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ケンタロー (la joie de vivre)さんKeyword Search
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私の「歴史認識の空白」感について
ひとつのきっかけは、戦後の日本文学とそこでの論争についての無知でした。
そこには、戦前の民主文学の継承の問題があり、戦争責任論などがありました。
1950年生れの私は、文学作品とそこでの議論を、ほとんど知らなかったんですね。
より大きく、根本的には、2015年9月の戦争法の強行採決です。
どうして現行の憲法の下で、憲法を基礎とするはずの政府と国会が、自衛隊の海外での軍事行動を国民の反対を拒否して、強引にすすめているのか。
憲法の平和主義を基礎としてきたはずの国民意志は、なぜに総理大臣によって否定されるのか。
こうした政治が目の前で展開されているとき、私たち国民はそれに対しどう対処すべきなのか。
それらは、日本の政治というものを、近代の歴史について、
あらためて学びかえす必要性を感じさせられていたんです。
そうした材料の一つが、マルクス著『フランスにおける階級闘争』であり、
不破哲三著『古典教室』第三巻での、それへの注釈でした。
不破さんの解説は、「1895年エンゲルスの序文」についてですが、
私は、同時に本体、フランスの政治過程と、それに対する見方も大事だと感じています。
それは、明治憲法の特質、そして日本国憲法への社会の発展について。
憲法が誕生し、それが新しい憲法に、社会が変わったということについて。
憲法の変化には
政治の変化があり、その基底には経済関係の変化があることについて。
この学習が、先の「歴史認識の空白」を埋める作業であるんですね。
こうした社会の変化を学ぶには、今という時は、大変良い機会なんですね。それは、私など、戦後世代がおっている歴史的な課題なんですね。
最近、国会の演説で「でんでん」が問題になりました。
普通分らないことがあれば、他の人に聞くと思いますが、「云々(うんぬん)」を『でんでん』と読んでしまった。まったく当人は違和感を感ぜず自然に、その台本通りに演説したつもりだったということです。これは、総理大臣が官僚の作文に頼り切って、国会答弁は役者が台本を読んでいるだけの実際がさらけ出されたわけで、閣僚は官僚に乗っかって政治をすすめているとの政治の実態が示されたわけです。たんに学識不足の不見識をあざわらうだけではすまされないわけです。
安倍政権は、その方針は、台本書きしている官僚組織が背後で一体となって運営しているんですね。 「政治を変える」ということが、どういうことなのか、その全体がかいま見えたことでもありました。国家の官僚組織が戦後政治の実際を、閣僚をもとにすすめている、その全体を
民主党政権の崩壊の一面は、国策を変えようとの政策を、ごくごく一部分ですが、もった内閣が、国家の官僚組織に抵抗され、ねじふせられた面もなくはなかったのではないでしょうか。
政治を変えるということは、もちろん議院内閣制では、国会議員の多数派が、共同の政策で国会に議席を持つことですが。新しい内閣を誕生させるということは、国民的なレベルでの共同が、社会の表に現れなければならないということです。
日本の近代史では、今だもって、そういう経験をしたことがないんですね。
それらが教えてくれているのは、重複しますが、
日本の戦後政治の特質を学ぶこと、それとともに、近代の日本政治の特質についても学ぶことが必要です。これまで、国民を主人公という運動はあっても、そうした政治は、国民は未だ経験したことが、歴史にはないわけです。
あらためて、よくよく学ぶことが必要になっているわけです。
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