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ケンタロー (la joie de vivre)さんKeyword Search
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夏目漱石の講演「現代日本の開化」を読みました
「現代日本の開化」は、夏目漱石が
1911
年
(
明治
44
年
)8
月に和歌山でおこなった講演です。
岩波文庫の『漱石文明論集』の最初に出てきますが、今回これを読みました。
今回の第24回参議院選挙ですが、7月11日の朝に、その結果が確定しました。
この結果を見て、この講演を紹介したくなりました。
素晴らしいんですよ、この講演は。
あらためて、夏目漱石という人の大きさを認識させられたような気がしています。
もちろん近代文学の古典的存在です。
明治
44
年という時点でのことですが、この講演でこんなことを語っています。
「我々のやっていることは、内発的ではなく、外発的である。一言でいえば、現代日本の開化は、皮相上滑りの開花であることに帰着する。」
もちろん、この部分だけ取りだしただけでは、いったい何を言っているのかさっぱりわからないと思いますが。
この作品集を手にするきっかけとなったのは、ある憲法論の中で夏目漱石の講演が紹介されていたことによるものでした。
そこで、今の憲法の基本になっている「個人」ということについて。明治の人が「個人」ということを理解する上で、当時の社会や道徳、家族の中で、葛藤することを余儀なくされた。漱石の講演の中にもそれが出ているとの紹介でした。もっともそれは「私の個人主義」について言われたことでしたが。当方は、それはまだ読めてないんですが。
(
樋口陽一『いま、「憲法改正」をどう考えるか』
(
岩波書店
2013
年
5
月刊
))
この「現代日本の開化」を読んで、感じさせられたことですが。
一、この講演は、夏目漱石の生の話を聞いているような、そんな感じが伝わってくる。生きた呼吸づかいが感じられるような、そうした語り口調を記録した文章なんですよ。
その一節からです。
「西洋の新しい説などを生かじりにしてホラを吹くのは論外として、本当に自分が研さんして新しい説にすすんで、少しも流行を追うこともなく、ことさらに新しさを求める虚栄心もなく、まったく自然の順序段階を内発的に経て、しかも西洋人が百年もかかってようやく到達した分野の先端に、われわれが維新後四、五十年の教育の力で達したと仮定する。
体力能力ともに旺盛な西洋人が百年の歳月を費やしたものを、どんなに先駆の困難を勘定に入れなかったとしても、わずかその半ばに足りない歳月ではっきり確かに通過し終わるとしたら、私たちはこの驚くべき知識の収穫を誇ることが出来ると同時に、失敗して立ち上がれない神経衰弱にかかって、息もたえだえとして道ばたで悩み苦しんでいるのは必然の結果としてまさにおこるべき現象でしょう。」「それをピンピンしている方がおかしいし、噓つきではないか」と。 ( P 35 - 36)
これは、漱石の問題意識を示した個所と思います。
すこし勝手ながら、表現をちょっとですが、変えているんですが。
やはり、むかしの作品ですから。
二、漱石が当時の日本社会について語ったんですね。
明治
44
年という時点に立ってのことですが、当時の日本国民が抱えていた問題を、自分自身の体験を通して、確かに分かりやすく配慮して、語りかけた。それを文章に表現しているんですね。
「そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与えうるかというと、ちょっと変なものになります」
(
P
28)
人びとがどのような社会的存在
(
時代状況
)におかれているか。それが
精神生活に どの様な
意識を生じさせているか。この点をとらえて、講演しているんですね。それにより人々は、無意識な日常の中でもやもやしていた事柄を、はっきりした意識的なものとして感じ出しているんですね。そうした様子が、その場の人々の様子が伝わってくるようです。
ここには、二つの要素があることを感じています。
一つは、開化の進展は人々の悩みを減らすものではないこと。確かに物質的な前進はあるんですよ、それは間違いなし。しかしそれでも、むしろそれゆえ人々は苦労を大きくしている。その様子を漱石はとらえています。これは想像ですが、きっと漱石はルソーの『人間不平等起原論』を念頭にしていると思いますよ。考え方が重なっているんです。
もう一つですが、漱石は唯物史観の考え方を知識として持ってたと思いますよ。ここで社会的存在の状況が、人々の意識にどんな形を強いるようになっているか、その悩める様子を様々に描いています。存在が意識に反映することを語っているわけです。漠然としたものではありません。
三、私なりに、この講演を読んでの感想です。
いま私たちが直面していることですが、憲法を守るか捨てるかの問題ですが。これは、まったくの目新しくぶつかった問題ではありません。これまでも歴史的に脈々とぶつかってきた事柄なんですね。歴史の中に、その問題が含まれているということです。
戦後の日本国憲法にしても、鈴木安蔵著「新憲法の成立」
(
『昭和の戦後史』汐文社
1976
年刊行
)
などを読むと、現在の憲法問題がつくりだされる過程で、すでに現行憲法を制定する時にも、形こそ違っても、鋭い対立があったんですね。ただし、当時は、「戦前の状態に帰えりたい」なんてトンチンカンなことは、まったくの問題外でしたが。
時は70年がすぎて来て、今やそれが、現在の内閣総理大臣の思想なんですから。
きっぱりと片付けるべき、歴史的な宿題なんですね。
さらに、「個人」というこの問題があります。
日本国憲法第十三条「すべての国民は、個人として尊重される。・・・」ですが、今回自民党の「日本国憲法改正草案」では「人」にかえられてます。ここにある問題です。
私などにも、ここで「個人」と「人」とでは、どう違うのか。はっきりしてないんですね。
選挙の中では、憲法問題をまったく避けたり、誤魔化かそうとして本質的でないことをペラペラしゃべくりまわる政治家の面々は問題外ですが。
大事なことは、今ある憲法に、それにふさわしい精神・魂を、私たち自身がつくりだしていくことだと思います。この点で、
夏目漱石が抱えた葛藤に、この『個人』の問題が絡んでいそうなんですね。この解明です。
それと、漱石があの時代に感じていたジレンマの問題ですが、この講演の結論として「内発的に変化していくのがよかろうと言うしか外に仕方がない」(P38)と言っていますが、これは時代を前にすすめていくための彼のアドバイスですね。これも今の私たちの努力にもしっかりとつながっている問題だと思います。
この講演は短いものですから、まだお読みでない方は、是非手元にして読んでみてください。
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