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2017年08月13日
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石工先祖碑の碑文が分かりました

真鶴のみかん園のすぐ近くにある「石工先祖碑」です。お墓の形をしてますが、それもありますが、石工の顕彰碑です。

https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201508130001/

今は住宅地のすぐ脇にありますが、
私などの小さい頃は人家などない、けもの道のわきの少し奥まったところにありました。
なぜか、大人たちは「ご先祖さん」と敬意をこめてよんでいました。
子どものころいたずらで、台によじ登ろうとするんですが、
登ろうとしても高くて登れない、巨大な石の塔だったんです。
これが何で「ご先祖さん」なのか、わたしにとっては謎だったんですが。

最近、町の教育委員会から碑文の読み下し分をおくっていただきました。これで謎が解けました。

私などの勝手な憶測ですが、教育制度が整えられるまでは、
お寺の坊さんですが、その社会的な位置は大変に高かったと思われます。
この碑文も、お坊さんが書いているんですね。

それによると、徳川家康は江戸城をつくるのに、黒田長政の力を借りていたんですね。
はるばる九州の石工の棟梁たちが、真鶴町岩まで出向して切り出したんですね。
この一帯には多くの石切り場があったようですし、今でもありますが、
その石材業の歴史を、今に伝えてくれる貴重な石碑です。

私などは、たまたま近所だったことで石碑を知っていたわけですが、
謎として、その存在を知っていたわけですが。
形あるものは、ほとんどが壊されて、消えてなくなっていきます。
そうした歴史のなかで、この石碑が、今に残っているということは、
これを大事に守り、手入れをしてきた人たちがいたということなんですね。
いや、いまでも、草刈りなどをしている人がいるということですね。

これは幕末に再建された石碑ですが、
そのものが今に伝えられているというのは、貴重なものだし、すごいですね。
やはり、真鶴は、漁業と石材業、そしてみかんが骨格だったんですね。






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Last updated  2017年08月13日 08時29分05秒
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