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ケンタロー (la joie de vivre)さんKeyword Search
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綿貫観音山古墳を見てきました
私などは、古墳というのは、関西と九州にあるくらいの認識だったんですが、
関東にも前方後円墳があちこちにあるんですね。
3月28日に、群馬県高崎市にある前方後円墳、
「綿貫観音山古墳」を見る機会がありました。
用事で群馬に行ったんですが、
そのついでに、歴女の案内で、その古墳を見てきました。
長さは100メートル近くあるんですよ。
また、高崎市の地図を見たら、古墳はここだけじゃないんです。
それこそあちこちに、いくつも古墳があることを知りました。
「関東平野に大きな古墳がある」なんてことは、まったく知らなかったんですね。
この認識は、改めなけれはならないことが分かりました。
「綿貫観音山古墳」は、1973年に登録されたとのことで、横穴式の古墳だそうです。
私などの学生時代に、発見と調査が行われていたということです。知りませんでしたが。
だけど、それ以上のことはわからないんです。
関東平野は広いですから、水田が広く作られていたでしょう。
おそらく、富や力というのは、どれだけのお米を取れるか、どれだけの水田をもっているかで、集落の規模や、集団の力が決まってきていたんでしょう。
長い時代の中では、その広い水田をめぐって、さまざまな争いもあったでしょう。
「兵どもの夢の跡」です。
しかし、この大きな前方後円墳が、今に残っているということは、奇跡的じゃないでしょうか。
日本の政治というのは、政治屋的な、学術などは蹴飛ばして、目先の利益ばかり追いかけていますから、
儲からないものは大切にしないし、すぐに遺跡などは壊しちゃって、宅地などに開発しちゃうじゃないですか。
科学者会議の6名の排除ですが、こうした誤った決定を、今もって直そうとしないじゃないですか。
そうした中で、これだけ大きな古墳が残されたこと。いわれもよくわからない中で、こうして今日まで史跡として保全され、残されてきたというのは、一つの良識ですね。
これは日本の歴史にとって、一つの宝ですね。
もっと詳しくこの古墳について、知りたくなったんですが。
残念ながら月曜日は歴史博物館は休館日だそうで、見ることが出来なかったんです。
発掘された埋蔵品や歴史資料などが展示されていると思うんですが、それを見ることが出来なかったんです。
群馬の空っ風、寒風がふきつけている古墳そのものしか、今回は見ることは出来なかったんです。
それでも、私などにはこれまでまったくの空白だった関東の古墳時代の歴史でしたから、
そこには、まだよくはわからないけど、大きな歴史が隠れていそうだ、ということです。
今でこそ、東海道の海沿いの道が、交通や鉄道のメインルートになっていますが、
どうやら、その昔は本州の中央部分を通るみち、中山道の方がメインルートだったようです。
古墳のある位置をみていると、そんな感じがしてきました。
失礼しました。
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