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2014年11月19日
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ディーツゲン「論理学に関する手紙・第七の手紙」を読む

(1828 1888) の「論理学に関する手紙」 ( 小松摂郎訳 岩波文庫 ) は、全部で 8 通ありますが、今回は「第 7 の手紙」です。
この「第 7 の手紙」は、最後の部分で要点をかさねて強調しています。それは以前の手紙にも係わっていると思います。

一、〔言語学の位置づけ〕言語学と諸々の国語との関係を述べていますが、これは哲学と他の諸科学の関係でもあります。
言語学のなかには論理学がなければ解決しない困難な問題がある。言語のはじめと終わりに関する問題は、すぐれて論理学的な問題で、人間の頭脳にも一般的な光をもたらす、と。

「言語の起源の問題」は、固定した完成されたものではなく、流れだと。
また「言語は関連」するもので、悟性や知性の流動し、生成し発展に関連している。言語の連関は世界の思想的連関を示すし、頭脳の働きを明確にする事例を示してくれる。

二、〔テーマ〕言語は精神と同様に天のように高く上がる。 ( 評判や社会的影響を与える )
( 4,5 の手紙 ) 確かめたように 、「言語は存在し、一般的な無限な存在に関与していること」を確かめる必要がある。

1 、全一には一つの名前を与えるのが必然だ。それは、すべてのものは無限に多様であるとともに、無限に一者であるから。

2 、事物の名前は、水面の様に環をつくる。すべて事物は、最終的に存在又は全一の環に包括する。

3 、世界の全体が一つの質料からなるとの統一から、空想家は言葉のはじめも終わりもない同一にしてしまう。それは事柄の説明も、理解も、表現もできない『言葉の粥』の様なものにしてしまう。

三、 ( ここからが積極的見解です。訳されたものを勝手に意訳してみました )
言葉は、一つの事物に対する「古いジャケツ」 ( 5 の手紙 ) のようなもの。対象とする事物を拡大すれば、彼の洞察 ( 精神・知識のジャケツも ) も拡大する。ところが人が「度外れ」に限りなく ( 適正な範囲を越えて ) 事物を踏み越えると、事物の限界 ( 環の始まりと終わり ) が一層明確になる。 ( ジャケツは体に合わなくなり、着れなくなる )
例えば、言語は全一に対して一つの名前を必要とするが、しかし全一を特殊化するためには ( 細かく広げるには ) 無限に多くの名前を必要とする。言語がその存在の一部分であろうとする限り、この部分は制限されなければならない。その際、人間の自由というものをこの部分について注意を払うならば、自由に限界を定めなければならない。単語は単に空虚な言葉ではなく、世界に対する部分の、宇宙の波の環に対する名前である。言語、というより言語に連関する精神が、無限なものを言語によって制限しようとする。言語を使うのは、多少ともそれを意識せずに本能的にそうしているが、科学は言葉の妥当な範囲を意識的に精密に している。
たとえば、一般的に馬がもつ力と、物理学で力の単位とされる馬力の関係。
歴史の教訓は、世界の事物は、はじめも終わりもない流れであり、精神も言語も事物に関連している。そしてお互いに流れ去る波 ( ) である。

四、最後に、これまで述べてきてきた点を、かさねて再確認しています。

1 、私の論理学とその対象である思想は、世界の、すなわち無限の世界の諸部分である。各部分は無限者の一片であり、無限者の断片でもある。各断片は全体の無限の性質に関与している。
2
、存在の多様性全体は矛盾なしに一つの性質のものである。そしてこの一つの性質が分かれて多様な形態になる。世界は連関しており、この連関は分割されている。
 言語について、精神について、世界のすべての部分について、認識されるべきことは人間の頭脳 ( 思考 ) による普遍的 ( 一般的で、共通な ) な解明である。
4
、人は農業科学の知識が無くても農産物を栽培しているように、論理学の講義を聞かなくても、論理的に考えている。人は温度の高温や低温を研究し明らかにすることが出来ていなくても寒暖計を発明できたように、数多くの事物をある範囲では精密に区別することが出来た。

しかし、はじめと終わりや、体と精神、真理と誤謬などの、もっとも抽象的な区別をするためには、その解明をするためには、知性の連関に関する論理的解明を必要としている。
   以上です。






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Last updated  2014年11月19日 00時17分26秒
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