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庵での説教とぎん杏(飯山の旅2)
長野県飯山の旅、その2回目です。
9月5日(水)には正受庵や飯山城址を訪ねました。
いわば飯山の歴史編です。私などは知らなかったんですが、飯山は城下町であったんですね。
地名しか知らなかったんですが、飯山は地域の中心地だったんです。
今回の旅を案内してくれたKさんですが、
阪神大震災で兵庫の住まいが倒壊してしまい、すべてを失いました。
その時に、まったく知り合いもいなかった飯山の山里に単身で移住した人なんです。
それから25年、さまざまな苦労があったでしょうが、
今回、飯山・富倉の人として、この第二の故郷を一行の13名に案内してくれたわけです。
この日の案内の一つは、正受庵という小さな庵でした。
私などは仏教は疎いし、「なに? この庵は」といったことでしたが。
ここには臨済宗(鎌倉時代からの禅宗)の中興の上人・正受老人という方がいたんだそうです。
その人は松代藩主真田信之の子ども(庶子のため仏門に)だそうで、今から330年前のことです。
ここに正受庵に禅室をつくって修行していたのだそうです。
ここの庵が本堂だそうです。
その正受老人(恵端禅師)の歌です
指し当たる事のみばかり思えただ
かえらぬ昔 知らぬ行く末 
真田家の大名の子どもでもあり、周りには寺の建立と寺領の寄進をもう出でた人があったそうですが、
「出家というものは三衣一鉢さえあれば良い。それ以上のものを求め、民の富を奪って何の利益がある」と言ってことわったそうです。
そのかわりに、水石と栂(つが 松の木の一種)の木を受け取ったというんです。
これがこの寺の本堂でもある正受庵です。
いたって質素なんですね。
そうしたことは、すべてこのチラシに書いてあったことでして、私などはすべて初耳だったんすが。
この上人も修行し出た若いころはたいへん生意気だったたようで、
その時の住職に鼻をつままれて、
「出直して来い」と、この坂道を下の方に蹴飛ばされたんだそうです。
そんなエピソードを、一行の一人が、説明してくれていたんです。
その時、道を掃除している人がいました。
昨夜の台風の風で、あちこちに小枝が散乱していたんですね。後から知ったんですが、それは住職の代わりに寺を守っている人だったんですが。
そのひとが、小言もふくめて、いろいろ説教やエピソードを紹介してくれました。
「この石段は、近くの古民家が壊された時に寄せられたもので、それを階段にしたもの。
この石段の前は、地元の小学生たちが川から玉石を運んで階段のように敷いてあった。
蹴飛ばされたころは、おそらく土の坂道だったろう、そうでないとケガしちゃう」と。
「臨済宗は禅宗で、禅問答が大事な一部になっている」と、その蹴飛ばされた時の問答や様子、そのことの意味を紹介してくれました。
「団体客は、とかくマナーが悪い。本堂は拝まないし、敷石を歩かずにその外を歩く」と、
マナーの問題を含めて、この宗派の大事にしている点をコンコンと説教してくれました。
その説教を聞いている時の様子です。
得難い貴重な話を聞かせてもらったんですが。
次は、正受庵の庭です。
その説教によると、
臨済宗では「座禅と、サム(お勤め)と、お経(学習)、この三つを大事にしている」そうです。
庭をきれいに維持するのもサムの一つだそうです。
本堂の庵も、その庭も、いたって質素なんですね。日本庭園らして、自然を生かした独特の文化の趣がありました。
そうしたことで、ガツンと、しかもコンコンと説教を聞くはめになった正受庵でした。
ついで、午後からは飯山城址を散策しました。
それは飯山城は飯山の中心にありました。もともと飯山は城下町だったんですね。
市街地の中心にあるわけですが、よく城跡が保全されていました。
次の写真は、飯山城の二の丸から本丸へ上がる道です。
天気も良くて、見晴らしも最高だったんですが、
坂道を上るため、年寄りたちには少々きついんですね。
本丸までのぼると、その正面には神社がたてられていました。
この広場が本丸跡です。
正面の葵の家紋ですが、ここでは木の入った葵なんですね。
飯山藩は、幕末の戊申戦争では、政府軍の側についたんだそうです。
それぞれの藩で、様々な対応がありますから、
きっとその時代にどう対応したらよいか、大きな議論が交わされていたんですね。
私などは知らないので、想像でしか分かりませんが。
本丸よりさらに一段高いところは、天守閣があった所でしょうか。
何しろ、台風21号が駆け抜けた後で、台風一過の強い日差しです。
日陰を好む一行と、正確な解説をしようとする幹事とでは、動き方が違います。
幹事は案内プレートを読み込んで、解説してくれました。
足元を見てやってください。
台風が吹き荒れた後でしたから、それこそ沢山の銀杏です。
銀杏があたり一面に散らばっていいて、踏みしめて歩かざるを得なかったんですね。
まだ落ちたばかりでしたから、別に支障はないんですが。
この飯山城ですが、お城の内堀は埋められいて、今は駐車場や広い通り道になっていました。
そこを近くの高校生たちが、学年行事でしょうか、男女の大ぜいが次々に駆けてきました。この暑さの中を、一方は駆け足するの若者たち、他方は日陰を探そうとする年寄たちだったんですが。
年寄り組の中には、かつての教師時代の血がさわぎだす人もいたりして、
すれ違う生徒に、「ファイト! 一、二、一、二」と大きな声をかけ、気合をおくったりして。
確かに、それにより、生徒の足がピシっとなり、にこやかに力強くなっていくんです。
何人もの生徒が、これに対して、挨拶とエールをかえしながら走っていきました。
へぇ~と、金八先生を連想させられるような一コマでした。
この「説教と銀杏」は、今回の飯山の旅で印象深いものがありました。
すこしたてば、細かいことは、自然にほとんどは忘れてしまうでしょうが、
だけど、前回の稲穂の黄色く垂れさがった棚田とともに、
この二つについては、きっといつまでも頭皮に刻みこまれることでしょうね。
次回は、野沢菜の野沢温泉を紹介します。
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