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民法を身近にしてくれた『一茶』 ( 藤沢周平 )
去年の今ごろでしたが、藤沢周平著『一茶』を読みました。
これは、学生時代の同窓会で山形県鶴岡を旅したことがきっかけだったんですが。
その時の感想を発信していました。
https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201608220000/
これを読み返してかんじていることですが。
藤沢周平は、自分自身が都会に出て、その故郷を思う気持ちがあって、それで江戸時代の小林一茶の晩年の生涯を身近かに感じたんだろうと思います。それでいろいろ調査して、この作品を書いたんだと思います。
それは、私などにとっても共通な想いとする所なんです。
今回、あらためて感じるのは、
ここには、相続の問題、民法について知るための、一つの材料があるとおもうんです。
そうは言っても、私などは法律の世界などはまったくの素人ですから、問題意識の範囲でしかないのですが。
人間というのは、誰しも何らかの形で親の死に直面します。すると、古今東西誰でもそうでしょうが、自身の相続の問題が発生して、否応なくそれに関係することになるわけです。誰でも経験する所となるわけです。
そして、民法には相続の問題が重要な柱としてふくまれています。
近代の成文法として旧憲法がつくられた時に、同時に明治
29
年と
31
年に旧民法がつくられました。
その当時、
1893(
明治
26)
年にどのような民法をつくるか、帝国議会で「民法典論争」があったとのこと。
フランス型の人権と平等を配慮した民法案が準備されていましたが、議論の中で日本の家族制度になじまないとして否定され、つくり変えられた。結局、むかしながらの長子相続をまもる旧民法がつくられたという経過があります。
時はすすんで、第二次大戦の結果、近代民主主義にたった現行の日本国憲法がつくられました。この時に、この性格にふさわしくなるように
1947
年に民法も改正された。そして、現行民法が出来たんですね。
そこにある変化ですが、ひとつ特徴をあげるとすれば、それまでの長子相続から、新たに均等相続にかえられたんですね。それまでは長男が「家」を家督相続としてすべて引き継いできた形から、家族の構成者に応分の相続権をみとめるように相続の仕方が変わったんですね。
要するに、日本の近代の民法の歴史の流れには、明治の旧民法がつくられた時は、当時の社会を反映したものとなった、これが
社会の歴史的な特徴的であり、一つの節目でした。時がすすんで、戦後に現行民法がつくられた時には人間平等の均等相続を基調とする民法に変わった。
この変化は、白黒とか、正誤の問題ではなくて、社会の変化、時代の大きな歴史の流れがあったんですね。
憲法にしても、民法にしても、ここの歴史的な変化をとらえておくことが大事だし、これが社会の基礎なんですね。
ところが、問題はここからなんです。
私などは
1950
年生れですが、こうした日本の歴史の歩みについて、事柄については、これまでの教育制度の中で、具体的なこととして学んだ記憶が無いんですね。
実際としては、法律とその制度が、敗戦後の
1947
年に大きくかわっているのに、その社会に暮らしている一般国民にとっては、そうした大事なことが周知徹底していないのではないでしょうか。
もちろん、法律に係わる人にとっては常識的な事柄ではあると思うんですが、しかし一般庶民にとっては、それがほとんど知らされてない場合が、このためわかっていない場合が、多々あるということではないのでしょうか。これは大きな問題ですよ。
私などの場合は、たまたまだったんです。偶然に手にした末川博著『民衆のための法律学』
(
講談社学術文庫 昭和
51
年刊行
)
を
1993
年頃でしたが、これが正面から民法の改正内容を解説してくれていました。これをに見たことで、歴史的な基礎に対する盲人としての自分に悟りを開いた次第だったんです。それはかすかな光でしかありません、ですが問題の本質をついたものだったんです。
これは、誰しも通りつつある過程であり、その私の場合の経験だったんです。
こうした、変化が周知されておらず、あちこちで混乱した事態をきたしているわけですが。それが
起こる背景ですが、それは個人の不勉強といった問題で済ますことはできないと思うんです。
だいたい、それをまもり、徹底すべき政治が、今、地に堕ちているからです。
ひどいものです。一国の総理大臣の憲法観が、やっていることですが、まったく狂っているわけですから。そうした人が国家の最高責任者になっている現在があるわけですから。これじゃぁ、へんな屁理屈をこねて、ちっとも正確な内容と真実を明らかにしたり、徹底しようとしないというのというのが、政治の姿です。責任感覚がない政治家の姿が、日々まかり通っているわけですから。
「だから、当たり前だ」なんて言っちゃぁ世の中を異常を合理化になります。全体としては常識は働いているはずです、出ないと社会が成り立ちません。
しかし、そうした異常なことが続いているのが、日本の今の率直な状態なんですね。
これじゃあ、やはり、ちまたで玉石混交の混乱や、トラブルが生ずるのも当たり前です。
そこには土壌となっている社会のグレーな状態と、未分化な意識状態が、根拠としてあるんですね。ここをかえなければ、モグラたたきなんてすね。
だから、首相のごまかしを許さないことは当然ですが、それだけでなく、もう一度、私たちは、歴史的な日本の大きな流れを、そのなかでの今という社会状況を、学び返してみることが必要なんじゃないでしょうか。正道に立ち返らせるために、憲法の精神を発展させるために。
私などは、それを痛切に感じている次第です。
一年前に、縁あって藤沢周平の『一茶』を読んだんですが、
これを読んだ時、そうした問題意識と課題を感じてきた次第です。
それは、私たちに課せられている宿題なんだと。
その流れとして、私などの今があるという次第です。
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