みかんの木を育てる-四季の変化

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2017年10月08日
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スダチ販売で感じた押しの力について

昨日、10月7日、多摩の団地で「秋の感謝祭」がありました。
そこでのスダチの販売をとおして、一つ感じることがありました。
それは、説得力というか、押しの力についてなんです。

当方は、この日も定例の朝市の日でしたから、お店を開きました。これがそれなんですが。

写真: DSC_0004

出品したのは、ミョウガ57パック、栗12袋、スダチ39袋でした。

前回紹介しましたが、この日の団地の朝はいつもと違っていました。
いつも朝はいたってもの静かな団地なんですが、それが朝からにぎやかなんです。
しかも、その人たちの動きがてきぱきとしていて、さっそうとしているんです。

写真: DSC_0025

いつもとは、まったく人が違うかと思うように、キリッとしていたんです。

そして紹介したように、ここでの目玉のひとつが、1000匹のサンマ焼きだったんですが、
午前10時ころから、広場の一帯に、それこそ美味しそうな香りがただよいだしました。

すでに長い列ができていて、私もならぼうとしたんですが、
お店を空けるわけにはいかないので、眺めるだけで諦めました。

写真: DSC_0016


問題は、ここからなんです。

サンマには、スダチがつきものでしょう。
ところが、栗はいち早くなくなり、大量のミョウガもお昼くらいには売り切れたんです。
ところが、肝心のスダチの販売ですが、この絶好の機会なのに、16袋残ったんです。

そのスダチの売れ残った原因なんですが、
一つは、どさくさにまぎれで、スダチの販売が、人々の目には入らなかったんです。
同時に、そこには、スダチの持ち味が、あまりよく知られていないと感じました。

和食には、とくに焼き魚などには、かかせないはずのものなんですが、
その持ち味が、あまり意識されてないんですね。
そこにあれば使うけど、あえてお金を出してまで、求めることはないといったふうで。

ところが、多少知っている人は、二袋も買っていくんです。
「サンマや焼き魚にもかかせないし、炭酸と甲類の焼酎を遭わせれば美味しいよ」の講釈に、
これにたいして、『知ってるよ、ハイボールにも美味しいんだ』と。
私は、それが『ハイボール』だなんてことは知らなかったんですが、
数は多くはないけれど、和食の食通だけでなく、スダチの愛好者がいるんですね。

もう一つ、根本問題がありました。
スダチは小粒でもあり、一見すると地味なんです。早生みかんが出まわりだす少し前、9月-10月の濃緑色で酸味の強い時が旬ですが、
みかんに比べて地味ですから、私などはスダチ売るのに押しが弱かったんです。

売ろうとする側が、その売るものの持ち味の特質や、かけがえのない味を、
自分自身でもよく理解しておくこと。
その味を試して、実感として、その貴重な役割、持ち味を知っておくと違ってくるんです。

相手の消費者は、よくわからない人もいますから、話し半分で、半信半疑なところなんです。
なかみは確かだし、値段もたいへん手ごろなものですから、
そこで肝心なのは、その持ち味を、自分の実感として、いかに生き生きと伝えられるかです。
チョットその気になって確かめてもらえれば、確認できることですから。

ここが、これまでのスダチ販売の弱点だったんです。
地味な小粒ということで、遠慮がちになって、試してもらうことの押しが弱かったんですね。
昨日の団地祭りのサンマ焼きの朝市でしたが、そこにもこの弱点が残っていました。
このたために、16袋が売れ残っちゃったんですね。

しかし、たまたま本日、『ハイボールにも美味しい』の一言を聞いて、ひらめきました。
ただちに、持ち味を、相手の好みにも合わせて、焼き魚もよし、ハイボールもよし、と。
直ぐに、残っていた16袋が売れてしまいました。私も1袋キープしたんですが。


ところで、肝腎な点ですが、
この関係というのは、この総選挙にも関連していると思いませんか。
本当に中身を知ってくると、話すことの押し出す力がかわってくる。
どこか他人への説得力が違ってくるということなんですが。

本日も党首討論会で、首相は疑惑問題で、みずから『李下に冠を正さず』などの言葉で、逃げようとしていました。がしかし、これは「そうあっちゃ、いけないことだ」ということで間接的に問題を認めているわけなんですね。国会での追及は逃げれたかもしれないが、国民の関心事に立って執拗に求めた記者の質問にでした。首相はこのことわざで間接的に認めているんですね。

それはともかくとして、くり返しになりますが、一般的には誰しもある程度は分かっていることなんですが、それが本当に具体的な、自分自身の確信をもって語られたとしたら、同じ言葉でも、そうなると相手の心に伝わる力が違ってくるんです。ここが、国民のこころをゆりうごかす精神として、大事な要素になっているかとおもいます。


そんなことをどこかでも聞きました。
〔政治状態への根本的批判というのは〕
「人間がなにか貶(おと)しめられ、抑えられ、見捨てられた下らぬ者となっているような一切の状態―畜犬税がもくろまれた際、或るフランス人が「犬め、かわいそうに! お前たちを人間扱いにしようというんだ!」と叫んだ、この言葉で世にもみごとに描かれているような状態―をくつがえせという至上命令をもって終わるということである。」(マルクス『ヘーゲル法哲学批判序論』(P342 国民文庫から)。
また、その相手の人に即して論証されること、目を覚ますことにもなる。「なんで彼らが本来たたかっているのかの理由を示すだけであって、意識は人々がいやがおうでも自分のものにしなければならないものとなっている」(P271 1843年9月の手紙から)と。

これは174年前のドイツでのことが、それが何故か卑近に感じられるこのごろです。










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Last updated  2017年10月08日 18時43分33秒
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