人は1人2人は健在です。それを語り合おうとすると、言葉にならなくなるんですが、しかし、それは個人の生きてきた証でもありまして、じつにありがたいことです。今回の旅で、あらためて再認識しましたが、三島・静岡は、素晴らしいところです。そのことは、注意して見れば、昔も今も変わらないんですね。今回、たまたま三島駅で運賃を清算するために並んだんですが、その時に、前に外国人の夫婦がいました。なれない言葉で、「フェア、カントリー?」と聞いたところ、オーストラリアからきた、と夫婦のにこやかな返事がかえってきて、旦那のひげ(金髪のマルクスのようなひげだったんですが)は、すばらしいというと、にこやかになぜて笑ってました。よい旅となることを願った次第ですが、三島も今や、国際的になっているんですよ。問題は悪ガキですしかし、問題は、かつての、今の悪ガキの問題です。かつてわたしなどには、この三島の世界は、まったくの猫に小判だったんです。今にして思えば、かつて関係者は、いろいろな思いを発信していたんです。しかし、私などは、そのことごとくをそでにして、自分一人で、ここまで生きて来たと思ってたんですね。馬耳東風ということでした。今や、攻守そのところを、逆の立場となりました。いったい、この認識のギャップということを、いったいどうしたものか。日本の宝が、憲法にしても農業にしても、森羅万象いろいろなことが、粗末にされていっている。ここのところが問題です。私などは自分に対する慰めなんですが、思うんです。人として宝を分かちあえるということは、大切だし、ありがたいことです。亡くなってしまってからでは遅すぎる。今を生きている人たち同士が、その価値を分かち合えるというのは、それができるのは、なんとも幸いなことじゃないでしょうか。そうした人ができる関係というのは、しあわせということじゃないでしょうか。すでに語り合うべきおおく人たちは、あの世にいっちゃってます。のこされた俗世間は、道理のなかなか通らにい世の中となっています。すべては「パンタ・レイ」、帰らざる川です。そうであればこそ、今を生きている人の交歓が大切だ、とつくづくおもうようになりました。隣は何をする人ぞ、都会人は孤独だし、豊かな宝のみかん山を、放任化を余儀なくされるような事態を、よく目にします。しかし、先人の努力がつくってきた成果を、今を生きるものが捨てるのはもったいないじゃないですか。そこにつくりだしてきたすばらしい宝物を、かけがえのない幸せとして、確認したいですね。それをゴチャゴチャにしてすてている連中とは戦わざるを得ませんね。じつにもったいないことですから。弁証法とはこれです私は思うんですが、これって、ヘーゲルとマルクスの明らかにしている「弁証法」というやつですね。私などは、これらの点をもっと明らかにしなければ、もったいないとおもいます。人として、あんたは、なんのために生きてきたのか、これまで何を努力してきたのか。それらのことが、それぞれにとって、いま問われているということですね。その意味で、今回の雨は、それにより三島の旅を提供してくれましたが、このことは、わたしにとってたいへん貴重なプレゼントとなりました。
2024年05月02日
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八王子市の鹿島地域で懇談会がひらかれました 4月27日(土)に、3回目となる鹿島地域の懇談会が開かれました。この会には5名が参加しましたが、望月しょうへい市議もきてくれて、懇談しました。おたがいの自己紹介からはじまって、鹿島地域で暮らしている中で日ごろ感じている問題や要望などが交歓されました。八王子市議会の動きを望月市議が紹介望月市議は、「八王子市議団ニュース」を提供してくれて、1月の市長選挙後の八王子市政と議会の動きについて紹介がありました。この中で、望月市議は、「市民の要求運動と市議団の共同が、実際に八王子市政を動かしだしているのを実感する」と感想を語っていました。具体的には、学校給食の無償化、子どもたちへの医療費助成、学校体育館へのエアコン設置、補聴器の助成などの8つの政策で、市民要求の新たな前進がはじまっていること。これまで、これらの市民の切実な請願は、議会で自民・公明により、否決されつづけてきたけど、市長選挙後に新たな変化の兆しがでていることが紹介されました。 これに対して、参加者から、八王子市政の具体化や進捗状況について、質問や要望、問題点などが交歓されました。〇「学校給食はいつから実施されるのか? すすみだしたのは良いことけれど、以前に住んでいた都心区ではとっくの昔にすすんでおり、それに比べると今の八王子市政の動きというのは40年くらいも遅れているんじゃないか」〇「学校のエアコン設置率が14%というのは、いまもそうした状況か。いつころまでにエアコンは設置されるのか。応急対策として各校2基の気化式冷風機を設置すると聞くが、すべての学校につくのか。東京都のエアコン設置の助成は、その期限が切れたときくが、八王子にも適用されるのか」〇「補聴器の助成はどこまですすんでいるのか。私が購入するに25万円もかかったけど、助成の具体化は切実になっている。購入だけでなく、メンテナンスなどの負担もたいへんで、アフターサービスについても具体化してほしい」〇「八王子は面積が広くて市役所に行くにも交通不便だ。モノレールの運賃も高いし、これにはシルバーパスが使えない。都心の地下鉄などの利便に比べるとたいへん不便で、これは三多摩格差の典型じゃないか。モノレール沿線の各市とも連携して、都知事選もあることだし、東京都に対してシルバーパスの適用と運賃値下げを大きく要求してゆくべきだ」〇「『市議会だより』の議員発言には、どうして発言議員の名前と会派が掲載されてないのか、これでは発言に対して、賛否の意見を言おうにも、その向けどころがない。八王子市議会の民主主義が問われる問題じゃないか」などの意見が出されました。高すぎる八王子市の国民健康保険税とにかく八王子市の国民健康保険税が高すぎる。7年連続増税しており、多摩26市で一番高い税率となってしまった。子ども二人の4人家族の標準世帯では、年収400万円に対して、国保税だけで58万5千円もの負担になっている。「均等割り」というのは、収入のない赤ちゃんまでも負担させるというもので、これでは事実上「子どもをつくるな」ということで、少子化対策との言っていることとやっていることが逆行している。「どうして、『値上げをやめて』との当然な市民請願を、自民党と公明党市議は反対するのか?その理由がわからない」との質問も出されました。また、「八王子から出ている自民党前政調会長・文科大臣は、いったい何をしているのか、これにどういっているのか」との疑問意見もありました。 「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」鹿島・松が谷の地域の活性化対策についての質疑がありました。「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」の報告書が、行政も参加して出されたそうだけど、この報告書はインターネットでしか見られず、少数の関係者だけしか知られておらず、とくに八王子市の端にある鹿島では、ほとんどの市民には認識になっていない。子育て、買い物、高齢化、団地の老朽化、交通などへの対応など、鹿島地域を活性化していくには、住民参加の計画が求められており、この点でも改善が求められている。などなど、さまざまな意見が交わされました。 これからも引き続き懇談会をかさねることにしています。
2024年04月30日
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八王子市鹿島で地域懇談会八王子市鹿島で、4月27日(土)に、3回目となる鹿島地域の懇談会が開かれました。この会には地域の5名が参加、望月しょうへい市議も参加してくれて、懇談しました。最初に参加者から、それぞれの自己紹介とともに、日ごろの暮らしの中で感じている問題や要望などが紹介されました。八王子市議会の市政報告望月市議からは、「八王子市議団ニュース」をつかって、市長選挙後の八王子市政と議会の動きについて具体的な紹介がありました。この中で、望月市議は、「市民の要求運動と市議団の共同が、実際に八王子市政を動かしだしているのを実感する」との感想を語っていました。さらに、具体的に、学校給食の無償化、子どもたちへの医療費助成、学校体育館へのエアコン設置、補聴器の助成など、8つの政策での、この間の新たな前進的な動きがはじまっていると、その様子が報告されました。これに対して、参加者から、八王子市政の具体化の進捗状況や、要望や問題について、質疑と意見が交わされました。〇「学校給食はいつから実施されるのか? すすみだしたのは良いことけれど、以前に住んでいた都心区ではとっくの昔にすすんでいる。それに比べると八王子市政の動きというのは遅れている。40年くらいも遅れているんじゃないか」〇「学校のエアコン設置率の14%の現状というのは、いま現在もそうした事態か。いつころまでにエアコンは設置されるのか。応急対策として各校2基の気化式冷風機をすべて設置するというのは、エアコンのある学校にもつくのか。東京都のエアコン設置助成は、期限切れといわれていたけど、おくればせの八王子にも適用されるのか」〇「補聴器の助成はどこまですすんでいるのか。個人が購入するには25万円もかかるわけで、助成の具体化は切実になっている。購入だけでなく、メンテナンスなどの負担もたいへんで、アフターサービスについても具体化してほしい」〇「八王子は面積が広くて移動するのに交通がたいへん不便だ。モノレールの運賃も高いし、シルバーパスが使えない。都心の利便に比べると不便で、これは三多摩格差の典型じゃないか。モノレール沿線の各市とも連携して、都知事選もあることだし、東京都に対して適用と値下げを大きく要求してゆくべきだ」などなどの意見が出されました。高すぎる八王子市の国民健康保険税とにかく八王子市の国民健康保険税が高すぎる。7年連続増税しており、多摩26市で一番高い税率となってしまった。子ども二人の4人家族の標準世帯では、年収400万円に対して、国保税だけで58万5千円もの負担になっている。「均等割り」というのは、収入のない赤ちゃんまでも負担させるというもので、これでは「子どもをつくるな」としているわけで、少子化対策とも逆抗している。八王子市民にたいし、この国保税負担のひどさを、あらためて知らせて、市・都・国のそれぞれに改善させるように、声を大きくあげたい。また、「どうして、値上げをやめての当然な市民の請願に対して、自民党と公明党市議は反対するのか?その理由がわからない」、などの意見や質問が出されました。「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」また、鹿島・松が谷地域の活性化対策についての質疑がありました。行政も参加して「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」の報告が出されたそうだけど、その報告書はインターネットでしか見られず、少数の関係者だけの理解にとどまっており、とくに端にある鹿島では、ほとんどの市民に知られておらず、その認識になっていない。地域を活性化するには、この問題でも事態の改善をはかるべきだ。など、さまざまな懇談が交わされました。引き続き、これからも懇談会をかさねることにしています。
2024年04月27日
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4月23日の小池晃議員の質疑は国民の声私などは、小田原のみかん園を手入れしているみかん農夫ですが。4月23日(火)、参議院予算委員会で行われた共産党・小池晃議員の質疑ですが、これは国民の声です。雨が降り出す前に、農家はひと仕事を済ませておかなければ・・・、これは当然のことです。その時間に行われた国会中継ですが、労働者・農民・中小企業者は、仕事中で見ていられません。当方も、4月25日に、インターネット中継で、その後追いで確認させてもらいました。参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)これで4月23日の参議院予算中継の小池質疑を見ることが出来ます。私などは、小田原から帰って、先ずはたまっていた新聞を読むんです。これが、今回帰京して、一番にとびこんできた事柄でした。今回の機会をのぞいて、日本の政界の政治の裏金問題について、襟を正す機会はありません。政権政党が、その全派閥が、その資金をどうやって、みずからが定めたルールにも反して、裏金をどのように集めていたのか、それが今、白日の下にあきらかにされたんです。当事者たちは、建前と本音で、発言とは裏腹に逃げ回っていますが。もしもですよ、この事実が、「わたしとしては知らない」とのことで、いいかげんにお茶を濁わされたら、どうなるか。これからの日本の社会で、そうしたことが一般に承認されるということです。日本は、今、その岐路にあるということです。だれであってもよし、このけじめを、しっかりと政治に通さなければならない、そのことが、今現在において、日本の政治に問われていることです。小田原のみかんの草取りと施肥から帰って、ポストにたまっていた新聞に目を通して、いそぎこの間に起きていた事態を追跡しています。その一番は、4月23日(火)の、参議院予算委員会での共産党・小池晃議員の追及でした。この小池議員の質疑ですが、日本国民は、たとえその時々はどんなに忙しかったとしても、この予算委員会の中継録画ですが、そのやりとりを確認しておく必要があると思うんです。今を生きる日本国民にとって、今を知るうえで一見に値すると思ったんです。私などが、先ほどですが、その録画をみての、その受けとめについてです一つ、小池晃議員の質疑には、無駄なところがないということです。政治家というのは、その答弁というのは手練手管で、質問をはぐらかす名人なんですが、岸田首相は、これまでも、今も、そのさえたる答弁ぶりだったんですが。小池議員は、そのはぐらかしを許さないんですね。岸田首相のはぐらかしの手口も天才的で芸術的なものですが、たいがいの質問者は、そうした答弁に翻弄されてごまかされちゃうんですが。もはや、政府答弁のごまかしの手口は、いっさい通用しないというのが、今回の小池質問でした。そうした質疑でした。それをぜひ確認して欲しいんです。二つは、その質問のやりとりの検証です。予算委員会の委員は、さまざまな会派の方たちがいるわけですが。音と姿。小池質問に対する、画面に映っている人たちの、一つ一つの反応です。「そうだ!」という声は、ふつうなら録画には音声というのは入らないんですが、ハッキリと伝わってくるんです。この声を、是非確かめてみてほしいと思うんです。同時に、まわりの予算委員議員の人たちのボディーアクションです。多くの委員の人が「そうだ!!」との、ボディーアクションをしているんですね。このことは、小池議員の質問というのは、党派を超えて多くの議員の人たちの、共通な主張だということです。これは、「言い逃れはなど許せない、これまでの真実をはっきりさせろ」とのまさに国民の声です。このことは、今の日本の政治動向にかかわってます三、同時に大事なのは、その質問の中身です。1、「岸田首相には、自民党総裁として、自身もかかわる特別な責任がある」。岸田氏自身の派閥も、会計担当者が起訴されているのに、自身の派閥については担当者の知識の単純ミスなどとして済まそうとしているところに、真相究明の実際が問われている。2、関係者の証言から森元首相がキーパーソンであることは明らかだけど。「電話できいた」「内容は明らかにしない」「質問時間もいえないし、同席者もいない」、これじゃあ実際を明らかにされたとはとてもいえないのに、『森氏は関与してない』との岸田首相の言明ですが。これでは、かっこづくりの、ありばいづくりでしかなく、こんなことでは誰も国民は納得しないと。3、加えて、政治献金と、それとみあう補助金支給の現実の問題です。どうして、くらしを押しつぶす軍事費の大増強が押しつけられるのか、どうして,地震大国の日本、東日本大震災も回復してないのに、原発推進を強行するのか、今の自民党政治が、どうして国民の声などといえるのか。食料・農家をどうしてかえりみないのか。問題は、具体的で、近代の諸問題は、この一点につながりますす。とにかく、この4月23日参議院の予算委員会での小池晃質問ですが、今の政治の、本質的な問題が、ズバリと見て取れる質疑であったと、私などはそう思います。それが嘘か本当か、是非とも実際のこの質疑の様子をみてほしいと思います。
2024年04月26日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」17「自己意識の外化としての世界」、より道の2前回の発信ですが、マルクスはとどのつまりヘーゲルのどこを評価したのか?弁証法でした。しかし、それがもっている一面化の問題、そのための課題とは何か、ということでした。そもそもその弁証法とはなにか? この問題があります。この弁証法というものの理解の問題をめぐっても、いろいろな人が、その考えを、それこそ沢山の本になってだされています。私なども「ヘーゲル 歴史のなかの弁証法」として、冊子にしたんですが。さらに、今回の問題ですが。知人が前回の発信に対し感想を寄せてくれました。そのなかで、ヘーゲルの言っている「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、どういうことなのか?そのことを検討することと弁証法の問題とは、どのように関係しているのか?こんな問題がありました。ヘーゲルの表現というのは、私などの日常の言葉や文章からして、「なんじゃ、こりゃぁ???」となりがちなんですが。注意して読むと、私たちが日常に経験していることを、ヘーゲルはそれを哲学的に表現しているんですね。この場合も、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、ようするに私たちが見ている外界の世界というのは、私たちの意識がとらえ・つくりだしているものだということです。それはそうですが、なんでそんなことが、今ここで大きな問題になるのか?との問題が問題なんです。このことをめぐって、マルクスは9文節(第24文節から第32文節)もの論評と議論を展開しているわけです。「素朴実在論」ということがあります。古今東西の認識は、カントやヘーゲルが問題にするまでは、外界の世界とひとの意識とは一致していた。意識は外界そのものをとらえているとの普通人の常識です。ところが、そこに「それは本当だろうか?」とカントからヘーゲルにいたるドイツの古典哲学は問題提起をしてるんですね。ふつうでは、「どうだっていいだろう、そんなことは」と済まされているんですが。ヘーゲルは、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」との見方を提起しています。私たちの見ている世界は、私たち自身の意識こそがそのように見ているんだ、と。では、世界は私たちの意識でしかないのか。そうした主観主義の唯我論との考え方もありますが、ヘーゲルは人の認識することを問い、自然を問い、哲学や歴史、法律や芸術や宗教といった、あらゆる分野をさぐってますから、「それは私の意識です」といっても、実在の対象をとらえようとしていますから、自己のことだけを問題にするたんなる唯我論じゃないんです。でわなんなのか?そこが問題です。そもそもこの「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」が、それはどのような問題を検討する中で、そうしたことが問題になっているのか?ヘーゲルによれば、世界というのは人間の意識が対象としてつくりだしたもの、人がつくりだした世界というのは、自己の本質的意識とは違った、疎外されたものであり、個人の意識からしたらそれは疎遠な形である。理解しえないような、不本意な、巨大でなじみえないようなものとしてある。人はそのような形で世界をとらえている、ないしその姿をつくりだしている。それは個人にとっては、まぁたとえて言えば、私一人の力で車や時計をつくれといったようなものです。しかし人は歴史的な社会的力をもって、たしかにまわりの世界をつくりだしているとおもいます。弁証法の否定、規定はそれをつくりだしているわけですが、大事なところは、その疎遠なものというのはその人がつくりだしたものであり、同時にそのことは、その疎遠なものを人は自己のものとしてとりもどす面をもっている。この関係をヘーゲルは洞察しているんですね。そしてそれをマルクスは、偉大な業績として評価しているんですね。ヘーゲルもマルクスも言っています。「大事なことは、意識の対象を克服することであり、その運動なんだ」と。ヘーゲルは『精神現象学』で、その「序論」でもかさねて、実体というのは主体だと強調しています。「真なるものを実体としてではなく、同時に主体として把促し、表現することである」対象という実体は、人がつくりだしたものであり、それは取り戻せる、疎外された状態にあるのを回復することができる、「大事なことは、意識の対象を克服することだ」と。と強調しているわけです。そのことは、人間がつくりだしたものは、疎外された形にあるわけですが、それはその疎外された形を回復していく運動でもあると。なにか一種の精神論のように聞こえなくもないのですが、そうじゃなくてそれが弁証法の運動なんだ、と言っているわけです。そして、その一般性をヘーゲルは、ヘーゲル流に、『精神現象学』『歴史哲学』『法の哲学』『エンチクロペディー』などとして、個々にその論証を試みているんです。それを学んだマルクスとしては、「それは素晴らしい努力なんだけど、だけど、そのヘーゲル流のやり方(弁証法)には、一面的な誤りがある。人間の世界のあゆみについてもしかり」とみてとっていて、そのヘーゲル流の弁証法にはどこに一面性の誤りがあるのか、問題があるのか。その点を検討しているのが、今回のマルクスの『1844年の経済学哲学手稿』なんですね。ここでの探究というのは、そうした関係の中にあるわけです。したがって、一見すると素人の私などには、「抽象的で、どうでもよいようなことを、ゴタゴタと検討している」ように見えるんですが、そこには大事な大きな問題があるわけです。そのことは、疎外された今日の人間社会ですが、一般的、抽象的にみて、そこにも「いって、こい」「つくりだし、それを変えるとの弁証法がはたらいているわけで。そうした関係を解きほごして、疎外を克服することで、対象性をとりもどすことが出来る、そんな一般的な洞察が、ここにはあるというんです。それはあくまで一般的なレベルでのことですが、私などはそのように理解しています。しかし、これは過程としてあるわけですから、努力としてあり、運動としてあるわけです。ですから、安易に手軽な名著(真理)をなにか一冊読みさえすれば、すべてのことがわかるといった、そんなことじゃないんですね。このヘーゲルやマルクスの詮索していることの中身というのは、そうした内容をもっていると、私などは考えます。それは人類の大きな知的な成果であり、遺産だと思っています。今回も、やぶの中で捜査の道を見失わないようにとのことで、幕間での一つの整理であり、感想でした。
2024年04月26日
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御殿場線の旅東海道本線は、丹那トンネルが出来るまでは、御殿場線を通る道が本線だったことは知っていたんですが。その新東海道線が当たり前になっていて、御殿場線は知識の上だけでしか、知りませんでした。知人が山北に住んでいたので、わたしも50年前に国府津から山北までは行ったことがあるはずなんですが。遠い、昔の一度だけだったんで、まったく記憶がなかったんです。今回、「御殿場線を旅してみたい」とのリクエストがあって、小田原方面の関係者としては、案内するには下見しておく必要があったんです。今回、4月24日でしたが、天気予報どうり、朝から雨だったんで。畑仕事は出来きなかったんで、この機会に御殿場線を旅してみることにしました。午前9時10分国府津発の10時41分沼津着の1時間半の旅でしたが。これは沼津の駅前に、鉄道の歴史の記録として置かれていたものです。丹那トンネルが出来るまでは、丹沢から箱根・伊豆の山道をう回する線路だったんですね。国府津駅で客車の前後を蒸気機関車がはさむようにして、山道をこえていたんだそうです。この蒸気機関車が、引いたり、おしたりと活躍していたんだそうです。そういえば、昔は丹那トンネルの長いトンネルを通るときに、蒸気機関車のけむりがはいるから、窓を閉めるようにと、注意されたのを思い出しました。今は、旧東海道本線の御殿場線も単線となってます。1時間に1本くらいしかダイヤはありません、車両も2両とか3両なんですが、しかし立派に、いまでも活躍しています。インターネットの「御殿場線」をみたんですが、これが参考になりました。その昔の幹線のあとが、今にどう残っているのか、教えてもらったんですが。御殿場線は、特急列車もはしる東海道本線の大動脈だったんです。峠道を前後の蒸気機関車を助っ人にして、「なんだ坂、こんな坂」と、ぐんぐん押し上げていたんです。それにより西と東の日本を一つにつないでいたんです。赤字だ黒字だなんていう、損得の問題じゃなかったんです。その苦労した面影が、ポリシーが、御殿場線には、今にかんぜんな形で残っているんですね。ものみな、もうからないものは切りすてて、廃線にしちゃえ、といった今の風潮の中で、どっこい、旧東海道本線・御殿場線は、規模は縮小されたとしても、しっかりと残されているんです。これって、貴重な日本の近代史の歴史遺産だと思います。電車が、単線の勾配のある山道を登っていくなかで、そう感じました。御殿場からは世界が変りますそれと、もう一つ感じたことがあるんですが。御殿場を過ぎると世界が開ける。そして、沼津という街を再認識しました。同時に静岡県の全体が、歴史的な、人情的にもそういう存在なんでしょうが。第一印象はとっつきにくいけど、あたたかいおもてなしの心があるんです。確かかどうかは、まだ材料に乏しいんですが、間違いないと思います。それは私などの、遠い昔の記憶でもあるんですが。しかしいまの交通は、JR東日本と東海です。15両連結の電車が、三両連結の電車になっちゃうんですが、ひとつづきではなく、乗り換え時間待ちも必要で、しかも1時間に1本とか2本になっちゃうんですが。しかし、それはうつせみの世界です。そんなことで、人は変わりません。おそらく、それは徳川時代からつちかわれている文化といったもがあるとおもいます。街並みも、自然も、素晴らしい、一つの空間ですね。私などは、真鶴生まれなんですが。これまでは、自然と世界は東京に、東の方に向いてたんです。背中の側にあった伊豆とか、静岡の方面は、ほとんどまったく知らなかったんです。箱根を境にして東西の世界が違う、漱石の『坊ちゃん』でしたか、そんな話がありましたが。私なども、知らず知らずに、実際にそうなっていたんです。しかし、今回の御殿場線の旅で、関東の端に生まれた私でしたが、すぐ隣の世界をもっと知らなければ、井の中の蛙だったと、感じさせられました。いろいろな記憶がよみがえってくるんです。箱根山の向こう側には、素晴らしい世界が広がっていたんです。しかし、そこからの情報はなかなか伝わってこなかったもので。日本中が東京の方を向いていたような風潮にもあったんで。確かに意識してみれば、そことの交流は昔からあったんですが。しかし私などの意識はそれに疎かったんです。時流に流されたとの感じもするんですが。しかし、とにかく今回の沼津港での海鮮丼は、最高でした。以前に西伊豆の戸田でも感じたんですが、人に対するおもてなしですね。せこい観光ずれした一弦商売とは違うんです。これが暖かさの底流ですね。それと、この日は天気が雨だったんで、富士山の姿はまったく見えなかったんですが、御殿場線の「富士岡」「裾野」などの駅の名からして、おそらく、ほんらいなら富士山の絶景も見えるところじゃないかと、雲を見ながら、雲の彼方の富士山を想像しました。きっと富士山が見えたら、最高ですよ。今回のこの御殿場線の旅でしたが。私などは、すぐ隣に生まれ育ってきたのに、ちっとも意識しなかったけど、そんな世界が、すぐとなりにあったんですね。知らないというのは、まったくもったいないことでしたが、しかしまだ遅くはない。この土地柄と風土は、そんな大切なものがあると感じました。これまで、小田原のみかん園を紹介してきたんですが、機会をつくって、それと同じように、この方面の魅力も紹介すべきだ、と感じて。また一つ、新たな世界が、山の向こうにある魅力を開いてみせてくれました。
2024年04月25日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」16 「自己意識が外化したものとしての世界」についていよいよマルクスのヘーゲルの『精神現象学』「絶対知」の論点に対する批判にはいります。ここからが問題ですが、ここで、道に迷わないよう歩いてきた道を確認します。一、これまでの考察をまとめてみると、ヘーゲル哲学の功績ですが、それは否定(することは、規定すること、うみだすこと)の弁証法をとらえたこと。それは、結果的な事実というのは、運動として、過程の成果としてある。しかしそれは、類的なもの(社会的な総労働)によっているわけで、個々の人には疎外された(疎遠なもの)としてある。自己も一員となってつくりだしているこの疎遠なもの全体をとりもどす。ヘーゲルは『精神現象学』の中でこうした思想(世界観)を打ち出した。しかし、そうしたヘーゲルの弁証法の成果を確認した時、そこには一面性の誤りがふくまれている。それを分析してゆがみを正すことで、弁証法を正確な姿にたてなおす必要がある。この歴史的な宿題があるというのがマルクスの課題認識です。その問題の中心的内容は、すでに、これまで学習してきたなかで提起されてます。二、今、ここで問題にしていることですがそうした結論をみちびき出しきた過程、すなわちマルクスが具体的に探究・検討した過程についてです。その成果とゆがみは『精神現象学』の提起の中に、とくに「絶対知」章の表現に典型的にでているとのことです。2つの点をとくに検討しています。1、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」(第24文節 全集P499)2、「対象の外在化と対象性を揚棄して、自分のうちにとりもどしている。すなわち他在のもとにおいて自身のもとにある」(第33文節 全集P502)わたしなどは「なんじゃ、こりゃぁ???」ですが。マルクスは、この二つのヘーゲルの見解について、とことん検討しています。そのことから、ヘーゲルの「ゆがみ」を正せたようです。まぁ、私などは、これからその検討をさぐろうとしているわけですが。三、これまで学習の回をかさねてきて、わたしなどが感じることですが。1、この「ヘーゲル弁証法批判」を検討にあたって、依然として達磨大師ですが、しかしポツポツとまわりある努力が見えてきています。しかし、人というのは謎の言葉が提起されると、自己流にそれを「解釈」したり、中身について自己流に「考案」しようとしがちですね。わからないとは言えないし、自分は理解しているんだとの自尊心もかかわっているようですが。そんな様子を感じます。まぁ、わたしなどは素人ですから、無知というのは当たり前で、すべては白紙の様なものですから、自分で理解できるところと、理解できないところを、なるべく確認するようにすることをもって、それで良しとしたいと思ってます。2、こうした問題を探究するのは、日々の諸々は忙しくて、仲間もなく、疎遠になりがちだと感じることもなくはないんですが。なにしろ、ヘーゲルは1831年に、マルクスは1883年に亡くなっていますから、今から150年から200年も以前の哲人たちの議論・探究です。日本では江戸時代末期から明治の日清戦争の頃でのことでして、とにかくむかしのことです。また、今日の現行憲法のもとで、「平和」を建前としつつ軍備の大増強に突っ走る、国民が主権者のはずなのに歪んだ政治によりおしつぶされている。選挙じゃないけど、木が沈んで石が浮かぶような、日々に世知辛くも、無茶苦茶な事態に直面させられているわけで、なんとも歯がゆい事態わけですが。しかしこの探究も、古今東西そのどこかで、こうした問題を正す力をつくることに、どこかでつながっていると思います。わたしとしては、周りの世界に注意を払いつつも、ここをすすめるということです。今回は、幕間の休憩でした。
2024年04月23日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」15 新たな地平を刻んでます1844年に、24-5歳のプロイセン(ドイツ)の若ものが、ヘーゲル哲学と格闘した。そして『法の哲学』を、そして『精神現象学』の最終章「絶対知」を吟味せざるを得なかった。それらがヘーゲル『法哲学』の国法論批判であり、この『経済学哲学手稿』でした。今から200年近くの時をさかのぼる努力ですが、私などは「なんじゃそりゃぁ」などとおもいつつ、学んでいます。一、文章の基軸の理解が大切だと思うようになりました以前に読んだとき、マルクスはヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」章のたった1ページを、8つのパートに分けて、なおかつ二項と六項の、たった二つの項を徹底して吟味しているのに驚かされました。『精神現象学』は大部なものです。しかし、そのたった一ページの問題を検討しているかのように見えたんです。しかし、今回、思うんです。それは叙述の関係であり、問題とするところをもっともよく示している箇所だったからであり、やはりその基礎には、『精神現象学』とその「絶対知」の章についての全体的な検討があると。その基礎があるからこそ、この8つの項を批判できるんですね。なぜ、マルクスはこのようなややこしい難書に挑戦したのか。それは、マルクスが唯物弁証法と唯物論的歴史観を発見し、それをまとめようとした努力の記録だったとおもいます。1845年にフランスから国外追放されたことで、出版する契約までしていたのに、草稿のままお蔵入りとなり、90年の時を経て1932年にソ連ではじめて刊行されました。マルクスは、このヘーゲル哲学、その『精神現象学』の「絶対知」について、この難書を正面に、三重にわたって説明しています。(この論文に、文節ごとに通しナンバーをつけてみました。問題となる個所をはっきりさせるためですが。私なりには全体で64の文節ありました)一つは、「ヘーゲルにおける二つの誤り」、第12文節ですが。おもうに、これはマルクスの結論を端的にまとめた叙述だと思います。二つ目は、「あらかじめ次のことだけは言っておこう」(第16文節)の箇所と、それと問題の「その要点は」(第17・18文節)です。この二か所で書いているのは、同じことかとおもいます。これからヘーゲルの叙述を検討していくうえで、あらかじめヘーゲルの叙述で、何が問題なのか、どこに問題があるのか、難儀している人に対して、それを理解しやすくするために、「あらかじめ」頭をならそうとして、いろいろな角度から、予備的にその中身を紹介しているものとおもわれます。その上で、問題とされるのは『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭のところです。そのものを8つの項に区切って、マルクスは確認しています。第22文節ですが。「絶対値」の章からたった1ページですが、それを8つの項に区切ってを抜粋しているわけです。「その要点は」(第17・18文節)それ以前の二つの箇所というのは、その本論を理解しやすくするために、「序論」的なものとして、いわば思考トレーニングをしているといった性格の部分なんですね。そのうえで、具体的な検討に入っていくわけです。したがって、その事前の案内部分ですが、ちょっと読むと「藪から棒」の託宣的に述べているよう聞こえもするわけでして。理解するのに苦労させられる。いったいどのように解釈したらよいのか。いろいろな人が、それぞれ自己流の解釈をしているところでもあります。私などが思うのには、マルクスのあらかじめの説明ですから、そこだけで完全な理解が出来るといったような性格のものではないわけでして。その後の本論部分に具体的な検討があるわけです。その関係が、あまたの解説者たちが、完全な理解を示そうとして、苦労させられているように思われます。その結果、その人流の恣意的な、というか勝手な「解釈」をもって、説明してきた。そのために、いっそう混迷するような状況があるように思われます。いくら解説書を読んでも、ますますわからなくなるのは、そんな原因も関係してるんじゃないでしょうか。したがって、結論です。この序論的な部分については、そうした議論の組み立て、性格を理解しておくことが大切で、マルクスとしては「ある程度のことを理解したら、その先にすすむように、その先に問題の検討や解明があるよ」といっているんじゃないかと思います。実際に、マルクス自身が言っていることを紹介します。「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを(この後に行われる)『現象学』の結びの章(絶対知)のところでくわしく示してみせるだろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係もまたこれらの両者およぞ両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれている」と。(第15文節 ME全集第40巻 P196)一から十まで、完ぺきな理解を求めているわけではないんです。二、「貫徹された自然主義、ヒューマニズム」の謎が解ける私などには、これまでなぞの一節があったんです。少し先になりますが、第26文節です。「ここにわれわれは、貫徹された自然主義、あるいは貫徹されたヒューマニズムがいかに観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるかをみる。同時にまた我々は、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」(P500)わかりますか、この意味が。わたしなどは、なんじゃこれは??? これまでずーと謎だったんです。苦し紛れに、あれこれと考案しようとしていたんですが。今回、蛍光灯のように、頭がひらめきました。もちろん前後の文章にそのヒントがあるわけですが。同時に、自分流に仮説を立ててみることにしました。ということで、これは、あくまで私などの仮説なんですが。一つは、「貫徹された自然主義」ということですが。ヘーゲルは対象というのは自己意識の外化したものとみています。人間の意識から独立した対象的存在というものを見ようとしていません。あくまでそれは人間の意識がつくっている。その点からしたら世界というのは意識がつくっているものでして、ようするに唯心論なんですね。この意識の外側の世界を認めようとしない。自然というものの人間からの、自己意識からの独立性を認めていないわけです。そこのところに自然に対する不徹底さがあるわけで、貫徹されない自然主義があるわけです。マルクスとしては、人の意識の外側にある自然の存在そのものをみとめている、ようするにそれは唯物論なんですが、そこに自然主義の徹底した姿があることを指摘しているものと読みました。もう一つ、「貫徹されたヒューマニズム」とは何なのか? この問題です。ヒューマニズムというのは人間を、その尊厳を大切にする立場ですよね。それがマルクスによって、ここで突然に『ヒューマニズム』なる言葉が出てきた。どうしてなのか?どの様な意味なのか?どうしてここでてきたのか?ここには説明はありませんから、 なぞでした。そもそもヒューマニズムというのは、ルネサンスの人間復興や、モンテーニュやラブレーといった人が思い浮かびます。「われおもう、ゆえにわれあり」、人間の尊厳を近代の入り口で確認した言葉です。それがどうして、ここにでてくるのか? ここからは私などの仮説ですが。私などが想像するのに、「神は人間がつくりだしたもので、あくまで人間こそが主人公である」、これはフォイエルバッハが『キリスト教の本質』や『将来の哲学の根本命題』で強調している根本的な立場であり、考え方ですね。このことが、中世から近代へのヨーロッパで、ルネサンス、啓蒙思想などなかで、ここに大きなテーマがあった。神を中心とする考え方から、人間を中心とする立場への大きな転換です。マルクスは、この唯物論の立場にこそ人間中心のヒューマニズムの精神がある、そのことを指摘しているんじゃないでしょうか。さらにもう一つあります。これまで、精神ということの尊厳、精神の能動的な役割、理想的な精神をもとめる、などということは観念論の世界の中で探究されてきた。それはカントの理性の批判、ヘーゲルの情熱や自由論、これらはいずれも観念論のなかで大事なテーマとして鍛えられてきた。これにたいして18世紀の唯物論やフォイエルバッハの唯物論は、これに対してどのように問題が取り上げられ、検討されてきたのか。これはこれで大問題です。根源性の問題だけでなく、精神の果たす役割の問題です。唯物論にも色々な特徴があるけれど、それまでの唯物論には機械論的な特徴がみられ、それをもっと発展させなければならない。ようするに、「観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるか」ということですが。それがしめしているのは、新たな能動的な、精神の活動の尊厳をも生かした唯物論というものを、弁証法的な唯物論が課題となっている。マルクスはそのことを強調したかったんじゃないでしょうか。それでは、唯物論的な弁証法というものを、その可能性をどの様に現実的な切りひらくのか、この探究課題が問題になっているんじゃないでしょうか。さらに、もう一つあります。これは「同時にまたわれわれは、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」-この言葉が意味することですが。これもまた、私などの推測ですが。ヘーゲルは「歴史哲学」にみるように自由の発展ということを洞察していました。しかし、その事実の根拠はどこにあるのか。ヘーゲルは精神の自由への発展という精神が確信でした。しかしその大勢の流れは正しいとしても、いったいその根拠はなんなのか?この問題ですね。意識はそれ自体から解きほごせれるものではなくて、そうした意識を規定するものがある。これですね。これは世界史のすすみゆきに対して、その自由な精神というものを規定するところの問題がある。ようするに、それが唯物論の立場、唯物的な歴史観を洞察し、探究することだったんですね。私などはそのようにとらえてみました。これらは、あくまで、私などの推測ですが。これから、本論となる「絶対知」の具体的な検討に入っていくわけですが。おそらく、そうした事柄が、これから出てくるんじゃないかと、わたしなどは期待している次第です。今回は、ちょっと先走っていますが、しかしそれは、大事なことだとおもうので、紹介させていただきました。もしも誰か、このことを解説されている人や、そうした文章があったら、紹介してほしいのですが。今回は、以上です。参考文献、『ヘーゲル「精神現象学」入門』(加藤尚武編 有斐閣選書 1983年刊行)
2024年04月19日
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小田原の魅力とは何か、みかん園の再生活動新緑が目立ちだすころというのは、雑草が繁茂しだす時でもあります。毎週、東京・八王子から小田原のみかん園に通って、手入れをしています。自然の力というのは、すごいですから、ヘトヘトにさせられてます。縁あって、この小田原のみかん園での活動ですが。その魅力は何なのか、ヘトヘトになると、ついついそんなことはどこかに消えてしまいます。「もう、ヘトヘトで、嫌になっちゃうよ」ついつい愚痴っぽくなりがちですが、その魅力を考えてみました。というのは、そこに暮らしていると、ついついその魅力が当たり前になって、日々のくらしの苦労もあって、その宝が忘れがちになっているんですね。それで、あらためてまとめてみました。小田原の魅力は何か。第一は、相模湾を一望できる、その景観のすばらしさです。この写真は、去年の5月15日のものですが。第二は、その歴史です。日本の歴史に、少なくとも二つ。一つは鎌倉幕府の頼朝の旗揚げ古戦場であり、二つは秀吉の全国統一のための小田原攻め。ともに石橋山の古戦場、小田原城と石垣山の一夜城の跡が残っているんですね。第三はみかんと梅です。都会のすぐ近くに乱開発が規制されて、大自然のみかん畑がひろがっている。「みかんの花が咲いている」、この唱歌はこの地でつくられたんです。そして曽我の梅林。第四は、海鮮料理です。相模湾の豊かな漁場が美味しい海鮮料理を提供してくれる。時とともに魚種は変わっても、新鮮で、多彩な地魚です。蒲鉾や塩辛も。第五は、温泉です。箱根の玄関であり、箱根七湯の多彩な泉質を楽しめますし、箱根山には自然の癒しがあるんです。第六は、交通の便のよさです。東京から片路2時間くらいと利便がよくて、日帰りもできます。また、東京の消費者にたいして、美味しいみかんを届けれるわけです。第七は、人情のよさです。これは人それぞれにいろいろに個性がありますが。私などは感じるんです、一見気難しそうな一国一城のあるじの農家の人たちですが、知り合うとよい人たちばかりなんです。第八は、芸術文化です。「文学資料館」がありますが、さまざまな政治家も文化人たちも、交歓の歴史があります。数日前に、音楽家のホームコンサートを聞けたんですが、文化の輪があるということです。あくせく働いていると、ついつい忘れがちですが、こうした社会背景の中で、明日をひらくために努力をしていると、70歳は、まだ若手のうちでして、80歳・90歳代で、ますます生き生きと健康にくらしている人もおられるんです。その共同の輪になっているんです、当人たちが気づいているかどうかは知りませんが。もちろん、今の社会ですから、世知辛く、愚かな事態も多々あるわけです。かつてのみかん畑の30パーセントが、今、耕作放棄地になっているわけで、せっかくのみかんでも、姿かたちが劣ると、美味しいミカンが捨てられている。また、若ものや子弟たちが、今の農家では、とてもやっていけないわけですから、農業の苦労は、ほとんど高齢者の肩にかかっている。まともな社会的な支援というのは、私などが体験する限り、ほとんど働いてないんですね。屁理屈ばかりで、かっこだけつけている事態です。こうして、明と暗、こもごもですが。そうであればこそ、私などにもできうることで、その魅力を引き出せるように、「石垣山みかん園を再生させる」活動として、努力、協力していくということです。
2024年04月19日
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みかん園の草刈り行き4月16日から18日まで、小田原・早川のみかん園の手入れに行ってきました。これが、その苦労の結果を示す全景です。陽気も暖かくなり、みかんの木への元肥を撒く時なんですが。肥料を撒くためには、みかんの木の根回りの雑草をおさえなければなりません。小木であれば、半径1メートルくらいを草取りすることで済むんですが。というのも、絨毯のように雑草の根が地表を覆っています。いくら地面の表面を草刈りしても、雑草の根がカーペットのように覆っていますから、それでは、雑草に肥料を与えるようなものなんです。大きなみかんの木ともなると、草取りは除草剤を使って対処するしかないんですね。右側の木は樹冠の下の雑草が抑えられています、これは園主さんが手入れをしたいるものですが、左側の木の方は、樹冠の下を春草がすっかり覆っています。これが当方の手入れをしている木です。当方は、これまで草刈り機でこの草を刈って、その後に施肥してきていたんですが、みかんの木の葉の色が黄色っぽいでしょう。これは肥料不足が原因でして、木が悲鳴を上げているんです。肥料はそれなりに撒いてはいたんですよ。しかし草取りが甘かったために、せっかくの肥料がみかんの根には届いていなかったんですね。1-2年が過ぎたら、ご覧の通りです。それまでたわわにみかんの実をつけていた巨木でしたが、1-2年を経るなかで、完全にみかんの林は消失してしまいました。「畑の様子を見るたびに、おれはがっかりしちゃうよ」園主さんが、私の手入れにたいして嘆いています。「草取りが甘いから、せっかくの肥料が、みかんの根に届いていないんだよ」「除草剤をうまく使わないと、草刈り機だけでは、これだけの広さともなると無理だ」と。私のポリシーとして、なるべく除草剤を使わずに、草刈りをしてきたんですが。みかんの林を、そのために、たった2年くらいで消失させてしまいました。長年、丹精込めて育ててきた園主さんでしたから、肩を落とすのも当たり前なんです。それで、当方としても、昨年の10月から方針を変更しました。除草剤も活用するようにして、施肥する前に、雑草の根をたたくこと。草刈り機をふりまわすだけでは、100本以上のみかんの木を維持することはできないと。これが、この2年くらいみかんの手入れの結果なんですね。体力のぎりぎりの限界にまで挑戦して、草刈り作業をしたんですが、それでも多数の成木を枯らしてしまった。園主さんが二世代にわたってそだててきた40年生の木でしたが、それを消失させてしまったわけでして。枯らしてしまったみかんの成木をきって、その枯れた木々を集めて、今回も野焼き処分している次第です。残念ですが、手痛いことで、大事な経験であり、反省です。
2024年04月18日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」14 ヘーゲル弁証法の成果と課題今回は、前回と重なる部分もありますが、ヘーゲル哲学を、『精神現象学』、『エンチクロペディー』と、全体を一べつしての成果(弁証法)と問題点です。一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について(第14文節)二、しかし、ヘーゲル哲学には一面性がある、さしあたり明らかな点(第16文節)一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について第14文節ですが、マルクスはヘーゲル哲学の最終成果として弁証法にあると指摘しています。そのヘーゲル弁証法とはなにか?マルクスが初めて意識的な解明に挑戦しているわけです。「運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」-これがマルクスのここでの規定です。(もちろん人により、また同じ人でも場合により、弁証法にはいろいろな規定の仕方があると思うんです。その中身をどうつかむかは、それぞれが探っていくべき課題ですが。)マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価です。「ここにあるヘーゲル(弁証法)の第一のすばらしさは、人間が自分自身の産出を、結果としてだけでなく、一つの過程としてとらえたこと。対象化することを、対象性をなくすこととしてとらえたこと、言い換えれば、外化を外化の止揚としてとらえたこと。(結果をとらえるだけでなく、それをつくられつつある過程として、運動としてとらえている。ものをつくる、対象化することは、それを実現すると対象というものはなくなると。また、対象としてあったものが働きかけにより、自分のうちにとりもどされる、と)第二に、それは、労働の本質をとらえており、人間自身というものを自分の労働の成果としてあるものだとらえている点にあること。第三に、人間は類的な(社会的な)存在であり、それに対する一人の人の能動的なかかわりについて。人間は類的な(歴史的な総労働の)存在として、まわりにかかわるし、その成果を享受する。ただし、その類的なことは一人の人からしたら疎外された形においてのみ可能になっている。」(この類的な人間と一人の人について、前回、私なりの理解として、このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者といった関係になっているけれど、これは自身も一因になってつくりだした関係であるわけでして、その疎遠になっているつながりを、個人がとりもどすことが大事になっており、それは疎外されてる人間の、疎外から自身を回復するということであり、類的な人間全体を、しがない個人がつかみかえし・とりもどすということだ、と紹介しておきました。)以上が、第14文節です。マルクスがとらえたヘーゲル弁証法についての「終極的成果」です。同時に、マルクスが問題とするのは、そこには「一面性と誤り」がふくまれているということ。この検討が、次の第15文節以降の内容ですが、じつに、このことが全体の中心的な問題になっているわけです。二、ヘーゲル哲学にある一面性、さしあたり明らかな点つぎは、ヘーゲル哲学の全体を通して、特徴となっている「一面性」の問題です。まずマルクスは、ヘーゲルが人間の労働の本質をとらえていること、それは「当世の国民経済学者たちの立場にたっている」と、これを高く評価しています。人は労働することにより対象物・生産物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説ですが、人の労働により、人間社会の富がつくられている。これとヘーゲルは共通する労働観の認識にあると評価しているわけです。しかし、問題はそこからです。そのヘーゲルの労働観には一面的な点があると、マルクスは問題点を指摘しています。その問題点の指摘です。第一は、労働の肯定的な面のみを見て、否定面をみていないこと。マルクスは、ヘーゲルの場合は労働ということを、人をまるごと外化したものととらえているわけで、そこにある問題点を見ない。それもまた国民経済学に共通する立場ですが。『経済学哲学手稿』の第一手稿には「疎外された労働」の探究があります。その背景には「ライン新聞」に掲載した「森林窃盗取締法に関する討論」や「モーゼル通信員の弁護」など、農民の労働状況についての体験があるわけです。第二は、ヘーゲルはまた抽象的な精神的な労働しかみてない。外在化のあらわれについてそれら哲学に・学問としてとらえることこそを労働の内容としてとらえている。第三に、先行する哲学のすべてを、行為として、そしてヘーゲル自身の哲学の契機をなすものとしてとらえるから、ヘーゲル哲学こそが最高の総括的な絶対的な存在ということになっちゃう。以上が第16文節ですが。マルクスは、ヘーゲル哲学の全体を一瞥して、その全体からみてとれる労働の一面化について、さしあたってこの三点の問題を指摘しているわけです。しかしこれは「ヘーゲル哲学」の全体から見てとれる特徴でして、このあとマルクスは、『精神現象学』の「絶対知」の章について、その冒頭の箇所を具体的に検討することで、本格的に問題点を探っていきます。ここからが本題です。しかし、それはまた次回とします。
2024年04月15日
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学校給食の無償化へ八王子市も動く本日、共産党の八王子市議団ニュース(3月29日 第11)が届きました。八王子市は、今年の1月21日に市長選挙があったんですが。このチラシは、選挙では敗れはしたものの、八王子の新たな息吹を感じさせてくれます。そのタイトルは「市民の願いが市政を動かす―学校給食の無償化を市長が約束」です。これまで、市民の無償化を求める請願は、くり返し否決されてきたんです。しかし、市長選挙に際しては、これまで反対してきた自民・公明の市長候補でも、この学校給食の無償化を掲げざるを得なかったんですね。これまで、八王子市というのは、市民のくりかえしの願いに対して、かたくなに、冷たくも、否決しつづけてきたんです。自民・公明が市議会40議席の過半数をしめてますから、市民の声など聴く耳がなかったんですね。頑迷さの象徴のような八王子でしたが、それが動かざるを得なかったんですね。市長選挙の結果は、50万都市の八王子で6000票の差で、もう一歩のところで与野党が逆転する状況をつくったんです。小池都知事まで最終盤には、自民・公明の応援に、なりふり構わずやってきたんです。まあ、それはとにかく。八王子市民が、あらためて自ら置かれている状況に、保守系の人たちも含めてですよ、「今の状況は、何とかしなければだめだ」と動きだしたということです。確かに部分的には市民要求に改善もあもるですが、しかし大勢はこれまでと変わってないんです。市議団ニュースの裏面です。国民健康保険税は7年連続の値上げしてますが、これからもさらに上げようとしています。おそらくこれは、全ての東京都の区市町村の自治体で最悪の事態じゃないでしょうか。公けに発表されているデーターですが。八王子市は、子ども二人の夫婦の4人家族で、年収400万円の標準家庭で、今年、新たに46,800円も負担が引き上げられて、年間の負担が、58万5000円になるそうです。考えられますか、国保税だけで、58万円も支払わなければならないなんて。教育費もあるでしょうし、家賃もあるでしょうし、当然食費もあるじゃないですか。しかし、市民の請願は、否決です。八王子市というのは、萩生田・前自民党政調会長の地元です。自民党政治が、そのおひざ元の市政でも幅を利かせているわけです。くらしや福祉はそっちのけで、市バスにはシルバーパスが使えない。その路線は駅につなごうとしない。市民サービスをどんどん削ってるんですね。他方では、国は軍事費ですが、同じように市ではジャカジャカと無駄遣いにふりむけてます。国民無視・市民無視の村政治がおこなわれているということです。私などは八王子市が遠く感じていたんですが、それは私自身の側の問題だけではなく、こうした市民に背を向けた八王子市政の議会や行政の側にも原因があることが見えてきました。しかし、そのひどい事態ですが、それがここにきて市民の目に具体的に見えてきたんですね。八王子市長選挙の結果がそれを示している。それが今、進行中の八王子市の事態だと思います。もう一つあります、東京都もひどいんです。「東京民報」4月7日付 第2324号 からですが。3月26日の予算特別委員会ですが、共産党・立憲民主党の都議の質問にたいして、「速記録から削除せよ」との動議が、自民党・都民ファースト、公明党から出され、それが、多数で可決されたというんです。共産党都議は、朝鮮学校だけに東京都の補助金が出されてないのは問題で改善せよ、との質問。立憲民主党都議は、小池都知事がみずからに批判的な質問にたいしては、答弁に立とうとしない点を問題とした質問とのこと。もしもこれが事実であるなら、言論の場であるはずの議会ですが、気に入らない質問については議事録から削除せよ、などということが現実に行われた。事実であれば、政治的民主主義をわきまえない、とんでもない多数の勝手な事態が、東京都議会においてもおきているということです。国の方もひどいけれど、日ごろ情報の少ない東京都や八王子市についても、そこに目をむけなければ、そこでもとんでもないことがまかり通りかねない。今の日本の社会では、そんな事態があちこちで進行しているということです。
2024年04月13日
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4月前半のみかん園の手入れ小田原のみかん園ですが、4月9日にその畑の手入れに行ってきました。今回、初めてですが、イノシシの親との出会いがありました。4月9日(火)は天候は雨でしから、10日(水)の早朝にみかん園を見回った時のこと。当方としては、この間に出た枯れ木を野焼きして始末する課題があったんです。これがその模様ですが。昨夜までは雨模様でしたから、草木の湿り気が野焼きが出来るかどうかを確かめに来たんですが。午前6時20分ですから、まだあたりには人の気配はなかったんです。すると、なにやら動き逃げていくものがいました。イノシシです。これは初めての遭遇だったんですが。この野焼きをしている場所にいて、そこからとんで逃げていったんです。これまで、イノシシの動いたあと、その痕跡はいくらでもあったんですが、その子どもの「うりぼう」は見たことがあったんですが、その親の姿を、その実物を見たのは初めてでした。1メートルくらいの大きさでしたが、30センチくらいの、まるまると太ってました。それがウサギのように飛び跳ねるようにして、奥の林の方に消えていきました。それこそ、あっという間のできごとでしたが。いま全国の農地でイノシシの加害が問題になっています。小田原でも野菜はもちろん、みかん畑も、畑を鉄柵で囲わなければ、ほとんどの作物が、イノシシのえさとなってしまいます。しかし、それは、一面では農家の高齢化もあり、人の畑の管理力が落ちているためでもあります。耕作放棄のみかん畑は原野となり、イノシシのねぐらになっている。それが広がっているわけです。人と猪との、一進一退の綱引き、攻防戦が行われているわけです。その一コマでした。さて、本題の、みかん畑の手入れですが畑にある切り枝を野焼きして片付けること。そして、暖かくなって繁茂しだした雑草の草取りをして、その後に元肥を施肥する。これが、いますすめていることです。みかん園の手入れは、春分の日を過ぎて暖かくなった今は、雑草の繁茂と競争している日々です。これは、数年前に山林化していた元みかん園だったところを再開拓した場所です。イノシシの住家になってましたから。その開拓したあと畑に、みかんの苗木を25本植えました。「石垣山みかん園を再生させる」活動です。私のところでも、少なくとも4名の方たちが、共同してくれています。農家の方たちだけでは、手の回らなくなったみかん畑を、何とか維持しようとの「援農」です。雑草の繁茂がはじまりだしている今、その雑草のみかんの木の回りの草取りをして、その後に元肥の施肥をしているわけです。これが、みかん畑の手入れの基本中の基本です。しかし、みかんの木が100本くらいになると、なかなか手が回らないんです。この根回りの草刈り施肥の基礎作業ですが、植えたばかりの小さな苗木や小木についてはこのように、1本1本の手入れは完ぺきなんですが、それでも木の本数が多いわけで、仮に50本あったとして、1本を処理するには30分とすると、25時間かかる。くたびれてくると効率は落ちてきますから、単純な時間計算では片付きません。この草取りをしっかりしないと、みかんの木の栄養補給の元肥を撒くことができないんです。しかし問題は、みかんの木の大きくなった成木に関してです。これだけ大きくなると、地べたをはっての草取りは、簡単にはいかないんです。施肥をする前に草取りをしておかないと、そうしないといくら肥料を撒いても、それは雑草にたいして肥料を与えるようなことになりますから、より雑草が繁茂するわけです。せっかく肥料をまいても肝心のみかんの木にはゆかずに、みかんの木は枯れだしていたんです。緑の草むらは、みかんの木の枯れたあとです。昨年の10月に、みかん園の園主さんから注意がありました。「あんたの草刈りは甘い。それじゃぁ雑草に肥料をやっているようなもので、木に届かず、木がどんどん枯れてっている。まかせたんだけど、がっかりしちゃうよ。これだけ広い畑を、草刈り機をふりまわすだけではダメだ、不可能だ。草刈りを徹底するには、うまく除草剤も使わないと、全体を手入れするのは不可能だと」。それで、私なども昨年の10月からですが、除草剤の使用を試しだしたんです。さらに一昨日、園主さんより注意がありました。「あんたは広い面ばかり除草剤を使っているが、肝腎な樹冠下が散布されていない。大事なのは肥料を撒く前提として、その箇所にこそ除草剤の散布が必要なんだ」と。私などは、木の周辺を除草剤できれいにして、樹冠下はカマで草取りするつもりでしたが、実際には、100本余りのたくさんの木にたいして、カマで草刈りすることは不可能だったんですね。「肥料を撒くために、草を枯らしてるんだから、まっさきにそこの除草剤散布をしなければだめだ。着手すべき箇所についての手順が違う。通路なんて人の行き来で自然に抑えれるから後でもよいんだ」とのアドバイスでした。これは、小木の草取りだけでヘトヘトになってしまっていて、巨木をまえにしては、その作業の大変さからたじろいじゃって、結局手が回っていなかったんですね。このために、巨木が疲弊してしまい、次々と枯らしてしまった。この木の枯れ込みをみていてのアドバイスなわけでした。「それだ! それだったのか」と、蛍光灯の頭にもスイッチがはいりました。ほんらいなら、早々に荷物をまとめて、帰京する日だったんですが。この問題を知った以上、それは次回への先送りするわけにはいきません。そこで、この日は予定を変更して、除草剤散布です。朝から5ラウンドもの、樹冠下にたいする除草剤の散布をおこないました。これは晴れ間が続く時ににしかできない作業です。私がみかん園で作業できる日も、時間もつ、限られてますから、まさに「今日」という日の、帰途につく前の午前が勝負のがタイミングだったんです。それで、すでにへとへとに疲れた体ではありましたが、もうひと頑張りしたわけです。はたして、その効果のほどはどうか、しばらくたつと、2週間の時間がたつと、その結果が見えてきます。すくなくとも、みかん農家がこの時期に努力していることの一端が、今回新たに一つ分かったわけです。その効果のほどは、この後2-3週間の時間がたたないとわからないんですが。とにかく、これまでは、体がくたびれ切ってしまい、手当てができていなかった領域です。みかんの木の手入れにとって、この半日間の苦労でしてが、これはこれまでとは違った、新たなみかんの木の手入れの大事な前進になると、私などは思っています。
2024年04月11日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」(その13) 何が問題で、ヒントはなにかここでマルクスが検討の対象としているヘーゲルの『精神現象学』ですが。哲学者の故・真下信一氏ですが、昭和の初めのころ京都での学生時代に、教授から聞いたそうです。「古今東西、哲学の書は数えきれないほどたくさんあるが、そのなかの三大難書の一つがヘーゲルの『精神現象学』だ」、と。(『時代に生きる思想』新日本新書 P194)その道の大家の人たちが苦労した古典の大作です。ですから私などが、すんなりとすすみっこないし、発信しても無反応なこと、それはグズグズ言っても仕方がないんですね。泣き言はおいて、とにかくすすんでゆくということです。それと、今回から、この学習の主題に関連して、入手できた本や論文ですが紹介させていただきます。今回から問題になるヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」です。一、そもそも、なにが問題なのかマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、今回は13回目です。いよいよ「本論」に入っていきます。テキストは「マルクス・エンゲルス」全集の第40巻に掲載の『経済学哲学手稿』(真下信一氏訳)を中心につかっていますが、P490から512の33ページ分、その各文節に通しナンバーをつけると第1文節から64文節となります。なんで今ごろ、そんなことを学習発信しているのか、何が問題なのか、ですが。私などが思うのに、この内容は、マルクスはヘーゲルの弁証法をどの様にとらえたのか、それをどの様に批判したのかですが。ようするに唯物弁証法です。混迷する今の社会にあって、なかなかままならなく、混迷することがいろいろ目につく現代社会ですが。私などはその中を73年生きてきて、この社会にあっては、とくに基本的な姿勢が大切だと感じるようになってきているんですね。まぁ、一般的な方法論、生きる姿勢の問題として、それがこの哲学の唯物弁証法なんですが。しかし、それは、このヘーゲルやマルクスの著作をちょっと開くとわかるかと思いますが、そうそう簡単に理解することはできないんです。私などは、そこに現代を生きる人たちにとって、生きていく上で役立つ基本があると思ってるんですが、しかし、なかなかそれを周りの人たちにうまく伝えれない、このもどかしさがあるんです。それで、このブログ発信をしている次第です。二、今回は、本論に入るにあたっての見取り図です前回、マルクスがヘーゲル哲学の一番の業績として弁証法の発見にあると指摘したのを紹介しました。それは一つの結論でした。全体の中で、それはどういうことなのか、問われています。そもそもその弁証法ってなに?ヘーゲルの弁証法を批判したって、どのように?マルクスが新たにつくりだした「唯物弁証法」って何なの?マルクスといえば唯物論的歴史観の確立者とされるけれど、それは何で、唯物弁証法とどのように関係しているの? マルクスといえば『共産党宣言』だけど、共産主義って何? マルクスといえは『資本論』の著者だけど、それとどうつながるの?つぎつぎと問題はつながるんですが。しかし、ここでは、問題は限定されます。『経済学哲学手稿』の「本論」の筋書きについてこれまでは、トンネルの先も周りも見えない中ですすんできましたが。今回は、当たってるかどうかは分かりませんが、一つの仮説です。今回、マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の全体を大まかに区分してみました。1、序論にあたる部分を学習してきました。第1文節-14文節。 ア、ヘーゲル哲学の大流行の中で、その基本に対する無自覚 イ、フォイエルバッハが、そのなかでヘーゲル批判に果たした唯物論の貢献、しかし課題が。 ウ、ヘーゲル哲学の全体からの批判-疎外を思想としてしかとらえず、克服も知ることだった。 エ、その問題をかかえつつも、ヘーゲルの最大の貢献は初めて弁証法をとらえたことだ、と。以上が、前回まで学習してきた流れでした。これからは、今後の学習への予告です。これからのことについては、私などはまだよく読めていませんから、あくまで仮説です。私などは、前回の2012年にこれを一度学習してます、これはそれによるものです。2、あらかじめのマルクスのアドバイス(第15-16文節)「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを『現象学』の結びの章(絶対的知)のところでくわしく示してみせるであろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係も、またこれら両者のおよび両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれているのである」(P496 第15文節)そして、あらかじめの指摘。(第16節)これはマルクスの確固とした評言ですが、これはこれからの「本論」を検討した後によるものでして、だからこそくだせる私たちへのアドバイスです。3、『精神現象学』の「絶対知」の要点。(第17-21文節)4、その「絶対知」から、ヘーゲルの8つの論点。(第22文節)これが『精神現象学』の問題とされる箇所です。冒頭のたった1ページなんですが。マルクスはそのことから、そのことを問題にしているんです。集中力、意識性を示していますが、マルクスの学習の仕方もそこには見てとれると思います。5、その検討1、「自己意識の外化が物性を措定する」(第23-32文節)6、その検討2、「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33-46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的な諸契機。(第47文節以降)以上が、見通しです。勝手ながら立ててみました。とにかくこれがないと、先の見えないトンネルになりかねませんから。これから、これを念頭にして本論にすすんでいきます。最後に、参考文献ですが。1、「経済学批判の方法を探るマルクス」(長久理嗣著 『経済』2022年2月号)2、レジメと、「誤解されたヘーゲル」(岩佐茂著『精神の哲学者ヘーゲル』創風社2003年刊)3、「共産主義の運動をつうじて社会主義へ」(細谷昴著 『経済学・哲学草稿』有斐閣新書1980年刊)
2024年04月07日
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